19.24 諸国の和の中で 中編
アミィを姉と慕う天狐族タミィ。彼女はアミィと同じで、今は狐の獣人だそうだ。
ホリィ達金鵄族もそうだが、地上に降りるときに幾つかの能力制限をされたという。これは、生き物としての枠に収まるため必要な措置らしい。
もっともタミィの外見に変化は無いから、シノブには先日会ったときと同じようにしか見えない。アミィと同じでオレンジがかった茶色の髪と薄紫色の瞳、そして容貌も良く似た少女だ。ただしタミィはアミィより更に三歳か四歳は幼く、それは大きな違いである。
タミィが来たから、ミリィは東域調査の支援に回ることが可能となった。とはいえ既に、時刻は日も落ちるころだ。
そのためシノブは、東域に滞在中のホリィとマリィに新たな仲間が加わったと連絡したが、今後をどうするかの検討は翌日に回した。
アマノ同盟の加盟国への連絡も済ませ、明日は代表者達が来訪すると決まっている。それにミリィが東域での調査に加わるにしても、大神官補佐としての仕事をタミィに引き継がなくてはならない。
そこでミリィの今後に関しては、明日以降に決めようとなったわけだ。具体的には明日の会談を済ませ、更にタミィに最低限の説明が済んでからである。
第一、それより先に行うべきことがある。それはタミィを宮殿で暮らす者達に紹介することだ。
大宮殿側は明日に回すとしても、タミィも小宮殿に住むから身近な者達に知らせないと混乱するだろう。そこでシノブは晩餐で側仕えの従者や侍女に伝えることにした。
この日シノブは夕方までエレビア王国に滞在し、帰還する時間も未定であった。したがって公務としての晩餐会も予定されておらず、夕食は小宮殿でとなっていた。
そのためタミィの分の食事を追加するだけで、問題なく小宮殿での晩餐は始まる。
「……そういうわけで、タミィはアミィと一緒の部屋で暮らす。タミィは大神官補佐に就任するが、ここではアミィの妹というだけだ。構えることなく接してほしい」
「タミィです! これからよろしくお願いします!」
シノブが語り終えると、タミィは溌剌とした声音で名乗り、そしてペコリと頭を下げた。その様子は大よそ六歳から七歳に見える外見相応で、微笑ましさすら漂っていた。
そのためだろう、晩餐の場である『入り日の間』には温かな笑みと大きな拍手の音が満ちた。
「皆さん、ありがとうございます!」
顔を上げたタミィは、またもや可愛らしい容姿に相応しくニコニコと微笑んだ。どうやらタミィは、幼い従者見習いや侍女見習いに合わせたようだ。
たとえばミュリエルの側付きには、侍従長ジェルヴェと侍女長ロジーヌの孫であるミシェルがいる。タミィと同じく狐の獣人の彼女は七歳だ。
それどころか、更に幼い者もいる。同じくミュリエルの側付き、ガルゴン王国から来た虎の獣人の少女ロカレナは五歳だ。
これはミュリエルが十歳だからである。彼女の側付きは、同い年のフレーデリータやリーヌが最年長であった。
しかも、他にも幼い子達はいる。シノブの従者見習いには、マティアスの子コルドールやフレーデリータの弟のネルンヘルムなど、十歳未満の少年が含まれている。これは各侯爵や伯爵が、年少でも子息をシノブの元に置いているからだ。
彼らは我が子が国王の側で学べば交流も深まるし、爵位を継いだときに役立つ、と考えたのだろう。
ちなみにシャルロットやセレスティーヌのお付きは、一番下でも十二歳だ。こちらは年齢の低い者がミュリエル付きとなるため、同年代から数歳下くらいが並んだらしい。
「では、食事にしようか。『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
内々の晩餐だが、シノブは正式な場と同様に祈りの言葉を口にした。そして間を置かずに集った者達が同じ句を唱える。
シノブが祈りを捧げたのは、タミィを送ってくれた母なる女神にお礼をしたかったからだ。同じことを考えたのだろう、シャルロットやミュリエル、セレスティーヌも敬虔さが滲む表情となっている。
もちろん眷属であるアミィやタミィ、それにミリィも同様だ。三人の顔もシャルロット達に勝るとも劣らぬ恭しいものとなっていた。
ちなみにミリィを含めた金鵄族の三人も、小宮殿に居室を持っている。そのためアマノシュタットにいるときは、彼女達も大抵は晩餐に加わる。
神殿での催しがあったり職務が忙しかったりするとき、三人は大神殿で食べることもある。しかし今日は特別な行事はないし、タミィの歓迎会でもある。そのためミリィは小宮殿での食事を選んだようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは、遠慮なくタミィと語らってくれと集った者達に伝えた。
とはいえ相手は大神官補佐、しかも神の眷属だ。もちろん眷属であることはシノブも触れなかったが、従者や侍女も既にアミィ達の正体を察している。間違いなく聖人、つまり神が地上に送った使徒。そう思ったからだろう、最初のうち話しかける者は殆どいなかった。
しかしアミィやミリィが一同に話を振り、そこにタミィも交ざりとしているうちに、だいぶ心が解れてきたようだ。
そのためだろう、同じ狐の獣人で背格好も近いミシェルなどからタミィと話す者が現れ出した。
「タミィちゃんも魔術を使えるの?」
強い好奇心が滲む顔で、ミシェルはタミィに問うた。
最初ミシェルは、タミィのことを『タミィさん』と呼ぼうとした。しかしアミィは、自分のことを『アミィお姉ちゃん』と呼んでいるのだから、もっと気楽にとミシェルに伝えた。
ミシェルも公の場では、アミィに対し相応の呼びかけをする。しかし、ここ小宮殿は私的な場だから、アミィは昔からの呼びかけを続けてほしいと願ったのだ。
「はい。アミィお姉さまほど上手くないけど……」
タミィは事実ではあるが謙遜気味の答えを返した。
確かにタミィの術は、アミィより未熟だ。しかし大魔術師と呼ばれる者でも、彼女には敵わない。それをシノブは、アミィから聞いていた。
──幻影魔術を含め、アミィと同じ術を使えるんだよね?──
シノブは思念でアミィに語りかける。
タミィは大宮殿で自身の能力についても簡単に触れた。しかしシノブ達は、まだ細かいことを聞いていなかったのだ。
──シノブ様のスマホに由来する能力はありませんが……でも、天狐族ですから幻影魔術は得意ですよ。それに魔道具製造とかも教えています──
──小さいけど、武術も結構得意なんですよ~。地上の人に比べて大きな魔力があるから当然ですけど、野生の勘があるっていうか~。それに、妙に人間の暮らしに詳しいんですよね~──
アミィに続き、ミリィまで思念を返してきた。なお、ミリィは口一杯にデザートを詰め込んでいるが、思念だから関係ない。
シノブは思わず微笑みを浮かべた。
以前アミィは、地上を監視する任務に就いていたころをシノブに語ったことがある。彼女は二百年ほど前、ベルレアン伯爵領を含むメリエンヌ王国の北部の担当だった。
そのとき彼女は、一匹の子狐と出会った。その子狐こそが、眷属に生まれ変わる前のタミィである。
アミィと出会った子狐は、奇縁により当時のベルレアン伯爵の娘に拾われた。この伯爵令嬢は後に女伯爵となった人物、つまりシャルロットの先祖でもある。それもあり、アミィは特別に過去の縁を明かしたのだ。
もっとも、そのときシノブはタミィの名を聞いてはいない。しかし後にシノブがタミィと会ったとき、過去に語った者だとアミィは教えてくれた。
どうやらミリィは、そこまで知らないらしい。彼女が言う野生の勘とは、タミィが前世から引き継いだものなのだろう。そして人の社会に詳しいのは、シャルロットの先祖と暮らしたときに得た知識があるからに違いない。シノブは、そんなことを思いつつタミィ達を見守る。
「でも、凄いのじゃ。妾も魔術を使えたらのう……」
シャルロットの側付きの並ぶ列で、マリエッタが呟いた。マリエッタは虎の獣人だから身体能力は高いが、魔術は苦手なのだ。
カンビーニ王家の血を引くだけあって、マリエッタは獣人にしては魔力が非常に多い。そのため身体強化など自身の肉体に働きかける術は超一流と呼べる域に達しているが、放出系の魔術は全く使えない。
もっとも、こういった者は武人には珍しくない。シャルロットも、同じような傾向である。
シャルロットは人族だからマリエッタほど極端ではなく、火属性の攻撃魔術も使える。それに戦闘に使うほどでなければ創水や灯り、浄化など日常で役立つ魔術も習得していた。とはいえ身体強化に特化しているのはマリエッタと同じであった。
それでもシャルロットは『アマノ式魔力操作法』を習ってから徐々に魔術も上達していった。それに最近の彼女は、火の攻撃魔術も専門の魔術師より上のようだ。
しかしマリエッタは魔力操作が上達しても、一般的に魔術と言われるような外部に効果が現れる術は使えないらしい。種族特性があるから仕方ないし、彼女の母フィオリーナや叔父のシルヴェリオも魔術は苦手だというから、カンビーニ王家の血筋でもあるのだろう。
「マリエッタさんは、凄く強いと聞いています。アミィお姉さまが驚いていました」
気を落とした虎の獣人の公女を、タミィは励まそうとしたようだ。
幼い外見でもタミィは神の眷属である。それに生きてきた歳月はマリエッタの十数倍だ。言葉こそ見た目に相応しくしているが、滲むものは単なる幼子とは思えない。
「そ、そうかの! それは嬉しいのじゃ!」
「マリエッタ様、良かったですね!」
喜ぶマリエッタを、並んで座る獅子の獣人の娘ロセレッタが祝福した。それにロセレッタと同じカンビーニ王国の伯爵令嬢、フランチェーラとシエラニアも同じく言葉を掛ける。
タミィは大神官補佐となる存在だ。したがって、この四人も彼女の発言は単なるお世辞ではないと察したのだろう。
神官は、褒めることがあっても根拠が無いことは口にしない。虚言は神々が戒めるところだからだ。したがって多少の修飾はあっても事実に反してはいないと、マリエッタ達も知っているのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様、ナタリオ様はお元気でしたか?」
一同の中でも最も幼い者の一人であるロカレナが、ミュリエルの側からシノブに訊ねる。彼女はナタリオの婚約者なのだ。
ロカレナはガルゴン王国の貴族で、父はムルレンセ伯爵の嫡男フェルテオだ。そしてナタリオも元は同国の子爵の嫡男である。そのためナタリオとロカレナは、親同士が決めた許婚となったのだ。
先日ナタリオは十七歳になったから、二人の歳は十二も離れている。しかしエウレア地方の貴族では珍しくもないし、ナタリオの父バルセロ子爵は王家の信頼も厚い。
そのためフェルテオは早々と娘の将来を決めたらしい。おそらく彼は、ナタリオが父親同様に王家の側近になると睨んだのだろう。
確かにナタリオは王家から信頼される存在となった。ただしナタリオがシノブの家臣となったのは、フェルテオにとって計算違いだったかもしれない。もっとも、お陰でナタリオは伯爵家の当主になり、更に東域探検船団の総司令官にも就任したのだから、悪いことではない。
「ああ、もちろんだよ。今はエレビア王国の都市ペルヴェンってところにいる。向こうの王家とも仲良くなれたから、ナタリオも喜んでいた。
……ミケリーノ、ソニアも変わりない。彼女はマリィと共に同国の王都エレビスにいる」
シノブは虎の獣人の少女に婚約者のことを伝えた。そして次に、シノブは自身の従者が並ぶ一角に顔を向けた。ソニアの弟ミケリーノが、シノブの様子を窺うように食事の手を止めていたからだ。
シノブはアスレア地方での出来事について、概要くらいであれば従者や侍女に伝えている。
東域探検船団でもナタリオなど一部は通信筒を所持している。そのため彼らは自国に定時連絡を入れるし、そうなれば王宮の中枢で働く従者や侍女の耳にも自然に入る。第一、全てを秘密にしようと思ったら、シノブはシャルロット達に伝えることすら限られた場所でしか出来なくなる。
「お気遣いくださり、申し訳ありません」
ミケリーノは、僅かだが頬を染めていた。彼も姉のことが気に掛かっていたのだろう。既にソニアは一週間近く潜入しているのだから、無理もない。
今年の四月、つまり五ヶ月ほど前にソニアがアルマン島に潜入したころから、ミケリーノは諜報活動の訓練を始めていた。
ミケリーノは猫の獣人だが、珍しく魔術の才能があった。そのためシノブの家臣となった直後の彼は、そちらに力を入れるつもりだったようだ。
しかし今は、魔術と諜報の双方を学んでいる。時々アルバーノやソニア、もしくは二人が特に信頼する諜報員と訓練に出かけることもある。もっとも、それらはエウレア地方の中で、しかも危険のない場所だけだ。
何しろミケリーノは十二歳でしかない。それに猫の獣人は素早く身軽だが、さほど力はなかった。
叔父のアルバーノは戦闘奴隷で引き出された稀なる力があるし、祖父のエンリオは長年の修練で相当な強化を可能としている。しかしミケリーノは魔術に才能が寄ったせいか、その域に達することが出来たとしても遥か先のことになるだろう。
そのため今のミケリーノは、魔術系の諜報員を目指しているようだ。彼は礫くらいの水弾を使えるようになり、近距離なら足止め可能な威力まで向上させた。商人などに変装して武器を持たずに行動するなら、奥の手として大いに役立つ技だろう。
「東の国、大きくなったら行ってみたいです」
「向こうには、どんな武術があるのでしょうか?」
今度はマティアスの次男コルドールと長男のエルリアスだ。七歳の弟は異国への純粋な興味が先に立っているようだが、十歳の兄は武人の子らしくアスレア地方の武技に思いを馳せているようだ。
どちらもマティアスから厳しい指導を受けており、シノブの側仕えになってからも年長の者達と熱心に修練に励んでいる。それに血筋なのだろう、やはり相当な素質を持っているらしい。
「ああ、エレビア一刀流という剣術があったよ。前に来た健琉や威佐雄殿のような、曲がった刀を使う技だ。ほら、タケルの家臣が演武で見せてくれた、あんな感じだよ」
シノブは、リョマノフ達が使っていた刀や技を思い出しつつ答えた。
するとエルリアスやコルドール以外の少年達やマリエッタなど護衛騎士達も身を乗り出して聞き入る。しかもシノブの隣では、シャルロットも興味深げな顔になっていた。
ヤマト王国の王太子タケルやクマソ王のイサオなどは、建国記念式典に合わせてアマノ王国に訪れた。そのとき彼らは携えてきた武具を見せ、更に刀術を披露したのだ。
エウレア地方では直剣が主流で、シノブも湾刀は殆ど見たことがない。少なくとも、各国陸軍の正式装備に湾刀は無いようだ。僅かに海軍が小さめの湾刀を使うようだが、これは艦上で縄を切り払うなどに便利だからであろう。もしくは金属鎧を着けないから、斬ることに特化した刀が選ばれたのかもしれない。
「片手持ちなのは、ヤマト王国とは違うね。ヤマト王国だと脇差って呼ぶのが片手用だけど、あれよりは刀身が長い」
シノブはシャルロットが聞きたいのであればと、少し細かく語っていく。もっとも食事中だから、剣術自体は軽く流す程度に留める。
オルムルの試練を受けたときリョマノフが見せた技は、片手使いだからか小太刀の技のようにも思えた。切り払いに突きなどだ。
ただし刀身は脇差と呼ぶには少しばかり長かった。おそらく身体強化により、片手でも充分に長い得物を扱えるからだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「エマも行ってみたいです。船で四日か五日くらいですね?」
南のアフレア大陸から来た少女、エマも興味津々であった。彼女は決闘でマリエッタに負けはしたが、それでも一流の戦士である。
エマの得意とするのは長槍だが、こちらに来てからは様々な武術を学んでいる。そのため湾刀での技も見たいと思ったのだろうか。
ウピンデムガからエマ達が来たのは建国式典の一ヶ月少々後だから、彼女はヤマト王国の武術を見たことがない。したがって余計に惹かれたのかもしれない。
「そうだよ。アマノスハーフェンから高速軍艦でそのくらいだ。普通の商船なら三倍や四倍かかるようだけどね」
「今度、私も行くんですよ~。空からなら普通に飛べば四時間ですね~」
シノブが船での日数を答えると、ミリィは自身が飛翔したら、と言い出した。
アマノシュタットからエレビス王国の王都エレビスまでは、直線距離で1700kmほどだ。そして金鵄族はミリィが言う通り、特に急がなくても時速400kmくらいは出せる。
魔法の家でマリィなどに呼んでもらえば一瞬で移動できるが、飛翔でと言うところからするとミリィは存分に空を飛びたいのだろう。最近の彼女は留守番で神殿に詰めていたから、そう思うのも無理はない。
なお、ここにいる者達はミリィ達金鵄族の本来の姿が青い鷹であることを重々承知している。そのため彼らは、高速軍艦で四日や五日という距離を四時間と言われても驚くようなことはない。
「父も将来はアスレア地方に手を広げるようです。そろそろ海運を、と言っていました」
「まずはマネッリ商会と組んで……というかお力を借りて、のようですが」
今度はシノブの最古参の家臣達、シャルロット付きの侍女リゼットと彼女の弟でシノブの従者レナンだ。
二人の父ファブリ・ボドワンは、着々と交易の範囲を広げていた。
ボドワン商会は、今やアマノ王国でも知らぬ者がいないくらいの大商会となっていた。並び立つのはアルバーノの妻となったモカリーナのマネッリ商会だ。そして、この二商会は合同隊商を組む仲である。
陸の交易はボドワンが長年の経験を教え、海の交易はモカリーナが代々の知識を伝え。二つの商会は互いの長所を活かして良い関係を築いているという。
しかも、彼らはアマノ王国やフライユ伯爵領、つまりシノブの領地に大きく貢献している。
シノブの意を汲んで新たに広めたい商品を抑えた価格で販売したり、他が赴かない辺地にも足を運んだり。商売以外でも各種の寄付や慈善事業などを実施し、他の商人の規範となるなど。シノブは、彼らに大きな感謝を抱いていた。
王や領主が行き届かないことを彼らが補ってくれるし、行動から学びもしている。それはシノブにとって、何よりもの支援であった。
「お義父さまが、飛行船と蒸気船の改良に取り組んでいます。蒸気船は、もっと安く造れるようになるそうです。飛行船はまだまだですけど、何とか安全に山越えを、と……」
ミュリエル付きの侍女見習い、リーヌが言う『お義父さま』とは、ハレール老人だ。彼女と兄のアントン少年は、ハレールの養子に入ったからである。
建国に伴い、ハレールは男爵位を得た。それもあって彼はアントンとリーヌを養子にした。長く面倒を見た兄妹を、ハレールは実子のように可愛がっていたからだ。
アントンとリーヌも喜んで彼の家族となった。十歳のリーヌからすればハレールは父というより祖父のようなものだが、彼女はハレールを義父と呼ぶとき、それは嬉しそうに口にする。
兄と同じで、リーヌは狼の獣人だ。そのため感情の動きは頭上の狼耳にも現れる。リーヌがハレールについて語るとき、頭上の耳は幸せを示すかのように微かに揺れるのだ。
ハレールやアントンは、メリエンヌ学園の研究所で忙しい。しかし遠く離れたアマノシュタットでも、確かにリーヌは彼らと共に歩んでいた。それはシノブも感じているし、ミュリエルから伝えられてもいる。
「飛行船ですが、魔獣避けには成功したと伺っていますが……」
「まだ課題があるのでしょうか?」
シャルロット付きの侍女マリアローゼとマヌエラがリーヌへと訊ねる。
マリアローゼは旧帝国の宰相の孫娘で、マヌエラは同じく旧帝国子爵の娘だ。そのためか、この地を囲む山脈を飛び越えていける飛行船に強い関心を抱いていた。二人はシノブ達と共に磐船で南方に旅したこともあり、余計に空の旅に憧れるのかもしれない。
「あの……山脈では気流が激しくて中々安定しないそうです。高度を上げると凄く寒くなるし空気も薄いので防寒や与圧が必要ですし、高空も強風が吹くとか。
今試作している高性能の飛行船は『ミ零壱式改超軽量アマテール型蒸気機関』を四機も積んだので、最高時速60kmになるそうです。ただ、それでも暴風だと押し流されて前進できないと言っていました。
機関を倍に増やし改良もしたので出力は三倍近く増えたのですが、魔獣避けの魔道装置も積みますし長期の飛行に備えて大型化もしたので、速度は五割しか上がらないとか……」
流石は魔道具技師の養女となっただけのことはある。リーヌは年齢からすると随分と専門的な言葉を使う。特に与圧など理解できなかった者もいるようで、一部は首を傾げている。
おそらくはハレールやアントンが王都に戻ってきたときにでも聞くのだろう。そうすると彼らは想像よりも頻繁に行き来しているに違いない。そう感じたシノブは、大きく顔を綻ばせた。
「タミィさんは、空は飛べないんですよね?」
悪戯っぽい笑みを浮かべつつ訊ねたのは、侍女のアンナだ。
アンナは、ここにいる者達の中では極めて早い時期にシノブやアミィと会った。何しろ、シノブ達がベルレアン伯爵領のセリュジエールに着いた日だ。
おそらくアンナは、タミィが飛翔できないと判っているのだろう。それでも問うたのは、彼女に話を振ろうと思ったからに違いない。
「はい、私はアミィお姉さまと同じですので。空はホリィさん達にお任せします」
タミィもアンナの意図を理解しているようで、微笑みと共に応じていた。
天狐族は空を飛べるそうだ。しかし地上に長期滞在するときの能力制限に飛翔も入るらしい。ホリィ達でも鷹の姿に戻らないと飛べないのだから、アミィやタミィが飛んだら大騒ぎだろう。
もっとも最近ではシノブが飛翔できると知る者も増えてきた。したがって大して驚かれない可能性もあるにはあった。
「タミィに飛ばれたら、私の見せ場が減ってしまいます~! ダメ、絶対! です~!」
ミリィは大袈裟に肩を竦め、おどけた声を上げる。それが面白かったのだろう、『入り日の間』に大きな笑いが満ちていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ、素晴らしいですね」
「ああ。様々な人が集い、力を合わせて進んでいく……こんなに嬉しいことはないよ」
シャルロットの囁きに、シノブは同じく小声で答えつつ大きく頷いた。
タミィと話してくれ、と言ったからだろう。今日は従者や侍女達も普段以上に活発に言葉を交わしている。そのためシノブやシャルロットは、見守る側となっていた。
主が口を挟むと、どうしても会話は自分達の方に流れてくる。シノブはそう思い、おそらくシャルロットも同じことを考えたのだろう。
「旧帝国に、メリエンヌ王国、それにカンビーニ王国にガルゴン王国、更に南のアフレア大陸のエマさん達も……」
「ええ。残念ながら小宮殿にはヴォーリ連合国やデルフィナ共和国、それにアルマン共和国の方はいません。ですが、ハレール男爵達は、彼らとも手を携えて新たな物を造っていますわ」
ミュリエルとセレスティーヌも、静かにシノブ達の話に加わった。二人も多くの国の人々が集う姿に喜びを感じていたのだろう。こちらも密やかな、というのが相応しい微かな声であった。
「きっと、明日の会合も同じような笑顔で満ちるでしょう」
「そうだね。そしてエレビア王国へ、更に他のアスレア地方の国へと広げていきたい。それにアフレア大陸にもね」
シャルロットに頷きつつ、シノブは遥か南の地に思いを馳せた。
シノブがウピンデムガを訪問してから、二ヶ月が過ぎた。南方探検船団は、最初の一ヶ月を最初の寄港地であるウピンデムガの人々との関係作りやウピンデムガまでや沿岸の航路整備に費やした。
何しろ、アフレア大陸はエウレア地方から2000km以上も南なのだ。アマノスハーフェンから800kmほどで着くエレビア王国とは随分と違う。それに南方行きは、間に二つの島しか寄港できる場所は無い。それに対し東方は大陸沿いに進めるから、難易度が随分と違う。
「今ごろ、東のマザリギ族と西のマガリビ族との交渉も終盤かな?」
シノブが口にしたのは、ウピンデムガの東西に住む部族である。
八月に入って暫くすると、南方探検船団も次へと動き出した。そして彼らはマザリギ族とマガリビ族が住む地との交渉を始めたのだ。
これらはウピンデムガの端から砂漠を挟んで200kmや300kmは離れている。そのため彼らはウピンデムガでの出来事を殆ど知らず、話し合いも最初からで時間が掛かった。しかしウピンデ族の支族長達も同行してくれたから、騒動が起きることもなく進んでいる。
「そうでしょうね……ですがシノブ、行かなくて良いのですか?」
「若貴子って言われなければね……」
シャルロットの微笑みに、シノブは苦笑を返した。
幸いと言うべきか、マザリギ族とマガリビ族には神託を授かるほどの巫女はいなかったらしい。そのためウピンデ族の巫女の長エンギのように若貴子と言い出すことはなかったそうだ。
もっとも若貴子の神託についてウピンデ族の支族長達が教えてしまったから、シノブが行ったら大騒動になりかねない。そのためシノブは多忙を理由にしてウピンデムガを含め近づいていなかった。
とはいえシノブは、かなり正確にウピンデムガや周辺のことを把握している。何故ならウピンデ族のエクドゥ支族の長ババロコに、通信筒を渡したからだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫では? ほら、見てください。皆、あのようにアミィやタミィ、ミリィと自然に接しています」
シャルロットは顔をシノブから正面へと向けた。そこには沢山の従者や侍女と語らっている眷属達の姿がある。
「そうかもね……いや、そうしなくちゃ。俺は、この地で皆と共に生きると決めたんだ。だったら、自分から壁を作ったり諦めたりしたら駄目だ……ありがとう、シャルロット」
シノブは愛する妻の手を、そっと握る。深い深い感謝を篭めて。
語る言葉と、手から伝わる温もりと。その双方からシノブの思いは届いたのだろう、再びシノブを見つめるシャルロットは咲き誇る薔薇のように華やかな笑みを浮かべていた。
もちろんシノブも自身の気持ちを表情で示す。そしてシノブはミュリエルとセレスティーヌに、更に笑いさざめく人々へと目を移していく。
自分は、この世界に残ることを選んだ。嫌々ではなく自らの意思で。
地球の両親や妹に別れを告げて戻ってきたのは、シャルロットや彼女が宿した我が子と離れ難いからだ。しかし、それだけが理由ではない。この世界で知り合った人々、絆を結んだ人々も頭にあった。アミィを始めとする様々な人達の。
ならば、前を向いて進んでいこう。更なる人々と出会い、手を携えよう。シノブは新たな時代を動かす少年少女に、自身のあるべき姿を重ねていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年11月21日17時の更新となります。
本作の設定集に、東域の西南部の地図を追加しました。また異聞録の第八話を公開しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。