19.19 東の王国 後編
四人の不審者、獅子の獣人の若者リョマノフと従者達。どうやら密航を企てたようだと、士官ダトスは続けていく。
対するナタリオ達の表情は、ますます怪訝なものとなっていく。
東域探検船団の旗艦ゼーアマノ号の司令官室には、現在ナタリオとダトス以外に、三人がいる。カンビーニ王国の王太子シルヴェリオ、ガルゴン王国の王太子カルロス、そして元アルマン王国の王にして現在はアルマン共和国の先代伯爵格であるジェドラーズだ。
船団を率いる者達にはシノブから東域に関する情報が伝えられていた。そのためナタリオ達は、ここエレビア王国にリョマノフという名の王子がいると知っていたのだ。
「こちらに灯りの魔道具があると思わなかったのか、彼らは小船で真っ直ぐ近づいてきまして……」
ダトスは不審者に呆れているようだ。
リョマノフ達は手漕ぎの船で東域探検船団へと迫った。彼らは都市ペルヴェンの港で漁師から買い上げた小船で、4kmほど沖の船団を目指したのだ。
闇夜に乗じてだが、見張りはおり接近すれば見つからぬ筈もない。しかしリョマノフ達は何を考えているのか、船団の一隻に触れそうなところまで漕ぎ寄せた。
「幾ら若いとはいえ……」
ダトスは微かに首を振った。
ちなみにダトスは十九歳、ナタリオより二つ年上なだけだ。したがって彼自身も若者だが、無謀としか思えないリョマノフ達の行動には呆れるしかないようだ。
「やはり、ただの密航者では……」
「ええ、怪しいですね」
「これは一層……」
シルヴェリオ、カルロス、ジェドラーズの三人は、ナタリオの背後で密かな囁きを交わす。この三人には事前の情報があるから、ダトスとは違った感想を抱いたらしい。
「密航者達に会う。……乱暴していないだろうな?」
「はい。無抵抗なので縛り上げず、武器を取り上げ懲罰房に入れました……ナタリオ様、何か問題がありましたでしょうか?」
ナタリオの問いに、ダトスは首を傾げた。彼は司令官達の様子を訝しく思ったようである。
エウレア地方ではアムテリアや従属神への信仰が極めて強い。そしてアムテリア達は奴隷と同様に虐待を禁じていた。
したがって軍人達も密航者だからといって痛めつけはしないし、それはナタリオも良く知っている筈だ。それなのに何故問うのだろう。そんな疑問が青年士官の顔に浮かんでいる。
「実は、この国の第二王子はリョマノフという」
ナタリオは表情を緩めていた。それにシルヴェリオ達三人も同様に顔を綻ばせる。
何しろ相手は王子かもしれない。密航を企てたのだから武器を奪い牢に入れたのは当然としても、手荒な扱いをしたら後々拗れる。おそらく四人は、そのようなことを考えたのだろう。
「ええっ!? 王子様ですか!?」
「大丈夫だ。昼に聞いただろう? こちらの法でも目的を告げず接舷してはならない、と。だから、拘束は当然だ」
驚くダトスの肩を、笑みを浮かべたナタリオは軽く叩く。
昼間、ナタリオ達はペルヴェンの太守マカーコフの一行を船上に招き会談をした。したがって、ここエレビア王国の船舶に関する決まり事は理解しているし、ダトスを含む乗組員にも通達している。そして今回の拘束は、エレビア王国の法でも正当な行為である。
「そ、そうですね……でも、この愚か者が、と言ってしまいました……」
「そのくらいは大丈夫ですよ。実際に愚かしく映る行動ですから……さあ、行きましょう」
顔を引き攣らせたダトスに、シルヴェリオが微笑みかけた。そして彼らは足早に司令官室から歩み出る。
何を考えて乗り込もうとしたのか興味深い。そう感じたのだろう、ダトス以外の四人は楽しげな笑みを浮かべていた。
◆ ◆ ◆ ◆
懲罰房に赴いたナタリオ達は、簡単に自己紹介をする。
この船団がエウレア地方から来たことやエウレア地方を構成する国々については、拡声の魔道装置でも明らかにしていた。そのためナタリオ達四人は、それぞれの所属国と身分だけを口にした。
リョマノフ達も昼間どこかで聞いていたのだろう、驚く様子は無い。ダトスは彼らに、ここが旗艦だと教えていた。そのためリョマノフ達は、総司令官のナタリオや各国の代表者達が集っているのも当然だと受け取ったのだろう。
ちなみに場所は懲罰房から移していない。
しかしゼーアマノ号は完成してから僅かで、更に旗艦だけあり乗組員も規律正しい。この房も使われたことが無く綺麗なままだから、リョマノフ達も不満はないようだ。
「リョマノフ殿、貴殿はエレビア王国の第二王子なのでしょう?」
自己紹介を済ませたナタリオは、獅子の獣人の若者リョマノフに問い掛ける。
リョマノフと三人の従者が席に着き、ナタリオ達は立ったままだ。ナタリオの横にシルヴェリオ、後ろにカルロスとジェドラーズ、更にダトスなど数名の士官が続く形だ。
「どうしてそれを!?」
問われたリョマノフは、ニヤリと笑っただけで返答しなかった。代わりに声を上げたのは、ヨドシュという猫の獣人の老人である。
どうもヨドシュはリョマノフに次ぐ地位らしく、身なりも上等だ。彼は随分と姿勢が良く、どことなく品がある。
「間者が?」
「おそらく……」
残りの二人、三十前の男達が密やかに言葉を交わしている。
こちらは武人だと明らかであった。人族に豹の獣人と種族は違うが、どちらも隆々たる筋肉の大男だ。
なお、エレビア王国の人々はエウレア地方の人々に比べて肌の色が濃い。しかし彫りの深い容貌は、多少の地域差を感じるものの大よそ似てはいる。
彼らは、南のアフレア大陸の人々のように黒髪ではなかった。リョマノフやヨドシュは金髪、護衛の豹の獣人も金の地に黒の斑、人族は栗色の髪だ。どうもアスレア地方全体が、そのような傾向らしい。
「名前と年齢、種族が一致しています。それにエレビア王の手の者と言うのですから……」
「事前に情報を仕入れていましてね。我々も、いきなり姿を現したわけではないのですよ」
ナタリオに続いたのは、銀髪の獅子の獣人シルヴェリオである。
ちなみにカルロスとジェドラーズは人族、ナタリオは虎の獣人だ。つまり双方共に人族と南方系の猫科の獣人で、何となく似た組み合わせではある。
「なるほど……これは話が早い。その通り、私はエレビア王国の第二王子リョマノフ・ズビネク・エレビアです」
リョマノフの口にした名は、アスレア地方だと一般的な形式だ。最初は本人を示す名、次に父の名、最後は家名である。
しかしリョマノフの父は国王と同じズビネクという名で、しかも家名は国名だ。これは王家以外にあり得ない名であった。
「こちらが侍従のヨドシュ、イゾーフとズーザフは護衛武官ですよ」
リョマノフは、まずは隣のヨドシュ、更に人族と豹の獣人を指し示す。そしてヨドシュ達は、リョマノフの言葉に合わせて頭を下げていく。
「早速の御開示、ありがとうございます。大変恐縮ですが、何か証となるものをお持ちでしょうか?」
礼を述べたナタリオだが、流石に言葉だけで信ずることはなかった。
目的が何であれ、いざと言うときに身分を示すものくらい持ち歩いているだろう。おそらくナタリオは、そう考えたに違いない。
「私が持っていた小剣ですが、柄革の下に王家の紋があります。正体を隠すため、外装は旅の者に相応しくしましたが……」
リョマノフの言葉を聞き、士官の一人が懲罰房から飛び出した。もちろん没収した剣を確かめるためだ。
◆ ◆ ◆ ◆
リョマノフの小剣にはエレビア王家の紋章の象嵌があった。象嵌は精巧な造りで、しかも王家の紋の所持は王族にしか許されない。
したがってリョマノフが王族である可能性は非常に高い。それに彼には独特の魅力というか常人ではないと思わせる何かがある。そのためナタリオ達も、彼の言葉を信用することにしたようだ。
ナタリオや共に来た三人は、リョマノフ達を連れ再び司令官室へと戻る。もちろん没収した武器などは返却済みだ。
普通なら無用心な振る舞いだが、ジェドラーズを除く三人は国有数の武人だ。更にジェドラーズも魔力に富んだアルマン王家に生まれた、いわば大魔術師である。
それに加え司令官室には腕自慢の士官達が控えている。これで相手から剣を取り上げるのは恥ずかしいと、ナタリオ達は考えたらしい。
もっともリョマノフ達は大人しいものだ。
リョマノフは勧められたソファーに腰掛けると剣を随分と離して置いた。それにイゾーフとズーザフは、士官達に剣を預けてから主の後ろに立つ。ちなみにヨドシュは懐剣だけで、そのままリョマノフの隣に腰を降ろす。
そして紳士的な態度だからであろう、すんなりと話は進んでいく。
「兄のシターシュ、王太子は私と違いましてね。頭が良く、古文書を調べたり新たな魔術を工夫したりと……。まあ、今は王が剣を振るう時代でもない……と思っていたのですが」
リョマノフは、ざっくばらんな口調で語っていく。これは、普段通りにしてくれとナタリオが言ったからである。
ダトス達が捕らえたとき、リョマノフは随分と砕けた言葉遣いだったらしい。随分と演技が上手いと評したナタリオに、これが地だとリョマノフは答えた。そこでナタリオは遠慮無用としたわけだ。
歳もナタリオが一つ上というだけだ。それに飾らぬ言葉の方が、相手を見極められる。ナタリオは、そんな風に思ったのかもしれない。
「何かあったので?」
「ええ。兄は妙な古代魔術の再現に熱中して……。少し長い話ですが……」
ナタリオの問い掛けに、リョマノフは渋い顔で頷いた。そして彼は、まずエレビア王国の歴史について語りだした。
エレビア王家の源流は国外、現在はキルーシ王国となっている一帯だ。そこには大よそ六百五十年前から百年ほどヴァルーシ王国という国が存在し、そのヴァルーシ王家の子孫の一つがエレビア王家である。
もっともヴァルーシ王家の末裔はエレビア王家だけではない。最後の王太子の子孫がエレビア王家、王太子の弟の裔がキルーシ王家だ。
ヴァルーシ王家は、侵略者『南から来た男』との戦いを制し建国した。この『南から来た男』の一団は、非常な暴虐を振るったらしい。そのためヴァルーシ一族は英雄の血統として尊ばれ、後々も王や大領主として担がれることが多かったようだ。
しかしエレビア一族は、二百年ほど前にキルーシ王国が誕生すると国を追い出された。どうも初代のキルーシ王が、嫡流に当たるエレビア一族を嫌ったらしい。
そのためエレビア一族は南西の半島、現在のエレビア半島へと逃れたが、大人しくはしていなかった。彼らは半島を制そうとしたのだ。
結局五十年ほどでエレビア一族は半島を統一し、今から百四十九年前の創世暦852年にエレビア王国が生まれた。
「……ご存知でしたか?」
一息入れたリョマノフは、ナタリオ達の表情を窺う。周囲を囲む士官達とは違い、向かい側に座るナタリオ達四人の顔に大きな動きはなかったからだ。
「ええ、大筋は」
「ですが参考になりますよ」
ナタリオとシルヴェリオも相手同様に飾らぬ言葉で応じた。
リョマノフに心を開いたのもあるだろうが、このくらいならエレビア王国でも多少歴史を学んだ者なら知っていることだ。つまり先行して諜報担当を上陸させ、知識人と接触させれば簡単に掴める。
そこで二人は、こちらが内情を充分に知っていると示すことにしたらしい。
「それは失礼を。そんなわけでエレビア王家にはヴァルーシ由来の古文書があって……まあ、昔のことを調べているだけなら良いのですが、兄は兵器になりそうなものを見つけ、それに父も興味を示し……。
今では二人でキルーシを攻める密談まで……父祖の地を取り戻す、と。そんなわけで叔父のマカーコフの力を借りようと思ったのです。正確には叔父の持つ兵を、ですがね」
リョマノフ達の先祖は、ヴァルーシ王家の最後の王太子だ。したがってエレビア一族はヴァルーシ王家の秘文書も数多く所持していたのだ。
もっとも秘文書は完全なものではなく、しかも少なくとも五百五十年前に記されたものだ。文書だけ残っていても記された魔術や魔道具を見た者などいないから、これまで術や道具の復元は成功しなかった。
だが、シターシュは天才的な魔術師で更に魔道具技師としての腕も良かった。そのため彼は失われた術を再現したという。
「リョマノフ殿はキルーシ王国を征服してやろうとは思わなかったのですか? 貴方は武人、それに随分と腕も立つようです。戦が始まれば大きな功績を得られるでしょうに」
「そうですな。兄を助けてキルーシ王国の一部に大領を得る。普通なら、そう考えるのでは?」
カルロスとジェドラーズが、どこか探るような視線をリョマノフに向けた。
彼らは今まで若い二人、十代後半のナタリオと二十代前半のシルヴェリオに任せていた。カルロスは三十過ぎ、ジェドラーズは四十前と相手より随分と年長だからであろう。しかし今の話を、カルロス達は放っておけなかったようだ。
数ヶ月前の西海の戦いで、二人の国は旧帝国の残党が操る魔道具で大いに苦しめられた。それに、かつてのアルマン王国は先祖が住んでいた場所で栄えるメリエンヌ王国を敵視していた。おそらくカルロスやジェドラーズは、それらを想起したに違いない。
過去に囚われすぎて未来を誤っては。二人の顔に浮かんでいるのは、そんな懸念のようだ。
「ご冗談を。キルーシ王国は十倍以上も広い。仮に一時は王都を抑えて併合しても、長く従えるのは無理でしょう。こちらに正義があり、向こうが民を虐げでもしたなら別ですが。
……そんなこともあり、私は叔父のマカーコフを動かそうとしたのです。叔父は欲深ですが、私の父やラジミール叔父への嫉妬は本物ですからね。上手いことを言えば兵を貸してくれるのでは、と」
「その……リョマノフ様は、エレビア王国のためを思って動かれているのです。
マカーコフ様は三男だからでしょう、長男の陛下や次男のラジミール様への反感をお持ちです。しかし、それはペルヴェンという辺地に置かれたことも大きいのです。それにリョマノフ様はマカーコフ様と母方……エヴォスン家でも縁がありまして」
リョマノフの率直な表現を取り繕おうと思ったのか、側近のヨドシュが口を開いた。
マカーコフの母は先王の第二妃ダシュヴァだ。更にダシュヴァの妹の子サチュヴァも現国王ズビネクの第二妃となった。そして、このサチュヴァがリョマノフの母である。
ズビネクの生母は先王の第一妃リルヴィカだから、ダシュヴァはリョマノフの祖母ではない。そのためリョマノフからするとマカーコフは父方で叔父、母方で大伯母の子となる。
ヨドシュは明確に言わなかったが、どうもリョマノフ達が本当に頼りにしているのは、この母方のエヴォスン家の繋がりらしい。
「どうやって叔父を釣るか、やはりエヴォスン家に顔を出して……と思っていたところ、この大船団が来たわけで。おそらく叔父は貴方達を独占しようと動く。ならば、先んじて口説き落とすのが良策では、と」
「素直に兄上を説得するのでは駄目なのですか?」
ナタリオは賢いという兄王子シターシュなら、諫めたら聞き入れるのでは、と思ったようだ。
わざわざエレビア王国の中で内戦をしなくても、とナタリオが思うのは当然であろう。シルヴェリオ達も、同感といった顔をしている。
「それが、兄は復元した魔道具……鋼の像に取り憑かれたようで……」
苦々しげなリョマノフの言葉に、ナタリオ達は大きく表情を変えた。
ナタリオ達は既に木人を見ている。それにキルーシ王国の地下遺跡に同様に木人術を悪用した青銅像があったことも、彼らはシノブから教わっていたからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
鋼の像は王太子シターシュが過去の文献を元に作成したもので、古代の遺物ではなかった。
そもそも彼らの祖であるヴァルーシ王家も実物を所持してはいない。おそらくは『南から来た男』との戦いの間に、何らかの経緯で術の一端を知ったのだろう。
ちなみにシターシュが再現した鋼の像は、木人術とも少し異なると思われる。どうも像に憑依した者の精神に影響を及ぼすらしいのだ。
精神への影響が元々の術によるものか、『南から来た男』が異神から得た知識で改変したからか。あるいはシターシュの再現方法に問題があったのか。それは不明であった。
リョマノフは兄に生じた異変から察しただけで、しかも彼は異神のことなど知らないからだ。
「私も兄を諫めたのですが……無駄でした。逆に秘密を知った以上は協力しろと迫る有様で……。父も鋼の像を試してからおかしくなるし……」
「リョマノフ様は、このままでは危うい、と王都を脱したのです。
……今のところ鋼の像については、陛下と王太子殿下、親衛隊しか知りません。量産自体は容易らしいですし、魔術師として優れていなくても動かせるようです。ですから早晩、何百もの鋼の戦士が誕生することに……その場合、彼らの精神も蝕まれるでしょう」
リョマノフとヨドシュは、顔を大きく歪めていた。
鋼の像の軍団であれば、刀槍や弓矢など通じないだろう。仮に木人術と同様なら、憑依者は何kmも向こうに控え、鋼の像で敵を蹂躙すれば良い。
これでは並の軍隊だと太刀打ちできない。国土全体を抑えるのは困難でも、都市など特定の場所を制圧するくらいは容易であろう。
そして憑依を重ねると、徐々に好戦的になっていくらしい。元々は穏やかで賢明なシターシュも、今では立派な開戦派になってしまった、とリョマノフは明かす。
「事情は良く判りました。ですが、これではエレビア王国への介入を回避できません」
「他国への干渉はしない、と? 失礼ですが、エレビアとキルーシの戦いになれば、穏やかな国交や交易どころではありませんよ?
この二国を無視して進むにしても、中継地点となる良港が使えないのは痛手でしょう。それに父や兄はアゼルフ共和国にも手を出すかもしれません」
改まった表情のナタリオに、リョマノフは協力を断られるのかと思ったようだ。彼は矢継ぎ早に東域探検船団にとってもエレビアの平穏が益になると並べ立てた。
「仰ることは理解できます。ですが、私は国交樹立と交易開始のための大使で、戦への関与を判断する権限はありません」
「では、一旦国に戻られると?」
リョマノフの肩が大きく落ちた。隣のヨドシュや背後の護衛達も同様だ。
おそらくシターシュ達の変貌は急速に進行しているのだろう。往復がどれだけになるか判らないが何週間も経てば鋼の兵団が完成し、そのときには対抗が難しくなる。
リョマノフ達はマカーコフを動かすだけと考えていた筈だ。それに結局は自国の問題であり、船団が去るからといって強要は出来ない。しかし、これだけ高度な技術を持つ大船団を見てしまっては残念に思うのも無理はないだろう。
「いえ、そうではありません。貴方を我が主と会わせましょう。ああ、心配なさらずに。時間は掛かりませんから……」
ナタリオの言葉に、リョマノフは首を傾げた。この船団の最上位者はナタリオで、彼の主君は同乗していないと聞いていたからだ。
しかしリョマノフの懸念は、すぐに晴れることになる。その代わり、新たな疑問や驚きが多数生じたかもしれないが。
◆ ◆ ◆ ◆
「私がアマノ王国の国王シノブ・ド・アマノだ」
『私は岩竜オルムル……『光の盟主』シノブさまを支える光の竜です』
曇っているのだろう、僅かな星明かりのみが照らすゼーアマノ号の後部甲板に、シノブとオルムルの声が響いた。
そこには光の神具を身に着けたシノブと、4mを超える本来の巨体を現したオルムルがいる。一人と一頭の背後には、ナタリオを始めとする船団の統率者達が並び、向かい側にはリョマノフ達四人だ。そして遠方では乗組員達が彼らを見つめている。
ナタリオがリョマノフとの話を終えてから、まだ三十分も経っていない。
現在マリィとソニアなどがキルーシ王国の王都キルーイヴに、ホリィとセデジオ達がアルバン王国に潜入している。そしてキルーイヴからペルヴェンまでは600kmほどだ。
そこでシノブはマリィに頼み魔法の家をキルーイヴ近郊に呼び出してもらい、そこからオルムルに乗って連続転移で飛翔した。この方法なら二十分もあれば到着できるのだ。
「貴殿が本当にエレビア王国を憂うのであれば、私の前で証を立ててくれ」
『真の平和を望むなら、私と戦いなさい!』
シノブとオルムル、どちらもリョマノフへの言葉だ。しかし感情を出さないシノブ、切り裂かんばかりに鋭いオルムルと対照的である。
オルムルが戦うことになったのは理由がある。異神の邪術が蘇ろうとしていることに、彼女は激しく憤ったのだ。
エレビア王国には初代皇帝の生み出した青銅の像と同様の術があり、それは人を狂わせるものだという。しかも事態は急を要するらしい。
そこでシノブはリョマノフの人物を確かめようと思った。もちろんシノブは自身で試すつもりだったが、オルムルは自分が見極めたいと言ったのだ。
竜は人の強い意思を感じ取れる。それ故オルムルは、自分がリョマノフの真意を確かめると願い出た。
そこで自身がいつでも介入できる状態なら、とシノブは譲った。魔力障壁で船上を完全に封じているシノブだ。その気になれば、一瞬にしてリョマノフの動きを止めることが可能であった。
「りゅ、竜と戦うですと!? リョマノフ様、幾らなんでも無理です!」
ヨドシュはリョマノフに縋り付いて留める。オルムルの威圧故だろう、彼の顔からは完全に血の気が引いている。
「爺……俺は戦うぜ。たとえ俺が死んでも、竜が味方になってくれたらエレビアに夜明けが来る。まあ、出来れば海上交易をしてみたかったけどな」
リョマノフは静かな声音で年老いた侍従に答え、彼の腕を振りほどく。
ナタリオ達との会談でリョマノフは、第二王子の自分は何らかの形で国外に出たかったと語った。マカーコフのように兄王を妬み過ごすのは嫌だ、と。
臣下や商人としてキルーシ王国との交易を発展させるのも良いし、向こうに婿入りして架け橋となるのでも良い。ただ、後者だとしても海岸沿いの領地を得て、自身の代わりに他国と交流する者達を育てたい。せっかく半島という航海に適した地にありながら、その中で汲々とするのは馬鹿げている。
リョマノフは、そうナタリオ達に語ったのだ。自身が犠牲となって国が大きく羽ばたくのなら、それで彼は満足なのだろう。
「良い覚悟だ。ここは私の魔力障壁で保護している。武術でも魔術でも、好きに使うが良い」
冷然とした声を発したシノブは、続いて岩弾を生み出し四方に放ってみせる。
十を超える岩塊は猛烈な速度で飛び出した。しかし何も無い宙や甲板で跳ね返り、合わせてシノブが出現させた光鏡に吸い込まれていく。
「この通り。甲板にも傷は無いだろう?」
「あ、ああ……」
これにはリョマノフも驚いたらしい。後ろではヨドシュ達も絶句している。
人の頭ほどもある大きさの岩弾が矢よりも早く突き進み、それで何も起こらないどころか消え去った。初めて見る者にとっては衝撃的な出来事だろう。
「……オルムル殿、参る!」
驚きから覚めたのだろう、リョマノフはオルムルに向かって駆け出した。獅子の獣人に特有のフワリとした彼の髪が、後ろに大きく靡き金色の流星のようだ。そして彼は疾駆しながら、腰に佩いた小剣を抜き放つ。
それは僅かに反った湾刀であった。柄は短く片手持ち、手前には細い護拳があるものだ。地球であればサーベルやシミターなどと呼ばれるものが近いであろうか。反りは緩く刀身は細い。その辺りは日本刀と似てもいる。
「刃が通らない!? だがっ!」
驚愕したリョマノフだが、手を緩めず何度も切り付けていく。しかしオルムルには通じず、それどころか彼女は微動だにしない。
既にオルムルの肌は魔獣の爪や牙ですら軽々と防ぐ。現にリョマノフの鉄をも切り裂くような斬撃は、何れも弾かれている。
子竜の肌は普段は柔らかにすら感じるが、それでも鋼の刃など通らない。ましてや魔力を込めれば極めて一部の例外を除いて傷付けることの出来る者などいない。
『それで全力ですか!?』
「うわっ!」
おそらくオルムルは、魔力障壁を展開したのだろう。リョマノフは大きく弾き飛ばされた。しかし彼は宙で体勢を整えると、見事に甲板に降り立つ。
『この地の運命が懸かっているのなら、死ぬ気で来なさい!』
「言われずとも! これでもエレビア一刀流は修めたんだ!」
叱咤するオルムルに、リョマノフは流星のような飛び込みと共に突きを放った。切りつけたのでは敵わない。ならば精魂篭めた突きで突破を、と考えたのだろう。
かなりの身体強化をしたのだろう、リョマノフの突進と同時に甲板の上に突風が巻き起こる。
「王家の名刀が!」
「通らぬか!」
リョマノフの護衛達が悲鳴を上げた。リョマノフの突きは弾かれたのだ。しかも、彼の刀は真ん中から真っ二つに折れていた。
「まだだ! 刀が折れようが手足がある!」
血を吐くような叫びと共に、リョマノフは得物を投げ捨てた。そして若き獅子の獣人は、オルムルに拳を打ち込もうとする。
リョマノフは素手の武術も高度な域に達しているらしい。しかし相手は幼いとはいえ竜である。
「な、何だ!? 動かない!」
リョマノフの動きが唐突に止まる。オルムルが彼を魔力障壁で包み込んだのだ。
『リョマノフさん、貴方の心は充分に届きました……これも直しましょう』
オルムルは唐突に強烈な光を発した。それは光の神具やシノブが大きな魔力を込めたときの輝きに似た、神々しさを感じる光であった。
シノブとの絆が強いからか、あるいは光竜の名を得たからか。理由はともかく、オルムルがシノブの影響を受けているのは間違いないようだ。
「お、俺の刀……」
宙を浮いて戻った自身の刀を、リョマノフは夢見心地な顔で受け取り、更に押し戴く。
折れた刀は元通りとなっていた。いや、刀は更に清冽な輝きを宿しているようでもある。
「私も君を認めよう。……オルムル、ご苦労様」
『私は光竜オルムルですから!』
シノブが前に進み出ると、オルムルは人間ほどに小さくなって彼に頭を擦り寄せる。
オルムルは既に普段の愛らしい子竜へと戻っており、先ほどまでの恐ろしさなど消え失せている。しかし彼女は、今も柔らかな微光を纏ったままで神々しくもあった。
「シノブ殿……竜すらも従えるお方……」
「オルムルは友達だよ。心を開けば、きっと君達も仲良くなれる」
激しい疲労からか片膝を突いたリョマノフに、シノブは静かに語りかける。そのとき雲の一部が切れたのか、シノブとオルムル、そしてリョマノフへと月光が降り注ぐ。
清らかな光を放つ竜。並び立つは光の神具を着けた若き王。その眼前には刀を捧げ持ち跪く若者。それは、さながら騎士の誓いのようであった。
おそらく全ての者が同じ思いを抱いたのだろう。まるで波が広がっていくかのように、船上にいる者はリョマノフ同様に身を低くしていた。
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次回は、2016年11月11日17時の更新となります。




