19.23 諸国の和の中で 前編
エレビア王国が進む道は定まった。そう感じたシノブは、幾つかの事柄を済ませた上で自国に戻ることにした。
「マリィ、ソニア。頼んだよ」
「二人だけで調べるのは大変かもしれませんが……」
シノブとアミィは、呼び寄せた二人に後事を託す。ここはエレビア王国の王都エレビス、その中央にある王宮の庭だ。
まずシノブは、マリィとソニアをエレビア王国に呼び寄せた。マリィ達は、キルーシ王国での調査を殆ど終えていたからだ。そこで当面は、マリィとソニアを王都エレビスに置く。
キルーシ王国での調査は、町村での聞き込みや王立図書館での調べ物が中心であった。そして更なる情報の入手は、王家や近い立場の知識人に接触しないと困難だ。とはいえ正体を偽っているマリィ達が彼らに会いに行くのも難しい。
それに対しエレビア王国では、王家の全面的な協力が得られる。そしてエレビア王家もキルーシ王家と同じで『南から来た男』と戦った者の裔だから、こちらでも同じく有用な知識が得られるだろう。
その一方でシノブは、ホリィと彼女が率いる情報局員にアルバン王国での調査を継続させることにした。『南から来た男』がアルバン王国からキルーシ王国に入ったのは確実で、更なる足取りを追うためだ。
「承りましたわ」
「お任せください」
マリィとソニアは、自信ありげな笑みと共に応える。
金鵄族のマリィはエレビア半島の端から端でも一時間と掛からず移動できる。これから東域探検船団の一部は王都エレビスの港に回るが、残りは半島の逆側のペルヴェンに留まる。しかしマリィがいれば船団が幾つかに分かれても全く問題がない。
ホリィ、マリィ、ミリィの三人は魔法の家を呼び寄せるだけではなく、シノブやアミィと同様に権限変更も出来る。
そしてナタリオ、シルヴェリオ、カルロス、ジェドラーズは通信筒も持っているし、彼らには魔法の家の権限を停止状態で付与している。したがってマリィがいれば、四人の司令官は必要に応じて魔法の家を移動に使用できる。
「あまり遠慮しなくて良いよ」
少々曖昧なシノブの言葉に、マリィとソニアは微笑む。
シノブはエレビア王家の者達に、マリィがアミィと同様の存在だと伝えた。もちろんシノブは自身やアミィが神々と縁があると明かしていない。
とはいえ、あれだけ派手に動いたのだ。国王ズビネクを始め、エレビア王家の者達はマリィに深々と頭を下げていた。
「ナタリオ、また来るよ。シルヴェリオ殿、カルロス殿やジェドラーズ殿に、よろしくお伝えください」
次にシノブは、二人の司令官に向き直る。
イーゼンデック伯爵ナタリオと、カンビーニ王国の王太子シルヴェリオ。この二人を含め、アマノ号でシノブと共に来た者達は、魔法の家でペルヴェンに戻る。呼び寄せるのは、ガルゴン王国の王太子カルロスだ。
「はい! 大至急、船団をエレビスに進めます!」
ナタリオは、凛とした顔と、それに相応しい声でシノブに答えた。
東域探検船団のうち、アマノ王国とカンビーニ王国の船は王都エレビスを目指す。彼らは、明日からエレビア半島を回りこむ航海をするのだ。
ちなみに半島の西のペルヴェンから東のエレビスまで、海路で大よそ500kmほどだという。したがって高速軍艦でも早くて二日、余裕を見て三日といったところだろう。
「あのお二人なら、お任せできますよ。少し前なら考えられないことですが」
銀髪の獅子の獣人シルヴェリオは、その稀な髪を揺らしながら肩を竦めてみせた。ガルゴン王国とアルマン共和国の船はペルヴェンに残るのだ。
ペルヴェンはエレビア王国で最も西の都市で、エウレア地方から一番近い港だ。そのため交易を行うには、まずペルヴェンに寄港できる体制を整えなくてはならない。したがって残留組も非常に重要で、カルロスとジェドラーズが留まることになった。
しかし四ヶ月ほど前まで西海で激しく争った二国の、王太子と元国王が手を携える。シルヴェリオならずとも、感慨深く思うだろう。
「そうですね。……リョマノフ、良い経験になると思うよ」
シノブはシルヴェリオに頷き返し、それからエレビア王国の第二王子リョマノフへと歩む。そしてシノブは若き獅子の獣人の前に立つと、彼の肩を叩き激励する。
「ありがとうございます! 早速エウレア地方の船で航海できるなんて夢のようです!」
興奮のためだろう、リョマノフの声は上擦っていた。
リョマノフやペルヴェンの司令官ラドロメイ、それにラドロメイの部下達。彼らもナタリオ達と共にペルヴェンに戻る。
ラドロメイは、新たなペルヴェン太守となる。今まで太守だったマカーコフは正式に引退、王都エレビスに戻される。汚職の調査結果次第だが、最低でも長期の謹慎は間違いないらしい。
そして挨拶を済ませたナタリオ達は、魔法の家に入っていく。
魔法の家は、手前に土足で入れる石畳の大広間がある。それも数百人を収容できるものだ。したがって、ペルヴェンから来た大勢の兵士達であろうが、全く問題ない。
ちなみに魔法の家の権限は、この大広間までと先で別になっている。つまり屋外との境となる扉を開ける権限と、そこから先の居住区に入る権限は別なのだ。
そして輸送に使う場合、シノブ達は大広間までの権限しか付与しない。したがって同行したエレビア王国の者達が奥に入ることは不可能である。
「……さて、こちらも帰るか」
シノブは魔法の家の呼び寄せを見届けることなく、帰還へと移る。シノブ達は魔法の馬車を使ってアマノ王国に帰るのだ。
魔法の馬車も呼び寄せ可能で、奥には隠し部屋があるから大勢が入れる。そのためシノブにアミィ、アルバーノと彼の配下、そして岩竜ヨルムや炎竜イジェ、オルムルを始めとする子供達が一度に乗っても全く問題ない。
もっとも、これは竜達もアムテリアが授けた腕輪で人間と同じくらいに小さく変じてである。今やオルムル達も、多くが元のままでは扉を潜れない。
「それではズビネク殿、シターシュ殿。また近日中に訪問します」
王宮内で充分に語り合った。それに既に日暮れ近い。そのためシノブの言葉は短かった。
ズビネク達も引き留めはしない。王であるシノブが、前日の夜から一日近く国を空けたのだ。彼らはシノブ達に改めて感謝を伝え、深々と頭を下げる。
「行ってしまわれたか……」
「まるで夢のようですね……」
顔を上げた国王ズビネクと王太子シターシュは、感慨深げな呟きを漏らした。彼らの眼前には、既に魔法の馬車は存在しない。シノブ達は、王都アマノシュタットに転移したのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
エレビア王国の王都エレビスとアマノ王国の王都アマノシュタットには、一時間半以上の時差があった。そしてエレビア王国はアマノ王国より東だから、当然エレビスの方が先に日が落ちる。したがってシノブがアマノシュタットに戻ったとき、まだ日暮れには少し間があった。
そこでシノブは待っていた者達に、早速エレビア王国での出来事を伝えることにした。
『白陽宮』の大宮殿には、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌの他に宰相ベランジェを始めとする閣僚が集まっていた。
エレビア王国にいる間、シノブは通信筒や思念で随時連絡を入れた。そのためシャルロット達は、いつごろシノブ達が帰るか把握していたのだ。
それ故シノブとアミィは、シャルロット達が待つ閣議の間に向かう。
一方オルムル達は、炎竜の子フェルンに飛翔の訓練をさせるため宮殿の庭に残った。
王都エレビスへの空の旅でフェルンだけが甲板の上で跳躍、つまり飛翔の訓練をさせられた。まだ彼は生後二ヶ月半だから仕方がないことではある。
とはいえフェルンは屈辱的に感じたらしく、今から訓練をすると言い出した。そのためオルムル達は、フェルンの願いを聞き入れたわけだ。
「シノブ、アミィ。お疲れ様でした」
シャルロットがシノブ達に微笑みかけた。身重の彼女は、専用のゆったりした椅子に腰掛けている。
出産予定日まで二ヶ月弱だが、シャルロットは朝議への出席も続けていた。それに、午前中は僅かだが執務もしている。
シャルロットはゾットループ伯爵領、エッテルディン伯爵領、ゾルムスブルク伯爵領の領主代行だ。この三領の領主はシノブが兼務しているが、建国当初は仕事量が多いためシャルロットが代行することになった。
しかし建国から既に三ヶ月少々が過ぎた。どの部署も事例が蓄積され国王に判断を求めることは減り、この三伯爵領も殆どが代官の手で回っている。そのためシャルロットも、アンナなど側近に指示したりシノブに助言したりという程度で、自身で筆を取ることも殆ど無い。
それでもシャルロットが執務を続けるのは、何もしないのが苦痛なのだと思われる。また執務の場はシノブと同じ国王の執務室である。したがってシノブの側にという気持ちもあるのだろう。
そんなこともあり、アミィやアンナ達も今しばらくはシャルロットの好きにさせるようだ。
「ありがとう。でも、思ったより楽だったよ」
「もう少し早く帰れると良かったのですが……」
シノブとアミィはシャルロットに言葉を返す。
シノブは妻を見た喜びで頬を緩ませつつ。アミィは遅い帰還に少々済まなげな顔で。異なる表情を浮かべつつ二人は自席に向かう。
「本当に、待たせてごめんね」
シノブは席に着くと隣のシャルロットに手を伸ばし、彼女の柔らかな手をそっと握った。
他の者達と同じように国を支えるのが、妻の望みなのだろう。とはいえ労りを忘れては駄目だ。シノブは、そう思いつつシャルロットを見つめる。
身篭ってからも、シャルロットは以前と同じく健康そのものだ。おそらくアムテリアが授けた腹帯に守られているからだろう。
それにシャルロットは運動を控えめにしているが、身体的な能力は全く落ちていないらしい。こればかりは試すわけにはいかないが、シノブが魔力感知や彼女の動作から察する限りでは、むしろ向上している節すらある。
これをシノブは神々の加護だと思っていた。この世界の信仰心が厚い人々は、加護により能力を増すことがあるらしい。そしてシャルロットは信心深く、しかも実際に神々と会い言葉を交わしてもいる。
しかも神々はシャルロットを何度も祝福し、別して愛おしんでいた。アムテリアはシノブを我が子、彼女の従属神は弟と呼ぶ。つまり神々からすればシャルロットは義娘や義妹で、加護が強くなるのも当然と言えよう。
ともあれ今日もシャルロットは常と変わらず活力に満ちている。それを理解したシノブは大きく微笑み、シャルロットも応えるように笑みを増した。
「相変わらず熱いねぇ! だけどシノブ君、御婦人は平等に接しないとダメだよ!」
からかうようなベランジェの声に、シノブは反射的に彼の方を向いた。次にシノブは続いた言葉の意味を理解し、ミュリエルとセレスティーヌへと視線を動かす。
すると、そこには僅かに頬を染めた婚約者達の姿があった。
「シャルロットお姉さまは身重なのですから……」
「そ、そうですわ! シャルお姉さまを真っ先に労るのは当然です!」
ミュリエルとセレスティーヌは、そう言いつつも嬉しげではあった。やはり彼女達も、シノブがシャルロットばかりを構うのは嬉しくないだろう。
エウレア地方の王族や貴族は一夫多妻の場合が多いが、夫は妻達を可能な限り公平に扱うべし、とされている。しかしシノブは、シャルロットだけを長々と見つめていた。これは、大きな問題だろう。
「ミュリエル、セレスティーヌ、済まなかった」
頭を下げたシノブに、場は大きく沸いた。
今まで言葉を発しなかった者達、内務卿シメオン、軍務卿マティアス、財務卿代行でシメオンの祖父のシャルル、農務卿代行でミュリエルの大伯父ベルナルドも、笑いを堪えきれなかったらしい。彼らもベランジェ同様に大きく顔を綻ばせていた。
◆ ◆ ◆ ◆
通信筒などで大よそを伝えているから、エレビア王国で起きたことの説明は短時間で終わった。そしてシノブ達は、今後どうすべきかについての議論に入る。しかし、これも方向は既に決まってはいた。
「各国の方々をお呼びする準備は済んでいます。皆さん大変に興味を抱かれているようで、何れも明日で問題ない、と仰っています」
最初に口を開いたのは、シメオンであった。
閣僚達は通信筒を持っているから、各国の統治者達に連絡を入れることが可能だ。そこで彼らは、各国の代表を集めて話をすべく調整を進めていた。
それに船団の司令官達も、通信筒を持っている。したがってカンビーニ王国、ガルゴン王国、アルマン共和国の三国には、そちらからも連絡が行っているだろう。それもあるのか、各国の返答は非常に前向きであったという。
「そうか。明日は楽しみだな」
シノブはシメオンの返答から、各国の喜びと期待を感じ取った。
東域探検船団に船を出した国々は、早速の朗報に大きく沸いているだろう。他の国も同じ北大陸の国々には強い興味を示しているようである。
ドワーフのヴォーリ連合国やエルフのデルフィナ共和国は、エウレア地方に同族の国が存在しない。しかし東域、つまりアスレア地方にはドワーフやエルフの国もある。
メリエンヌ王国の船は遠洋航海を未経験だが、アスレア地方への航路に乗り出す準備をしているようだ。
東には海岸伝いに進めるし、アマノ王国のアマノスハーフェンまでは港も整備されてきた。そこから先は大砂漠の南岸で港は無いが、先々補給地が整備されたら南のアフレア大陸に行くより遥かに容易である。そのためメリエンヌ王国の商船は、東航路に強い魅力を感じているようだ。
「エレビア王国に邪神は訪れていないとか。彼の国は、意外と早期にアマノ同盟の一員に加わるかもしれませんな。私の出番は無さそうですが、その方が平和で助かります」
マティアスは明るい顔で語り始めると、彼にしては珍しく冗談めいた物言いをした。
軍務卿のマティアスの出る幕があるとすれば、それは戦だろう。エレビア王国は海路で800km近くも東だが、一応はアマノ王国の隣国である。そこが好戦的な国ではなくて、彼は大きく安堵したらしい。
マティアスは、元々がメリエンヌ王国の軍人だ。しかも彼だけではなく、代々軍で働いた軍系貴族であった。そのため彼は、今は無きベーリンゲン帝国との長きに渡る戦いを良く知っている。
おそらくマティアスは、かつてのように異神に支配された国と戦うのでは、と憂えていたのだろう。彼は勇敢な武人で将としての能力も高いが、決して戦いを好む男ではないからだ。
仮に相手が異神に操られた者達であれば、命が尽きるまで立ち向かってくるし、捕虜になるくらいなら死を選ぶ。そんな戦いは、彼ならずとも避けたくなるに違いない。
「マティアス殿。イーゼンデック伯爵ナタリオ殿は海軍元帥、つまり軍では貴殿の配下ですぞ。
それに情報局は軍務省の一部署。東域の活動は陛下自ら差配なさっていらっしゃるとはいえ、こちらも貴殿の部下でしょうに」
どうやらベルナルドは、マティアスの言葉を面白く感じたらしい。
ベルナルドは農務卿代行だから、東域航海に直接の関係はない。彼が関わるとすれば東で得られる新たな農産物に関してや、逆にアマノ王国からの輸出くらいであろう。しかし、こういったことが本格化するのは随分先だと思われる。そのためベルナルドも気楽に構えているのかもしれない。
「陛下。国交樹立や交易に関してはエレビア王家も乗り気とのことですし、実務は私達が粛々と進めます。それに各国も力を注ぐのは間違いないでしょう。
ですが、邪神や初代皇帝の足取りに関しては……情報局員の活躍もあるとはいえ、ホリィ様達のお力に寄るところが大きいのは間違いありません。とはいえ東域……アスレア地方は随分と広いようで」
シャルルは、孫のシメオンと良く似た声音で懸念を口にした。
これからマリィはエレビア王国に常駐するし、そうなると他の国々を巡るのはホリィとミリィだけになる。しかし彼女達は大神官補佐でもあり、一人はアマノシュタットの大神殿に詰めるべきだ。
実際、ここ暫くはミリィが大神殿に残り、ホリィとマリィが東域に赴いている。しかし、これでは少々人員不足なのは事実であった。
「確かに、そうですね……」
シノブもシャルルが指摘したことを気にはしていた。
可能であれば、アスレア地方に更に一人送り込みたい。しかし大神官補佐を三人とも送ってしまったら、アマノ王国の神殿も大いに困るだろう。日帰りなど短時間であればともかく、何日も不在では更なる補佐を立てねばなるまい。
とはいえ、神の眷属であるホリィ達に並ぼうという神官はいなかった。どうも高位の神官になればなるほど、彼女達の真実を察するようだ。そのため神官達は実務なら率先して実行するのだが、大神官や補佐への就任は固辞する。
こうなると三人全ての長期不在は、シノブも躊躇せざるを得なかった。
「シノブ、ミリィは神殿に戻ったのでしょうか?」
シャルロットは、閣議の間に現れなかったミリィの所在を問うた。魔法の馬車の呼び寄せを受け持ったのはミリィだったのだ。
「ああ、神殿での仕事があるらしい」
「それに、大勢での転移は彼女がいないと困りますから」
シノブとアミィはシャルロットの疑問に答えた。
普段は奇矯な言動が目立つミリィだが、神の眷属だけあって彼女は神官として働くとき冗談など口にしない。それに大神殿で人々を諭す彼女の姿は、真に堂に入ったものだ。
そしてアミィが触れたように、ミリィは他の神官と違って転移の回数や運べる人数に制限は無い。そのため朝晩になると、輸送役としての仕事も多いようだ。
「ミリィさんの御講話、判りやすいと評判ですよ」
「神殿の御講話では冗談など用いませんが、自然と微笑むような楽しさがありますわ」
ミュリエルとセレスティーヌの言葉は事実であった。
ちなみにシノブは、あまり神殿に行っていない。まだフライユ伯爵となる前ですら、神託を授かる大神官がシノブを神のように敬うし、そうでなくても強い加護を感じるのか特別扱いされることがあった。
そして神像の転移を願うようになると、正体を隠さず神殿に行けば参拝に来た者に跪かれる有様となった。こうなると、シノブとしては気まずいこと甚だしい。
そもそも普段から、神々の御紋を通して感謝の言葉を伝えているのだ。そのため自身とアミィが造った神像を拝みにいく必要を、シノブは感じていなかった。
今のシノブは、時々変装の魔道具を使って神殿に行くくらいだ。しかし、そのときに見たミリィの姿は、確かに大神官補佐の名に相応しい気高く慈愛に満ちたものであった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様~! アミィ~! すっごい朗報がありますよ~!」
静けさが訪れた閣議の間に、ミリィが現れた。そして彼女は、普段に増して陽気な声音を室内に響かせる。
今日のミリィは、アミィと同じ狐の獣人の姿であった。そして彼女の隣には、同じような容姿の少女がいる。ただしミリィは十歳の少女くらい、隣の少女は六歳か七歳といったところだろうか。
そしてシノブは、その少女を知っていた。彼女はアミィを姉と慕う天狐族の一人、タミィだったのだ。
「朗報って……まさか!?」
「タミィ!?」
シノブは驚愕しつつも、タミィが地上に現れた理由を察した。一方アミィはシノブ以上に驚いたらしく、席から立ち上がってすらいる。
タミィはアミィに良く似た容姿である。もっとも外見はタミィの方が随分と幼い上に、今はミリィと同じ白い神官服を着ているから見間違えることはない。
とはいえタミィのオレンジがかった明るい茶色の髪や薄紫色の瞳はアミィと全く同じだ。それに顔も幾らか幼いだけである。
狐の獣人の幼い少女といえば、侍従長のジェルヴェの孫、ミュリエルの側付きの一人ミシェルである。彼女もアミィと似てはいるが、こちらは薄い緑の瞳だから少々違った雰囲気である。
なおミシェルは、タミィより少し背が高いようだ。ミシェルは四月に七歳となったから、タミィの外見年齢は一歳くらい下といったところか。
それはともかく、シノブも席から立って彼女を出迎える。もちろん身重のシャルロットに手を貸して、寄り添いつつである。
更に他もシノブ達に倣って起立する。シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌの三人は神域でタミィと会っており、彼女が何者か知っている。
そして残るベランジェ達もシノブ達のことを良く知っているから、タミィが神の眷属だと察したに違いない。何れも幼い少女に向けるとは思えない改まった顔となっている。
「シノブ様、シャルロット様、私もこちらでお手伝いすることになりました。未熟者ですが精一杯頑張りますので、何卒よろしくお願いします」
タミィはシノブ達の側まで歩んできた。そして彼女は幼い外見に似合わぬ丁寧な口調で語り、同じく洗練された仕草で頭を下げる。
もっともタミィはシノブの十倍近い歳だと思われる。過去にシノブがアミィに聞いた通りなら、彼女が神の眷属に生まれ変わってから、そのくらいのようだ。
したがってタミィが落ち着いた口調で話そうが誰よりも見事な作法を披露しようが、それ自体は驚くべきことではない。
「ああ、こちらこそ頼むよ。そして、ようこそアマノシュタットに」
「タミィさん……ありがとうございます」
シノブは歓迎の言葉を、シャルロットは感謝の言葉を発した。
おそらくシャルロットは、タミィだけではなくアムテリアにも礼を述べたのだろう。彼女の深く青い瞳は微かに潤んでいた。
「姉上、御指導よろしくお願いします」
更にタミィは、アミィに向き直り挨拶をする。
大勢がいるためか、それとも主となるシノブに充分な口上を述べたからか、今度は随分と簡潔だ。しかし、お辞儀をする様は先ほどと同じく完璧な挙措である。
「ええ、一緒に頑張りましょう!」
驚きから立ち直ったのだろう、アミィはタミィに歩み寄る。そして彼女は、妹分の小さな肩に手を添え微笑みかける。
そうやって並ぶと、二人は本当に姉妹のようであった。
今のアミィは戦いの場から戻ってすぐだから、白い軍服風の衣装のままだ。しかしタミィも白地に金の高位神官の制服だから、色は共通している。
そのためだろう、シノブは二人の容姿の相似が強調されたように感じていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ほほう! これでミリィ君は自由に羽ばたけるわけだね! 比喩的にも言葉通りの意味でも!」
ベランジェは楽しげな笑みを浮かべていた。そして彼はタミィに挨拶しようと思ったのだろう、歩み寄っていく。それに他もベランジェと同じく、タミィの側に集まり始めた。
「そうなんですよ~。神殿の籠の鳥はキツイです~」
ミリィは、ミュリエル達に挨拶をしていくタミィを横目に見ながらベランジェに応じる。彼女は金鵄族、つまり本来の姿は青い鷹だ。やはり彼女は、自由に空を飛び回りたいのだろう。
「ミリィさん! 大神官補佐ともあろう者が何ということを! 第一、アムテリア様に対する不敬です!」
人々の輪の中から、タミィは憤慨の叫びを上げた。
シノブが今まで目にしてきた範囲だと、タミィは生真面目な性格らしい。それにアミィ達も神々について語るときは眷属らしく畏敬を顕わにしている。つまりシノブが会った眷属達の内では、ミリィが例外なのだ。
そのためタミィが憤るのは無理もないのだろう、とシノブは思う。
もっとも、そのミリィですら神々と会ったときは別人のように大人しい。したがって、ミリィもアムテリア達を敬っているのは間違いない。
「タミィは昔から真面目っ子でしたからね~」
ミリィは、走り出てきたタミィにも動じなかった。
シノブはアミィ達四人の年齢を知らないが、少なくともタミィの倍近く生きているのでは、と想像していた。もしシノブの推測通りなら、ミリィがタミィを子ども扱いするのは仕方が無いかもしれない。
「もう! これだからミリィさんは!」
タミィの頭上では狐耳がピンと立ち、背後では太い尻尾が更に膨れ、しかも持ち上がっている。どうやら彼女は、かなり怒っているようだ。
「タミィ。ミリィは冗談を言っているだけですよ。それに貴女も肩の力を抜きなさい。私の妹は、もっと可愛かったと思いましたが?」
「あ、姉上~!?」
アミィがタミィを後ろから抱き止めた。するとタミィは赤面し、困惑の滲む声を発する。
とはいえタミィの顔は嬉しげでもある。姉と慕うアミィに構われて、彼女は喜びを感じているようだ。
二人の姿から、シノブは地球でのことを思い出す。もちろん妹の絵美のことだ。
シノブは男だから、今のアミィのように妹を抱きしめるなど成長してからは稀である。少なくとも家族以外のいる場で、そのようなことをした記憶は無い。しかしアミィの外見くらい、つまり小学生高学年のころなら別だ。
シノブと絵美は四歳違いだ。それは、ちょうどアミィとタミィの外見年齢の差に一致する。おそらく、それがシノブの記憶を揺り動かしたのだろう。
「これから私達は、シノブ様の側で家族として過ごします。神殿は別ですが、他は普段通りで良いのです。
……そうですよね、シノブ様?」
タミィを腕の中に抱いたまま、アミィはシノブへと振り向き見上げる。
アミィはタミィに姉として、そして神の眷属として語りかけた。しかしシノブを見つめる彼女は、普段と同じ空気を纏っていた。
最も信頼する従者であり、ともに歩む仲間であり、導き手であり。そしてシノブの家族である、いつも彼女の姿が、そこにあった。
「ああ、そうだよ。アミィは俺の妹だ……そしてタミィもね」
シノブはアミィとタミィの肩に手を添えつつ語りかけた。
地球にいる家族には、もう会えないのだろう。だが、嘆くことはない。シノブがどうしているか、神々は絵美や両親に伝えてくれている。三人は、この世界でシノブが新たな家族と共に充実した日々を送っていると知っているのだ。
アミィ達だけではない。最愛の妻シャルロット。将来は妻に迎えるミュリエルにセレスティーヌ。彼女達の親兄弟や縁者達。そして血縁ではないし種族も違うがオルムル達。ここで得た家族達と、そこから生まれた絆がシノブにはある。
「シノブ様~」
「……あっ、もちろんミリィ達もだよ!」
袖を引かれたシノブが振り向くと、不満げに頬を膨らませたミリィの姿を発見した。それ故シノブは狼狽し、シャルロット達は大きな笑いを零した。
「さあ、タミィ?」
「は、はい! シノブ様、皆さん、一番下の妹のタミィです! アミィお姉さまと一緒に頑張ります!」
アミィに促され、タミィが再び挨拶をした。それは最初とは違う、極めて自然なものであった。
おそらく彼女がアミィと過ごすときは、こうなのだろう。シノブは理由も無く確信する。
シャルロット達もシノブと同じことを思ったようだ。そして集った者達は、飾らぬ言葉と態度でタミィに歓迎の意を伝えていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年11月19日17時の更新となります。
本作の設定集に、時系列を追加しました。また異聞録の第五話を公開しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。