18.34 空に日の昇るごとく 後編
ヤマトの国の伊予の島。褐色の肌のエルフと狸の獣人が暮らす土地に平和が戻った。
長老派による暗雲は去り、正しき姿を取り戻した女王日巫女が生まれ出でた。日も落ちた王都ユノモリだが、そこには新たな太陽が現れた。白鷺宮の御座所に集った者達は、そう思ったに違いない。
そのためだろう、誰が言い出すというわけでもなく宴の準備が始まっていた。
ちょうど時刻も夕食時。ならば大王領からやってきた王太子の健琉や巫女の長の斎姫を、クマソ王の威佐雄を、そして神秘の力で幸を齎したシノブ達を持て成すというのは、極めて自然な流れである。
催し事が大好きなベランジェは、当然大喜びした。そしてシノブは通信筒でシャルロットに訊ねたが、アマノ王国を始めとするエウレア地方も平穏極まりない。
そのためシノブ達は御座所の奥で晩餐、時差の大きなエウレア地方から来た自分達にとっての昼食を饗されることになった。
「名彦……良かった、良かったなぁ……ヒミコ様が……」
広間に入るなり将軍の美魔名彦の手を握ったのは、最年少の重臣である多気美頭知である。彼は正面のシノブに一礼はしたものの、慌ただしく向かって右手へと歩み、そしてヒミコの一つ下手の円座に座るナヒコへと寄っていく。
長老派を拘束し半数近くも減った重臣は、今も忙しく働いている。そのため陪食するのは彼だけで、場所も奥の間という内々の集まりだ。
とはいえシノブやタケル達もいるのに、ミズチは大粒の涙を零し男泣きに泣いていた。彼はヒミコが年齢相応の姿に戻ったことに、途轍もなく大きな喜びを感じているらしい。
「ミズチ……ありがとう」
他の者には敬称を付けるナヒコだが、同年代のミズチは例外らしい。もしくは、彼も友として応えたということか。ナヒコの黒に近い茶色の瞳も薄く濡れているから、やはり後者なのだろう。
上座に据えられたシノブは、そんな二人の姿を静かに見守っていた。
ナヒコは百歳で、彼の従姉妹である当代のヒミコ、本来は美魔豊花という名の女性は二歳年上だという。そしてミズチも二人と同じくらいだから、彼らは幼馴染みなのだろう。
三人とも王都ユノモリに居を構える重臣の家に生まれたのだから、それこそ物心つく前からの仲だと思われる。そうであればナヒコとミズチは兄弟のようなもの、トヨハナは少し上の姉といったところに違いない。
しかしトヨハナはヒミコとなり、一人だけ成長を止めて生きてきた。ヒミコが幼い姿というのは極秘だったから、幼き日のナヒコやミズチはトヨハナと離された筈だ。
成人した後に重臣として接するようになっても、相手は神秘の女王で二人は位こそ高いが臣下である。当然、幼き日と同じように語らうことは出来なかっただろう。
それが今、トヨハナは本来の年齢に相応しい姿となり、今後は女王ヒミコではあるが生来の名も隠さないと決めた。つまり彼女は自分を取り戻したわけで、それをナヒコやミズチは我が事のように喜んでいる。
もちろんシノブは、ナヒコ達の心など読み取れない。しかし彼らの姿から、そんなことをシノブは思い浮かべていた。
しかしシノブは自身の想像が外れてはいないが、全てでもないと知ることになる。
「ナヒコ。ヒミコ様を……いや、トヨ姉さまを頼むぞ。二人で伊予の島を率いていくんだ」
「ミズチ……私は将軍ですから当然トヨハナ様を守りますよ。それに貴方も重臣として……」
力強く語り掛けるミズチに、ナヒコは僅かな困惑を浮かべつつ応じていく。
どうも三人は単なる幼馴染みだけではないようだと、シノブは気が付いた。おそらくナヒコとミズチは、双方トヨハナを慕っているのだろう。最初は幼少の日の想いとして。そして今は別のものとして。シノブは僅かに視線を動かし、トヨハナの様子を窺う。
トヨハナは僅かに顔を赤くしたまま俯いていた。どうやら彼女も二人の気持ちを知っていたようだ。
そんなトヨハナを、シノブと同様にタケルやイサオは驚きの視線で見つめていた。二人も今日ユノモリに到着したばかりだから、トヨハナ達の隠した感情には気が付いていなかったのだろう。
ただし、ベランジェは感じ取っていたようでもある。彼は興味深げな顔をしているものの、驚いた様子はない。
一方、女性陣は全員が察していたようだ。シノブの脇に並ぶアミィとマリィ、それに下手に座ったマリエッタやソニアなどは穏やかな笑みを浮かべている。
もちろんイツキ姫や彼女の側仕えである立花や泉葉も同様だ。やはり、恋心は女性の方が敏感なのだろう。
──シャンジー兄さん、トヨハナさんも番になれるし良かったですね~──
──そうだね~。でも、どっちとなんだろ~?──
幼き光翔虎フェイニーの思念にシャンジーも嬉しげに応じたが、その直後に彼は首を傾げる。
幸いと言うべきか、二頭は思念だけで会話したからナヒコ達が気付くことはない。それに二頭はタケルやイツキ姫にも思念を送らなかったようで、そちらも光翔虎達に注目することはなかった。
代わりにシャンジー達を向いたのは、雌の子竜オルムルとシュメイであった。オルムル達も彼らと共にシノブの後方に控えていたのだ。
一段高くなった上座の後ろには、竜の子供が六頭に成竜が嵐竜のヴィンとマナス、更に二頭の光翔虎の計十頭がおり、少しばかり狭かった。
普段は食事時だと竜や光翔虎も狩りに出かけるが、今は夜で幼竜のフェルンもいる。そのため彼らは留まることを選択したようだ。もちろん、まだ伊予の島は騒乱が収まったばかりだから、それを考慮したのもあるのだろうが。
「……ですから、皆で力を合わせ支えていきましょう」
シノブがシャンジー達に気を取られている間に、ナヒコは語り終えていた。
共に女王を支えていく仲間。それでナヒコは収拾したようだ。何しろシノブ達がいるのだから、ここで告白などするのも恥ずかしかろう。彼の気持ちはシノブにも充分理解できた。
「う、うむ……」
ミズチは先走りすぎたと思ったらしい。彼は決まり悪げな笑みを浮かべるとナヒコの隣、トヨハナの反対側に空けられた場所へと腰を降ろした。
◆ ◆ ◆ ◆
「……そう言えば、お聞きしたいことがありました。木人の名前には独特なものが多いようですが……やはり木之花姫貴子様がお授けくださった由緒ある名称でしょうか?」
少しばかり重さを増した空気を変えようと、シノブは話題を転じてみた。それは伊予の島のエルフが造った木人についてである。
女王専用の木人が『衛留狗威院』、防衛用が『衛留金狗』に『多怒金狗』、作業用が『若狗』である。他に忌部一族が密かに作った『若狗』の派生改良型『灰若狗』があるが、それも含め共通点があった。
それはクイーン、キング、ジャックという、この世界には異質な単語が名に含まれていることだ。最高神アムテリアは、この世界の言語を日本語で統一した。そのため西洋風の文化を持つエウレア地方でも、女王、王、と表現する。それにトランプのカードのジャックの原型であるペイジも、小姓などと呼ぶ。
そのため森の女神アルフール、ヤマト王国では木之花姫貴子の異称で呼ばれる神か、彼女の遣わした眷属が教えたものに由来するのではと、シノブは考えたのだ。
エウレア地方の建国期に現れた眷属達も、自身の仮の名などを欧州の言葉から取っていた。それにアルフールも自身が造り上げた植物に一風変わった名を付ける。したがって、シノブの想像が当たっている可能性は高いだろう。
「はい。直接ではないようですが」
「何しろ十代以上も前のことですし、イベ家の先祖も木人術に関することは秘事としたため、はっきりしたことは判らないのですが」
トヨハナとナヒコは、シノブの言葉を肯定した。
彼らによると大よそ十数世代前、つまり創世の時期に木人術の基礎を授かったらしい。ちなみに長命なエルフの一世代は平均すると七十年くらいだから、九百年近く昔のことなのだろう。
なお、当初の木人は現在の防衛用や作業用ほどは巨大ではなく、せいぜい人の二倍か三倍だったそうだ。トヨハナ達によれば、長い改良で出力や性能が向上した結果、巨大化が可能になったようである。
それはともかく、木人術を魔道具製造に向いたエルフ、つまりイベ家の先祖に教えた眷属は、やはり少し変わった者だったようだ。しかしトヨハナ達は、そうは思っていないらしい。
「深山への恐れを伝えるものとして『狗』の言い伝えがございます。おそらくは眷属様が正体を隠して戒めくださったのだと思います。それから格の高いものを『金狗』、その下を『若狗』としたのでしょう」
トヨハナが語るのは、どうも天狗伝説に近いものらしい。そして彼女は、その背景には神々から指示を受けた眷属がいたと考えているようだ。
「『狗威院』とは威のある院、つまり歳を経た長のことかと」
ナヒコも木人の名称には疑問を抱いていないようだ。古くから伝わり神や眷属に由来する言葉だから、疑いを挟むこともないのだろう。
日本の歴史上の院は、元々は建物のことであった。それも極めて位の高い者が住む宮殿のようなものである。それが転じて上皇や法皇の御所を院と称するようになり、最終的には彼らを意味する言葉となった。
同じようなことは帝という呼び名にもある。帝は御門であり、御所の門に由来する。
したがって、普段は奥で暮らし姿を現さない神託の巫女の婉曲表現として院が用いられても不思議ではない。ヤマト王国の者達は、このように受け取っているらしい。
「……すると、狗威院武零怒や狗威院女雅美威武などの技の名も、神の使者が?」
シノブは何とか笑いを堪えつつ続ける。
日本語を共通言語にしてはいるが、エウレア地方には大型弩砲や細剣などの言葉もある。それにドレスやワインなど日常でも日本でいう外来語を使っているから、ブレードやビームという言葉が存在する可能性はある。
ブレードはエウレア地方なら刃を表す言葉として使ってもおかしくないし、実際に使う者もいるかもしれない。それにビームは現代的な印象を受けはするが、実は古英語にも存在する単語だ。
とはいえ、どちらもヤマト王国らしくはない。おそらく、これらを伝えたのは眷属達の誰かなのだろう。
「はい。美留花という方が名付けに関わったと伝わっています」
トヨハナの言葉に、シノブは衝撃を受けた。彼女の挙げた名前から、アマノ王国で留守番をしている金鵄族のミリィを思い浮かべたからだ。
──シノブ様、ミリィではありません。彼女が誕生したのは、もっと後です──
──おそらく先輩の誰かですわ。ミリィと親しい方だとは思いますが──
アミィとマリィは、シノブだけに思念を送ってきた。
二人は多くを語らなかったが、ミルハナと名乗った眷属はミリィに多大なる影響を与えたようである。何故なら、どちらも明らかに笑いを含んだ思念であったからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
話題を変えたことが功を奏したらしく、場には再び宴らしい華やかさが戻った。そのため各々が自由に語らい始める。
しかも一部は最初と席を変え、同じような立場の者同士で集まっていた。
「そのような術が……」
「うむ、あるのじゃ」
イツキ姫とトヨハナは巫女の技について互いの知識を披露しあっている。もちろん他に人がいるから秘術まで触れてはいないが、それでも多くの有益な情報があるのだろう。
なお、トヨハナは以前の口調に戻ることもあるようだ。イツキ姫は優れた素質を持つとはいえ、まだ二十歳にもならない若年である。そのため五倍以上も生きているトヨハナは、どうしても教える者としての位置に立ってしまうのだろう。
「これから暫く滞在しますので、どうかご教授おねがいします」
「もちろんじゃ。ユノモリには良い温泉が沢山あるそうじゃから、ゆっくりすると良い。妾も聞くだけで赴いたことはないのじゃが、この姿になったから案内も出来よう」
期待の色を声に滲ませたイツキ姫に、トヨハナも嬉しげな顔で応じる。
タケル達は数日から一週間程度をユノモリに滞在し、それからクマソ王の治める地、筑紫の島の王都ヒムカに出立する。そのため温泉巡りをする時間くらい、幾らでもあるだろう。
「それは嬉しゅうございます! 実は私、海を渡ったのは初めてでして……ですから伊予の島や筑紫の島がどのようなところか、とても楽しみにしておりました!」
イツキ姫は、大輪の華が綻ぶような笑みを浮かべていた。
今は七月の中旬に入ったばかりだから、おそらくは七月末か八月の上旬までは王都ヒムカに滞在し、それから大王領の都に帰還だ。したがって都に着くのは早くても八月の半ば、遅ければ末だろう。
このような大旅行はイツキ姫にとって言葉通り初体験で、もしかすると一生に一度となるのかもしれない。そのため彼女が子供のように大喜びするのも無理はないだろう。
「温泉……確かに素晴らしかったのじゃ」
「途中にも良い湯がありましたよ」
少し残念そうな顔のマリエッタに、ソニアが苦笑しながら応じていた。苦笑の理由はマリエッタか、それともアナミであった事件か。それはソニアにしか判らないことである。
「シノブ君、私も王都ヒムカに行っては駄目かね?」
「もしかすると機会があるかもしれませんが……」
羨ましそうなベランジェに、シノブは笑みを向けつつ応える。
どうもタケルの旅は、騒動を伴うらしい。したがってシノブが顔を出すこともあるだろうし、そうなればベランジェも同行するかもしれない。
既に平穏を取り戻した筑紫の島で何かが起きることはなさそうだ。しかし残る北、ドワーフの住む地に行くことはあるかもしれない。
まだ決定はしていないが、今回の旅を終えて暫くしたらタケルは北に向かうつもりだという。シノブは、暫く前にタケルが通信筒で送った文に書いていたことを思い出していた。
シノブとベランジェが囁き合う間にも、女性達の会話は続いている。
巫女の長達は先刻同様に親しく談笑している。そのためか、側付き達も交流を始めていた。
「モモハナさんも、ヒミコ様と同じように神託を授かることはあるのですか?」
タケルの思い人の立花は、巫女姫の桃花に訊ねかけていた。
タチハナはイツキ姫のお付きになるだけあって、優れた素質を持った巫女だ。しかしモモハナは次代のヒミコ候補である。そのためタチハナは、モモハナから聞いたことを、今後の修行に活かすつもりなのだろう。
「い、いえ……私など、まだ……」
モモハナは、どうも人見知り気味らしい。同じ女性で年齢も近いタチハナですら、この通りである。
とはいえモモハナには、そうなる充分な理由がある。彼女はトヨハナの配慮により、成長を抑える秘薬を飲まずに過ごしてきた。そのためモモハナは、同じ巫女の前にも姿を現すことが出来なかった。
この過去が大きく影響したのだろう、モモハナと会話できるのは同じ巫女のタチハナくらいらしい。それでも女性なら多少の受け答えは可能だが、蓬髪に長い髭で巨漢のイサオなど寄っただけで顔が引き攣っていた。
例外はタケルくらいだが、おそらく彼が小柄で女性と見紛う容貌だからだろう。もっともタケルはモモハナを気遣ったらしく、挨拶を済ませるとイサオと共にナヒコ達のところに向かっていた。
「それでは、狸の獣人からも重臣を?」
「ええ、もっと早くにこうすべきだったのです」
問うたイサオに、ナヒコは大きく頷いていた。二人の側にいるのはタケルやミズチ、それにアワナガから来た多怒金頼である。
ナヒコ達は、これからどうするかを相談していた。
漏れ聞こえてくる内容からすると、どうやらカネヨリか父の金良を重臣に加えることになりそうだ。これまで女王ヒミコを支える重臣は全てエルフで、狸の獣人が加わったことはなかった。そこで狸の獣人に殿様と慕われるタヌ家から重臣を、となったわけだ。
カネヨリは老練な父を中央に、と言っている。したがってカネヨシが重臣、カネヨリはアワナガ地方の代官となるのだろう。
重臣達も随分と入れ替わるが、これで更に風通しが良くなるに違いない。
それに対し、女王ヒミコであるトヨハナが祭祀、将軍のナヒコが政務という分担は当面変わらないようだ。もちろんトヨハナも少しずつ祭祀以外に関わるが、いきなり政治をと言われても困惑するだけだろう。
とりあえずは、百年から百五十年という長すぎる統治期間を縮めるか、補佐する巫女を増やし女王個人の負担を減らすことになりそうだ。ナヒコは、そんな考えのようである。
とはいえトヨハナは後継者候補である姫巫女を増やさなかった。成長を止める秘薬を姫巫女に服用させるのを、彼女は嫌ったからだ。そのため補佐役も簡単には増えないかもしれない。それらを案じたのか、ナヒコの顔は僅かに曇る。
「ナヒコ殿、私達のエウレア地方にもエルフがいます」
悩めるナヒコに、シノブは声を掛ける。
エルフのことは、エルフが一番良く知っているだろう。そこでシノブは、ナヒコ達とデルフィナ共和国のエルフを会わせたら、と思ったのだ。
トヨハナにしても、デルフィナ共和国には参考になることが多いに違いない。彼の国には巫女の託宣という神降ろしが伝わっているからだ。
巫女の託宣は六人もの巫女が長時間を掛けて神の訪れを願うもので、巫女達にも大きな負担が掛かるらしい。したがって軽々しくは行えず、デルフィナ共和国では族長会議で可決されたときだけとしている。そのため六百年近いデルフィナ共和国の歴史でも、実施に及んだのは両手で数えられるほどだという。
「近いうちに彼らを紹介しましょう」
万一のときのために知っておくのは悪いことではないだろう。そう思いながら、シノブは続ける。
しかしシノブは、巫女の託宣そのものには触れなかった。シノブは秘事を教えるか否かは、デルフィナ共和国のエルフ達の判断に任せることにしたのだ。
「ありがとうございます」
ナヒコは柔らかに微笑んだ。もしかすると、彼はシノブが救いの手を差し伸べたことに気が付いたのかもしれない。聡明そうなナヒコだけに、それは充分にあり得るだろう。現に彼の顔には、引き合わせに対する喜び以上の何かが浮かんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ナヒコ、俺が若貴子様の地で学んでくる。お前はトヨ姉さまを支えるんだ」
ナヒコの隣にいたミズチだが、更に寄ると彼の手を握った。そして語り終えたミズチは友の手を離し、シノブへと向き直る。
武人寄りなのだろう、エルフとしては屈強そうな容姿のミズチである。その引き締められた顔に、シノブもただ事ではないと姿勢を正した。
「若貴子様、ご紹介いただくときは、どうか……どうかこのミズチを使節団の一人に加えていただきたく!」
声を張り上げ、詰まりながらも言い切ったミズチは、そのまま平伏する。その様子に広間にいる者達は声を失い、若き重臣を見つめるだけであった。
「ミズチ殿、顔を上げてください。もちろん、そのときにはミズチ殿にもお伝えしますから……」
シノブは、何と答えて良いか判らなかった。口にしている招待ではなく、彼がナヒコとトヨハナのために身を引こうとしていることに対してだ。
知らぬ振りをすべきなのだろうか。何しろ今日会ったばかりである。これも勝手に踏み込むべきではないことの一つかと、シノブは密かに思いを巡らす。
「ありがとうございます! ……聞いたな、ナヒコ! トヨ姉さまを頼んだぞ!」
喜色満面となったミズチは、再びナヒコへと振り返る。どうやら彼はシノブの返答を既成事実とし、ユノモリを離れることにしたようだ。
ナヒコとミズチ、そしてトヨハナは百歳に達しており、他種族なら三十代に入っている。そのためミズチは自身が早々に引き、少し遅めとなった二人の恋の後押しをと思ったのかもしれない。
「ナヒコ殿、将軍として留学を許しますか?」
シノブは直接的な口出しは避けつつも、一石を投じてみた。遠い異国に旅立ってまで二人を取り持とうとしているミズチの意気に、シノブは応えたくなったのだ。
シノブの見るところ、ナヒコもトヨハナを慕っているようだ。だが、これでナヒコが動かぬなら、あまりにミズチが哀れである。
「……はい。ミズチ、西との仲をお願いします。私はトヨ姉さまを支えます……公私の両面で」
ナヒコは、少しばかり頬を染めながらミズチに答える。
冷静沈着な人物らしいナヒコが恥じらっている姿を、シノブは微笑ましく思いつつ見守った。公私の両面、それは今の彼が口に出来る限界なのだろう。しかし、そこにはナヒコの愛が確かに滲んでいる。
シノブと同じことを考えたのだろう、広間にいる者達の殆どは顔を輝かせていた。例外はトヨハナである。彼女はナヒコに増して顔を染め、白桃のように美しい頬の上には輝く雫が伝っていたのだ。
『めでたいこと……新たな日が昇るには、新たな命が必要ですから』
『そうだな。若者よ、若日の王の国で、そして西の森の民の国で頑張るのだ。きっと、そなたにも良い出会いがあるだろう』
嵐竜のマナスとヴィンが祝福をした。雌のマナスは若々しい女性の声で、雄のヴィンは威厳のある男性の声で、三人の進む道に餞の言葉を贈る。
◆ ◆ ◆ ◆
「どうやら落ち着くところに落ち着いたようですね。私も祝福しますよ」
喜びに満ちた御座所の奥に、襖を開けて現れたのはヒミコが使っていた等身大の木人である。そう、今のトヨハナの姿に良く似た褐色の肌の女性のエルフを模したものだ。
響く声音は、ヒミコが憑依したときを更に上回る威厳を伴っていた。それに挙措も女王よりも女王らしい、いや、それを遥かに超えた風格に満ちている。
「姉上……」
シノブは思わず吐息のような囁きを漏らしてしまった。木人が放つ波動は、森の女神アルフールの神気であった。アルフールは木人に憑依して降臨したのだ。
あまり堅苦しくするとアルフールが不快に思うだろう、そう思ったシノブは僅かに頭を下げる。その脇ではアミィとマリィが大きく頭を下げたが、これは眷属だから仕方ないのだろう。
「ま、まさか……いえ……木之花姫貴子様ですね!?」
トヨハナは、神託を通してアルフールと接している。そのため彼女は木人を誰が動かしているか、見抜いていた。彼女の隣ではイツキも表情を改めている。おそらく、こちらも森の女神の訪れと察したに違いない。神託の巫女達は、落ち着いた仕草で顔を伏せていく。
『アルフール様!』
『お久しぶりです』
竜と光翔虎の多くは神々と会っている。そのため彼らには挨拶する余裕すらあった。オルムル達はアミィを見習ったらしく、可愛らしい仕草でお辞儀をしていた。
「な、何と!」
「おお……」
しかし他の者達は、平静ではいられなかった。彼らは畳に頭をぶつけるのではないかというほどの勢いで平伏していた。それは普段は飄々としたベランジェすら同じで、彼も別人のように畏まっていた。
「顔を上げなさい……私は、いえ私達は、いつもあなた達を見守っています。ですが、神頼みだけでは成長しません。
私達は、地上の者達を独り立ちさせるために神託を控えめにしたのです。当時の者達は、それに動揺をしたのでしょうね……私も許される範囲で手は尽くしたのですが……」
アルフールの宿った木人は、慈愛の笑みと共に語り始めた。しかし途中から、声は憂いを含んだものに変わっていた。
創世の時代が終わったとき、神々は地上から離れ同時に支援も減らした。それは彼女が語った通りの理由なのだろう。
アルフールも、創世の時代は事細かに導いたに違いない。しかし、その後は距離を置くと神々は決めた。そのため望まぬ方向に進んでも、彼女は多くは語れぬ神託で暗示しつつ見守るしかなかったのだろう。
例外は異神が暗躍したエウレア地方だ。今から六百年前から五百年前にかけてエウレア地方には多くの眷属が降り立ち、人々に様々な知恵を授けた。
もしかするとデルフィナ共和国に伝わる巫女の託宣も、そういった眷属の教えたものの一つなのかもしれない。シノブは確たる根拠はないが、そんな経緯だったのではと想像した。
「私は、この地のエルフと獣人を取り持つものとして長寿の仙桃を授けました。あの『ピッチピーチ』は、寿命の短い獣人達への配慮だったのです」
木人が発した言葉に、シノブは吹き出しそうになった。おそらくアミィやマリィも、苦笑を堪えているのではないだろうか。
シノブ達三人以外は地球の知識がない。それにベランジェや竜に光翔虎にも、そこまで詳しく伝えていなかった。したがって他は神々の深遠な配慮と思っているだろうし、実際そうには違いない。
しかし、今このときにアルフールの魔法植物の名を聞かされる。それは、ある意味で非常に辛い試練であった。
「そ、そのような……何とも申し訳なく……」
「いえ、あなた達が謝ることではありません。私も明確な神託を授け直したかったのですが、世を覆すような大異変でもない限り、そうはいかないのです」
再び平伏したトヨハナに、アルフールの操る木人は鷹揚な笑みと言葉で応じた。そのためだろう、トヨハナは恐縮しながらも顔を上げた。
「これから先も、大きな凶事が近づけば神託で暗示するでしょう。しかし、常に神託を受けるだけの巫女がいるとも限りません。ですから、自身で道を選び進む勇気を大切にしなさい。
とはいえ恐れることはありません。日は沈めば、また昇るのです。たとえ偉大な者が隠れても、再び空に日の昇るごとく、新たな希望を運ぶ者が現れるのですから……そう、ここにいるシノブ……ヴィン達が呼ぶ若日の王のように」
トヨハナに良く似た木人は、緩やかな動作でシノブに歩み寄る。そして木人は静かにシノブの隣に座ると、どこかアルフールに似た笑みで彼を見つめた。
「若日の王は、私だけではありません。トヨハナ殿、イサオ殿……そして先々はタケルも。新たな日は、ここヤマト王国でも強く輝くでしょう」
「そうですね。シノブ……他の若日の王達と手を携え、人々を導き幸を齎すのですよ」
シノブの静かな言葉に、アルフールの操る木人は澄んだ声音で応じる。
集った者達は、シノブの語った未来のように太陽に勝るほど輝く顔となっていた。そして彼らは時を忘れたかのように身じろぎもせず、シノブと女神の寄り代の並ぶ様を見つめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年10月4日17時の更新となります。
次回から第19章になります。




