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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第17章 光の盟主
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17.26 道、新たなり

 朝食を終えたシノブ達は『白陽宮』の中心たる『大宮殿』へと移動した。シノブにアミィ、シャルロットにミュリエル、セレスティーヌは、多くの従者や侍女、そして護衛の騎士達に囲まれて政務を司る場へと歩んでいく。

 国王であるシノブは、本来なら宰相ベランジェを始めとする重臣と朝議をする。しかし今日は各国から訪れた賓客達の見送りがある。そこでシノブ達はベランジェの執務室に少々寄っただけで、『小宮殿』とは逆側の迎賓館へと向かっていった。


 迎賓館は複数の棟からなるもので、正確に言えば迎賓館群というべきものであった。これらは帝国時代、伯爵達が帝都に来た際に泊まる施設だったらしい。

 かつてのベーリンゲン帝国を陰から操っていたバアル神は、人々の心に干渉し己を崇めるように仕向けていた。しかし精神操作は宮殿や大神殿など限られた場所でしか出来なかったようだ。

 そのためバアル神は、地方を治める伯爵達の滞在場所を宮殿内にしたのだろう。強く支配するには長い時間を掛ける必要があり、季節に一度程度しか訪れない彼らを強く縛るには滞在中なるべく手元に置く必要があったのだと思われる。


 そして十の伯爵領があるから宿泊場所も十棟だ。これはシノブ達にとって好都合であった。

 アマノ同盟の中から六つの国の統治者。ヤマト王国の大和(やまと)健琉(たける)熊祖(くまそ)威佐雄(いさお)。そしてそれぞれの家族や家臣達。合わせて七国の者達を一つの建物に放り込むわけにはいかないだろう。かろうじて内装を整えただけだが、それでも無いに比べたら天地の差である。


「どこから行くのかな?」


 シノブは、少し先を歩むジェルヴェに声を掛けた。

 アマノ王国でのジェルヴェは侍従長を務めており、シノブの日常の管理も彼の役目の一つだ。こちらでは子爵家筆頭となった彼だが、フライユ伯爵家での家令としての務めと職掌に大きな変化は無いらしい。


「『藍玉の館』からお願いします。カンビーニ王国の方々もそちらにいらっしゃいます」


 ジェルヴェの言う『藍玉の館』とは、迎賓館の一つの名である。元は各伯爵領の名が付けられていたが、他国の賓客を招く場には不適切だ。そのため宝石の名を冠することにしたのだ。


「ガルゴン王国とカンビーニ王国の方々がお揃いなのですね……マリエッタ?」


 シャルロットは、カンビーニ王国の公女マリエッタに顔を向けた。

 『藍玉の館』に逗留しているのはガルゴン王国の者達だ。シャルロットは、そこにカンビーニ王国の人々がいる理由を確かめたくなったのだろう。


「南方大陸についてではないかと思います」


 内々の場では以前と変わらぬ口調のマリエッタだが、外では護衛騎士に相応しい振る舞いとなる。

 『大宮殿』には内政官や武官の耳もある。幾ら出自が他国の公女で更にシノブ達と親しいと言っても、分を超えて馴れ馴れしいのは望ましくないだろう。


「それでは出航も近いのですね」


「はい。叔父は帰国したら一週間程度で出航するようです。既に準備も万端だそうで」


 頷くシャルロットに、マリエッタは更なる情報を伝えた。

 マリエッタが言う叔父とはカンビーニ王国の王太子シルヴェリオだ。カンビーニ王国とガルゴン王国は両国共同の探検船団を編成し、南方大陸へと向かうのだ。


「遂に『海竜の航路』を使うときが来たのですね!」


 セレスティーヌは、南方交易にも興味があるようだ。彼女は他国の者と接することが多く、外交や貿易にも明るいからだろう。


 従来、南方大陸に行くのは命懸けであった。エウレア地方と南方大陸の間の海、メディテラ海には巨大な魔獣の海域が広がっており、そこを突破しないと行き来できないからである。

 魔獣の海域には大型の海生魔獣が棲んでいる。シノブ達が海竜の島に行ったときに遭遇した島烏賊(しまいか)などは全長100mにもなり、エウレア地方最大の軍艦よりも遥かに大きい。

 そのような魔獣に必ず出会うとは限らないが、殆どの場合は何らかの襲撃を受けるらしく、生還する者は極めて稀だ。しかし強力な結界で守られた『海竜の航路』には、魔獣達が侵入することはない。そのため、今後は南方大陸との交易は活発になるに違いない。


「はい! 最初はヴォロスさんとウーロさんが付き添ってくれるそうです!」


 アミィが口にしたように、今回の遠征には航路を用意した海竜の長老ヴォロスと(つがい)のウーロが同行する。結界があるといっても海上に目で見て判る印は存在しない。そのため二頭が正しい道を伝えるのだ。

 なお、航海の先進国である両国やアルマン共和国の船は、天測により自船の位置を正確に把握する術を持っている。そのため一度航路を教えてもらえば、後は彼らだけで行き来できる筈であった。


「南方大陸には黒い肌の人がいるんですよね……絵本で見たとき、とても不思議でした。でも……」


 ミュリエルは、緑の瞳を輝かせながらシノブの顔を見上げている。

 南方大陸については不明な点も多いが、それでも過去に生還した船乗り達はいるし、彼らの商船団が持ち帰った品々もある。流石に南方大陸から連れて来られた人はいないようだが、成功者達が語ったことを元に記した本が存在し、ミュリエルもそれを所持していた。


「ああ、いると思うよ」


 シノブはミュリエルに微笑んでみせた。

 ミュリエルは、既にエウレア地方の外の者と会っている。彼女はヤマト王国から来た穂積(ほづみ)泉葉(いずは)と会い、その後タケルやイサオ、そしてタケルの思い人でイズハの又従姉妹の立花(たちはな)とも会った。そしてイズハ達ヤマト王国の人々はエウレア地方の者達と異なる外見であった。

 地球なら東洋系と呼ばれる容姿の彼らがいるのだから、アフリカに当たる南方大陸にいるのは褐色か黒い肌の人々であっても不思議ではない。それはシノブも同意するところだ。


 もっとも南方大陸は、地球のアフリカ大陸とは随分異なるらしい。

 まず、位置が大きく違う。地中海に相当するメディテラ海は、南北が2000km以上あるそうだ。地球のジブラルタル海峡のように狭い場所など存在せず、一様に広い海となっている。大まかに言えばサハラ砂漠の南端くらいからが陸地であり、それより北は海なのだ。

 それに地球なら地中海の東側は閉じているが、メディテラ海は多少狭くなっているものの、そのままアラビア海に当たる海へと抜けていた。ホリィ達の東域の調査で判明したのだが、地球で言う西アジアの大半は海だったのだ。

 したがって南北の人種が入り混じっていない可能性が高い。そうなると北アフリカに多い北方や東方に由来する人々は南方大陸にいないのかもしれない。


 それらは、きっと近いうちに明らかになるだろう。南方大陸への航海は、順調なら片道二週間弱だという。したがって、探検船団は一ヶ月か二ヶ月もすれば南方大陸の情報を持ち帰るに違いない。シノブは、新たな場所への好奇心に胸を膨らませながら、南への海路に踏み出す二国の待つ『藍玉の館』へと歩んでいった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「一週間後、6月9日に出発します。予定通りなら下旬には着くでしょう」


「南からの便り、ご期待ください!」


 ガルゴン王国の王太子カルロスとカンビーニ王国の王太子シルヴェリオは、『藍玉の館』に訪れたシノブ達に興奮の滲む表情で南方航海の予定を語っていった。


 王太子の二人が航海に加わるのは、通信筒を持っているからでもある。

 建国式典の前に、シノブはアマノ同盟の統治者達と会合を持った。そのときシノブは交流を深めるため、追加の通信筒を各国に一つずつ渡していた。

 両国の場合、今まで王太子しか通信筒を持っていなかったが、今後は国王も持つ。そのため彼らは船上から自国やシノブ達とやり取りすることが出来るのだ。


「楽しみにしています。向こうにはどのくらい留まるのですか?」


「半月を上限としている」


「こやつ等は出来るだけ長く探検したいと言うのだが、流石にそれはな」


 苦笑と共にシノブに答えたのは彼らの父、ガルゴン王国のフェデリーコ十世とカンビーニ王国のレオン二十一世だ。

 南方大陸の北海岸は砂漠が多いが、一部には緑地もあるそうだ。今までに生還した者達によれば、そのオアシスとでも言うべき場所に人が住んでいるという。

 とはいえ人の数は少なく、国家というほど強力な存在は無いらしい。そのため南方大陸に辿(たど)り着いても順調に進展するとは限らず、多少の滞在は当初から計算に入れている。

 しかし船団を率いるのは王太子達であり、長々と留守にするわけにはいかない。そこで半月だけ調査し、一旦帰国するのだ。


「今回は航路の確認のみじゃ。残念じゃが仕方あるまいて」


 アルストーネ公爵フィオリーナ、つまりマリエッタの母は言葉通り無念そうな表情をしている。実は、彼女も南方への航海に加わることになっていた。


「母上は良いがのう……しかしテレンツィオは……」


「僕も頑張ります!」


 マリエッタが案ずるような表情になると、弟のテレンツィオが明るい声音(こわね)で応じた。

 アルストーネ公爵家は、暫く完全に分かれて暮らすことになるらしい。フィオリーナは船の上、マリエッタはアマノ王国でシャルロットの側付き、テレンツィオはメリエンヌ学園に留学である。つまりアルストーネ公爵領に残るのは、フィオリーナの夫である準公爵ティアーノだけだ。


「テレンツィオ、沢山友達を作るのじゃ!」


「ロレンシオとも仲良くしてやってくださいませ」


 意気軒昂たるフィオリーナに柔らかな声を掛けたのは、ガルゴン王国の王太子の第一妃エフィナである。ロレンシオは彼女の長子、つまりガルゴン王国の王太孫であった。

 このようにテレンツィオの留学には、最新鋭の学校で学び各国から集まる王族や貴族と交流するという意味がある。しかしフィオリーナに関しては、完全に彼女の趣味らしい。

 『銀獅子女公』と呼ばれるフィオリーナは現在でも軍で兵を鍛えるという女傑で、しかも領地が島だけあって航海はお手の物である。そのため彼女は、南方遠征に加えろと弟のシルヴェリオに捻じ込んだのだ。


「無事を願っています」


 シノブは当たり障りの無いことを口にした。

 王太子や公爵が乗り出して良いのだろうかと思いもするが、他国の決めたことであり余程のことがなければシノブは口を挟まないつもりだ。それに、いざとなればシノブには駆けつける手段がある。


「ええ、着いたら皆さんを招待しますよ」


 シルヴェリオの言葉が意味するのは、魔法の家の呼び寄せである。彼らは南方大陸に着いたら呼び寄せでシノブ達を招くつもりなのだ。

 魔法の家の使用権限には、幾つかの段階がある。最も上位はシノブやアミィ達アムテリアの眷属が持つ全機能が使えるものだが、入り口の扉を開けるだけ、呼び寄せるだけというのもある。しかも登録のみで利用可能な機能がない停止状態まで存在した。

 そこでシノブは、通信筒を渡した者達に魔法の家の権限を停止状態で付与した。したがって、彼らが通信筒で連絡を寄越せば、シノブの方で権限を変更した上で呼び寄せてもらうことが出来る。


 地球の大航海時代の船乗り達が聞いたら怒り出しそうではある。しかし存在するものを賢く用いるのも必要なことではないだろうか。シノブは、そんなことを考える。


「楽しみですね。向こうには海竜殿のように首が長い動物が陸にいるそうです。長い足で高さは岩竜殿や炎竜殿にも並ぶとか」


「団扇のように大きな耳と管のように長い鼻を持った動物も気になりますね。こちらも竜や光翔虎の皆様のように大きいと聞いています」


 子供のように瞳を輝かせるカルロスとシルヴェリオの言葉に、シノブは少しばかり後悔していた。確かに、魔獣には元の生き物の三倍や四倍の大きさになるものも珍しくない。したがってキリンやゾウの魔獣がいれば、大きさは竜や光翔虎に匹敵するかもしれない。

 そんな人外魔境に王太子達を旅立たせて良いものだろうか。懸念するシノブだが、二人の王太子を含む南方の二国の者達は彼の内心に気付いていないようであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達は『藍玉の館』から『創世の聖堂』と呼ばれる場、岩竜の長老ヴルムと(つがい)のリントが造った半球の神殿へと移動した。そしてシノブとアミィは、カンビーニ王国とガルゴン王国から来た者達を両国に送り届ける。

 これも今回の会合で決めたことである。シノブとアミィ達アムテリアの眷属だけが、各国の王都を自在に転移できるようにしたのだ。

 各国の者が自由に行き来するのは時期尚早とされた。しかしアマノ同盟の盟主であるシノブは、これから加盟国を訪問することになる。そのため移動の手間を省くことになったわけである。

 シノブは盟主だからといって特権を得て良いのかと躊躇(ためら)った。しかし各国の指導者達は、磐船や連続転移で自在に移動できる彼を留めることなど無理であり意味が無いと笑ったのだ。


 そして二国の一行を送り返したシノブ達はデルフィナ共和国の者達、アレクサ族の(おさ)エイレーネなどが待つ『翠玉の館』へと向かった。


「こちらにはアルマン共和国の方々もいらっしゃいます」


 ジェルヴェは、エルフ達がアルマン共和国の大統領ジェイラスなどと一緒にいると言う。

 南方の森の国と西海の島国に今まで接点は存在しなかった。そのため意外な組み合わせに感じるが、彼らも帰国直前まで新たな時代を切り開くための話し合いを重ねているようだ。


「シノブ殿……」


 シノブ達が部屋に入ると、エイレーネが安堵の滲む顔を向けた。彼女はジェイラスと何かを議論していたようだ。

 しかも、ジェイラスも何となく助かったような表情である。それを見たシノブは、よほど面倒な件が起きたのかと眉を(ひそ)める。


「どうしたのですか?」


「ジェイラス殿が、我が国の海岸に最低でも五つの港を造りたいというのです。出来れば十は欲しいとか」


 シノブが問うと、エイレーネは困ったような声音(こわね)で語り出した。

 デルフィナ共和国の海岸線は長く、およそ1200kmはあるという。それを知ったジェイラスは、多数の港を用意したいと言い出した。

 港はアルマン共和国が造るから、建設費が問題になったわけではない。しかし今まで殆ど鎖国状態であったエルフ達からすれば、急に五個や十個の港を造ると言われても抵抗感があるのだろう。


「商船が航海できるのは一日平均50km程度だったか……ジェルヴェ、合っているかな?」


 ソファーに腰掛けたシノブは、側に控えているジェルヴェに訊ねる。

 一番詳しいのは海洋国家であるアルマン共和国の者達だが、エイレーネも交渉相手の言葉だけでは納得すまい。そこでシノブは中立的な立場の者から語らせようと思ったのだ。


「はい、陛下。風任せですから状況次第ですが、商船は順風なら倍の100km以上、ただし不運なときは一日掛けても殆ど進めないこともあるとか」


「おお、アングベール子爵は博識ですな! その通りです。軍艦なら一日100kmから300km、運が良ければ400kmを航海可能ですが、商船は船体が太く船足は遅いのです」


 ジェイラスは表情を輝かせた。彼は仲立ちする者を待ち望んでいたようだ。

 新航路の開拓はアルマン共和国にとって死活問題だが、マクドロン親子率いるアルマン王国の敗戦から一ヶ月も経っていない。そのためジェイラスも下手に出ていたのだろう。


「一日50kmということは、デルフィナ共和国の端から端で二十四日ですか」


「港が五つなら五日に一度程度ですわね」


 シャルロットとセレスティーヌも、納得したような表情となる。

 デルフィナ共和国の沿岸については、彼らが国を閉じていたため他国の知るところではなかった。エルフ達は、陸が接しているメリエンヌ王国のエリュアール伯爵領にしか窓口を開かなかったからだ。

 今回エリュアール伯爵領の港湾都市メローワから、東に進む航路を開拓する。この航路はデルフィナ共和国の近海を進み、アマノ王国のイーゼンデック伯爵領を目指すものだ。

 既にイーゼンデック伯爵領にはシノブが港を造り、航海が得意なガルゴン王国出身のナタリオが伯爵となり受け入れる体制を整えた。しかし途中のデルフィナ共和国に寄航できなければ、アルマン共和国も船を出せないだろう。


「やはり五箇所は港が必要なのですか……帆船での航海とは面倒なのですね」


 こちらはエイレーネの娘アヴェティだ。彼女は次期族長候補で、しかもエリュアール伯爵領との交渉役を務めていた。しかし、その彼女にしても船のことには詳しくなかったようだ。

 森で暮らすエルフ達が、海に出ることは殆ど無いらしい。もちろん沿岸近くの集落では多少の漁もするのだが、漁で使う小船は櫂で漕ぐ程度の簡素なものだという。そのためエルフ達は、港が多数必要になると気が付かなかったのだろう。

 逆にアルマン共和国からすれば常識的なことに違いない。それが直前まで議題に上がらなかった理由だと思われる。


「蒸気船は便利でしたがね……あれを持ってくるのは難しいでしょうな」


 アヴェティの夫ソティオスは、先の海戦でドワーフ達の造った蒸気船に乗り込んだ。しかし、これはエルフ達が熱源となる魔道具に大魔力を注いだから動いたのであって、人族や獣人族しかいないアルマン共和国の者が動かすのは困難だろう。

 それにアルマン王国はドワーフ達を隷属の魔道具で縛った。したがってドワーフ達が蒸気船を提供するとは思えない。やはり、当面アルマン共和国は蒸気船を利用できないだろう。


「軍艦の接岸は元から無しですが、商船もボートを寄せるだけで構いません。まずは補給と万一のときの修理だけ、許可いただけないでしょうか?」


 ジェイラスは、最小限の接触からと考えたようだ。それに、相手が航海や港の常識を持たないことも再認識したようである。

 エウレア地方では、原則として他国の軍艦の入港を許していない。軍艦の主兵装は大型弩砲(バリスタ)だが、それらは1kmもの射程を誇る。つまり接近すれば沿岸の町を自由に攻撃できるから、沖に留めるのだ。これは一般的な知識だが、ジェイラスはエルフが知らない可能性を考えたのだろう。


「判りました。正式な決定は族長会議を経てからですが、少なくとも五つの港は用意するよう動きます」


 エイレーネも新航路の意味は理解している。

 敗戦国であり敵に回した各国との交易が難しいアルマン共和国の船乗りに職を与え、新たな交易路の準備を進める。それはエウレア地方の平和に必要なことであり、充分に納得できれば受け入れよう。彼女は、そう考えたのだろう。


「おお、ありがとうございます!」


「あの……エイレーネ様、ジェイラス様。デルフィナ共和国の通貨は他とは違うと伺っていますが?」


 喜ぶジェイラスに水を差すのを嫌ったのか、ミュリエルは遠慮がちであった。

 ミュリエルが指摘する通り、デルフィナ共和国の通貨は他と違い紙幣であった。他国は金貨、銀貨、銅貨を用いているが、デルフィナ共和国は魔力を多く含む希少な草で造った紙幣を通貨にしているのだ。


「我が……いえ、メリエンヌ王国では1メリーを2デルフィとしています」


 ジェルヴェは、我がメリエンヌ王国と言いかけたらしい。

 彼はアマノ王国の貴族となり、名も『ジェルヴェ・アングベール』から『ジェルヴェ・ド・アングベール』と改めた。アマノ王国は、貴族籍を持つ者の呼び名をメリエンヌ王国に倣ったのだ。

 何しろ国王がシノブ・ド・アマノである。まさか旧帝国に倣うわけにもいかないから、メリエンヌ王国式が採用されたわけだ。そのため旧帝国貴族やナタリオなどメリエンヌ王国以外から移り住んだ者も、一律にメリエンヌ王国式にしていた。


 それはともかく、ジェルヴェの口にした換算レートはアレクサ族とエリュアール伯爵領の間で用いられており、充分な実績がある。

 なお、アルマン共和国なども単位の呼称が違うだけで同じ価値の通貨を用いている。これは過去に聖人達がいた時代に統一されたという。ただしデルフィナ共和国は他国との交流がなく、エルフにとって金属より紙の方が扱いやすかったため紙幣となったようだ。


「なるほど! 商人や船乗りにも通達しなければ……」


 ジェイラスはジェルヴェに礼を言った。彼は、最初の船団を可能な限り早く送るつもりだという。船や船員は余っているから三日もあれば準備できるそうだが、送り出した先で金銭のトラブルがあるのは回避したいだろう。

 折角の新事業を最初から(つまず)かせるわけにはいかない。そんな決意が、彼の顔に滲んでいるかのようであった。


「通貨か……」


「アマノ王国はエンですね」


 シノブの呟きに応えたのは悪戯っぽい笑みを浮かべたシャルロットである。

 もちろん、エンは日本の通貨に(ちな)んだものだ。エウレア地方の通例だと国名の先頭部分を用いるようだが、その場合アマノ王国ならアマやアムなどとなる。しかしシノブは、幾らなんでも母なる女神アムテリアに不敬ではないかと思ったのだ。

 なお、ベーリンゲン帝国の通貨ベールは他の国の貨幣と価値が違う。具体的には1メリーで約3ベールだが、硬貨の品質も悪い。そこで国が回収したものを新硬貨に改鋳しているところであった。やはり新国家ともなると、色々変更せざるを得ないようである。


「そのうち通貨を統一するようになるのでしょうか?」


「そのときはエウロなんて良いかもしれませんね!」


 小首を傾げて問うミュリエルに、アミィは応えた。

 そしてアミィはシノブへと意味ありげな視線を向けた。やはり彼女の発言は、地球のとある通貨を念頭に置いてのものだったのだろう。当然ながら察したシノブは、込み上げる笑いを(こら)えるのに苦労していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ジェイラスやエイレーネ、そして彼らの同行者をそれぞれの国に送り届けたシノブは、続いてメリエンヌ王国やヴォーリ連合国の者達のところにも赴いた。もっとも、こちらは別れの挨拶をした後に転移で送っただけである。


 メリエンヌ王国はシャルロット達の故地であり、しかもシノブは現在も向こうの爵位を保持している。もちろんシャルロットもベルレアン伯爵家の継嗣、ミュリエルも次代のフライユ伯爵の母になることに変わりない。それにベランジェ、シメオン、マティアスの三侯爵を始めメリエンヌ王国の出身者は多かった。

 ヴォーリ連合国もイヴァールの祖国だ。しかも彼は、父で大族長のエルッキと通信筒で定期的に連絡している。

 そのため、どちらも改めて相談するようなことは無かったのだ。


 一方、別れ難い人達もいた。それはタケル達ヤマト王国の人々だ。

 タケルやイサオはアマノ王国の諸々に驚嘆しつつも貪欲に学んでいた。タチハナやイズハが表に出ることは殆どなかったが、代わりに自分達と同じ狐の獣人であるミシェルと大いに仲を深め、様々なことを語り合ったようである。

 迎賓館の一つ『蒼玉の館』には、ミシェルや彼女の祖母でジェルヴェの妻のロジーヌがいた。ヤマト王国の人々が訪れたことは、ごく一部の人しか知らない。そのため侍女長のロジーヌを始め信用の置ける者達だけで持て成していたのだ。


「イズハさん、また会いましょうね」


 ミュリエルはイズハに話しかけることが多いようだ。ミュリエルは十歳でイズハは七歳と、年齢が近いからであろう。


「もったいないお言葉。そのような機会が来ること、(わたくし)も願っております」


 対するイズハは随分と改まった態度であった。シノブ達が揃っていることもあり、相応しい態度を、と彼女は考えたようだ。


「イズハちゃん、ミュリエル様はいつも通りが嬉しいと思う」


「そ、そんな……」


 ミシェルの(ささや)きに、イズハは戸惑いの表情となる。そしてイズハは微笑むミシェルと頷くミュリエルを見て、照れたような笑みを浮かべる。どうも彼女は、少しばかり緊張していたらしい。


「イズハ、ここでは俺達はただの友達だよ」


 シノブは『蒼玉の館』に入る前にジェルヴェ以外の供を下げていた。そのためシノブは、飾らぬ言葉と気さくな笑みでイズハに接する。


「お、畏れ多い……いえ、ありがとうございます……」


 しかしイズハは、ますます恐縮したようだ。彼女は自分の前で屈んで微笑むシノブに、先ほどを遥かに上回る敬意の滲む態度で(いら)える。

 どうやら建国式典での数々の出来事で、聡いイズハはシノブが常人と異なると察したようだ。それはタチハナも同じらしく、彼女もイズハの脇で畏まっている。


「イズハ、タチハナ。シノブ様が困っていらっしゃいますよ」


「もう少し楽にした方が良いぞ。シノブ様は、とてもお優しいお人なのだ」


 タケルは優しげな微笑みと、イサオは熊の獣人に相応しい豪快な笑みと共に少女達に語りかける。彼らは、イズハ達よりは長くシノブと接している。そのため神の使いだと思いつつも、自然な態度を心がけるようになったらしい。


「そうしてくれると嬉しいな。

……タケル、イサオ殿。アマノ王国とヤマト王国は遠い。だが、二人には通信筒がある。何かあれば遠慮なく(ふみ)を送ってくれ。もちろん、何も無くても大歓迎だ」


 立ち上がったシノブは、タケルとイサオの手を順に握っていく。シノブは、タケルに続きイサオにも通信筒を渡したのだ。

 イサオは、いずれ筑紫(つくし)の島に戻る。そうなれば、都のタケルとは簡単に会えないだろう。イサオの住まう王都ヒムカは、ヤマト王国の都とは直線距離でも500km近く離れている。つまり普通に旅をすれば、二週間近くかかる遠方なのだ。

 そこでシノブはイサオにも通信筒を渡した。それが大王家とクマソ王家の距離を一層縮めてくれることを願ってである。


「はい!」


「大切に使わせていただきますぞ」


 瞳を潤ませ声を弾ませるタケルに、表情こそ変えぬものの強い感動が言葉に滲むイサオ。どちらも三人を結ぶ絆をとても貴重なものだと感じているようだ。


「そろそろ行こうか」


「ええ、またすぐに会えます」


 シノブの声には、ほんの僅かだが寂しさが宿っていたらしい。シャルロットは寄り添う夫との距離を更に詰め、柔らかに微笑む。


「『蒼玉の館』の庭で魔法の家を出しますね!」


 それはアミィも同じらしい。彼女も殊更に元気良く振舞っているようだ。

 やはりシノブは、どこか日本を感じさせるヤマト王国が好きなのだろう。もちろんヤマト王国は現代日本とは全く違う国だ。仮に日本と比較した場合、ヤマト王国の文化の発展度合いは室町時代くらいだから当然である。

 しかし着物や和風な建物、そして米やお茶といった産物は日本を強く感じさせる。歴史好きなシノブだからかもしれないが、農村などはこれこそ日本の原風景ではないか、と思うくらいである。


「離れていても、進む道は同じです」


「ああ、そうだね」


 タケルの言葉にシノブは深く頷いた。そして彼らは中天高くの日輪が照らす『蒼玉の館』の庭に出た。

 おそらく、ヤマト王国ではシャンジーが首を長くして待っているだろう。若き光翔虎の姿を思い浮かべたシノブは、知らず知らずのうちに笑みを浮かべる。そしてシノブの楽しげな様子は他の者にも伝わったのだろう、囲む者達は(いず)れも大きく顔を綻ばせていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年7月12日17時の更新となります。


 本作の設定集に、アマノ王国成立後のエウレア地方の地図を追加しました。

 設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。


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