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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第17章 光の盟主
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17.30 約束の大地 前編

 幾多の助けによりアマノ王国の内政には希望が見えた。そこでシノブは、もう一つの領地であるフライユ伯爵領に赴くことにした。シノブは現在もメリエンヌ王国のフライユ伯爵であり、()の地への責任があるからだ。

 もっともシノブは、これまでも旧帝国領を形式上は統治し諸国への訪問や西海の戦で忙しかった。そのため彼はフライユ伯爵領の行政長官に任じたシメオンに多くを委ねていた。

 しかし今やシメオンはアマノ王国の内務卿だ。彼は財務と農務に代行を立て他に譲ったが、支援は欠かせない。そこで今回シノブはシメオンを伴わず、アミィやミュリエルなどを連れたのみであった。


「アルメル殿、お待たせして申し訳ありません」


 シノブはフライユでの自身の執務室に入るなり、アルメルへと頭を下げた。

 何しろ九日ぶりにフライユ伯爵家の館へと戻った。本当なら三日は早く顔を出すつもりだったが、新王国の体制造りに思いのほか時間が掛かったのだ。

 今日も何とか時間を捻出したが、シメオンだけではなくシャルロットやセレスティーヌも王都アマノシュタットに残ったままだ。


「とんでもございません。新たな国造りという大事業ですから」


 アルメルは、二人の補佐役と並んでソファーに腰掛ける。そして彼女達に続いてシノブとミュリエル、アミィも反対側に落ち着いた。


「お恥ずかしい。ですがミュリエル達の助けもあり、落ち着いてきました」


 アルメルの気遣うような視線にシノブは少しだけ頬を染めていた。シノブは、つい先日の騒動を思い出したのだ。

 おそらくアミィやミュリエルも同じだったのだろう。二人もシノブの左右で笑みを浮かべている。アミィは軌道に乗りつつあるアマノ王国を喜ぶかのような優しい表情で、ミュリエルは商務卿代行という大役を任じられた嬉しさからだろう誇らしげな顔で微笑んでいた。


「ミュリエルもお役に立てているのですね……」


「お婆さまのお陰です!」


 ミュリエルは、アルメルの言葉に大きく顔を綻ばせた。

 アルメルは孫娘に貴婦人修行だけではなく、内政についても幾多の教えを授けていた。それは、彼女がフライユ伯爵領の農務長官という重職を担う才女だから出来たことだ。

 アルメルは二代前のフライユ伯爵アンスガルの第二夫人だが、夫が没すると長く奥に退(しりぞ)いた。アンスガルの後を継いだクレメンが第一夫人の子というのもあるが、怜悧な彼女をクレメン達が遠ざけたようだ。

 しかし今、アルメルはフライユ伯爵領にとって不可欠な人物となっていた。今の彼女はシメオンの代行として行政全般を取り仕切っている。


「幸い、こちらは順調です。アマテール地方も大きな発展を遂げました。メリエンヌ学園から生まれたものを活かす。あるいは北の高地を学びの場として用いる。双方が上手く作用しているのでしょう。

アマノ王国への交易も盛んです。シノブ様がお造りになった道は、数え切れないほどの隊商が行き来しています。ここシェロノワにも他所の商会が随分と支店を置きました」


 アルメルはフライユ伯爵領の発展に顔を輝かせていた。彼女は夫の残した地を深く愛しているのだ。

 かつてはメリエンヌ王国の北東の辺地であったフライユだが、それは遠い過去のことである。北にはエウレア地方で最も進んだ学園があり、その周囲は最新の技術を惜しげもなく用いた開拓地が広がっている。

 既に北の高地には大きな町も幾つか誕生し、開拓地の中心拠点であるアマテール村も町に改めた。そこで北の高地にも、アマテール地方という立派な名が与えられたのだ。


 そして東との往来は順調に増えていた。

 国境のガルック平原は標高1000mを随分と超え、シノブが屋根付きの街道を造ったときは三月に入ったというのに深い雪に覆われていた。しかし季節が進めば、氷雪の平原も爽やかな高原に生まれ変わる。

 ましてや今は六月だ。メリエンヌ王国の交易商は、競うようにアマノ王国へと向かっていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「軍も問題ありません。戦が無い分、魔獣退治や街道建設に精を出しております」


 領軍に触れたのはアルメルの隣、ベルレアン伯爵コルネーユの従兄弟ロベールだ。彼は都市グラージュの代官から領軍の次席司令官へと異動したのだ。


 これまで次席司令官を務めていたのはシャルロットだ。しかし今の彼女はアマノ王国の王妃である。

 フライユ伯爵領軍の最高司令官はシノブだが、忙しい彼は軍を見る時間が無かった。そこでシャルロットが次席となったのだが、彼女は本来フライユ伯爵家の人ではない。

 しかも第三席だったマティアスも、アマノ王国の軍務卿で他国の軍を率いるのは(はばか)られる。そこで二人はフライユ伯爵領軍から籍を抜き、代わりにロベールが次席となったわけだ。


「ロベール、シャルロットやマティアスが抜けて大変じゃないか?」


「いえ、魔獣も随分と減りました。竜の狩場の外も目に余るものはオルムル様達が片付けてくださったようです」


 シノブの(いたわ)りに、ロベールは微かに笑みを浮かべつつ答えた。

 岩竜の子オルムルはシェロノワにいたころ、親達から領内を自由に飛行して良いと言われていた。そのためオルムルは北の高地への行き来などの際、途中で発見した魔獣を狩っていたらしい。


「それに街道の管理はルプティの頃からやっていました。代官も含め昔取った杵柄です」


 かつてのロベールは、ブロイーヌ子爵としてベルレアン伯爵家に仕えていた。しかし彼はシャルロット暗殺を(くわだ)てた息子の責任を取って爵位を返上し、祖父の名エドガールを姓とした。

 そしてロベールは、後にシノブの騎士となった。当時のシノブはベルレアン伯爵家に入り、将来は準伯爵になると目されていた。そこで彼はシノブを支えるのが一族への償いと考えたのだろう。

 しかしシノブはシャルロットと結ばれたが、フライユ伯爵にもなった。そしてシャルロットもベルレアン伯爵の継嗣に変わりないが、妹のミュリエルと共にフライユに移り住んだ。そのためロベールも都市グラージュの代官として領政を支えたのだ。


「エドガール子爵には感謝しております」


「もったいないお言葉」


 ロベールはアルメルに深い礼を返した。

 マティアスが返上したメリエンヌ王国の爵位をロベールは受け継ぎ、エドガール子爵ロベールとなっていた。そこに至るまではシノブやアルメルの度重なる説得など様々な出来事があったのだが、彼はこの地を守ることがシノブ達に報いる道と思い定めたようだ。


「アマテール地方以外も街道筋を中心に人が増えました。シェロノワも含め、どこも活気に満ちています。その分、治安維持は気が抜けませんが」


 こちらはアルメルを挟んでロベールの反対側、先代ベルレアン伯爵アンリの懐刀であったジェレミー・ラシュレーだ。

 ジェレミーもメリエンヌ王国に残ることを選んだ一人である。新たな土地には、彼の先輩であるアルノーなどが赴いた。であれば自分は、シノブのもう一つの領地で将来ミュリエルの子が継ぐフライユを守ろう。彼は、そう決意したのだろう。


「領都は後で周る。楽しみにしているよ」


「はい、ご案内はお任せください」


 シノブの言葉に、ジェレミーは嬉しげに頷いた。

 今のジェレミーは領都守護隊司令に昇進し、第三席司令官も兼ねている。上官のジオノがロベールに代わって都市グラージュの代官と都市守護隊司令官になったから、ジェレミーが抜擢されたわけだ。


「こちらでも蒸気自動車のお披露目ですね!」


「ああ、きっと驚くだろうね」


 シノブとミュリエルは、久しぶりにシェロノワの街に顔を出す。

 フライユ伯爵領の者達からすれば、シノブがアマノ王国の王となったのは喜び半分、寂しさ半分らしい。自領の主が隣国まで得たというのは誇らしいしフライユ側にも益が大きいだろう。しかし行ったきりになり、こちらのことを忘れはしないか。そんな懸念も大きいようだ。

 そこでシノブ達は、一種の凱旋パレードをすることになったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ロベールとジェレミーが率いる騎馬隊に続き、シノブとアミィ、そしてミュリエルやアルメルなどが乗った蒸気自動車が進んでいく。そして青空には色取り取りの風船が浮かぶ。

 蒸気自動車は非常に貴重な品だが、フライユ伯爵領への土産としてシノブは一台を持ってきた。そしてアマノ王国の建国式典と同様に、ヘリウムを用いた風船も飛ばしたわけである。


「おお! 本当に馬なしで動いている! それに空には球が!」


「向こうに行った商人の言葉、嘘じゃなかったんだな!」


 一行がフライユ伯爵家の館の敷地から出ると、そこには大きな興奮を顕わにしたシェロノワの民が集っていた。シノブ達が戻ったことは街に知らされており、彼らは歓迎すべく待ち構えていたのだ。


『ご一行は、これから南区へ向かいます。そして時計回りにシェロノワを一周します』


 シェロノワの中心に設置した放送の魔道装置から、パレードの開始を告げる声が響く。これはシェロノワの中央広場の時計塔に据えたものだ。

 ちなみに放送の発信は館の旧研究所、かつてミュレやハレール老人が魔道具の開発に用いた場所で行っている。そして声の主はジェレミー・ラシュレーの妻エルミーヌだ。彼女を始めとする年長の侍女達は、アルメルの補佐官として働くなど様々に忙しいようである。


「放送って言うのも凄いわね!」


「だから言っただろう? 『魔竜伯』閣下、万歳! ミュリエル様、万歳!」


 街の者達は、(いず)れも顔を輝かせている。アマノ王国と隣接した地だけあって、向こうの建国式典で披露された新技術を知る者も多いらしい。

 これらは200km少々東、隣国で最も西の都市リーベルガウでも示された。隊商は平地なら一日50kmは進むから、山越え込みでも一週間もあればシェロノワまで到達できる。そのため街の人々の一部には、放送を聞いた者もいるらしい。


「ヴィルも慣れたかな?」


 シノブは蒸気自動車に同乗するヴィル・ルジェールへと声を掛けた。

 ヴィルはフライユ伯爵家の代々の家臣でシノブが来てからは侍従の筆頭格を務めたが、今は家令代理に昇格した。そこでシノブは近況を訊ねたわけだ。


「ジェルヴェ殿の域には遠いですが……」


 ヴィルは少しばかり戸惑いつつ答える。

 名目上は現在もジェルヴェが家令だが、彼はアマノ王国で侍従長として働く身だ。しかも彼は、今もアミィの代理であるホリィと共にシャルロットの側に控えており、シェロノワに来る余裕など存在しない。


「渡した通信筒で何でも聞くと良いよ。私的なこともね」


「はっ、ご配慮感謝します……」


 シノブの冗談めかした言葉に、ヴィルは赤面をしつつ答えた。それに隣にいるヴィルの息子ロジェも頬を染めている。

 ジェルヴェはアマノ王国への赴任を見据えて後任を鍛えていたらしい。しかし、それでも判らないことは多いだろう。そのためシノブは彼にも通信筒を渡しジェルヴェと連絡が取れるようにした。


 アルメルとジェレミーには随分と前に渡したし、今回ロベールにも与えた。そのためフライユ伯爵領の中核となる者達はシノブ達と連絡が取れるのだが、アルメルを含めあまり使おうとしない。どうやら彼らは、新国家立ち上げで忙しいシノブ達を気遣ったようである。


「ロジェもジェルヴェに(ふみ)を託したら良い。彼には言っておくから」


 シノブは従者の少年へと顔を向けた。フライユ伯爵としてだから人数は限ったが、この地で生まれ現在も籍を残しているロジェを父に会わせようと連れてきたのだ。


「あ、ありがとうございます!」


「良いんだ。ほら、ヴィエンヌも話したそうにしている。行ってごらん」


 顔を輝かせた少年に、シノブは彼の妹でミュリエルの側仕えの一人であるヴィエンヌの名を告げた。

 ヴィエンヌやジェレミー・ラシュレーの娘ジェレッサなどは、ミュリエルの側仕えとなった。しかし彼女達は七歳から五歳という幼さだから、シノブは母親の下に残したのだ。

 何年か経てば、ヴィエンヌ達もミュリエルと共にフライユ伯爵領とアマノ王国を行き来するだろう。とはいえ今は、流石に早すぎるというものだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 大通りに並んだ、そして両脇の窓から顔を出した人々は、様々な色の花びらを撒いてシノブやミュリエルを歓迎した。

 赤、白、黄。オレンジ、薄桃色、紫がかった青など。雪のように舞い散る色鮮やかな小片は、どこから集めてきたかと思うほどの量だ。おそらくシェロノワの花屋という花屋は、昼前にも関わらず店仕舞いをすることになっただろう。

 そんな花吹雪の回廊を誇らしげな顔の騎士と同じくらい意気揚々とした軍馬達が進み、更に蒸気自動車が続いていく。それは絵に残しておきたくなるような見事な光景であった。


「伯爵様、またの訪れをお待ちしております!」


「ミュリエル様、どうかお元気で!」


 街の者達は、蒸気自動車が通過すると名残惜しげに再訪を願う言葉を掛ける。彼らは老若男女と様々だが、(いず)れの顔にも安堵が宿っていた。

 フライユは、シェロノワは忘れられたわけではない。こうやってシノブ達は来てくれるし、遠くからでも気に掛けてくれる。彼らの表情は、そう語っているかのようだ。


「ありがとう! また来るよ!」


「また来ます、絶対に来ますから!」


 シノブとミュリエルも笑顔で手を振り続け、再び訪れると約束した。

 留守を預かる人達がいて、帰還を期待する人々がいる。それらはシノブの心に深く刻まれた。アマノ王国も大切だが、この地も自分にとって掛け替えの無い場所なのだ。

 おそらくミュリエルも同じことを感じたのだろう、彼女の緑色の瞳には宝石にも勝る輝きが宿っていた。


 多くの喜びに迎えられ、同じくらい多くの力を貰ったパレードは終わり、シノブ達はフライユ伯爵家の館へと戻る。

 これからシノブ達は北の高地に行く。移動は魔法の家や神殿の転移でも良いが、今回は空から領内を見たらどうかと炎竜イジェが言ってくれた。そのためシノブ達は磐船に乗ろうと前庭の訓練場に向かう。

 しかし訓練場にはイジェだけではなく、子竜のオルムル達や光翔虎の子フェイニーが待機していた。


「オルムル、本当にやるの?」


 シノブは、少しばかり困惑した表情となっていた。彼の前には、小振りな船を囲む五頭の子竜と一頭の光翔虎がいる。オルムル達はシノブ達をこの船に乗せるというのだ。

 小振りといっても、それは全長およそ40mの磐船に比べてのことだ。目の前の船は半分近く、つまり20mはありそうだ。それをオルムル達は六頭の子供だけで運ぶという。

 竜や光翔虎は自身の体重の倍や三倍くらいは抱えて飛翔できる。そのため大人の竜達は鉄板を張った磐船だろうが軽々と運んでいく。しかしオルムル達は最も大きなものでも全長は大人の二割にも満たない。シノブの前に置かれた船に鉄甲は無いが、流石に無理があるのではないだろうか。


『もちろんです!』


『大丈夫ですってば!』


 オルムルとフェイニーは、シノブと対照的に意気込んだ返答をした。それに他の子供達も同じく自信ありげな様子である。


「シノブ様、これを使います」


 アミィは魔法のカバンから帆布を畳んだような巨大な塊を出した。

 丁寧に畳まれた塊はアミィの背丈以上もある。かなり厚手な布らしいが、特殊な加工をしているのか表面は滑らかで微かに光沢を放っている。


「まさか……」


 シノブはアミィが差し出したものに見覚えがあった。それは魔術師のミュレや魔道具技師のハレール老人が開発した特殊な布だ。しかも最近シノブ達も使ったばかりである。


『私も付き添いますので……』


 シノブは炎竜イジェの言葉に頷いた。そして布の塊に近寄った彼は、ある魔術を行使していった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「風が気持ち良いね」


「はい!」


 肌に当たる風に頬を緩ませたシノブに、楽しげな笑顔のミュリエルが応じた。

 シノブは、オルムル達が運ぶ船『シノブ号』に乗っていた。運ぶのはオルムル、シュメイ、ファーヴ、リタン、ラーカの五頭の子竜と光翔虎の子フェイニーだ。もっとも、リタン以外の姿はシノブからは見えない。

 シノブ達の上には、一杯に膨らんだ巨大な風船がある。風船は球を前後に引き伸ばしたような形で、上からだと船は完全に隠れてしまう。


 そう、シノブ号はヘリウムの風船を使った飛行船であった。さきほどシノブが使ったのはヘリウムを生み出す魔術で、彼の作り出した気体が頭上の巨大な風船を満たしているのだ。

 風船といっても式典で飛ばしたような簡易的なものではなく、厚手の布と特殊な塗料は殆ど完全にヘリウムを封じている。しかも内部は幾つもの気嚢(きのう)に分かれているから、どれかが破損しても急激に落下することはない。


『シノブさ~ん! どうですか~!』


「ああ! 快適な空の旅だよ!」


 上から降ってきたのは自慢げなオルムルの声だ。

 海竜の子リタン以外の五頭は巨大な風船を囲むようにシノブ号を吊り下げていた。五頭は神々の御紋のための装具を付け、そこにシノブ号から伸びる頑丈なロープを繋いでいる。


『母さまみたいに船を運ぶの、憧れていました!』


『小さいのだと詰まらないですからね!』


『一人で運べるのは馬車くらいですし!』


 シュメイとファーヴ、そしてラーカの声も弾んでいる。

 一番小さなファーヴでも、今なら軍馬一頭くらいなら運びつつ飛翔できる。オルムルなどは、その三倍程度だろうか。したがって数人から十数人が入れば一杯の小船なら、単独でも抱えていける筈だ。

 しかしオルムル達は親達が磐船を運ぶ姿に憧れており、そのようなものでは満足しなかった。そこで何とか大きな船を運べないか、となったらしい。


『私達だけだと、沢山の人を乗せる船は運べませんから』


 リタンは長い首を動かして乗客達を見回した。

 他とは違い甲板で伏せたリタンは、装具の四方に付けたロープで自身を船に固定している。海竜は高速の飛翔が苦手だから、推進ではなく船を安定させる役目を担っているのだ。


「そうですね。でもヘリウムの風船で軽くすれば、これだけ乗っても大丈夫ですね」


 アミィは、リタンの背を撫でながら言葉を返した。乗客はシノブやミュリエル、アミィだけではない。アルメルやロベール、それに従者や侍女達もおり、二十人は超えている。


『磐船と同じくらいの速さですね~。大満足です~!』


 フェイニーが言うように、シノブ号は大人の竜が運ぶ磐船に劣らぬ速度で飛行していた。

 何しろ六頭合わせても体重は炎竜イジェの二十分の一にも満たない。したがって普通なら船を持ち上げるだけで精一杯の筈だ。しかしヘリウムの風船が生み出す浮力は船を完全に浮かせるほどではないが、重量を大幅に軽減していた。


 とはいえ、完全に子供達だけに任せたわけではない。イジェはシノブ号を追いかけるように至近距離を飛んでいる。万一のときは彼女が船を支えるわけだ。


「これだけの船を軽く出来るのなら、もっと小さな乗り物を飛ばすなど簡単では?」


 先ほどまで船縁(ふなべり)から下を眺めていたアルメルが戻ってくる。

 高空を往く船から地上を覗いたためだろう、アルメルの顔は少しばかり強張っていた。彼女を含め船上の者達は命綱を付けているが、大人の竜が運ぶ磐船とは違うから完全には恐怖を拭えないようだ。


「ええ、浮かばせるだけなら容易でしょう。

ですが今のところ、人間が作った動力では竜の十分の一の速さも出せないようです。特別に身体強化が得意な者や強力な魔術が使える者なら別ですが、それでは汎用的な乗り物にはなりません」


 シノブはアルメルの疑問に応えるべく、丁寧に説明をしていく。

 蒸気船の動力機関は高出力だが、かなりの重量がある。蒸気自動車の場合、重さはさほどではないが出力も比例して小さい。プロペラなどにもよるが、時速20kmも出れば良い方だろう。

 それに舵などの装置も必要だ。しかも竜や光翔虎に頼らないなら、もっと安全性を増さなくてはならない。そうなれば、更に構造は複雑になる。


 極めて高度な身体強化が出来る武人や強力な風の術が使える魔術師なら、自分自身で推進力を生み出すことが可能だろう。したがって一人乗りや二人乗りであれば、その方が現実的かもしれない。だが、それでは特殊すぎて利点があまり感じられないというのがシノブの意見であった。

 シノブは自身が重力魔術で飛翔できる上に、磐船に乗ることも多い。しかも地球の飛行機も知っている。それらと比べるためだろう、どうしてもシノブの見方は厳しくなってしまうようだ。


「なるほど……そういえば、アマノ王国の北の山脈には帝王鷲(ていおうわし)という巨大な鳥の魔獣がいるとか。そんなものに遭遇しても対処可能な船となると……」


「はい。イヴァールさん達は磐船でヴォーリ連合国と行き来していますが、竜だと帝王鷲も近づかないようです。でも人間だけの乗り物だと……」


 考え込むロベールに、ミュリエルは眉を(ひそ)め頷いた。

 アマノ王国でイヴァールが得た領地、バーレンベルク伯爵領は彼の故国とノード山脈を挟んで隣接している。しかしノード山脈は人間が越えることの出来ない高山帯で、そこには翼開長10mを超える大鷲が棲んでいる。したがって竜の守りが無い飛行船では彼らの餌食となる可能性は高い。


「問題点は一つずつ潰していかなきゃね。でも、こうやってヘリウムの風船が役に立つと示せたのは大きいよ。後は軽くて充分な動力の開発だね。それさえ出来れば魔獣のいない地域で使えるだろう」


 シノブはミュリエルの肩に手を添えながら微笑んでみせた。

 確かに飛行船には幾つもの課題がある。しかし竜や光翔虎の協力があれば、こうやって気嚢(きのう)などの性能や使用時の問題に関するデータも蓄積できる。そのため全くの無から開発するのに比べれば遥かに短期間で実用化できるかもしれない。


「ミュレさんやハレールさんも頑張っていますから、すぐですよ! あっ、アマテールの町です!」


「本当です、随分大きくなりましたね!」


 アミィの華やいだ声にミュリエルが続く。

 シノブ号の前方には、以前の何倍もの大きさになった集落があった。

 もう誰が見てもアマテールは町である。エウレア地方では人口千人を超えたら町として扱われるが、戸数からすると倍は住んでいるのではないだろうか。

 ドワーフ達が多いためだろう、急角度の三角屋根の素朴な木造建築が目立つが、中にはメリエンヌ王国の都市や町で見るような石造りの建物もある。それに、どことなく南方を思わせる華やかな色の屋根も僅かだがあった。

 各国から集まった者達が共存しているからだろう、アマテールの町は国際色豊かな場として育っているようだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ号から降りた一行を迎えたのは、一際立派な白い髭を三つ編みにしたドワーフを先頭にした男達だった。およそ半分がドワーフで、残りの多くは人族だ。


「シノブ殿! どうだ、立派になっただろう!」


「ええ、本当に!」


 シノブは一番手前にいたドワーフの長老、イヴァールの祖父タハヴォの手をしっかりと握り締めた。

 そしてシノブは、彼と並ぶドワーフ達とも同じように握手をしていく。アマテール地方の開拓団長タハヴォの側には、ドワーフの双子の戦士イルッカやマルッカなどシノブの見知った顔が控えていたのだ。


「伯爵閣下、ミュリエル様、アルメル様……お久しゅうございます」


 シノブ達に深く頭を下げたのは、人族の中年男性であった。彼の名はディモリック・ドルジェ。かつて都市スクランシュの代官だった男である。

 ディモリックや並んでいる男達は、前伯爵クレメンとの共謀を疑われたが嫌疑不十分とされた者達だ。おそらく彼らはクレメンの陰謀に関与していなかったのだろうが、重職にあったにも関わらず見過ごしたことを(とが)められ開拓地へと回されたのだ。


「元気にやっているようだね。それに健康そうじゃないか」


 シノブはディモリックが以前より痩せたと感じていた。伯爵となった直後に見たディモリックは、もっと太っていた筈だ。しかし今の彼は、ドワーフ達のように固く締まった肉体の持ち主となっていた。


「ここでの生活が鍛え直してくれたようです」


「私も若いときに戻ったように感じています」


 ディモリックに続いたのは五十前の大柄でがっしりした男、元農務長官のトリニタン・ルビウスである。トリニタンはアルマン王国との戦いでアルバーノと組んで活躍したファルージュの父だ。

 トリニタンは元から武人並みに鍛えており、スタイル自体は変わらない。しかし彼は以前よりも随分と日焼けしたようだ。開拓やメリエンヌ学園での農業指導で外に出ることが多かったからだろう。しかも肌艶(はだつや)も良く、彼自身が言うように五歳以上は若返ったようであった。


「そうか……そろそろ領都に戻っても良いのだが?」


 シノブは手薄になったシェロノワを彼らに埋めてもらおうかと考えた。

 ディモリック達は、全員が前伯爵クレメンの時代は高官で能力が高いのは間違いない。それに北の高地に配されてから既に五ヶ月、もう充分に償いは済ませた。シノブは、そう思ったのだ。


「いえ、約束を果たさねばなりませんので」


「約束?」


 ディモリックの言葉を、シノブは思わず繰り返した。

 シノブは彼らと約束をした覚えは無い。ならば、この地に来てから誰かと約束したのか。あるいは配流の身となった者達で何らかの誓いを立てたのか。そんなことを思いつつ、シノブは続く言葉を待つ。


「閣下にお救いいただいたとき、私達は深い感謝と共に忠誠を誓いました。そして、お与えいただいた任を必ずや果たすと」


「我らは処刑、妻や子供達は放逐……そうなったかもしれません。ですが我らもこうやって職を得て、ファルージュやバルリック殿も取り立てていただいております」


 ディモリックとトリニタン、そして並んだ者達は再び頭を下げた。ディモリックの息子バルリックは行政長官付き補佐官、ファルージュは参謀長として働いている。どちらも長官や司令官に続く重職である。


「他も同じです。今更、後進や息子達の職を奪うようなことはしたくありません」


「この地は順調に栄えておりますが、更なる発展を成し遂げる所存です」


 シノブはディモリックやトリニタンの言葉を聞いて、彼らの償いは既に終わっていたのだと悟った。

 彼らは自身の職務を贖罪ではなく、誇るべき仕事と捉えている。晴れ晴れとした男達の顔を見れば、それは明らかであった。


「シノブ殿、約束しよう。この地をエウレア地方随一の輝かしい場所にしてみせると。どんな土地よりも人々の笑顔に満ちた大地にすると……儂のこの髭に誓おう」


 タハヴォは、彼の雪のように白い髭に手を当てていた。彼はドワーフに伝わる神聖な誓い、己の髭と命に懸けての誓いをしたのだ。


「ありがとうございます……ですが競争ですよ。アマノ王国でもイヴァール達が頑張っています。もちろん私や他の者達も。誰が一番になるか、皆で競いましょう」


 シノブの朗らかな宣言に集った者達は顔を綻ばせ、声を立てて笑い出した。人だけではなく、オルムルやイジェ達も高らかな咆哮(ほうこう)で和している。

 このような争いなら大歓迎だ。そして、もっと多くの人に加わってほしい。そんな思いを(いだ)きながら、シノブは様々な者達と自然が調和した町へと足を運んでいった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年7月20日17時の更新となります。


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