17.18 示される真実 後編
ヤマト王国の都の周辺には、数多くの埋葬地が存在した。ただし、それらの実情は葬られる者の身分により様々であった。
大王家やその分家は北の大神宮の近くに陵墓を持っており、同じように家臣達も家格に応じた墓所を都の周囲に設けている。これらは墓守もいれば神官達による祭儀も日常的に行われ、命日などには遺族や子孫が訪れる。そのため墓という言葉とは裏腹に、むしろ風光明媚な場所であった。
しかし庶民の埋葬地だと殆どは粗末な石塔だけで、ごく稀に小さな廟がある程度だ。しかも郊外でも特に寂しい一帯にあり、多くは守り清める者もいない。そのため夜ともなれば怪異が現れても不思議ではない不気味さに包まれる。
アダシと呼ばれる都の西の埋葬地も、そんなおどろおどろしい場所の一つであった。
今は夜明け前で、空は明るく染まりつつあるが大地は闇に包まれている。そのため無数の石塔が並ぶ光景は、死者の世界と言わんばかりの寂寞たる空気に満ちていた。
当然ながら、そんなところに人影は存在しない。しかし空からアダシに向かう者達がいる。それは、姿を消したシャンジーと彼の背に跨るシノブとアミィである。シャンジーは普通の虎くらいの大きさに変じ、二人を乗せて飛翔しているのだ。
──こんなところに潜んでいたのか──
──邪術を行うには、こういった寂れた場所が好都合なのでしょう──
呆れ気味のシノブに、アミィが彼と同じく思念で応じる。
シノブ達が追っているのは、大王家の家臣で目付でもある中部多知麻呂だ。
──僅かだけど符に魔力が残っていて助かったね──
──符は魔道具の一種で、術者の魔力を込めたものですから──
シノブとは違い、アミィには符術の知識もあった。
アミィはアムテリアの眷属で、自身が使うもの以外にも様々な術を知っている。そして、彼女が知る術は、エウレア地方で使われるものだけではなかった。
大王である大和威利彦や彼の次男の健琉は符術により襲われた。
イリヒコによると、彼やタケルを襲撃した紙人形は、ナカベが代々伝えてきた符術によるものだという。本来ナカベの符術は自身の魂を乗り移らせる技だが、そこから他者の霊を式神とする禁術が派生した。そしてイリヒコは、自分達を襲ったのがナカベの流れを汲む邪術だと告げたのだ。
符の人形には動物霊が憑いていたらしい。それらの霊はマリィ達により成仏したが、術者の魔力は符に残っていた。そしてシノブ達は、同じ波動を持つ魔力を探し、ここまで来たわけである。
なお、術者がタチマロであることは確実であった。タチマロの屋敷には彼の作った祭祀具があり、それにも符と同じ魔力波動が宿っていた。これらの判別は容易ではないが、極めて高い魔力感知能力を持つシノブであれば、充分可能なことであった。
──ここで式神に魂を閉じ込めたの~?──
シャンジーが、不快感の滲む思念を放つ。もちろん、彼の憤りはシノブ達に向けられたものではない。彼が怒りを抱いているのは、タチマロである。
タチマロは、イリヒコやタケルを襲っただけではない。狐の獣人の少女穂積泉葉や彼女の両親を襲撃させたのもタチマロの仕業だと判明している。これは、タチマロの手下である武人達が白状したから間違いない。
幸いにもイズハは危機を脱したが、彼女の両親は娘を守って命を落とした。更に十年前の疫病も、彼の仕組んだことではないかという疑念もある。それらを知ったシャンジーは、普段の温厚な彼からは想像できないほど憤激しているのだ。
──おそらくは。少なくとも、作った式神をここに隠していたのは間違いないでしょう──
アミィもシャンジーと同じ考えのようだ。
式神に宿っていた動物霊は、神官や祭祀を司る家系で修行を積んだ者なら見抜けるらしい。したがって、合わせて二百を超える式神を屋敷に隠していれば気付かれる可能性は高い。
何しろタチマロを含むナカベは祭祀を受け持つ一族で、彼の親族や知人には同じ術を使う者がいる。そんな者達がタチマロの屋敷に訪れたら、大量の霊を感知するに違いない。
そのためアミィは、式神の作成や保管をここで行っていたと考えたようだ。
庶民の埋葬地であるアダシは広大だが、大半は小さな石塔が並ぶだけだ。しかし数少ないが所々に小さな廟があり、それらは狭いが雨風を凌ぐくらいは可能だろう。しかも幾つかは、多少の作業が出来そうな広さがあるのだ。
──あっ、あそこだ! あの祠から魔力を感じる!──
シノブが指差したのも、そういった廟の一つである。大人が二人か三人も入れば身動きも出来ないくらい小さなものだが、漆喰で固められた壁に瓦を葺いた屋根がある立派なものだ。おそらく、かなり裕福な家が建てたものだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
新たな一日の始まりを告げる日輪が都の東を囲む山々の上から顔を出し、廟や周囲の石塔を照らしていく。
その清冽な輝きの中を、シャンジーが静かに降下していった。そして彼は廟の前に静かに降り立ち、姿消しを解除する。
「タチマロ、そこにいるのは判っている! 大人しく出てくるのだ!」
シノブは、普段とは違う口調で呼びかけた。今回シノブ達は、ヤマト王国の人々に正体を告げるつもりは無い。そこで彼は、ナニワの町と同じく神の使いを演ずることにしたわけだ。
「……何者?」
シノブが鋭い声で呼ばわると、廟の中から一人の男が姿を表した。もちろん、出てきたのはタチマロである。
タチマロは、墨のように黒い衣装を身に着けていた。身に着けているのは目付の装束ではなく、神官のような袍と袴だ。簡単に言えば、公家の正装のような服である。
ただしタチマロの漆黒の装束は、どこか不気味であった。おそらく、それは彼自身が纏っている妖気と言うべき何かによるものだろう。
「……タケル王子の光る虎?」
最初タチマロはシャンジーに顔を向けていた。
タチマロはシャンジーに会ったことはないが、タケルらしき人物が光る虎と共に都へと向かっているというのは、大王家の上級官なら周知の事実だ。そのためシャンジーを見た彼は、タケルの連れてきたものだと察したのだろう。
「それに、あなた達は?」
タチマロは、次にシノブ達を見つめる。しかし彼には思い当たる相手は無かったようで、怪訝そうな表情となっていた。
シノブの服は、ナニワの町でタチマロの弟である多知人に見せたものと同じだ。つまり、薄く紋が浮かんだ白の袍と同色の袴である。
シノブの衣装はタチマロのものと良く似ている。しかし、ヤマト王国では白の袍と袴は大神宮の祭司の正服で、しかもシノブの装束は淡い光を放っている。それはアミィが着ている巫女装束も同様で、白衣と緋袴もシノブと同じ輝きに包まれていた。
どうやらタチマロは、シノブとアミィに畏れに似た感情を抱いたらしい。彼は怖じ気づいたように、僅かに後退った。
「私達は、そなたを裁く者です」
アミィの姿には、神の使いに相応しい威厳が溢れている。そのためだろう、彼女の言葉は静かで声も大きくはなかったが、タチマロは何かに縛られたかのように動きを止める。
「そなたの手の者、イズハ達を襲撃した者達は既に捕まり罪を認めています。そしてイリヒコやタケルは私達の仲間が守りました。そなたの禁術など、私達には通じません」
アミィは一歩前に進み出て、タチマロを断罪した。十歳程度にしか見えないアミィだが、彼女の表情や声音には長き時を生きた存在だけが持つ何かが宿っている。
「神々が……直接介入すると……」
搾り出したかのように微かなタチマロの声には、驚愕が滲んでいた。
タチマロは、アムテリアや従属神の存在自体は認めているようだ。しかし彼は、人と人の諍いの解決に神々や眷属が乗り出すとは思っていなかったらしい。
この惑星を整え全ての命を創造したのはアムテリアだ。そして彼女は自身の従属神や眷属と共に、人々に知恵を授けたという。しかしそれは創世の時代のことで、以後は神々や眷属が降臨することは殆ど無かったという。
例外は今から五百年以上昔のエウレア地方だが、これはベーリンゲン帝国に潜んでいた異神に対抗するための措置だったようだ。したがって多くの者は、神々とは畏れ敬うべきだが人の世に関与することのない存在だと認識している。
しかし今、明らかに超自然の気配を纏う者達がタチマロの前にいる。並の者なら魔力の多さに気が付くだけかもしれないが、祭祀を司るナカベの一族だけにシノブやアミィの正体を察したらしい。
「たとえ神々だろうと、素直にやられるわけには……」
タチマロは、袂から何かを取り出しつつ呟いた。どうやら彼は、諦めてはいないようだ。
『オマエの……アイテは……ボクだ……イノチを……ケガすオトコ……』
地の底から響くような声を発したのは、タチマロの前に進み出たシャンジーであった。
だが、シャンジーは口を閉ざしたままである。何と彼は、魔力障壁で大気を振動させて音声を作り出したのだ。
現代の地球なら普通に知られている通り、音は空気の振動である。したがって、スピーカーのように空気を振動させれば音を発することが出来る。とはいえ理論的に可能なだけであり、秒間に数百回もの振動を正しい波形で発生させるなど極めて困難なことである。
しかしシャンジーは風を操るのを得意とする光翔虎だ。しかも彼らは魔力障壁の構築も得手であり絶招牙と呼ばれる必殺技にも用いている。そのためシャンジーは、魔力障壁での発声を編み出したわけだ。
もちろん、これはシノブやアミィの知識があってのことだ。暫く前にシャンジーは思念を交わすことが出来ず『アマノ式伝達法』も知らない人間と会話する方法が無いかとシノブに問うた。そしてシノブは、音とは空気の振動だとシャンジーに教えたのだ。
そしてシャンジーは密かに習得に励み、近い将来タケル達を驚かそうと頑張っていた。とはいえ彼の技は未完成で、発声は滑らかというには程遠かった。そのため彼は、今まで秘していたわけである。
しかしシャンジーは、自身の思いをタチマロに直接ぶつけずにはいられなかったのだろう。天地を揺るがすかのような轟きは、彼の激しい憤りを示すに余りある。
「命を汚す男……私に相応しい名ですね!」
タチマロは、手にした何かをすぐ近くの石塔に投げつけた。彼が投じたのは紙片らしいが、紙とは思えない速度で宙を進み、石に張り付いた。
『フジュツだな……ム!?』
シャンジーは、タチマロが投げた紙片が符だと見抜いたようだ。
極めて優れた動体視力を持ち高度な身体強化の出来る光翔虎には、常人の動きなど止まっているも同然である。したがってシャンジーが見破ったのは至極当然だが、その彼も次に起きたことは完全に想定外だったようだ。
何と符が張り付いた石塔は宙に浮かび、更にそこに周辺の石塔や石畳が集まっていったのだ。しかも飛んできた石は数え切れないほどで、瞬く間に小山のように巨大な塊となっていく。
◆ ◆ ◆ ◆
『サルか……シカシ……』
シャンジーの言葉通り、石の塊は巨大な猿の像となっていた。背は本来のシャンジーの体長と同じくらいで、およそ身長20mくらいだろうか。だが、驚くべきは巨体だけではない。石で出来た猿の像には三つの顔があり、六本の腕が生えていたのだ。
一つの頭の正面と左右に合計三つの顔があり、肩から三本ずつの腕が生える姿は、まるで阿修羅像のようである。しかしタチマロの術が造った像は元が猿だからか体は太く前屈みで、仏像のような美しさは持ち合わせていない。
「そうです! これは岩猿の魂で造った式神なのですよ! しかも複数の魂を混ぜた特別製です!」
タチマロは、得意げな表情となっていた。
おそらく岩で出来た式神には、三匹の岩猿の魂が宿っているのだろう。もっとも、タチマロの口振りからすると、魂は完全に一体化しているのかもしれない。実際に、三面六臂の巨猿の動きは元が三つの魂からなるとは思えないくらいに自然であった。
「行け、豪利! 虎を叩き潰せ!」
豪利というのは、式神の名前なのだろう。タチマロが叫ぶと、巨大な猿は上から拳を打ち下ろす。
相手が聖なる存在と呼ばれる光る虎であっても、これだけの大きさの違いがあれば充分対抗できる。タチマロは、そう思ったに違いない。
『コチラも!』
しかしシャンジーは、ただの虎ではない。彼は一瞬にして元の大きさに戻り、振り下ろされる岩の腕を自身の前脚で打ち砕いた。
──単なる岩の塊がシャンジーに勝てるわけは……何、また集まっていく!?──
──石塔や石畳が集まったものですからね──
思念を交わしているのは、距離を取ったシノブとアミィである。
シノブ達は、タチマロのことはシャンジーに任せるつもりであった。シャンジーは、黒幕に報いを与えるとホヅミ家の者達に誓った。それを聞いたシノブとアミィは、よほどのことが無い限り手出しを控えるとシャンジーに約束したのだ。
それはともかく、巨大な石の像は一瞬にして元に戻っていた。
確かに一度はシャンジーの前脚が石像の腕の一つを砕いた。しかし腕を構成していた石は、あっという間に元の場所に戻っていったのだ。
それどころか、石像には未だに周囲から石が集まっている。そのため猿の像は現在も少しずつ大きくなっていた。
──シャンジー、符を狙うんだ! たぶん符を破れば術は解ける!──
──そうですよね~! でも、どこにあるんだろ~!──
シノブが伝えるまでも無く、シャンジーも符を狙おうとしていたようだ。しかし符の張り付いた石塔は、巨大な像の奥深くに入ってしまったらしい。少なくとも、巨猿の像の表面に符らしきものは見当たらない。
──魔力は全体を覆っていますね……シノブ様、ともかく一旦ここから引き離しましょう! このままではお墓が全て滅茶苦茶になってしまいます!──
──分かった!──
シノブは、アミィが差し出した光の額冠を身に着けた。そして彼は異空間を作り出し、その中に自分達と三面六臂の岩猿、そしてタチマロを移動させる。
◆ ◆ ◆ ◆
「こ、これは!?」
「ここは、この世ならざる場所。そなたの邪術で墓所が汚されぬように、私が創り出したのだ」
驚愕するタチマロに、シノブは神の使いらしい威厳を保ちつつ応じた。
早くこうしておけば良かった。平静な表情を保つシノブだが、内心では後悔せずにいられなかった。最初からタチマロを額冠の創る異空間に移しておけば、墓が荒らされることは無かったからだ。
「流石は神々の使い……だが、豪利はもう充分に育っています!」
動揺を顕わにしたタチマロだが、巨大な式神を見て表情を明るくした。
三面六臂の式神、つまりタチマロが言うところの豪利は、最初の1.5倍ほどに巨大化していた。おそらく背は30mほどもあるだろうか。シャンジーも体長20mに近い巨体だが、四つ足の彼は高さで言えば10mも無い。そのため両者の差は更に大きく感じる。
「これは、私がナカベの術から作り出した秘術中の秘術です。最初はそこらの弱い獣を狩り、それらを集めて魔獣を倒し、更に魔獣の中でもより強い魂を得ていく……そうやって魂に魂を食わせ造り上げたのが、この豪利ですよ!」
タチマロは、己の編み出した術を自慢げに語っていく。
それは、いわば蠱術というべきものらしい。倒したものを吸収させるだけではなく、有力な候補同士を争わせて強い式神を作り出す。どうやら、そのような邪悪な術のようだ。そうやって無数の魂を集めたから、曲がりなりにもシャンジーと戦えるのだろう。
「外道め……」
シノブはタチマロを倒したいという衝動を何とか抑え込んでいた。
タチマロに鉄槌を下すのはシャンジーの役目だ。シノブは、何度も心の中で呟き己を落ち着かせていく。
「この世は強い者が勝ち残る……」
『ナラバ、ボクがカツ。オマエはヨワイ』
得意げなタチマロの言葉を遮ったのは、シャンジーだ。そして彼は猛烈な速度で縦回転をしつつ、三面六臂の式神に突っ込んでいった。
これは車輪の絶招牙という技である。しかもシャンジーの全身は、普段以上に眩しい光で包まれている。
シャンジーが使ったのはブレスと組み合わせた絶招牙、従兄弟のフェイジーとの決闘で披露した切り札だったのだ。
「ご、豪利が!?」
蒼白な顔でタチマロが叫ぶ。
シャンジーの絶招牙は巨大な式神の胴体を真っ二つに割り、しかも回転を続けたまま上に昇っていく。どうやら彼は、どこにあるか判らない符を特定するより全てを粉砕する方を選んだらしい。
若き聖獣は、物凄い勢いで岩を撒き散らしていく。そして元は石塔や石畳であったものの破片は、途轍もない速度で異空間の地面に突き刺さっていった。
シノブやアミィは魔力障壁で防ぎ、タチマロも何かの符で身を守っており影響は無い。しかし、この技をアダシの埋葬地で使えば、墓所の大半が破壊されていただろう。おそらくシャンジーは異空間なら遠慮は不要だと判断し、最も破壊力のある技を繰り出したに違いない。
──魔力が消えた!──
──はい!──
シノブとアミィは歓喜の思念を発していた。シャンジーが三面六臂の岩猿の首元近くまで到達したとき、未だ無傷の頭部や腕、それに腰から下が崩壊していったのだ。そして、ほんの僅かな間に豪利と呼ばれた巨大な岩の式神は、単なる岩屑の山へと変じていた。
おそらく、符の張り付いた石塔は胸部にあったのだろう。もしかすると心臓に相当する位置にあったのかもしれない。根拠は無いが、シノブはそんなことを考える。
『さあ、ドウする?』
車輪の絶招牙を終えたシャンジーは、素早くタチマロの前に飛翔した。そしてシャンジーは、魔力障壁でタチマロを包み込んでいく。
「うっ、動けない!?」
『このまま、ツブそうか? イズハのオヤたちのようにシようか?』
タチマロの前で、シャンジーは巨大な牙を剥き出し爪を閃かせる。魔力障壁で押し潰されるかイズハの両親達のように斬殺されるか、とシャンジーは問うているのだ。
──アミィ、シャンジーの発声が滑らかになっていない?──
──ええ、間違いありません!──
シノブとアミィは、驚きの滲む思念を交わしていた。シャンジーの発声は、最初の頃に比べ随分と良くなっていた。多少は違和感の残る箇所もあるのだが、それでも長足の進歩を遂げている。
シャンジーは、タケルを守る旅の間に暇を見つけては練習していたらしい。ただし、昼間はタケルと共に旅し、夜間も僅かな時間を狩りで外す以外はタケルの警護をしていたから、練習に使えた時間は多くないのだろう。
狩りの最中に音を発していたら獲物に気付かれてしまうから、おそらくは狩りへの行き帰り、しかも高空の飛翔中など誰の耳にも届かない場所でしか練習できなかった筈だ。そのため、今回何度も連続して使ううちに大きく改善されたと思われる。
◆ ◆ ◆ ◆
シャンジーに驚いたシノブだが、まだすべきことがあると気が付いた。それは、十年前の疫病の真実を探ることだ。
十年前、ヤマト王国の都では女性のみが罹る病が流行した。女性だけというだけでも怪しいのだが、しかも主な患者は年頃か母となる世代だったという。アミィ達もそのような病を知らないというし、シノブは何者かの仕組んだことだと考えていた。
そしてシノブは、タチマロ自身か彼の仲間が十年前の疫病を仕組んだのではと疑っていた。タチマロの符術なら、特定の者だけを対象と出来るのではと思ったのだ。
「タチマロよ。そなたは多くの命を弄んだ。その罪は重く、そなたの命だけでは贖いきれないほどである」
シノブは、タチマロの表情を窺いつつ歩み寄っていく。
最初タチマロは、全くの無表情を貫いていた。しかし彼は、自身だけではなく他にも累が及ぶとシノブが匂わせると、微かに顔色を変えていた。そこでシノブは、一族を盾に脅して真実を聞き出すことにした。
「ナカベの一族からは、そなたのように邪術を編み出す者が出るかもしれない。ならば、この際一族の全てを滅ぼしても……」
「責は私だけにあります!」
シノブがナカベの一族郎党を死罪にすると言いかけたそのとき、タチマロは悲痛な叫びを上げた。彼にも妻子がおり、親や弟もいる。その全てが道連れになるのは耐え難かったのだろう。
「真実を話しなさい。十年前の疫病は、貴方の企んだことではありませんか?」
アミィの言葉は問いかけではあった。しかし彼女の声音には確信めいたものが宿っていた。
シノブ達がタチマロの屋敷を調べたときに、病に見せかける術について記した文書が発見された。それは符術の応用で、病を引き起こすような式神を対象の側に送り込むというものであった。
役目を果たした式神は次の対象へと向かう。しかも発症はその後だから、治癒術士も患者に働きかけた式神に気が付くことはない。そもそも式神を察するのは治癒魔術ではなく魔力感知能力だから、仮に式神が残っていても察知できる者などそうはいない。
「私は大王家を乗っ取りたかったのです。第一王子のタリヒコに取り入り、ゆくゆくは彼を大王にする。そのため私は、十年前からタリヒコに接近しました……」
誤魔化すことは出来ないと思ったのだろう。タチマロは抗うことなく答え始めた。
十年前、タチマロは二十代半ばの青年であった。もっともヤマト王国もエウレア地方と同様で成人は十五歳だから、既に出仕するようになって十年近くが過ぎている。
タチマロは武人として大王家に仕えていたが、本当に得意とするのは呪術であった。ナカベの一族は祭祀を担っており神職や魔術師になる者が多かったのだが、その中でもタチマロは符術に関して天才的な腕を持っていた。
「ですが、符術の大半は禁術とされています。辛うじて使えるのは自身の魂を符に乗り移らせることくらい……そのため私は術で身を立てることを諦め武人となったのです」
タチマロは頭も良かったから、官人の方が出世できただろう。しかし武人であれば、より祭祀から離れられる。
若き日のタチマロは自身の未練を断ち切るため、敢えて遠ざけることにしたわけだ。
「とはいえ武で頭角を現すことはできませんでした。元々大して向いていないのですから当然ですが……才能のある者達を見るうちに、私の心に鬱々としたものが溜まっていきました」
そしてタチマロは、どうして自身の得意な分野が禁じられるのか、と思うようになったらしい。
大王家は高い魔力と治癒などに向いた能力を持っている。それらを人は歓呼で迎え、魂を操る術は忌み嫌う。ならば、禁術が禁術ではなくなる世を作り出せば良い。タチマロは、そう夢想したという。
「十年前の疫病は、巫女を減らすためのものだったのか?」
「はい。巫女……特に長であるヤマト姫の力は侮れません。あの姫巫女達がいる間は、大王家は揺らがない……そう考えたのです。
それに、運が良ければ大王やヤマト姫の命を縮めることも出来るのでは、と」
シノブの問いかけに、タチマロは首肯した。やはり疫病と見せかけたのは、巫女となる女性を減らすためだったのだ。
タチマロは、自身が疑われないように巫女達の力を削ぐことにした。そのため彼は、巫女の素質を持たない女性達まで式神に襲わせたという。
そしてタチマロは、大王であるイリヒコが家臣や民の治療に乗り出すことも想定していた。大王家に直接害を為そうとすれば、ヤマト姫が何らかの神託を得て回避するかもしれない。しかし間接的なものであれば、どうだろうか。彼は、そう考えたという。
おそらく、神託がどのような場合に授かるのか、それを探る意味もあったのだろう。
「幸いにも今まで露見することは無く、またタリヒコに獣人族を嫌悪させることにも成功しました」
タチマロは、武人として成功できなかった。そのため彼は、高い身体能力で功を立てる獣人族の武人達を嫉妬していたのだ。
そしてタチマロは似たような感情を持つ者が多いことに気が付いており、それらを纏めれば充分な勢力になると感じてもいた。そこで彼は、獣人族を判りやすい敵に仕立てようとしたわけである。
「イズハを狙ったのは何故ですか?」
「あの少女は、先に巫女となった親族のようにイツキ姫のお気に入りとなる可能性がありました。それにタリヒコが叔母の下に獣人族が集まることを嫌悪しておりまして……」
どうやらタチマロは、イズハを狙ったのが自身の企みが露見する発端だったと察したようだ。彼は微苦笑とでもいうべき複雑な表情となっていた。
これまでシノブやアミィ、それにシャンジーもイズハのことを口にしている。むしろ大王であるイリヒコや王子のタケルを襲撃したことより、イズハを重視しているようですらある。タチマロは、そう感じたのかもしれない。
確かにシノブ達はイズハを案じてはいるが、これには別の理由もあった。符術についてはマリィ達がどのようなものか見抜き、更にシノブが魔力波動でタチマロの仕業と断定した。したがってシノブ達からすると、その件は充分に明らかであり問う必要を感じなかったのだ。
「……以上です。私が知っていることは、全て話しました。どうにでもしてください」
『オマエはシぬだろう。だが、それはボクのすることではない。イリヒコやタケル、そしてホヅミがいるからな』
シャンジーの言葉が終わると、タチマロの体から力が抜けた。どうやらシャンジーは、魔力障壁を部分的に狭めてタチマロの意識を奪ったようだ。つまり、絞め落としのようにして失神させたわけである。
──シャンジー、良く我慢したね──
──兄貴……本当に辛いのはイズハやホヅミの人達だと思う……だから、ボクが軽々しく手を下してはダメなんだ──
シャンジーは、普段とは違う大人びたようにすら感じる思念でシノブに応じた。それだけにシノブは、彼が大きな葛藤を乗り越えたと否が応でも感じざるを得なかった。
シノブは巨大なシャンジーの側に寄り、彼の前脚をそっと撫でた。するとシャンジーは普通の虎くらいに小さくなり、シノブの体に頭を擦り寄せる。
アミィも、光り輝く若虎を労るように手を差し伸べた。誰も言葉を発することは無いが、互いの思いは通じている。シノブは理由も無く、そう確信していた。
そしてシノブは己の思いを更に伝えるべく、自身を兄貴分と慕う若き光翔虎を優しく抱きしめた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年6月26日17時の更新となります。




