18.31 混迷の島 中編
アワナガ地方の代官である忌部火武貴の暴挙から、一夜明けた。
カブキは拘束され、目付の多怒金頼が臨時に代官の代行となった。そしてカネヨリを含む一団は、カブキを王都ユノモリに護送する。もちろんソニア・イナーリオなどシノブが送り込んだ者達も、共にユノモリに向かう。
しかし彼らには、出立の前にすべきことがあった。それはカブキが勝手に持ち出した巨大木人『多怒金狗』の回収である。
ソニアとマリィ、そしてタヌ家の先代である金良などは、大破した『多怒金狗』がある山裾近くの野原へと向かう。
一行は馬車に乗ってアナミの町を出発した。馬車はソニア達が乗ってきた魔法の馬車ではなく、代官所の役人である狸の獣人が操る無蓋のものだ。
『多怒金狗』は背丈が人の十倍ほどもある巨大な木人で、馬車に積むことなど出来はしない。壊れていなければ誰かが憑依して動かすのだが、残念ながら無理である。
しかし動かすための方策は存在する。それは馬車で進む一行の後ろに続く、全高14m少々の木人『若狗』だ。
「これは、作業用なのですね?」
ソニアは後ろの『若狗』を眺めつつ、隣に座る狸の獣人カネヨシに問うた。
ズングリとした『多怒金狗』とは違い、『若狗』は人間の体型にかなり近かった。そして随分と簡素な造りでもあった。
『多怒金狗』の八割ほどの緑色の巨体は、甲冑を着た兵士のようでもある。しかし頭部は飾り気のない半球状で、目も簡略化したのか顔の中央に一つしか存在しない。肩も上から丸い装甲を被せているのは左側だけだ。
「はい。しかも、この『若狗』は旧型でして……」
ソニアと同じく後ろを向いたカネヨシは、少し恥ずかしげな顔となっていた。やはりアワナガは地方だけあって、最新型は回されないのだろう。
『若狗』は、木材の伐採などにも使う作業用の木人である。そのため『多怒金狗』ほど頑丈でもないし、武装も存在しない。しかし今回のように大破した木人を回収するくらいなら、充分である。カネヨリは、そう語っていく。
『今のアワナガには、これしかありませんから』
『若狗』から響いてきたのは、操縦者の魔津威武貴の声だ。なお、『若狗』に憑依しているイブキの肉体は、馬車の荷台の上である。
イブキはアワナガ生まれのエルフで、代官を支える重職の一人だ。彼は中央の名家の出身ではないが、魔力も非常に大きいから、巨大木人の操縦が可能であった。
『これが無かったら、当分『多怒金狗』を野ざらしにするところでしたよ』
イブキの言うように、木材の伐採を行わないこの時期は殆どの木人を王都ユノモリに送っていた。木人の本格的な整備や修理が出来るのは、ユノモリだけなのだ。そのため梅雨時となる前に木人をユノモリに移動させ、整備の終わった順に夏ごろから戻すという。
したがって、今のアワナガには壊れた『多怒金狗』と、この『若狗』しか存在しない。
ちなみにマリィなら魔法のカバンを使うなりして運ぶことは可能である。しかし『若狗』があるから、彼らに任せたわけだ。
「あの『多怒金狗』には、幻惑の魔道具が装備されているのでしたね?」
「その通りです。意識を逸らす魔力波動を腹部から発し、自身の存在を誤魔化します。催眠の一種ですが、眠るほどではありません」
マリィの問いに、カネヨシは深く頷いた。
カネヨシはソニア達を大王家の隠密だと思っている。しかも彼からすれば、ソニア達は孫を救ってくれた恩人でもある。そのため彼は、余程のことでもない限りソニア達の問いに答えてくれた。
もっとも、それらは代官所の役人くらいなら誰でも知っていることだし、街でも少し聞き込めば判る程度である。したがってカネヨシも、伏せる必要を感じないのだろう。
『これにも追加で装着できますよ。魔力を随分と食いますが』
イブキは明るい口調で言い添えた。彼は百二十歳を超えており、他種族なら三十代後半に入っているのだが、冗談めいた物言いをするためか若者のような印象を受ける。ただし彼の肉体自体は年齢相応であり、整った容貌は中年紳士という言葉を想起させた。
「それで他領に木人のことが伝わらなかったのですね……ところでイブキ殿、アワナガのエルフの皆様が木人の整備を出来ないのは何故ですの?」
『木人を作る技は忌部の一族が握っているからです。彼らは地方に秘密を明かしません。何やら、彼らしか知らない仕組みまであるとか……』
マリィの問いに、イブキは最前までとは違う苦々しげな口調で答えた。
カブキや彼の曾祖母で女王の側近でもある火雅美が属するイベ一族は、木人術や符術に長けた特殊な集団らしい。おそらくは都で暗躍した中部多知麻呂の先祖も、彼らに木人術を学んだのだろう。
タチマロの符術は、動物霊を使役する忌まわしきものであった。もしかすると、それらもイベ一族の影響を受けたのであろうか。そう考えたのだろう、マリィやソニアの顔には明らかな憂いが滲んでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
ヤマト王国の王太子である大和健琉や叔母の斎姫、それにクマソ王の熊祖威佐雄などを乗せた船団は、ナニワの港を朝早く出港した。しかしタケルとイツキ姫は、港を発ってから幾らもしないうちに船室へと篭もってしまった。
「タケル様、船に弱かったのか? もう半日近いぞ」
「ヤマト姫様は女性だから判るが……そもそも都から遠く離れたことはないんだろ?」
船乗り達は、甲板の中央にある船室へと顔を向けた。するとタケルの側仕えの筆頭格である伊久沙が彼らをジロリと睨んだ。タケルの側仕え達やイサオなどが船室を取り囲んでいたのだ。しかも光翔虎のシャンジーやメイニーまで、船乗り達を凝視している。
そのため船乗り達は、自身の仕事に慌てて戻る。今回は急ぎの船旅で、通常なら六日の日程を四日に短縮するように命じられていた。したがって無駄口を叩いている暇がないのは事実である。
とはいえ船乗り達は、やはり船室に篭もったタケルとイツキ姫が気になるようだ。
ヤマト大王家の者達は特別な力を持っているというし、イツキ姫は神託を授かる巫女の長ヤマト姫だ。その二人が閉じ篭もっているのを、信心深い船乗りは不吉に感じたのだろう。
しかし真実を知れば船乗り達は安堵したに違いない。タケルやイツキ姫は、ある意味では吉兆を迎えていた。それは姿を消して訪れたシノブと、彼の第一の従者であるアミィであった。
「タケル……自分の中にあるものを思いっきり出すんだ。全てを解き放って……」
「……こ、こうですか?」
シノブはタケルの体に手を添え囁きかける。すると若き王子は、もどかしげな声でシノブへと問い返した。
タケルの顔は、少しばかり赤く染まっている。それに彼の顰めた眉の上には、微かに汗も滲んでいた。
「ああ、そうだ……良い感じだよ」
「こ、これで良いのですね! だんだん感じてきました……」
シノブはタケルに寄り添いつつ、優しく語り掛ける。するとタケルは一瞬声を上げた後、目を瞑って何かを祈るような表情となった。
「そうだ、そのまま魂を解き放て!」
シノブが叫ぶと同時に、タケルの体から力が抜けた。タケルは彼の前に置かれた小型木人『猫人くん』、猫のような着ぐるみを装着した幼児ほどの人形に憑依したのだ。
これから向かう伊予の島には、多数の木人が配備されているらしい。しかも、それらを悪用する者達がいる。
そこでシノブは、木人の使い方をタケルやイツキ姫に教えることにした。タケルは大きな魔力と巫女の素質を持つし、イツキ姫は神託を授かる巫女だ。この二人なら高い適性があるとシノブは睨み、そして彼の予想は見事に当たったわけである。
「やっぱりシノブ様にお願いして良かったです!」
「ああ。アミィ達は無意識に出来るみたいだけど、俺達には難しいからね」
微笑むアミィに、シノブは同じように顔を綻ばせ大きく頷き返した。
一方、見守っていたイツキ姫やタチハナ、それにイズハの顔は、うっすらと上気している。シノブとタケルが寄り添う姿を、彼女達は食い入るようにして見つめていたのだ。
実は最初、ここから近いアナミの町からホリィが来てタケル達に木人への憑依を教えた。しかしホリィは憑依に苦労したことがなく、タケル達に上手く説明できなかった。
神々や眷属が暮らしている神界は、精神世界に近いものらしい。そのためホリィだけではなくアミィ達も、魂を移す術を意識せずに使いこなせるようだ。
そのため眷属のやり方は、木人に触り魂を移そうと思うだけでコツも何も無かった。そこでシノブが来て、タケルとイツキ姫に木人への憑依の仕方を教えることになったわけだ。
「イツキ殿も、もう一度憑依をしてください。そして木人に乗り移ったまま、タケルと思念を交わしてみましょう」
シノブはタケルを支えたまま、イツキ姫へと顔を向けた。
ちなみにイツキ姫は先ほど無事に木人への憑依を成功させていた。シノブは彼女にも説明したのだが、こちらはヤマト姫として長く修行を積んだだけあって、短い時間で憑依を成し遂げたのだ。
「は、はい……」
頬を染めたイツキ姫は、先ほどと同じくタチハナ達に支えられる。そして数瞬後、彼女の体からも力が抜ける。
──叔母上?──
──聞こえるわ。……し、シノブ様達にも伝わっているでしょうか?──
タケルに続き、イツキ姫も思念を発した。
ちなみに今回シノブと顔を合わすまで、イツキ姫は彼を若貴子と別称で呼んでいた。しかしシノブが名前にしてほしいと伝えたから、彼女は慣れぬ呼び方に思念を揺らがせることとなったわけだ。
──ええ、大丈夫です──
──それではタケルさん、イツキさん。木人を動かしてみましょう。お二人なら船旅の間に練習を重ねれば、巨大木人でも動かせるようになりますよ──
頷いたシノブに続き、アミィが二人に訓練するようにと勧めた。そして彼女は立ち上がると、動きの見本を示していく。
やはりヤマト大王家の血は、かなり特殊なようだ。魔力も人族にしては別格に多い上、更に巫女としての適性が高いからだろう、憑依したばかりの二人は木人を上手に操っている。
──ホリィ、マリィ! タケルとイツキ殿も木人を操作できるようになった!──
シノブは伊予の島にいるホリィとマリィに思念を送った。二人にも通信筒は持たせているが、思念を使える者同士なら、こちらの方が早い。
──お手数をおかけしました。アナミからユノモリまでの道を探ってみましたが、異常ありません──
──良かったですわ! 『多怒金狗』の回収は終わりました。今は今後のことをカネヨリ殿達と話しているところです──
ホリィとマリィから、間を置かずに返事が返ってくる。ホリィは行く先を偵察中、マリィはアナミの町で出発の準備をしているという。
──ありがとう、気を付けてね!──
思念を送り終わったシノブは、再び木人達を眺める。可愛らしい猫のような木人は、アミィと共に踊っていた。その様子からすると、どちらも自身の肉体と同じように操れているようだ。
これならエルフのような長時間は無理であっても、短い間なら巨大木人を動かせるだろう。そして木人の操作が、伊予の島で切り札となる可能性は大いにある。それをタケルとイツキ姫も承知しているから、一心に訓練に励んでいる。
幼児くらいの人形達と少女が踊る光景は、心が和むものであった。そのためシノブは、出来ればこの訓練を活かす機会がないようにと念じながら、静かに見守っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日の7月10日、アナミの町から代官の代行タヌ・カネヨリが率いる一団とソニア達が、王都ユノモリへと旅立った。本来なら前日中に出発する筈だったのが延びたのは、アナミに大勢の狸の獣人が押し寄せたからだ。彼らはユノモリまで共に行き、女王日巫女に直訴するとカネヨリに願ったのだ。
これにはカネヨリを始めとするアワナガ地方の重職達も頭を悩ませた。素っ気なく断ったら住民達が暴走しかねないが、とはいえ王都に何千人もの民を率いて上っては謀反と取られかねない。
そこでカネヨリ達は各町村の代表者を選び出し、自分達と合わせて百名ほどに減らした。そしてカネヨリの父カネヨシはアナミに抑えとして残り、一行は罪人護送用の駕籠に閉じ込めたカブキをユノモリに運んでいった。
おそらくカネヨシやソニア達は、7月12日の夕方にユノモリに着くだろう。そして海路を往くタケルも前後して到着すると思われる。
ちなみにソニアやタケルは互いの状況を極めて正確に知っていた。ソニア達にはホリィとマリィ、タケル達にはシャンジーとメイニーがいる。そのため彼らは、思念で頻繁に連絡し合っていたのだ。
一方ユノモリのエルフ達も、そこまで厳密ではないが双方の動きを捉えていた。カネヨシ達が進む街道には急使のための馬と伝令兵がいるから、どこまで来たかは報告が入る。
そしてタケル達の船団も一日の終わりには港に寄るから、同様にユノモリへと早馬が送られたのだ。
ユノモリにいるのは、若手を中心にした改革派と長老達に率いられた旧守派だ。そして今、改革派の若者達が、整備のために集められた木人の格納庫群へと集結していた。
格納庫群はユノモリの郊外にあった。巨大な木人達が格納されるだけあって、大きな倉庫が何十と立ち並ぶ場所だ。倉庫は木造だが巨大木人を稼動させる広場もあるから、森を好むエルフ達にしては随分と殺風景な場所である。しかし、それも無理はないだろう。ここは一種の軍事拠点だからだ。
その中でも一際立派な建物に、最年少の重臣である多気美頭知がいた。
「ミズチ様、本当にカガミ様達は来るのでしょうか?」
他種族なら二十歳くらいに相当する若いエルフが、不安げな顔でミズチへと問うた。どうやら彼らは長老格の重臣カガミなどが、木人を奪取にくると思っているらしい。
「来るだろう。カブキの暴挙は看過できん。アワナガ地方では数千人の狸の獣人が集まっているそうだ。そして彼らを宥めるには、カブキの処刑は必要だ。
覆すには力で押し通すしかないし、イベの者達が得意とするのは木人術だ。これで木人を奪わぬわけがなかろう」
まだ百歳程度のミズチだが、彼は重臣らしい風格が滲む重々しい声で応じる。
将軍の美魔名彦は、この格納庫群の守護をミズチ達に命じた。建前は大王家とクマソ王家の訪れに備えての警備強化としているが、ナヒコとミズチの双方ともカガミ達の暴走を恐れ先手を打ったのだ。
これでカガミ達が暴発すれば捕縛も出来るが、何もしないのに拘束するわけにもいかない。せめてカブキの裁きが終われば、監督不行き届きでカガミを罰するだろうが、カネヨリ達の着く前では強引に過ぎる。
「我らが使うもの以外は、全て要を抜いたな?」
「はい! 合わせて百の『若狗』は、全て起動できません! そして、こちらの五体には既に憑依を終えています!」
ミズチの問いに、先ほどとは別の若者が答える。
ここには作業用の木人『若狗』が百体と防衛用の巨大木人が五体の、合わせて百五体が集められていた。
そして若者が報告した通り、作業用の木人からは制御の核となる部品を外していた。そのため、百体の『若狗』を動かすことはできない。
更に防衛用の五体には、既にミズチの配下が憑依している。したがって、カガミ達が使うことの可能な巨大木人は存在しない筈であった。
「後は各地に残したものと、王都防衛用だけ……そして王都防衛用も常時憑依を命じている」
「はい、これでしたら……」
ミズチの言葉に若者が応じたとき、建物の外で轟音が響いた。どうやら、彼らの予想通りに襲撃者がやってきたらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
「貴様ら、誰だ!? それに、その灰色の『若狗』は!?」
ミズチは目の前に立つ五体の巨人『若狗』へと呼びかける。ミズチは相手をカガミの手の者だとは思っているだろう。しかし彼の前にいるのは木人達であり、憑依した者の顔など判りはしない。
それはともかく簡単に接近を許したのは、これらの五体に幻惑の魔道具が備わっているからなのだろう。実際、各所から駆けてきた若者達は何も気付いていなかったようで驚愕を顕わにしている。
『誰でも良かろう……だが、一つだけ教えてやろう。これは『灰若狗』だ。我らが主の作りし新型よ』
灰色の木人『灰若狗』は、アナミでアワナガの重職イブキが使った『若狗』より僅かに大きいようだ。しかし大きさより、もっと目を惹く違いがある。
ミズチの前に立つ五体の巨人はイブキの『若狗』とは違い、左腕に大きな盾、更に右腕にも小さな四角い盾を装備していた。それに各部の木材も随分と分厚く、しかも右手には巨大な戦斧を携えている。どうやら、純粋な作業用ではなさそうだ。
「くっ! だが、こちらには『衛留金狗』がある!」
ミズチが叫ぶと、それが合図であったかのように彼の後方から五体の巨大木人が現れた。
こちらは『灰若狗』より頭一つ以上大きく、全高はカブキが使った『多怒金狗』にも匹敵する。しかし体は随分と細く、すらりとした姿はエルフに似ている。
耳らしきものが長く横に張り出しているのも、やはりエルフを模しているのだろう。そして腰の辺りには帯状の何かを巻いている。
ちなみに色は白地だが、ところどころ黒く塗られており、斑とも縞とも言い難い模様を描いていた。
『この『灰若狗』は純粋な戦闘用! 『若狗』とは違うのだよ、『若狗』とは!』
『何を! 『衛留金狗』の雷撃、受けてみろ!』
戦斧を構えて突進する五体の『灰若狗』を、同数の『衛留金狗』は電撃らしきもので応戦した。
『衛留金狗』の帯は、電撃のためのものらしい。五体の白い巨人は腰の帯を解くと鞭のように片方の端を相手に投げつけた。そして帯の先端が『灰若狗』に巻きつくと、白い輝きが帯から灰色の巨体へと伸びていく。
『うおおっ!』
『耐えるのだ、あと少しだけ……』
灰色の巨人は何体かは、帯を断ち切ろうと戦斧を振り下ろす。しかし帯は単なる布ではないらしく、寸毫たりとも傷が付かない。
だが、『灰若狗』の乗り手には秘策があるらしい。彼らは長時間の電撃を受けても怯むことはなかった。
「大人しく投降しろ! 魂に取り返しのつかない傷が残るぞ!」
ミズチは『灰若狗』の操縦者に降伏を勧めた。
やはり木人が受けたダメージは、精神体にも影響するらしい。単なる物理的攻撃なら違うのかもしれないが、魔術などであれば魂が持つ力が損なわれるなどの悪影響があるのだろう。
しかし優勢により余裕が滲んだミズチの顔は、幾らもせずに驚きで満たされることになる。
『こ、これは……』
『憑依が解除される!?』
五体の『衛留金狗』は、何れも唐突に停止していた。白く光っていた帯も輝きが失せ、魔力が途切れたせいか相手に巻きついていた先端は、空しく外れ地に落ちる。
「ま、まさか!?」
『そうだ……我らが主の符術だよ。密かに飛ばした符が『衛留金狗』の停止装置を作動させたのだ。もっとも、そんなものがあるとはお前達は知らなかっただろうがな!』
驚愕するミズチに、『灰若狗』の操縦者は勝ち誇る。
やはり、彼らはイベの一族か配下なのだろう。木人の開発や整備の中心にいるのはイベの一族であり、その彼らに対抗するのに木人で挑むのは無理があったのかもしれない。しかし、人間の八倍以上もの巨体の『灰若狗』に、生身で勝つのは困難だろう。
「くっ! やはり通じないか!」
「だ、駄目か!」
ミズチ達は、それぞれ得意の魔術を放つが灰色の巨人には殆ど影響がないらしい。火炎の術を使う者もいるのだが、木人の表面には魔力障壁か何かがあるのか焦げることすらなかった。
「お前達は逃げろ! 他の者にも伝えて避難させるのだ!」
ミズチは自分が牽制し、配下達を逃がそうと考えたらしい。
こうなっては生身のミズチ達が、五体の『灰若狗』を倒すことは出来ないだろう。したがって誰かが時間を稼いでいる間に、撤退するしかないのは事実であった。
「み、ミズチ様は!?」
「ここで退いたらナヒコに顔向けできん! それに、こんな奴らに木人を渡すわけにはいかん!」
配下達が避難していく中、ミズチは必死に水弾を撃ち続ける。流石は重臣になるだけあって、その攻撃は精密かつ効率的であった。彼は五体の灰色の巨人の一つ目に、同時に水弾を当て続けていたのだ。
『ミズチよ、そんなものは通じんぞ。大人しく投降しろ……などと青臭いことは言わん。お前の命……』
左手の盾を掲げて一つ目を保護した中央の『灰若狗』が、巨大な戦斧をミズチに振り下ろした。しかし巨人の攻撃は、若き重臣に当たる前に何者かによって弾かれていた。
『人の子の争いには介入したくないが、非道は見逃せん』
唐突な突風と共に、重厚な声が響いた。それは今まで両陣営の巨人達が発した声の全てと違う、力強く威厳に満ちた声音であった。
『な、何だ!?』
『き、消えた!?』
かなりの時間続いた突風が去ったとき、灰色の巨人達の前にミズチ達の姿はなかった。どうやら声を発した何者かが、彼らを逃がしたらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
──フェイジーの兄貴、それって本当なんですか!?──
紺碧の海を西に進む船の上に、若き光翔虎シャンジーの思念が響き渡った。あまりに驚いたためか、彼の口調は普段とは違う鋭いものになっている。
焦りの滲むシャンジーの思念を聞くことが出来たのは、極めて僅かな者だけだ。
まずは同じ光翔虎でフェイジーの番であるメイニー。それからタケルとイツキ姫。この一頭と二人だけである。
ただし遠く離れた地を加えれば、更に二人が追加される。それは陸路でユノモリに向かっているホリィとマリィである。どちらも既にユノモリから100km以内に入っているから、三箇所に分かれていても思念を用いて会話できるのだ。
──ああ、この街を見張っていて良かったぞ。ミズチという若者は、危うく木の巨人の大斧で殺されるところだった──
三百歳を超えたフェイジーは、百歳程度のミズチを若者扱いしていた。もっともフェイジーは人族などの歳で表せば三十歳に達していない筈だから、仮にミズチが聞いていたら苦笑したかもしれない。
フェイジーは、ミズチ達を助け出したときの様子を語り始めた。
それを受けてイツキ姫はフェイジーの語る内容を通訳し、部屋にいる他の者達に伝えていく。部屋にはクマソ王のイサオや、イツキ姫のお付きであるタチハナやイズハなどもいたのだ。
──フェイジーの兄貴、悪い奴の巨人は倒さなかったんですか!? 兄貴なら、巨人を倒して操っている奴らを捕らえることも出来ますよね!?──
シャンジーは、フェイジーがミズチ達を逃がすだけで『灰若狗』と戦わなかったことに憤慨したらしい。彼は兄貴分に対するものとは思えないほど、激昂を隠さぬ強い思念を放っていた。
──落ち着け、シャンジー。これは人の子同士の争いだ。俺達が首を突っ込みすぎるのは良くない。確かに、あのミズチという若者は義により動いていたようだ。しかし、俺も全てを見通したわけではないのだ──
フェイジーの思念には諭すような雰囲気が含まれていた。彼は卑怯な行いで命が失われることは避けた。しかし、それ以上の肩入れはせずに済ませた。
その背景には、人間のことは人間で、という考えがあるのだろう。そして最後に触れたように、光翔虎の強大な力を軽々しく振るうのを回避したのだと思われる。
──そうよ。これはヤマト王国の人達の問題……だから、シノブさんも直接の手出しを控えているでしょ?──
メイニーもシャンジーへと優しい思念を送る。そして彼女は、まだ成体となるには百年もある若き光翔虎の憤りを静めるように、静かに体を擦り寄せた。
──確かにミズチという方は善良に見えますわ。ですが、フェイジーさんの言う通りに、早合点は禁物です──
──それに、あと少しでユノモリに着きます。それまでは命が失われないようにだけ務めましょう。それが、私達の役目だと思います──
マリィとホリィも、遠方からシャンジーに言葉を送る。
眷属である彼女達がユノモリに行きヒミコなどに会えば、この件もすぐに片付くかもしれない。しかし、それではヤマト王国の人達が、自身の力で前に進んだとは言えないだろう。
だが、罪も無い者が巻き込まれ命を散らすのは避けたい。それ故ホリィやマリィも、なるべく表に出ないようにしつつ、最小限の関与で済ませているのだと思われる。
──そうですね……でも、フェイジーの兄貴~?──
──何だ?──
いつもの調子に戻ったシャンジーに、フェイジーも兄貴分らしい親愛の滲む思念で応じた。
フェイジーにとって、シャンジーは従兄弟であり弟分でもある。そのため彼は、シャンジーを大いに気に掛けているようだ。
──ボクとタケルが都に向かっているときも、そうやって落ち着いて見極めてくれれば良かったのに~──
シャンジーは楽しげに尻尾を振りつつ思念を発していた。
タケルを護り都へと旅するシャンジーを、人間に媚びたと誤解して問答無用で攫って自身の修行の場である高山へと連れ去ったのは、フェイジーだ。しかも、まだ二ヶ月にも満たない最近のことである。
あのときフェイジーは、相手が弟分だから頭に血が上ったとシノブ達に弁明した。これではシャンジーに粗忽だと冷やかされても仕方がないだろう。
──う、うるさい! あれから反省したのだ!──
からかうシャンジーに、うろたえるフェイジー。二頭のやり取りに、一同は声を立てて笑い出す。もちろん、イツキ姫の通訳で知ったイサオ達も含めてだ。
過度の介入は避けるが、それでも人と寄り添い生きる光翔虎や眷属達。彼らが見守っているのだから、きっと明るい未来が訪れるだろう。西へと向かう船団は、タケル達と共に希望と優しさを伊予の島へと運んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年9月28日17時の更新となります。




