17.23 国王シノブ誕生 中編
オルムル達は『創世の歌』を高らかに歌い上げていく。『天空の間』に響く歌声は、人間の子供と全く変わらない可愛らしいものだ。しかし妙なる音は、幼い竜や光翔虎の喉から発したものではない。
何とオルムル達は、魔力障壁を振動させることで歌っていた。オルムル達は思念や『アマノ式伝達法』だけではなく、音で語ることを可能としたのだ。
『天空の間』には、人間くらいの大きさに変じた五頭の竜と一頭の光翔虎がいた。横一線に並んでいる子供達は正面壇上のシノブから見ると、右から光翔虎のフェイニー、炎竜シュメイ、岩竜のオルムルとファーヴ、海竜リタン、嵐竜ラーカの順である。どうやら右が雌、左が雄で集ったようだ。
名前の通り虎の姿の光翔虎、肉食恐竜に翼を生やしたような炎竜に岩竜、首長竜のような海竜、東洋の龍を思わせる嵐竜と外見は様々だ。しかし世界の誕生、命の喜び、それらを守る神々の愛を歌う子供達は、姿や種族の違いなど関係なく、清らかな声を響かせている。
そしてシノブ達も彼らに和して『創世の歌』を歌っていた。この歌はアムテリアを崇める地では聖歌とされ、知らない者はいない。
ここアマノ王国は先日まで異神を奉じていたが、既にアムテリアを祀っており当然『創世の歌』も広まっている。そのため旧帝国出身の者達も、戸惑うことなく歌に加わっていた。
歌声は宮廷楽団の伴奏で彩られ、『天空の間』の名に相応しい荘厳な世界を作り出した。
雲海のような白い床に、鮮やかな青の背景に飛翔する竜と光翔虎が描かれた天井と壁。それらは空を模したものである。更に玉座の背後にはアムテリアと六柱の従属神の壁画があり、正に神界を思わせる光景だ。
しかも、『天空の間』は音響も充分に計算された構造である。そのため『創世の歌』は天上の調べと言われても信じる妙音となり広がっていく。
『……遍く照らす至高のお方、我らを導き守り賜え。美しき世に満ちゆく命、励ます光よ永久に』
歌は最後の高まりを迎えた。人々は至高の女神を讃える聖句を高らかに歌い上げ、楽の音は更なる広がりを加えていく。最高潮に達した響きは『天空の間』全体、そして魔力無線による放送で宮殿の各所、更に王都や各都市にも届いていく。
そして静寂が戻った次の瞬間、『天空の間』は温かな光輝に満たされた。
『愛し子達よ。あなた達の進む先に大きな幸があるよう願っています』
輝きの中、優しい女性の声が響いていく。豊かな母性が滲む美声には世の全てを慈しむかのような包容力が宿り、それでいて侵し難い神威というべき品位が備わっている。
それは、この惑星の最高神アムテリアの声であった。今、単なる音を超えた愛に満ちた波動が『天空の間』へと訪れている。
「アムテリア様……」
シノブは、静かに呟いた。そして、彼の左右でも同じような微かな囁きが生じている。
アムテリアの眷属であるアミィは、当然ながら彼女の声を熟知している。それにシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌは夢や神域で至高の女神と会っている。そのため彼女達は、背後の壁画から響く声音がこの星を守り導く最高神のものだと理解したのだ。
居並ぶ者達は跪いたらしく、各所から衣擦れの音が生まれていた。地上の者とは思えない厳かな声と、神を暗示する言葉である。彼女の声を知らない者も、至高神の訪れだと察したのだ。
『邪なものは、この地から消えました。あなた達は力を合わせ、本来の姿を取り戻したのです。これからも強い絆で困難を乗り越え、更なる豊穣を目指すように』
アムテリアの柔らかな言葉は、シノブの胸に染み入っていった。
この地は異神に支配され、獣人達は奴隷となり苦しめられた。彼らだけではなく人族も、異神を奉じる皇帝により厳しく締め付けられた。支配層ですら洗脳により己の意思を捻じ曲げられ、地に潜む神霊の道具とされた。
しかし、それらは過去のものとなり、他の国々と同様に各種族が自由に暮らせる地となった。
未だ身分の差はあり、種族間の距離も完全に埋まったわけではない。だが、他のエウレア地方の国と同じか近いくらいまでは改善された筈だ。
先行きは明るい。母なる女神が示したように、今後も手を取り合って進めば一層素晴らしい国となるだろう。もちろん共に歩む国々も。シノブは、母と慕う存在の励ましに決意を新たにした。
いつしか神秘の光は消え去っていた。そして視界が戻った『天空の間』に、続いて音が帰ってくる。
それは人々のざわめき、歓呼の声である。神の祝福に驚愕した人々は、次第に驚きを喜びに変えていったのだ。
「アマノ王国万歳!」
「陛下に栄光あれ!」
立ち上がった人々は老若男女の区別無く、己の感情を爆発させるかのように叫んでいた。
建国を最高神が祝福してくれた。これ以上の応援があるだろうか。それらを実感した諸卿の、そして彼らの家族の祝声が広間を満たしていた。
アマノ王国は、国を動かす者達の数も足らず兼務や空席が多い有様だ。それだけに、新たな国の誕生を喜ぶ彼らも先々の苦難を感じていたのだろう。
しかし恐れることはない。遠い神界から神々は見守っているのだ。もちろん神が直接力を貸してくれることはないだろう。だが、この世を創った至高の存在が、確かに励ましてくれた。それは神々の存在を疑わず崇める彼らにとって、何より勇気を与えてくれることだったに違いない。
どうやら歓呼は『天空の間』だけではなく宮殿全体、それどころか外でも沸き起こっているようだ。たぶん、魔力無線での放送が届いている各都市も同じだろう。シノブは居並ぶ者達に笑顔で手を振りながら、驚きと喜びに満ちる各地の光景を思い浮かべていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「惜しいことをしたのう……即位は内々の式じゃと言われて引き下がったのが悔やまれるわ」
「全くですね。ですが、大神アムテリア様のお声をこの耳で聞くことができました。それだけでも途轍もない幸せですよ」
シノブの下を訪れたのは、カンビーニ王国の人々だ。今シノブ達の前にいるのは、残念そうな表情のアルストーネ公爵フィオリーナと、苦笑を浮かべた彼女の弟で王太子のシルヴェリオである。
既に建国と即位の式典は終わり、シノブ達は場を移していた。彼らがいるのはヴルムの間、『天空の間』を別にしたら宮殿でも最上級の格の広間である。
各国から訪れた王達や彼らの家族にも、『天空の間』での式典に列席したいという者は多かった。しかしシノブとしては、自身が壇上で玉座に座り他国の王達を下座に立たせるわけにはいかない。そのためシノブは、建国や即位はアマノ王国のみの行事として丁重に断ったわけだ。
「我々もお声を聞いただけですから……放送でこちらに聞こえていたものと同じですよ」
「じゃが、『天空の間』は天上の光に満たされたのであろう? のう、マリエッタ?」
「はい、母上! 妾も見たのじゃ!」
母の問いに、マリエッタは輝くような笑顔で答える。するとフィオリーナは、ますます無念さが滲む顔となった。
マリエッタは、学友の伯爵令嬢と共にシャルロットの護衛騎士を務めている。そのため彼女は、他国の者にも関わらず式典に同席することが出来たのだ。
「しかし、皆さんあまり驚かれませんね」
シノブは、フィオリーナ達以外からも同じような言葉を掛けられていた。
ヴルムの間には放送を受信する魔道装置と、受信した魔力波動を音に戻して響かせる拡声の魔道装置がある。そして放送は『天空の間』の音を拾うだけではなくソニアが語る情景描写も加えていたから、他国の者達も何が起きたか知っているのだ。
しかし突然神秘の光に包まれたり神の声を授かったりという奇跡が起きたにしては、賓客達は落ち着いている。シノブは、そう感じていたのだ。
「何を今更! 我が国の大神殿でも、神秘の光を見せてくださったではないか!」
破顔したのはカンビーニ王国の国王レオン二十一世だ。獅子の獣人である彼は、同族の男に共通のふんわりとした髪を揺らしながら笑っている。
「そうですわ。あれは驚くべき光景でした……」
「今回も、同じような温かな光で満ちたのでしょうね……」
レオン二十一世に同意したのは彼の二人の妻、第一王妃のマティルデと第二王妃のマリアーナであった。
シノブはカンビーニ王国の大神殿で転移が授かるように願い、そのときも今回と同様の光で満たされた。大神殿の場合アムテリアは思念で祝福しただけだから、シノブとアミィ以外は彼女の声を聞いていない。しかし声を抜きにしたら、ほぼ同じである。
そしてシノブは、カンビーニ王国だけではなく他の国でも同じように願った。したがって賓客達の大半は奇跡を目の当たりにしており、それ故動揺は少ないらしい。
「陛下、貴方。そろそろ次のお方に……それではシャルロット様、失礼いたします」
シャルロットが腰掛けるソファーから立ち上がったのは、シルヴェリオの妻、つまり王太子妃のアルビーナである。
つい先日、アルビーナも次子を身篭ったことが明らかになった。それもあって彼女は今回、同じく子を宿したシャルロットと会話することが多いようだ。
なお、この場にシルヴェリオとアルビーナの長男であるジュスティーノはいない。彼は僅か二歳であり、今頃は別室で侍女が面倒を見ている筈である。
「陛下、失礼いたします」
カンビーニ王家特有の柔らかな銀髪を揺らしつつシノブに礼をしたのは、マリエッタの弟テレンツィオだ。彼は、まだ六歳なのに随分と落ち着いた少年である。
「また後で、なのじゃ!」
マリエッタは、お辞儀をした弟に手を振り微笑んだ。
この場は無礼講というほどではないが、自由に歓談してほしいとシノブ達も告げている。そのためマリエッタも、護衛騎士にしては砕けた物言いである。
シノブ達の下に、次なる訪問者がやってくる。
ヴルムの間や対となるリントの間では、多くの者が楽しげに語らい飲食している。しかし、持て成す側であるシノブには自由な時間どころか食事をする暇も無いようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「揃ったぞ!」
ヴルムの間に、歓喜の声が響いた。それは、ヴォーリ連合国のエルッキ・タハヴォ・アハマスの太く力強い声だ。彼は右手で、手の平より少々大きい程度の正方形の厚紙を掲げている。
「こちらにどうぞ……おお、確かに!」
ベランジェは、前に進み出たエルッキから正方形の厚紙を受け取った。
それは縦に五つ、横に五つの切れ目が入れてあり、その幾つかは折って立ち上がっている。しかもエルッキが持ってきた厚紙は、二段目の五つが横一直線に立っていた。そう、彼らはビンゴ大会をしていたのだ。
「どれどれ……おっ、これは良いものを当てましたね!
賞品は、陛下直々の温泉掘削でした! なお指定の場所に温泉が出ない場合、街道の敷設に代えさせていただきます。その際は悪しからず」
司会役のベランジェは、おどけた口調で賞品を明かす。すると、ヴルムの間は大きな笑いで満たされた。
賞品は今回のようなシノブが出来ることの他に、通信の魔道装置や治療の魔道装置など、メリエンヌ学園の研究所で開発したばかりの品も含まれている。
それらは単に来客への土産というだけではなく、彼らの国で役に立つ品々だ。そのため広間にいる者達は、楽しみながらもどこか真剣な表情で手元の厚紙を見つめていた。
「では、次です! 十五!」
「……揃いました」
ベランジェが数字を口にすると、今度はアルノーが手を挙げた。
ビンゴ大会にはアマノ王国の伯爵達も加わっていた。これも放送で王都や各地に中継されているから、他国の者が喜ぶだけでは聞き手の国民達は楽しめない。そこで各伯爵が自領の代表となり、シノブやシャルロット達が王領や国王預かりの伯爵領の分を受け持っていた。
「ゴドヴィング伯爵アルノー殿は……治療の魔道装置でした! まだまだ貴重な品です、領民も喜んでくれるでしょう!」
ベランジェの言葉を証明するように、集った者達は羨ましげな声を漏らしていた。それに、あまり表情を変えないアルノーも微かに笑みを浮かべている。
この装置の元となったのは、シノブの同調を応用した魔術だ。そしてシノブが最初に治療したのはアルノーの縁戚、姉ロザリーの嫁ぎ先ラブラシュリ家の前当主パトリスである。
重い肺炎で命を落とす寸前であったパトリスだが、今は健康を取り戻した。ラブラシュリ家はアマノ王国の男爵家となり、当主のジュストは今や王宮守護隊長でパトリスも宮廷に侍従として務めている。
きっと、この装置はパトリスのように多くの領民を救うだろう。アルノーの柔らかな表情には、そんな思いが滲んでいるかのようであった。
「これは良いね」
ソファーに腰掛けたシノブは、軽食を摘みながら微笑んだ。ちなみに彼の受け持つ王領などの分は、従者達が持っている。
ビンゴ大会は、各国および国内の各領地に賞品を行き渡らせるため長時間である。しかも、その間ベランジェが司会を務めるから、シノブも休むことが出来たわけだ。
「ミリィに感謝しないといけませんね」
アミィの言葉に、シノブやシャルロット達は笑みを零した。実は、これはベランジェの相談を受けたミリィの発案だったのだ。
なお、来客だけではなく放送を聞いている国民の評判も上々なようだ。王宮守護隊長のジュストが王都の反応をシノブ達に届けたが、王領の分の当たりが出たとき街に大きな歓声が響いたという。
「これで全ての賞品が行き渡りました。これらの品が、それぞれの地で活用されることを祈っております。まあ、その幾つかは陛下の貸し出しなのですが……」
ベランジェの剽げた様に人々は相好を崩し、場は笑声で満ちた。
賓客である各国は、五つずつの賞品を得た。そしてアマノ王国も各伯爵領に二つずつ、そして最も人口の多い伯爵領に比べても三倍近い人口を抱えた王領は六つの貴重な品を手にした。
招待された六国が合計で三十に対しアマノ王国が二十六だから、少々国内に有利である。しかし元々が建国を祝う場だから、気にしている客はいないようだ。
もちろん各国も手ぶらで来たわけではない。彼らは自国が誇る工芸品や名産品を持ち寄った。
贈られた品々は、ビンゴ大会に先立って読み上げられ紹介されている。しかも放送を担当するソニアは、言葉を尽くして各国からの贈り物を讃えたから、彼らも大いに面目を施したに違いない。
「……最後に我らアマノ同盟の盟主からお言葉を頂きます。それでは『光の盟主』シノブ様、ご登壇ください!」
ベランジェに呼ばれたシノブは立ち上がり、彼の待つ壇上に向かっていく。
『光の盟主』とは、アマノ同盟の盟主に贈られた称号だ。光とは最高神アムテリアの象徴で、謁見の間などの最も重要な場や、国宝などに用いられることが多い。そのため、同盟を纏める最上位者の呼び名となったらしい。
なお、シノブの国王としての敬称は陛下である。しかし、同盟の主が『陛下』というのも変だろう。そのため、盟主としての彼は陛下と呼ばれないことになっていた。
「皆さんのお力でエウレア地方は平和を取り戻し、この地も新たな国として第一歩を踏み出すことが出来ました。本当にありがとうございます。
この地に、そしてエウレア地方に更なる発展を齎すには、人々の不断の努力が必要です。そして人々が力を発揮するには、各国、各種族が手を取り合わなくてはなりません」
壇上のシノブの言葉を各国の代表、そしてアマノ王国の貴顕は真剣な顔で聞き入っていた。彼らは時折頷くものの、咳一つせずに傾聴している。
「各種族にはそれぞれの長所があり、各国にはそれぞれの文化があります。それらは尊いことですが、理解を深め不利益を埋める工夫も大切です。
その工夫は今、皆さんの手の中にあります。魔道具……それだけに限ったことではありませんが、技術は個人の力を超えますし得意不得意を埋めてくれます」
シノブは、各種族の特性の違いや個人個人の魔力の多寡の差を、魔道具が解消してくれると感じていた。
もちろん、単に魔道具を普及させるだけでは願う通りにならないだろう。しかし生来の特徴や身体的な素質とは違い、道具であれば分け隔てなく恩恵を受けることが出来る。
治療の魔道装置があれば、治癒魔術が使えなくても同じことが可能だ。それらの益は、今まで魔術に優れた血筋や彼らに近しい者、高額の対価を支払える者だけが享受してきた。しかし、これからは多くの者が同じ水準の治療を受けることが出来る。
放送の魔道装置や新聞は、情報の格差を解消してくれる。近い将来、中枢に近い者だけが知識を独占する時代は終わり、多くが真実を知り高い知識を持つ世の中が来るだろう。そうなれば、今まで以上に多くの才人が現れるに違いない。
蒸気船や蒸気機関を使った産業は、飛躍的にエウレア地方を発展させるだろう。しかも、これらは石炭や薪ではなく魔道具の出す熱で蒸気を発するから、環境への影響も少ない。創水や抽出の魔道具のように既に航海などに用いられているものも、更なる応用が期待できるだろう。
「私は、それらの技術を独占するつもりはありません。もちろん造り上げた者達には充分な利益を与え、次の意欲に変えてもらわなくてはなりませんが……ですが知識は独占するものではなく、広く共有し互いに磨くものです。
これらの道具と元になった技術を平和的に利用し、更なる繁栄が訪れる。私は、そうなるように願っていますし、これからも努力していきます。
……皆さんには、それぞれ得意な分野があります。それらを持ち寄り、素晴らしい未来を掴みましょう」
シノブが殊更に技術を押し出すのは、アマノ王国の特質を考えてのことでもあった。この地に存在したベーリンゲン帝国は、他国に比べて極めて高度な魔道具技術を持っていた。つまり、下地は充分にあるのだ。
もちろん、シノブは自国の優位を示したいわけではない。ただ、エウレア地方の中でアマノ王国が担うべき役割は、魔道具技術にあるのでは、とシノブは考えたのだ。
メリエンヌ王国は豊かな農地を持っている。ヴォーリ連合国にはドワーフの技術がある。カンビーニ王国、ガルゴン王国、アルマン共和国は航海術に優れている。そしてデルフィナ共和国には長命なエルフの知恵がある。互いの長所で互いを助け、より豊かな世の中にする。それがシノブの意図することであった。
シノブの思いは、充分に伝わったようだ。何故なら集った者達は立ち上がり、盛大な拍手と輝く顔で賛意を示していたからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「本当に、馬がいなくても動くのですね!」
「何とも凄い……」
シノブのすぐ後ろで、ヤマト王国からの賓客である健琉と威佐雄が興奮気味の声を上げている。
ちなみにタケルとイサオは護衛騎士のような服を着ている。ヤマト王国の存在は各国の指導者など一部にしか伝えていないため、彼らは先ほどのヴルムの間も含め扮装して加わっていたのだ。
あれから少しの休憩を挟み、シノブ達は宮殿の庭へと移った。といっても彼らは大地に立っているのではない。
今、シノブ達は三台の乗り物に分乗している。エウレア地方で一番近いのは、無蓋の馬車であろうか。幌があり雨天なら上を覆うことが可能で、しかも金銀細工を施した豪華な造りの式典に相応しい逸品だ。
だが、タケルが叫んだように車を牽く馬はいなかった。実は、この乗り物はドワーフ達の職人が拵えた傑作、蒸気自動車であった。
形は大まかに言えば屋根のない小型バスだろうか。車体は長方形で、前方の四分の一くらいが蒸気機関で後ろが乗車スペースだ。
「昨日話した通り、蒸気船というのがあってね。これは、蒸気機関を車に使ったものだよ」
シノブは、蒸気自動車の先頭近くに立っている。
蒸気自動車はかなり大型で、大人の男なら十五人は乗れるものだ。中には腰の高さくらいの手すりがあり、そこに乗客は掴まっている。
せいぜい人の歩く速度の倍くらいだから、これで充分なのだ。
蒸気自動車のうち先頭の一号車はシノブを始め各国の男性王族や統治者が中心、続く二号車はシャルロットやミュリエル、セレスティーヌなど若手の女性達、最後の三号車は上の世代の女性達が乗っている。エウレア地方の王族や上級貴族は一夫多妻だから、どうしても女性の方が多くなるのだ。
なお女性用の車両には、懐妊中のシャルロット達に配慮し固定式の座席を幾つか設置している。そのためシャルロットやメリエンヌ王国の王太子妃ソレンヌ、そしてカンビーニ王国の王太子妃アルビーナなどは中央近くの座席に腰掛けていた。
「これでパレードをするのですね!」
メリエンヌ王国の王太子テオドールは、普段は落ち着いた貴公子だ。しかし流石の彼も新たな乗り物には強い興味を抱いたようで、声が上擦っている。
「ええ。まだまだ改良中ですが、王都一周くらいは充分出来ます。蒸気船で蓄えた技術のお陰ですね」
シノブが口にしたように、かつてのアルマン王国、後にアルマン共和国となった国との戦には、魔力で水を沸かす形式の蒸気船が加わっていた。
エウレア地方には湯沸かしのための魔道具は昔からあるが、それでは大出力を得ることは出来ない。しかしシノブ達は、旧帝国の『魔力の宝玉』を大型化した高効率の魔力蓄積装置で、何桁も上の出力を実現した。そして彼らは、その大出力を熱源とする蒸気船を造ったのだ。
巨大な軍艦を動かす機関に比べれば、小型バス程度の車体をゆっくり進ませるなど楽なものだ。そこでシノブ達は、試験的に自動車を造ってみたわけである。
蒸気となる水を無駄にしないために復水器も組み込み、創水の魔道具で水を補充できる。そのため地球の蒸気自動車よりは簡易な装置でありながら、無補給で長距離を走ることが可能であった。
もっとも、その分だけ魔力の消費は多い。今のところ平らな舗装地を進むだけでも相当な魔力を必要とするから、普及にはもう一工夫必要だ。今回は一号車にシノブ、二号車にアミィ、三号車にホリィが乗り魔力を供給しているから良いが、同じことが出来る者はごく一部しかいない。
したがって、先ほどヴルムの間でシノブが語ったような汎用的な道具となるのは随分先だろう。
「おお! もうすぐ外に出るぞ!」
「ベランジェ、速いではないか!」
ガルゴン王国の国王フェデリーコ十世に続いたのは、メリエンヌ王国の国王アルフォンス七世だ。アルフォンス七世はベランジェの兄だが、他国の宰相になった弟を呼び捨てにしてしまうくらい、我を忘れているようである。
「ふっふっふ。兄上、こういうときは『何人たりとも私の前は走らせない!』と言うらしいですよ。まあ、実際には先導の護衛騎士がいますがね」
一号車を操縦しているのは、宰相で侯爵のベランジェであった。
ベランジェは、どうしてもこの新しい乗り物を自身で動かしたいと譲らなかったのだ。なお、二号車の操縦席にいるのはシメオン、三号車はマティアスである。ベランジェの理屈としては、王族達が乗るのだから操るのはアマノ王国の貴族で最高位の自分達が相応しい、ということらしい。
「義兄上、それはミリィから聞いたのですか?」
「良く判っているじゃないか!」
蒸気自動車の脇から語り掛けたのはベルレアン伯爵コルネーユだ。周囲を守っているのはアマノ王国の軍人だけではなく、各国の有名な将や武人も加わっているのだ。
ちなみにコルネーユはシノブの愛馬であるリュミエールに跨っていた。リュミエールは、元々がコルネーユの乗馬でシノブが譲り受けた馬だ。そのためだろう、リュミエールは上機嫌に歩んでいる。
同様にシャルロットのアルジャンテには、先代ベルレアン伯爵アンリが乗っている。流石に招待した貴族達まで乗せるほど蒸気自動車を製造していないから、多くはこうやって乗馬や馬車で随伴している。一例を挙げると、バーレンベルク伯爵となったイヴァールも愛馬ヒポの上である。
「シノブ殿。竜や光翔虎も乗ってほしいと仰ったのでは?」
穏やかな笑みと共に静かに語りかけたのは、デルフィナ共和国を代表してきたアレクサ族の長エイレーネだ。他は男性ばかりだが、彼女はエルフの代表者だから一号車の乗客となったわけだ。
「ええ。ですが、彼らに頼ってばかりではいけません」
シノブは振り返り、エイレーネに答える。おそらく彼の答えを予想していたのだろう、エイレーネは一層深くした微笑みと共に頷き返した。
竜や光翔虎の力は強大だ。彼らの助けを借りれば、東域や南方大陸、それに西海の向こうにあるだろう未知の大陸でも、難なく辿り着けるだろう。
しかし、それは自分達の採るべき道だろうか。彼らの力を借りるのは良い。しかし対価として相応しいものを返せずに一方的に恩恵を受けるのは、シノブには正しい在り方とは思えなかったのだ。
『シノブさんのそういうところ、好きです!』
上空から声を掛けたのは、両親のガンドやヨルムと共に飛翔しているオルムルであった。
空を舞っているのは三頭だけではない。殆ど全ての岩竜や炎竜、そして光翔虎、更に神殿の転移を使って海からやってきた海竜や、遥か東から新王国を祝いにきた嵐竜や新たに仲間となった竜達まで、およそ四十頭もの竜と光翔虎が王都アマノシュタットの上空に集っていた。
「ありがとう! 君達と並べるように人間も頑張るよ! ほら、あれが第一歩だ!」
シノブの指差す方向には、大量の丸いものが浮かんでいた。それは、先日シノブが作ったヘリウム入りの風船であった。
今回は紙などではなく、軽くて薄い革を元に気密性を高める蝋を塗った上等のものだ。大きさも一抱えはありそうな風船は、様々な色に彩色されて目を楽しませる。
「シノブ様! あれは泉葉が言っていた!?」
驚きの声を上げたのは、タケルであった。彼は『白陽宮』の各所から空に放たれた風船を見上げている。
シノブはイズハを励ますため、宙を飛ぶ紙風船を彼女に見せた。ヘリウムを出す魔術は創水のように難易度が低いものだが、それを使えば空だって飛べる。シノブは、人の造り上げた技が素晴らしいものになりうると、イズハに伝えたのだ。
「そうだよ、頑張れば人間だって飛べるんだ!」
シノブは、後ろの二号車へと目を向けた。
そこにはイズハや、タケルの婚約者となった立花が同乗している。しかしシノブは一号車の最前列で、イズハは七歳の少女だしタチハナも小柄だ。そのためシノブから二人は見えない。
だが、きっと二人は顔を輝かせているだろう。シノブは、そう確信していた。何故なら二号車からは若い女性の歓声、シャルロットやミュリエルにセレスティーヌ、そしてイズハやタチハナ達の華やかな声が上がっていたからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年7月6日17時の更新となります。
本作の設定集に、ヤマト王国の地名に関する説明と17章前半の登場人物の紹介文を追加しました。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。




