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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第19章 新時代の旗手
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19.08 二十一年目の幸福 前編

 アマノ王国メグレンブルク伯爵領の領都リーベルガウは、ほぼ半年前の創世暦1001年2月16日にベーリンゲン帝国の支配下から脱した。厳密には16日の深夜にメリエンヌ王国軍と岩竜ガンド達による領内の都市攻略が開始され、完了したのが翌17日の早朝である。この都市攻略作戦でメリエンヌ王国軍はメグレンブルクの他の二都市クブルストとデックバッハも手中にし、続く数日で伯爵領の全てを掌握した。

 竜達が協力したから攻略は極めて短期間で殆ど被害も無かった。そのため奴隷から解放された獣人ばかりか重税や強要される喜捨に苦しめられていた町の住人も、新たな統治者を歓迎した。これらは他領も同じだが、一番早く新体制に移行しただけあって、メグレンブルク伯爵領は他に増して発展しているようである。


 西はメリエンヌ王国のフライユ伯爵領で、間には長年戦地となったガルック平原という高地を挟んではいるが、街道も充分整備されたから隊商が途切れることなく行き交っている。東はゴドヴィング伯爵領を経由して王領だ。この東西を結ぶ大街道が、領内に多くの富を(もたら)している。

 遥か東、王都アマノシュタットを挟んで国の反対側の端イーゼンデック伯爵領には港も作られた。しかしイーゼンデック唯一の港町アマノスハーフェンには、まだ商船が訪れるようになったばかりだ。

 しかもイーゼンデックはエウレア地方の最東端というべき場所で、そちら周りでアマノ王国に来る者は極めて少ない。今後東域への航路が切り開かれるが、そうなっても寄港地の一つ、あるいはアマノ王国の東側との交易が中心だと思われる。したがって海上交易の影響は小さいという声が、メグレンブルクでは多い。


 そのためメグレンブルクの多くの者達が、イーゼンデックやアマノスハーフェンを話題にすることは少ない。しかし領主であるメグレンブルク伯爵アルバーノはイーゼンデック、正しくはその向こうの東域について関心を示していた。これは、彼がアマノ王国の情報局長も兼ねているからである。


「キルーシ王国……」


 領主の執務室のソファーに座ったアルバーノは、聞きなれない国名を口にした。そして彼は手にした数枚の紙、報告書らしきものを見つめる。

 アルバーノの実年齢は四十歳だが、外見は二十代後半と見た目は極めて若々しい。しかし今の彼は鋭く表情を引き締め、伯爵や情報局の局長という要職に相応しい顔となっていた。


「……セデ(じい)、現在のキルーシ王国に当たる場所が初代皇帝の出身地だと?」


 アルバーノは、向かいに座る二人の男の一人に問い掛けた。

 執務室には、アルバーノを含めても三人しかいない。向かいの老人と二十歳(はたち)前らしき若い男を残し、アルバーノは人払いをしたのだ。残した二人は情報局員、つまり諜報員で極秘の報告をしてもらうからだ。

 ちなみに二人もアルバーノと同じ猫の獣人だ。そのためかアルバーノを含め年齢は全く異なる三人だが、どことなく似たところがあるようにも感じる。


「はい、あくまで可能性ですが。それとアルバーノ様、私はセデジオです」


 セデジオという老人は、丁寧な口調で答えつつも不満げな顔をしていた。どうもセデジオとアルバーノは諜報員となる前からの仲らしいが、今は部下と上司だけに強く言えないようだ。


「せ、セデ……」


 隣では若者が笑いを(こら)えている。彼はセデジオに遠慮しているらしいが、向かいのアルバーノも気にしているようだ。


「良いじゃないか。ここにいるのはカンビーニ出身の三人だけだから……ミリテオも肩の力を抜いて!」


 表情を緩めたアルバーノは、ミリテオという若者へと顔を向けた。

 アルバーノが言うように、この三人はカンビーニ王国の出身である。特にアルバーノとセデジオは()の国の王都カンビーノの生まれというところまで同じであった。


「は、はい!」


 ミリテオは随分と緊張しているようだ。彼はソニアやセデジオと共にヤマト王国の伊予(いよ)の島に潜入したが、ここまで固くなりはしなかった。

 ソニアは局長代行でアルバーノの姪にして養女だ。したがって地位や身分ならアルバーノとソニアに大きな差はないとも言える。しかしミリテオからすれば、両者には明らかな違いがあるようだ。


「こいつ、アルバーノ様に憧れておりましてな」


 セデジオも若者の緊張を(ほぐ)そうと思ったようだ。

 アルバーノはカンビーニ王国の若者にとって伝説的な人物らしい。何しろ従士の三男坊として生まれた彼だが、今は伯爵である。

 途中の二十年にも渡る戦闘奴隷としての苦難の時代。その結果得た稀なる力を活かしてシノブの下で活躍した華々しい日々。前者は本人が殆ど触れないこともあって謎のままだが、後者はカンビーニ王国やメグレンブルク伯爵領では非常に有名な話である。

 もちろん挙げた武功や築いた伝説ならシノブが遥かに上だ。しかし若者達からすれば、アルバーノの偉業なら自分でも何とか、と思えるのだろう。アルバーノの場合、シノブの功績とは違って多少は現実味があるからだ。


「それは嬉しいことだが……しかしミリテオ、これから一緒に潜入することもあるだろう。もう少し慣れてくれよ」


「は、は、はい~!」


 アルバーノの気遣いは、残念ながらミリテオには届かなかったらしい。それとも共に行動する日を思い浮かべてしまったからであろうか。

 ますます緊張し顔を紅潮させる若者を前に、アルバーノとセデジオは暫し苦笑を交わしていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 伊予(いよ)の島から帰還したセデジオとミリテオ、そして同僚である数人の諜報員達は、十日ほどの休暇を終えると東域に潜入していた。もちろん案内したのはホリィ、マリィ、ミリィの金鵄(きんし)族である。

 ちなみにアマノ王国と東域の行き来は、ヤマト王国に行ったときのように魔法の家を使ってだ。そのためホリィ達さえいれば毎日のように往復することも可能で、こうやって報告をしに戻ることもある。


 当初シノブは、東域との交流を南のアフレア大陸と同様に自然の成り行きに任せようかと思っていた。しかしホリィ達の調査でベーリンゲン帝国の初代皇帝の故地らしき場所が浮かび上がり、諜報員を投入することになったわけである。

 この故地らしき場所とは、先ほどアルバーノが口にしたキルーシ王国である。王都アマノシュタットからだと東南東に1800kmほど、もしくはアマノ王国の東端から1000kmほどでキルーシ王国の西端だ。


「アマノ王国の東端であるオスター大山脈を越えると大砂漠、その向こうがキルーシ王国……確かに、そこから西を目指したくなったら、転移装置でも使いたくなるか……」


 アルバーノは、自身の手で淹れたお茶を一口飲む。保温の魔道具があるから、お湯はあるのだ。もっとも彼は茶葉を換えるのが面倒だったらしく、そのまま注いでいた。そのため味が薄かったのか、彼は僅かに顔を(ゆが)める。


「はい。大砂漠は殆ど人が住んでいません。それだけ人に厳しい土地なわけですから」


「キルーシ王国で聞き込んだところ、創世の時代から大砂漠は大砂漠、だそうです。おそらく神々が何らかの意図でお造りになった場所、と記した書物はありました」


 セデジオとミリテオも、薄めのお茶を飲んでいた。細かいことが気にならないのか、あるいは潜入先では出涸(でが)らしのお茶など珍しくないのか、アルバーノとは違い彼らは不満を感じていないようだ。


 それはともかくセデジオ達は、エウレア地方の東に存在する巨大な砂漠についても、ある程度の情報を得ていた。

 アムテリアは、この世界に共通語として日本語を授けた。そのため東域でも言葉や文字は同じであり、その面でセデジオ達が苦労することはなかったのだ。


「良く残っていたものだな。キルーシ王国は二百年ほど前に出来た国なのに……」


 アルバーノは茶葉を変えることにしたらしい。彼はティーポットから茶葉を取り出すと脇に置いてある深皿に捨て、新たなものをポットに入れる。

 傭兵の後は軍人として働いたアルバーノだが、伯爵生活で多少は味に細かくなったのかもしれない。


 ちなみにセデジオやミリテオは、自分が代わって茶の準備を、とは言い出さなかった。二人はアルバーノが湯を注ぐ様子を黙って見守っている。

 アルバーノが使っているティーセットは伯爵邸のものだけあって、極めて上等な薄い陶器であり更に金銀でふんだんに飾られている。そのため二人は自身が手を出して何かあったら、と思ったようである。

 代わりに二人は自身の調べたことを語っていく。


「二代目の国王が碩学だったそうで……新しい国だから文化を向上させなくては、と思ったのかもしれませんな。王都には有料ですが図書館がありました」


「一回の入場につき金貨一枚で、書物の破損がなければ半分は返してもらえます。でも、高いのは高いので、結局は貴族くらいしか使わないようです」


 セデジオとミリテオが言うように、高価な書物を誰でも閲覧できる国は少ない。

 エウレア地方の場合、過去に異神が潜むベーリンゲン帝国が急激に高度な技術力を得て、対抗するために他の国に眷属達が様々な知識を授けた。その中には印刷技術もあったから、高価ではあるが手書きではない書籍はあった。

 しかし東域では印刷技術が発達していないようで、書物の数自体が少ない。そのためホリィ達も過去の歴史を探るのに難渋したわけである。


「ホリィ様達も苦労されただろう。あのお姿で金貨を握り締めて現れたら、注目されるだけでは済まんぞ」


「姿消しを使って、こっそり入ったとか。人がいない時間を狙ったそうですが、夜でも灯りを使えないし、中々(はかど)らなかったと……」


 苦笑するアルバーノに、同じような顔のセデジオが頷き返す。

 ホリィ達はアムテリアが授けた足環により様々な姿になるが、年齢や性別は固定されていた。つまり、どう変身しても、十歳になるかならないかの少女というのは同じであった。そんな子供が庶民なら月の収入の半分に達する金を持って現れたら、不審極まりない。


「で、この『南から来た男』の伝説は、セデ(じい)達に任せたと」


「ええ……セデジオですが」


 アルバーノの言葉に、セデジオは少し残念そうな顔で応じていた。間違いなく老境に入ったセデジオだが、面と向かって老人扱いされるのは嫌なようだ。


「おそらくは南のアルバン王国……といっても当時はまだ存在していなかったようですが……から来たのだと思います。伝説の男も人族ですから、南でもアゼルフ共和国ではないでしょう」


 ミリテオが口にしたのは、彼らが報告書にも記した東域の王国である。もちろん、これらは数度の報告で既にアルバーノも知っている名前だ。


 アルバーノは、新たに淹れたお茶を三つのティーカップに順に注いでいく。その一方で、彼は今まで知りえた東域の情報を思い浮かべているらしい。茶を注ぐ手元に狂いはないが、彼の瞳はポットから注がれる琥珀色の液体を見つめてはいなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 エウレア地方から陸路で東域に入るのは、不可能である。オスター大山脈という峻厳(しゅんげん)な高山帯が塞いでいるからだ。

 そしてオスター大山脈を越えたとしても大砂漠である。最も狭いところでも500km以上、広いところだと1200kmはある不毛の地を旅するのは、よほど砂漠に慣れた者でなければ不可能だろう。なお、海は南側が魔獣の海域で完全に分断されているし、北も似たようなものらしい。


「……仮に何とか大砂漠を越えて東に進んだとする。その場合、南からエレビア王国、キルーシ王国、西メーリャ王国に到達することになる」


 アルバーノは、報告書に添えられていた簡易な地図を見つめている。そこには彼が口にした国を含め、十近くの国が載っていた。


「はい。その三つの国の前身のどれかから初代皇帝が来た、というのは理屈としては合っているかと。それでホリィ様達も、その三国を優先的に調べたそうです」


 セデジオの言葉は、一応は理屈が通る。

 ベーリンゲン帝国の初代皇帝はバアル神により転移装置に関する知識を授けられ、東域から旧帝都、現在のアマノシュタットに転移したらしい。そして初代皇帝は、後に帝国の侯爵家となる者を含めた同族を率いていたという。

 仮に初代皇帝が彼の一族の(おさ)か何かで、新天地を求めて旅していたとする。そして西に向かいたいが、目の前には大砂漠があり行く手を阻んでいる。初代皇帝は空を飛べる超人を連れていたから、西には求める地があると彼らにより知った。しかし、大勢を連れて行くのは数名だけらしい超人では難しい。

 そのためバアル神が転移装置の造り方を教えた、というのは一定の説得力はある。


「大砂漠と接している領域が一番大きいのはキルーシ王国です。ですから、キルーシ王国の可能性は高いのでは!? それに西メーリャ王国はドワーフの国ですし!」


 ミリテオが言うように、地図に載っているうちの北の二つ、西メーリャ王国と東メーリャ王国はドワーフの国だという。したがって、ここから人族である初代皇帝が来た可能性は少ないかもしれない。初代皇帝のいた六百五十年前も、両国はドワーフ達の住む地だったらしいからだ。

 ちなみにエルフのアゼルフ共和国を除くと、他は人族と獣人族の混在する国らしい。ただし、これらは現在の、という但し書きが付く。


「そうだな……大国なのは間違いないだろう。アマノ王国やメリエンヌ王国ほどではないようだが、他の国よりは大きそうだ。少なくとも我らが祖国カンビーニ王国より大きいのは間違いない」


 アルバーノは、予断を避けようとしたのかどちらの意見にも頷かなかった。その代わり、彼は地図から読み取れることを口にした。


「航路としてはエレビア王国が重要だとは思いますが、それでもキルーシ王国は無視できないでしょう」


 セデジオがエレビア王国を挙げたのは、今後エウレア地方から東域への航路が確立された場合、最初の寄港地となるからだ。

 エレビア王国はキルーシ王国の西南のエレビア半島に存在し、東域の国々で一番エウレア地方に近かった。今は魔獣の海域が間にあるが、アマノスハーフェンからエレビア王国の西端まで800km程度で、2000kmも南のアフレア大陸より遥かに間近である。


「キルーシ王国の海岸はエレビア半島とアズル半島の北にあるアマズーン湾の北岸だけ。だから更に東に向かって航海するなら立ち寄る必要はない……が」


「はい。エレビア王国より遥かに大きな国ですから、無視するのも後々禍根になるかと」


 アルバーノの呟きにセデジオが頷いてみせる。このような事情から、東域探検船団は第一にエレビア王国、次にキルーシ王国を目指すことになっていた。


「アゼルフ共和国はエルフの国ですからね。もしかすると寄港を認めないかも……港があったら、ですが」


 ミリテオが口にしたアゼルフ共和国は、アズル半島を占める森林地帯にあるエルフの国だ。ここもエウレア地方のデルフィナ共和国と同様に他との交流を拒む傾向にあり、調査はあまり進んでいない。

 もっともホリィ達の東域調査は初代皇帝や背後にいたバアル神がどこから来たかを知るためで、皇帝家は人族であった。そのためアゼルフ共和国は早期に調査の対象から外されていた。


「その場合は陸路でアゼルフ共和国の東、アルバン王国か。で、このアルバン王国から『南から来た男』……初代皇帝か先祖らしき者が来た、と」


 アルバーノは卓上に地図の記された紙を置き、そこを指差した。

 キルーシ王国の南の大半はアマズーン湾だが、一部は湾の東にも達している。そこは西にアゼルフ共和国、南にアルバン王国となっている。


「時期も七百年近く昔のことのようですし、その線で当面は追ってみます……ところでアルバーノ様?」


 セデジオは、少しばかり奇妙な微笑みを浮かべつつアルバーノに応じた。彼の表情は今までの部下としてではなく、子供か孫を見る祖父のように優しげであった。


「何だ、セデ(じい)?」


 地図を見つめていたアルバーノだが、顔を上げてセデジオを見つめる。彼はセデジオが何を言い出すのか理解できていないようだ。


「いえ……お茶を淹れてくださるのは嬉しいのですが、もう少し美味(おい)しいお茶が飲みたいですな。早くモカリーナ様をお迎えになっては、と」


「せ、セデジオさん!」


 からかうセデジオの袖を、焦ったような表情のミリテオが引く。ミリテオは、アルバーノが怒ると思ったようである。


「それがなあ……セデ(じい)、いやセデジオおじさん、昔のように知恵を貸してくれないか? モカリーナのヤツ、怖じ気づいてしまったようでなぁ……」


 アルバーノは頭に手をやり、濃い金髪をクシャクシャと掻き乱す。モカリーナを娶ろうと入念に根回しをしていたアルバーノだが、肝心の相手の説得に難渋していたらしい。


 もっともモカリーナが悩むのも無理はない。

 昔は従士の三男坊だったアルバーノも、今や伯爵である。嫁げば当然モカリーナは伯爵夫人で、相応の苦労もするだろう。しかもアルバーノに嫁ぎたいという貴族令嬢は大勢いる。それらを押し退()けて、あるいは第二夫人として来る者と伍していくのだから、簡単に決断できることではない。


「ほう……王国一の伊達男がお手上げとは。モカリーナ嬢ちゃんなら、大喜びだと思っていたのですがね。……良いでしょう、私も二十一年目の幸福に協力しますよ」


 セデジオは、ますます楽しげな笑みを浮かべていた。しかし彼はアルバーノの苦労を思ったのか、真面目な顔となる。

 対するアルバーノは、目を丸くしたミリテオを他所にセデジオへと相談を持ちかけていく。案外、これが三人だけとした理由なのかもしれない。

 今のアルバーノは伯爵だ。故郷を同じくする者達の前では素顔に戻れても、新たに抱えた従者や侍女の前では新たな立場に相応しく、と思っているのかもしれない。

 おそらく、それは当たらずとも遠からず、なのだろう。アルバーノの表情は、若々しい青年のような相貌に相応しい砕けたものとなっていたからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アマノ王国の、いやエウレア地方の要人の殆どがアルバーノの婚約者と見ている女性、モカリーナ・マネッリ。多くの者の予想に反し、彼女は(いま)だアルバーノとの結婚を了承していなかった。


 今やカンビーニ王国、メリエンヌ王国、アマノ王国に多数の支店を持つモカリーナである。現在、本店はメリエンヌ王国フライユ伯爵領の領都シェロノワ、主な支店はアマノ王国とカンビーニ王国の王都、それにアルバーノのメグレンブルク伯爵領の領都リーベルガウ、更に東のゴドヴィング伯爵領の領都などだ。

 小さな支店となると、アマノ王国の都市の半数近く、メリエンヌ王国はカンビーニ王国までの経路にもある。なお、カンビーニ王国には本家のマネッリ商会があるため、そちらは王都カンビーノのみに留めているらしい。

 開明的な者は、これだけの大商人であれば伯爵の夫人となっても当然と口にする。身分や伝統を重視する者も、表では悪く言えないようだ。

 何しろモカリーナが親しいのはアルバーノだけではない。アマノ王国だけでもシノブを始めとするアマノ王家、アルバーノと親しいゴドヴィング伯爵アルノーにバーレンベルク伯爵イヴァールなど贔屓(ひいき)にしている者は多数いる。

 メリエンヌ王国も、フライユ伯爵家にシャルロットとミュリエルの実家であるベルレアン伯爵家など同様だ。もちろん、セレスティーヌの伝手でメリエンヌ王家とも顔は繋いでいる。

 カンビーニ王国も王太子シルヴェリオや公女マリエッタなど、シノブと親しい者達は同じく声を掛ける。こうなると下手にモカリーナを非難すれば、自身が爪弾きにされかねない。


 しかし、モカリーナに近しい者は彼女の悩みを感じていた。たとえば同業のファブリ・ボドワンである。


「モカリーナ殿。私の息子も今や男爵ですよ。それに娘も男爵令嬢として扱われています。

まだレナンは十四歳、リゼットは九月で十八歳……いやリゼットの歳は関係ないか……ともかく陛下や戦王妃(せんおうひ)様のお側に控えていただけで、です。運や縁で道が開けるなど、商売でも良くあることじゃないですか」


 リーベルガウのマネッリ商会支店を訪れたファブリは、奥の応接室でモカリーナと向かい合っていた。

 実は、ファブリの来訪はアルバーノが手を回したからであった。中々結婚に同意してくれないモカリーナを同じ商人として説得してもらえないか。もし商売上の何かが結婚に差し支えるなら聞き出してほしい。そのようにアルバーノはファブリに依頼したのだ。


 ファブリのボドワン商会も交易商で、モカリーナのマネッリ商会と合同隊商を組んだりする仲である。先日のバーレンベルク伯爵領のサドホルン鉱山には商会主の二人が揃って出向いたくらいだ。

 北のヴォーリ連合国に販路を持つボドワン商会と南のカンビーニ王国に本家があるマネッリ商会は、商売上でも組んだ方が得である。そもそもどちらもシノブの御用商人なのだから、協力し融通しあう仲となるのは自然であった。

 したがってアルバーノが、ファブリに期待するのも当然であろう。


「父の私が言うのも何ですが、レナンやリゼットは良くやっているようです。先々レナンは子爵に取り立てていただけるのでは、リゼットもどこかの子爵様にでも嫁入りできるのでは、と楽しみにしていますよ。

もちろん、それも陛下や戦王妃(せんおうひ)様のご贔屓(ひいき)あってのこと。そしてボドワン商会が潤っているのも、お二方のご厚情(ゆえ)。それは充分承知しています」


 (うつむ)き気味のモカリーナに、ファブリは諄々と諭すように語っていく。

 ファブリの滑らかな語り口や情の篭もった声音(こわね)は、こちらも三国を股にかける大商人だと納得するものであった。そのためだろう、モカリーナも僅かに表情を和らげ顔を上げる。


 ファブリは気難しいドワーフ達に深く信頼され、メリエンヌ王国の商人では一番とされているという。フライユ伯爵領やアマノ王国への進出は彼の語った通りかもしれないが、そこまでの土台を支えてきたのは間違いなくファブリなのだ。


「ですが、何も恥じることはないのです。繋いだ縁や絆で栄えるのは、当たり前のことですから。それに私だってお二方の名前を汚さぬよう、日夜邁進(まいしん)し汗を流しております。この恰幅の良さで言っても信じ難いかもしれませんが」


 ファブリは一層丸みを増してきた腹に手を当て、ポンと叩いてみせる。

 まだファブリは四十代前半、モカリーナの思い人とされているアルバーノの数歳年長なだけだ。しかし今の仕草は、ヤマト王国にいる狸の獣人よりも狸らしかった。


「ファブリさん……」


 モカリーナの顔に笑みが宿った。商人にしては真面目なところが目立つファブリが冗談めいたことを言うと、彼女は思っていなかったのかもしれない。


「モカリーナ殿。これは私の勘違いかもしれませんが……モカリーナ殿は御実家を……本家マネッリ商会を超えたいと思われていたのでは?」


「……どうしてそう思われるのです?」


 ファブリの問いに、緩んだモカリーナの表情が再び硬くなった。どうやらファブリの指摘は当たっているらしい。


「初めてお会いしたときは、カンビーニのマネッリ商会の支店なのかと思いました。ですが、モカリーナ殿が自身で経営されていると伺い、変に思ったのです。

モカリーナ殿のマネッリ商会は、カンビーニからの品を販売しています。仕入れ元には本家マネッリ商会も含まれるでしょうし、そうであれば同名なのは商売に差し支えがあるのでは、と。

もちろん不仲というわけではなく本家を上回る、そして先々はこちらが本家と言われるくらいに、という心意気だと思いますが……モカリーナ殿は次女と伺っています。確か本家は長男殿が跡取りで、支店の一つは長女殿と婿殿が仕切っていますね?」


 穏やかに、しかし自信を漂わせつつファブリは語っていく。同じ商人の彼からすれば、モカリーナの思いは探るまでもなく明らかなようだ。


 モカリーナは次女である。本家のマネッリ商会は彼女の父オオキーニが商会主で一人息子のマイドーモが跡継ぎ、他に長女のホンマーナがいる。父のオオキーニが五十七歳、子供達はマイドーモが三十一歳、ホンマーナが二十七歳で、これに二十三歳のモカリーナが続く一男二女である。

 ちなみにオオキーニの妻オクディアは健在、マイドーモには妻のリルシーナ、ホンマーナには夫のアルディモがおり、この全てが本家マネッリ商会で働いている。長男長女にはそれぞれ子供もおり、次世代どころか更に次も後継で困ることはなさそうだ。

 そのため三番目の子であるモカリーナが国外に出ようというのも判らなくはないが、ファブリが言うように実家と別商会であるなら名前を変えるべきではないだろうか。故国と縁を切るならともかく、向こうから仕入れる際に同名だと紛らわしいという指摘は、実にもっともである。


「そ、それは……マネッリはカンビーニで有名ですし」


 モカリーナが言うように、マネッリ商会はカンビーニ王国では老舗であった。そしてマネッリ家は従士のイナーリオ家と縁戚関係なくらいで、平民でも由緒正しいと言われる家柄である。そのため北にやってきたモカリーナは、通りの良い実家の名を掲げようと思ったのだろう。

 しかし今のモカリーナの顔には憂いが滲んでいる。


「そうですね。昨年まで南方に販路が無かった私でも、名前はお聞きしておりました。ですから、最初はマネッリの看板を、というのは判ります。ですが、もはや本家を大きく上回った筈です。こうなればモカリーナ商会でも良いと思いますよ」


 おそらく、多くの者がファブリと同じことを考えるに違いない。

 まだ二十三歳のモカリーナが遠く離れたフライユ伯爵領に店を出したのだから、最初は実家の支援があった筈だ。資金のうち幾らかは親などから借りたのであろう。それにカンビーニから仕入れるにしても、実家の協力があってのことだと思われる。

 しかし、今はカンビーニ王国以外でマネッリ商会と言えば殆どがモカリーナの店を思い浮かべるだろう。こうなれば自身の名を商会名とするか、いっそのこと本家を傘下に収めても良いのではないだろうか。


「……モカリーナ殿。ご結婚に踏み切れないのは、実家に何か問題があったからでは? それでアルバーノ様にご迷惑をお掛けしては、とお悩みなのでは?」


「ファブリさん……」


 モカリーナが、先刻と同じ呟きを漏らした。しかし、今度は深刻さが滲む表情と声である。どうやらファブリの指摘は的中していたようだ。


「水臭いですよ。合同隊商も組む仲じゃないですか……悩み事なら幾らでも相談に乗りますよ。

何しろ私は見習いを含めたら三十年以上も商人をやっていますからね。その間に溜め込んだのは、この腹の脂肪だけではありませんよ」


 大きな笑みを浮かべたファブリは、剽軽(ひょうきん)な仕草で自身の腹をポンポンと叩いてみせる。

 モカリーナは、思わずといった様子で笑いを(こぼ)した。そして彼女は、自身の父よりは十数歳も若いファブリに、父親を前にした子供のような屈託の無い表情で語りだした。

 きっとファブリなら。そして彼を送ってくれた者なら。そんな信頼の滲むモカリーナと、それを受けるに相応しい誠実なファブリ。二人の姿には、先にあるものがどのような問題であっても解決できると思う何かが宿っていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年10月20日17時の更新となります。


 本作の設定集に、東域の地図を追加しました。従来の広域図から東域だけを拡大し、今回触れた国などを記したものです。

 設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。


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