18.30 混迷の島 前編
幾つかの必然と偶然の重なりが、伊予の島を動かそうとしていた。
ここ伊予の島は全体だとエルフが圧倒的に多いが、アワナガ地方では逆に狸の獣人が優勢だ。そしてアワナガ地方の代官は代々エルフが務めてきた。
したがって、いつかはアワナガ地方で狸の獣人とエルフが衝突しただろう。その発端が難しい地を預かった代官の失策というのも、大いにあり得ることだ。だが、騒ぎが起きたときアワナガにエウレア地方の者がいたのは、必然か偶然か。
シノブは森の女神アルフールの言葉を受け、この地にソニア・イナーリオ達を送り込んだ。その意味では単なる偶然とは言い難い。しかしアワナガ地方の代官がいるアナミの町にソニア達が着いた日に、その代官が暴挙に出たのは偶然であろう。
アワナガの代官は、忌部火武貴というエルフの青年だ。そしてカブキは自身を支える重職の一人である目付の多怒金頼に嫉妬していたらしい。タヌ家はアワナガの狸の獣人の中でも別格の名門で民にも慕われていたから、カブキからすれば目障りだったようだ。
カブキは五十歳だが、長命なエルフだから他種族では二十歳といったところだ。彼は長い生で知識は溜め込んだのだろうが、若々しい肉体のためか驕慢なところが目立っていた。
そのためだろう、カネヨリや彼の父で先代の金良が忠告してもカブキは聞き入れず、ますます反発したという。
カブキの曾祖母は女王日巫女の重臣の一人、忌部火雅美である。そのため彼は、今まで挫折など知らなかったのかもしれない。しかしアワナガでは地元の名門タヌ家の者が殿様と慕われ、余所者であるカブキよりも高い人気を得ていた。そのことにカブキは強く妬んでいたようだ。
その嫉妬が爆発したのだろう、カブキはカネヨリとカネヨシの暗殺を試みた。
カブキはカネヨリの長男金太郎を誘拐し、町から遠く離れた野原にカネヨリとカネヨシを呼び出した。しかもアワナガの守りである巨大木人『多怒金狗』を持ち出し、憑依した上でだ。
『多怒金狗』は人間の十倍はある巨体で、更にキンタロウを盾にしている。それ故カネヨリ達は、抵抗することもできなかった。
しかし悲劇は未然に防がれた。姿を消したままカネヨシ達に同行したソニア達は、キンタロウを助け出し『多怒金狗』を撃破した。そしてアマノ王国から駆けつけたシノブが、遠方に潜んでいたカブキと従者を見つけ取り押さえた。
カブキと従者は、姿を隠したホリィとマリィによりカネヨシ達のところに運ばれた。これで一件落着ではあるが、そこから様々な出来事が引き起こされるのも必然ではあった。
「では、カネヨリ殿が代官を代行するのですね?」
ソニアはタヌ家の離れで、再び当主のカネヨリや先代のカネヨシと向き合っていた。
今は救出から数時間後の深夜である。外は漆黒の闇に包まれ、室内を照らすのは魔道具の燭台による灯りだけであった。
とはいえ、これだけの大事件だ。当然ながらソニアだけではなく、一行の十人全てが離れの広間に集まっている。
「はい。幸いカブキが素直に自白したので」
カネヨリは憂いの滲む顔で首肯した。
キンタロウを取り戻したカネヨリ達は、アナミの町に戻るとアワナガを支える重職達を呼び集め、カブキの非道を公にした。当然ながら重職達は驚愕したが、カブキが自身の暴挙を認めたから彼の停職と拘束は満場一致で決定した。
『多怒金狗』が大破したとき、カブキは精神に強い衝撃を受けた上に多くの魔力を失ったらしい。
木人には肉体を離れて憑依する。つまり木人に乗り移っている間は、一種の精神体となるのかもしれない。そのためカブキはマリィが操る『木人ガー』に撃破されたとき、神の眷属である彼女の真の姿を垣間見たようだ。
更に木人の破壊により強制的に肉体に戻ったためか、カブキの魔力は大幅に減じていた。一時的なものかもしれないが、今の彼は魔術を行使することも出来ないという。おそらくマリィの放った魔力を込めた一撃が、彼の魂にも大きなダメージを与えたのだろう。
「皆様の御助勢、感謝の言葉もありませぬ。このタヌ・カネヨシ、御恩には必ず報いますぞ」
先代のカネヨシは、瞳を僅かに潤ませつつ言葉を紡いでいた。そして彼とカネヨリは、額を畳に擦り付け平伏する。
ソニア達は野原に姿を現さなかった。しかし二人は、キンタロウ救出は彼女達の成したことだと確信しているようだ。
カネヨシ達は、ソニア達を大王家の隠密だと思っている。そしてソニア達は、木人が絡んだ都の事件が発端で伊予の島に来たという。そのため二人は、自分達が知らない木人の出現にソニア達の影を感じたのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「顔を上げてください。カブキには天罰が下っただけです。それより、この後はどうなるのでしょう?」
ソニアは自分達の関与については肯定も否定もしなかった。手の内を明かしたくないという思いもあるだろうが、彼女は今後どう動くかを先に知りたいようだ。
「カブキとは、王都の重臣の曾孫だと聞いていますが……」
「それに、魔力が回復したら脱獄など企てないでしょうか?」
ホリィとマリィも、顔を上げたタヌ家の二人に問い掛ける。
相手は大王家の隠密だと思っている。ならば無理に少女としての演技を続けなくても良い。おそらくホリィ達は、そう判断したのだろう。
「勝手に防衛用の木人を持ち出して大破させただけでも大きな失態です。我らアワナガの重職にはエルフもおりますが、彼も呆れておりました」
アワナガには代官の下に五人の重職がいた。そしてカネヨリが言うように重職のうち一人はエルフで、残りが狸の獣人だ。これはアワナガの種族の比率と、ほぼ等しいらしい。島全体を治めるのはエルフだが、彼らも二万五千人の民のうち八割近くが狸の獣人という特殊な地に配慮をしたのだろう。
そのエルフの重職だが、カブキの短絡的な行動には呆れ返ったらしく積極的に拘束に賛成した。彼はエルフだがアワナガで生まれ育ったこともあり、カブキに対し過度に同情することもなかったのだ。
「魔力については、大丈夫かと。エルフの秘術による『魔封じの枷』がありましてな」
カネヨシは他領の者には詳しい説明が必要だと思ったらしい。彼は『魔封じの枷』について語っていく。
『魔封じの枷』とは、簡単に言えば魔力を吸い取る魔道具である。隷属の魔道具とは違い、意思を縛ることはないが、枷を着けた者の魔力を強制的に奪っていく。そのため『魔封じの枷』を装着した者は、魔術を使用できなくなる。
ちなみに同じような魔道具は、エウレア地方のエルフ達も造っていた。エルフは魔力が大きく高度な魔術を使える者が多いため、必然的にそのような道具が生み出されたようだ。
ただし、エルフ以外の種族だけが住む地域や国家では、そういった拘束具は存在しなかった。どうもエルフと違い強力な術者が稀だから、専用の拘束具の誕生には至らなかったと思われる。そのため他では、催眠の術で対象者を朦朧とさせるのが一般的である。
「とはいえ枷も絶対ではありません。早々に王都ユノモリに送り、正式な処罰を願うつもりですが……」
「何か問題が?」
言葉を濁したカネヨリに、ソニアは険しい表情で問う。
もしかすると、カブキが無罪とされるのでは。彼は女王ヒミコを支える長老格の老女カガミの曾孫であり、二人のイベという一族も大きな力を持っているらしい。ならば、カガミなどが揉み消しに動くかも。ソニアは、そのように考えたのだろう。
「それで民が収まるか……お気付きかもしれませんが、町は既に騒然としています。私を始めとする重職も、どう抑えるべきか苦慮しておりまして……」
「そのため、このような遅い時間に参上する羽目になったわけで」
どうやらカブキの暴挙は、アワナガ地方に潜んでいた問題に火を付けてしまったようだ。カネヨリやカネヨシが憂い顔なのは、それを穏便に収めたいが故であったらしい。
もちろん二人も跡取りを危険に晒されたのだから、カブキに厳罰をと思っているだろう。しかし今回の件が大きな騒乱の始まりとなるのは、彼らも避けたいに違いない。
「なるべくなら、小さく収めたいのです……皆様の前で言うべきことではありませんが」
カネヨリは苦渋の色が滲む表情で呟くと、ソニアを真っ直ぐに見つめた。彼はソニア達の反応を探ろうとしているようでもある。
「お考えに賛同します。ご承知かと思いますが、クマソ王の治める地でも危うく内乱という事件がありました。ですがクマソ王が事態を収拾したため、大王家は罰しませんでした」
ソニアは筑紫の島での一件を持ち出した。クマソ王家の分家である川見家が巨大な蛇の魔獣を操り反乱を企てた事件である。
「今回の件も都の知るところになるかと思いますが、伊予の島の中で適切に対処できるなら、それで済むのではないでしょうか」
ホリィも柔らかな口調で語りかける。彼女は単なる想像のように語っているが、これには根拠がある。
シノブはアマノ王国へと戻る前に、あることをホリィやマリィに命じた。それはヤマト王国の王太子である大和健琉に、この件を伝えるようにというものだ。このままだと、タケル達は何も知らずに伊予の島へと訪れることになるからである。
タケルには、光翔虎のシャンジーとメイニーが随伴している。そして彼らは、現在ここから130kmほど離れたナニワの町に到着していた。そのためホリィやマリィは、アナミから動くことなくシャンジー達に思念で連絡した。
そして知らせを受けたタケルは、都にいる父の威利彦、つまり大王にも伝えた。シャンジーやメイニーはナニワから都の50km程度など一時間もしないうちに往復できるから、タケルが連絡を頼んだのだ。
そのためイリヒコは既にこの件を知っているし、ホリィの言葉も彼の意向を踏まえてのものである。
「おお……」
「必ずや、そのように」
顔に大きな安堵を浮かべたカネヨリとカネヨシは、再び平伏した。二人も、カブキの愚かな暴走が島や国を揺るがす大事件になることは避けたかったのだろう。
突然の暗雲により、アナミの町どころか伊予の島全体が深い闇に包まれようとした。しかし、その中には部屋を煌々と照らす灯りに勝る光明があった。平伏を解いたタヌ家の二人の顔には、先行きに大きな希望を見出した強い喜びが宿っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
同じころ、王都ユノモリの一部も喧騒に満ちていた。アナミの町からの伝令が到着したからである。カネヨリ達はカブキの処遇を決めた直後に、急ぎの伝令を出していたのだ。
アナミの町からユノモリは150km近く離れている。そのため通常の旅程なら三日というところだ。しかし火急の知らせであれば、伝令は町々に置かれた身体強化に長けた替え馬を使って飛ばしていく。
したがって高位の者が発した急報であれば、数時間で到着する。そしてエルフが誇る強力な灯りの魔道具があれば、夜道であっても駆けることは可能である。
「な、何と! カブキが!?」
「本当ですよ。先ほどアワナガからの早馬が着きました。今、ヒミコ様のところに重臣達は集まっています。もちろんカガミ様も」
ユノモリの一角に、エルフの若者達が集まっていた。
若者達は女王の出る御前会議に加われるほどではないが、それでも一定の秘事を掴む程度には高い身分なのだろう。どうも高官の子弟か何からしく、エルフらしい草木染めの服も良く見れば上等なものである。
「これは厳罰を免れないでしょう。それに、カガミ様自身も何らかの責めを受けるのでは?」
「ええ。罪もない子供を誘拐しての恐喝、更に木人の無断使用ですから。通常であれば当人は極刑です。それにカガミ殿を始めとするイベ一族も、謹慎や職を退くのは避けられぬかと」
若者達の顔は、何れも今後起きるであろうことへの興味に染まっていた。もっとも彼らは、単なる野次馬根性だけでもないらしい。
「これで長老派の力も大きく削がれるのでは? そうなれば、古くからの悪しき仕来りも……」
「ええ、神託に縋らずとも島は保てます。もちろんヒミコ様となるだけの姫巫女が現れたら活躍していただけば良いでしょう。しかし、そのために子供達を犠牲にすることはないのです」
どうやら彼らは、代々のヒミコが成長を止めていることを知っているらしい。もしくは、それを強く疑っているというところか。
おそらくは次代のヒミコとして選ばれた者も、当代と同じ扱いになるのだろう。今のヒミコは七歳か八歳にしか見えない外見だ。それであれば、同じくらい幼いうちに若さを保つ術を使い始めると考えるのが妥当である。
しかしヒミコが幼い姿ということは、極秘とされている。つまり次代のヒミコであるらしき姫巫女に選ばれた者達も、表に出ることは出来ないのだろう。
つまり彼らは、自身の娘や妹なども神託のための生け贄にされるかもしれないと案じているのだ。
「これは大きな変化が起きるかもしれませんね」
「ああ、名彦様や美頭知様達なら……」
ナヒコとは当代のヒミコの従兄弟で、今は将軍として統治を司る人物だ。そしてミズチとはナヒコと同年代の若い重臣である。
伊予の島では女王を立てるが彼女の役割は祭祀が中心で、島を治めるのは将軍であった。しかし長寿なエルフ達だけに、長老を始めとする重臣達の影響力は大きいのだろう。
とはいえ今回の件で長老派が減ずれば、彼ら若者達が望む世が来るかもしれない。
若者達は、とある方向を向く。彼らの視線の先には白鷺宮が、正確にはヒミコが重臣達を集めているであろう御座所がある。そして御座所には、当然だが官位の低い彼らは入れない。そのため若者達の表情は、もどかしげに歪められていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……カブキは、アワナガの目付タヌ・カネヨリの手でユノモリまで護送されます。一行は明日出発するでしょうから、到着は三日後か四日後です」
将軍を務めるナヒコの声が、深夜の御座所に響く。
二日前と同じで奥の上座にはナヒコとヒミコ、下座に十名ほどの重臣達が並んで座っている。しかし先日とは違い、彼らの表情は一様に暗い。アワナガ地方の狸の獣人達は、王都ユノモリから来たエルフの代官の暴走に激怒していたからだ。
事態を知らせた伝令は、最初カネヨリの記した文を渡すだけで多くを語らなかった。しかしナヒコが問い質すと、彼はアナミが一撃触発の状態に陥っていると明かした。
アナミに住む狸の獣人達は、アワナガで少数派であるエルフが代官を務めることに反発していた。そして彼らは、同族のカネヨリを正式に代官とし裁量範囲も大きくすることを望んだのだ。
いわば、自治権の獲得である。しかも叶えられないのであれば反抗も辞さず、というところまで彼らは憤っているという。
「下手をすると内乱になりかねません。カブキを厳罰に処し、彼らの要求を真摯に検討すべきでしょう」
意見を述べたのは若者達が噂したもう一人の人物、若手の重臣ミズチであった。ちなみに、この場にいるのは全てエルフであり、若いといっても彼も百歳程度ではある。
「ミズチ殿に賛成です。カブキのしたことは許し難い愚行です。極刑が相応しいかと」
こちらは少し年長、百二十歳くらいの女性である。
エルフの場合、十歳までの成長速度は他種族と変わらないが、それ以降の成長と老化は他種族の四倍程度まで緩やかになる。したがって他の種族ならミズチは三十歳を少し回ったところ、この女性は三十代後半に当たる。そのためヒミコとナヒコに向かって座る重臣の中では、この二人は最年少とその次であった。
それはともかく、若手の意見はカブキを厳正に処罰するというもので一致していた。しかも先ほどの女性のように命で償わせるべきというのが殆どである。
「しかし、まだカブキは若い。十年程度の労役で更正させてはどうじゃな?」
反対意見を述べたのは、随分と年長の男性であった。一同の中では渦中のカガミが最年長で、彼は二番目だろう。おそらく、こちらも二百歳をだいぶ超えていると思われる。
「しかし五百利殿、十年など我らエルフからすれば僅かな時間です! それで彼らが納得しますか!?」
「それに、近々大王家とクマソ王家からの訪れがあります! 重臣の一族だからと甘い裁きをして内乱にでもなったら、良い物笑いです!」
どうやら若手は、数日後に訪れるタケル達の目にどう映るかも案じているようだ。
実は、この日の遅くに都からの先触れがユノモリに着いていた。そのため彼らは身贔屓をして激発を招けば、現体制の統治能力を問われると考えたようだ。
「な……ならば、二十年か三十年にすれば良かろう!」
イオリと呼ばれた老人は、一瞬だけカガミへと視線を向けた。しかも数人の年長者がイオリに同調する。彼らは何としてもカブキを助けたいようだ。
曾孫の失態が議題であるため、カガミは口を開かないままだ。おそらくイオリ達は、彼女の代わりに発言しているのだろう。
一方、上座のヒミコとナヒコは、若手と老人達の間で激昂気味に交わされるやり取りを表情を変えずに見つめていた。
おそらく二人は若手に近い意見なのだろう。最初ミズチが発言したとき、ヒミコは微かに頷いた。それにナヒコも労役にすべきとの発言に、僅かながら失望したような吐息を漏らしていた。
「重大な件です。直に聞き取る必要はあるでしょうが……」
それまで黙って話を聞いていたナヒコが口を開いた。すると口論していた重臣達は一斉に口を噤む。やはり将軍だけあって、ナヒコは一目も二目も置かれているようだ。
「イオリ殿……貴方は自身の孫や曾孫が誘拐されても、同じことを言えますか?
僅か八歳の少年を攫い無法な要求をする……記されていた通りなら、少年を盾にとってタヌの当代と先代を殺害しようとしたのです。これを、ご自身に置き換えてみては如何でしょう?
確かに命で購えというのは、厳しいかもしれません。ですが我らは、その厳しさを乗り越えてきた筈です」
ナヒコは、淡々とした口調でイオリへと語りかける。そして命でと口にしたとき、ナヒコは一瞬だけ隣のヒミコへと視線を動かした。
他とは違った時間に身を投じ女王としての務めを果たすヒミコも、形は違うが命を捧げている。おそらくナヒコは、重職に就く者であれば身命を懸ける覚悟が必要だと思っているのだろう。
「そ、それは……」
「イオリ殿、まずは真実を確かめてからじゃ……しかし、一つだけ言うて良いかの?」
絶句するイオリに、ヒミコは静かに語り掛けた。するとナヒコを含め、他の者達は表情を改める。
「何なりと……」
ナヒコはヒミコに向き直り、一礼をした。
ヒミコは政治をナヒコや重臣達に任せている。そして代々のヒミコも、概ね同様であったという。
何しろヒミコは神託を授かる特別な存在だ。神の言葉を得る女王が口を挟めば、どうしても大きな影響を与えてしまう。そのため彼女達は、公の場で強く主張しなくなったようだ。
しかし、そのヒミコが敢えて口を挟むのだ。ナヒコが敬意を示すのも当然であろう。
「我らが民の上に立てる理由……良く考えてみることじゃ」
ヒミコは感情を抑えた声音で言葉を発した。そして彼女は、おもむろに立ち上がると御座所から去っていく。
残った一同は、静かに頭を下げてヒミコを見送っていた。そのため彼らは、互いの表情を知ることは出来なかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「伊予の島にも愚か者はいたのですな……」
「他の島にもいて安心しましたか?」
熊祖威佐雄の呟きに、タケルが冗談めいた口調で応じた。
ここはナニワの町の代官所である。そして二人がいるのは代官所で最も上等な部屋だ。王太子となったタケルにクマソ王のイサオだから、当然であろう。
ちなみに、他にいるのはタケルの叔母でヤマト姫である斎と、シャンジーとメイニーだけだ。
「確かに……ですが、これは急がねばなりませんな。愚か者の親族が、揉み消すかもしれませんぞ」
おどけた表情を作ったイサオだが、途中から真顔になる。
イサオは、王都ユノモリにいるイベ一族が動くかもしれないと思ったのだろう。もちろん正しく処罰を下すかもしれないが、そうならない可能性も考慮しておくべきではある。
「はい。シノブ様は、この件を私達に預けると仰せになった……その期待に応えねばなりません」
『ボクも頑張るよ~。兄貴に褒めてもらいたいからね~』
同じく真剣な表情となったタケルに、シャンジーは大きく尻尾を揺らしながら賛意を示した。タケルとシャンジーは、ホリィとマリィから伝えられたシノブの言葉を想起しているらしい。
シノブは、この件への介入を極力控えると告げたのだ。
もちろん伊予の島にいるソニア達は継続して情報収集するし、早期収束への協力もする。しかし、ヤマト王国を動かすのはタケル達である。シノブはホリィ達を介し、そう伝えていた。
『シノブさんも、向こうで忙しいでしょうからね……』
「自国だけでもヤマト王国より多くの人を抱え、手を携える国々を合わせたら四倍以上……でしたね」
メイニーの言葉に、イツキ姫は感嘆の表情となっていた。他国のことに首を突っ込んでいる暇はシノブにない。イツキ姫は、そう思ったのかもしれない。
「明日は、早々の出立ですな?」
「ええ、立花や泉葉には悪いですが、仕方ありません」
イサオの問いに、タケルは僅かに残念そうな顔となりつつ頷いた。
タチハナの父穂積焼刃は、ナニワの武官の長に就任した。そのためタケルは、今日だけはタチハナを父母のところに送ったのだ。
タチハナを含む斎院の巫女は神託を授かるヤマト姫の側仕えだから、簡単には実家に戻れない。そのためイツキ姫の側近である高位の巫女が同伴してという制限付きだが、それでもタチハナは嬉しげな顔で両親の下に向かっていった。
そうなればイズハや彼女の祖父母が同行するのも必然である。イズハはタチハナの又従姉妹で、祖父はヤイバの叔父だからだ。
おそらく今ごろは身内だけでゆっくり語らっているか、既に楽しい歓談を終えて就寝しているだろう。
そして明日も予定通りなら、午前中はナニワでゆるりとしてから船に乗る筈であった。どうも明日は、午後からの方が良い風向きになるらしい。しかし、こうなっては少しでも早く伊予の島に向かうべきだろう。したがって、タチハナ達も朝一番で呼び戻すことになる。
「一晩でもゆっくり出来たのだから良かったのでは? ところで、火野気殿は随分とあっさり聞き入れたようですが、何が起きたか明かしたのですかな?」
イサオはエルフの使節の代表であるヒノキの名を挙げた。
ヒノキは都に訪問した使節団の長で、温厚そうな人物だ。とはいえ外交を預かる人物だけに、外見などで判断するのは危険だろう。第一、彼がイベ一族の陣営ではないという保証はどこにもない。
「私が神託を授かったことにしました。実際、神託なのですから」
イツキ姫は少しばかり楽しげな声音で種明かしをする。
伊予の島で何か変事があったようだ。帰還を急いだ方が良い。イツキ姫は、それを神託で得た言葉として、ヒノキに語ったのだ。
少しばかり意図的な選択が入ってはいるが、ホリィ達が伝えたことを要約したら近い内容になる。そしてシノブは最高神アムテリアに連なる者で、ホリィ達は神の眷属だ。それを甥から伝えられたイツキ姫からすれば、シノブ達の言葉は神託と変わらないのだろう。
「それであれば、ヒノキ殿も納得しますな」
イサオは髭に覆われた厳つい顔を、無邪気な若者のように綻ばせた。
ヤマト姫が神託を授かることは、国中の者が知っている。もちろん伊予の島のエルフ達も同様だ。何しろエルフ達の女王ヒミコも、同じく神託を授かる巫女である。そのヒミコに仕えるヒノキが、神託に疑いを挟むことはない。
「おそらく二日、最低でも一日は早く着けるでしょう。ですから船旅は四日か五日ですね」
タケルは、今後の予定について触れた。彼らはソニア達と違い、海路でユノモリを目指す。使節団は贈答の品も携えての旅で、大量に荷を運べる船で行き来するのが常であるからだ。
「そう言えば、先行した使者は王都ユノモリに着いたのでしたな」
イサオが言うように、六日前に都を発った先触れは女王ヒミコのいるユノモリに到着していた。それを彼が知っているのは、シャンジーの年長の従兄弟であるフェイジーが姿を消して先触れに同行しているからだ。
『フェイジーの兄貴は、このままユノモリに留まるって~。だから、何かあったら連絡してくれるよ~』
シャンジーは、フェイジーからの言葉を伝える。
実は、これもシノブの指示によるものであった。これからは、女王や重臣達がいるユノモリから目が離せない。シノブは、そう判断したのだ。
ちなみにユノモリからソニア達がいるアナミの町までは、ちょうど150kmほどで光翔虎や眷属の思念が届く範囲であった。そのためフェイジーは、アナミのホリィ達を経由して伝えてきた。
「何と言うべきか……これだけの助けがあれば、後は我らで解決すべきですな」
「ええ!」
渋い笑みを浮かべたイサオに、タケルが力強い声音で応えた。
タケルは立ち上がると、右手へと歩んでいく。そして若き王太子は部屋と庭を仕切る障子を開け放ち縁側に出ると、年齢に相応しい純粋さに満ちた顔で夜空を見上げる。
「あちらがユノモリね……」
タケルを追ってきたのは叔母のイツキ姫だ。後ろにはイサオやシャンジー、メイニーも続いている。
「はい……」
タケルが見ているのは西の夜空であった。彼は、これから赴く地を西の空から感じたかったのだろう。
生憎、梅雨時ということもあって空は暗いままだ。しかしタケルは闇を見通そうとするかのように、じっと動かない。
「あっ、お星様です!」
タケルが指差す先には、僅かながら星が光っていた。ほんの一部だけ厚い雲が途切れ、そこから小さな輝きが現れたのだ。
「きっと良いことがあるわ。さあ、もう休みましょう」
弾む声を上げたタケルの肩を、イツキ姫がそっと抱く。そして彼らは部屋の中へと戻っていく。
「……ところで叔母上。叔母上の寝所は、あちらの離れですが」
タケルは、肩を押すイツキ姫に困惑気味の顔を向けた。そんな二人をイサオは吹き出しそうな顔で見守っているし、シャンジー達も興味深げに見上げている。
「久しぶりに一緒に寝ても良いでしょ?」
「そ、それは私が赤ん坊のときの話では!?」
からかうイツキ姫に、タケルは頬を真っ赤に染めて言葉を返す。
イサオは遂に声を上げて笑い出し、シャンジー達も発声の術を使ってまで和す。そして暫くの間、部屋は楽しげな笑い声に満たされていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年9月26日17時の更新となります。




