18.10 明日への扉
玄王亀は、地中の極めて深いところに棲んでいる。
サドホルンの鉱山の最深部は入り口からでも250mは下になるという。しかも坑道は山の高い方に向かっているから、最深部の辺りだと地表までは400m近くあるらしい。
しかしシノブ達の前にいる玄王亀のクルーマは、自身と番のパーラは遥か深く、坑道の最深部からでも1km以上の地底を生活領域としていると語った。
──そのようなわけで人の子と会うのは初めてだが、聞き及んではいる。『光の盟主』よ。そなたの姿は人族のものだな? そして『光の従者』は獣人族の姿か──
坑道の広間に頭や前足を突き出した巨大な亀、玄王亀のクルーマはシノブに静かな思念で語りかける。
漆黒の大亀クルーマは、広間の一方を半分以上塞ぐ大きさだ。おそらく幅10mを優に超えているだろう。しかも坑道の天井は低いから、甲羅は下の一部しか窺うことができない。
クルーマがどうやって掘り進んだのか判らないが、広間が崩壊しないのが不思議なほどである。
「そうだよ。アミィは狐の獣人、イヴァールはドワーフ、エンリオは猫の獣人だ」
興味深げなクルーマに、シノブは自分達の四人の種族を教えた。
既にシノブ達は変装を解いていた。シノブは光の神具を持って駆けつけたから、変装など無意味だ。それに外に逃げる鉱夫達を安堵させるためにも、元の姿の方が好都合である。
そこで魂を木人から馬車に残した肉体に戻したシノブとアミィは、国王とその右腕として戻ってきた。そうなればエンリオだけが変装する必要も無く、今は全員が本来の姿である。
──猫の獣人という種族は知らなかった。だが、狐の獣人や山の民は知っている──
クルーマは三百年以上を生きているが、地上に出たのは最近の十年ほどで回数も僅かだという。それも多くは深夜で、更に鉱山などから外れた人間の立ち入らない場所だそうだ。
そして番のパーラは成体になって十数年、つまり二百歳を超えて大して経っていない。そのため彼女は地上に出たことすらないようだ。
したがってクルーマが人間を知っているだけでも驚くべきだろう。
「人間のことを誰に教わったのだ? 親か?」
イヴァールは玄王亀が竜や光翔虎のような種族だと察している。そのため彼は、玄王亀も自身が知る二種族と同様の生態だと考えたらしい。
──うむ、親や長老達だ。人の子が生きる場所と、そこには近寄らないようにと教えてくれた──
やはり玄王亀も竜や光翔虎と同じで、成体となるまでに親から多くのことを習うようだ。玄王亀の子供は成体になるまで両親と共に暮らすと、クルーマは続ける。
ちなみにクルーマの語ったことはアミィが通訳している。そのため思念が使えないイヴァールやエンリオも彼の言葉を理解している。
──子供は我らのように地下の魔力だけでは生きていけぬ。そのため、親達は地上近くで魔獣を狩り、餌とする──
クルーマが地上に訪れたのは、近い将来の子育てに備えて良い狩場を探していたからであった。魔獣が多く棲み人間の領域から外れた場所が、彼らの子育てには必要なのだ。
もっとも狩りは殆どが地下で済んでしまうそうだ。地底を自在に移動できる玄王亀は、魔獣の棲む洞穴に地下から侵入し獲物を狩る。そのため狩りで地上に姿を現すことは稀らしい。
「何と……しかし地下に繋がる大穴が残っていれば、誰かが発見するのではないかと……魔獣の領域と言えど、踏み込む者はいるでしょうから」
エンリオは、驚愕を表しつつも問いを発する。彼は、今までの七十年以上の生で知った知識と照らし合わせ、疑問を抱いたようだ。
エンリオはカンビーニ王国の王城守護隊に所属していたころ、大規模な魔獣退治に応援として加わったことがある。そして彼の知る魔獣狩りでは棲家の洞を調べることも多かったのだ。
そのためエンリオが、魔獣退治に来た者が玄王亀の掘った穴を発見しないのか、と考えるのも自然だろう。何しろ、この巨大な体である。穴が残っていれば大洞窟になるだろうし、崩れていても地面が陥没するなど何らかの跡が残る筈だ。
──いや……我らは穴を掘るのではないのだ。もちろん掘ることも出来るが、普通は周りの大地を押し退けて進む。だから、このようになる──
思念を発したクルーマは、大きく口を開けて体を後退させる。すると広間の壁は元通りになり、彼が出現する前と同じ幾つかの枝道の入り口が並ぶだけとなった。
「こ、これは!?」
「シノブ、どういうことなのだ!?」
エンリオは目を見開き叫び、イヴァールは驚愕を顕わにした顔をシノブへと向ける。
二人が驚くのも当然だ。広間の壁には、竜や光翔虎に匹敵する巨体が突き出していた形跡など全く残っていない。
「まさか周りの空間を歪めて!? 重力操作があるんだから理論的には……しかし幾ら巨大な質量や運動量が時空を歪めるとはいえ……」
シノブの脳裏に一つの推測が浮かぶ。しかし彼には自身の思い付きが正しいかどうか判断する術は無く、そのため声も半信半疑といったものになっていた。
相対性理論では重力を時空の歪みで説明する。シノブも大学生であったから、それくらいは知っている。しかし、ここまで大規模な変化を引き起こし、更に都合よく周囲の大地のみに影響を及ぼすことが可能なのだろうか。
岩竜や炎竜は成竜になると100tを遥かに超えるが、鳥より速く飛翔できる。これは重力を操って飛んでいるからだ。それにシノブも彼らの重力操作を真似ることで飛翔を体得した。したがってシノブは、既に空間に影響を及ぼす魔術を使っているともいえる。
しかしクルーマの技が重力操作と同じ原理に基づくものか。シノブは、それを判断するだけの材料を持っていなかった。
──『光の盟主』よ。そなたの言葉には判らぬものが多いが……だが、周りの場を歪めているという理解で構わぬ。……ところで『光の盟主』よ。我が番とも会ってくれぬだろうか?──
再び広間に顔を出したクルーマは、シノブの言葉を肯定した。そして彼は、自身の伴侶であるパーラと会ってもらえないだろうかとシノブに願い出た。
◆ ◆ ◆ ◆
「最深部の更に下まで探検できるとはな!」
「実に興味深い経験ですな……もっとも探検にしては少々物足りませんが……」
上機嫌のイヴァールとは違い、エンリオは少し残念そうな様子である。おそらく、エンリオが考えている地底探検とは大きく異なるものだからに違いない。
イヴァールとエンリオにシノブとアミィを加えた四人は、玄王亀クルーマの甲羅の中央に乗っている。彼は一旦広間に背中を出し、シノブ達に乗るようにと言ったのだ。
玄王亀は口から出した魔力で空間を歪めるらしい。そして彼らは自身と至近は変化させず、外側の空間だけ操ることが可能であった。そのためクルーマが地下に沈むに合わせて周りの岩肌が分かれ、通り過ぎると元に戻っていく。
クルーマによれば、抜けていった場所には微かな跡が残る程度だという。したがって何も知らない者が異変に気が付くことはないのだ。
──亀に乗っていくのは竜宮城だと思っていたけど、地の底だとはね──
──待っているのは乙姫様じゃなくて、亀の奥さんですね──
シノブとアミィは思念でこっそり会話をしていた。
亀の背に乗って潜るといえば、日本人なら浦島太郎を連想するだろう。あちらが潜るのは海だが、類似しているのは間違いない。
もちろんシノブはクルーマを助けてはいないし、大きさも随分と違う。それに乗っているのは四人である。とはいえシノブは有名な唱歌を思い出しつつ、アミィと会話していた。
──ところで空間と一緒に時間が歪んだりしないだろうね? 地上に戻ったら何日も経っているとか──
唱歌を思い出したからだろう、シノブの胸中に不安が生じた。
時空間というくらいで、時間と空間には密接な関係がある。したがって御伽話だと笑い飛ばすことなど、シノブには出来なかったのだ。浦島太郎にはならなくてもウラシマ効果を体験するかもしれない。そのことに思い当たったシノブは、思わず顔を青くしていた。
クルーマは、およそ三十分で棲家に着くと言っていた。つまり往復で一時間である。仮に時間の流れが外部と十倍違うなら、半日近くが過ぎてしまう。では、もしも百倍の差があったら。そう考えたシノブが蒼白になるのも無理はなかろう。
──この術を使ったからといって、周囲と時の流れが変わることはない。我はパーラを置いて地表近くを探るが、一日は一日でしかないぞ──
──そ、そうか……それなら安心だ──
クルーマの返答を聞いたシノブは、地球に戻ったときのような時間のずれは発生しないと安堵した。
両親や妹の絵美に会って別れを告げることが出来たのは、シノブにとって思わぬ喜びであった。しかし、この世界に戻ってくるまでシャルロット達を心配させたのは事実である。帰還したときのシャルロット達の大きな喜びや涙を目にしただけに、シノブは同じことを繰り返してはならないと思っていたのだ。
──あのときは、とても驚きました……それにアムテリア様が教えてくださるまで、生きた心地がしませんでした。もちろんシャルロット様達も……他の皆もです──
アミィはシノブの胸中を察したのだろう。しんみりとした思念を発した彼女は、シノブの腕に自身の小さな手を添える。
──ごめんね、もう別の世界に行ったりしないよ──
シノブはアミィの髪をそっと撫でた。温かな彼女の心根を表すかのような夕日のようなオレンジがかった色の、そして幼い外見に相応しいサラサラした髪だ。
頭上の狐耳と合わせてアミィの笑顔を彩る、この世界に来てからずっとシノブと共にあった美しい輝き。それは、あるときはシノブの心を落ち着かせ、あるときは励ましてくれる。
そのためだろう、シノブの心に深い安らぎが広がっていく。
──『光の盟主』よ。そなたは……どこから来たのだ?──
暫しの緩やかな時間を置いてシノブに問い掛けたのは、クルーマであった。
二人の間に流れたもの故だろう、クルーマは遠慮しているようであった。しかし彼は、それでも別の世界という言葉への興味を抑えきれなかったらしい。
──実はね──
シノブは、これまでのことを掻い摘んでクルーマに伝えていく。
アムテリアの手により、この世界に現れたこと。アミィを始め多くの助けで、この世界に馴染んでいったこと。最愛の女性と出会い結ばれ、子を成したこと。異神と戦い地球のある世界に飛ばされたこと。そしてアムテリアや彼女を支える神々により戻ったこと。それらをシノブは、順に追っていった。
──シノブ様は竜や光翔虎の皆さんとも仲良くしているんですよ! そして、この地の王様として多くの人に慕われています!──
アミィは自慢げな思念で、シノブの言葉を補った。主と敬うシノブが様々な者達と手を携え彼らを導く存在になったのは、彼女にとって何よりも誇らしいことなのだろう。
──何と……地上は大きな変化を遂げたのだな──
クルーマは深い感慨が滲む思念を発していた。地下深くに潜む玄王亀も、地上のことは気になるのだろうか。シノブは意外な思いを抱きつつ、ゆっくりと深みに向かう巨大な亀の甲羅を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「これは……魔力がとても濃い?」
「そうですね……」
およそ半分を潜ったころ、シノブとアミィは周囲に大きな変化が生じたことに気が付いた。周りを流れる岩の見かけは変わらないが、発する魔力が何倍にもなっているのだ。
「俺には判らんが……」
「私もですな……感知が苦手で残念です」
イヴァールやエンリオは、魔力の変化を感じ取れないらしい。二人は魔術に不向きなドワーフと獣人族だから、仕方ないことではある。
──この魔力があるから、ここで生きていけるのだ。しかも我らを隠す守りでもある──
クルーマによると、地中深くには魔力の濃いところが多いらしい。そして他より多い魔力は感知を遮ってくれるそうだ。
空間を操るためだろう、玄王亀は魔力隠蔽が得意だ。そのため彼らは地上近くに寄っても他種族に気付かれることはない。とはいえ幼いころは魔力隠蔽能力も発達していないから、隠れ家となる濃い魔力は子育ての面でも都合が良い。
難点は思念が届きにくいことで、クルーマは地表付近から棲家と会話するのは不可能だという。そのため玄王亀同士の交流も、相手の棲家に赴いてとなるらしい。
──そなたの魔力も、たまたま周囲を確かめに上がっていたから気が付いたのだ──
玄王亀には高度な感知能力があり、地中に存在するものも容易に把握できる。ここノード山脈は火山帯だが、彼らはマグマ溜りや地上に伸びる経路も遠方から察して回避するそうだ。
とはいえ万一に備えて定期的な見回りはしているという。今日もクルーマは山脈の中央近くを調べに行き、その帰りにシノブとアミィの魔力を感じたそうだ。
そして奇妙だが非常に強い魔力にクルーマは棲家を狙う存在ではないかと案じ、確かめに行こうと決意したわけだ。
「そうか……でも地上近くまで来ることがあるなら、ザーフやファークの魔力を感じたりしないの? それに思念を交わしたりは?」
──竜達の魔力は知っている……だが、向こうは気が付いていないだろうな。交流は、もう少し様子を見てからと考えていたのだ。竜が折り合える存在なら、狩場の住み分けを相談したいと思っていた──
シノブの予想通りクルーマは炎竜達を知っていた。もっとも相手も強大な力を持つ存在だ。そのためクルーマは安易な接触を控えていたという。
炎竜のブレスは巨岩を一瞬で消し去る。おそらく彼らが本気になれば、地下1kmだろうがブレスで掘り進むに違いない。そんな相手に不用意に語りかけるのは、たとえ玄王亀であっても短慮である。
それに対し、竜は魔力隠蔽が苦手らしい。彼らは飛翔の際も膨大な魔力を隠さないし、むしろ誇っているかのようでもあった。
なお、光翔虎は姿隠しと合わせて魔力隠蔽をするし、察知も得意である。しかしシノブの印象ではクルーマは更に隠蔽が上手いようだ。もっとも玄王亀は姿隠しを使えないから、その点では光翔虎が上である。
「竜や光翔虎は賢くて穏やかな種族だよ。きっと狩場も融通できると思う」
「そうですよ! 皆、シノブ様を『光の盟主』と慕っていますから!」
シノブに続き、アミィも竜や光翔虎が賢明な存在だとクルーマに伝える。
玄王亀は地底で暮らすのが様々な意味で合っているようだ。彼らは多少の浮遊は出来るが、体重は竜以上らしい。それに地面を歪めて進む技は凄いが、地上や空中ではあまり役に立ちそうもない。
しかし、これだけの知性を持った存在である。きっと他種族との交流は有益なものとなるに違いない。シノブは、そうも考える。
「おお! 地上に戻ったらシノブに竜を呼んでもらうと良い!」
イヴァールはザーフ達だけではなく、近隣の竜も呼んではと思ったらしい。彼は東のジルン達や西の炎竜の長老アジド達、更に向こうの岩竜の長老ヴルム達の名も挙げていく。
「これは楽しみですな! それだけの成竜が集うなど、建国式典以来ですぞ!」
──本当に地上は大きく変わっているのだな……これならば……おお、パーラの思念だ! パーラよ、来客だぞ!──
クルーマは、大きな感嘆を顕わにしていた。おそらく彼は、竜達が集まり人々と共に過ごすというエンリオの言葉に驚いたのだろう。
そしてクルーマは何かを言いかけたようだが、その言葉を途中で飲み込む。ついにクルーマは彼と番の棲家に到着したのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「綺麗ですね……」
「ああ……」
溜め息のようなアミィの言葉に、シノブも嘆声で応じていた。いや、それしか言葉が出なかったというべきか。
アミィが魔道具で照らした空間、クルーマとパーラの棲家は、正に光の宮殿であった。もちろん人間の住む場所のような造作ではないが、広々とした洞窟を形作る煌めく宝石を見れば誰しも同じことを思い浮かべるだろう。
「この壁はエメラルド……向こうはルビーか? あれはサファイヤ……」
「まさか、このような場が……」
イヴァールとエンリオも、呆然とした態で周囲を見回している。
およそ直径100mほど、天井までは30mほどの棲家は、目を疑う大きさの宝石の壁であった。それも小さな石を埋め込んだ壁ではなく、大きな一枚の板なのだ。流石に床は宝石ではないが、手前の半分は整えた大理石のように白く艶やかで、奥も黒光りする滑らかな様子が負けずに美しい。
全てが同じ宝石ではなく何種類にも分けているのは、玄王亀達の遊び心からだろうか。だとすれば巨大な亀の体にも関わらず、彼らは人間同様の美的感覚を持っているのかもしれない。
──初めまして。クルーマの番パーラと申します──
クルーマに乗ったシノブ達の前に、漆黒の小山のような巨獣が進んでくる。もちろん思念が告げた通り、クルーマの伴侶である雌の玄王亀である。シノブ達は、ようやく玄王亀の全身を目にしたのだ。
玄王亀はリクガメに似た姿であった。前後に長い楕円形の盛り上がった甲羅と、それに比べると短い頭や足の持ち主である。
もっとも甲羅の全長は20m近くあると思われる。いくら魔獣のいる世界とはいえ、これだけ大きな亀は他にいないだろう。
「初めまして。俺はシノブ、隣がアミィだ。
そして、こちらの黒い髪と髭の男がドワーフのイヴァール、北のドワーフの国の大族長の息子だ。大族長は君達で言えば長老かな。
こちらの銀髪の男は猫の獣人のエンリオだ。俺の親衛隊長……警護をしてくれる人だ。俺は、ここを含む地域の王……人間の纏め役をしているから、そういう人を置くんだよ」
シノブも自分達の紹介をする。
既にクルーマは、シノブとアミィのことを思念でパーラに伝えていた。そのためシノブは自身とアミィについては名前だけを、そしてイヴァールとエンリオは多少細かに触れていく。
「アハマス族エルッキの息子、イヴァールだ! アミィに続く、シノブの従者だ!」
「エンリオと申します。守り手ではありますが、お気付きのように陛下……シノブ様は私などの及ぶところではありません。飾りのようなものとお考えください」
イヴァールは威風堂々と、そしてエンリオは少々謙りつつ自らのことを語っていく。特にエンリオは警護役と言われたのが面映ゆかったのか、僅かに頬を染めての自己紹介であった。
──これからよろしくお願いします……ところで貴方、上では大騒ぎになったとか?──
──うむ。それで少々詫びをしようと思ってだな……『光の盟主』よ。この棲家の壁は、人の子の間では貴重なものと聞いている。どれでも好きなだけ持ち帰ってくれ──
パーラの思念に、クルーマは少々恥ずかしげに応じた。そして彼は周囲に首を巡らし、アミィの持つ魔道具の光に輝く宝石の壁を示した。
クルーマによれば、この壁は長い時間を掛けて元となる鉱石を集め結晶を整え育てたものだという。
成体となった雄の玄王亀は、多くの時間を費やし将来の伴侶を迎える場を造る。彼らの作業には地熱を上手く活用した通気穴の準備なども含むが、大半は番となる雌を魅了する空間を整えるために使われるらしい。
「これは受け取れないよ……イヴァール?」
「うむ……騒ぎが起きたとはいえ、ほんの一時間ほど採掘が止まっただけ。しかもシノブはマリィに思念を送ってくれたから、今ごろは元通り鉱石を掘っているだろう」
シノブの言葉にイヴァールも深々と頷いた。
宝石の壁は何れも玄王亀の甲羅のように大きい。その表面を少し削っただけでも、どれほどの価値になるだろうか。どう考えても多少の採掘中断と釣り合うとは思えない。
「地下深くに巨大な宝石があると示すのも……もっとも、ここまで来ることなど簡単には出来ませんが」
エンリオも表情を曇らせていた。万一にも玄王亀の棲家を目指す者が現れたら。確かに、それは憂慮すべき事態だろう。
「そうですね。何十年、何百年もすれば……」
アミィも同じことを考えているようだ。彼女は頭上の狐耳を伏せ気味にしている。
これから玄王亀が地上の者と交流するようになれば、噂は広がっていくだろう。そして遠い将来には地下深くまで人間が達することもあるかもしれない。長い時を生きる彼女だけに、先々まで思いが及ぶのだろう。
──あなた達の心、宝石よりも美しく思います──
──そのとおりだな……では、こうしよう──
感じ入ったと言わんばかりの思念を発したパーラに、伴侶のクルーマが続く。
そしてクルーマは、シノブ達にある提案をした。それはシノブ達にとっても受け入れられるもので、しかも今回の騒ぎの詫びとして最も相応しいものであった。
◆ ◆ ◆ ◆
「それで鉄鉱石を……」
「ああ。採掘できなかった分だけって頼んだけど、数日分はあるらしいよ」
シノブは隣のシャルロットに微笑みかける。
光の神具まで装備した元の姿を現しては、お忍びの視察も終わりである。そのためシノブ達は、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌの三人を再びサドホルンに招いたのだ。
前日と同じく、シャルロット達は、魔法の馬車に隠された転移の絵画で昼過ぎの鉱山へと移動した。もちろん今回も護衛の女性達などを伴ってである。
「鉱山のお祭りも楽しいです!」
「外でのお食事も良いですわね!」
ミュリエルとセレスティーヌは、シノブ達と同じテーブルから中央を眺めている。
ここは坑道の入り口から少し離れた広場だ。そしてシノブ達の他にも大勢が集まっている。
クルーマとパーラの棲家は、奥の床が黒々とした石であった。それは高純度の磁鉄鉱で、二頭は床から数日分の採掘に相当する量を切り取り、アミィが魔法のカバンで持ち帰った。そのため鉱夫は作業から解放され、大規模な宴が始まったのだ。
そしてシャルロット達や鉱夫の他にも集まった者がいる。それは竜や光翔虎だ。
イヴァールが挙げた成竜達に加え、ザーフとファークの棲家を訪れていたオルムル達もやってきた。そのためクルーマとパーラは竜だけではなく光翔虎、つまりフェイニーとも会うことが出来た。
「はっきよい! ……のこった、のこった!」
シノブ達が見つめる先では、素無男が行われている。しかし組み合うのは人間ではない。なんと玄王亀のクルーマと炎竜のザーフが押し合っているのだ。
ただし、二頭は人間と同じくらいの大きさとなっている。アムテリアは、早速クルーマとパーラにも神々の御紋と小さくなる腕輪を授けてくれたのだ。
『玄王亀さんも、強いんですね~! クルーマ山、頑張れ~!』
『力は竜よりあるかも……でも、ザーフ山だって負けませんよ!』
フェイニーとオルムル、そして彼女達の仲間である子供達はクルーマとザーフを応援している。新たな仲間に声援を送る子、同族である竜を応援する子と様々だ。
ザーフは元々二足歩行だが、クルーマはリクガメに似た体を器用に立てての組み合いだ。おそらくクルーマは重力制御でも使っているのだろう。
最初は人間同士が素無男を取っていた。しかし、とある人物の提案で炎竜と玄王亀のぶつかり合いが披露されることになった。もちろん、そんなことを言い出すのはミリィである。
「二大怪獣の激突ですね~。これは夢の企画ですね~。映画って本当にいいものですね~」
「ミリィ、それだと終わりの挨拶みたいよ?」
「貴女だけ帰っても良いですよ。さようなら、さようなら、と言いましょうか?」
ミリィに苦笑を向けたのは、もちろん同僚のマリィとホリィである。
マリィとホリィも地球の映画評論家を知っているらしい。もしかするとミリィから教わったのだろうか。
「エディオラ姉さま、エイガとはなんじゃろうか?」
「音と一緒に絵も伝える……アミィ様の幻影魔術みたいなもの。放送の魔道具を作るとき、シノブ様から聞いた」
怪訝そうなマリエッタに、エディオラが応じた。二人はボドワンやモカリーナと共に、ホリィ達の近くに座っていたのだ。
──ふぬう!──
──むっ!──
殆どの注意は組み合う二頭に向いている。そこでシノブは、地下でクルーマから提案されたことをシャルロットに伝えることにした。
「シャルロット。クルーマがこの近くならヴォーリ連合国に繋がるトンネル……地下道を造れるって……」
シノブの囁きに、シャルロットが目を見開いた。彼女は宝石のように輝く青い瞳で夫を見つめる。
このサドホルンからヴォーリ連合国の間には標高4000mを超えるノード山脈が存在する。彼女も両国を繋ぐ地上の経路があればと思っていただろうが、サドホルンと同じくらいの標高の地を結ぶなら、およそ70kmの長大な通路が必要なのだ。したがって、シャルロットが驚愕するのも無理はない。
「この辺りの地下……そして山脈の向こう側もクルーマの縄張りなんだ。そして火山とかも上手く回避できるそうだ。もちろん何ヶ月も掛かるし、向こう側の同意も必要だけど」
シノブは、クルーマなら周囲の壁も鉄のように硬度を上げることが出来るし、空気穴なども含め準備できると妻に教えていく。
穴を掘るだけなら、シノブも光鏡を使えば可能だ。しかし空気も含めた対応となると難しい。
シノブも過去に考えはした。空気はヘリウムと同様に酸素と窒素の混合気体を生み出す魔道具を作れば解決できるが、動かすには膨大な魔力が必要となるだろう。魔力で動くファンを取りつけても同じことだ。
そもそも魔力が足りたとしても、適切に新鮮な空気を送り込む知識や経験などシノブには無い。そのため彼はトンネルの掘削を諦めたのだ。
「そのようなことをして、良いのでしょうか?」
「神々の言葉だそうだ。山の両側の人々が仲良くする世の中が来たら助力して良い……クルーマは長老から教わったと言っていた」
畏れすら滲ませたシャルロットに、シノブは静かに語っていく。
おそらくノード山脈などの大山脈や魔獣の海域のような難所は、そのような意図から生まれたのだろう。地域間の争いを避けつつ、それぞれを育てる。そして人々が手を取り合う時代が来たら、助けても良い。海竜の長老達も同様の言葉を受け継いでいるから、南方大陸への航路を造ったに違いない。
それは眷属に近い力を持つ超越種に課せられた使命なのだ。シノブは長い時を生きる彼らに敬意を覚えつつ、この地を整えた神々の深慮と慈しみに思いを巡らせていた。
「新たな道が造られ、新たな時代の扉が開くんだ。それに相応しい世の中にしないとね」
「はい」
シノブとシャルロットは、多くの人と種族が集う場へと目を向けた。
明日への扉は、今この瞬間に開かれようとしているのだろう。いや、これまでの様々な事柄が積み重なり、少しずつ開いてきたのだ。シノブは胸のうちに沸き起こる深い感動と共に、想像の中でしか存在しえないような両雄の格闘を眺めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年8月17日17時の更新となります。




