18.29 変革の予感 後編
伊予の島に潜入したソニア・イナーリオ達は、ヨシ川に沿って西へと向かっていった。
ヨシ川は伊予の島の北東部を西から東へと流れる大きな川で、しかも高低差が極めて少ない。何しろ河口から70km近く遡っても標高100m程度だから、馬車が進む街道も殆ど平らである。
そのためソニア達を乗せた魔法の馬車は大して日も落ちないうちに20kmほども進み、この日の目的地であるアナミの町へと辿り着いた。
「道は緩やかですけど、両側の山は結構高いですね」
車内から窓の外を眺めつつ呟いたのは、ソニアの部下の一人で情報局員のミリテオだ。
ミリテオも優秀な諜報員だが、十九歳と若いこともあり好奇心旺盛なのだろう。彼は手前の鮮やかな緑の田んぼから煌めくヨシ川、そして川向こうの山地の果樹園らしき一帯へと顔を動かす。
この辺りは川幅も非常に広い。しかも梅雨時ということもあり、川の水位は随分と高かった。
もっとも水量は適切な範囲らしく、堤防の各所に設けられた水門は開かれたままだ。そして水門を起点とする用水路や、その先の田んぼも山からの恵みが満々と満ち光り輝いている。
それは街道の左右の山地も同じで、森林や果樹園は遠目にも青々と美しく生気を感じさせる。
「北と南の山地は、高いところだと標高700mを超えるとか」
マリィはミリテオの様子に微笑みつつ応じた。窓を向いたミリテオの背後では、パタパタと尻尾が揺れ動いていたのだ。
ミリテオの尻尾は普段とは違いフサフサとしたものであった。ソニアを含め情報局の者は全て猫の獣人だが、今の彼らは変装の魔道具で狐の獣人か人族に姿を変えている。そしてミリテオは狐の獣人の方であった。
ちなみにマリィも狐の獣人に変じているから、何となく兄妹のようでもある。ただし兄妹は兄妹でも、落ち着きのない兄と幼くも聡明な妹という辺りだろう。
「そこで低地は田畑に、高いところにはブドウや桃などの果樹を植えるようですわ」
一行の中では、マリィが一番ヤマト王国に詳しい。
先月半ばまでの二十日近く、マリィは同僚のミリィと共にヤマト王国に逗留した。二人は都に災厄を撒いた符術師の中部多知麻呂を拘束するために滞在したのだ。
しかし拘束は交互に担当するだけだから、彼女達は空いている時間で近隣を巡ったりヤマト王国についての知識を仕入れたりもしていた。それもあって今回の任務にマリィは加わったわけだ。
「どんな味でしょうか?」
「あまり葡萄酒は多くないのでしたな?」
ミリテオだけでなく、ご隠居役のセデジオまで話に加わった。セデジオも少しばかり退屈したのかもしれない。
「ブドウは適度に酸味がありますわ。桃はヤマト王国では神聖な果実として仙桃などと尊ばれます。邪気を祓い長寿を招くとか……」
「葡萄酒は少ないですよ。それにワインのように単独で用いずに、他の酒に漬け込むことが多いようです」
マリィが果物について、そして彼女の同僚であるホリィが酒について説明をする。
二人が仕えるアムテリアや従属神達は、日本に由来する神々だ。そのため日本風の文化のヤマト王国に関しては、初訪問のホリィも多くの知識を持ち合わせているようだ。
「お酒は米や芋などを使うのでしたね……ところでホリィ様、マリィ様。農作業をしている者達に、何やら混じっているようですが?」
ソニアの言葉に、車内の者の顔が僅かに引き締まる。実は、田畑に出ている男女の中に少数だが単なる農民と思えない者がいるのだ。
伊予の島のナルカドに上陸した一行は、200km近く西にある王都ユノモリに向かっている。
道中は一貫して同じような風景で、近場は川と農地、遠方は山々である。そして街道や田畑には、この辺りで多い狸の獣人達の姿があるのも変わらない。
しかし今日の宿泊地であるアナミの町に近づくと、探るような視線が馬車に向けられるようになった。もちろん露骨ではないが、優秀な諜報員であるソニア達からすれば一目瞭然である。
「郷士として半士半農の生活を送る者も多いようですが、それだけでもないようですね」
「きっと、多怒金頼という方に会えば判りますわ」
ホリィとマリィを含め、周囲の視線を過度に気にしてはいなかった。
セデジオは途中のオオアサの町で、多怒金良という旅の老武人に出会った。そして商いの伝手をと水を向けたセデジオに、カネヨシは息子のカネヨリを紹介した。
どうも、このタヌという一族は目付、エウレア地方でいう監察官を務めているらしい。したがってカネヨシに何らかの裏があったとすれば、警戒されるのも当然であろう。
「そうですね。運が良ければ一足先に木人と会えるかもしれませんし」
ソニアは大きく頷いていた。実は、この状況はソニア達にとって好都合だった。
潜入部隊の目的の一つは、伊予の島に存在するという木人の調査であった。しかし現在のところソニア達は木人を目撃していない。
木人は巨木を伐採するためのもので、人の何倍も大きいという。したがって普通なら簡単に発見出来そうなものだ。しかし春から夏にかけては木々の成長期で、更に今は梅雨である。
水を吸った木を伐ることはないし、木製である木人にも湿気は良くないだろう。実際にオオアサの町で聞き込んだ話でも、伐採用の木人は梅雨を過ぎてから見かけるという。
とはいえ地方の要所となる大きな町には、木人が配備されているらしい。この時期、殆どの木人は王都ユノモリに戻されているようだが、それでも各地方に一体や二体はあるという。おそらく土砂崩れや堤防の決壊などの災害があれば、木人も復旧作業に使うからだろう。
したがってアナミの町の役人と接触できれば、ユノモリに行く前に木人と対面できるかもしれない。そのためソニア達の顔には警戒されていることへの不安はなく、それどころか期待に輝いてすらいた。
◆ ◆ ◆ ◆
アナミの町は、アワナガ地方を預かる代官が住む街だ。そのため人口も多く五千人ほどである。ちなみに伊予の島全体で十三万人、アワナガ地方だけだと二万五千人だ。
そしてタヌ・カネヨリは代官を支える高官の一人であった。カネヨリの肩書きは目付だが、実質的には武官の長でもあるという。
アワナガ地方の代官はエルフだが、この地方には狸の獣人の方が多い。そのためタヌ一族は獣人達の代表者としての側面も持つようである。
ソニア達はオオアサの町と同様に反物などを売りながら、それらを聞き込んでいく。
「タヌのお殿様は、良いお方だよ」
「ああ。代々の当主様は皆、優しい方でね」
街ではタヌ家について悪い噂は聞かなかった。その一方で代官のエルフは評判が良くない。
「火武貴様は忌部の一族だから威張っているんだよ。火雅美様の直系だから……」
「しかもタヌのお殿様に勝てないものだから、僻んでいるのさ。何とか足を引っ張ろうとしているってね……あんた達も獣人だから、気を付けた方が良いよ」
イベ・カブキというのは、ここアワナガ地方の代官である。そして彼は、王都ユノモリにいる長老格の老女カガミの曾孫に当たるらしい。カブキはまだ五十歳くらい、つまり他の種族なら二十歳前後だが、血統の良さもあってアワナガ地方を統括する代官となったようだ。
「巨大木人を動かせるのは、極めて限られた適格者だけ……だから若くてもカブキを配した……そういうことでしょうか?」
「もちろんアワナガの代官を勤めさせ、実績を積ませる意味もあるのでしょうけど……」
小首を傾げるソニアに、ホリィも怪訝そうな顔で応じる。
どうもカブキとは、穏やかで賢明なエルフにしては珍しい人物のようだ。そのため今まで彼女達が会ったエウレア地方のエルフ達と重ならなかったのだろう。
「ともかく、タヌ家に行きましょう。どうやら悪い方々ではなさそうですし」
ソニアの言葉を受け部下達は店仕舞いをし、馬車に乗り込む。
タヌ家の屋敷は重職に相応しくアナミの町の中央近くにあった。しかも他よりも大きな敷地の、重厚な黒瓦を乗せた美しい白塀に囲まれている大邸宅である。
生憎とカネヨリは不在であった。日はまだ落ちていないから、彼は代官所で働いているのだろう。しかし先代当主カネヨシの記した紹介状は絶大な威力を発揮し、ソニア達を乗せた魔法の馬車は、そのまま大門を抜け敷地の中に通された。
「旅の埃を払ってくれとは……」
湯船に浸かったソニアは、手でお湯を肌に滑らせつつ呟いた。
重臣の家に相応しく、タヌ家には複数の湯殿が存在した。主達が使う家族用、使用人向け、この客人用の浴場と分けられ、更にそれぞれ男女用があったのだ。豊富な湯の湧くアナミだけあって、重臣の屋敷ともなると下手な温泉地より設備が整っているようだ。
ソニア達は離れに案内されたのだが、そこは幾つもの部屋が連なるだけではなく、男女別の湯殿まで存在していた。しかも湯は掛け流しらしく、檜らしき湯樋から途切れることなく注がれている。
「……粋な主と言うべきなのかしら?」
ソニアは隣へと顔を向けた。彼女の頭上では、普段よりも尖った獣耳が微かに揺れる。
本来のソニアは猫の獣人だが、アミィが作った変装用の魔道具を着けているから相変わらず狐の獣人の姿のままだ。長期の潜入に使う変装用の魔道具は首飾りなどにしており、入浴でも問題はない。そこでソニア達は、勧められたままに風呂へと向かったのだ。
ソニアは情報局の局長代行だが、まだ二十歳と若い。そのため部下の前では気を張っているのだろう、湯と戯れる彼女の顔は年齢相応、いや少女のように和らいでいた。
それに馬車の旅とはいえ、その前は島への渡航もしたし昼には街中を歩いたりもした。彼女は、それらの疲れを癒したいのだろう、珠のような肌をゆっくりと撫でさすっている。
「ええ……」
隣に並ぶマリィも寛いでいる。
ちなみに用心のため、彼女達は交代で入浴していた。一行で女性は他にホリィや二名の女中役がいるが、そちらは先に風呂を済ませている。
「……真利女は、都でも温泉に入ったの?」
ソニアは、ふいにマリィへと向き直る。
真利女というのはマリィの偽名である。ソニアが稲荷楚似亜でマリィは妹の真利女、同じくホリィも穂利女としている。
そんなこともあり今のソニアは普段とは違い、姉らしい口調と表情をマリィに向けていた。
「都の中に温泉は少ないので、普通に沸かしたお湯ですよ。それに……」
都について語っていたマリィは、途中で口を噤んだ。そして彼女はソニアに意味深な視線を向ける。
「来ましたね……二人……ですが、これは……」
「意外ですね……可哀想ですが……」
ソニアとマリィは頷き合う。そして二人は、まだ充分な光が差し込む格子窓へと顔を向けた。
アミィが手ずから教えを授け鍛えたソニアと、そのアミィと同じ神の眷属であるマリィだ。流石にシノブのように魔力波動から性別や種族を見抜くことは不可能だが、気配や足音から人数や大よそを察するなど造作もない。
「……水弾!」
マリィは格子窓の向こうに大きめの水弾を放つ。といっても相手を負傷させるような威力はなく、随分と緩いものだ。おそらく水を掬って掛けるのと大差ないだろう。
「きゃあ!」
「お、お湯が!」
窓の外から響いたのは、若い女性の声であった。どうやら覗き魔などではないらしい。
しかしソニアとマリィは、相手が女性達だと承知していたようだ。どちらも驚くことなく立ち上がると、洗い場へと歩んでいく。
おそらくタヌ家が仕組んだことだろうが、何らかの試しに違いない。そう思ったのだろう、二人の顔には僅かに苦笑めいたものが浮かんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
風呂から上がったソニアとマリィは、一行が通された離れで最も広い座敷へと向かう。するとそこには狸の獣人の男性が二人いた。
一人はオオアサの町にて出あった初老の武人、カネヨシだ。もう一人はカネヨシに良く似た顔の三十前後の男である。
どちらも頭上の丸耳と背後の太めの尻尾以外は、ヤマト王国の人族と大きな違いはない。肌の色は僅かに濃いが、この島のエルフ達のように褐色というには程遠い。
背格好もヤマト王国の人間としては標準的だが、武人だけあって体は充分に締まっている。それに姿勢も良く胡坐で座る姿からは威厳と風格が感じられる。
「率直にお伺いしますが、稲荷殿は大王家と繋がりがあるのですかな?」
カネヨシは隣が息子のカネヨリだと紹介すると、言葉通りに前置きもせずソニアへと訊ねた。しかも彼は一行を指揮するのがソニアだと気が付いているらしく、彼女を真っ直ぐに見つめている。
タヌ親子の前に並ぶのは中央にソニアと隠居役のセデジオ、そして両脇にホリィとマリィだ。この四人がイナリ家で、他は従業員ということにしているから後ろである。ちなみに後列は狐の獣人に扮したミリテオなど二人の男性と、人族に変装した四人の男女だ。
普通なら初老で隠居らしく上等な衣装のセデジオが頭目で、ソニアは補佐役と受け取るのではないだろうか。しかしカネヨシは、そう思っていないらしい。
「何故そのように思われるのでしょう?」
ソニアは質問を質問で返した。彼女は僅かに綻んだ表情と声音であり、しかも重職を前にした商人の娘に似合わぬ落ち着きようである。
言葉遣いは身分相応、しかもソニア達は商人で相手が名のある武家だから、一行は全員が正座をしていた。もっとも余裕が滲むのは、ソニアの方らしい。
父のカネヨシからは、まだ駆け引きを楽しむような雰囲気が感じられた。しかし息子のカネヨリは、抑えているものの僅かながら緊張が覗いている。
「簡単なことですよ。都にはクマソ王が赴いたそうで……既に一ヶ月半も前のことですから、我らも承知しております。そして第二王子の健琉様が王太子になったことも。
そうなれば、ここにも何かしらの変化を望むでしょうし、そのための先駆けも現れるのでは、と」
カネヨシは僅かに皺のある顔を綻ばせながら、楽しげに言葉を紡いでいく。
どうやらカネヨシは、偶然オオアサの町にいたのではないらしい。おそらく彼や手の者は、ナルカドの港やオオアサを長期に渡り見張っていたのだろう。
「それはそうかもしれません。しかし、私達の他にも大王領から来る者はいると思いますが?」
ソニアはカネヨシの言葉を否定しなかった。
ヤマト王国は大王領と三つの王領に分かれているが、一つの国なのだから人の往来はある。タケル達も旅人としてクマソ王の治める筑紫の島に渡ったように、多くはないが行き来はあるのだ。
そして、ここ伊予の島は他との交流が少ないエルフが治める地だが、大王家を上に立てていることには違いない。そのため彼らも他領の商人達を制限しつつも、完全に拒絶してはいなかった。
「はい。もちろん何度か外れを引きました。しかし稲荷殿達は当たりかと。
皆様は、町で商うとき金への執着が薄すぎました。それに隠していても身のこなしが違います……もっとも、それらを見切れる者は僅かでしょうが……もちろん、風呂の一件もですな」
カネヨシの言葉に、ソニア達は苦笑を浮かべていた。
情報収集のために反物を安値で景気良く売り捌いたし、セデジオも紹介状の中身を確認することもなく簡単に謝礼の品を追加した。ここでの販路を作るための投資だとしても、確かに気前が良すぎたのだろう。
ただし、それらに気が付いたのはカネヨシが長く目付として働いたからのようだ。その証拠に初老の武人の顔は、どこか自慢げであった。
「我らが主は、木人に興味を抱いております。実は都で木人術を悪用した者がおりまして……」
ソニアは大王の配下かどうかには触れずに、ナカベ・タチマロの陰謀の一部を語っていく。どうやら彼女は、秘伝の筈の木人術が外に漏れていたと示すことで、カネヨシ達の協力を得られると思ったようだ。
ちなみにマリィは旧知の仲である大王から、商人としての身分証の他に手の者でもあるという印も得ていた。したがって一行が大王家の配下だと示すことも可能だが、ソニアは暫く曖昧なままにしようと考えたらしい。
「何と……」
「そ、それは真でしょうか!?」
タヌの親子は驚愕も顕わにしたままソニアの話に聞き入っていた。
タチマロの木人術は彼の先祖が遺した文書に由来するもので、その先祖がエルフから得たとしても相当昔のことに違いない。とはいえカネヨシ達の表情からすると、そんな歴史上の問題を気にしているわけではないようだ。
しかし、ソニアとタヌ親子の話は一旦途切れることになる。
「し、失礼します!」
襖の向こうから、大きな動揺を滲ませた女性の声が響く。どうやら屋敷に仕える使用人らしいが、主達の密談に割って入るのだから余程のことなのだろう。
「どうぞ」
「入れ!」
ソニアに促され、息子のカネヨリが声を上げる。すると血相を変えた中年の侍女が彼に寄り、耳元で何かを囁いた。
「何だと、金太郎が!」
非常に大切な者に何かがあったのだろう、カネヨリは腰を浮かせると離れ全体に響くような大声を上げた。しかも彼の顔は、まるで侍女から伝染したかのように蒼白になっている。
「お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「じ、実は息子が……」
ソニアに問い掛けられたカネヨリは、侍女から伝えられたことを語り出した。それによると、彼の長男である多怒金太郎が、何者かに誘拐されたらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
カネヨシとカネヨリは、誘拐犯から指定された山裾近くの野原に急行した。そしてソニア達も、密かに二人に同行する。
誘拐犯はカネヨシとカネヨリのみで来るようにと指示したため、姿を消しての同行である。なお、ソニアは現時点で透明化の魔道具について教えるべきではないと思ったようで、同行自体も伏せていた。
「まさか、木人を使うとは……」
「余程の愚か者でしょうか? これでは誰が犯人か判るでしょうに……」
ご隠居役のセデジオと若手諜報員のミリテオが呆然とした表情で呟き、手前を見上げている。彼らの前には、高さが人の十倍ほどもある木製の巨人が立っているのだ。
タヌ親子によると、これは防衛用も兼ねた大型で伐採に用いる木人の倍近いという。
その巨体のためか、木人は随分とズングリとしていた。おそらく多くの木材で拵えたのだろう、身長の三分の二ほども横幅がある。
雨が多いヤマト王国で使うためか、木人は黄漆か何かで塗装しているらしい。巨体の大半は金に近い艶やかな黄色で、更に頭には菅笠のようなものまで被っている。
笠の下の丸っこい頭には大きな目らしきものに少し尖った鼻、丸い耳がある。丸い胴体は前面のみが何故か白い。もしかすると何かを収納しているのか、腹部は随分と膨れていた。
防衛用途だからか、手足は短く頑丈そうな造りだ。そして巨大な腹部の下には増設槽らしき丸いものが二つ付いている。
有り体に言えば金色のタヌキの置物のような外見である。しかしセデジオ達が日本の縁起物を知るわけもなく、それに彼らが触れることはない。
そもそも彼らには、木人の外見よりも気に掛かることがあったのだ。
「なんてこと……」
「可哀想に……」
ソニアとマリィも絶句していた。木人の巨大な手の中には、カネヨリの息子キンタロウがいるのだ。
キンタロウは、まだ八歳だ。そのため彼はホリィやマリィよりも小柄で、巨大木人の大きな手からは頭と足先しか覗いていない。
狸の獣人の少年は、ぐったりとしている。気絶しているのか、それとも薬か魔術で眠らされているのか、彼は身動き一つしない。
「魔力は安定しています……マリィ、私が行きます。後は頼みます」
ホリィも普段とは別人のように厳しい表情であった。
そしてホリィは青い鷹の姿に戻ると、ふわりと宙に舞い上がる。もちろん彼女は透明化の足環で姿消しを使ったから、その姿はカネヨシ達には見えないし木人も認識できない筈だ。
『良く来たな。カネヨリ、カネヨシ』
この木人も言葉を発することが出来た。タチマロが造った木人やメリエンヌ学園の研究所の試作品に発声機能はないが、本家本元であるヤマト王国のエルフが造ったものは一段も二段も上なのだろう。
「カブキ殿! 息子を返してくれ!」
「こんなことをして、どうするのだ!」
タヌ家の当主カネヨリと先代のカネヨシが木人に向かって声を張り上げた。二人もセデジオ達と同じく、タヌキ型の木人を操っているのは代官のイベ・カブキだと思っているようだ。
『カブキ? 何のことだ? この『多怒金狗』を操れる者など、この島に百人はいる』
タヌキ型の木人、『多怒金狗』から得意げな声が響く。
確かに、この大きさの木人を操縦できる者は他にもいる。そのこと自体は正しいからだろう、タヌ家の二人は怒りに顔を真っ赤に染めつつも反論しない。
「……何をすれば良いのだ?」
『知れたこと。お前達二人には死んでもらう。そして、このアワナガは真に我らエルフのものとなるのだ。そもそも、ここを守る木人が多怒家に因んだものとなっているなど間違っている。町の者達も、お前達を敬うばかりで……』
問うたカネヨリに、木人の操縦者は滔々と語り出す。
最初は自慢げに、そして次第に怨念が混じる声音で。その妄執の強さに驚いたのか、タヌ家の二人だけではなくソニア達も無言で見上げるだけであった。
◆ ◆ ◆ ◆
──そんなこと、させません!──
強い思念が空を切り裂くと『多怒金狗』の右手、キンタロウを握っていた方が唐突に開く。魔力障壁の応用で、ホリィが強引に木人の手を押し開いたのだ。
そして姿を消したままの青い鷹は足でキンタロウを掴むと、強烈な風魔術を使って浮遊させる。金鵄族が全速力で飛べば、その速度は瞬間的に時速1000kmにも達する。そのため僅かな時間であれば、八歳の少年を浮かすことなど容易であった。
「ソニアさん、頼みます!」
一方マリィは、魔法のカバンから巨大な物体を取り出した。彼女がカバンから出したのは、研究所で試作した漆黒の巨人『木人ガー』である。
「お任せください!」
ソニアは力の抜けたマリィの体を抱える。『多怒金狗』を取り押さえるため、マリィは『木人ガー』に憑依したのだ。
『な、何だ!?』
人質を奪われた『多怒金狗』は、後ろに数歩退いていた。
ホリィが発した強烈な風でよろけたのか、あるいは唐突に出現した『木人ガー』に驚いたのか。理由はともかく、タヌキ型の木人は大きく後退していた。
──この外道!──
マリィが操る『木人ガー』は、動揺も顕わな『多怒金狗』に突き進む。
そして漆黒の木人は、渾身の正拳突きを相手の膨れた胴に打ち込んだ。すると『多怒金狗』の胴に、呆気なく大穴が空く。
マリィは自身の魔力で『木人ガー』を強化し、拳にも乗せた。幾らエルフの秘術で造った木人であろうと、眷属の膨大な魔力を集中させた一撃に敵うわけがない。大破したタヌキ型の木人は、そのまま地に崩れ落ちる。
「き、キンタロウ!」
「無事か!? 無事なんだな!」
キンタロウの父カネヨリと祖父カネヨシには、木人達の戦いなど目に入っていないようだ。
ホリィは姿を消しているから、二人にはキンタロウが宙に放り出されたようにしか見えない。そのため彼らは、蒼白な顔で悲鳴を上げてしまう。
しかしキンタロウは、ふんわりと野原の隅に舞い降りてくる。それを見て安堵の表情となった二人は、少年へと一直線に駆けていったのだ。
「う……う~ん、父上? お爺様?」
「大丈夫か!?」
「よくぞ無事で……」
どうやら木人は、何らかの術で少年を眠らせていたらしい。キンタロウは目を覚まし、父と祖父は滂沱の涙を流し喜ぶ。
しかし、そのような歓喜と正反対の光景が深く暗い山中にあった。
「ひっ、ひぃ!」
「カブキ様、どうなされました!?」
唐突に身を起こしたエルフの若者に、従者らしい同年代のエルフの青年が声を掛ける。どちらも褐色の肌の持ち主だ。
ここは木人達が戦った場所から4kmほど離れた山小屋だ。やはり『多怒金狗』の操縦者は、代官のイベ・カブキだったのだ。
「も、木人が……どこからか木人が……どうして……」
狂乱するカブキには、肩を抱き支える従者の声など届いていないようだ。
カブキからすると唐突に『木人ガー』が出現したようにしか見えないから、うろたえるのも当然ではある。だが、彼の錯乱は短時間で終わりを迎えた。
「そんなことより自分の愚かさを悔い改めろ」
憤懣を顕わにしたシノブの声が、カブキと従者の背後から響く。そしてシノブは姿を現すと同時に、二人を強烈な手刀で打ち据えた。
対するカブキ達は一瞬にして昏倒したから、何が起こったか判らぬままだろう。
──ホリィ、マリィ! 木人の操縦者を確保した! どうやら、そっちが先だったようだね!──
シノブは先刻とは違う朗らかな笑みを浮かべ、それに相応しい明るい思念を発した。
ホリィ達からの連絡を受け、シノブとアミィもアナミへと訪れていたのだ。アミィはタヌ家でソニアなどの幻影を作り出して不在を誤魔化し、シノブは他とは桁外れの魔力感知能力で操縦者を探していた。
しかし山中とはいえ僅かながら家などもあり、捜索は捗らなかった。そしてカブキが肉体に戻ったときの魔力の変動で、ようやくシノブは場所を特定できた。
そのようなわけで、カブキ達の発見は木人同士の戦いが終わった後になったのだ。
「エルフの陰謀というより、この男一人の暴走みたいだけど……ともかく無事で良かった」
シノブの顔に朗らかな笑みが浮かぶ。
幾らもしないうちに親となるシノブである。それも生まれてくるのは男の子だ。したがってシノブは言葉を交わしたこともない少年に、まだ見ぬ我が子を重ねずにはいられなかった。
愚かなエルフの青年に大きな落胆を感じたシノブだが、救えた命が喜びを与えてくれた。そのためだろう、ホリィ達の訪れを待つシノブの顔も少年のように輝いていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年9月24日17時の更新となります。




