18.07 震える鉱山 前編
エウレア地方の鉱山は、製錬などの設備を近くに置いていることが多い。鉱石のまま各地に運ぶのは無駄が多いからである。もちろん個々の鉱山の全てが製錬の設備を備えてはおらず、ある程度集約しているが鉱石のまま麓に下ろすのは稀であった。
したがって鉱山は、坑道掘りや露天掘りの採掘現場と選鉱以降の製錬場の二つを持つ。そして多くの場合、鉱脈は険しい山中にあり採掘現場は山の奥、製錬場を含む鉱夫街は麓に近い側となる。
この辺りは地球でも大して変わらないだろうが、ここは魔力があり魔術や魔道具が活用される世界だ。そのため採掘や精錬の実態は、地球とは少々異なっている。
採掘に関しては地域差も大きいが、ドワーフ達が暮らすヴォーリ連合国では深さ数百mにもなる坑道もあるそうだ。彼らは怪力の持ち主で僅かな時間で掘削していくし、長年の知識が落盤や酸欠などの事故を防いでいる。それにドワーフという種族自体が苛酷な環境に強いらしい。
しかも長く経験を積んだドワーフには、良質な鉱石を発見する能力が宿るという。流石に地面の上から地中深くの鉱脈を発見することはないが、老練なドワーフが睨んだ場所を少し掘ると高品質の鉱石が出たという話には事欠かない。
精錬も、ドワーフ達は魔道具を大いに活用していた。魔術や魔道具に疎いと思われがちな彼らだが、創世の時代に大地の神テッラが精錬や鍛冶に役立つ魔道具の作り方を授けていた。そのため彼らは高熱を出す特殊な魔道具、抽出の魔道具、浄化の魔道具などを活用しているのだ。
熱を出す魔道具は融解や鍛冶に。抽出の魔道具は鉱石を熔かしたり砕いたりしてからの不純物の除去に。浄化は排水の処理に。おそらくテッラは、貴重な森林を維持し大地を保護するために各種の魔道具を与えたのだろう。
もちろんテッラは他の種族にも等しく教えた。しかしドワーフは土属性に向いた者が多い上、一番熱心に取り組んだ。そのため彼らの精錬や鍛冶に関する魔道具は、他の追随を許さないという。
「とはいえ、我らドワーフも鉱脈が尽きてはどうしようもない。千年に及ぶ歴史でヴォーリ連合国の鉱山には枯れたところも多い。そのためアマノ王国には大いに期待しているのだ……シノリーノ殿も知っておるだろうがな!」
呵呵大笑しシノブの肩を叩いたのは、ここバーレンベルク伯爵領の領主イヴァールだ。
もっともイヴァールの姿は、あまり伯爵らしくない。彼は既婚者のドワーフらしく黒々とした髭や髪を編んでいるが、身だしなみとして整えているのはそれだけだ。彼の装いは以前と同じ鱗状鎧と角付き兜、背負っているのも愛用の戦斧と戦棍である。
「この地はドワーフからすれば、手付かずのようなものだ! それに国王から借りている魔道具『フジ』もある!」
イヴァールは笑みを含んだ目で虎の獣人に扮したシノブを見上げる。
当然ではあるが、イヴァールは相手がシノブだと知っている。そのため彼は伯爵という地位に相応しくない親しみを示しつつ、シノブ達の案内をしていく。とはいえドワーフらしく豪放な彼は爵位を得ても以前と変わらないようで、すれ違う労働者や住人も平静なままだ。
午後遅くの槌音に満ちた街を歩むのはイヴァールとシノブの二人に加え、アミィとマリィ、エンリオとマリエッタにエディオラ、そして交易商のボドワンとモカリーナである。ちなみにシノブの従者レナンと彼の姉のリゼット、つまりボドワンの子供達は、昼食のときと同じく馬車の番だ。
ここまでの道中と同じでシノブ達の多くは変装をしている。アミィ、マリィ、エンリオの三人がシノブと同じ虎の獣人、マリエッタとエディオラは猫の獣人に姿を変えている。交易商の二人は普段通りだがモカリーナが猫の獣人だから、見た目の上ではボドワンだけが人族だ。
「サドホルンでも『フジ』を使っているのですか?」
シノブは商人に扮しているから、普段とは違って敬語で問い掛ける。
彼らがいるのはバーレンベルクの都市ライムゼナッハやエウシャッセンの町の北方、サドホルンの鉱山街である。
サドホルンの鉱山は鉄鉱石だけではなく魔力を多く含む銀や金の鉱石があり、しかも採掘可能な量も多い。今は掘り尽くしたがサドホルンには露頭の鉱脈もあったそうで、帝国時代から栄えていたという。正に、宝の山というべきであろう。
「ここは使うまでもなく採掘できるから他に回している。俺が直接行くか、パヴァーリに護衛を付けてだ」
パヴァーリとは、イヴァールの弟だ。まだ十七歳と若いが、エウレア地方やヤマト王国では十五歳で成人だから彼も立派な大人である。
しかもパヴァーリは、今や男爵であった。兄が伯爵になったのが大きいが、彼もベーリンゲン帝国との戦いに従軍した戦士であり、将来はイヴァールのようになるだろう。そこでシノブは、イヴァールに弟を側に置くように伝えたのだ。
そしてシノブはパヴァーリが地脈調査の神具『フジ』を使えるように権限を設定した。そのためパヴァーリはアマノ王国の北部や故国のヴォーリ連合国などを巡り、新鉱脈を探している。
もっともヴォーリ連合国はドワーフ達が千年を掛けて各地を開発したため、簡単に採掘できるような未発見の鉱脈は非常に稀らしい。
◆ ◆ ◆ ◆
イヴァールの案内で、シノブ達は大きな石造りの建物に入っていった。建物は三階以上の高さがあり、幅や奥行きも馬車十台分はありそうな巨大なものだ。
内部は高い屋根まで吹き抜けとなっており、仕切りもない。そのような特殊な構造となっているのは、もちろん意味がある。
「これは……」
シノブの目の前に広がっているのは、熱気が満ちた空間だ。大きな箱状の炉から炎が上がり、そこには砂のように細かく砕いた鉱石と炭が入っている。
四角い炉は人の背ほどの高さがあり、幅も同じくらいで長さは倍以上もある。これが石造りの大きな建物の中に幾つも並び、どれも炎を吹き上げているのだ。
そして炉の周囲には多くの男が群がっている。ドワーフと獣人族が半々ぐらいの、何れも筋骨隆々の力自慢達だ。
男達は炉に黒い砂のような鉱石や同じく黒々とした炭をくべたり、炉の左右にあるやはり箱状の大きな鞴を動かしたりと忙しい。おそらく彼らは、シノブやイヴァール達が入ってきたことにも気が付いていないだろう。
真っ赤に吹き上がる炎で、男達の顔も朱に染まっている。汗も蒸発するだろう熱の中、男達は一心に炉を見つめ世話をし、オレンジ色に輝く大地の贈り物と格闘しているのだ。余計なことに気を取られるものなど、誰一人としていない。
「見るのは初めてか? アマテール地方にもあったがな」
イヴァールは意外そうな顔でシノブを見つめていた。
アマテール地方とはフライユ伯爵領の北の高地で、そこも鉱脈が多くドワーフ達が鉱山として開発していった。それ故イヴァールは、フライユ伯爵のシノブなら一度くらいは見学をしたと思ったのだろう。
もっともシノブは、今までフライユ伯爵領の再建や帝国との戦いなどで忙しかったし、新王国の統治者になると決まってからは建国の準備もあった。そのため彼が伯爵になってから半年弱の間に、鉱山や製錬の見学をする時間はなかったのだ。
「シノリーノ兄さんは、カンビーニの商人ですから」
苦笑気味のアミィは、シノブの仮の姿を口にする。シノブの役柄は南方のカンビーニ王国に本店を持つアノーマ商会の若き商会主だから、北のアマテール地方に詳しいのは不自然ではある。
「おお、そうだった。ボドワン殿かモカリーナ殿の案内でアマテールにも行ったと思ったのだ!」
イヴァールもシノブがお忍びだということを思い出したらしい。彼は少々わざとらしい笑い声を上げながら、自身の長い髭に手をやった。
「選鉱したものを細かく砕くのだ。砂のようになるまでな。それから抽出の魔道具で混ざりものを除く。だから、あれだけ均質になるのだ。そして鉄鉱石であれば、こうやって炭で燃やして鉄を得る」
イヴァールによると、鉱石を選り分けるのが大切らしい。
まずは掘り出した鉱石を見習いなどが粗く割って選り分ける。更に熟練の目利きが選んだものを、今度は小さな粒になるまで砕き磨り潰す。
この世界には抽出の魔道具があるから、海水から真水や塩を取り出すことが出来る。そのため金属も粒子状にするか熔かせば、抽出が可能だ。もっとも熔かした金属は非常に高温だから、通常は粒子にしての常温での抽出を選ぶそうだ。
「流石に還元は抽出では出来ないのですね?」
シノブは、たたら吹きにも似た眼前の作業が、鉄鉱石から酸素を取り除く行程だと察していた。
鉄鉱石の主要成分は酸化鉄である。赤鉄鉱であれば三酸化二鉄、磁鉄鉱であれば四酸化三鉄だ。したがって鉄鉱石の場合、このように炭素との還元作用で酸素を取り除くことになる。
「カンゲン?」
「炭で燃やして酸素……錆の元を取ることです」
怪訝そうなイヴァールに、マリィが還元とは何かを教える。普段は大人びた言葉遣いをする彼女だが、今日は変装していることもあり、アミィと同じように外見相応の口調にしたらしい。
「おお、そうか! うむ、砂にしたり水に溶いたりして選り分けるのは魔道具でも出来るのだが、こういったものは無理なようだな」
イヴァールはドワーフに伝わる抽出の魔道具について説明する。
抽出の術も非常に高度な域に至れば分子を分解できるし、シノブは空気中の分子から電子を取り出したことすらある。しかし、それらは大きな魔力が必要だから誰にでも出来ることではない。
魔術にしろ魔道具にしろ魔力が必要だ。つまり仮に理論的に可能だと知っていても、使用者が持つ魔力で扱えなくては意味がない。そのため鉄鉱石を鉄にする行程は、地球と同様のものとなったのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「こちらでは、一日にどれくらい製鉄できるのでしょうか?」
ボドワンは、ずっと黙って聞いていた。しかしイヴァールが製鉄について一通りの説明を終えると、彼は生産量について訊ねた。
ボドワンはヴォーリ連合国やアマテール地方から鉄を始めとする精錬された金属を買い付けている。そのため製鉄自体については充分な知識を持っていたのだろう。それに伯爵が国王に説明しているのだから、余計な口を挟まないようにと遠慮したに違いない。
「この建屋だと日に3tだな。そのうち良質な鋼となるのは三割といったところか。だが、領内全体なら十五倍はあるぞ」
イヴァールは自慢げな口調でボドワンに答えた。
実際、バーレンベルクはアマノ王国の鉄生産量の三割近くを占める。アマノ王国は王領と十の伯爵領で構成されるのだから、彼が誇るのも当然である。
バーレンベルクは東部に比べて早期に解放された上、ドワーフ達の入植も早かった。それにドワーフの領主はイヴァールだけだから、同族達が自然とやってくる。おそらく鉄以外もバーレンベルクが最も生産量が多いだろう。
「そんなに! もっと隊商を回さなくては……」
モカリーナは、頭上の猫耳をピンと立てている。どうやら彼女は、かなりの驚きを感じたようだ。
シノブは彼女やボドワンから聞いてはいたが、今回の二人の訪問はバーレンベルクや近辺の現状を知る意味が大きいという。
イヴァールは、大袈裟に言えばアマノ王国の鉱業の権威である。ここバーレンベルクだけではなく、東の王領、西にゴドヴィング、メグレンブルクとノード山脈沿いに並ぶ鉱山や鉱脈は、彼自身や招いたドワーフ達の力で回っているようなものだ。
そのためイヴァールと会い、今後どの程度の生産量となり、どれくらいを卸してもらえるか訊ねる。ボドワンやモカリーナの意図は、そこにあったのだ。
「アマテール地方だけで充分だと思うがな……」
イヴァールは、少しばかり怪訝そうな顔となっていた。
ここはフライユ伯爵領のシェロノワから600km以上もある。それに対しアマテールの町ならシェロノワから100km未満だ。したがって、わざわざ遠くまで来なくても、と彼が思うのも当然であろう。
「南方航海が盛んになれば、船舶関連で鉄が売れると思うのです」
モカリーナは、ドワーフ達が造った磐船や蒸気船のように鉄板を張った船が広まるだろうと言う。
南方大陸への航路は海竜の長老達が切り開いてくれたが、嵐などで航路を外れてしまったら巨大な海生魔獣がいる領域だ。そのため外装や巨大魔獣用の大型弩砲など鉄の需要も増えるだろうし、そうなればアマノ王国からの輸入が必要となるかもしれない。
いずれにせよモカリーナは、大航海時代に伴い新たな需要が生まれると考えているようだ。
「それにアマノ王国にも進出したいのです。これだけ大きな国ですから、我らが商う余地も大いにあるかと……」
ボドワンは少しばかり照れを浮かべながら、モカリーナに続いた。
シノブが察するに、二人はアマノ王国の支援をしたいようだ。もちろん将来への投資として参入しているのだろうが、子供達や知人が関わる国を後押しようという気持ちも大いにあるらしい。
ボドワンからすればアマノ王国では息子のレナンが男爵で、娘のリゼットも貴族として扱われる。それにモカリーナも恩があるらしいアルバーノが伯爵だ。当然、情が湧くだろう。
しかも、こうやって国王や伯爵と身近に接することが出来るのだ。商売の地としても非常に好条件なのは間違いない。
「ふむ……ありがたいことだな。こちらこそよろしく頼むぞ」
どうやらイヴァールも、ボドワン達の心の内を察したようだ。彼は改まった様子で二人の大商人に手を差し出した。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノリーノ様、イヴァール殿に例のものを……」
シノブの袖を引いたのは、ガルゴン王国の王女エディオラだ。もっとも今の彼女は猫の獣人の侍女エディラであり、王女としての装いではない。
エディオラはカンビーニ王国の公女マリエッタ、こちらは猫の獣人の女戦士リッタという建前の妹分と並んで立っていた。これまで彼女は大人しく製鉄や生産量の話を聞いていたのだが、そろそろ例の小型木人『木人くん』を披露したくなったのだろう。
「伯爵様、お時間はありますでしょうか? ご都合がよろしければ、南方の珍しい品をお見せしたいのですが。ただし少々特殊なものでして、大変恐縮ですが内密に披露させていただきたいと……」
「おっ、おお……構わんぞ。お主達を歓待する場を設けてはいるが、まだ時間はある」
イヴァールは苦笑したようだ。どうも彼は、シノブの商人の演技をおかしく感じたらしい。シノブとしては初対面の貴族相手だから、これくらいはと思ったのだが、確かに過剰だったかもしれない。
「近くの監督所には俺の部屋がある」
「ありがとうございます」
早速歩き出すイヴァールに、シノブは軽く会釈をした。
製鉄をしている男達はシノブ達のことなど見ていないが、手を抜くわけにもいかないだろう。それに、少々面白くなってきたのも事実である。シノブは笑い出したくなるのを堪えながら、イヴァールに続いていく。
イヴァールの案内した場は鉱業の監督所でもあり、代官所でもあった。建物の中には鉱業関係者らしきドワーフや獣人の他に、内政官らしき人族もいる。
「ヨアン、準備は出来ているか?」
イヴァールが声を掛けたのは、人族の中年男性であった。
シノブは来る道で聞いたが、彼はサドホルンの代官でヨアン・オークボルという騎士だそうだ。イヴァールによれば、人族にしては珍しく鉱山に詳しいし、それが幸いしたらしくサドホルンから離れることも少なく異神の影響も殆ど無かったそうだ。
「は、はい! それはもう!」
「ならば良い。俺は遠来の客と相談がある。呼ぶまで部屋に近づくな」
イヴァールは、畏まる代官に指示をすると見向きもせずに部屋に入っていく。一方シノブは、イヴァールはヨアンという男を嫌いなのでは、と思ってしまう。
「イヴァール……代官と仲が悪いの?」
扉も閉まったことだし、シノブは普段の口調に戻した。仮にイヴァールが代官と上手く行っていないなら、何か手助け出来ないかと思ったのだ。
「どうしてだ? 良く働いてくれるし文句は無い。少々女好きだとは思うが……」
イヴァールはシノブに怪訝そうな顔を向ける。その様子からすると、彼と代官が不仲というわけでもなさそうだ。
「シノブ様、これが普通だと……」
「そう。シノブ様は気さく。でも、そこが良い」
シノブに声を掛けたのは、苦笑気味のマリエッタと真顔のエディオラだ。
確かに家臣への態度としては、イヴァールの方が一般的なのかもしれない。イヴァールの言葉遣いは少々荒っぽいが、伯爵と家臣の騎士らしく感じる。
イヴァールの祖国ヴォーリ連合国に王や貴族はいないが、彼の父は国を率いる大族長で、祖父もアハマス族の族長を務めた人物だ。彼自身も村の戦士長で将来を嘱望されていたのだから、シノブより上に立つ者として年季が入っているのは間違いない。
「シノブはこれで良かろう。シノブほどになれば、威厳を押し出す必要もないからな……ところで何を見せてくれるのだ? どうやらエディオラ殿が関係していると見たが……」
真顔で応じたイヴァールは、続いてエディオラへと顔を向けた。おそらく彼は、製鉄の場でのやり取りで見せたいものがエディオラの作品と察したのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふむ……確かに役に立つやも知れぬな。しかし操れる者が、どれだけいるのだ?」
イヴァールは机の上の人形達から目を離すと、シノブに問い掛けた。つい先ほどまで、彼の目の前では大きさの違う三体の人形が踊っていたのだ。
「それはこれからだね。俺は馬車の中で何とか覚えたけど、どうも例外みたいだ」
シノブが言うように、彼自身はエウシャッセンの町からサドホルンに到着するまでに人形の操作を習得した。馬車の中で時間があったからだが、エディオラがぜひ試してくれと願ったのだ。そしてアミィは元から操作できるし、マリィもアミィから二言三言聞くだけで自在に操った。
そこで今回はエディオラが説明する中、シノブ、アミィ、マリィが人形の操作をした。シノブ達三人は、自分達が良く知る魔力操作の踊りを人形で実演したのだ。
「研究所では、メリーナさんとフィレネさん、ソフロニア様はすぐに出来た。エルフの巫女として訓練を受けていたから。ファリオスさんも少し練習しただけ。やはり血筋だと思う」
エディオラが挙げた四人はエルフで、しかもメリーナは森の女神アルフールの依り代となった高位の巫女だ。そして従姉妹のフィレネや二人の曾祖母であるソフロニアも同じく巫女の術を学んでいるから、彼女達も難なく成功した。最後のファリオスは男性で巫女ではないが、メリーナの兄だからか短時間で習得した。
「でも、そこからは……アリエルさんは少し動かせたから、何日か練習すれば大丈夫だと思う。後は、信頼できる人から少しずつ試すつもりだけど……」
エディオラによれば、一番小さい人形なら魔術師と名乗れる程度の魔力があれば充分だという。しかし憑依の術には適性が必要らしい。
なお懐妊が判明したアリエルだが、ソフロニアがエルフの巫女の魂移しと同じで問題ないと保証したから試みたという。とはいえ、この辺りは研究者ならではだろう。
「まだ出来たばかりですから……改良すればもっと魔力が少なくても動かせるかもしれません」
アミィはエディオラに励ますような言葉を掛ける。
魔術師と名乗れるくらいの魔力となると、およそ七百人に一人といったところだ。その場合、二百五十万人の人口を抱えるアマノ王国でも三千五百人程度となる。しかも適性で更に限定されるから、実際にはもっと該当者は少ないだろう。
「坑道や配管の点検技師なら、少数でも良いのでは? もちろん多ければ色々な応用が考えられますが、最初から欲張ってはいけませんわ」
マリィも陽気な声音で意見を述べた。
木人はエウレア地方では全く新たな概念の道具だ。そのため未改良の木人の限界点を論じても意味が無いのは事実である。
「そうだな。磐船や蒸気機関を造るときにも使えそうだ。人の潜れぬところに入れるのは大きいだろう。まあ、とりあえずは続報を待つとしよう……そろそろ準備が出来た筈だ」
イヴァールは自分達のところに使い手が回ってくるのは少々先だと思ったようだ。壁際のホールクロックに目をやった彼は、歓迎の宴の場に行こうとシノブ達に告げる。
◆ ◆ ◆ ◆
歓迎の場は、到着直後に見た製鉄の場のような大きな建物であった。内部が屋根までの吹き抜けで、室内に仕切りが無いのも同じである。しかし、内部を満たす熱気は炎ではなかった。
「……伯爵様、これは?」
壇のように造られた宴席で、シノブは隣の椅子に座ったイヴァールに訊ねた。
シノブ達が囲んでいるテーブルは、建物の中央を向くように一方を空けている。そして時刻は夕食時の少し前ということもあり、卓上には飲み物くらいしか出ていない。
しかしシノブが問うたのは、食事や飲み物についてではない。一同の見つめる先、つまりテーブルの向こうの光景は、シノブにとって実に意外だが一方で良く知るものだったのだ。
「シノリーノ殿は知らぬか? これは素無男というのだ」
「素肌を晒した無手の男達が競うから、素無男と名付けられたそうです。ヴォーリ連合国の伝統的な力比べですよ」
イヴァールに続き、ボドワンがシノブに説明をする。ボドワンは彼の国に交易商として幾度となく訪れたから、ドワーフ達の風習にも詳しいようだ。
シノブが初めてヴォーリ連合国に訪れたときは街道を封鎖するくらいの大騒動だったから、このような伝統武術を見る暇は無かった。その後も帝国との戦いや西海での騒動の最中に訪問することはあったが、これも用事を済ませたらすぐに帰ってばかりだ。
そのためシノブは、今まで素無男を見たことはなかった。しかしボドワンは、祭りの際に見物したことがあるという。
「ひが~し~、マルック山~。に~し~、カルッカ山~」
土を固めて作った四角い壇に、二人のドワーフの若者達が上がり、丸い枠の中に入っていく。上がったのはシノブも知っている二人で、イヴァールの弟パヴァーリの友人達だ。
彼らはどちらも上半身裸で、腰に太い革帯を幾重にも巻いている。そして革帯の下は、膝までの分厚い革ズボンだ。ちなみに革帯は、まわしのような巻き方である。
そう、若きドワーフ達はシノブ達に相撲を見せるのだ。もちろん彼らは前座、相撲なら幕下といった辺りだろう。
両者の後ろには、歴戦の戦士達が同じ格好で控えている。続く者達の多くはドワーフだが、中には熊の獣人など、力自慢の獣人達もいる。
「大地の神テッラと戦いの神ポヴォールが授けてくれた技だ。我らドワーフに相応しい闘技としてな」
「なるほど……」
イヴァールの説明に、シノブは苦笑しそうになる。
アムテリアや従属神達は、その地方に合った文化を育てようとしているらしい。しかし、その一方で日本風の文化をところどころで持ち込んでいるのは、どうしてだろうか。
今日見た製鉄にしても日本古来の製法に似ていた。それにエルフの巫女の託宣でも、清めの儀式の挙措や神懸かりを願う際の楽器などは和風なものであった。また、メリエンヌ王国の大神殿の奥には日本の神社のような建物が隠されていた。
もしかすると、特に思い入れがある事柄だと過去に慈しんだ文化を伝えてしまうのであろうか。シノブは、若き戦士達が向かい合い土俵に手を突く様を見ながら、そんなことを考えていた。
「はっきよい! ……のこった、のこった!」
行司役は白い髭の老ドワーフだ。ちなみに同じく老人のドワーフが土俵の四方を囲んでいる。おそらく彼らは審判員なのだろう。
「初めて見るが、勇ましいな!」
マリエッタは金の瞳を輝かせて若者達の戦いに見入っている。
土俵の上では双方が、まわし代わりの太い革帯に手を掛けて四つに組んでいる。二人の若いドワーフは、どちらも顔と体を真っ赤にし筋肉を盛り上げ、投げを打とうとしているのだ。
「私はアマテール地方で見たことがあります! あっ、上手投げ……残りました!」
モカリーナは素無男を見たことがあるという。しかも彼女は随分と詳しいらしく、マルッカの打った投げを上手投げだと理解していた。
「私も見学したことがある。今度は下手投げ。決まった」
意外にも、エディオラも知っていた。メリエンヌ学園は鉱山とも近いし、学園にはドワーフの若者も通っている。したがって、彼女なら学園内で見た可能性もある。
「カルッカ山~」
行司役はカルッカの勝利を告げ、手に持つ戦斧を彼に向ける。行司役が手にしているのは両刃の戦斧だったのだ。もっとも戦斧は軍配程度の小さく薄いもので、更に刃も丸めている。
「見事ですね! ところで、どうして素肌を晒す格闘技が? 北は寒いでしょうに」
「年中寒いわけではないからな。最初は暖かい時期に日の恵みへの感謝を奉げたらしい。もっとも今では屋内が主流だな。だから、町や村単位の集まりを部屋という。ここならサドホルン部屋だ」
新たな戦士達が戦う中、イヴァールはシノブの疑問に答えていく。
シノブは、イヴァールの説明に吹き出しそうになる。ホルンはドイツ語では山に良く使われる。そしてアマノ王国は地球ならドイツに相当する地域で、そういった地名は多い。だが『サド』の『山』の『部屋』である。シノブは、当然ながらあるものを思い出したのだ。
「エリオ殿は中々の腕らしいな。どうだ? 素無男を取ってみないか?」
数組の取組が終わった後、イヴァールは土俵に上がらないかとエリオことエンリオを誘う。
今回シノブは商人として来た。そのためイヴァールもシノブを戦わせるわけにはいかないと思ったのだろう。それにイヴァールは、新たな親衛隊長の腕を知ろうと考えたようでもある。
「おお! 実は、やってみたいと思っていたところでして!」
「ほう! それは良かった! ならば俺も飛び入り参加するか!」
喜色満面のエンリオに続き、イヴァールも席を立つ。そして二人は仲良く支度部屋に消えていった。屋内の両脇には、準備のための天幕が一つずつ張られていたのだ。
「エリオ殿、大丈夫なのですか?」
ボドワンは顔を青くしている。エンリオは七十過ぎの老人だから、彼が血相を変えるのも無理はない。
「もちろん。数日前、巨大なアマノ牛を放り投げたくらいだからね」
「そ、そうでしたか……流石は……」
落ち着いたままのシノブに安心したのだろう、ボドワンの顔に笑みが戻る。それにエディオラも同様に頬を緩ませる。
一方、マリエッタやモカリーナは元から平静だ。二人はエンリオと同じ国の出身だし、更にマリエッタは武術に優れている。そのため彼女達はエンリオの実力を承知しているのだろう。
「どちらが勝つと思う?」
「わ、私はイヴァール様に!」
「私はエリオ殿に!」
シノブの問い掛けに、ボドワン達は自身の予想を口々に答えていく。ボドワンは交流の多いドワーフの肩を持ったのかイヴァール、マリエッタやモカリーナはエンリオだ。ちなみにエディオラは武術の知識が無いのか、黙ったままである。
果たしてどちらが勝つであろうか。土俵へと向き直ったシノブは、期待に胸を膨らませつつ両雄が登場する瞬間を待ち望んでいた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年8月11日17時の更新となります。
本作の設定集に、アマノ王国の組織概要を追加しました。三話に分けて公開しております。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。