18.21 黄金と獅子 中編
黄色に輝く砂漠を進む若者達は、随分と消耗しているようだ。何れも真紅の布で目元以外を隠しているから表情を窺うことは出来ないが、息は荒く肩も大きく動いている。
だが、それも無理はないだろう。まだ日は昇っている途中で、おそらく時間は朝の9時にもなっていないが、気温は30℃を大きく超えているからだ。
この砂漠には微量だが砂金が含まれているから陽光を多く反射し、昼間は草原であるウピンデムガよりも遥かに暑い。そのため若者達は頻繁に水袋を口に運んでいる。
とはいえ水は貴重であり、しかも大量に飲む必要はない。一回ごとは僅かに口を湿す程度で、発汗による損失を補うだけに留める。それが砂漠での飲み方だ。
もっとも、それは人間達の話である。若者達が乗っている二十頭ほどのラクダは、照り付ける陽光や乾ききった空気など関係ないかのように平然とした足取りで進んでいた。
地球のラクダより二割か三割は大きな茶色い獣達は、別世界の同族と同じく酷暑や乾燥に完全な適応をしている。彼らは血中に多くの水分を蓄えることが出来るため、長期間に渡り水を飲まずに行動できるのだ。
そのためウピンデ族でも砂漠に近い乾燥地帯の集落では、ゾウなどではなくラクダを騎乗や運搬に用いていた。
「ジョト。黄金の岩山まで、どれくらいだ?」
ラクダの上の若者の中では大柄な者の一人が、脇の小柄な者に訊ねかけた。訊ねた者はゴゴという男で、一行の副リーダー格だ。
服の色、つまり支族の象徴色である赤が示す通り、ゴゴ達はエクドゥ支族の若者である。そして若者達のうちゴゴを含む大半が獅子の獣人で、残りは人族だ。そのため殆どの者は頭に被った赤い布の上に獣耳による膨らみがある。
彼ら獅子の獣人は豊かな頭髪を持っており、ふわりと膨らませている。そして普段の彼らは自身の髪を健康の印として誇っているのだが、篭もった熱のためかゴゴの声には疲労の色が大きかった。
「三十分ほどでしょう」
語り部の息子ジョトは意外に力強い声音で応じた。彼は獣人族より体力の劣る人族だが、父から砂漠への対処法も教わっている分、疲れが少ないのかもしれない。
もっともジョトの返答も暫く前とは違って短かった。したがって、こちらも疲労を感じているのは間違いないだろう。
「夜のうちに砂漠に入れたら……」
「夜の方が危ない。大砂サソリや無魔大蛇は、暗闇でも襲ってくるからな」
リーダー格の男ディキは弟のワズィの言葉に首を振った。
大砂サソリは、視覚だけではなく振動により獲物の存在を察するという。それに無魔大蛇という巨大な蛇は魔力を吸って生きるくらいであり、魔力で探って狩りをするようだ。そのため夜の砂漠は気温が低い代わりに、視界に頼る人間にとって危険な地となる。
そこでディキ達は日が昇ってから砂漠に入ることにした。
ディキ達は住まいである集落、エクドゥ支族の最大拠点クシニドを夜のうちに出発し、夜明け前に砂漠に近い集落でラクダを借りた。そして彼らは日の出から少し間を置いて砂漠に入り、更に二時間半が過ぎたわけだ。したがってジョトの言葉通りなら、片道三時間の旅である。
仮に砂漠で夜を過ごさないなら、採掘に使えるのは長くて五時間くらいだろう。おそらく更に遠くだと、日帰りでは充分な量が採れないに違いない。したがって彼らが目指す黄金の岩山は、手頃な場所と言えよう。
ただし、それは魔獣が出現しない前提だ。ジョトは語り部である父のヴィタから魔獣の縄張りの狭間らしき経路を教わっているが、それでも絶対に襲われないという保証はない。
そしてヴィタや族長達が秘するだけの理由はあったようだ。ディキが語り終えた直後、その言葉に誘われたかのように何かが出現した。しかも一行の左右から同時にである。
◆ ◆ ◆ ◆
「あっ、あれは大砂サソリ!」
「こっちは無魔大蛇だ!」
ディキ達から向かって右側、つまり西からは真紅の巨大サソリ、そして反対からは真っ黒な大蛇が現れた。しかも、どちらも一匹や二匹ではない。
大砂サソリは三十近くいるだろうか。草原でアマノ号と対峙したものと同じで、全長20mほどもある大物だ。それがハサミと尻尾を掲げて物凄い速度で迫ってくる。
左手の無魔大蛇は大砂サソリの倍以上いるらしい。漆黒の蛇の大きさは赤いサソリの半分強だが、こちらは砂に潜んでいたらしく距離が近い。大砂サソリは随分遠方だが、無魔大蛇は幾らもしないうちにディキ達まで辿り着くだろう。
「ラクダを走らせろ! このまま黄金の岩山まで駆けるんだ!」
ディキは、顔を覆っていた真紅の布を下ろして叫んだ。年齢は二十歳くらい、そして二十人近くを率いるだけあって気の強そうな顔である。
とはいえ黒檀のようなディキの肌には大粒の汗が浮いている。それは暑さからか、それとも魔獣達への恐怖からか。
しかし彼自身を含めた一行には、そんなことを気にする余裕など存在しないだろう。それ以前にディキのラクダは先頭を切って走り出したから、確かめることの出来た者などいなかった筈だ。
それはともかく、この期に及んでもディキは黄金の在り処を目指すようだ。
しかし、これは他に選択の余地がないからだろう。既に砂漠に入ってから二時間半、そしてジョトの言葉通りなら黄金の岩山とやらは三十分ほどの場所にあるらしい。それであれば近い方に進むべきという判断も、頭からは否定できない。
「お、追ってくるぞ!」
「それも、両方だ!」
ディキに続く男達も全て顔を顕わにしていた。おそらく覆ったままだと熱が篭もるからだろう。
ラクダ達は全力疾走をしているのだから、騎乗といっても単に座っているだけではない。揺れるラクダの背から振り落とされないためには相応の力が必要だし、そうなれば自然と発汗し体は熱を持つ。
それに戦いになれば、呼吸が制限されるのは命取りである。彼らはウピンデ族特有の長槍を持っており、いざと言うときは己の得物を振るう。したがって彼らは暑さ避けよりも戦いやすさを優先したのだ。
「こっちより速い!」
ゴゴは先を行くディキに叫ぶ。こちらも年齢はディキと同じくらいで、鼻の下や頬の髭も歳相応に濃い。
サソリと蛇の魔獣は、ゴゴが言う通り双方ともラクダの一群を追いかけていた。それに魔獣達の方が速いようだ。特に大砂サソリは、どんどん距離を詰めてくる。
しかも魔獣の一部は真後ろから追ってくるが、ラクダの一隊と併走するものまでいる。どうやら併走している魔獣達は、先回りして逃げ道を塞ぐつもりらしい。
「黄金の岩山は、切り立った場所の筈だ! こんな平らなところより戦いやすい! それにラクダ達も全力疾走は長く出来ん!」
「兄貴! 無魔大蛇はともかく、この槍で大砂サソリを貫けるのか!?」
ワズィは若い顔を恐怖に歪めつつ、兄のディキに問うた。
若者達が持っている槍はウピンデ族の槍にしては短めで、長さは5mを下回っていた。おそらく乗り物がゾウではなくラクダだからであろう。
それに槍の柄は木製だ。炎天下で金属の柄を剥き出しにしていては短時間で熱を持つし、採掘の道具もあるから重量を抑える必要もある。しかし、巨大なサソリの甲殻を貫くには少々頼りない。
「やるしかないだろう! 死にたくなければな!」
「ああっ! サソリが!」
ディキの叱咤に重なるように、語り部の息子ジョトが悲鳴を上げた。
既に巨大なサソリは無魔大蛇と同じくらいに近づいていた。しかもラクダ達を追い越した数匹は、進路を遮りつつある。
一方、後ろから追い縋る無魔大蛇は獲物が攻撃可能な距離に入ったと感じたようだ。蛇達は最前まで低くしていた頭を人の背ほどまで上げ、しかも人など丸呑み出来そうな巨大な顎を開けて真っ赤な口腔と舌を覗かせている。
大砂サソリも負けてはいない。無魔大蛇に獲物を奪われたくないからか、真紅のサソリ達は更に速度を上げてきた。こちらはラクダすら両断できそうな長大なハサミを振り上げ、八本の脚を忙しく動かしている。
◆ ◆ ◆ ◆
「オルムル、行くぞ!」
アミィに思念を送り終わったシノブは、岩竜の子オルムルに声を掛ける。
砂漠の上を飛んできたシノブ達は、疾走するラクダ達と包囲を完成しつつある魔獣達の姿を前方に捉えていた。そして空から見る限り、まだ脱落したラクダや人はいない。シノブ達は間に合ったのだ。
──はい!──
飛翔に専念するためだろう、オルムルは思念のみを発し急降下していく。そして彼女は最後尾のラクダを追う無魔大蛇に、大気を揺るがすほど強烈な漆黒のブレスを放った。
奔流に宿る膨大な魔力は、岩竜に相応しく土属性を帯びている。そして極めて高密度の魔力は一部が物質へと変じる。そのとき魔力は彼らの良く知る磁鉄鉱、つまり砂鉄へと変わるのだ。
「やったぞ!」
「凄い!」
シノブの後ろでエクドゥ支族の戦士達が歓声を上げた。彼らは族長の息子ムビオと同じく娘のエマ、それに決闘の際にエマの介添えをした二人の女戦士だ。
オルムルのブレスは大蛇を二匹も仕留めていた。彼女は生後十一ヶ月弱だが、ブレスは成竜ですら瞠目する域に達している。そのため黒く太いブレスは後続の巨蛇まで巻き込んだのだ。
そして、ブレスを放ったのはオルムルだけではない。
──流石オルムルお姉さま!──
──僕も負けません!──
炎竜の子シュメイが放った真紅の輝きは、同じく真っ赤なサソリを貫く。そして岩竜の子ファーヴはオルムルと似た黒い奔流を発し、巨大な蛇を押し潰す。
シュメイは生まれて半年弱、ファーヴは四ヶ月半だから、オルムルほどの威力はない。しかし二頭のブレスは、相手を一匹ずつ確実に倒していく。
──超・大・切・断! ミリィさんから教わった技、使えますね!──
嵐竜の子ラーカは最年長で、生後十四ヶ月を超えている。そのため技も随分と豪快だ。
ラーカは僅かに緑がかった風のブレスを、同時に幾本も放っていた。そして彼が生み出した緑の疾風は帯状に広がり、三匹の無魔大蛇を同時に細切れにした。
──遠距離攻撃は苦手です~! とりあえず足止めします~!──
光翔虎の子フェイニーは、竜達から僅かに遅れて突風を放っていた。もっとも彼女自身が言うように、あくまで風の術は牽制でしかない。
フェイニーが放った風の攻撃は、十ほどの巨大な蛇を押し留めた。そして彼女自身は、ラクダの集団に向かうオルムルを追っていく。
「ムビオ殿、エマ、頼む!」
シノブは黒髪の兄妹へと叫びかける。
オルムルは魔獣の群れを追い越し、ラクダ達の上に到達していた。こちらが敵ではないと、同じエクドゥ支族のムビオ達から伝えてもらうためだ。
「ムビオだ! 助けに来たぞ!」
「もう少しだけ頑張れ!」
ゾウの背の倍くらいまで高度を落としたオルムルの上からムビオとエマが叫び、手にした長大な槍を振ってみせる。
「ムビオ!? それにエマ!?」
「その魔獣は!?」
疾走するラクダの乗り手達は喜びと驚愕の入り混じった叫びを上げていた。そして彼らは手綱を引き、ラクダをオルムル達が保護する下に留めた。
全力疾走が堪えたのだろう、流石のラクダ達も息が荒い。それに乗り手達も全員が地に降りた。どうも彼らは激しい騎乗で体力を消耗したらしい。
乗り手のうち何名かは砂漠に崩れ落ち手を突いた。しかし途轍もない熱さ故だろう、慌てて手を引っ込める。
一方の魔獣達は、ラクダの上に陣取った竜と光翔虎を恐れたらしい。巨大なサソリと蛇は、どちらも距離を空け始めていた。
およそ百匹近くいた魔獣達だが、早くも一割強が減じている。それに大抵の魔獣は魔力に敏感で、その上オルムル達は威嚇のため魔力を意図的に放出している。したがって無魔大蛇や大砂サソリが警戒するのも当然であった。
「フェイニー殿、降ります!」
カンビーニ王国の王太子シルヴェリオは砂漠へと舞い降り、一直線に巨大な蛇へと向かっていった。そして彼はシノブが貸した神槍を投擲すると呼び戻しと、走る間にも魔獣達を屠っていく。その様子は、種族の象徴通り獅子奮迅と言うべき勇ましさだ。
「し、白い虎が! それに銀髪の!」
「ま、まさか白の獅子王ですか!? しかも金色の野に……」
偉大な白い獅子の伝説は、若者達も知っていたようだ。特に語り部の息子であるジョトは、驚愕も顕わにシルヴェリオを見つめている。
確かに不思議な槍を振るう銀髪の王太子は、伝説の存在と思っても不思議ではない戦いぶりだ。しかも彼は護衛の戦士達に守られていることもあり、矢のような速さで砂漠を駆け抜けていく。
「殿下!」
「お待ちください!」
シルヴェリオの左右を固めるのは、シノブの親衛隊長であるエンリオとカンビーニ王国の女軍人ベティーチェであった。この二人も神槍を駆使しつつ銀髪の王太子に続いていく。
エンリオは猫の獣人の特徴である身軽さを磨いたからだろう、砂を蹴立てず疾駆していく。そして彼はシルヴェリオと酷似した動作で槍を投げ、側面から迫る漆黒の魔獣達を撃破していた。
それに対しベティーチェは虎の獣人だからか、エンリオとは違って豪快に砂を散らしながら駆けている。こちらは種族の特性である大力を活かし、男性の二人に劣らぬ勢いで槍を投じていく。
──負けませんよ~! まずは車輪の絶招牙です~!──
全ての乗り手を降ろしたフェイニーは、一瞬にして遠方に飛翔する。そして彼女は凄まじい速度で縦回転しつつ、無魔大蛇の群れを切り裂いていく。
更に他の乗り手や竜達も同様に、ラクダの一団を守るように四方へと散っていた。
「母上の代わりに頑張るのじゃ!」
「マリエッタ殿、ご一緒します!」
カンビーニ王国の公女マリエッタやガルゴン王国の王太子カルロスは、シルヴェリオ達と同じく地上に降り立ち神槍で戦い始めた。
なお、同行するとマリエッタに宣したカルロスは、さり気なく彼女を守護していた。彼は二名の護衛と共に虎の獣人の公女を囲むようにしながら駆けているのだ。
「流石はシノブ様の魔道具ね!」
「ええ! 見た目は普通なのに弓勢は国一番の強弓を超えているわ!」
「これならマリエッタ様達をお守り出来ます!」
一方マリエッタの学友であるフランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアは神弓で、乗ってきたラーカの背から地上の戦士達を支援している。とはいえフランチェーラのみがシルヴェリオ達、他はマリエッタを中心にというのは、やはり友を案じてのことだろう。
「ヤマンジャ支族の長ババスカリ、参る!」
ババスカリは、共に来た獅子、虎、豹の獣人達を率いて長槍と盾を構えて突撃していた。しかも全ての支族が揃っているから、七色の衣服が地上を駆ける虹のようで美しい。
シルヴェリオ達とは違い、彼らは慣れた自前の大槍だ。何れも支族を代表する腕の持ち主なのだろう、槍は飛び抜けて長く8m近い。
神槍とは違い、ババスカリ達の槍は投げたら戻って来ないから接近戦のみである。しかし彼らは恐れ気も無く巨大な魔獣に駆け寄ると、手練の技で相手を屠っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「俺達も行くぞ!」
当然ながら、シノブも光の大剣を手に砂漠に飛び出していた。彼は誰よりも速く疾走し、巨大なハサミを突き出し、恐ろしげな針を備えた尻尾を振りたてる大砂サソリに向かっていく。
「おう!」
「若貴子様にエマの戦いを奉げる!」
シノブの後ろにはムビオとエマが続いていく。なお、エマの介添えの女戦士達は、ラクダの周囲に護衛として残している。
最初シノブは、全て自分やオルムル達で対処しようと考えた。しかしムビオやババスカリ達は、自分達ウピンデ族の過ちを他者の力のみで解決してもらうわけにはいかない、と主張した。そこでシノブは彼らウピンデ族の者達にも戦ってもらうことにしたのだ。
そうなるとシルヴェリオやカルロス達も黙ってはいない。そのため、それぞれの腕自慢達が競うような形になったわけである。
したがってシノブも飛翔や光弾に光鏡といった他が使えない技ではなく、光の大剣だけで戦うことにしたのだ。
とはいえシノブも保険は掛けていた。念の為シノブは光の神具を全て身に着けているし、オルムル達にも密かに思念を送り戦士達のサポートを頼んでいる。
そのためシノブは安心して剣を振るい、目の前の魔獣達を倒すことに専念できた。
「す、凄い! 十匹を一度に倒すとは……」
「剣を振っただけで大砂サソリが……」
ムビオとエマは自身の槍を繰り出しつつ、驚嘆の声を漏らしていた。シノブは放った剣風だけで、鉄よりも硬い大砂サソリの甲殻を両断したのだ。
シノブは横一文字に大剣を奔らせただけだ。しかし彼の前に迫りつつあった十匹の巨大なサソリは、全てが上下に分かれていた。
技はフライユ流大剣術の『天地開闢』である。しかし、もはやシノブの剣は人間の到達できる域を超えているようだ。おそらくは神々から直々に技を伝授されるという体験が、彼の技量を更に磨いたのだろう。
「う、腕が見えない!」
「あれなら、きっと槍も凄い……」
驚くムビオとエマだが、この二人も充分に強い。ムビオの全長7mもある豪槍は難なく大砂サソリを貫くし、エマも甲殻の薄い部分を上手く狙い魔獣を倒す。その姿は彼らが最大支族エクドゥの長の血を継ぎ、他から一目も二目も置かれる優秀な戦士だと証明していた。
しかしムビオとエマが一匹を貫く間に、駆けるシノブは更に十ほどの巨獣に数え切れないほどの穴を穿っていた。今度もフライユ流大剣術の一つ『千手』である。
──あと少しです!──
空からオルムルの思念が高らかに響く。
子供とはいえ合わせて五頭の竜と光翔虎が競うように技を繰り出し、二十名もの稀なる腕の戦士達も負けずと己の武技を披露する。そのため魔獣達は、僅かな間に壊滅状態に追い込まれていたのだ。
「これで終わりだ!」
シノブが強烈な踏み込みと共に放った片手一本突きは、最後に残った一際大きな大砂サソリを見事に貫いた。何しろ異神すら倒した『金剛破』である。輝く利剣は分厚い魔獣の甲殻が紙であるかのように、呆気なく滑り込む。
「おお!」
「た、助かった!」
全ての魔獣が絶命したと知った若者達は、安堵の叫びを上げていた。彼らは皆、熱い砂の上にも関わらず崩れ落ちるように膝を突いてしまう。
◆ ◆ ◆ ◆
「この馬鹿者共が! 大事な時期に集落を離れるとは、それでも戦士か!」
ヤマンジャ支族の族長ババスカリの怒声が、砂漠に響く。ディキ達はエクドゥ支族だが、同じウピンデ族である。そこでシノブと共に来た中で最年長の彼が、代表して叱責することになったようだ。
ババスカリとウピンデ族の各支族の代表者が並び、隣にムビオとエマ、そしてエマの同僚である女戦士達が控えている。
一方シノブなどエウレア地方から来た者達は、少し後方に下がっていた。シノブも黄金を求めて砂漠に踏み込んだ無謀な若者達に呆れてはいたが、叱責は同じウピンデ族であるババスカリ達に任せたのだ。
「し、しかし! ババロコは俺達を後方に留め、自分達だけで戦っている! 俺達がいなくても……」
「そ、そうだ! それに熟練した戦士達は魔獣を倒して多くの報酬を貰うが……」
体を震わせ俯いた若者達の中から声を上げたのは、代表格の二人ディキとゴゴだ。しかし、彼らの弁明はババスカリ達の怒りを増すだけであった。
「そんな考えだから戦いの場に出してもらえんのだ! それに戦士の癖にグダグダ言い訳しおって! 我ら戦士の教え『修行中は無駄口を叩くな。言葉と共に力が逃げる』を忘れたのか!?」
「そうだ! 見るが良い、ムビオとエマを!」
ババスカリに続き、青の服を着た豹の獣人が口を開いた。彼はババスカリに次いで年長らしいから、自分も説教に加わるべきだと考えたのかもしれない。
「ババゴズィ殿……俺達は……」
「掟は大切なもの。そして守ると強くなれる」
僅かに照れたらしき兄ムビオと違い、妹のエマは深々と頷いていた。
この二人は部族の掟を忠実に守り、自身を高めようとしているのだろう。ムビオはエクドゥ支族の戦士長だから、他を指導することもある。そのため彼は妹に比べ、多少だが雄弁だ。しかしエマは未成年の戦士だから修行中の身という意識が強いのか、教えを厳守しているようだ。
「謙遜するな。幾らババロコ殿の子供とはいえ、二十歳の若さで戦士長になり、重要な交渉に代理として出席する。それはお前が優秀だからだ。
それにエマも教えを守って一心に励んでいる。だから強くなれるのだ」
ババゴズィと呼ばれた青い服の豹の獣人は、それまでとは違う笑顔でムビオを褒め称えていた。他の代表者達も同じ意見らしく、何れも顔には賛意が浮かんでいる。
対するムビオは、ますます照れたらしい。彼は頭を掻きながら空へと顔を逸らす。しかしムビオの顔は、一瞬の後に鋭く引き締められた。
「若貴子様! 少女が空から降ってきた!」
「え!? ああ、ミリィだよ」
ムビオの叫びにシノブも宙を見上げるが、すぐに彼は笑顔になる。そこには青い服を纏った虎の獣人の少女の姿があったのだ。
今のミリィの姿はシノブも初めて見るが、魔力波動は彼女のものだ。そのため彼はミリィだと察したわけである。
◆ ◆ ◆ ◆
「金色の野って言うけど、ただの砂漠ですね~。この辺りは~」
ミリィは風の魔術で減速しているらしい。高空からだというのに、彼女は極めて静かにシノブ達の前に舞い降りた。
「お、黄金の岩山は無かったのか!?」
ミリィの言葉を聞いて素早く顔を上げたのは、叱責に俯いていたディキである。そして彼は驚愕の表情で叫ぶ。
この期に及んでも金を諦めきれないのか、それとも長達に逆らい命を賭してまで行こうとした目的地が夢幻だと思って衝撃を受けたのか。あるいは黄金さえあれば叱責も軽減されるという愚かな考えでも抱いたのか。ディキの複雑な表情からすると、どれもありそうだ。
「まだそんなことを!」
ババスカリ達は、憤然とした顔で呆けた表情の若者に詰め寄る。改心した様子の無いディキの目を覚まそうと思ったのか、中には拳を振り上げている者すらいた。
「貴方がディキさんですか~?」
「そ、そうだ!」
歩みながら問い掛けるミリィに、ディキが怯えを滲ませつつ答えた。すると次の瞬間、砂漠に乾いた音が響く。いつになく真剣な顔をしたミリィが、平手でディキの頬を打ったのだ。
「貴方達の愚かな行動で、どれだけの人が迷惑したと思っているのですか!
……ババロコ殿や戦士の方々は、危険を顧みず貴方達を一生懸命探したのです。彼らは、ここに倒れているのと同じくらいの数の魔獣に遭遇するところだったのですよ?
それに貴方達が抜け出した集落に何かあったらどうするのです? 首尾よく戻っても、家族も妻に迎えるべき女性もいない……そうなったかもしれません。
それが判らないなら、私が黄金と共に湖にでも沈めましょう。貴方達は黄金さえあれば幸せになれるのでしょうから」
ミリィは十歳か満たない程度の外見からは想像できない、大人びた声音でディキを糾弾していく。いや、ミリィの言葉は無謀な行動に出た若者達の全てに向けられているようだ。
それを察したのだろう、ディキだけではなくゴゴ達も全員が深く俯いた。彼らも、自分達の行動が如何に身勝手なものか、ようやく身に染みて理解したらしい。
「黄金の岩山……そんなものがあるから……」
ババスカリもディキ達と同じ伝承を知っていたらしい。彼は苦々しげな顔で呟き、やり切れなさそうに首を振っていた。
『シノブさん、金は無い方が良いのですか?』
シノブに寄ってきたオルムルが、魔力障壁による声を用いて彼に問い掛ける。
オルムル達は、先ほどまで倒した魔獣を食べたり選り分けたりしていた。どうも自身が味わうだけではなく、アマノ号に乗っているフェルンの分を集めていたようだ。
しかし、それらも一段落したようでオルムル達はシノブの側に戻ってきたのだ。
「……貴金属は便利だから、無いと困るだろうね。
でも、それらに惹かれ過ぎ操られるようになっては駄目だ。それに使いこなせない道具や過ぎた品は、むしろ害悪だと思うよ」
「シノブ様のお言葉通りです。
蓄財は、より良い生活をするための手段です。ですが、仮に多くの財を得たとしても幸せになれるとは限りません。ましてや、採った手段が軽蔑されるものであれば、尚更です」
シノブがオルムルに答えると、続いてミリィが若者達に諭すような言葉を掛ける。
普段のミリィは滑稽な振る舞いが目立つ。しかし今の彼女からは、神殿で神官や人々を導くときのような威厳すら感じられた。
「その通りです。しかし黄金の岩山のように無理すれば辿り着ける場所があるから、愚か者達が砂漠に迷い出て行くのです……」
ババスカリは最前にも増して苦渋に満ちた口調で呟いていた。
今回は、暴走した若者達を連れ帰り厳しく罰すれば良い。だが、これだけ多くの者が知ってしまったのだ。どんなに厳重に口外を禁じても、いつかは漏れるだろう。そうなれば、再び挑戦する輩が出るに違いない。年長者達の憂い顔には、そんな思いが滲んでいるようだ。
「黄金の岩山か……」
シノブは、ババスカリが口にした場所について大よその見当が付いていた。正確には、上空からそれらしきものを発見していたのだ。
「確かに立派な岩山でしたね」
ミリィもシノブ達と同じものを見たようだ。オルムル達はディキの率いる一団を発見するために上空高くを飛んだし、ミリィも同じだったのだろう。そうであれば、当然ながらラクダの歩みで三十分くらいの場所は目に入る。
『でしたら吸い取っちゃいましょう!』
『そして無茶な人の手の届かないところに持って行けば良いです!』
「そ、そのようなことが出来るのですか!?」
オルムルとファーヴの提案に、ババスカリ達が驚愕と喜びの滲む声を上げた。どうやら彼らは、よほどこの問題に頭を悩ませていたらしい。
『あのですね……』
『だから、こんな風に……』
二頭の岩竜が示す内容に、シノブも微笑みを浮かべた。しかしシノブは、同時に僅かながら苦笑を浮かべてしまう。
そのオルムルやファーヴならではの発想は、シノブも良案であると認めるものであった。だが、彼にとって少しばかり面倒なものであるのも確かだったからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年9月8日17時の更新となります。




