19.21 王都強襲 後編
創世暦1001年9月8日。エレビア王国の王都エレビスは大混乱に陥った。竜が舞い降りたのだから、それも当然である。
しかも竜は多数いる。まずは成竜が岩竜ヨルムと炎竜イジェ。双胴船型の磐船アマノ号を運ぶ二頭だ。
そしてオルムル達、六頭の子竜。もっとも海竜の子リタンと炎竜の子フェルンは甲板の上だから、人々の目には入らなかっただろう。
なお、光翔虎の子フェイニーは姿消しを使っている。そのためエレビスの者達は彼女にも気付かない。
しかし王都の民は、多少の落ち着きを取り戻す。シノブ達は放送の魔道装置を使い、警告を発したのだ。王宮に近づかなければ害を与えない、と。
「……王宮に行かなければ?」
「それにリョマノフ王子が?」
エレビスの民は、竜達と巨大な船が王宮に降下する様を見つつ言葉を交わす。リョマノフも放送の魔道装置から呼びかけたのだ。
「……王様と王太子様が?」
「リョマノフ様は変わり者だけど、嘘は吐かないわ! きっと本当よ!」
国王ズビネクや王太子シターシュが怪しげな魔道具の影響を受けたこと。自分は父や兄を元に戻そうとしていること。それらをリョマノフはエレビスの民に明かした。
そして自分には無血で収める手段があり、この日のうちに片付くとリョマノフは語った。そのため民達は、半信半疑ながらも第二王子の言葉を受け入れた。
「我が隊は持ち場を堅持!」
「はっ!」
王都の守護隊も殆どが動かない。
リョマノフによればエレビスの人口は一万八千人ほど、エウレア地方の国々の首都に比べたら随分と小規模だ。そのためだろう、エレビスに中央区や外周区という区分けは存在しない。
ただし中央に本部、外周の城壁に各守護隊というのは同じである。そして外周の部隊は、どれも担当地区に留まっていた。
「助かったぜ……あんなのと戦うくらいなら、反逆扱いされても逃亡するよ」
「ああ……それにリョマノフ様が大丈夫だって言うんだ。しかも、あの武名高き『エレビアの豹』ラドロメイ様もいらっしゃる。……でも、中央はどうするかな?」
城門の上の見張り台で兵士達が囁き合う。
エレビスもエウレア地方の都市と同じで、城門の守護隊には庶民出身が多い。そのため彼らは素直に待機を喜んでいた。
もっとも中央、つまり王宮守護隊も半分以上は動かなかった。彼らは『無力化の竜杖』で体力を大きく奪われた上に、ヨルムとイジェが威嚇として放ったブレスを見て怯んだからである。
◆ ◆ ◆ ◆
「……それでも向かってくる奴はいるか。ラドロメイ、頼んだぜ!」
王宮の庭に飛び降りたリョマノフは、隣に並んだ老武人ラドロメイに呼びかけた。リョマノフは既に自身の刀を抜き放っている。それに後ろの護衛イゾーフとズーザフも同様だ。
眩く光る名刀を手にし二人の屈強な大男を従えた若き王子は、種族が獅子の獣人ということもあって王者らしい風格を備えている。
なお、念の為にシノブはリョマノフ達に魔法の小剣を貸した。そのため三人達は、魔法の小剣も腰に佩びている。
「お任せあれ。各隊は作戦通りに迎え撃て!」
豹の獣人の司令官ラドロメイは落ち着いた声で応え、続いて配下に指示を出す。
リョマノフや護衛の二人とは違い、ラドロメイが手に持つ刀に鋭い光は無い。彼が持っているのは模造刀なのだ。
ラドロメイと彼の配下は腰に別の刀を佩いている。そちらは真剣だが、手にしている刀は訓練用で刃を付けていない。
リョマノフ達の目的は、国王ズビネクや王太子シターシュを正気に戻すことだ。それまで抵抗する者を留めれば充分で、出来るだけ害さないための配慮である。
「はっ!」
「落ち着いてかかれ! 相手は弱っている!」
ラドロメイの部下である隊長達が命令し、兵士達が模造刀を手に駆け出していく。
王宮の守護隊は『無力化の竜杖』で弱体化しているが、絶対に安全とは限らない。『無力化の竜杖』による体力減衰は一定の範囲が対象となるため、敵味方が入り乱れると使えないのだ。
もっともヨルム達が支援をするから、それでも危険は少なかった。いざとなれば竜達は魔力障壁で相手の動きを留めることになっている。
「リョマノフ、鋼の像らしきものが地下で動き出した。地下には憑依者の体があるらしい。場所は教えてもらったのと同じだ」
「ありがとうございます! では行きましょう!」
シノブが魔力感知で察したことを伝えると、リョマノフは大きく顔を綻ばせた。走り出した若き王子から先ほどまでの威厳は霧散し、まるで頼りになる兄を慕うような素直な笑顔となっている。
竜を従え多くの国を率いるシノブに、リョマノフは心酔したようだ。彼は海上交易をしたいと願っていたから、自身より先に乗り出したシノブに特別な思いを抱いたらしい。そのためだろう、リョマノフは自分のことを呼び捨てにしてくれとシノブに願った。
リョマノフはシノブの三歳年下だ。それ故シノブは、改まった場でなければと了承したのだ。
「やっと陛下のお供が出来ますね!」
神槍を手にしたナタリオは、シノブと並んで走りつつ嬉しげな声を上げた。
鋼の像を相手するかもしれないから、シノブは共に行く者達に神槍を貸し与えた。そのためナタリオが率いる彼の家臣、三従士のダトス、ポルト、ラミスも神槍を携えている。
「ナタリオ殿はガルゴン王国で……あれはシノブ殿が即位する前でしたか」
一瞬首を傾げたシルヴェリオだが、すぐに納得した表情となった。
ナタリオはガルゴン王国でシノブに随伴したが、そのときの彼はガルゴン王国の貴族であった。西海の戦いのときは家臣になると決まっていたが、こちらもアマノ王国の建国前だ。したがってナタリオが国王としてのシノブと並んで戦うのは、初めてであった。
「ともかくナタリオ殿と槍比べですね」
シルヴェリオは、走りつつ自身の持つ槍を掲げた。もちろんシルヴェリオや彼の親衛隊長ナザティスタの得物も神槍である。
「陛下、先行して地下研究所を探ります! お前達、行くぞ!」
「はっ!」
アルバーノが声を発すると、彼や部下の姿が掻き消えた。彼らは透明化の魔道具を使ったのだ。
リョマノフによれば、地下研究所とは元々単なる地下倉庫だったそうだ。しかしシターシュが、魔道具の研究の場所として改装したという。
研究所は結構な広さで、研究室に加え材料置き場なども別にある。もっともリョマノフも全てを把握してはいないそうだ。
──シノブさん、私も行きますね~──
──フェイニーさん、お願いします!──
姿を消したままのフェイニーに、オルムルが思念を送る。
フェイニーはアルバーノ達の支援だ。突然の襲撃だから、シターシュ達が何らかの備えをしている可能性は低い。とはいえ、念の為に探っておこうというわけだ。
ちなみにオルムルは今回もシノブの側に収まっていた。彼女は猫ほどの大きさに変じてシノブの上を飛翔している。
子竜で一歳を超えているのはオルムルとラーカだけだ。そしてオルムルは土属性を持つ岩竜だから、大量の鋼があれば察知できる。
一方、嵐竜のラーカは風の操作に長けているから、広い場所の方が好都合である。そのためシノブは、彼をヨルム達と同じく地上に残すことにした。
「シノブ様、私も感知しました! 木人術と少し違いますが、憑依で間違いありません!」
そして最後はアミィである。彼女には治癒の杖を使うという役目があるから、同行は必須だ。
鋼の像への憑依は精神を蝕むらしい。そのためシノブ達は、状態異常を解除できる治癒の杖で元に戻そうと考えたのだ。
「そうか! とにかく急ごう!」
シノブの号令で一行の速度が増す。
相手が人質などを取ったら面倒なことになる。幸いシターシュ達は、よほど鋼の像に自信があるのか真っ直ぐに地下へと向かったらしい。とはいえ、彼らが誰かを拉致していないとは限らない。例えばリョマノフの母などだ。
それを思ったのだろう、リョマノフの顔に鋭さが増した。そして彼は、獲物に襲い掛かる若獅子のように王宮に飛び込んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
『リョマノフ。兄である私、それに父上に逆らうなど、許し難い』
『お前が連れて来たのは何者だ? 王である私の許しも無く』
地下通路に突入した一行の前に、数十体の鋼の像が現れた。そのうち二体が前に進み出て、シノブ達に向かい無機質な声を発する。口にした言葉からすると、この二体に王太子シターシュと国王ズビネクが宿っているのだろう。
鋼の像は、さほど人間と変わらぬ大きさであった。おそらくは身長2m程度、先頭の二体シターシュとズビネクのものは更に少し大きいようだ。だが、何れも通常の家屋でも充分に行動できる大きさに収まっている。
鋼鉄製ということもあり、鋼の像は全体としては鈍い輝きを放っている。通路は灯りの魔道具で照らされているのだが、像が金や銀のように眩く輝くことはない。
そして短期間で大量に造ったからか、像の多くは飾りも無く素っ気ない。だが、シターシュとズビネクの二体だけは、多少の装飾が存在した。
この二体は、エレビア王家の紋章である十字が胸に大きく刻まれていた。
リョマノフによれば王家の紋章は翼を広げた燕を図案化したものだという。しかし繊細な模様はあるものの形自体は随分と簡素で、シノブには先が剣のように尖った十字にしか見えない。それに十字といっても上の突起は極めて小さいから、T字の上端に少し出っ張りがある程度だ。
これが王家の紋の通りに赤地にオレンジがかった黄色、そして頭にも赤い円から四本の黄色い突起が突き出した兜飾りのようなものが存在する。こちらは太陽の図案化だろうか。
エレビア王国でも最高神アムテリアと彼女の従属神を崇めている。そしてアムテリアは光の女神だから、王族用の像に太陽を模した飾りを付けるのは理解できなくもない。
「兄上、父上! 何てことを!」
もっともリョマノフには、像の姿形など目に入っていなかった。彼の視線は、兄と父が操る二体の奥に向けられている。
そこには三人の女性がいた。しかも彼女達は鋼の像に捕らえている。
「リョマノフ! 私達のことは構わず国を正すのです!」
「そうです、リョマノフさん!」
女性達のうち、年長の二人が叫ぶ。
先に声を発したのはリョマノフの母で第二王妃のサチュヴァ、虎の獣人だ。そして続いたのは第一王妃でシターシュの母のリリージヤ、こちらは人族である。
ちなみにズビネクは獅子の獣人、シターシュは人族だが、彼らが憑依している像に種族を示すような飾りは存在しない。
「リリージヤ様、母上、姉上! すぐ助け出します!」
「リョマノフ、そんな甘いことを!」
母達に叫び返したリョマノフに、三人目の女性が不満の滲む声で応じた。先の二人とは違い、まだ二十歳前らしき女性である。
この女性、実はリョマノフと同腹の姉オツヴァだ。彼女は母に似たらしく虎の獣人である。そして種族もあるのだろうが、オツヴァは随分と大柄だ。
リョマノフも獅子の獣人らしく大きな方だが、彼女は更に背が高いかもしれない。とある理由で傍観しているシノブの脳裏に、そんな思いが掠める。
──シノブ様、木人と同じで破壊すれば魂は肉体に戻ります。弱点も同じだと思いますが、念の為に探りますね──
──ありがとう。もう少し頑張ってね──
手を繋いだアミィに、シノブは微笑み返す。シノブがアミィに魔力を注ぎ込み、その大魔力で彼女は遠距離から鋼の像を探ったのだ。
無尽蔵とも思える魔力を持つシノブだが、魔道具に関して学ぶ時間が無かったから詳しくない。しかしアミィは神の眷属としての知識があるし、これまでも多くの魔道具を解析したり作ったりしてきた。
そのため充分な魔力と時間があり、ある程度既知の魔道具であれば、彼女は触れずとも多くを知ることが可能であった。
『あくまで逆らうか……では、抹殺だ!』
『我が造りし鋼の兵士『多目的鋼人代替三型』よ! 弟達を倒せ! 殺して構わん!』
ズビネクに続きシターシュが叫ぶ。どちらも身内だからと手加減するつもりは無いらしい。
そして二人の声が響いた次の瞬間、鋼の像が動き出した。おそらく王と王太子の二体以外が『多目的鋼人代替三型』なのだろう。もしかすると王族用も、同じものを元にしている派生型かもしれない。
それはともかく、王妃達を捕らえている三体以外が前進していく。
◆ ◆ ◆ ◆
通路の幅は広く、四人や五人が横に並んでも問題ない。そのため鋼人も横に四体並んでの前進である。これらを倒さないことには先に進むことも出来ないだろう。
鋼人は右手に槍、左手に盾を構えている。
槍は三叉で地球ならジャベリンと呼ばれそうな形状である。長い上に穂先が三つに分かれており、敵を押し留めるのに向いていそうだ。盾は円形、こちらはラウンドシールドと呼ぶべきか。完全に身を隠すことはできないが、鋼の体だから問題ないのだろう。
「破壊しても大丈夫だ! 俺は女性達を救出する!」
「暫く防いでください! 頭部や胸部が急所です!」
アミィの解析は終わった。そこでシノブは彼女の手を離し、鋼人を壊しても問題ないこと、王妃達を救出することを告げる。
一方のアミィは、向かってくる敵を押し留めるようにと指示し、更に弱点を伝えた。
「御意!」
「槍には槍ですね!」
ナタリオとシルヴェリオ達が早速壁を作る。まずは神槍を持った六人で鋼人を押し留めるのだ。
中央にナタリオとシルヴェリオ、その両脇にナタリオの三従士とナザティスタが並ぶ。少々狭いが半身で構えるのだから、むしろ好都合というべきだろう。
六人が構える武器は同じ神槍で、構えも似ている。
アマノ王国ではベルレアン流槍術が主流で、ナタリオも学んでいる。軍が正式採用した槍術はベルレアン流だから、カンビーニ王国やガルゴン王国出身の三従士も習得したのだ。
シルヴェリオとナザティスタはカンビーニ流槍術だが、元は同じだ。どちらも戦の神ポヴォールが授けた両手使いの槍術だから、敵を待つ姿も殆ど同じなのだ。
カンビーニ流が攻撃的に僅かだが前傾気味。ベルレアン流が攻防自在の立身中正。しかし素人なら同流と思うだろう相似である。
『私も手伝います!』
オルムルは人間ほどに大きさを変えると、ナタリオの少し後ろの宙に陣取った。彼女はブレスで支援するつもりらしい。
相手も長槍と丸盾を携えており、しかも鋼の体である。当然ながら、一突きや二突きでは動きを止めない。
オルムルは人間達の顔を立てたのか、丸盾を破壊するのみで致命傷は与えない。そのためナタリオ達は、敵の槍を切断するか弾くかして本体を攻める。
とはいえ弱点は判っている。アミィが解析した通り、要は木人と同じで頭から胸にかけてだ。そのためナタリオ達は、それらを貫くか首を落とすかしていく。
「ここだ!」
ナタリオ達が時間を稼いでいる間に、シノブは空間魔術を行使した。
シノブの声と同時に、鋼人達の壁の向こうで微かな光が生じる。それは三人の女性がいる場所だ。
空間魔術を会得したシノブは、視界に入らない場所でも察することが可能となった。有効距離は100mほどだが、その範囲であればシノブは壁の向こうに転移したり魔術を行使したり出来る。
そこでシノブは女性達を取り押さえる鋼人を極めて薄くした魔力障壁の刃で切断し、続いて女性達を自身の後方へと転移させたのだ。
「こ、これは!?」
「リリージヤ様、母上、姉上! 安心してください、シノブ殿の魔術です!」
驚くリリージヤ達にリョマノフが駆け寄り声を掛ける。彼の顔は安堵で大きく綻んでいる。
「リョマノフさん、大丈夫です! 三人とも魔道具や術で縛られてはいません!」
続いて寄ったアミィは、リョマノフに笑顔を向けた。
三人は隷属の魔道具や催眠の術などの影響下にあるかもしれない。そのためアミィが調べに行ったのだ。
「皆、下がって! 一気に片付ける!」
これで人質は救出し、手前にいるのは鋼人だけとなった。もう遠慮はいらない。そこでシノブは次の段階へと移る。
「はい!」
『判りました!』
シノブの声を受け、ナタリオ達は数歩を退る。そしてオルムルも同時に退いてシノブの頭上まで戻った。
「これで終わりだ!」
シノブが叫んだ次の瞬間、通路を埋め尽くしていた鋼人は切断され、無数の鋼の塊へと変じた。シノブは広範囲に何十もの魔力障壁の刃を展開したのだ。
切断された一つ一つの塊は、およそ拳大である。これでは魂を宿し続けることなど出来はしない。
「良かった……」
「はい、無事に体へと帰っていきました!」
シノブとアミィは笑みを交わした。他の者達には判らないだろうが、シノブ達には魂が奥の部屋に飛び去っていくのが感知できたのだ。
そしてシノブは奥に進む道を作るべく、魔力障壁で鋼片を左右に寄せていく。
『でも、まだ変になったままみたいです! 皆、怒っていました!』
再び猫ほどの大きさに戻ったオルムルは、シノブの肩に飛び乗りながら声を発する。
やはり、オルムルの感応力は相当に上がったようだ。シノブは魔力波動の変化から移動を察しただけだが、彼女は飛び去る魂が抱いた感情まで読み取ったらしい。
「そうか……でも、治癒の杖があるから大丈夫だよ」
「はい! 任せてください!」
シノブがオルムルを撫でつつ言葉を掛けると、アミィが元気良く続いた。そのためだろう、オルムルは嬉しげに顔を上げる。
元々竜は人の強い感情を読み取るのだが、オルムルは更に敏感になったようだ。また、彼女はシノブが多くの魔力を込めたときと同じ金の光を発する能力を得た。これはシノブから魔力を貰って成長した影響だと思われるが、正確なところは不明である。
特別な方法で育ったこと。オルムルがシノブを慕っているから。光竜という名を授かったことによる意識の変化。シノブから相談されたアミィは幾つかの推測を並べたが、彼女も正確なところは判らないらしい。
ただしアミィは、暫くすればオルムルが上手く制御する方法を覚えるのでは、と指摘した。そして彼女が人間を嫌わないように制御が上達するまで守ろう、とアミィは続けた。
シノブもアミィの意見に賛成であった。全ての人間が清い心を持っている筈はないし、シノブ自身も怒ったり嘆いたりすることはある。それらは人である以上、避けられないことだ。
竜や光翔虎のような超越種も人間より高い知性や優れた理性を持っているが、彼らですら過ちを犯すこともあるし激昂もする。したがってオルムルは、どちらにせよ他者の持つ負の感情と折り合う術を身に付けないといけないのだ。
『さあ、行きましょう! リョマノフさん、案内してください!』
「は、はい! こちらです!」
シノブの肩から舞い上がったオルムルは、リョマノフへと言葉を掛ける。そしてリョマノフは鋼片が散らばる通路を駆け出し、彼の上をオルムルが飛翔していく。
心配しなくても大丈夫かもしれない。シノブの心に、そんな思いが浮かぶ。
元から賢いオルムルである。それに心が読めなくても、他者の悪意など言動から嫌でも感ずるものだ。きっと彼女は醜いものを己の戒めとし、美しいものを手本としていくだろう。シノブの心に湧き上がったものは確信となり、微笑みへと変ずる。
そしてシノブに生じた笑みは、アミィに、ナタリオやシルヴェリオ達に、そして救い出した女性達にと広がっていく。事情が判らないであろう王妃達も、オルムルとリョマノフの姿から何かを感じ取ったようだ。
「オルムル達に続こう!」
「はい!」
シノブ達も、愛らしい竜と彼女に認められた若者に続いていった。もちろん笑顔と駆け足で。そのためか通路の灯りに照らされた鋼片は、どこか金属らしからぬ柔らかな輝きを放っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達が辿り着いたとき、奥には既にアルバーノと部下、それにフェイニーがいた。
鋼人達は、シノブ達を迎え撃つべく慌ただしく通路へと出て行った。そのため姿を消したアルバーノ達は、容易に侵入できたという。
ちなみに侵入したとき、既に王妃達は捕らえられていた。それをフェイニーは思念でシノブ達に伝えたが、手出しはしなかった。アルバーノやフェイニーは、シノブに任せるべきだと判断したからである。
親衛隊員らしき武人達は大きな倉庫に並んで横たわり、そしてシターシュとズビネクは研究室だという一室の寝台の上にいた。ただし、どちらもアルバーノ達により拘束済みだ。
木人の場合、強制的に憑依を解かれたら操縦者は大きく魔力を減ずる。それに酷いときは動けなくなることもある。しかし行動不能にならない者もいるから、アルバーノ達は事前に手を打ったのだ。
もちろん何体かは見張りの鋼人が残っていた。しかし数体程度であれば、アルバーノ達で充分に対処できる。
おそらくアルバーノなら単独でも充分に倒せるだろう。更にフェイニーの支援があるのだ。
なお、フェイニーは邪術に憤慨したのか手加減をしなかったようだ。鋼人のうち半分ほどは、強引に千切り取ったような壊れ方をしていた。
もっとも、それらを確かめたのは後のことだ。
まずアミィが凶暴化した彼らを治癒の杖で治し、続いてシノブが回復魔術を掛けていった。それに他の者達も、意識を取り戻した者にアミィが渡した魔法のお茶を飲ませるなど手当てをした。
もちろん国王と王太子も同様だ。二人は王妃達のリリージヤとサチュヴァ、そしてリョマノフの姉オツヴァが介抱している。
「……リョマノフ。私は鋼人でおかしくなったのですね?」
「まるで酔いから醒めたようだ。それも悪酔いだ……」
意識を取り戻したシターシュやズビネクは、自身のしたことを覚えていた。どうも頭痛がするらしく、二人は頭を押さえたり首を振ったりしているが、記憶自体は無くしていないという。
治癒の杖の光を浴びるまで、二人は自身の言動に異常を感じていなかったらしい。シノブは国王の言葉から、飲酒で気が大きくなったり性格が急変したりといったことを連想する。
既に二人の名で王宮の守護隊に抵抗を止めるように伝えている。細かい事情の聞き取りはこれからだが、リョマノフが他に先んじて実行したのは、このことであった。
そして今、王宮の平穏は取り戻された。そのためシノブ達は、改めて経緯を聞いている。
「兄上や父上は、鋼の像を使い始めてから戦いを好むようになりました。それに言葉なども荒々しく……ついにはキルーシ王国を征服し、先祖の恨みを晴らそうなどと……」
リョマノフによれば変化は徐々に進行したという。そのため日常的に父や兄と接している彼でも違和感を抱くのが遅れたそうだ。
ましてや心が密かに変じていった当人達は、自身の異常を全く感じなかったらしい。
「この魔法回路ですね……これが憑依の敷居を低くし、適合者を増やしています。というより、適合させるために心を作り変えるのです。まさに邪術ですが、憑依の術式に上手く埋め込まれているので気が付かないのも無理はありません」
治癒の杖の行使を終えたアミィは、術の解析を進めた。
神の眷属であり木人術も知るアミィである。アルバーノ達が倒した鋼人、研究室にあった古文書、シターシュの覚え書き。それらを元に、アミィは問題の箇所を短時間で特定したのだ。
「あれは各種の危険な作業を代行させるために造ったのですが……いえ、そんなことはどうでも良い! 私の不明こそが国を危うく!」
シターシュは悔しげに顔を歪め、拳を寝台へ打ち下ろす。
術を復元したのはシターシュだ。そのため彼は己を恥じているのだろう。アミィは仕方ないと思ったようだが、シターシュは慰めと受け取ったようだ。
人族だからか、彼は獅子の獣人のリョマノフとは違い温和な容貌の青年だった。しかし激しい後悔に支配された今の彼に、穏やかさは存在しない。
なお、リョマノフは既にシノブ達のことを語っている。
一行は魔獣の海域の向こう、西に存在するエウレア地方の国々の重鎮達。そしてシノブは七国の同盟の盟主で、竜や光翔虎に慕われ更に稀なる魔術を行使する存在。それらを聞いているから、シターシュもアミィの言葉を素直に信じたのだろう。
「そのような罠があったとは……」
父のズビネクは驚きの方が強いようだ。
ズビネクは、術の解読や復元に関わっていなかった。彼は獅子の獣人らしく武に優れた人物だが、魔術とは縁がないらしい。
「リョマノフ……私は王太子を降ります。このような混乱を巻き起こした私に、王位を継ぐ資格はありません。貴方が次代の王になりなさい」
「私も責任を取って退位しよう。魔術はシターシュに任せ切りとはいえ、それが間違いの元だったのだ。シターシュのみに責を負わせるわけにはいかん」
全てを聞き終えた二人は、リョマノフに国を譲ると言い出した。彼らは、自身のしたことを非常に恥じたようだ。
「父上、兄上、それは困ります!
実は、ラドロメイ達の力を借りるためにマカーコフ叔父を騙しまして……『私がエレビア王国の王になったら、貴方を続く高位にします』と。ですから私を王にしないでください。それに父上と兄上は、見知らぬ酒に悪酔いしただけです」
リョマノフの言葉に、王家の女性達が同意するように頷いた。おそらく彼女達から見ても二人は良き王であり王太子だったのだろう。
「そうですね……初めて飲んだ酒だから、量を誤って少しばかり暴れた。だけど、それは家の中だけで屋外に出たわけでもない。そして幸い家族が取り押さえ、酔いは醒めた。……随分と助けは借りましたが」
そしてオツヴァが、弟の比喩を用いて事件を評する。
確かに王宮の外に被害は及んでいないし、リョマノフが友人や知人の力を借りて暴れた父と兄を押し留めただけではある。
そう感じたのだろう、王妃達を始め集っていた者達の顔が大きく綻んだ。
「そうですね。リョマノフ殿への感謝は、今後の治世でお返しされては如何でしょう? 彼には望む道もあるようですから」
シノブもリョマノフの後押しをする。
リョマノフを君主にしつつマカーコフに権力を与えない方法など、すぐに二人も思い付くだろう。しかしリョマノフに国を譲っても、彼の望みは叶わない。それにまだ十六歳の若き王子には大きな負担となるだけである。
「はい……弟に全てを押し付けてはいけませんね」
「一時の激情に囚われましたか……」
幸いシターシュとズビネクも理解してくれたようだ。ほろ苦い笑みを浮かべつつ、二人は頷く。
どうやらこれで、エレビア王国の暗雲は晴れたようだ。そう思ったからだろう、シノブは地下室にいるにも関わらず、昇る朝日を目にしたかのような晴れ晴れとした心持ちとなっていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年11月15日17時の更新となります。