19.31 いつか来るアシタへ 中編
今から大よそ七百五十年ほど前、ヤマト王国に大和健彦という男性が誕生した。ヤマト王国の常として幼名は別にあったが、成人した彼は『ヒコ』の尊称を授けられた。彼は大王の長男、つまり次代の大王となる人物だったからだ。
このタケヒコという王太子は大王家にしては珍しく武に長けていたようだ。もっとも大王家の秘術を駆使して身体能力を向上させたといい、体格自体は歴代の大王と同様に小柄だったらしい。
当時の大王領は未だナムザシに達していなかった。タケヒコが誕生したころはアシガの関、つまり日本でいうところの足柄峠ですら大王家の支配下に入っていなかったという。
しかし成人し王太子となったタケヒコによって大王家の版図は広がっていく。そして十年ほど後に彼はアシガの関を越え、大王領の者が魔鎖怒、または真砂土と記すドワーフの将と戦った。
──ドワーフと人族……何とかならなかったのかな──
シノブは密かにアミィに思念を飛ばす。
眼前では、現在の大王家の王太子である大和健琉と、伝説のドワーフであるマサドの霊が憑依した鋼人が競っている。この両者の神聖な戦いを、シノブは邪魔したくなかったのだ。
タケルとマサドは双方とも、まわしを締めて四つに組み合っている。
大王家の秘術で活性化と硬化をしたタケルは肌を真っ赤にし、普段の優しげな彼からは想像も出来ない荒々しい声で叫ぶ。そして彼は何とか相手を揺るがそうと押し込み、投げを打つ。
一方のマサドは受け身であった。鋼の像とはいえ七百年以上もの時を越えて体を得た彼だけに、出来るだけ長く素無男を楽しみたいのかもしれない。
土俵の上の両者の目には、もはや眼前の相手しか映っていないだろう。おそらく間近にいる威佐雄、行司を務める彼の声すら聞こえていないと思われる。
それが理解できるだけに、シノブは声を潜めざるを得なかった。しかし同時に、全身全霊を篭めた曇りのない姿がシノブを言わずもがなの問いへと誘ったのだ。
──難しいとは思います……他でも人族や獣人族とドワーフは分かれて住んでいますから──
アミィが返した言葉のように、ドワーフが他と共に暮らすのは難しいようだ。もっともエルフも独自の国を造っているから、彼らだけの問題でもない。
人族の場合、開墾により大きな農地を造り出し、そこで北方なら麦、南方なら米を作るようだ。作物は他にもあるだろうが、何れにしても大規模な農業を前提とした社会を形成する。
獣人族の場合だと人族より狩猟や漁業の比重が大きいが、あまり差は無いようだ。それに彼らは人族と入り混じって生活することが多いし、シノブも人族だけ獣人族だけという国を知らない。
しかしドワーフやエルフは違う。
エルフは森を切り開くのを避ける。もちろん農業はするが、最低限しか農地を作らない。また馬などの家畜を殆ど飼わないから、牧草地なども用意しないらしい。
そしてドワーフだが、彼らも人族や獣人族より自然な生活を好んだ。なるべく森を元のまま残し、そこに住む獣を狩って主要な糧の一つとする暮らしである。彼らも農業は行うのだが、狩猟のため大規模な開墾はしないのだ。
またドワーフ達は鉱脈を探し鉱山とする。彼らにとって鍛冶は守護してくれる神テッラが授けた神聖な技であり、鉱脈などの資源発見は大地の神が置いてくれた宝の発見だからである。
──アマノ王国では共存を始めているけど、一部だからね──
──はい。人数もそうですが、鉱山夫や鍛冶師など、限られた地域に限られた職業から入ったことも大きいかと──
シノブの思念に、アミィは強い同意を示した。
アマノ王国では、ドワーフと他種族が共に暮らし始めた。しかしアマノ王国の鉱山は、元々が非常な深山で農地とすることなど不可能であった。また港町アマノスハーフェンは今まで活用していなかった断崖絶壁を切り開いてであり、こちらも既存の住民との衝突はなかった。
しかしヤマト王国の過去は違っていた。
ヤマト王国の地形は日本に瓜二つで平地が少ないから、激しい土地の奪い合いになったらしい。ドワーフ達は山野や森をそのままにしようとする。人族や獣人族は開墾を進め田畑にしたがる。こういうわけだ。
エルフは早々と伊予の島に閉じ篭もった。彼らは巨大木人という切り札を持っていたし、魔道具製造にも長けていた。そのため人族の長である大王家や獣人族のクマソ王家も、エルフへの干渉を避けたようだ。
しかしドワーフは、次第に数を増す人族に対抗しきれなかった。
──エルフ以外の三種族に、成長速度や出産率の差はありません。そうなると、広い耕地で安定した食料を得る者達が増えていくのは自然なことです──
アミィが言うように、一般にドワーフの国の人口密度は低い。エウレア地方の場合、ドワーフの国ヴォーリ連合国はメリエンヌ王国の四割程度の人口密度である。
これは耕地と出来る場所が限られており、その限られた場所も可能な限り森や野として残しているからのようだ。
ヴォーリ連合国とメリエンヌ王国の場合、間に聳えるリソルピレン山脈により自然と住む地が分かれた。そこより北が人族や獣人族にとって厳しかったということもあるが、明確な境界があり行き来できる場所も一箇所だけだったというのも大きいだろう。
しかしヤマト王国の場合、そこまで人を阻む難関は無かったし、島国だから山を越えなくとも海から回りこめる。そのため切り開いた農地で数を増した人族は急激な東進を続けていった。
──せめて山地くらいドワーフに残れば良かったんだろうけど。でも、鉱山から出る土砂が農業用水に入ったとか、そういう類の揉め事は多かったらしいね──
──ええ。浄化の魔道具で鉱毒は防いでも、坑道から出た土砂の一部が川に入ったのですね。もっとも中には言いがかりもあるようですが──
シノブの溜め息混じりの思念に、アミィも同じような調子で応じた。
このような衝突は、遥か昔のエウレア地方でも多かったらしい。今から六百年以上前、現在の各国が生まれる前の群雄割拠の時代には同様の騒動が発生したという。
神々も浄化を始めとする各種の魔道具についての知識を人間に与えたが、それは最低限の知恵としてであった。つまり、そこで生じる問題は自身で解決策を見出し成長してほしい、としたわけだ。
ちなみに現在のエウレア地方では、鉱山などからの廃土を厳重に管理している。河川に流れない場所への蓄積や土魔術による岩石への成型などが、掘削の場には義務付けられているのだ。
しかし遥か昔のヤマト王国の人々は、そこまで辿り着かなかったようだ。あるいは、ドワーフさえ去れば面倒なことをしなくて済む、と考えたのかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブとアミィが静かに思念を交わす中、新たな動きが生じた。マサドの宿る鋼人が、タケルを突き放したのだ。
といっても、土俵から出るほど強烈な突きではない。
『押し素無男、投げ素無男は充分に堪能したぞ! 今度はお主の得意技を見せてくれ! 昔のようにな!』
どうやらマサドは、組んでの闘いには満足したらしい。それとも小兵のタケルが自身に合わせて押しや投げをするより、好きにさせた方が楽しめると思ったのか。
マサドが憑依した鋼人は、シノブの親友イヴァールの体型を元にしている。アミィは鋼人の身長や体重もイヴァールと同一にしたから、重心はタケルより低く体重は倍を遥かに上回る。
そのため正攻法ではタケルの長所や技を充分に発揮できないと、マサドは考えたのだろう。そして昔のようにというのは、タケルの遠い先祖であるタケヒコを思い出してに違いない。
もしかするとマサドとタケヒコは、こうやって素無男で競ったこともあるのだろうか。シノブは、楽しげにすら聞こえるマサドの言葉から、そんなことを考える。
『これは荒素無男だ! 昔と同じで蹴りでも何でも使うが良い!』
荒素無男とは和素無男に対する言葉だ。前者は戦場での技でマサドの言うように何でもあり、後者は祭りや純粋な力比べである。
そしてマサドとタケヒコが戦場で交わした技は、やはり荒素無男なのだろう。
「多力貴子よ! 大土貴子よ!」
タケルは応とも否とも言わず、戦いの前のように神名を唱えた。しかし今度は短く、印も結ばない。何故なら、彼の目の前に鋼人が突進してきたからだ。
「あれは『千手覇利手』です!」
「空気がここまで……」
シノブ達の右手、西側の観客席にいる女性達が声を上げる。
鋼人が放ったのは、イヴァールがサドホルンで見せたものと同じ無数とも思える張り手の壁であった。その壁が起こした風圧で西側、つまり今までタケルがいた側の観客席にいる者達の髪が大きく靡いたのだ。
技の名を叫んだのは熊の獣人の武者姫、熊祖刃矢女。驚嘆の呟きを漏らしたのは狐の獣人の巫女、穂積立花。そして顔を伏せ気味にしたのは褐色エルフの巫女姫、佐香桃花。三人ともタケルを慕う少女達だ。
それぞれ種族が違う三人だが、長く伸ばした髪が後ろに乱れ舞っているのは等しかった。そしてタケルを案ずる思いも、同じなのだろう。三人は大王家の若き跡取りに目を向け直す。
「えやぁ!」
自身の左、つまりシノブ達の側に回りこんだタケルは、張り手のため伸ばしたマサドの右半身に強烈な突きを放った。それはシノブの親衛隊長となったエンリオ、猫の獣人の老武人が見せた技に良く似ている。
「『猛虎光覇弾』か!?」
──ボクが教えたんです~──
思わず叫んだシノブに、シャンジーが思念だけで語りかける。
エンリオも、イヴァールとの戦いでこの技を使った。左半身で手前の足を強く踏み降ろしてからの瞬転、右掌底での突きである。
エンリオもイヴァールに比べれば随分と体重が軽かった。そして猫の獣人だから身軽でもある。おそらく、それらの特性を踏まえた上で、シャンジーはタケルに向いた技として伝えたのだろう。
「『獅子王双破』まで!」
金属を撃つ鈍い音を掻き消すように叫んだのは、神主を挟んで向こう側に座る斎姫だ。
これらの技は、遥か昔に戦いの神ポヴォールがカンビーニ王国の建国王レオン一世に授けたという。しかしポヴォールは、ヤマト王国にも伝えていたようだ。
イツキ姫が口にした通り、タケルは右掌底の姿勢から更に歩を進め、両手を揃えての掌底へと姿勢を変えていた。
「そして『熊山靠』……クマソ王家の秘技では?」
神官が呆然とした表情で呟いた。どうやら、これはクマソ王のイサオが仕込んだ技らしい。
この技はシノブが初めて目にするものだった。最初の右掌底を放った姿勢、つまり右半身からタケルは瞬時に左足を前に送って近間から諸手突きを繰り出した。
この時点でタケルと鋼人の間合いは至近となっていたが、更にタケルは右足を出して詰め、右肩から背を用いた体当たりを繰り出したのだ。
しかもタケルは、殆ど一瞬で三連撃を放っていた。そのためシノブ達に届いた大鐘を打つような轟音は三つではなく一つとなっている。
『おお、懐かしきタケヒコの技! しかも最後の一手は新たな工夫か!? 七百余年も待った甲斐があったというものよ!』
マサドの操る鋼人は揺らぎもしなかった。そして嬉しげな声を発した黒い鋼の体は、タケルを追おうと向き直る。
『さあ、タケヒコよ! もっと、もっと競おうぞ!』
「うおおおっ!」
鋼人が再び風を巻き起こす張り手を放ち、タケルも飛燕のように舞いつつ突きを返す。
背は低いが体重で遥かに勝る鋼人が土俵中央に陣取り、軽量小柄なタケルは周囲を素早く行き交い隙を狙う。
行司のイサオは大きく退いて見守るだけだ。タケルの動きを邪魔するのを恐れたのだろう、彼は土俵際まで下がっていた。
「これが……」
知らず知らずのうちに、シノブは声を漏らしてしまう。
おそらくは、このような競い合いが七百数十年前にもあったのだろう。それ故マサドは、タケルに遥か昔の好敵手タケヒコを重ねたに違いない。
その想いからか。黒髪を靡かせ飛び回るタケルと、どっしりと構え迎え撃つマサドの鋼人に、シノブは遥か昔のヤマト王国を幻視する。
深き山と森、広がる黄金の田。そして煌めく河、そよぐ風。それらの万物を遍く照らす慈しみの光。タケルとマサドの闘いは、悲惨な戦場の嘆きではなく豊かな大地への感謝をシノブに見せてくれたのだ。
きっと、これがマサドの見ているものだ。何故タケヒコとマサドは分かり合えなかったのか。どうしてヤマト王国の人族とドワーフは争ってしまったのか。目の前に浮かんだ夢幻の風景が美しかっただけに、シノブの心に悲しみが生じていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「ああっ!」
タチハナの叫びが、思考の淵に沈んだシノブの耳に届く。そして現実に戻ったシノブの前には、肌を赤黒く染めたタケルがいた。
「秘術の効果が薄れたのでしょうか……」
「もしくは体が付いていけなくなったのかと……」
シノブの右隣でアミィが呟くと、左の神主の向こうからイツキが囁き声で応じる。
何しろ、タケルの相手は鋼の像だ。鋼鉄の敵手と激しく衝突するだけでも、通常なら肌が裂け血が舞うだろう。それどころか、タケルは矢のような突きを打ち込むのだ。どれだけ強化の術を行使しても、肉体の破壊は避けられないのかもしれない。
『タケヒコよ……昔より治癒の腕が落ちたのではないか? だが、遠慮はせんぞ!』
マサドの宿った鋼人は、動きを止めたタケルに悠然たる歩みで近づいていく。
大王家の血筋は、治癒術にも優れている。したがって、かなりの無理であろうと彼らが肉体を害することはない筈だ。
しかし今、タケルの肌は黒に近い色へと変わっていた。それに、僅かだが関節付近は膨れているようでもある。
これだけの内出血をしているのだから、体を動かすことも難しいに違いない。単に肌の下に血が溜まっているだけではなく、筋肉も大きく傷ついているだろう。
マサドは治癒魔術に詳しくないだろうが、打撲などは実体験で熟知しているのだと思われる。そのため彼は、タケルが体を動かすことも困難だと判断したようだ。
『タケヒコ……楽しかったぞ!』
「はっ!」
鋼人が無造作に繰り出した張り手を、タケルは大きな跳躍で躱した。そして身を縮めたタケルは疾走する馬車の車輪のように激しく縦回転すると、鋼人の後頭部に強烈な蹴りを放った。
通常とは違い、これは荒素無男である。したがって、マサドが宣言したように蹴りであろうが許されるのだ。
『おっ!?』
鋼人の体が前に泳ぐ。そして更なる回転をしたタケルは、追い討ちとばかりに伸ばした足で鋼の背に一撃を加えた。
これには鋼人も堪らず、前に突っ伏してしまう。
「タケル山~」
イサオがタケルの勝利を宣言し、軍配で彼を示す。そして周囲が大きな歓声で若き王子を褒め称える。
「シャンジー、君が!?」
──はい~! 車輪の絶招牙です~!──
拍手をしながら、シノブは若き光翔虎シャンジーに問い掛ける。そしてシャンジーは、歓喜の咆哮を上げながら思念で習得の経緯を明かしていく。
タケルに牙や鋭い爪はないが、武器を持っての戦いであれば回転切りなども可能だろう。そう考えたシャンジーは、八つの絶招牙のうち人間の武術に応用できそうなものをタケルに教えることにした。
もちろん、その全てが成果を挙げたわけではない。しかし車輪を含む二つ三つは、タケルの武術に新たな技を齎したのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
『タケヒコよ……体は?』
「わざと表面だけ治さなかったのです」
立ち上がり向き直った鋼人の問いに、タケルは短く応じた。どうやらタケルは同時に治癒魔術を行使したらしく、赤黒かった肌が普段の色白なものに戻っていく。
「マサド殿。これで大王家を許してくれるだろうか?」
シノブは、土俵へと歩みながら問い掛ける。
タケルは見事に勝利した。したがってマサドも認めてくれるだろう。その思いが、シノブの顔に微笑みを宿す。
『はい。再びタケヒコと戦えたのです』
鋼人はシノブへと向き直り、一礼をした。
戦いを終えても、マサドの霊はタケルのことをタケヒコと呼んでいる。それに表情の動かぬ鋼人だから判りにくいが、彼の声には単なる末裔に対する以上の感情があるようだ。
シノブは、そこにある種の納得を感じながら更に寄っていく。
──シノブ、私の力を貸しましょう。タケルに手を翳しなさい──
シノブの脳裏に、唐突に中性的な声が響いた。それは神々の長兄、闇と魂を司るニュテスの声であった。
もしやと察していたシノブは、驚くことなく土俵に上がっていく。そしてシノブはニュテスに指示された通り、タケルに手の平を向ける。するとシノブの手から、黒い光が放たれた。
「……将彦殿。久しいな」
タケルの口調は、大人びたものへと変わっていた。そしてタケルは、声に相応しい落ち着いた仕草で鋼人へと右手を差し伸べる。
『おお。あれから七百年以上経ったぞ』
「そうか……」
マサドの操る鋼人はタケルの手を握り、タケルは余った左手で冷たい鋼の体を抱く。その様子は、敵手というより長年の友のようですらあった。
「……タケル様にタケヒコ様の御霊が降りた?」
「いや、タケヒコ様の生まれ変わりなのでは……」
観戦していた武人達や、代官の音部亜豆麻呂が密やかに言葉を交わしている。一方イツキ姫やタチハナ、モモハナなどは何かを察したらしく、畏れを顕わにした顔のまま見守るだけだ。
「シノブ様が、タケル殿の魂を一時的に解き放ちました」
アミィの声が静かに響く。神の眷属である彼女は、何が起きたか理解していたのだ。
シノブが薄々察したように、タケルは七百年以上前の大王タケヒコの生まれ変わりだった。
この世界には輪廻転生があり、闇の神ニュテスの役目は死者の魂を癒し新たな生に導くこととされている。これらは神殿でも広く教えていることだ。
しかし実際に転生した例を挙げられる者は、まずいない。新たに生まれてくる命は、生前の記憶を持っていないからだ。
「おお!」
「何と!」
それ故ざわめいていた者達は大きな声を上げた。しかし彼らは、続いて雪崩を打ったように顔を伏せていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「ほう……そのような」
『ああ。お主が去った後、誰も現れなんだ。情けないことよ、と思っていたが……しかし、こうやってお主自身が来てくれたのだ。それで良かったのだろう』
驚く者達を他所に、タケルとマサドは言葉を交わし続けていた。正確にはタケルの転生前の人格タケヒコがマサドと、であるが。
どうやらタケヒコと呼ぶべき人格は、タケルとしての記憶を殆ど持っていないらしい。そのため彼は、自身が没してから後のことをマサドに訊ね、それにマサドが応じていた。
「タケヒコ殿。先ほどマサド殿のことをマサヒコ殿、と呼ばれましたね?」
シノブは旧交を温める二人に割り込むのは忍びないと思った。
しかし、いつまでタケヒコの人格が表に出ているかも判らない。そのため大王家とマサドの間に生まれた溝の修復をすべく、シノブは語りかける。
「はい。私が好敵手である彼に贈った名です。彼の幼名は将人、長じて弩にも勝る弓勢を称えられ将弩と親から名を授かったそうですが」
『ふふ……タケヒコの言う通り、私は弓も得意で弩の将と呼ばれたのです……没してからは随分と色々な字が当てられたようですが。
……マサヒコの名は、こやつなら兄と立てても良いと思い受け入れたのですよ』
二人の言葉に、シノブは大きく頷いた。
タケヒコとマサドは、互いに認め合う仲だった。それが後の世に伝わってくれたら、きっと人族とドワーフの関係も大きく改善されるだろう。シノブは、そう思ったのだ。
「そ、それなのにどうして毒殺など!」
「そうだ!」
観客席の外側から響いたのは、今まで聞いたことのない声であった。シノブは、いや集った者達は、新たな声のした方に顔を向ける。
そこには二人のドワーフがいた。どちらも男だが、先に叫んだ方は少なくとも中年以上、もう一人は二十代くらいだと思われる。
二人の黒く長い髪や髭、それに浅黒い肌はエウレア地方のドワーフ達と共通している。しかし服装はヤマト王国らしい前合わせの着物に似たものだ。ただし、どちらの服も極めて簡素である。
飾りといえば髪と髭を縛った組み紐くらい。着物は革製なのか、これまでシノブが見たヤマト王国の衣装とは随分違った質感だ。
──シノブさん、何とか連れて来たけど──
──この男達を説得するのは大変だぞ──
ドワーフ達の後ろから姿を現したのは、光翔虎のメイニーとフェイジーであった。
二頭はシノブの頼みで、ある条件を満たすドワーフを探しに行った。もちろん、この真っ赤な顔をしてタケルを睨みつけているドワーフ達が、探し出した者達だ。
『お主達、雄雄名の一族だな? 我が血を受け継ぐ……』
マサドが宿る鋼人は、嬉しそうな声を発していた。それもその筈、この二人は彼の子孫なのだ。
これだけ語り継がれる英雄であれば、今でも子孫がいるだろう。そしてマサドを慰めるために彼と子孫を会わせたい。シノブは、そう思ったのだ。
「は、はい! 私が雄雄名将彦、貴方様の名を受け継ぐ者です!」
「ですが、継いできた名が大王家の付けたものだったとは!」
一旦は顔を輝かせた二人だが、再びタケルを睨みつける。マサヒコという名が大王家に由来すると、彼らは知らなかったようだ。
『ふむ……タケヒコよ。何故毒を用いたのか、教えてはくれまいか?』
マサドは子孫達からタケルへと顔を向け直す。そして彼は穏やかな声音で、自身の死を招いた陰謀について問うた。
「全ては私の不徳故……弟が私の暗殺を目論んだのです。私と貴方が共倒れになればと考えたのでしょう……」
タケヒコには弟がいた。この弟は都に残っていたのだが、彼がタケヒコとマサドに毒を盛るよう手引きしたのだ。
マサドと認め合っただけあって、タケヒコは本気で和平を考えていた。彼はナムザシを含めマサドの支配権を認め、そして同盟なり何なり新たな形に進めようとした。それらを語るべく、タケヒコはマサドと会う場を設けたわけである。
「私は自身の術で命を取り留めましたが、そこまででした……」
タケヒコは死こそ免れたものの、長く起き上がることも出来なかった。ただし、手先となった者も連続して王太子を狙うことは出来なかったようだ。そして朦朧としたままのタケヒコを、家臣の一部が守って西へと退いていった。
一方のマサドだが、手先の者が毒に苦しむ彼の首を落としたらしい。王太子暗殺は失敗したがマサドを惨殺すれば和平はならない、と考えたようである。また、その時点ではタケヒコの家臣も混乱しており、留める者はいなかったそうだ。
なおタケヒコの家臣の半数以上は、ナムザシに残って奮戦した。手先の扇動で、彼らは毒を盛ったのがドワーフだと信じたのだ。
それに対し、マサドを失ったドワーフ達は崩れたという。元々人族は組織戦が得意、ドワーフは個々の武勇が恃み、という違いもあったからだと思われる。
「都に戻った後、弟や手の者は処刑されました。ですが……」
結局タケヒコが動けるまでに回復したのは都に帰還した後で、しかも再び軍を率いるほどの力は戻らなかった。
後にタケヒコは大王となったが短い間で、しかも実際には父や事件の前に得ていた子が政務を預かった。そして先代や次代は大王家の恥と言うべき事件を伏せ、周囲にも緘口令を敷き、更に記録も残さなかった。そのため真実は後世に伝わらなかったのだ。
『そうか……なあ、タケヒコよ。話してはもらったが、言葉だけでは納得できない者もいるだろう。子孫達のようにな』
鋼人の向いた先には、タケルを睨みつける二人のドワーフがいた。
いきなり連れて来られ、実は弟のしたことだと言われても受け入れ難いのは当然だろう。ドワーフ達の怒りが解けないのは無理もない。
「ええ。後は今生の私に任せましょう。明日を創るのは、この私ではありません」
『アシタか……シノブ様』
現世の自分にという言葉に、マサドは何か感ずるところがあったらしい。鋼人は静かにシノブへと向き直る。
「何でしょう?」
『この地の北……アシタをシノブ様にお預けします。大王家の王子が我が同胞の心を動かせば、そのときには大王家に授けるなりご随意に。ですが融和がならぬ間は、シノブ様に預かっていただきたいのです』
シノブの問いに、ゆっくりとマサドは語り始めた。
自身は祖霊として再び眠りに就くだろう。自分の恨みは朋友たるタケヒコの言葉で消滅した。しかし北にいる者達は別であろう。
それ故、今を生きる彼らの心が解れるまでカミタに隣接する禁域、かつてアシタと呼ばれた地をシノブに委ねたい。それに神々の意志次第だが、カミタも見守ってくれないだろうか。マサドは、そう語ったのだ。
「シノブ様、私からもお願いします」
「お願いいたします」
タケヒコとなったタケルが、マサドの言葉に賛意を示す。そしてイツキ姫や神主なども口々に続く。
「判りました。預かりましょう」
自身の答えを待つ鋼人に、シノブは大きく頷き返した。
日本での故地に相当する場所を預かる。これも何かの縁だろう。シノブは、そう思わざるを得なかった。
『ありがとうございます!』
シノブの言葉に、マサドは喜びの声を上げた。そして先祖が礼を尽くす相手に何かを感じたのか、二人のドワーフも静かに頭を下げる。
「……別れのときが来たようです。私はタケルに戻ります」
『別れではないさ。お主との戦い、昔と全く変わらぬものだった』
先刻まで四つに組み合った二人は、再び近寄った。しかし今度は組み合うのではなく、彼らは静かに肩を抱きあう。
そして暫しの間、遥か古代の英雄達は互いの心を通じ合わせるように寄り添っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年12月5日17時の更新となります。
異聞録の第二十三話を公開しました。シリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。




