17.27 激闘! 白陽宮 前編
「……吐くよ、うきゅう~」
「シノブ様?」
シノブの吐息のように微かな声に反応したのは、隣の机のアミィである。
アミィは耳が良いとされる狐の獣人で、しかも正体はアムテリアの眷属である。そのため誰にも聞こえない筈の出来の悪い冗談も、彼女だけには聞こえていたのだ。
「す、済まない……流石に睡眠時間を削ると堪えるね……」
赤面したシノブだが、聞こえていたのがアミィだけだと悟り、少しだけ安心した。
ここは『白陽宮』の中心『大宮殿』の二階にある国王の執務室だ。国王の座す場所だけあって、絢爛豪華な装飾が施された宮殿でも有数の一室である。
しかし今のシノブにとっては、大袈裟に言えば無数の敵が押し寄せる戦場であった。
「シノブ様、次の書類をお持ちしました!」
「ありがとう! 『エッテルディン伯爵領にもぜひ御行幸を賜りたく……』だって? 確かに俺が伯爵を兼ねているけど……今は無理! レナン、『検討している』と丁寧な文面で!」
ボドワン男爵レナン、つまり従者筆頭の少年から渡された嘆願書を見たシノブは、思わず眉を顰めてしまった。
まだ、シノブが国王になってから五日目である。初日は建国式典、次の日は各国の賓客の見送りと政務を執る時間は存在しなかった。ようやく一昨日から仕事らしい仕事を開始したものの行幸どころではない。
都市は王領だけで六つもある。そしてシノブが預かる三つの伯爵領には合わせて七つの都市が存在した。それに兼務している領地だけを優遇するわけにもいかない。
ちなみに国内全体では、王都以外に三十の都市が存在する。そして町は三百以上、村は何と一万を超えるという。それを思い浮かべたシノブは、一生かけて手を振りながら各地を周る自分の姿を想像してしまった。
「他領も同じでしょうか!?」
狼の獣人の少年パトリック、侍女アンナの弟でレナンに次ぐ古株の彼は賢かった。彼は同様の案件を再び問うという愚を犯さなかったのだ。
「それで頼む! パトリック、取り纏めてジェルヴェに渡して! 予定を組んでもらおう!」
「シノブ様! 次は……」
パトリックに微笑んだシノブだが、更に従者の一人ロジェが書類を持ってきた。ちなみに従者は交代で仕えており、一日八時間勤務を維持している。最年長でも十四歳、中には十歳を下回る少年もいるのだから、当然である。
「ロジェ、すまないけど詳しい資料を寄越すように伝えて!」
シノブの顔には従者達への労りが浮かんでいる。そのため少年達も厭わず働いているようだ。
それはともかく何とも非効率に感じるが、これでも一目で判るものは従者達が振り分け政務は宰相ベランジェや内務卿シメオン、宮殿や王家に関するものは侍従長のジェルヴェに回している。更に神殿関係は大神官を務めるアミィが独自に処理し、軍関係も軍務卿マティアスに完全に任せている。
しかし国王宛てやシノブが兼ねる職務に対する要職からの申請となると、断るにしても一度は目を通しておくべきだ。そのため、シノブは書類の山に埋もれることになったわけである。
「シノブ様、造幣局からの申請です」
猫の獣人ミケリーノ、姉のソニアと共にメグレンブルク伯爵アルバーノの養子になった少年は、涼やかな声音で一枚の申請書を差し出した。
「ありがとう、ミケリーノ! また改鋳か……今日中に行くと返事を書いて!」
そうしている間にも、シノブの下には新たな書類がやってくる。なお、こうしている間にもシノブは承認すべきものにサインをしている。
身体強化は思考速度すら上げる。そしてシノブは極めて高度なレベルで身体強化を体得していた。そのため彼は判断を求められた書類を一瞬にして読み取り、処理しているのだ。
そして超一流の武人が可能とする身体制御は、ペン先を限界まで速く動かしつつも綺麗な文字を綴るという技を実現した。ただし、それらを駆使しても睡眠時間を削る忙しさとなる理由があったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
時は三日前、つまりシノブが賓客達をそれぞれの国へと送った6月2日の夕方、所は宰相の執務室である。
部屋にいるのは国王シノブと宰相ベランジェ、内務卿シメオン、軍務卿マティアス、そして大神官でもあるアミィだ。実は彼ら五人でアマノ王国の閣僚級以上は終わりである。
「シノブ君、やっぱり人手不足だよ……」
「同意します……」
ベランジェとシメオンの声は弱々しかった。
ベランジェの宰相府は下に外務、技術、文化などの庁を置く大所帯だ。しかも彼は商務省の長である商務卿まで兼ねている。そしてシメオンは内務省、財務省、農務省の長だ。これで二人が暇な筈がない。
「軍務はさほどでは……何かお手伝い出来ることはありませんか?」
実直で人の良いマティアスは支援を申し出た。
確かにマティアスは軍務卿だけだが、代わりに最も多くの人員を抱えている。それに建国式典や前後で最も多忙だったのは警備やパレードを担当し各地の放送設備を整えた軍部だろう。
そのマティアスに疲労の色が少ないのは、体力がベランジェやシメオンとは桁違いだからだと思われる。
「大丈夫。軍は魔獣退治や街道敷設で忙しいんだから、そちらに専念してくれたまえ。
……しかし外務を庁に留めておいて良かったねぇ。実際、まだ大使すら決まっていないし」
「今のところ各国からはシノブ様やベランジェ殿、それに私達に直接連絡が入りますからね。通信筒様々ですよ」
シメオンは侯爵になってから、ベランジェへの口調や敬称も相応なものに改めていた。アマノ王国の侯爵は筆頭がベランジェ、続いてシメオン、マティアスの順だが、格は同じだからである。
「話は戻すがね、募集枠を拡大してはどうかね? 国内からでも国外からの移籍でも。このままじゃ、私達は潰れるよ」
ベランジェが言うようにアマノ王国は国内だけでも手一杯であった。これは、国家の中枢たる高官が欠員ばかりだからである。
身近なところではシノブの親衛隊長すらいない。フライユ伯爵領ではアルノーが務めていたが、彼もゴドヴィング伯爵である。同じく諜報部隊を率いていたアルバーノはメグレンブルク伯爵、客将という立場を活かしてドワーフ達と自在に動いていたイヴァールもバーレンベルク伯爵だ。
イーゼンデック伯爵となったナタリオもそうだが、彼らも自身の領地を確かめに行った。神殿の転移があるから伯爵達も『白陽宮』に顔を出すこともあるが、まずは受け持った領地の検分で忙しい。
「……もう少しフライユから移しても良いと思いますが」
シメオンは僅かに躊躇いつつもベランジェに続いた。
フライユ伯爵領には多くの家臣を置いてきた。全員をアマノ王国に移籍させたら向こうの運営が成り立たないし、今の務めに強い誇りを持つ者達を強引に移籍させるわけにもいかない。
従者のロジェの父ヴィル・ルジェールのようにフライユ伯爵家代々の臣。次代のフライユ伯爵の母となるミュリエルを支えるために移籍したジェレミー・ラシュレーなど、ベルレアン伯爵家に恩を感じる者。彼らも強く頼めば来るだろうが、強制はシノブの望むところではない。
「国外からの移籍組だけで要職を埋めたくない。何年かしたらアマノ王国出身の内政官や武官も成長するだろう? そのとき就くべき職が他国出身者で塞がっていたら良く思わないんじゃないか?」
「確かにそれはありますな! 実際シノブ様が保持している伯爵領や、ベランジェ殿やシメオン殿が兼ねる閣僚の座、つまり侯爵位を気にする者もいます。それらが埋まっては出世欲も薄れるでしょう」
マティアスはシノブに賛成する。
かつてアルバーノは、伯爵になれるかもしれないと聞いて大喜びした。普段はおどけた振る舞いをする彼のことだから、半分以上は演技だったかもしれないが、素直に立身出世を喜ぶ気持ちもあったに違いない。
「ハーゲン、マイドルフ、アヒレス、バスラーの四将軍も良くやってくれています。彼らに続け、追い越せという者は多いのです」
更にマティアスは、旧帝国生まれの獣人達の名を挙げた。帝国時代は戦闘奴隷でフライユ伯爵領では軍人となって働いた者達である。
狼の獣人ヘリベルト・ハーゲンと続く三人はフライユ伯爵領の『大武会』で頭角を現し、その後は帝国との戦いで活躍した。そのため彼らは将軍となり、男爵位を得たのだ。まだ多少早いが、四人はマティアスの指導の下、日夜精励している。
しかし内政官はそうもいかない。帝国時代の獣人族は奴隷だから、内政官を経験した者はいなかった。
「リンハルト達は? アントゥスやヴィーンストみたいに良い人達を紹介してくれたじゃない?」
シノブが挙げたのは、街で出会った子爵の息子リンハルトや彼が推挙した若者達である。
リンハルトは子爵を継ぎ、宰相ベランジェの補佐官となった。今は内密な相談だから席を外しているが、健康を取り戻した彼はベランジェを充分以上に支えているそうだ。
「ヴィーンストは良くやっています。ルノベルトやネルミアスも」
「フォルクレヒトもね! それにマティアスに預けたアントゥスも頑張っているようだ!
……だが、言っちゃ悪いが彼らはまだ下級官だよ。元が騎士の子弟だから仕方が無いけどね。確かに将来性はあるし、将来は上級官になって爵位も得るだろう。だが、リンハルトのように親が省庁の要職だったわけじゃない」
シメオンは強く言わなかったが、表情からするとベランジェと同意見のようだ。
リンハルトの父は商務卿の下で重要な職に就いていた。そのため商務省全体や宮殿内の諸々も多少だが息子に伝えていたようだ。
それに対し、ヴィーンスト達の親は失脚して平民となった下級官である。彼らはいずれの返り咲きを望む両親や祖父母の教育を受けていたが、リンハルトのように広く深く教わってはいなかったのだ。
「では、どうすれば良いのでしょう?」
口を開いたのは、今まで発言しなかったアミィである。彼女は先行きを案じたのか表情が暗い。
「五月中は他国から出向した者達が助けてくれたからね……だが、これからは違う。少しくらいは実地で体感してもらう時間を設けるけど、あまり長くは持たないよ。
それに、シャルロット達を心配させてもいけない……早めに決断することだね」
ベランジェは解決策らしきものを示さなかった。そして彼は少々不吉な予言をする。
普段は陽気なベランジェらしくも無く、表情は深刻そのものであった。そのためだろう、シノブは六月だというのに執務室の中に冷ややかな空気が入ってきたような気がした。
◆ ◆ ◆ ◆
──ベランジェ様達の危惧通りになりましたか……シノブ様、どうしましょう?──
──これは想像以上にキツイね──
シノブとアミィは、造幣局に向かう馬車の中で思念を交わしていた。
シノブ達は、従者の少年達の補助で書類を捌いてから休む間もなく宮殿を出た。従者達は休ませ、代わりに王宮守護隊の隊長であるラブラシュリ男爵、つまり侍女アンナと従者パトリックの父ジュストが率いる一隊に囲まれての移動である。
──シャルロット様達も心配されていますし……体力回復のお弁当や疲れが取れるサラダセットを食べているから、と納得してくださっていますが──
──魔法のお茶や神域の果物もね……でも、このままはマズイね──
アミィの指摘は事実であった。それはシノブも頷かざるを得ない。
二人には膨大な魔力があり、常人とは基礎体力が違う。まだ三日目ということもあり、今のところはシャルロット達もシノブやアミィならばと受け取ってくれている。
しかしシャルロット達は、シノブやアミィの説明で自身を納得させているようでもある。二人の言葉であれば、というわけだ。したがって疲れているところを見せたら、彼女達は即刻諫めるだろう。
それに魔力や体力はともかく、精神的な限界は近いかもしれない。シノブは先ほど吐いた不出来な冗談を思い出す。やはり長時間続く激務による疲労は、魔術やアムテリアから授かった品々でも完全には回復しないのだろう。
──軍は大丈夫みたいですね。獣人には騎士見習いや兵士として務まる方が多いですから──
アミィは窓の外に顔を向ける。守護隊を率いるジュストは狼の獣人で、隊員にも獣人が多い。
アマノ王国の民の七割は獣人族だ。そして帝国時代、彼らの多くは農奴だったが一部は戦闘奴隷として軍に回された。もちろん彼らは兵卒として使われただけだが、それでも軍務を知っているのは大きい。
──元々住んでいた人が多いから、メリエンヌ王国どころか南方出身者を加えても目立たないよね。マニエロのように──
シノブが目を向けたのは副隊長のマニエロだ。彼は、北方には珍しい虎の獣人である。
マニエロはカンビーニ王国で開催した武術大会で採用した若者で、彼の国の公女マリエッタも出場した槍術で準決勝まで進んだ逸材だ。そのため彼は、王宮守護隊の副隊長に抜擢されジュストと同じく男爵となっていた。
他にも軍にはカンビーニ王国やガルゴン王国で採用した者達が多数いる。これは獣人族の比率が高い両国で募った者は武官志望が大半であったからだ。そのため守護隊の大半は北に多い狼や熊、狐の獣人だが、僅かだが猫や虎、獅子の獣人もいた。
──でも内政官は……ジョフマンさんもメリエンヌ王国出身の人族ですからね──
アミィが視線を向けたのは車内に控える財務省の内政官、マルチノ男爵ジョフマンである。ジョフマンは小宮殿護衛騎士隊の女騎士デニエの夫で、妻と共にアマノ王国に移籍したのだ。
ちなみに小宮殿護衛騎士隊の隊長サディーユも既婚で、彼女の夫は外務庁で副長官として働いているが、二人もメリエンヌ王国の出身だ。彼女達はセレスティーヌの護衛騎士だったから、当然ではある。
だが、あまりに他国の出身者で中枢を占めるのはどうだろうか。そう感じたシノブは、他国からの即戦力採用を躊躇ったのだ。
──やっぱり問題は内政官だな。軍人は足りている……武術大会のように実力を披露する場を設けるけど、今すぐじゃなくても良いよね──
アマノ王国の東を除く三方は同盟国で、残る東も隣接する地域は砂漠で殆ど人が住んでいないと判明している。そのため国内の治安維持と魔獣退治が出来れば当面は充分で、シノブは軍を最小限に留めようと考えていた。
それに対し内政官は明らかに不足している。旧帝都、つまり現在の王都アマノシュタットの成年貴族達は帝都決戦で竜人と化したし、周囲の伯爵領などでも帝国時代の行いが悪く強制労働となった者も多い。
アマノ王国で生まれた者達の教育が終わるまで力を貸してくれて、何年かしたら引退するような都合の良い文官がいれば良い。しかし生憎シノブには心当たりがなかった。
正確には、メリエンヌ王国の初老の貴族など当てはまる者はいなくもない。しかし、老いた貴族達に他国で働けというのも酷である。それにメリエンヌ学園のように政治と離れた場ならともかく、国政を預かる者が移籍をしないままの他国民というのも、問題が大きいだろう。
──技術庁や文化庁のように、あの人達しかいない、というのだと割り切れますけどね。それに実態は研究や教育の機関ですし──
アミィが言うのはメリエンヌ学園と役職を兼ねる者達であった。
技術庁はミュレが長官で副長官がハレール老人、文化庁の長官はアリエルで副長官がミレーユだ。しかし彼らは殆どの時間をメリエンヌ学園で働いており、肩書きとしては内政官だが実質的には研究者や教師であった。そのためシノブも彼らに関しては許容範囲だと考えていた。
──神殿はアミィ達がいてくれて助かったな──
シノブの目には大神殿が映っていた。
神官を束ねているのはアミィ達だ。アミィが大神官で、ホリィ、マリィ、ミリィの三人が大神官補佐である。彼女達は神々の眷属だから、最適な配置と言えよう。
──そうですね。ホリィには悪いですが──
アミィは苦笑しているような思念を返してきた。
マリィとミリィはヤマト王国に行ったままで、アミィはシノブの側にいることが多い。そのため神殿での実務はホリィが殆どを担っているのだ。
──もうすぐマリィ達も戻ってくるから……おっと、長話をしすぎたかな?──
シノブは、思念での会話を終えることにした。同乗している財務省の内政官ジョフマンが、心配そうな顔をしていたからである。
馬車に乗って以来、シノブとアミィは思念での会話を続けていた。
傍目には押し黙っているように見えるだろうが、シノブ達が多忙なのは内政官達も理解している。そのためジョフマンは主達が休養を取っていると受け取ったようだ。しかし随分と長くシノブ達が口を噤んでいたからだろう、彼は相当な疲労だと思ったらしい。
誠実そうな内政官の顔には一目で分かるほどの気遣いが浮かんでいる。だが、まだ二十代半ばと若い彼は、どうすべきか見出せないようだ。
「ジョフマン、今回はどれくらい改鋳するのかな?」
「は、はい! 昨日と同じで二億エンほどです! 内訳は銅貨がおよそ一万二千枚、同様に白銅貨が一万九千、黄銅貨が三万一千、銀貨が三万九千、金貨が八千で大金貨が八百です!」
シノブが声を掛けると、ジョフマンはほっとしたような顔となった。そしてアッシュブロンドに青い瞳の線の細い青年は、各硬貨の改鋳枚数を細かに挙げていく。
ジョフマンは財務官僚だけあって数字には強いらしい。しかし、これでも初日よりはマシになったのだ。初めの日は正確な数を一気に並べられ、シノブは面食らったものである。
アマノ王国が新たに定めた通貨はエンで、ジョフマンが上げた順に1エンから十倍単位で高額になる。つまり銀貨が千、金貨が万、大金貨が十万エンだ。
なお、デルフィナ共和国と旧帝国を除くエウレア地方の国では、通貨単位の名が違うだけで各硬貨の価値は統一されていた。しかもデルフィナ共和国の通貨デルフィは他の二分の一として換算されるだけだ。つまり1エンが2デルフィであり計算しやすい。
しかし旧帝国の通貨ベールは面倒である。1エンで約3ベールと割り切れず、更に品質が粗悪であった。そのため改鋳が必要なのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
王都アマノシュタットの中央区は、他の国と同じで宮殿を中心に政庁や軍の施設、大神殿などが存在する。更に王都詰めの貴族や騎士、従士の公邸があり、政治の中心でありながら高級街でもあるというのも他と共通している。
そして、これも他同様だが国家が管轄する最重要の品を生み出す場も中央区に含まれていた。それは、造幣局である。
貨幣を鋳造するのだから、普通であれば公害の元となりかねない。しかし、この世界には魔力がありエウレア地方には浄化の魔道具が存在する。そのため工場からの排水は、飲料水として使えるくらいに浄化されていた。
造幣局の工場は、軍の工房や魔道具製造所と一緒に中央区の北に纏められている。それらは国家機密を扱うから、民の住む外周区と違い警備が厳重な中央の一角に置かれたわけだ。
そして一箇所に集められた理由は、もう一つあった。
「……『凍れる北のこの地にて、我らは栄え満ちていく! 深き洞には宝あり! 山の奥には実りあり! 神の恵みを探し出し、輝く品を作るのは!?』」
「『我らドワーフ! テッラの愛し子! 我らドワーフ! 大地の主!』」
造幣局の工場の中では、大勢のドワーフが金属の板に槌を振り下ろしている。
彼らは長い経験を積んだ壮年や老年のドワーフ達で、いずれも既婚者の象徴である三つ編みの髭と髪の持ち主だ。
エウレア地方の硬貨は、魔力を込めた金属で作られる。ここのように熟練のドワーフ達が祈りと共に鍛えるか、代わりとなる極めて高位の神官が念を篭めるかである。それ故通貨の偽造は極めて困難となっていた。
流石に原料となる金属の精錬などは王都の外で行われる。そのため造幣局では魔力を込める行程と、以降の再度の融解や型への注入、それに仕上げなどだけだ。
「いつ見ても威勢が良いね」
槌音響く工場に入ったシノブは、顔を綻ばせた。活気と熱気のある作業場は、シノブの気持ちを高揚させてくれるのだ。
とはいえ相当な音であり、宮殿や公邸の側には置けないだろう。通貨製造を受け持つだけあり、工場は広い敷地を城壁のような高い塀で囲み、更に建物自体も分厚い壁である。しかし、この騒音では少々他と離すしかない。
「ドワーフの鍛冶師達に来ていただけて助かりました。メリエンヌ王国もそうですが、彼らの協力がなくては立ち行かないでしょう」
ジョフマンはメリエンヌ王国でも財務官僚として働いていた。そのため彼は故国や他国の造幣の実態にも詳しかった。
彼によれば、硬貨鋳造の技術はドワーフ達の協力で完成したそうだ。単に鋳造するだけではなく、彼らの金属に魔力を込める技が偽造防止に必要とされたのだ。
ちなみにメリエンヌ王国のように現在でもドワーフの鍛冶師を招いているところもあれば、過去に教えてもらった技を元に現地の鍛冶師と神官が協力しているところもあるらしい。ドワーフは海を嫌うから、島国のアルマン共和国などは後者である。
なお、デルフィナ共和国の紙幣は元から魔力に満ちた希少な草を原料とし、更にエルフの巫女達が同じく念を篭めているという。
「ですが、これだけの改鋳をするには、とても彼らだけでは間に合いません。そのためお忙しいところ大変恐縮ですが……」
「ああ、大丈夫だよ。新通貨を早く広めたいしね」
遠慮がちに様子を窺うジョフマンに、シノブは朗らかな笑みを向けた。
帝国時代の通貨ベールは、貴金属の比率が低く金属自体の精錬も不充分だった。しかし何より問題なのは、魔力が込められていないことであった。そのため早々に他国と同様の通貨に改鋳しなくては偽造の恐れがあるし、交易にも差し支える。
シノブ達が忙しいにも関わらず改鋳を重視しているのは、そのためであった。
「さあ、早速やってしまおう!」
「はい、シノブ様!」
シノブとアミィは前に進む。二人の目の前には、金銀銅の延べ棒が種別ごとに置かれている。
これらの金属塊は、まだ魔力を注入していないものだ。ドワーフ達も必死に改鋳をしているが、他国とは違い最終的には国内全ての通貨を造り直すのだ。しかも新硬貨を早期に広めなくては、新たな通貨単位であるエンも馴染まないだろう。
したがって、当分は他国の何倍、何十倍もの量を改鋳しなくてはならない。しかし鋳造の設備や作業者は限られており、それだけの量をこなすことは不可能だ。そこでシノブ達の出番となったわけである。
「それじゃアミィ、頼むよ」
「はい……」
シノブはアミィと手を繋ぐ。魔力の注入だけならシノブ一人でも出来る。しかし二人は、一気に硬貨の作成まで行うつもりなのだ。
「いきます……」
アミィが呟くと並べられた金属塊は宙に浮き、それらには一瞬にして神秘の輝きが宿っていた。
合わせて十万枚を超える貨幣の原材料だから、重さは数tにもなるだろう。しかし常人を遥かに超えるシノブやアミィの魔力があれば、何十人ものドワーフが数日を掛けて作り出す量すら、僅かな間に魔法金属へと変化する。
「それでは銅貨から……11800枚……」
アミィはジョフマンから伝えられた枚数を口にした。
すると表に国名と若木のような絵、それに『一エン』と描かれ、裏には中央に大きく『1』、下部に『創世暦1001年』と記されたコインが生じていく。おそらくアミィが口にした通りの枚数があるのだろう、数え切れないほどの銅貨は雲のようだ。
精密な操作は、アミィの得意とするところである。彼女にはシノブのスマホから得た映像を記録する能力があるから、硬貨を寸分の狂いも無く造り上げることが出来る。そしてシノブの膨大な魔力が万を超える作成を可能としているのだ。
そしてアミィは銅貨を魔力で動かし脇に積むと、残りの延べ棒へと視線を向け直す。
「次は白銅貨……それから黄銅貨……」
アミィは、低額な硬貨から造っていくようだ。
白銅貨は銅に微量な銀を混ぜて金額に比例した価値を持たせたものである。そのため多数の銅の延べ棒に僅かな銀の棒が合わさり、合金を形成する。そしてこちらも『大宮殿』を模した建物が描かれた硬貨へと変じていった。
黄銅貨も同じく銅と金の合金だ。これは、太陽を図案化したような花の描かれた硬貨である。
余談ではあるが、白銅貨や黄銅貨の材質は地球の白銅や黄銅とは異なる。どうやら色で白や黄と名付けただけのようだ。
「銀貨からは難易度が上がりますね……」
アミィが言うように、千エン硬貨である銀貨より上はデザインも複雑だ。
銀貨は表も裏も今までより随分と凝っている。表は上に国名で下に『千エン』、中央にシノブの横顔の絵。裏は複雑な文様を背景に緻密な飾り文字で描かれた額面と年号。どちらも偽造防止を意図したものだ。
一方、金貨は高価ではあるが直径1cm少々と小粒だから表の中央は紋章化した太陽のみだ。細かな紋様だが、面積が小さいからこうなったのだ。
それに対し大金貨は豪勢である。表の中央は最高神アムテリアの横顔、そして裏の周囲には六柱の従属神が配されている。もちろん文字や数字も複雑精緻な細工がされ、簡単に模造できないようになっていた。
ちなみに街の者の月収が金貨一枚から数枚である。したがって金貨を持ち歩く者は多くないし、大金貨を目にするのは限られた者だけだ。
「アミィ、お疲れ様」
「ありがとうございます! でもシノブ様に魔力をいただいたから疲れていないですよ!」
シノブは、全ての硬貨を造り終えたアミィに労いの言葉を掛けた。するとアミィは、輝くような笑顔をシノブ達に向けた。
「本当にアミィ殿は凄いな……それに陛下もな。だが、俺達の仕事も残しておいてくれよ」
シノブ達に言葉を掛けたのは、イヴァールの友人でカッリというコレル族のドワーフだ。彼は帝都決戦から後、技術者として働いていたのだが、最近は他と同じで造幣局の応援に加わったようだ。
「ああ、気を付けるよ」
シノブはカッリの言葉に大きく頷いた。急な改鋳のように仕方ないものもあるが、多くと手を携えて進むべきだとシノブは反省したのだ。
やはり人手を増やすべきだろう。なるべくなら、この国で生まれ育った者に活躍してほしいが、そうも言っていられない。シノブは、そう実感していた。
「アミィ、宮殿に戻ろうか。もっと良いやり方を皆と相談しよう」
少し焦っていた。王になり気負っていたのだろう。シノブは今更ながらに思う。一人で抱え込まないようにという父の勝吾の忠告も、あまりに大きな責任と新たな国への思いが押し退けてしまったのかもしれない。
「はい!」
アミィは、シノブの言葉に大きく顔を綻ばせた。おそらく彼女は、そしてベランジェやシメオンは、こうやってシノブが納得するのを待っていたのだろう。
シノブが他者の意見で動くだけの操り人形になってはいけない。それ故アミィ達は、一度はシノブの思うままにさせたに違いない。
周囲の温かく細やかな配慮は、何よりシノブの心を勇気付け己を取り戻す力となってくれた。そのためだろう、再び宮殿での激務に戻るシノブの横顔はアミィが造った銀貨に記された姿のように明るく輝いていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年7月14日17時の更新となります。
本作の設定集に、アマノ王国とデルフィナ共和国の地図を追加しました。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。




