19.20 王都強襲 前編
エレビア王国の第二王子リョマノフは、岩竜の子オルムルの試練を乗り越えた。
子供とはいえオルムルは竜だ。腕に覚えがあるからといって戦える相手ではない。しかしリョマノフは刀が折れようが諦めなかった。若き獅子の獣人は、自身の体と不屈の闘志だけで再び挑もうとした。
竜は相手の強い感情を読み取る。そのためオルムルはリョマノフの真っ直ぐで清い心を受け取った。彼女は諦めず向かってくるリョマノフを賞し、更に彼の刀を元通りに戻した。
それを見たシノブはリョマノフが心底から国を案じていると確信し、エレビア王国を覆う暗雲を払うべく彼と語らうことにした。
既に夜も更けているが、そんなことを言っている場合ではない。シノブ達はゼーアマノ号の甲板から司令官室へと場所を移す。
ゼーアマノ号はアマノ王国の海軍旗艦で、東域探検船団の旗艦でもある。そのため司令官室も広く、大きなテーブルを四脚のソファーが囲んでいる。そこをシノブがオルムルと共に奥、船団の者達が右側、リョマノフ達が左側と使う。
右は船団の総司令官ナタリオ、各国の代表シルヴェリオ、カルロス、ジェドラーズの四人だ。左はリョマノフと彼の侍従であるヨドシュが腰掛け、護衛の二人は主の後ろで直立不動となる。
そして着席と同時にリョマノフがシノブへと説明を始める。
「……明日、王都エレビスへと向かおう。精神異常を解除する手段はあるが、早い方が良い。放っておくと鋼の像の影響を受けた者が増えるからね。
ああ、移動は心配しなくて良い。竜の力を借りて空から向かうつもりだ」
リョマノフの話を聞き終えたシノブは、自身の考えを述べた。
集った者達の半数は予想していたようで平静だが、残りの半数は驚愕も顕わな顔となる。もちろん平静なのは右手のナタリオ達、驚きを示したのは左手のリョマノフ達である。
「オルムル殿が運ぶのですか?」
怪訝な表情となったリョマノフは、シノブの肩に乗るオルムルへと顔を向けた。
全長4mを超える巨体から猫ほどに小さくなれるのだ。逆に巨大化して大勢を乗せることも可能では。おそらくリョマノフは、そう思ったのだろう。
『私ではありません』
オルムルは短い答えを発すると、目を閉ざした。彼女はシノブの魔力を吸うのに夢中らしい。先ほどオルムルは不可思議な光を発したから、疲れたのかもしれない。
「親達だよ……実際に見れば判る。それより細かいことを詰めよう。
磐船……竜が運ぶ空飛ぶ船なら、王都エレビスまで一時間で着ける。上空から王宮の庭に降りて一気に制圧だ。しかし、なるべく穏便に済ませたい。
王宮の者は体力を低下させる魔道具で弱めるが、それでも立ち向かう者はいるだろう。そこで君達に同行してもらい、抵抗しないように呼びかけてほしい。案内役も必要だから少なくとも数十人、出来れば百人以上……用意できるかな?」
シノブの構想の基本は、かつてのベーリンゲン帝国との戦いの都市空襲である。
磐船で上空から迫り『無力化の竜杖』で王宮の者達の動きを封じる。これで大半は戦えなくなる筈だ。
しかし木人に『無力化の竜杖』は効かないから、鋼の像も同じだろう。リョマノフの兄シターシュが造った鋼の像は、木人術の流れを汲むものだからだ。
そこでシノブ達が鋼の像と戦う。木人と同じなら像を壊せば憑依している魂は肉体に戻るから、遠慮せずに破壊できる。治癒の杖の使い手としてアミィを連れて行くから、仮に魂が脱しなくとも何とかしてくれるだろう。
鋼の像への憑依は精神を蝕むそうだから、多少乱暴でも早い方が良い。それに王太子シターシュや父の国王ズビネクは随分と好戦的になってしまったという。しかも彼らは鋼の像を増産し、親衛隊員を次々と操縦者にしているそうだ。
シノブはキルーシ王国の地下遺跡で遭遇した青銅の像、そこに七百年近くも魂を封印された者達を思い出していた。術で縛られつつも倒してくれと懇願する悲惨な姿を、シノブは忘れてはいなかったのだ。
同じような者を生み出してはならない。それがシノブの急ぐ理由である。
「はい! ここペルヴェンの守護隊司令官ラドロメイを動かせば可能です! ラドロメイは母方の大伯父で、私達は彼の力を当てにしていたのです!」
まるで子供のようにリョマノフの顔が輝く。今の彼には、オルムルに向かっていったときの荒々しさは全く無い。
伝説の存在である竜に慕われるシノブに、リョマノフは強い畏敬の念を抱いたようだ。シノブは普段通りにしてくれと言ったのだが、リョマノフは丁重な言葉遣いを崩さない。
「ラドロメイ様はマカーコフ様の母方の伯父でもあります。それにリョマノフ様の剣の師の一人で、こちらの護衛達イゾーフやズーザフもラドロメイ様に師事しました。
人望、実力、地位、家格……何れも申し分のないお方です」
猫の獣人の老人ヨドシュは、どこか懐かしそうな顔をしていた。ヨドシュはラドロメイと同じ六十代だ。そのため彼はラドロメイを良く知っているのだろう。
このラドロメイ・ルジェーク・エヴォスンという武人は、エレビア王国で非常に有名らしい。由緒あるエヴォスン家の一員。そして妹が先王、姪が現国王に嫁いだ。更に武芸も国有数で人格者とくれば、本来なら国の中枢で働くべきである。
そのラドロメイがペルヴェンという西の果てにいるのは、妹から息子のマカーコフの後見を、と頼まれたからだという。もっともマカーコフは、ラドロメイを煙たがり遠ざけているらしい。
「ならば話は早そうだ」
「それではラドロメイ殿に密使を送りましょう。イゾーフ殿やズーザフ殿とも知り合いとのことですし、どちらかをお借りして……」
顔を綻ばせたシノブに、それまで黙って聞いていたナタリオが意見を述べた。
王都に明日赴くなら急ぐべきだし、密かに連絡するなら夜間である今の方が好都合だ。おそらくナタリオは、そう考えたのだろう。
「それがラドロメイは頑固一徹でして……国を憂える心は私と同じく強いのですが」
「ラドロメイ様は『武人は武器と同じ。武器は振るう者に逆らってはならぬ。私心を混ぜては国が乱れる』と……確かに上官に背いたり命令を都合の良いように解釈したりは、固く戒めるところですが」
リョマノフとヨドシュの言葉に、後ろに立つイゾーフやズーザフも大きく頷いた。四人とも、正当な命でなくてはラドロメイが動かないと思っているようだ。
「それで太守のマカーコフ殿の首を縦に振らせ、大義名分を与えようと?」
「確かにラドロメイ殿や部下も、動きやすいでしょうね」
シルヴェリオとカルロスの声は、僅かに疑念を含んだものであった。二人はリョマノフ達の意図は理解しつつも、強欲らしいマカーコフを動かすのは面倒だと思ったのだろう。
東域探検船団に対し、マカーコフは自身が治めるペルヴェンとの交易を優先するように主張した。先王の三男なのに辺地の太守となったことが、マカーコフは不満らしい。そのため彼は、長兄の国王ズビネクや次兄で要衝の太守を務めるラジミールを嫉妬しているようだ。
エウレア地方との交易を掌握し自身の力を強め、中央に進出する。マカーコフは、そう考えているのであろうか。
「そこなのですよ。皆さんのことを知る前、悩んでいたのは。
名高いエヴォスン家、しかもラドロメイの言葉であればマカーコフ叔父も無視できません。叔父に武術を仕込んだのはラドロメイですから。
とはいえ今回の件は、都市の守護隊司令官の職責を大きく超えています。ですから、何とか叔父の気を惹く餌を与えて、と……」
リョマノフの口調は、ざっくばらんなものに変わる。
悩みが先に立ったのか、あるいはシルヴェリオ達への言葉だからか。どちらもであろうか。
「シノブ殿、どうなされますか?」
「……マイドーモの意見を聞いてみます。彼は先日まで商人でしたから」
ジェドラーズに問われたシノブは、先ごろ家臣となったマイドーモ・マネッリの名を挙げた。
マカーコフがエウレア地方との交易で何を得たいのか。それを知るには元商人のマイドーモが最適だとシノブは思ったのだ。
「呼んできます!」
ナタリオが素早く立ち上がり、室外に歩み出る。
そしてシノブは、明日の準備を進めるべく通信筒へと手を伸ばす。王都アマノシュタットで待つアミィと連絡を取るためだ。
◆ ◆ ◆ ◆
翌朝、都市ペルヴェンの太守マカーコフがゼーアマノ号に現れた。昨日と同様に国交や交易について話をするためだ。
しかしマカーコフは船上で、彼にとって意外な人物と遭遇する。
「リョマノフ……殿下!?」
部屋に入るなり、マカーコフは叫び声を上げた。驚きのあまりだろう、彼は甥を呼び捨てにするところだったようだ。
マカーコフは先王の三男とはいえリョマノフは王子なのだから、敬称を付けるべきだろう。身内以外もいるのだから、相応の言葉遣いがあるというものだ。
「叔父上、お久しゅうございます」
立ち上がったリョマノフは、しれっとした顔で挨拶をした。彼は居るのが当然といった顔をしている。
太守の一行を出迎えるのだから、ナタリオ達も起立している。しかしマカーコフは彼らが目に入らないかのように大股に歩み、無言でリョマノフへと迫っていく。
大柄な虎の獣人が歩めば、普通なら威風堂々となるだろう。だが、今のマカーコフの顔には焦りめいたものが浮かんでいる。どうも彼は、リョマノフの登場を歓迎していないようだ。
その様子をシノブはアミィやオルムルと共に密かに観察していた。二人と一頭はアミィの幻影魔術で姿を消し、部屋の片隅に潜んでいるのだ。
──どう見てもリョマノフの方が上だね──
──そうですね~。辺境の都市に追いやられるのも仕方ないのでは?──
苦笑するシノブに、アミィが同じような雰囲気の思念で答える。
昨夜シノブはゼーアマノ号の甲板に魔法の馬車を出し、アミィ達を自国から呼んだ。そしてアミィは魔法のカバンの中に双胴船型の磐船アマノ号を仕舞っている。
なお、アマノ号の運び手である岩竜ヨルムと炎竜イジェも別室に控えている。アムテリアから授かった腕輪を使えば、成竜達も人間と同じくらいの大きさになれる。そのためヨルム達も馬車や船室に入ることが可能なのだ。
──あの人、嫌な感じがします!──
シノブの肩の上で、オルムルが鋭い思念を発した。どうやらオルムルは、驚愕したマカーコフから感情を読み取ったらしい。
オルムルの感覚は、今までより鋭敏になったようだ。もしかすると、光を発したことと関係があるのかもしれない。
──如何にも欲深といった感じだね。外見や先入観で判断するのは良くないだろうけど──
──先に聞いちゃいましたからね~──
まずはリョマノフやナタリオ達に任せることになっている。そのためシノブとアミィは雑談めいた思念を交わすだけである。
一方リョマノフは、その間にマカーコフを隣に座らせ王都での事件を伝えていた。そして同じく着席したナタリオ達は、口を噤んで彼らの会話を聞いている。
「王都がそんなことになっていたとは……。
殿下、水臭いですぞ! 叔父であり母方でも血族である私のところに、どうして真っ直ぐ顔を出してくださらぬのですか!?
私もエレビア王族の一人、国の一大事に兵を率いて馳せ参じる覚悟はあります! 殿下が総大将、私が副将とれば、たとえ邪術であろうと打ち破れます!
殿下……父王や兄君を弑するのはお辛いでしょう。ですが正義と公正のためなら、このマカーコフが支えますぞ! 戦も、その後も!」
周囲にナタリオを始めとする東域探検船団の者がいることなど、マカーコフは忘れてしまったようだ。彼は共に王都エレビスに攻め上ろうと捲し立てる。
──うわ~。ダメだこりゃ、ってリョマノフ達が思うのも無理ないよね──
──ええ……正直、この人の助けを借りたくないです──
シノブとアミィは顔を見合わせる。どちらの顔も、げんなりとした表情になっている。
オルムルは小さな手を自身の頭の両脇に当て、更に体をシノブへと寄せていた。どうも彼女は耳を塞ぎ、シノブの魔力を感じることでマカーコフの存在を忘れようとしているらしい。
マカーコフは、父と兄を殺せと言った。普通であれば、まずは退位や幽閉などと口にするのではないだろうか。それを一足飛びに命を奪えと勧めるのだ。オルムルでなくとも不快に思うのは当然だ。
リョマノフと三人の従者はもちろん、ナタリオ達や背後に控える士官なども大きく顔を顰めている。
──オルムル、ヨルム達のところに行く? 転移で送るよ?──
シノブはオルムルに母親達のところに行ってはと提案した。
姿を消しているから、司令官室の扉を開けることは出来ない。だが空間魔術を会得したシノブは、短距離であれば自身や他者を転移させることが出来る。
そこでシノブは、別室で控えているヨルム達のところにオルムルを送ろうかと思ったのだ。
──シノブさんの魔力があれば大丈夫です──
──そうか……じゃあ、もう少し我慢してね──
縋り付くオルムルをシノブは胸に抱く。そしてシノブは、自身を慕う子竜に大量の魔力を与えていく。
「正義と公正……叔父上、その言葉を口にする資格が貴方におありで?」
「な、何だと!? ど、どういう……」
リョマノフの意味深な言葉に、マカーコフは激昂しかけたようだ。しかし、彼の言葉は最後まで紡がれることはなかった。
「ど~も、お邪魔します。商務担当の内政官、マイドーモ・マネッリと申します。あ、昨日もお会いしましたね」
「ど~も、初めまして。マイドーモの義弟、アルバーノと申します」
司令官室に入室して来たのは、二人の猫の獣人であった。
実は放送の魔道装置を使い、近くの部屋に会話を届けていた。そのため二人は、タイミング良く登場できたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「な、何だ、お前達!」
「お忘れですか? 東域探検船団の実務担当者の一人です。交渉や調整、それに調査が役目でして」
立ち上がって怒鳴るマカーコフに、マイドーモは飄々とした口調で応じていた。彼は憤然とした顔の大男にも、全く怯えていないようである。
「マカーコフ様は色々商人に便宜を図っていらっしゃる……特にジャーレク、ヤシェチル、ヴェヴォダといった一部の」
「この三商会、都市や港、街道の工事の情報を極めて早く正確に掴むとか。その代わり、随分と貢いでいるそうですな。……太守殿に」
マイドーモとアルバーノは、それぞれが携えていた紙束を掲げてみせる。ちなみにマイドーモが口にしたのは、ペルヴェンの者なら誰でも知っている大商会の名である。
昨晩シノブに呼ばれたマイドーモは、マカーコフが悪事に手を染めているのでは、と指摘した。おそらくは汚職、それも商業に関する何かだろう。話を聞いたマイドーモは、そう口にしたのだ。
マカーコフは、エレビア王国と交易をしたければペルヴェンからと言い張った。これを聞くとペルヴェンへの利益誘導らしく感じる。
しかしペルヴェンが未知の国との交易を始めたら、他の都市に伝わるのは間違いない。そうなれば真っ先に国王の耳に入る筈で、ペルヴェンだけの独占など一週間も続かないだろう。
ペルヴェンと王都エレビスの間は、およそ200km程度だ。馬を飛ばせば一日、普通の荷馬車でも四日もあれば移動できる。したがって早晩エレビスに伝わるし、そのとき勝手な取り決めを結んでいれば太守の地位すら危うい筈である。
「貴方達は時間稼ぎがしたかったのですね。証拠隠滅や書類改竄の」
「ペルヴェンが我らの寄港地になれば、王都から内政官が大勢訪れる。一部の……あるいは多くの業務は彼らの担当となるでしょう。しかも、あっという間に。
仮に早馬を飛ばしたら、次の日に王都から役人が大挙して現れる。それは仕方がないが、せめて時間稼ぎをしてくれ。……三商会の主達は素直に吐いてくれましたよ」
マイドーモとアルバーノの言葉に、マカーコフは蒼白となった。それに彼は二人が持ってきた書類にも見覚えがあったらしい。
これらの書類はアルバーノや部下が三商会や太守の館から得たものだ。また、アルバーノは三商会の主とも会い証言を得ているし、既にゼーアマノ号へと移し乗組員が監視している。
リョマノフは、白状すれば寛大な裁きをすると商会の主達に告げた。それもあり、彼らは包み隠さず答えたのだ。
商人の経験と勘なのだろう、マイドーモはペルヴェンの大よそを聞くと迷うことなく三商会の名を挙げた。そしてアルバーノ達が姿を消して潜入するのだ。夜が明ける前には全てが明らかになっていた。
「というわけです。太守にあるまじき行為ですから……」
「りょ、リョマノフ! 太守を罷免できるのは国王だけだ! お前に私を裁く権利はないぞ! そ、そうだ、王都で兄上に裁いてもらおう!」
リョマノフの言葉を、マカーコフは声を張り上げ遮った。どうやらマカーコフも、単なる大男ではなかったようだ。
リョマノフは父と兄から逃れペルヴェンに来た。国王と王太子は鋼の像への憑依を繰り返し異常に好戦的になった上、秘密を知ったリョマノフに協力を迫った。
当然ながら王都に戻ればリョマノフは捕らえられる。したがってマカーコフは相手が同意するわけがないと踏み、王都での裁きを受けようと言ったわけだ。
「そう来ましたか……では、こうしましょう。私がエレビア王国の王になったら、貴方を続く高位にします。そうですね……副王など、どうでしょう?
ですから一時的に太守の地位を譲っていただけないでしょうか? 貴方は病気になり、急遽代行を指名する。良くあることですよ」
僅かに苦笑を浮かべつつ、リョマノフは妥協案を語っていく。するとマカーコフの顔に余裕が戻り、大きく綻んでいく。
しかしリョマノフの提案には罠があった。リョマノフに『エレビア王国の王』となる気は全くないのだ。したがって、この条件が満たされることはあり得ない。
仮に現国王ズビネクや王太子シターシュの異常が解けず、地位を保つことが無理でも問題ない。もし二人が隠居してリョマノフが君主になったとしても、『エレビア王国の王』にならなければ良いだけだ。
国名を変える。君主の呼び名を王以外にする。それだけで充分である。
もっともリョマノフの望みは海に出ることだ。そのため彼はシノブ達に、父や兄が元に戻ったら自身は交易か外交の道に進むつもりだと語っていた。
「そ、そうか! 最初からそう言えば良いのに! 副王か……良いな……そして将来は私の娘をリョマノフに嫁がせて……」
今やマカーコフの顔は、笑み崩れていた。どうやら彼は新たな地位を思い描いているようだ。
随分と簡単に引っ掛かったが、これはシノブ達の作戦勝ちだろう。シノブ達は、最初わざとマカーコフを追い詰めた。その上で、彼が魅力的に感じる案を提示したのだ。
そのためマカーコフは、リョマノフの示した案を良く確かめずに飛び付いたに違いない。
「と、ところでリョマノフ、その……疑うわけではないが、宣誓と署名をしようではないか。ここにはエウレア地方の者達がいるから、彼らに証人となってもらおう。
王と副王が宣誓をするのに、相手が君主ではないのは残念だが仕方ない。とはいえ、これだけの高位の者達がいるのだ。どうかな?」
マカーコフは、念の為に証人をと言い出した。未だ彼は浮かれており、リョマノフの仕掛けた罠に気付いていないようだ。しかし、それでも多少の計算が出来る理性は残っているらしい。
「ならば私が証人となろう。私はアマノ王国の国王シノブ・ド・アマノ……そしてアマノ同盟の盟主でもある。証人に不足は無いだろう?」
『私は『光の盟主』シノブさまを支える竜です』
姿を現したシノブは、アミィを従え歩み出す。その脇には、人間と同等の大きさになったオルムルが僅かに浮遊しつつ続いていた。
このためにシノブ達は控えていたのだ。
地位に拘るマカーコフなら、より上位の者がいれば場を収めることが出来る。そして場の雰囲気に流されるだろう、と。そのためシノブは王であると同時に多国間同盟の盟主であると口にしたわけだ。
オルムルを伴ったのは箔を付けるためだ。国交も無いから王と証明するのは難しい。しかし竜を連れていれば別格の存在と示せると、シノブは思ったのだ。
シノブは敢えて大量の魔力を放出する。そのため彼は、微かに金色の光を纏っていた。
このように力を見せ付けるのは、シノブの好むところではない。とはいえ今回は早く決着を付けたかった。今、この瞬間にも鋼の像に取り憑かれた人が増えているかもしれないからだ。
オルムルは、どうも不機嫌なままらしい。彼女は昨晩のリョマノフとの対面とは違い、自身の名を告げなかった。どうやら彼女は、マカーコフへの嫌悪が収まらないようだ。
「あ、アマノ王国の王!? ひ、光って!? そ、それに、竜が!?」
「叔父上、宣誓は?」
恐慌を来したマカーコフに、リョマノフが苦笑いしつつ言葉を掛ける。
シノブ達の登場により完全に毒気が抜けたマカーコフは、一時的に太守を退くという宣誓をした。そして事前に用意した宣誓書にも、彼は署名した。
しかしマカーコフが正気に戻るまで、若干の時間を費やした。そのためシノブ達の出現で省けた手間は、さほど大きくなかったかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
副王になれると信じたマカーコフはペルヴェンに戻り、一時的な引退と代行をリョマノフにしたことを宣言した。そして彼は、再びゼーアマノ号に戻る。
マカーコフの翻意や暴走を案じたリョマノフは、彼を暫く預かってほしいとシノブに願ったのだ。確かに海上に隔離してしまえば危険は大きく減ずる。そこでシノブ達は、マカーコフを饗応という名の監禁で遇することにした。
そしてシノブ、アミィ、オルムルは双胴船型の磐船アマノ号へと乗り込む。もちろんリョマノフや従者達、そしてペルヴェンの守護隊も連れてである。
『それではエレビスという街に向かいます』
『一時間ほどで着くでしょう』
岩竜ヨルムと炎竜イジェがアマノ号を持ち上げ、昼前の空に舞い上がる。ついに準備が終わり、王都エレビスへと赴くのだ。
「お、本当に飛んだ!」
「無駄口を叩くな! 良いか、王都に着いたらだな……」
ペルヴェン守護隊の者達は、空に浮かんだ巨艦に驚嘆する。しかし戦いの時まで僅かだ。ざわめく彼らを上官達が叱責する。
──ここの空も気持ちいいですね!──
オルムルは、母のヨルムの斜め上、魔法の家の真上を飛んでいる。そして光翔虎の子フェイニーやオルムル以外の子竜も、アマノ号に寄り添い飛翔している。
──オルムルさんには負けませんよ~!──
──私もオルムルお姉さまのようになります!──
フェイニーに続き、炎竜の子シュメイが思念を発した。どうも彼女達は、昨晩オルムルが先行したのが不満らしい。
──早く一緒に飛びたいです!──
甲板の上では最年少の炎竜の子フェルンが羨ましそうに見つめつつ跳ねている。まだ生後二ヶ月半の彼は、飛翔できるといっても極めて短距離だ。そのため長距離移動の際は、このように練習をするのが常である。
甲板を跳ねるフェルンを、ナタリオとシルヴェリオが微笑ましげな顔で眺めていた。二人は戦闘にも加わるつもりらしく、数名ずつ配下を連れている。
それにアルバーノや部下も乗り込んだ。彼らはエレビスを訪れたことはないが、東域の調査担当だから他より多くの知識を持っており選抜は当然である。
カルロスとジェドラーズは船団を指揮するため残っている。この二人まで同行すると、船団に通信筒を所持している者がいなくなってしまうからだ。
「リョマノフ殿下……申し訳ありません」
そして舳先に近い甲板に、老いた豹の獣人が跪いていた。彼がラドロメイ、都市ペルヴェンの守護隊司令官にしてエヴォスン家の重鎮、そしてリョマノフの剣の師の一人だ。
それを少し離れた場所で、シノブとアミィが見つめている。
シノブがラドロメイから受けた印象は、端的に言えば老剣客である。落ち着いた表情に自然な動作、しかし全く隙が無い。それこそ跪礼で頭を垂れている最中でも。
「何がだ? こちらこそ急に呼びつけて済まなかったな」
敢えてだろう、リョマノフは軽い口調で答えた。
高速で飛翔するアマノ号の甲板だ。獅子の獣人であるリョマノフの柔らかな金髪は大きく靡き、彼の顔に掛かる。しかし若者は自身の髪を払わない。金のヴェールが内心を隠してくれるからだろうか。
「我らが反逆者にならないよう、殿下は手を打ってくださった。我らは刃……己の意思で動いてはならぬ、心持つ刃……この老いぼれの信念に、殿下は……」
リョマノフとマカーコフのやり取りを、ラドロメイも別の船室で放送の魔道装置により聞いていた。そのためラドロメイは、リョマノフが合法的に太守の権限を得るため腐心したと知っていたのだ。
「……何のことだ? 俺は欲深なマカーコフ叔父を、この機会に排除したかっただけだぜ? ……それに父上や兄上が正気に戻ったときにビックリさせちゃいけない、と思ったのさ」
リョマノフが回りくどい手段を用いたのは、後半に関係していた。
事件の終結後、自身が君主となるならラドロメイや彼の部下に昇格や褒賞を確約できる。しかし父や兄がどう思うか判らない。おそらく褒めてくれるだろうが、責められる可能性は確かにあった。
太守に従うのがラドロメイ達に与えられた役目だ。国を思ってとはいえ、脱法行為をすることになる。そのためリョマノフは、ペルヴェン太守の権限に拘った。指揮権を持つ者に従っただけなら、ラドロメイ達が罪に問われる可能性は低いからである。
「殿下……」
「何を恩に着ているのか判らないが、もうすぐ戦いだぜ? まあ、大半はシノブ殿にお任せするんだが……とはいえ任せっきりじゃ『エレビアの豹』の名が泣くぜ!」
顔を上げぬままのラドロメイを、リョマノフが無理やり立たせた。そして若者は、老武人に気合を入れるかのように、勢い良く肩を叩く。
「ええ……『エレビアの若獅子』に負けぬよう働きます」
「その意気だ! 幾ら『光の盟主』シノブ殿とはいえ、頼りきりじゃエレビア武人の名折れだぜ!」
ラドロメイの表情が和らいだからだろう、リョマノフは満面の笑みを浮かべる。そして二人は、揃って舳先へと向き直る。
「お二人の……そして皆さんの力、頼りにしていますよ」
「はい! 一緒に邪術と戦いましょう!」
シノブとアミィも前に進む。するとリョマノフ達は振り向き、晴れ晴れとした笑顔で応える。
互いを思い、助け合いつつ歩む。この二人は、そうやって来たに違いない。
自分達も同じだ。多くの者が手を取り合い、エウレア地方は協調の時代へと入った。それはアスレア地方にも広がるに違いない。
ここにも変わらぬ人の心がある。その人の心を変質させる術を、許すわけにはいかない。シノブは眩しい陽光を浴びながら、エレビスを襲いつつある悲劇を一刻も早く払拭しようと決意した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年11月13日17時の更新となります。