17.29 激闘! 白陽宮 後編
猫の獣人の老人エンリオ・イナーリオは、カンビーニ王国の武人であった。
エンリオはカンビーニ王家に仕える従士の家に生まれた。そして彼は若いころから王城で守護隊の隊員として精励し、十五年前まで現役であった。
そしてエンリオは、かなり王家の覚えが良かったらしい。当時は王女であったアルストーネ公爵フィオリーナが懐かしそうに守護隊時代のエンリオを語るのだから間違いないだろう。
しかもエンリオは三人の男子に恵まれ、それぞれが出世を遂げた。
長男のジャンニーノは現国王レオン二十一世が王太子のころ彼の親衛隊に入り、更に騎士に昇格した。しかも現在ジャンニーノは王都守護隊司令にまで昇進している。
次男のトマーゾは兄の昇格で空いた従士の座を得て、父と同じ王城の守護隊に入った。彼は兄ほど華々しくはないが、守護隊の隊長になったのだから充分な功を挙げたのだろう。
三男のアルバーノは奔放で傭兵を目指した。しかし彼は奇縁によりシノブの家臣となり、稀なる躍進をした。何と、今の彼はアマノ王国メグレンブルク伯爵アルバーノである。
家名を上げることが尊ばれる武人として、エンリオは最上の成果を得たといえる。既に七十を超えたのだから、普通なら悠々自適に暮らし自慢話でもするだろう。しかし彼は、再び武人として立つことを選んだ。
「『獅子王城』を守り、およそ半世紀。親衛隊ではありませぬが王族の側仕えとしても経験を積んでおりますぞ。陛下の警護に後進の育成、安んじてお任せあれ」
外務省に向かう馬車の中、エンリオは向かいに腰掛けたシノブに深々と頭を下げた。彼はシノブの親衛隊長に就任したのだ。
老齢のエンリオだが身体は衰えていない。そして、あのアルバーノの父である。
流石に戦闘奴隷として常識外の能力を引き出されたアルバーノには劣るが、エンリオも相当なものらしい。ジャンニーノやトマーゾも武技に秀でた獅子王の下で出世し、更にジャンニーノの息子ロマニーノも現王太子シルヴェリオの親衛隊員という逸材だ。
彼らもエンリオが鍛えたから今があるのだろう。三男の教育には少々失敗したらしいが、エンリオの指導力には一目置くべきものがあるようだ。
「これから頼むよ」
シノブは意気軒昂たるエンリオの宣言に笑みを零した。そしてシノブの隣では、アミィも微笑ましいものを見るような表情となっている。
「奥様も、いらしたのですね?」
「仰せの通りです! 妻のタマ……タマーラもロジーヌ殿の下に配属されました!」
エンリオはアミィの問いに喜色を浮かべる。老いて尚盛んな彼は隠居生活が退屈だったのかもしれない。
シノブは、侍女となったエンリオの妻の愛称に吹き出しそうになりつつも何とか堪えた。何しろ、タマである。しかもシノブの従者として働く孫はミケリーノだ。
これらはイナーリオ一族や猫の獣人に伝統的な名前なのだろうか。だとしたら、やはり神々か眷属が猫の獣人に相応しい名として与えたのかも。シノブは、そんなことを想像する。
「……そうだ、トマーゾ殿は二人とも養子に出したが良かったのかな?」
シノブは、ミケリーノや彼の姉ソニアがアルバーノの養子となったことを思い出した。この二人しかトマーゾには子供がいないから、このままでは彼の家は絶えてしまう。
「従士の子より伯爵家の養子の方が幸せに決まっておりますとも!
アルは子が生まれてもミケに子爵位を与えると約してくれました。それにソニアも貴族に嫁げますから、トーマも大喜びです!」
車内には三人しかいないからだろう、エンリオは愛称を使っていた。
エンリオもアマノ王国で働くが、三男のアルバーノは伯爵で次男のトマーゾは外国の武官だ。したがって、表立ってはここまで砕けた呼び掛けは出来ないだろう。
「それなら良かった。ソニアは様々に活躍してくれたし、ミケリーノも良くやっている。私達も気に掛けているよ」
シノブは、ソニアを含む侍女の先行きについてシャルロット達に相談していた。
しかし侍女達も忙しくなった上、立場も代わり家が爵位を得た者も多い。そのためシャルロット達も、釣り合う相手をと検討し直していたのだ。
たとえばソニアも、アルバーノが伯爵となったから彼の代行として諜報部隊を纏めている。そして彼女は伯爵令嬢だから、嫁ぎ先も相応の家格にすべきだ。しかし彼女の場合、そもそも当人が結婚したいのか定かではなく、シャルロット達も悩んでいるようだ。
「も、もったいないお言葉!」
「ところでアルバーノさんですが、お相手をご存知ではありませんか?」
再び深く頭を下げたエンリオに、アミィが更なる問いを発した。
アミィの言葉にシノブも少々表情を改める。アルバーノが結婚を考えているか。これはソニア以上に謎であった。
「孫達は思い人がいるのでは、と言っておりました。それに同じ獣人族ではないか、とも……」
顔を上げたエンリオは、平静な様子で応える。
エンリオ自身は知らないらしいが、ソニアやミケリーノには心当たりがあるようだ。そう思ったシノブは、どんな女性なのだろうかと考えつつも大きな安堵を抱いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
外務省は『白陽宮』から大通りを越えてすぐの一等地に存在した。省庁は宮殿の南の区画に集められているのだ。
幾多の棟が並ぶ官庁街とでも言うべき一画は、『白陽宮』に匹敵する広さを誇る。しかし宮殿とは違い庭は少なく、省庁ごとの建物が並ぶ様は近づき難くすらあった。
外務省は、その中でも通りに近い場所に存在した。これは他国の大使や高官を招くためだろう。奥まったところに彼らを通すのも差し支えるからだ。
「皆さん、早耳ですね」
シノブは、外務省の広間に入るなり微笑んだ。
広間にはセレスティーヌを囲むように各国の大使が集っていた。彼らは、セレスティーヌの外務卿代行への就任を祝いに来たのだ。
セレスティーヌの側には補佐役のルクレール侯爵夫人アンジェ、つまりベランジェの妻が侍り、二人を六国の大使と伴侶が囲んでいる。
「当然です! セレスティーヌ殿下の祝い事であれば、私達が一番に駆け付けなくては!」
「父が教えてくれましたの」
一斉に立ち上がった中で一番に口を開いたのは、巨漢の軍服の男と隣の楚々たる美人であった。メリエンヌ王国の大使、エチエンヌ侯爵の嫡男シーラスと妻のリュディヴィである。
シーラスはガルック平原の戦いから前線で活躍し、シノブも良く知っている。しかもリュディヴィはベランジェと彼の第二夫人レナエルの娘で、セレスティーヌやシャルロットの従姉妹にあたる近しい仲であった。
「祝いの品も用意できなかったが……酒ならあるのだがな」
「お前様じゃあるまいし……」
こちらはドワーフの老夫婦、イヴァールの母方の祖父であるヤンネと彼の妻ヴェルマだ。
ヴォーリ連合国はアマノ同盟成立後、大使の制度を導入していた。彼らは自国と隣接するアマノ王国とメリエンヌ王国に大使を派遣したのだ。
「某筋から教えていただきました」
カンビーニ王国は、これまたイナーリオ一族であった。エンリオの孫ロマニーノは男爵位を授かり、大使として赴任したのだ。なお、彼はまだ独身だから従者を伴っただけである。
ロマニーノは、ちらりと祖父に視線を向けたが驚いた様子はなかった。彼は祖父がシノブの親衛隊長になったと知っていたらしい。おそらく、アルバーノかソニアからでも聞いたのだろう。
「後でミュリエル殿下のところにもお邪魔させていただきます」
「貴方……」
ガルゴン王国は、ムルレンセ伯爵の嫡男フェルテオと妻のエンカリアである。二人はミュリエルの側仕えロカレナの両親であり、そちらにも祝いと称して訪問するようだ。
「これだけの方々が揃うと壮観ですね」
「我らエルフにドワーフ、人族に獣人族。賑やかですな!」
デルフィナ共和国は、アレクサ族の次期族長候補のアヴェティと彼女の夫のソティオスだ。要するにメリエンヌ学園にいるメリーナやファリオスの両親である。
「末席に加えていただき、大変恐縮です」
「ご厚情、感謝しております」
そして最後のアルマン共和国はセルデン子爵クレスロンと妻のエメレシアであった。二人の国は、先日まで西海で騒動を起こしたアルマン王国の後継だから、少々肩身が狭いようだ。
かつての王女で今はアルマック伯爵令嬢となったアデレシアは、先の戦の最中シノブ達の手でメリエンヌ王国へと逃れた。そして二人も僅かに遅れてアデレシアに合流し彼女を支え続けた。セルデン子爵がアマノ王国の大使になったのは、その縁でシノブ達とも親しいからだろう。
「陛下、さあこちらに」
「いつも通りで良いよ。皆様も楽にしてください」
シノブはセレスティーヌに腕を取られ歩んでいく。そしてシノブは、アミィと共に彼女が腰掛けていたソファーへと落ち着いた。
ソファーの後ろには、メリエンヌ王国の者達が多い。
彼の国の王女であったセレスティーヌの近習は、殆どが同国の出身だ。侍女はアガテにクローテなど、護衛の女騎士は小宮殿護衛騎士隊の隊長サディーユと隊員のシヴリーヌなどである。
しかしメリエンヌ王国だけではない。マリエッタの学友である伯爵令嬢、カンビーニ王国の獅子の獣人ロセレッタと虎の獣人シエラニアが控えている。
そこに猫の獣人エンリオが加わったからだろう、少しだけ南方めいた雰囲気となった。
◆ ◆ ◆ ◆
「探検船団の出港も三日後ですね」
「南方大陸まで、どれだけかかりますの?」
メリエンヌ王国の大使シーラスが話を振ると、ルクレール侯爵夫人アンジェが興味深げな様子で続く。エウレア地方の外への航海は、二人にしても気になるところのようだ。
「およそ二週間かと。海竜様によれば航路には二つの島があるそうです。一つ目まで大よそ四日、後も四日ずつを予定しています」
「探検船団の軍艦は最新式です。風次第ですが、この時期なら一日200kmは確実でしょう」
カンビーニ王国のロマニーノとガルゴン王国のフェルテオが子供のように顔を輝かせつつ答えた。やはり海洋王国出身だけあって、どちらも航海には思い入れがあるのだろう。
「お土産、期待しておりますわ。珍しい果実や植物があると聞いておりますの」
セレスティーヌは、神域で見た植物の幾つかが南方大陸にあるかもしれないと期待しているようだ。
南方大陸は、地球ならアフリカ大陸に相当する場所だ。そのためシノブはスイカやコーヒーなどアフリカ由来だと思われるものを指して、南方大陸ならあるかも、と彼女に語ったのだ。
神域の作物は森の女神アルフールが育ててはいるが、量は非常に限られている。したがって広く出回るようにするには、神域以外からも確保する必要があった。
「ご期待ください。シルヴェリオ殿下も南方の植物は交易の目玉とお考えです」
「南方に、そして東方に……楽しみですわね」
笑顔で受け合うロマニーノに、セレスティーヌは東方も、と付け加えた。彼女は将来の東域への航海、そして玄関口となるアマノ王国のイーゼンデック伯爵領を印象付けたいようだ。
「ぜひ寄らせていただきますとも! ナタリオ殿は私の義理の息子になるわけですから!」
ガルゴン王国のフェルテオは、虎の獣人に特有の金の地に黒い縞の髪の毛を揺らしつつ頷いてみせた。彼の横では妻のエンカリアも嬉しげに微笑んでいる。
二人の娘ロカレナはイーゼンデック伯爵ナタリオの婚約者だ。ロカレナはまだ五歳だから嫁ぐのは相当先である。しかし二人からすればイーゼンデックは先々娘が住む場所だ。そのためフェルテオ達からは儀礼以上の熱意が伝わってくる。
「我らが船団も昨日アルマックを出航しました。明日辺り先行の高速艦が、そして三日後には商船隊がガルゴン王国の領海に到達します。フェルテオ殿、何卒よろしくお願いします」
アルマン共和国のセルデン子爵は、十五歳は年下のフェルテオに対し緊張が滲む様子で頭を下げた。随分と下手に出ているが相手は先日までの交戦国で、しかも自分達は負けた側だ。そのためセルデン子爵が気を使うのも無理はあるまい。
今回アルマン共和国が送った船団は、エウレア地方東部の航路開発という重大任務を担っている。
メリエンヌ王国の東端からデルフィナ共和国、そしてアマノ王国のイーゼンデックへという新たな航路を切り開けるか。それは西海で凋落したアルマン共和国にとって、正に国家の命運を掛けた大事業である。そのためセルデン子爵は万難を排そうと細心の注意を払っているわけだ。
「こちらも迎えの艦隊を送った故、問題がなければそのまま我が国の沿岸を案内できるかと」
フェルテオは少しばかり硬い表情で応じた。
西海でガルゴン王国の船が沈められたのは、つい最近のことだ。それを為したのはセルデン子爵ではなくアルマン王国時代の軍部だとはいえ、思うところはあるのだろう。
もちろん船乗りや沿岸の民も同様だ。そのためガルゴン王国は自国の領海を通過するアルマン共和国の船に先導という名目で艦隊を送り、臨検してから域内に入れることになっている。
「船団が早く着くよう願っています。そして何事もなく航海が終わることも」
シノブは不要かと思ったが、アマノ同盟の盟主として釘を刺しておくことにした。
穏やかな言葉だが、先の戦で大きな被害を被ったガルゴン王国への配慮とも取れる言葉だ。つまりフェルテオの肩を持ってみせたようでもある。
しかし実際には、波風を立てないでほしい、というガルゴン王国への意思表示でもあった。
「もちろんでございます。今回は安全な航路ですし護衛も付けていただきます。ですから我が国の護衛艦は領海内で留めます」
シノブの示したことはセルデン子爵にも伝わったようだ。彼は問われもしないのに自国の護衛が領海の端で引き返すと語った。
「我らカンビーニ王国も準備を整えて待っていますよ。アマノ同盟の更なる発展のために欠かせないことですから」
「真に。国許にも『光の盟主』の御意思をしっかりと伝えます」
少しばかり剽げた様子のロマニーノに倣ったのか、フェルテオも芝居染みた仕草で頭に手を当ててみせる。どうやらシノブが暗に示したことに、フェルテオは気が付いてくれたようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「セレスティーヌ殿。済みませんが母に文を送っていただけないでしょうか? アルマン共和国の船が順調だと伝えたいのです」
デルフィナ共和国のアヴェティはペンを走らすと紙片を畳み、セレスティーヌへと差し出した。
現在、アマノ同盟の各国では通信網が整いつつある。それも光の明滅や腕木の上げ下げによる短距離での順送りから、魔力無線を用いた長距離通信へと切り替わりつつあった。
しかし無線の魔道具が配置されているのは主要な都市で、しかも通信距離は最も高性能なものでも500km、通常は200km程度でしかない。更に魔力無線の装置はアマノ王国とメリエンヌ王国の主要都市には存在するが、それ以外は全てが繋がっているわけではない。
そのため、ここ王都アマノシュタットからエイレーネのいるデルフィナ共和国のアレクサだと、街道沿いにメリエンヌ王国のエリュアール伯爵領まで無線で伝達し、後は従来式の光や腕木で伝達することになる。
ちなみに建国式典のビンゴ大会で、エイレーネは二組の魔力無線を当てていた。しかし、それらは製造中で現在のところ使用できない。
「お預かりしますわ」
セレスティーヌは、受け取った文を自身の通信筒へと入れた。
各国の大使達は通常の連絡は無線などを使い、至急のものはベランジェやシメオンも含む何れかの通信筒で送っているようだ。逆に、各国の統治者から大使達への指令が通信筒を介して来ることもあるという。
「儂もエルッキに伝えたい。イヴァールの土地には鉱脈が多い。だから更に呼び寄せたいのだ」
ヴォーリ連合国の大使ヤンネは、娘婿で大族長のエルッキに連絡を取りたいと言い出した。
自国への連絡が他国の要人経由で良いのかという疑問はある。しかし深く結びついた同盟で内容は互いに知っているのだから、伏せる必要もないのだろう。
「判りましたわ……文が届きました、エイレーネ様ですわ!」
ヤンネから受け取った紙片を入れた直後、逆に手紙が届いたらしい。折りたたんだ紙の上を確かめたセレスティーヌは、アヴェティへと渡す。
「了解したとあります……それと、港の件は族長会議で了承されました。セルデン子爵、十箇所の寄港地を用意できます」
「感謝いたします!」
アヴェティが読み上げると、セルデン子爵の顔に強い喜びが浮かぶ。エイレーネからの返答には、先日議題となったデルフィナ共和国の沿岸に作る港についても記されていたのだ。
デルフィナ共和国の海岸線は非常に長い。そのため十個の港を造っても、商船だと二日か三日に一度の寄航で航行することになる。だが十が無理なら半数でも構わないと言ったアルマン共和国からすれば、満額回答は大きな朗報に違いない。
「まるで全員がアマノ王国の大使のようですね。皆さんのお陰で大助かりです」
「私達はアマノ同盟の大使ですから。こうやって集い協力することが同盟に幸を齎し、ひいては自国のためになるのです」
冗談めかしたシノブの言葉に、おどけた様子でロマニーノが応じる。すると、広間にいる者達の全てが顔を綻ばせ笑い声を立てる。
セレスティーヌなら、今後も上手くやってくれるだろう。シノブは隣に座った華やかな少女に微笑みを向けながら、そう感じていた。
◆ ◆ ◆ ◆
外務省を出たシノブは、アミィやエンリオ達と共に商務省へと向かった。
商人達が訪れやすいようにと配慮したのだろう、商務省は外務省の隣で大通りに近い場所であった。そのため移動時間は僅かである。
民に接する部署だから、商務省には商人が多く出入りしている。もちろん彼らの殆どは申請や陳情で訪れただけであり、奥には入らない。
しかし極めて僅かな例外が、ミュリエルのいる広間に招かれていた。
「ミュリエル、お疲れ様。ボドワン殿、マネッリ殿、久しぶり。ロエクも元気そうだね。……ところで、こちらの方々は?」
広間に入ったシノブは、良く知る二人の中年男性と若い女商人の他に、見慣れない顔を発見した。
側仕えのレナンやリゼットの父ファブリ・ボドワン、フライユ伯爵領の公営商会の店主であるユーグ・ロエク、カンビーニ王国からやってきてフライユ伯爵領に店を構えた女性モカリーナ・マネッリ。三人はシノブの御用商人でカンビーニ王国訪問にも伴った仲だ。
しかも彼らはアマノシュタットにも支店を出し、建国式典に合わせて滞在していた。それ故新たな地で要職に就いたミュリエルが彼らを頼るのは理解できる。
しかし残りの三人は誰だろうか。三人とも四十代から三十代くらい、いずれもボドワン達と同じで上等な身なりである。おそらくアマノシュタットの商人達なのだろうが、シノブは会ったことがない。
「へ、陛下!」
商人らしき男達は蒼白な顔で席から立ち上がる。彼らは突然の国王の訪れに驚愕したようだ。
一方ボドワン達は落ち着いた挙措で立礼をするのみだ。こちらは今更驚く間柄ではないから当然である。
「シノブさま、アミィさん、どうぞこちらに。……フレーデリータ、紹介を」
ミュリエルはシノブとアミィを自身の隣に誘った。そして彼女は側仕えの一人フレーデリータに指示を出す。
ミュリエルの側には、彼女の側仕えである少女達が控えていた。
ドラースマルク伯爵となったエックヌートの娘フレーデリータ、男爵位を得たハレール老人に兄のアントン少年と共に養子に入った狼の獣人の少女リーヌ。この二人はミュリエルと同じ十歳だ。
そしてアングベール子爵ジェルヴェの孫であるミシェル、ガルゴン王国のフェルテオの愛娘ロカレナもいる。ちなみに彼女達は僅か七歳と五歳である。
もちろん少女達だけではない。こちらにも小宮殿護衛騎士隊とカンビーニ王国の伯爵令嬢フランチェーラが控えている。
「こちらは王都の商人達でございます。
右から交易商ツェルハイン商会の主クルント、高級宝飾店リューメマンを営むゲラルゴ、ギュネッケ魔道具製造商会の跡継ぎジスパルです」
フレーデリータは、一番下でも二十以上は年上の商人達を呼び捨てにする。フレーデリータは伯爵令嬢で、しかも国王への紹介である。それらを鑑みると、これが適切な振る舞いのようだ。
もっとも最上位の者が特別な場だと断れば別らしい。国王であるシノブが交流のあるボドワン達に親しみを篭めたりミュリエルがシノブ達と家族の距離で接したりするのは問題ない。
「楽にしてほしい。良い機会だ、王都のことを聞かせてくれ」
「ははっ!」
三人の商人は、シノブの言葉に安堵の表情で頭を下げた。そして彼らはボドワン達が着席すると、慌てて続いていく。
シノブとしては面倒ではあるが、これで直答を許す、となったわけだ。貴族以上ならともかく商人達、そして公的施設の中となると、一定の手順が必要なようである。
「モカリーナさん、北の果てまで来るのは大変だったのでは?」
アミィは同じ女性で若いモカリーナに語りかけた。まだツェルハイン達は気兼ねしているらしいから、話しやすさを醸し出そうとしたのかもしれない。
「お気遣いありがとうございます。ですがアルバーノ様やソニア様が助けてくださいましたし……それにアマノ王国は縁がある土地ですので」
モカリーナの表情には途中から少しだけ影が差す。
シノブは、彼女の叔父ピディオがアルバーノと同じ戦闘奴隷だったと聞いたことを思い出した。モカリーナはアルバーノの案内でフライユ伯爵領に現れたが、それは同じ猫の獣人で遠い親戚というだけではなかったのだ。
ちなみにピディオの件を知っているのは、ここではシノブやアミィ、ミュリエルなど限られている。そのため多くはアルバーノ達との縁だと思ったらしく、彼女の感情の揺れには気が付かなかったようだ。
「モカリーナ嬢は今や三国に跨る大商人。ご親族も誇りに思われているでしょうな」
だが、もう一人だけモカリーナの内心を察した者がいた。それはアルバーノの父エンリオだ。彼が言う親族にはピディオも含まれているのだろう、老いた武人の瞳には言葉以上の感慨が宿っているようだ。
「……さて王都の商人達よ。陛下に英姫殿下、そして名だたる豪商がいるのだ。この機会を逃すでないぞ」
エンリオは、湿った空気を振り払うように声を上げた。
そのためだろう、ツェルハイン達は千載一遇の機会であることを思い出したらしい。彼らは躊躇いながらではあるが、自身のことを口にし始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
三人の商人によれば王都の、そしてアマノ王国の商業は概ね問題が無いようだ。
これは帝国時代の重税や喜捨が無くなったのが大きいらしい。一気に大減税されたから、国内は解放景気とでもいうべき状況のようだ。
ただし各種制度の変更による戸惑いはあり、役所に聞きたかったことも随分あったという。
「これからは遠慮なく聞いてくださいね。他の方々にも、そうお伝えください」
ミュリエルはボドワン達にこの地の商人を紹介するように頼んだそうだ。ここで長く働き信用の置ける者達を数人招き、内政官達が見落としていることを探ろうというわけだ。おそらく、フライユ伯爵領での経験から思いついたのだろう。
「ミュリエル様、事例を纏めると良いでしょう」
商務卿補佐はメリエンヌ王国の先代ビューレル子爵夫人フェリシテ、つまりシメオンの祖母でミュリエルの大叔母に当たる人物である。
フェリシテは夫と共に都市セヴランを預かっていたからこの手のことは慣れているらしい。彼女は内政官を聞き取りに派遣すると、三人の商人に伝える。
「お役人の方々に来ていただけるのですか!」
「あ、ありがとうございます!」
やはり帝国時代は相当締め付けが厳しかったのだろう。ツェルハイン達は驚愕を顕わにしている。
「新硬貨はどうだろうか?」
シノブは改鋳した硬貨について訊ねた。従来のベールに代わりエンを広めようとしているが、どう受け取られているのか知りたかったのだ。
「私共は貴族様の御用も多いので助かっております」
高級宝飾店のリューメマンは、貴族の顧客が多い。彼は宝飾品だけではなく高価な調度、それに高級服などを買う者達では新硬貨での取引が好まれており、自然と移行しているという。
「交易でも混ぜ物が少ない硬貨は助かります。新硬貨は偽造しにくいので妙なことにもなりませんし……」
ツェルハインは途中から苦い顔となった。やはり粗悪な硬貨だと偽物を掴むこともあったのだろう。
「私達の商会は中小ですので、今のところベールでのお客様も多いです。ですが、エンでお釣りを返すと喜ぶお客様は多くいらっしゃいます。あっ、新たに参入した浄化の仕事はお役所ですからエンです」
ギュネッケ商会の跡取りは遠慮勝ちに答えた。彼のところは小口の客が中心だから旧通貨での支払いも多いらしい。
なお、隷属の魔道具の製造に関与していた商会は取り潰され国営となった。もちろん勤めていた者達は出来る限り雇用し、通信や治療の魔道具など新たなものを造らせている。そのため混乱はないが、魔道具製造業に大きな変化があったのは事実だ。
そして灯りなど民間向けのみを扱っていたギュネッケ商会は、再編成を機会に手を広げたらしい。
「割り切れないので多くは7ベールを2エンとして扱っているそうです。実際より少しだけエンの方がお得ですね」
フェリシテが言うように1エンは3ベール少々だが、2エンで7ベールだとエンに有利なレートである。
おそらく、それだけ新通貨の方が上とされているのだろう。エンは通貨の価値を他国と統一しているから、様々な面で便利なのは確かである。
「商業税もエンでのお支払いを推奨したら良いのでしょうか? でも早く回収するなら、ベールで納めた方に期間限定の優遇措置を……」
ミュリエルは、新通貨を普及させたいというシノブの思いを察したようだ。
エンでの賃金支払いの推奨、エン建ての商売をする者に対する優遇、公的機関での両替窓口の開設など。ミュリエルは思いついたことを楽しげに挙げていく。
「そうだね……改鋳と同じくらい回収も大変だからね」
シノブはミュリエルへの感心を隠せなかった。多くの人の力を借り、身分に拘らず招いて話を聞く。これこそが目指すべき形だと思ったのだ。
もちろんシノブとミュリエルの立場は異なるから、同じようには出来ない。国王であり成人であるシノブが周囲に頼ってばかりでは家臣や民も不安に感じるに違いない。強い力と確固たる意思が国王を信ずる源となるからだ。
しかしミュリエルは未成年であり自然と教えを請える。そしてシノブは、彼女が自身の歳を上手く使っているように感じていた。この発想と柔軟さは、やはり彼女の賢さによるものだろう。
「ミュリエルになら安心して任せられるよ」
「は、はい! 頑張ります!」
温かなシノブの言葉と勢い込むミュリエルの返答は、広間に一層和やかな空気を生み出した。そのためだろう、集まった商人達は今まで以上に顔を綻ばせ、王都の商いや風物について若き王族達に語っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年7月18日17時の更新となります。
本作の設定集に、エウレア地方の全体と東域および南方大陸の一部を含む地図を追加しました。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。




