18.28 変革の予感 中編
伊予の島のナルカドに上陸したソニアを含む十人は、西の山道に入っていった。港で購入した馬車を、魔法の馬車と交換するためである。
山道に向かう者はソニア達の馬車だけだ。何故ならナルカドに着いた者の多くは一旦南に下っていくからだ。
ソニア達が向かう東西に伸びる山地の南には、西から東に流れるヨシ川と呼ばれる大きな川がある。したがって島の奥を目指すなら、ヨシ川沿いに西に向かうのだ。
そのようなわけでナルカドから真西の山に向かう者はおらず、あっさりと馬車の交換は終わる。
魔法の馬車の本来の姿はエウレア地方の高級馬車、しかも王族が乗るに相応しい極上品である。しかし今は幻影により、ヤマト王国で一般的な黒漆の車体に引き戸を備えた外観に変じていた。
ちなみにヤマト王国の馬車は、日本の歴史に存在した牛車とは違い四輪であった。この世界には身体強化があるから、比較的小柄なヤマト王国の馬でも大型な車体を牽くことが出来るからだろう。そのためナルカドの港で購入した馬車も、大きさは魔法の馬車と大差ないものであった。
ただし、内装は大きく違う。ヤマト王国の馬車には、椅子が存在しなかったのだ。
「やはり椅子の方が落ち着くな」
「正座はキツイですよね……セデジオさんは、そうでもないようですけど」
馬車の中では、ソニアの部下達がホッとしたような顔で言葉を交わしていた。
港で手に入れた馬車はヤマト王国で一般的な畳敷きだったから、彼らは正座を強いられていた。ここにいる者達は一ヶ月近くヤマト王国の風習を学んでいるのだが、それでも辛かったようだ。
先に言葉を発したセデジオという老人には、それほど苦にしていた様子はない。しかし続いた若者は足を伸ばして座れることに強い喜びを感じたのだろう、子供のように顔を綻ばせていた。
狐の獣人に扮した若者の後ろではフサフサとした尻尾が大きく揺れており、頭上の耳もピンと立っている。よほど正座が堪えたのだろう。
「ミリテオは修行が足りんのだ。我らは身軽な猫の獣人、それなのに情けない」
セデジオという老人は、向かいに座った若者ミリテオに厳しい目を向けた。ちなみにセデジオも狐の獣人の姿である。しかし彼の言葉通り、どちらも本当の種族は猫の獣人だ。
一行は変装の魔道具で約半数が狐の獣人、残りは人族に見せかけている。しかしソニアと部下達は、セデジオが言うように全員が猫の獣人である。そして猫の獣人が身軽なのは良く知られた事実であった。
しかも彼らはアマノ王国の情報局員、つまり諜報員である。そのためセデジオが弱音を吐いた若手に落胆するのも無理はない。
「ミリテオさんも、こちらの服に随分と馴染んだようです。あと少しで正座も慣れますわ」
「そうですね。正座は足の甲に体重をかけないようにした方が良いですよ。顎を引いて背筋を伸ばすと少しだけ重心が手前に移ります」
慰めたのはマリィ、正座のコツらしきことを口にしたのはホリィである。
こちらも狐の獣人に化けてはいるが、正体はアムテリアの眷属である金鵄族だ。そしてアムテリアが日本に由来する神だけあって、眷属の彼女達も和風文化には詳しく正座を苦にすることなどない。
それはともかく、ミリテオ達がヤマト王国の服に馴染んでいるのは間違いない。
一行は旅の商人に扮している。そのためミリテオなど男性は、上は絡げた男物の小袖で、下は股引と脚絆に足袋である。
股引などには着こなしもないだろうが、小袖は襟元も美しく膝に添えた両手は左右の袂の流れも整っている。その姿からは、相当に異国の衣装での挙措を学んだことが見て取れた。
「もったいないお言葉」
「あ、ありがとうございます!」
セデジオは深々と頭を下げ、ミリテオも笑顔で続く。
ホリィ達は十歳にも満たない少女の姿だから、知らない者が見たら彼らがここまで敬うのを不審に思うかもしれない。しかしホリィとマリィはアマノ王国の大神官補佐である。そのためセデジオ達が二人に敬意を示すのは、至極当然のことであった。
「ですが、早く慣れた方が良いのは事実です。ユノモリに行ったら正座する機会も多いでしょう。女王のヒミコ殿に会うかもしれませんし……ミリテオ、床で正座しなさい」
微笑みと共に見守っていたソニアだが、厳しい表情を作るとミリテオに顔を向け、非情な宣告をした。どうやら彼女は、若手に宿った気の緩みを取り払おうとしたらしい。
もっとも一行が目指すユノモリ、エルフの女王のいる王都に行けば、ソニアの言うように正座する機会は多いだろう。
ヤマト王国では男性だと通常は胡坐だが、高い身分の者と会うときには正座である。そして彼らは商人として旅をしているから、女王どころか側付きと会っても正座で対面すると思われる。
「え、ええ!? ……はい」
驚愕の叫びを上げたミリテオだが、上官の命とあっては逆らえない。彼は素直に立ち上がると、車内の隅で正座をした。
ソニアも二十歳になったばかりで、ミリテオの一つ年上なだけである。しかしソニアは情報局の局長代行で、ミリテオは単なる情報局員だ。したがって、二人の間には年齢以上の大きな差があった。
「……五分だけです。ホリィ様に教えていただいたことを実践しなさい」
「判りました!」
ソニアの言葉にミリテオが助かったと言わんばかりの声と顔で応じた。そして他の者達も、緊張気味だった表情を緩ませる。
多少の騒動はあったものの車内には適度な緊張と活気が満ち、それを知ったわけではないだろうが馬車の速度も僅かに増した。既に馬車は山道から平地へと戻っている。これからソニア達は、町村で本格的な諜報活動を始めるのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ソニア達の目的地であるユノモリでは、七歳か八歳と思われる褐色のエルフの少女が食事を始めようとしていた。彼女はソニアが口にした人物、エルフの女王日巫女である。
巫女の長らしく、ヒミコは白衣と緋袴を纏っている。そして、これも巫女だからか、彼女の前に置かれているのは精進料理のような肉や魚を用いぬものであった。
「佐久良よ……またこれか……」
四角いお膳に並べられた料理を前に、ヒミコはゲンナリとした表情となっていた。
ヒミコの前に置かれている膳は、座布団くらいの大きさの上面に四本の脚を付けた朱漆塗りの品だ。そこにご飯を盛った茶碗を始め、幾つもの碗や皿が置かれている。
精進風の料理だからか、料理には色彩が鮮やかなものが多い。当然ご飯は白いが、色取り取りの野菜に果物が、緑に赤に黄と華を添えていた。
「今日は初物が多うございますよ」
サクラという女性、ヒミコのお付きの一人は眉を顰めつつ口を開いた。
ちなみにサクラも含め、ここにいるのは全て濃い肌のエルフの女性である。ただしサクラ達は別に食事をするらしく、彼女達の前にお膳はない。
「ナスにカボチャにイチジクに……それに豆腐も旬に入ったばかりの寒山竹のタケノコ豆腐です。御厨子所の労作ですよ」
ヒミコの前に置かれた季節の恵みを、サクラは順々に挙げていく。
確かにヒミコの前に並んでいるのは、随分と手の込んだ料理のようだ。豆腐など普通に作れば良いだろうに、わざわざ竹の子を摩りおろしてまで混ぜ込むのは、やはり制限の多い中で楽しんでもらおうという気持ち故だろう。
御厨子所とは女王の食事を用意する者達、つまりヒミコ専属の調理師達だ。そして彼らは旬の食材を使うだけではなく、見た目や食感なども含めて細心の注意を払い女王のための料理を用意したに違いない。それを思えば、サクラが苦言を呈したくなるのも無理からぬことであろう。
「料理には感謝しておる……しかし……」
ヒミコはご膳の隅に置かれている縦長の器へと目を向けていた。
湯飲みのような形状の陶磁器の中には、薄桃色の液体が入っている。どうやら液体は、ジュースのようなものらしい。
「申し訳ございません……」
先ほどとは違い、サクラは済まなげな顔となっていた。それに彼女の同僚達も目を伏せている。
その様子からすると、最初サクラは敢えて料理へと話を持っていったようでもある。つまり彼女も薄桃色の液体がヒミコの嫌っているものだと知ってはいるのだろう。
しかし好物ではないと知りつつも、それをサクラ達は出す理由があるようだ。
「これも女王の務めじゃからな。詮無いことを言ったの……忘れてくれ」
ヒミコは寂しげな笑みを浮かべた。そして居住まいを正した彼女は、料理へと手を伸ばす。
和風な文化のヤマト王国だけあり、食事には箸を用いる。もちろんヒミコも膳の手前に置かれていた箸を使い、目にも鮮やかな料理を味わっていく。
それらはサクラが御厨子所の労作というだけあり、味も格別なのだろう。ヒミコの顔は、外見相応の可愛らしい笑みを浮かべていた。
「ヒミコ様、火雅美様が姫巫女の候補とお会いしていただきたいと……」
ヒミコの機嫌が直ったからか、お付きの一人が遠慮がちに声を掛けた。しかしカガミという女性の用件に問題があるのか、彼女の顔は曇っている。
「む……カガミ殿か……矢四射、今度はどのような娘かの?」
料理に伸ばしていた手を止め、ヒミコはヤヨイという侍女に訊ねかけた。ヒミコの顔も少々浮かないものとなっている。どうも彼女は、姫巫女の候補と会いたくないようだ。
「丹生様の娘と伺っております。その……魔力も充分に多いそうでして……」
ヤヨイは、言い難そうに姫巫女の候補について語っていく。どうやら候補は血筋や魔力が重要らしく、その二つを彼女は最初に挙げる。
「火野気殿の……あそこに、そんな幼い娘がおったかの?」
「確か三番目の娘です。今年で六歳だと思います」
ヒミコの問いに答えたのはサクラだ。最年長だからか、彼女は諸々に詳しいようだ。
ヒノキとは、ヤマト王国の都に使者として発った男である。つまり大王家の跡取りとなった大和健琉やヤマト姫の斎、それにクマソ王の威佐雄を案内してユノモリに向かっている人物だ。
ちなみにタケルやヒノキ達は、まだ旅の途中である。先行してユノモリに送った使者も、この日に到着するかどうかであり、ヒミコ達は未だタケル達の訪問を知らないままであった。
「ヒノキ殿は不在ではないか……カガミ殿も……判った。ともかく妾が会おう。カガミ殿の言葉とあっては、そなた達も断れぬじゃろう」
ヒミコの言葉に、サクラやヤヨイを始めとするお付きの者達は平伏した。そしてヒミコは、少しばかり苦い表情で嫌っていた筈の薄桃色の液体を一息に飲み干した。
◆ ◆ ◆ ◆
食事を済ませると、ヒミコは続く間に下がった。そして暫しの後、ヒミコに似た巫女装束を纏ったものが入ってくる。
部屋に入ってきたのは、人と区別が付かないほど精巧に作られた木人であった。身長は成人女性のサクラやヤヨイと変わらぬくらい、そして濃い肌色や長い耳も同じである。
なお、木人とはいうものの単なる木製ではない。触れば別かもしれないが離れて見る限りでは肌も人と代わらぬ質感であり、髪も生えている。そして顔立ちはヒミコと良く似ていた。そのため木人は、ヒミコが普通に成長してサクラ達と同じ年齢になったときのようであった。
実は、この木人はヒミコの代理を務めるために造り上げたものだ。巫女の長であるヒミコは、当然ながら憑依の術にも熟達していた。そのため代々のヒミコは、お付きや重臣達以外に姿を現すときは、木人に乗り移るのだ。
「ヒミコ様、姫巫女の候補を連れてまいりました。丹生火野美です」
カガミは二百歳を超えている老女だ。しかし彼女は、その年齢を感じさせない張りのある声で候補の名を告げた。
ちなみにカガミは重臣の一人であり、目の前に座っているものがヒミコの憑依した木人だと承知している。しかし彼女は、本当の女王がいるかのように平伏した。
「ヒノキの娘、ヒノミと申します」
ヒノミという少女は、カガミと同様に畳に頭を擦り付けた。彼女は上座に座っているのはヒミコだと信じているのだろう、カガミにも増して畏れが滲む声音である。
「ヒノミとやら、それにカガミ……顔を上げい」
ヒミコの憑依した木人は、人間と全く変わらぬ声でヒノミに語り掛けた。どうやらメリエンヌ学園で試作したものとは違い、この木人には発声の機能が備わっているようだ。
しかも、この木人は言葉を発するときの口の動きも人間同様で、仮に間近に見たとしても相手が人形だとは思いもしないだろう。ましてや平伏しているヒノミに判るわけはない。
それ故前を向いたヒノミの顔には、女王への強い敬意が宿っているだけである。
「ヒノミは魔力も極めて大きく、巫女の適性も別して優れております。丹生の一族に相応しく、火の属性は滅多に見ない素晴らしさで、しかも……」
カガミは歳に相応しい落ち着いた顔に、隠し切れない期待を滲ませつつ言葉を紡いでいく。
姫巫女とはヒミコの後継者の候補なのだろう。そして、そう簡単に見つかるものでもなさそうだ。代々のヒミコは百年から百五十年の在位だという。つまり逆に言えば、それだけの期間に一人しか現れない特別な能力の持ち主である。
そのため姫巫女になれるだけの者を探すのも、極めて大変なことに違いない。したがって、カガミが意気込んだとしても当然ではある。
そんなカガミの期待を知ってか知らぬか、ヒミコが宿った木人は落ち着いた様子で幾つもの問いをヒノミに投げかけていく。内容は魔力や属性に関するものだが、極めて高度なことらしくヒノミの表情は暗くなる一方であった。
「……残念だが、そなたを姫巫女にすることは出来ぬ。下がってよい」
「は、はい……」
木人の宣言にヒノミは肩を落としつつも答え、再び平伏した。そして彼女は気落ちした顔のまま立ち上がると、サクラに案内されて去っていった。
「ヒミコ様。あの者なら姫巫女に加えても良かったのでは?」
襖が閉じると、カガミは不満げな顔で言葉を発した。彼女はヒミコの決定を覆すことは出来ないようだが、それでも忠言できる立場なのだろう。
カガミは二百歳を大幅に超えている。他の種族なら七十歳を過ぎているから、伊予の島のエルフでも長老格の一人だと思われる。
「妾は、まだ女王になって五十二年じゃ。少なくとも五十年、長ければ百年は女王を務める。姫巫女を増やさんでも良かろう」
奥の襖を開けてヒミコ自身が姿を現した。先ほどまで彼女が宿っていた木人は、正座をしたまま動かない。
「ですが……」
「成長を止め、他と違う道を歩むのは僅かな者だけで良いのじゃ。あのようなものを飲むのもな……カガミ殿、失礼する」
カガミの更なる言葉を、ヒミコは強い口調で遮った。そして彼女は、再び奥の間へと消えていく。
立ち去るヒミコを、カガミは固い表情で見送っていた。長老と呼ばれるだけの長い時間を生きたカガミには、彼女にしか判らない思いがあるのだろう。そして時を止めて生きるヒミコにも。
双方とも将来を案じているのだろうが、その道は必ずしも一致しない。そんな寒々しさを感じる光景であった。
◆ ◆ ◆ ◆
一方のソニア達は順調に街道を進み、ナルカドの港から少し西にある、オオアサという町に着いていた。
ソニア達は、大王領の北端にあるエチゴの町から来た布商人ということにしている。反物であれば、どこでも必要とされるし、珍しい品であれば高値で取引されるから、というのが布商人を選んだ理由ではある。
一応ソニア達は怪しまれないように商品を携えていた。大半はヤマト王国の都で入手したもので、多少の珍しさはあるが伊予の島でも見かけることはあるだろう。しかし残りはエウレア地方から持ってきた布地であり、ここらでは絶対に目にすることが出来ない品である。
前者の一般的な品々は街中で情報を集めるときに使い、後者は有力者を探るときの餌にするものだ。そのため山を降りたソニア達が馬車から持って出たのは、ヤマト王国で織られた反物であった。
「そこのお嬢さん、この梅紋のはどうですか!? 色は明るいし、この通り細やかです。きっとお嬢さんの綺麗な尻尾に良く映えますよ!」
若いミリテオだが、諜報員となるだけあって口は達者であった。彼は反物の一つを手に取ると、狸の獣人の若い女性に広げて見せた。
馬車から出した台の上には、色取り取りの反物や小物が並んでいた。今は梅雨の中休みで、台の上の品々は中天高くに昇った日の光を受けて何れも眩しく輝いている。
ヤマト王国の女性は日本髪のように結いはしないが、長く伸ばした髪を綺麗な組紐で纏めたり紐には珠を付けたりする。小物は、それらの女性用の装飾品が中心で、一部には煙管や根付など男性用もある。もちろん、どれもヤマト王国の都で仕入れた品々だ。
「お世辞が上手いねえ! でも、本当に綺麗な……」
狸の獣人の町娘は、ほんのりと頬を染めていた。彼女はミリテオの言葉を本気にはしていないようだが、それでも悪い気はしていないらしい。
娘が受け取った布は、目に鮮やかな赤の地に細かな梅の紋様が散らされたものだ。少々派手だが娘も成人して間もない年頃らしいし、晴れ着などには向いているかもしれない。
オオアサの辺りは狸の獣人が多いようで、エルフよりも丸耳と太い尻尾の獣人が目立っている。
ヤマト王国の都で得た情報の通りであれば、伊予の島の人口は十三万人ほどで、住人は褐色の肌のエルフと狸の獣人の二種族だけだという。
そして狸の獣人は、全部で二万人程度しかいないらしい。しかし、ここオオアサやナルカドを含む一帯に彼らは集中しているから、この町ではエルフの方が少ないようだ。
「お武家様には、この丸紋柄など如何でしょう? 少し渋めですが、その方がお武家様の魅力を引き立てるかと……」
ご隠居役のセデジオも売り込みの最中だ。彼が相手にしているのも狸の獣人だが、こちらは初老の男性武人であった。おそらく非番なのだろうが、もしかすると既に隠居の身なのかもしれない。
「ふむ……確かに良い出来だな。良かろう、一反購入しよう。値段も手頃だからな」
狸の獣人の老武人は、セデジオに褒められ上機嫌となったらしい。もっとも彼が言うように、セデジオ達が広げている品々が割安なのも事実ではあった。
ソニア達の目的は、あくまで情報収集である。そのため採算を度外視しており、どの品も相場より抑えめな価格としていたのだ。
とはいえ悪目立ちしてもいけないから、多少は安いという程度だ。それに売れすぎたら、この先々で商うものが無くなってしまう。
「ありがとうございます! ……それはそうと、お武家様。私達は西に向かうつもりなのですが」
「ふむ……この先にアナミという町がある。伊予の島の東の要所でな、儂の息子も住んでおる。そこなら良き事もあろう。
……ところで、そこの煙管、中々見事だな?」
セデジオの言いたいことを理解したのだろう、老武人は小声で彼に囁き返す。そして老武人は懐から紙と矢立を取り出した。
矢立とは、携帯用の筆記用具で筆と墨壺を組み合わせた品だ。ヤマト王国の旅人なら大抵は持っているのだが、これは螺鈿の見事な細工が施された逸品である。この老武人は、かなりの身分の者らしい。
「これはこれは!」
セデジオは老武人が示した煙管を、反物の下に隠すようにして一緒に渡した。もちろん老武人は、書き付けた紙をセデジオの手に握らせている。
「お武家様、良い旅を!」
「うむ、お主も良い商いをな」
笑顔のセデジオは、こちらも満足げな顔の初老の武人を見送った。
セデジオの渡した煙管が、老武人の与えた情報に相応しいものか現時点では判らない。しかし、今の二人は双方とも良い取引が出来たと言わんばかりの上機嫌な顔をしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
昼過ぎにオオアサの町を出たソニア達は、馬車の中で再び語らっていた。彼らは商いの間や後に仕入れた情報を交換しているのだ。
「老武人が多怒金良で、息子が金頼ですか……」
マリィはセデジオから渡された紙を手にしたまま黙り込んだ。どうやら彼女は、紙に記されていた名に覚えがあるらしい。
「は、はい。何か問題がありましたでしょうか?」
セデジオは緊張も顕わにマリィの応えを待つ。彼は、自身の得た書き付けにマリィがこのような反応を示すと思わなかったようだ。
「……タヌという一族は、この地方の目付……監察官を務めているそうです。威利彦殿からの情報ですわ」
マリィの言葉に、車内の一同は大きくどよめいた。
早くも有力者の伝手を掴んだと喜んで良いのか。あるいは監察官に目を付けられたと警戒すべきか。彼らの顔には二つの相反する思いが浮かんでいた。
「セデジオ、そのカネヨシという武人は何か察したようでしたか?」
「いえ……私が見る限りでは都の反物を安く手に入れて喜んでいただけかと……しかし煙管まで付けたのは逆に怪しまれたかもしれませぬな」
ソニアの問いに、セデジオは渋い顔をしつつ答えた。
ちなみにソニアやマリィなどは、セデジオ達が商いをしている間にオオアサの町を巡っていた。セデジオ達のところにはホリィが残っているから、何かあれば彼女からマリィへと思念で連絡が入るからだ。
しかし分かれて行動したことにより、ソニア達はカネヨシという老人を目にすることは出来なかった。またホリィも商いを手伝っており、セデジオとカネヨシのやり取りまでは見ていなかった。
「そうすると、カネヨリという者のところに顔を出さない方が良いのでしょうか?」
「いえ、良き伝手を得て行かぬのも不審に思われるでしょう。文にも『この者達に便宜を図ってくれ』と書いてあるのに訪問しないのは、不自然極まりありません」
ソニアはミリテオに首を振ってみせる。
何か良い話を、と水を向けたのはセデジオの方だ。そして普通の商人なら喜びそうな武家への紹介である。そしてアナミというのはカネヨシが語った通り、伊予の島の東では非常に大きな町で、オオアサから西に向かうなら必ず立ち寄るだろう場だ。
これだけ条件が揃っていて訪れない方がおかしい。ソニアの言葉に部下達も大きく頷いた。
「罠なら罠で、飛び込んでみれば判ることですわ」
「そうですね。木人についての情報を手に入れる良い機会かもしれませんし」
マリィとホリィは、むしろ手間が省けたと思ったようだ。
オオアサの町では、木人について有益な情報は得られなかった。木人を操るには大きな魔力が必要で、おそらく狸の獣人には無理である。そのためエルフの少ないオオアサには木人の操縦者もいないのだろう。
メリエンヌ学園の研究所では、巨大木人『木人ガー』を試作した。しかしエルフの長老ソフロニアは『木人ガー』を操れるのは同族でも千人に一人くらいだろうと語った。
仮にソフロニアの言葉が正しいなら、この伊予の島全体でも適格者は百人少々しかいないことになる。しかも、これまたソフロニアの指摘の通りなら、大半は巫女や大魔術師などにもなれる筈で、木人の操縦ばかりしているわけにもいかないだろう。
もしも適格者の半分程度が木人の操縦者であったとしても、この島全体で五十人強だ。そうなると、中々木人に出くわさないのも仕方ないのかもしれない。
「その……木人というのは、随分と大きな代物だと伺いましたが……」
遠慮しつつもホリィとマリィに問いかけたのは、一行の中で最も年長のセデジオだ。
セデジオは問うまでに随分と悩んだようである。相手が鳥に変ずるという奇跡を示す二人、つまり神の使いとしか思えない者達だからであろう。
「生憎と時期が悪かったようですわ。この辺りで採れるのは杉や檜ですが、春から夏前には伐採しないようですね」
「成長期ですし、梅雨が明けるまでは湿気るからでしょう」
マリィとホリィは、優しい声音でセデジオの疑問を解いていく。
ヤマト王国に滞在したのはマリィとミリィだが、どちらも二十日近い逗留の間にエルフの操る木人とは出会わなかった。都の近くの廃鉱に隠されていた『木人二十八号』を見つけはしたが、あれは人族の中部多知麻呂が先祖の得た知識を元に作成したものだから一緒には出来ない。
マリィとミリィは伊予の島を重点的に調べたわけではない。彼女達が滞在したのはタチマロを封じるためであり、その空き時間で都を中心に多少を周っただけだから、無理もないことではある。
「確かに、雨の多い時期に木は伐りませんな……」
「それに、木人というのも木で出来ているわけですから……」
セデジオやミリテオは納得した顔になる。
ヤマト王国と同様に、エウレア地方にも四季がある。特にセデジオ達の出身地であるカンビーニ王国はエウレア地方では最南端ということもあり、比較的ヤマト王国と似た気候であった。そのため彼らも、木が水を多く吸っている春から夏にかけて伐採をしないということを知っていたのだろう。
現に、馬車の外は小雨が降っている。伊予の島は、未だ梅雨明けを迎えてはいなかった。そのため暫くは雨がちな天気が続くだろう。
「役人に接触できるのは好都合です。このまま当ても無く旅していては時間が掛かるだけですし、元々王都ユノモリに向かうつもりでした。エルフの女王ヒミコ殿に会う前に、この地を治めるエルフの高官に会うのも良い練習となるでしょう」
ソニアの言う通り、一行の目的地は女王ヒミコがいるユノモリだ。そしてアナミには、エルフの代官がいるそうだ。
アナミで何かが起きてくれた方が手っ取り早いと、ソニアは考えたのかもしれない。何しろ異神との戦いに加わったホリィやマリィがいるのだ。エルフの魔術が如何に優れていようと、彼女達に対抗できるわけはない。ソニアがそう思ったとしても不思議ではない。
セデジオやミリテオ達の顔も大きく綻んでいた。透明化や別種族に化ける魔道具、そしてこの魔法の馬車。それらもあるのだから、心配など不要だ。その思い故であろう、謎多き島に分け入る一行は何れも良く知る道を巡っているかのように憂いのない顔をしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年9月22日17時の更新となります。




