17.20 式典前日 前編
創世暦1001年の五月末。翌日からアマノシュタットと呼ばれる都市は、普段にも増して多くの人が満ちていた。
本来の人口は九万人ほどだが、どうも一割は増えたようだ。宿は何れも満室で、知人や縁者の家に転がり込む者も多い。
この活況は、もちろん明日の建国式典によるものだ。彼らはアマノ王国が誕生する瞬間を見ようと、各地から押し寄せたのだ。
「空き部屋は!?」
「満室ですよ! でも、役所や軍が場所を用意しています。中央区で宿泊所の割り振りを……あ、アマノシュタットの地理は判りますか?」
街の宿では、どこでも似たような会話が繰り広げられていた。
この街の名がアマノシュタットになるのは、正しくは明日からである。しかし既に新たな名は公表され、街道の標識なども差し替えられた。そのため国名がアマノ王国で王都がアマノシュタットというのは誰もが知っているし、新名称を用いていた。
アマノ王国の民、つまりかつてのベーリンゲン帝国の人々は、短時間で新体制に馴染んでいた。これは帝国の治世が民に厳しかったことが大きいようだ。
帝国の神は民に服従を強い、神官は喜捨という名で多額の金を奪った。しかも国自体も重税を課し、多くの男手を徴兵した。
しかし、それらはメリエンヌ王国の統治下に入ると同時に解消された。そのため街の者達は新たな為政者であるシノブや彼の配下を歓迎していた。
それは村々では更に顕著であった。村の住民達は奴隷とされた獣人達だったが、彼らは解放され人族同様の自由を得た。それ故獣人達は、人族以上にシノブ達を慕っていたのだ。
「ヴォルヒ村から来た者ですが……」
「ああ、用意してありますよ! 済みませんが招待状を見せてください!」
遠慮がちに声を掛けた狼の獣人の一家に、宿の女中が笑顔で答えた。
実は、宰相となるベランジェの発案で各地の町村から招待客を呼んでいたのだ。これは遠方の伯爵領なども含まれているが、主要な都市なら神殿の転移が使える。そのためベランジェは、旅費や宿泊費も出した上で千ほどの家族を地方の町村から招いていた。
「招待客か……」
羨ましそうに獣人達を見ているのは、人族の中年男性だ。彼は、先ほど空き部屋は無いかと訊ねた男である。男の側には、同じ年頃の女性と二人の子供がいる。おそらく四人家族なのだろう。
「獣人さん達は苦労していたからね。さあ、中央区に行くよ!」
男の腕を妻らしき女が引っ張った。
彼女が言うように、招待客の大半は獣人族であった。何しろ民の七割は獣人族だから、招待客も彼らが多いのは当然だ。ちなみに残りは強制的に徴兵された町の者など、帝国時代に苦労した人々を対象としている。
それらは広く告知されていたから、男も承知していたのだろう。彼の顔には羨望はあるものの不満は浮かんでいなかった。
ベランジェは、街の中の公的施設を可能な限り宿泊所とした。しかし街中の宿泊所には限度があり、溢れた場合は郊外の軍の演習場に張られたテントに案内することになっていた。
まだ日が昇ったばかりだが、外の通りは大勢の人で埋め尽くされている。そのためだろう、宿から出た一家は少しばかり焦りが滲む顔となり、足早に中央区へと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
大混雑の大通りを、巨漢の熊の獣人を含む三人が歩いていた。三人とも男性で、服装からすると騎士らしい。しかし種族は全員違い、残りは狼の獣人の青年と人族の少年であった。
だが、周囲の者達は彼らを気にしていない。前日あたりから各国からの招待客もアマノシュタットに滞在しているし、その中には街の見物をする者もいる。そのため通りを歩く者達は、彼らを地方か他国から来た騎士達だと思っているらしい。
確かに、それは間違いではない。しかし彼らのうち二名は、街の者達が想像する以上の遠方から来た客であった。
人族の少年はヤマト王国の第二王子である大和健琉、そして熊の獣人はヤマト王国の大領主の熊祖威佐雄だったのだ。なお、残る一人は変装の魔道具で狼の獣人となったシノブである。
「賑わっていますな」
「明日の式典を見に来てくれた人達ですね」
感嘆の表情を浮かべたイサオに、シノブは気恥ずかしげな表情で応じた。
アマノシュタットに溢れている人々の大半は、シノブの即位を祝いに来た者達だ。したがって、彼が照れるのも無理はないだろう。
「新たな国王は、とても慕われているのですね!」
タケルは、少しばかり悪戯っぽい笑みを浮かべながらシノブを見上げている。
今日のタケルやイサオは、シノブが用意した騎士服を身に着けている。シノブを含め彼らの身なりは同じだから、黙って歩いていれば仲間同士で散歩しているように見える筈だ。しかしタケルは小柄で、顔も女性のように整っている。そのため同格の騎士というには、少しばかり違和感があるかもしれない。
「女騎士様、どうかウチの店を覗いていってくださいませ! 綺麗なネックレスやブローチがあります、お安くしますよ!」
「お、女……」
客引きの女性の言葉に、タケルは一瞬だが気落ちしたような表情となった。
タケルは小柄な人が多いヤマト王国でも、背の低い方だ。彼の身長は160cmを若干下回るだろう。それに対しシノブの背が183cm、イサオは2mほどである。
しかも、タケルは長く伸ばした黒髪を後ろで束ねている。それも客引きが性別を間違える原因となったようだ。
「さ、先を急ぎますので……」
「髪も短く見えるようにしておけば良かったかな?」
何とか言い繕ったタケルの横で、シノブは苦笑を浮かべていた。
タケルやイサオも、アミィが用意した変装の魔道具を使っている。しかし彼らは容貌をエウレア地方の人間に似せただけで、他は変えていない。二人を知る者などアマノシュタットに存在しないからだ。
「いえ……動いたときに感付かれるそうですから……」
タケルが首を振ると、彼の女性のように艶やかな髪が背後で揺れた。
このくらいの動作なら周囲の人が長髪だと察知することはないが、激しく動けば髪が誰かに当たるかもしれない。何しろ人混みを歩くのだから、決して杞憂ではないだろう。そこでアミィは、タケルとイサオの髪をそのままに見せることにしたわけだ。
ちなみにイサオは蓬髪と長い髭だが、こちらは魁偉な巨漢に似合っている。それにエウレア地方の獣人族の男性には彼のように荒々しい風貌の者も多い。そのため街の者達も、彼のことは典型的な獣人族の武人だと思っているようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、何人かの客引きに呼び止められた。やはり小柄で優しげなタケルは話し掛けやすいのだろう、彼を呼び止める者は多い。
最初は落胆していたタケルだが、あることをシノブに囁かれ気を取り直す。そしてタケルは、とある宝飾店で数点のアクセサリーを購入した。シノブはタケルに、恋人への贈り物を購入するようにと勧めたのだ。
「立花さん、きっと喜んでくれるよ」
シノブは、向かいに座ったタケルに微笑みかけた。
三人がいるのは、中央区に近い上品な飲食店だ。この店は裕福な商人達が密談に使うことも多いそうで、しっかりした個室が多数用意されている。もちろんシノブ達がいるのも、その一つである。
「は、はい! シノブ様、ありがとうございます!」
「タケル殿、宮殿に戻ったときが楽しみですな」
頬を染めるタケルに、イサオが笑いかけた。すると、ますますタケルは顔を赤くする。
タケルとイサオは、二人だけでアマノシュタットに訪れたわけではない。シノブはタチハナも連れてくるようにと言ったのだ。
狐の獣人の少女タチハナはタケルの婚約者となった。しかし当分は内々で秘すこととなり、彼女は以前と同様に斎院で働いている。そのため、二人は会う機会も殆ど無いらしい。
そこでシノブは、タケルだけではなく彼の恋人も招いたわけだ。
「泉葉にも良いお土産が買えたね……元気そうで安心したよ」
シノブはタケルに助けの手を差し伸べることにした。彼はタチハナの又従姉妹イズハへと話題を転ずる。ヤマト王国から魔法の家で訪れた一団には、タチハナだけではなくイズハも含まれていたのだ。
ナニワの町で助けた狐の獣人の少女イズハは、僅かな間だがシノブが預かった。正確には同じ狐の獣人であるジェルヴェと孫娘のミシェルなどが世話をしたのだが、同い年でもあるミシェルとイズハは姉妹同様に仲良くなった。
しかしイズハには親族がいることが判り、更に彼女の両親を襲撃した者達も捕らえた。そこでイズハはヤマト王国の都に戻り、祖父母と共に暮らすことになった。
「お気遣い、感謝いたします」
「ミシェル達も会いたがっていたからね」
頭を下げるタケルに、シノブは手を振ってみせる。
現在タチハナとイズハは、ミュリエルとミシェルが歓待している。シノブはヤマト王国の女性陣の接待担当としてミシェルや彼女の祖母ロジーヌを付けたのだ。
「イズハの両親の件は、もう調べ終わったんだったね」
シノブは、表情を改め訊ねかける。
シノブ達が街に出たのは、タケルやイサオにアマノシュタットを見せるためだけではない。ヤマト王国のその後について直接聞くためでもあったのだ。
シノブにはタケルや彼の護衛として付けたシャンジーから文が届けられる。そのためシノブもヤマト王国の状況は把握しているのだが、詳しく聞きたいこともあった。
とはいえヤマト王国の禁術や疫病を装った事件は極めて陰惨で禍々しいことだ。そこでシノブはシャルロット達の前では触れずに、別の場を設けることにしたわけだ。
「はい。実行犯は処刑されました」
タケルもシノブと同じく真顔となった。そして彼は、ヤマト王国からシノブ達が去った後のことを語り始める。
イズハの両親の襲撃は、目付の中部多知麻呂の陰謀であった。彼は二十数名の武人を集め、イズハ達三人を襲わせたのだ。
襲撃者は既に捕らえられ、事件の詳細も判明した。そのため彼らは、イズハの親族である穂積家の者達により処刑された。
ヤマト王国では私刑は禁止されているが、遺族が刑手となるのは認められている。もちろん然るべき者が裁いた上で、更に遺族が望めばである。
今回はホヅミが武家ということもあり、一族の成年男子、つまりイズハの祖父とタチハナの父と祖父、そして兄が処刑したという。
「そうか……イズハはそのことを?」
「ええ。刑場には連れて行きませんが、父母の仇を討ったことは教えたそうです」
シノブの問いに、タケルは静かに頷いてみせた。
イズハは、まだ七歳である。その彼女に大勢を処刑する様を見せるのは躊躇われたのだろう。
襲撃者の狙いはイズハだったらしい。イズハも襲われたときに察したらしく、彼女は両親の死は自分のせいだと自身を責めていた。
それに襲撃の光景は彼女の心に深い傷を残していた。ホヅミ家の者達も、それらを考えイズハに結果だけを教えたのだと思われる。
「幸い、イズハは日々を明るく過ごしているそうです」
「タチハナ殿のように巫女になると言ったとか。父母も願っていたそうで……健気な娘ですな」
タケルの言葉を補ったのは、感慨深げな表情となったイサオである。彼も、同じ獣人族の少女の行く末を気に掛けていたようだ。
この数日の間に、イズハは斎院に赴き巫女の長であるイツキ姫に会っていた。そしてイツキ姫はイズハの資質を認め、近いうちに側に上がるようにと伝えたそうだ。
もっともイズハは両親を失ったばかりである。そのためイツキ姫も、彼女の心が癒えてからとしていた。
「ですから、イズハは心配いりません。斎院でもタチハナが一緒ですし、叔母も気に掛けていますから」
タケルが言う叔母というのは、イツキ姫のことだ。イツキ姫はタケルの父である大王の妹なのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「アミィ達にも伝えておくよ」
シノブは、イズハ達の側にいるアミィとホリィに思念を送った。
イズハを預かったとき、同じ狐の獣人であるアミィや、彼女と同じ姿となったホリィも世話をした。そのためイズハは二人にも懐いているのだが、繊細な問題でもあり直接聞くのは避けたのだ。
「……次はタチマロについてだ。あの男は、どうなった? 禁術に関わっている者は他にいないのか?」
シノブは禁術使いのタチマロのその後を訊ねる。霊魂を自身の式神として使役するタチマロの術を思い浮かべたためだろう、シノブの表情と声は知らず知らずのうちに固いものに変じていた。
「タチマロの一派は同族のナカベにはいなかったようです。イズハ達を襲った者以外にも手先の武人はおり、それらは捕らえましたが……」
「あの男は、禁術を他に明かすのを避けたようですな。あの術は確かに強力ですが、それだけに他が知れば仇となるかと」
タケルとイサオも、表情を曇らせていた。特にタケルは、自家の治める地の不祥事だけに一際深刻な顔となっている。
タチマロの使った術は、命を落とした動物の霊を符に閉じ込め操るものであった。
ナカベは祭祀を司る一族で、ナカベには自身の魂を符に乗り移らせて遠方を探る術があった。タチマロは先祖が伝えた術を悪用したようだが、彼以外にも禁術を使う者がいたら同様の事件が起きるかもしれない。
それをシノブは案じていたのだが、今のところ判っている限りではタチマロは自身の秘術を人に伝えてはいないらしい。
「シャンジーやマリィ達が調べても出てこないのか……なら、本当に彼だけで……」
シノブは、思わず誰に向けたわけでもない呟きを漏らした。
光翔虎のシャンジーにメイニー、そしてフェイジーの三頭には姿消しがある。それにマリィとミリィには神々の眷属としての知識があり、やはり透明化の魔道具で姿を現さずに行動できる。
その彼らが調べても他の術者の存在が掴めないなら、タチマロ独自の術と考えるべきか。シノブの心に、そんな思いが浮かんでくる。
それに、イサオの指摘にも充分な説得力がある。
タチマロの術は自身の存在を伏せたまま他者を害することが出来るし、情報収集にも使えるだろう。それだけ強力な術を人に教えたら、自身の優位が揺らぐどころか逆に攻撃されかねない。
それはシノブも認めるところであった。
「調査は続けます。この十年間にタチマロが関わった件は他にもありました。それらを全て明らかにするまで処刑するわけにはいきません」
タケルが言うように、イズハの件や十年前の疫病以外にもタチマロの関与した事件が数件あった。それらは競争相手を追い落としたり、第一王子が嫌う獣人族を陥れたりというものだが、これまでは真相が不明なままだったという。
「マリィ殿やミリィ殿のお陰で、閉じ込めておけますからな。あの男が符術使いだというのもありますが」
イサオは、感心したような表情となっていた。
魔術師や高度の身体強化が出来る者の場合、長期間に渡り拘留しておくことは難しい。体の動きを封じても魔術の行使は可能だし、常人の何倍もの身体強化が使えるなら拘束し続けるのも困難だ。そのため、この世界では迅速な裁きを下すことが多いようである。
ただしタチマロはマリィ達が強力な魔術で縛っているし、彼の得意とするのは符術だから符を取り上げたら危険度は大きく下がる。そのため、長期の取り調べが可能となっていた。
「また何か掴んだら教えてほしい」
結局、シノブは調査の続行を頼むだけにした。遥か遠方のことでもあるし、ヤマト王国の内政に関わるだけに、中途半端に首を突っ込むのは避けるべきだと思ったのだ。
そもそも、魔術を含む各種の術については、マリィやミリィの方が遥かに詳しい。その彼女達が調べて判明しないことを、伝聞だけでどうこう出来るわけはないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「何度見ても立派な街ですなあ」
「ええ。高層の建物が多いですし……石ばかりなのも驚きましたが……」
イサオとタケルは、大通りの左右に並ぶ大店や遠方の中央区の公共施設、そして更に向こうの宮殿に嘆声を漏らしていた。
木造建築が殆どのヤマト王国から来たタケル達には、石造りのエウレア地方の街並みは物珍しいのだろう。街に出るときも見た筈の光景だが、二人は飽きることなく眺めている。
幸い、辺りには建国式典を見物に来た者達が多い。そのため二人以外にも巨大都市に圧倒されている者はおり、さほど目立ってもいなかった。
「向こうの都の方が人口は多いよ。それに、面積も大きいだろうね」
驚きを顕わにする二人に、シノブは苦笑しながら応じる。
ヤマト王国の都は人口十五万人だから、それに比べればアマノシュタットは六割ほどでしかない。それにヤマト王国の都市は殆どが平屋か二階建てだから、その分だけ人口密度は低くなる。
「ですが、アマノ王国には二百五十万人もいるとか。向こうより随分多いです」
「それに、新たな国王は周囲の六つの国から盟主と敬われているそうで」
シノブの言葉を謙遜と受け取ったのだろう、タケルとイサオは首を振る。
ヤマト王国の人口は二百万人だそうだ。したがって、国全体だとアマノ王国の方が多い。それにエウレア地方全体なら九百万人を超える。イサオは、それらもシノブの支配下にあると考えているようだ。
「他国はあくまで他国だよ。それは見た通りだから」
シノブは、タケルとイサオを他の国の統治者達に会わせていた。昨晩までに全員がアマノシュタットに到着しており、ちょうど良い機会だと紹介したわけだ。
ヤマト王国は遥か遠方で、通常の手段では行き来できない。そのため当面は公にしないが、そういう国があり将来は交流できると示すのも良い目標になる。シノブは、そう考えたのだ。
「いえ、イサオ殿のお言葉の通りかと。見たまま感じたままであれば、尚更そう思います。人族、獣人、ドワーフにエルフ……あれこそが私達の目指す姿だと感じ入りました」
「ここの人々からも明らかですぞ」
感動の面持ちのタケルに続き、イサオは通りを歩む人々を指し示す。そこには、タケルの言う四種族が入り乱れて歩いていた。
過去のベーリンゲン帝国には人族と獣人族しかいなかったが、現在はイヴァールを始め多くのドワーフがこの国に移り住んでいた。それに建国式典を見ようとデルフィナ共和国から来たエルフ達も、今日は街に出ているようだ。通りにも僅かだが薄い色の金髪と長い耳を持つ人々がいた。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……この国では、つい先日まで獣人達が虐げられていたんだ。これも、話した通りだけど。だから、まだ見えないところに色々な問題がある筈だ。
……タケル、それにイサオ殿。俺が向こうを気にするのには、この国と同じ問題を抱えていると感じたからでもある。だから、一緒に頑張っていきたい」
シノブの真摯な声音は、タケル達の心に深く響いたようだ。二人は、今までにも増して顔を輝かせていた。
「女騎士様! 王都の土産物にウチの毛織物はどうでしょう!? 今なら建国記念価格ですよ!」
どうやら、よほどタケルは女性に見えるらしい。若い男が彼を呼び止める。
ベランジェは各階級や種族の交流を促進すべく、様々な施策を打ち出していた。その一つに貴族や騎士や従士に不必要な敬意を払う必要はないというものもあった。
そのため、こうやって護衛も無しに街を散策している間なら、身分に関わらず声を掛けて良いとなっている。とはいえ、実際には貴族が護衛も無く街に出ることはない。したがって主に従士、せいぜい騎士辺りまでを対象とした決め事ではある。
「……こちらの狼の獣人さんが旦那様?」
売り子の男は、シノブ達三人がどういう間柄かと悩んだらしい。
タケルは少女のようにしか見えないが、十五歳だから成人である。そして二十歳前後らしきシノブは、身内だとすれば夫か兄だろう。仮に夫婦だとすれば随分早いが、貴族などには成人直後に結婚する者もいる。
「もしや、ガルゴン王国かカンビーニ王国のお方ですか?」
他種族との結婚が多いのは売り子が挙げた二国である。そのため夫婦か兄妹か別にして家族なら、そちらの出だと思うのは自然ではある。
この世界の人間は、異なる種族でも子供が生まれる。その場合、子供は両親のどちらかの種族になるから、狼の獣人と人族の兄妹も存在する。
「い、いえ……」
タケルは動揺の滲む声を漏らした。何度も女性と断じられたのが、よほど恥ずかしいのだろう、彼は頬を赤く染めている。
「まさか、こちらの熊の獣人さんが? 少しばかり歳が……」
タケルの言葉を否定と受け取ったらしく、売り子はイサオへと視線を転じた。イサオは四十歳だから、シノブやタケルとは親子ほども違う。そのためだろう、売り子は怪訝な表情となっていた。
「儂は義理の父親だ……将来の、だがな」
イサオは面白く感じたらしく、義父だと答えた。ちなみに後半は声を落としており、売り子には聞こえなかったと思われる。
義理の父とイサオが言ったのは、娘をタケルに嫁がせるつもりだからであろう。タチハナを娶る筈のタケルだが、妃が増えるのは避けられないようだ。
「そうですか! 旦那様、奥様にお土産くらい弾んであげましょうよ!」
売り子には、シノブ達が同僚だという発想は無いようだ。もっとも、女騎士が一人だけ男の騎士達に混じっているのだから、よほど親しい仲だと思うのも当然かもしれない。
「そうだね。なら、これとこれを貰おうか」
シノブが指差したのは、どちらも光翔虎の図柄が入った毛織物であった。シノブは、シャンジーを兄のように慕うタケルなら、それらを土産に持たせるのも良いと考えたのだ。
「毎度あり! 旦那様、出世されますよ!」
「私は、もう少し背が欲しいです……」
シノブが売り子から商品を受け取る脇で、タケルは悲しげに呟いていた。
実は、売り子の方がタケルより背が高かったのだ。彼の容貌や長髪も女性と受け取られる原因であろうが、確かにシノブ達のように背が高ければ、誤解されずに済んだかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
「皆様、お帰りなさいませ!」
「お帰りなさいませ!」
シノブ達三人が部屋に入ると、ミュリエルとミシェルが明るく伸びやかな声を掛けた。
ここはアマノ王国の宮殿『白陽宮』の中でも極めて限られた者しか入れない場、王族達が住み暮らす『小宮殿』である。もっとも、その王族とは国王となるシノブを中心にした家族だ。つまり、有り体に言えばシノブ達の新居であった。
シノブ達が入ったのはミュリエルの部屋だ。将来シノブと結ばれ王妃の一人になる彼女の居室だけあって極めて豪華な内装で、しかも広い。シノブの感覚だと学校の教室以上だと思うのだが、これは居間だけで他に寝室や控えの間など数多くの部屋が存在する。
「ただいま。イズハ、タチハナさん、顔を上げて」
ミュリエル達に微笑んだシノブは、深々とお辞儀をするイズハとタチハナに優しく語り掛けた。二人の狐の獣人の少女は、背中どころか背後の尻尾が見えるくらいの最敬礼をしていたのだ。
なお、二人もミュリエル達と同じでドレスを着ていた。流石にヤマト王国の着物風の衣装だと目立ちすぎるから、こちらの衣装に替えてもらったのだ。
「シノブ様、街は如何でしたか?」
「今日は人が多かったのでは?」
アミィとホリィがシノブに訊ねかける。
室内には六人の少女だけであった。あまり大勢が控えていると、イズハやタチハナが遠慮するからだろうか。しかし、そのため余計に部屋が広く見える。
ちなみにミュリエル達は、全員が広く空いた場所に集まっていた。どうも、彼女達は魔力操作の練習をしていたらしい。
「大混雑だったよ。一緒に行かなくて正解だね。でも、お詫びにお土産を買ってきたよ」
シノブの言葉に、ミュリエルが顔を綻ばせた。それにミシェルも期待の表情となっている。
ミシェルはミュリエルの側付きではあるが、友人としての意味合いが強い。しかも、彼女は両親と離れてまでミュリエルの側にいてくれる健気な少女である。
そのためシノブはミュリエルに何かを買う場合、ミシェルにも用意するのが常であった。
なお、当然だがシノブはシャルロットやセレスティーヌ、それにアミィやホリィの分も購入している。アミィ達にはここで渡すとして、シャルロット達はそれぞれ別の場で来客達を接待しているから、この後順に巡ることになる。
式典の準備は全て終えているから、今日は公式な行事は無い。しかし多くの来客が来ている以上、シノブに自由時間など存在しなかった。
「これがミュリエル、こっちがミシェルだ」
シノブは、ミュリエルとミシェルにお土産を入れた箱を渡した。どちらも街で購入したものだから、それほど上等なものではない。特に今日は騎士の姿で周ったため、外見相応の品に留めている。
「ありがとうございます!」
「ブローチ、素敵です!」
ミュリエルとミシェルは、瞳を輝かせシノブの渡した品を眺める。そして二人は箱から取り出し胸元に着けてみせる。
「大切にします!」
「すみません……」
アミィは嬉しげに、ホリィは申し訳なさそうに受け取った。ホリィの本当の姿は鷹だから装飾品は不要である。そのため彼女は気を使わせたと思ったのだろう。
「さあ、タケル殿も」
「あ、あのタチハナ、イズハ……」
微笑むイサオに促され、タケルは手にしていた二つの小箱の蓋を開け差し出した。中に入っているのは彼がタチハナに買ったネックレスと、イズハにと選んだブローチだ。
タケルはタチハナとイズハを同じ程度の品にはしなかった。タチハナへのネックレスは店でも最上級のもの、それに対しイズハへの品はシノブの土産物と変わらぬ程度だ。
シノブの場合、幾度もある外出の際の土産に過ぎないが、タケルはタチハナが婚約者となってから初めての贈り物であった。いわば婚約の証となる品だから、彼がなるべく上等なものを選ぶのも当然であろう。
「あ、ありがとうございます……」
「タケル様、申し訳ありません……」
涙を零すタチハナの隣で、イズハは先刻と同じく深々と頭を下げていた。彼女は、王子が自分にも気を使ったことに恐縮したらしい。
「タケル、着けてあげなくちゃ。男らしくね!」
シノブは、二人にお土産を渡したタケルの肩を叩いた。婚約者への初めての贈り物だから、単に渡すだけというのも味気ない。シノブは、そう思ったのだ。
「し、シノブ様……」
タケルはシノブに複雑な笑みを見せた。しかし彼は表情を改め、ネックレスを手にする。
タチハナの首元に、タケルは小粒のダイヤモンドを沢山散らした精巧なミスリル細工のネックレスを宛がっていく。恥ずかしげに頬を染めて髪を上げるタチハナと同じくらい、タケルは顔を赤くしていた。
初々しい二人に、シノブ達も思わず笑顔になる。そしてタケルがネックレスを着け終えたとき、室内に少女達の歓声が響いた。何故なら、タケルはタチハナを抱きしめ、彼女の耳元で愛の言葉を囁いたからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年6月30日17時の更新となります。




