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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第19章 新時代の旗手
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19.18 東の王国 中編

「シノブ。こちらでは久しぶりですね。アミィも元気そうで何よりです」


 霧に似たものが漂う場に、女神アムテリアの声が響く。

 女神を包むのは、常と同じ陽光のような力強くも優しい輝きだ。緩やかな曲線を描き流れる金糸のような髪。白く(つや)やかな肌、そして身に(まと)う純白の長衣。それらは(きら)めきに彩られているようでもあり、逆にそこから光が生じているようでもある。


「母上……」


 母なる女神の声と周囲の様子から、シノブは彼女が夢に訪れたと悟った。しかしシノブは、僅かな疑問を(いだ)く。


 最近シノブは、日々アムテリアと神々の御紋で会話している。現に、昨日も御紋で話したばかりだ。

 それなのに何故(なぜ)夢の中に。御紋では日常のこと、アマノ王国やエウレア地方のこと、東域や南方への探検についても触れている。敢えて夢に現れてまで告げることとは何だろうか。怪訝に思ったシノブは、母と慕う女神の美貌を注視する。

 神秘の輝きを宿したエメラルドの瞳に優しい微笑みを浮かべる薄桃色の唇は、いつもと同じだ。しかしシノブは、彼女の(おもて)に僅かな憂いが宿っているような気がしていた。


「アムテリア様、何か異変が生じたのでしょうか?」


 アミィもシノブと同じことを思ったようだ。彼女の声は不安げなものとなっている。

 夢の世界に呼ばれたのは、シノブとアミィだけのようだ。どうやらアムテリアは、よほど重大なことを告げに来たのらしい。


「驚かせてしまいましたね。実は、バアル神の侵入の経緯が少しだけ判明したのです」


 アムテリアは、シノブとアミィを抱き寄せる。

 普段は御紋を通しての会話だから、アムテリアがシノブ達と触れ合うことはない。そのためだろうか、彼女の抱擁は暫く続く。


 シノブも逆らわずに身を任せる。我が子と呼ぶ女神に(いだ)かれる。それはシノブにとって彼女に対する感謝の表現でもあるからだ。

 既にシノブは、アムテリアを精神的な意味での母としていた。そのため今のシノブは、気恥ずかしさを殆ど感じない。

 そこでシノブはアミィと共に、アムテリアの腕の中で続く言葉を待つ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「バアル神の一族は、過去に私の一族と接したようなのです。彼自身ではなく眷属神……いえ同格の存在かもしれません」


 アムテリアはシノブとアミィから少し身を離した。しかし彼女は二人の肩に手を置いたまま語っていく。


 神々の遭遇は地球でのことだという。しかもアムテリアの口にした一族とは、彼女が従属神として連れて来た神々ではないそうだ。


「地球を離れた神に帰還は許されません。そのため私達は神域を通して地球を眺めているのです。

ですが、あの子は禁を破って地球に赴きました。男の子だからか昔から突飛なことばかりして……もう治まったと思っていたのですが……」


 自身の一族である神について、アムテリアは詳しく触れなかった。彼女の言葉からすると男神(おがみ)、そして目上ではなさそうだが、地球での神名には触れない。


 アムテリアや従属神達も、地球での名を口にしない。おそらく神々は、この世界の存在となったときに過去の名を秘すと決めたのだろう。あるいは更に上位の神が定めたことかもしれない。

 シノブはアムテリア達の素性について、多くは確信しているし残りも殆ど間違いないという域に達してはいる。だが、それが神々の定めることならば、と問うたことはなかった。

 そのためシノブは、男神(おがみ)についても詳細を聞かぬことにする。


「あの子は地球を自身の惑星創造の参考にしようと、各所を巡ったそうです。そのとき、バアル神の一族と出会ったとか」


 男神(おがみ)は、アムテリアと同様に惑星を任されるほどの功績を残したものであった。

 アムテリアが従属神としたのは六柱だけだ。したがって日本由来の神で、アムテリアと同じように惑星神となった存在がいても不思議ではない。


「すると、かなり昔のことなのでしょうか? もっとも、そのお方の世界創造の時期にもよりますが……」


 シノブは思い浮かんだ疑問を口にする。

 この世界にバアル神が来たのは『南から来た男』の伝説からすると七百年近くか、それ以上昔のことだろう。したがって地球に戻った男神(おがみ)とバアル神の一族の遭遇は、それより前となる。


「あの子が惑星を整えたのは、私から僅かに遅れてでした。こちらだと創世から百年ほど後に相当します」


 アムテリアは要点だけを答えた。そして彼女は、男神(おがみ)が地球に赴いたのは、その直前だと続ける。

 ならばバアル神の侵入は、それ以降だろう。それは今後の調査に役立つとシノブは顔を綻ばせる。


「すると邪神の侵入は、大よそ九百年前から七百年前ですね。ですが、先輩達からは特に……」


 アミィが小首を傾げながら呟いた。彼女は今後の調査を思ったのか、少しだけ難しい顔をしている。

 おそらくバアル神などは七百年前には東域、つまりアスレア地方に潜んでいた筈だ。しかし大規模な異変があれば、アムテリア達や眷属も察知する。それが無いということは、バアル神達の潜入は極めて密やかであったのだろう。

 そうなると地上の出来事から類推するしかない。しかし最低でも七百年前のことだから、残っている記録も限られているし欠落や脚色も多いに違いない。


「でも、これで少し前進ですね! アムテリア様、ありがとうございます!」


 百年だが、バアル神と眷属神が侵入した時期は狭まった。そのためアミィもシノブに続き笑顔となる。


「あのような遺跡が他にあるなら、何とかしたいからね。ホリィ達にも教えないと」


 シノブはキルーシ王国に存在した転移装置の遺跡を思い出した。

 あの遺跡には、獣人族の魂を封じた青銅の像が数多く残されていた。それらは七百年近く前に、ベーリンゲン帝国の初代皇帝が邪術を用いて作ったものだ。

 百近い魂が輪廻の輪から切り離され、彼らの意思に反し番人とされた。それはシノブにとっても衝撃であったが、神々の眷属であるアミィ達の嘆きは更に大きかった。

 バアル神と彼の眷属神は消滅したが、まだ同様の遺跡があるかもしれない。そのためホリィ達も含め、東域の捜査には一層力を注いでいるのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アムテリアは、暫くの間シノブ達を微笑みと共に見つめていた。しかし彼女は再び表情を引き締める。


「……シノブ、アミィ。侵入した異神は少なくとも更に一柱いるようです。あの子が出会ったという神は、今までシノブが捕らえてくれた存在とは違うらしいのです」


 アムテリアの顔は、僅かに曇っていた。おそらく今回の夢の訪れは、これを告げたかったからなのだろう。確かに、これは神々の御紋で語るようなことではない。


「海神のようですが、あのダゴンという眷属神とは別です。……あの子に襲い掛かった海神は、そのとき力や知識の一部を吸い取ったとか。ですが私達や上位神も、あの子の気配をバアル神達から感じませんでした」


 アムテリアは、地球を訪れた一族の男神(おがみ)を謎の海神が襲撃したという。

 地球への帰還は許されていないから、男神(おがみ)は自身の力の大半を封印するか分霊のように一部だけを飛ばしたらしい。そのため彼は、謎の海神に苦戦したようだ。

 男神(おがみ)は随分と恥じたらしく、長く隠し続けた。またアムテリアは彼と頻繁に連絡する仲ではないため、最近まで知らなかったという。


「そのお方は、どうして今になって教えてくれたのですか?」


「上位神……といっても、この世界とは別ですが……その方が問うて明らかになったのです。

バアル神の侵入は私も報告しましたし、常日頃からやり取りしている神にも伝えました。あの子は私の干渉を嫌うので、そういった付き合いをしていないのですが……。向こうの世界の上位神が、あの子に警告しに行ったときに判明したとか。

それと、あの子が出会った海神は現在地球にいないそうです」


 シノブの問いに、アムテリアは彼女にしては珍しい表情で答えた。彼女は、仕方ない子と言いたげな苦笑を浮かべていたのだ。


 アムテリアは一族の男神(おがみ)の行動について、この世界の上位神を介して教えてもらったという。どうも男神(おがみ)は、アムテリアに世話を焼かれるのを嫌っているようだ。

 母や姉など年長の女性に対して感謝をしつつも反発し、一人前だと示すべく頼らない。そのような若者の姿がシノブの脳裏に浮かんでくる。


「上位神様から、処罰されたのでしょうか?」


 微苦笑を浮かべたシノブに代わり、アミィが訊ねる。アミィは男神(おがみ)について問うたらしいが、アムテリアへの影響を案じたようでもある。


「あの子は叱責されましたが、降格には至っていません。それに私達には何もありません。

……ともかく、そのようなわけでバアル神は私達の神域の(いず)れかを知ったようです。あの子にも私達との連絡の(すべ)は伝えていますから。そして私達の目を掻い(くぐ)ったのは、あの子の知識から私達の神力の波動を知ったからだと思います」


 アムテリアは、アミィの頭を撫でつつ言葉を続ける。そして彼女は、おそらく今も謎の海神が海に潜んでいる、と語った。


 アムテリアの一族の男神(おがみ)も惑星神になるだけの存在だ。彼は自身の力を封じていたが、相手に相当の手傷を負わせた。しかも相手が長期に渡り回復しないほど、神力を削ったという。

 したがって謎の海神は現在でも休眠状態だろう。そうアムテリアは語った。


「これは推測でしかありませんが……。謎の海神は、失った力を取り戻すまでバアル神を頼ったのではないでしょうか? もしかすると、一旦はバアル神の中で眠ったのかもしれません。

そしてバアル神は、この世界への道を謎の海神から知った。あの子の世界を目指さなかったのは、相手の本拠地では勝てないと思ったから……それと私なら苛烈なことをしないと侮ったのかもしれませんね。

シノブが倒したときバアル神の中には幾柱かの神が眠っていましたが、該当する存在は含まれていません。こちらに来た後ある程度回復し、(たもと)を分かったのでしょうか……」


 多分に想像が混じるからだろう、アムテリアの表情は優れなかった。特に、最後に触れたバアル神と謎の海神が別れた経緯については、彼女も疑問を感じているようだ。


「その海はアスレア海……東域の南に広がる海ですね?」


 シノブは、アムテリアが伝えたかったことを悟った。

 アムテリア達は、地上の者の自立を望んでいる。そこに至るまでは人と人のぶつかり合いがあり、時には悲劇も起きる。しかし、それらに神々が干渉することはない。

 だが、謎の海神に関しては別だ。明らかに神と呼ばれる存在で、力を封じていたとはいえ惑星神とも引き分けたのだ。

 これだけの存在が潜む場に、東域探検船団が進んだらどうなるか。彼女は、それを憂えたのだろう。


「ええ。あの子が戦ったのも、古代オリエントと呼ばれる地の南海だそうです。ですからシノブ、東域航海には充分に気を付けてください。謎の海神が、いつ目覚めるか判りませんから。

……デューネ達にも探させていますが発見は難しいでしょう」


 アムテリアの言葉に、シノブは一層気を引き締める。

 謎の海神がアムテリアと同系列の神の力を知っているなら、逃れる手段を得ているかもしれない。そうすると彼女の従属神である海の女神デューネや眷属達も発見できない可能性はある。もちろん、シノブやアミィも同様だ。


「ありがとうございます。重々注意します」


 これまでの夢の訪れでは、アムテリアはシノブの日常を訊ねることが多かった。しかし、今回は全くそのようなことが無い。

 日常的に神々の御紋で会話しているから、改めて問う必要はないのだろう。とはいえ心配げな様子を隠さないアムテリアに、油断ならない事態だとシノブは悟らざるを得なかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



『今日はリタンさんの島です!』


『お魚、楽しみにしてくださいね!』


 朝日の差す部屋にオルムルとシュメイの声が響く。更に他の子供達も口々にシノブ達に語りかけ、窓から飛び出していった。


 ここはアマノ王国の王都アマノシュタット、その中央にある宮殿『白陽宮』でも特別な一室だ。何しろシノブとシャルロットの居室である。

 居室は『小宮殿』の二階だから、普通なら窓から出入りしない。しかし飛翔できる竜や光翔虎が扉を使うことは殆どなかった。


「気を付けてね!」


「お土産、楽しみにしていますよ」


 シノブとシャルロットは窓に寄り、手を振って応える。そして二人の背後では、お茶の準備をアミィがしている。そこにはアムテリアの警告による影など存在しない。

 起床したシノブはアミィだけと思念でやり取りし、夢でのことを確かめた。しかしシノブは、まだシャルロットやオルムル達に伝えていなかった。


 今のオルムル達はエウレア地方の中と、それぞれの棲家(すみか)のある地に赴くだけだ。シノブか親達がいない限り、それ以外の場所に行くことを認めていない。そのため、もう少しはっきりしてから伝えようと思ったのだ。

 シャルロットは出産二ヶ月前という大切な時期だ。それ(ゆえ)シノブは、新たな異神に関して彼女に伝えるべきか悩んでいた。


「さあ、お茶を貰おうか……」


 窓を閉めたシノブは、シャルロットをソファーへと導く。しかし彼は、胸元で震えるものに気が付いた。どうやら通信筒に(ふみ)が届いたらしい。


「シノブ?」


「ああ、誰かから連絡が入ったようだ」


 シノブはシャルロットを座らせ、自身も横に腰掛ける。そして彼は通信筒の(ふた)を開けた。


「……ナタリオからだ。やっぱり大騒ぎになったらしい」


「エレビア王国と接触したのですね? 向こうの役人も、さぞかし驚いたでしょう」


 苦笑するシノブの顔から、シャルロットも状況を察したようだ。ティーカップを手にした彼女は、何だか気の毒そうな顔をしている。


 ナタリオは、東域探検船団がエレビア王国に到着したとシノブへと伝えたのだ。

 現在は都市ペルヴェンの港から4kmの海上に停泊中。エレビア王国の海上警備隊に所属と目的を伝えたところ、ペルヴェンの太守が赴くまで動かないようにと返答があった。向こうは大艦隊や拡声の魔道装置での呼びかけに強く驚いた。それらをナタリオは簡潔に(まと)めて記していた。


「そうですか……現状は想定の範囲内ですね」


 シノブが(ふみ)を読み終えると、シャルロットは微笑んだ。そして彼女は、お茶を一口飲む。


「ああ。まずは太守がどう出るかだ。現国王の末弟だから意外と早いかもしれないが……でも、不仲らしいんだよね」


 シャルロットに頷きつつ、シノブもティーカップを手にした。しかしシノブはカップを口元に運ぶ前に手を留めてしまう。


 今までシノブ達は、エレビア王国について深く調べていなかった。

 それでも現在はエレビア王国が平穏であること、最初の目的地ペルヴェンの太守が先王の三男マカーコフであることなどは把握している。そしてマカーコフが兄王ズビネクと仲が悪いらしいことも。

 これらは隣国のキルーシ王国にも、ある程度は伝わっている。それにホリィ達もエレビア王国の王都エレビスには訪れているから、街の噂くらいは仕入れていた。


「隔意があるのは末弟だけのようで……長男だったら王になれたと不満らしいです」


「でも、実際には上に二人もいるんだ。しかし長男でズビネクが獅子の獣人、次男のラジミールが人族、三男のマカーコフが虎の獣人……複雑な兄弟だね」


 アミィに笑顔を向けたシノブだが、途中で眉を(ひそ)める。シノブはエレビア王家の構成を頭に思い浮かべたのだ。

 先王のザハーヴァンは人族だ。そして彼の第一妃リルヴィカが獅子の獣人、第二妃ダシュヴァが虎の獣人である。そのため兄弟三人の種族が別々になったのだ。なお、長男のズビネクと次男のラジミールがリルヴィカの子、マカーコフがダシュヴァの子である。


 ちなみに人族、獣人族、ドワーフ、エルフの四種族は互いに子供を残すことが出来る。そして子供の種族は父母のどちらか一方となり、中間的な種族は存在しない。

 仮に一人の男に妻が二人いて三人とも種族が違えば、子供も三種族に分かれることはある。ただし、エルフやドワーフが他種族と結ばれた例は殆ど無い。そのため通常は人族と獣人族、そして獣人族が彼らのように別種という例である。


「ガルゴン王国やカンビーニ王国では良くありますが……シノブ、何か気になることが?」


 シャルロットは、シノブが苦い顔となったのが気に掛かったようだ。

 彼女が言うように、エウレア地方でも南方の二国だと他種族との結婚は多い。特に王族や貴族は、種族別の婚姻をすると特定の家系だけと結ばれることになる。それでは国が乱れるから、意識して種族間のバランスを取るらしい。

 それに対し、メリエンヌ王国やアルマン共和国は王族と上級貴族が人族で占められている。これはメリエンヌ王国の場合、建国王と支えた七人の忠臣が全て人族だったからだ。同様にアルマン共和国も元となったアルマン王国の王や重臣が人族だったという。


 とはいえシャルロットが生まれ育ったベルレアン伯爵領でも、他種族との婚姻は稀だが例はある。そのため彼女は、家族の中に種族が違う者がいる例を知っているし、その後ガルゴン王国やカンビーニ王国にも訪問した。

 それに今のアマノ王国は、多様な種族が集う場となっている。したがってシャルロットは、今更なシノブの言葉に違和感を覚えたのだろう。


「君には判っちゃうか……。実は母上から、アスレア地方に注意しなさいとの言葉をいただいてね……ああ、異神が出たとかじゃないよ。

初代皇帝の通った道でもあるし、何か隠れていてもおかしくない。そういうことさ」


「アムテリア様は、シノブ様に後始末をお頼みになっただけです。伝説の巨人や長腕の生き残りがいたら困りますから! でも、そのくらいなら私やホリィ達でも充分に戦えます!」


 シノブとアミィの言葉に、シャルロットも安心したらしい。彼女は柔らかな笑顔を取り戻す。

 アミィが巨人や長腕、つまり初代皇帝が率いていたという異形を持ち出したのも良かったようだ。複数の異神であっても撃破したシノブである。異形くらいであれば、とシャルロットが思うのも当然であろう。


「そうですか。ですが、アムテリア様のお言葉です。何かあってからでは困りますから、行くべきときには遠慮なく行ってください」


「ありがとう。でも、基本はナタリオ達に任せるよ」


 シノブはカップをテーブルに置き、シャルロットの肩を(いだ)いた。

 妻の優しさに甘えてしまうのは問題だが、かといって妻を案ずるあまり時機を逸するのは愚の骨頂だ。シノブは笑顔を作りつつ、彼女のためにも東域の謎を早く解こうと決意した。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達の語らいから暫く後、東域探検船団の旗艦ゼーアマノ号の司令官室には、少々気まずい空気が満ちていた。


「貴殿達が国交と通商を望んでいるのは理解した。だが、いきなり正体不明の船団を内海へと進ませるわけにもいかぬ。ここは、まず我がペルヴェンと交易の実績を作っていただきたい」


 ペルヴェンの太守マカーコフは、ぎりぎり居丈高とならない程度に言葉を整えてはいる。しかし、彼の主張は強硬であった。


 ナタリオ達は、国王ズビネクのいる王都エレビスへの訪問を望んだ。

 船団の目的には東域諸国との国交樹立が含まれているし、また船団はエウレア地方の統治者達の総意で送られたものだ。実際、船団を率いるナタリオの肩書きは『光の盟主』シノブの名代、つまりアマノ同盟の盟主が東域に送った大使である。

 したがってナタリオが王への謁見を望むのは当然であろう。


 しかしマカーコフは、まずペルヴェンと良好な関係を作ってから、と言い出した。

 別にナタリオ達も、今日明日に王に会わせろと言ったわけではない。まずは王都にシノブからの親書を送ってほしいとナタリオは願っただけだ。

 どうも、これがマカーコフは気に入らなかったようだ。彼は親書を預かったものの、王都に届けるとは明言しなかった。そして代わりに、ペルヴェンでの交易の実績作りを先に、と言い出したのだ。


「マカーコフ様、親書を……」


 マカーコフの隣に立つ猫の獣人の老人、文官代表のルラシュが口を挟む。

 親書を王都に届けると返答すべきだ。ルラシュはマカーコフに対し、そのような進言をしかけたようだ。


「ルラシュ! いや、失礼……如何(いかが)かな?」


「突然に押しかけたのです。不安に思われるのも無理はないでしょう。とはいえ我らも、エウレア地方を代表しての船団です。

私は名代というだけ……しかしシルヴェリオ王太子殿下、カルロス王太子殿下、ジェドラーズ先代伯爵閣下は、それぞれの国の跡継ぎや重鎮です。必ずや良い御返答がいただけると確信しております」


 マカーコフの問い掛けに、ナタリオは押し殺すような重苦しい声音(こわね)で応じる。そして彼は、自身と並んで座る三人の名を並べていった。

 三人はカンビーニ王国、ガルゴン王国、アルマン共和国を代表して自国の船団を率いる者達だ。しかも、そのうち二人は王太子、残る一人も国を動かす十二人の伯爵の先代格だ。わざわざナタリオが持ち出す意図は、子供でも理解できるだろう。


「そ、それはもちろん……」


 マカーコフは、若き司令官の眼光に気圧(けお)されたかのように僅かに身を退()く。

 ナタリオとマカーコフは、双方共に虎の獣人だ。そしてナタリオが十七歳、マカーコフが三十二歳と年齢は倍近く違う。

 両方とも大柄だが、身長は多少マカーコフが高い。しかも彼の方が分厚い筋肉を備えているため体重は遥かに上だろう。

 しかし踏んだ場数はナタリオの方が圧倒的に上のようだ。


「では、一旦ここまでにしよう! 念の為に繰り返すが、当面ここを動かれぬように! 食料や水は充分に便宜を図る!」


 マカーコフは、(おび)えを隠すかのように大声を張り上げた。そして彼は勢いよく立ち上がる。

 どうやら、短期間では(まと)まらないようだ。そう思ったのか、同じく席を立ったナタリオ達の顔は(いず)れも明るくはなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ナタリオ達は、マカーコフと彼の家臣達にゼーアマノ号の各所を見学させ、また蒸気船も軽くだが見せた。もちろん単なる親切ではなく、一種の実力誇示である。

 そしてエウレア地方の文明度を示そうと、船上で(うたげ)を催し歓談もした。そのためマカーコフ達が帰ったころには日も暮れていた。


「ど~も、上手く行きませんね」


 司令官室に戻ったナタリオは、おどけた仕草で肩を(すく)めてみせた。彼が向いた先にはシルヴェリオ達がいる。


「それはマイドーモ殿の真似ですか?」


 シルヴェリオはカンビーニ王国の王太子だ。そのため彼は、自国の老舗海運商マネッリ商会の長男を知っていた。

 ちなみに、そのマイドーモも今はアマノ王国の内政官である。したがって礼儀正しいシルヴェリオは、自国の元商人に敬称を付けていた。


「中々似ていますよ」


「確かに」


 カルロスとジェドラーズも笑顔で頷いた。そして彼ら四人は再びソファーに座る。


「焦らぬことです。我らもアフレア大陸に到着してからシノブ殿をお招きするまで、十日近く掛かりましたから」


「確かマザクブに入ったのが、上陸から三日後でしたか。その後、シルヴェリオ殿が嫁を取るとか取らぬとか、色々ありましたね」


 シルヴェリオに続き、カルロスがウピンデムガでの出来事に触れた。

 南方探検船団の場合、交渉できる相手がいる集落に辿(たど)り着くまで、多少の日数を要した。そしてマザクブという大集落で本格的な交渉が始まった。しかしシルヴェリオが伝説の白き獅子王と勘違いされたため、交渉が長引きもした。

 同じようにエレビア王国でも紆余曲折はあるに違いない。どうやら二人は、そう言いたいようだ。


「とはいえ、あのマカーコフという男、何やらよからぬことを考えている様子。これは意外に手間取るかもしれませんな」


「ええ。彼は西の外れの太守ですが、次男のラジミールの都市ヤングラトはアマズーン湾の入り口……海路ではヤングラトの方が王都に近いし重要拠点では?」


 ジェドラーズの言葉に、ナタリオは大きく頷いた。

 ナタリオがマカーコフを脅したのは、単に相手が無礼だからではないようだ。彼もマカーコフに胡散臭さを感じていたらしい。


「ラジミールはズビネク王と同腹ですから、それもあるのでしょうね。シノブ殿から色々教えていただいているだけに、表情を取り繕うのに苦労しましたよ」


「全くです。おそらく親書は遅れるのでしょうね。そして我らがペルヴェンに幾つか優遇を約束したら届くのでしょう。ですが国王が知ったら怒る筈……黙っていても今後ペルヴェンは栄えると思うのですがね。

何しろエウレア地方からの最初の寄港地です。普通の商船なら、ここでたっぷり補給しないと進めません」


 カルロスとシルヴェリオは、似たような笑みを浮かべている。おそらく二人は、マカーコフの意図を大よそ察しているのだろう。

 乗組員や士官達とは違い、この四人はホリィ達が調べたことの多くを知っている。もちろんエレビア王国で多少聞き込めば得られる程度だが、マカーコフのように判りやすい相手であれば、それでも充分に推測できるようだ。


「ナタリオ殿、今後の方針は?」


「暫くは待ちます。ただ、陛下が気になさっていまして……これまでは邪神や異形が出ない限り任せると仰っていたのですが、朝一番で送った(ふみ)の返信に『なるべく詳しく報告するように。何かあればすぐに行く』と……」


 カルロスの問い掛けに、ナタリオは僅かな困惑を浮かべつつ言葉を紡いでいく。

 まさかナタリオも、シノブがアムテリアから忠告されたとは思わないだろう。そのため彼は、主君の返答に戸惑いを感じているようだ。


「邪神の出身地に関して新たな情報を得られたのですかな?」


 ジェドラーズはバアル神に憑依された過去を持つ。そのためだろう、彼の顔は僅かに青ざめていた。


「楽しみですね。これで不満げな三男坊の相手を長々としなくて済みます」


「同い年の私が言うのも何ですが、どうせなら若者と会いたいです。確かリョマノフという王子は十六歳、ナタリオ殿の一つ下だとか」


 シルヴェリオの言葉に場が和み、続くカルロスの言葉で大きな笑いが生じる。やはり、全員がマカーコフとの押し問答に嫌気が差していたようだ。


「ダトスです! 入室許可お願いします!」


「入れ!」


 室外から呼びかけたのは、ナタリオの家臣であるダトスという士官だ。そのためナタリオは、間を置かずに許可を与える。


「不審者を四名捕らえました! 彼らはエレビア王の手の者だと主張しています!」


「何! どのような者だ!?」


 ダトスの言葉に、ナタリオが血相を変えて叫んだ。もちろん他の三人も、驚きの表情でダトスを注視している。


「リョマノフという若い獅子の獣人と、三人の従者です!」


 ダトスの言葉に、ナタリオ達は顔を見合わせる。リョマノフとは、つい先ほどカルロスが口にしたエレビア王国の王子の名で、しかも王子も獅子の獣人だったからだ。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年11月9日17時の更新となります。


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