17.08 シャンジーが消えた 後編
光翔虎の雄は、成獣になると親の棲家を離れ各地を放浪する。そして彼らは、放浪中に出会った同族の雄と力を競い合う。これが、光翔虎の決闘である。
あくまで決闘は力比べであり、命を奪うようなことはしない。光翔虎は竜と同じで個体数が極めて少ないから、命のやり取りを繰り返していては、あっという間に絶滅してしまうからだ。
とはいえ決闘では致命傷となる攻撃をしないだけで、光翔虎の奥義である絶招牙なども使う。当然ながら、大きな怪我をすることもあるが、そこは途轍もない生命力と魔力を持つ彼らである。
竜や光翔虎は人間でいう治癒魔術も得意であり、かなりの傷を負っても僅かな時間で完治する。それ故彼らは、決闘とはいうものの実戦同様の激しい戦いを繰り広げる。
そして今、決闘に挑む二頭の光翔虎がいる。
高山の空の上で向かい合う一方は、シノブも良く知るシャンジーだ。彼は百年以上も生きてはいるが、成体になるまで二百年の光翔虎では半人前でしかない。体の大きさは成獣より僅かに小さい程度だが魔力は七割程度で、何より大人のような場数を踏んでいない。
もう一方は、シャンジーの従兄弟に当たるフェイジーだ。こちらは既に三百歳を超えている立派な成獣だ。まだ彼は棲家や番を得ていないが、巣立って百年も経つのだから歳に相応しい充分な経験を重ねている筈だ。
──親父! いつでも良いぞ!──
──バージ伯父さ~ん、こっちも大丈夫です~!──
200mほどの距離を取って向かい合ったフェイジーとシャンジーが、それぞれ思念を発した。どちらも光翔虎の名に相応しく、眩しいほどの輝きを放っている。
フェイジーは20mもの巨体で、シャンジーもそれより僅かに小柄なだけだ。その巨大な体が光り輝く上、漆黒の宙に比較するものは他に無い。そのためシノブは、彼らの距離が実際よりも遥かに近いように感じてしまう。
──うむ──
二頭に呼ばれたバージは、ゆっくりと宙を進んでいく。彼が決闘の立会人を務めるのだ。
その様子を、シノブはアミィやホリィと共にメイニーの背から見ていた。メイニーの脇にはフェイニーも浮かんでいるが、こちらは大きめの虎くらいだ。フェイニーにシノブ達三人が乗ることは可能だが、横に並んで観戦するには少々狭かった。そこでシノブ達はメイニーを選んだのだ。
ちなみにシノブは神職に似た衣装で、両脇のアミィとホリィは巫女のような服だ。そのため神の使いがお供と共に巨大な虎に乗って現れたようでもある。
──御紋の光は使えませんね~──
──それじゃ、インチキでしょ──
フェイニーの思念に、メイニーが呆れたような様子で応じる。
バージもそうだが、メイニーやフェイニーもアムテリアから授かった装具を纏っている。前面に神々の御紋を付けたものだ。
しかしシャンジーは、戦いの前に装具や大きさを変える腕輪を外している。戦いで御紋や腕輪の力を使用させないためだ。
──フェイジーとシャンジーの決闘を始める! 命を奪うような攻撃は避け、勝てぬと思ったら素直に負けを認めること!──
進み出たバージは、自身の息子と妹の息子に声を掛けた。
光翔虎の決闘は放浪中に出会った二頭だけで行われることもあり、その場合は判定役なしで戦う。しかし、両者より序列が上の第三者がいるときは、その者が立会人となる。
そしてここにいる光翔虎で条件に当てはまるのは、バージである。何しろ、彼は六百歳を超えるのだ。それに対しメイニーは成獣になったばかりでフェイニーは一歳にもならないから、双方とも対象外である。
──それでは……始め!──
バージの掛け声と同時に、フェイジーとシャンジーが放たれた矢のように飛び出した。
普通に飛翔しても鳥より速く飛ぶ彼らだ。二頭は一瞬にして距離を詰める。その様子は、夜空に突然生じた巨大な銀色の流れ星のようである。
◆ ◆ ◆ ◆
──なかなかやるな!──
──フェイジーの兄貴もね~!──
光を放っていることもあり、二頭は単に擦れ違ったようにしか見えない。それに途轍もない速度である。仮に彼らの纏う光輝がなくとも、殆どの者は何をしたか判らないだろう。
「フェイジーが五回で、シャンジーが三回か」
当然ではあるが、シノブは二頭の攻撃を見切っていた。
身体強化をすれば力や速度だけではなく諸々の身体能力が向上し、思考速度すら上がる。そのためシノブは、二頭の光翔虎の攻防を見逃すことはなかった。
擦れ違うときに、双方は巨大な前脚で攻撃を繰り出した。これが猫なら単なるじゃれあいだろうが、どちらも刀のように巨大な爪を突き出しての打撃である。当たれば光翔虎でも皮膚は裂け血が飛び散るだろう。
しかし双方とも華麗な動きで躱し、そのまま遥か遠方へと飛翔していく。
「やっぱり、フェイジーさんの方が強いのでしょうか……」
「二百歳も上ですからね……」
アミィとホリィは、浮かない顔だ。光翔虎や竜は、成体になってから身体能力や魔力が大きく上がることはない。とはいえ九百歳くらいまでは緩やかに上昇していくから、彼らの能力は年齢でほぼ決まる。
しかもシャンジーは、まだ成体にもなっていない。そして仮にシノブが感じている魔力量の通りなら、シャンジーはフェイジーの七割以下の力しか持たないことになる。
──シャンジー兄さん、頑張って~!──
再び交差する二頭を見ながら、フェイニーが思念を発した。彼女は自分も戦っているつもりなのか、彼女は前脚を突き出したり体を揺すったりと忙しい。
フェイニーは、実兄であるフェイジーではなく従兄弟のシャンジーを応援することにしたらしい。もっとも兄ではあるが百年近く放浪しているから、フェイニーはフェイジーの顔すら見たことがない。そのため、親近感が湧かないのかもしれない。
──敵わなくても良いから善戦してほしいわ──
メイニーは、どちらを応援すべきか迷っているようである。
彼女は、フェイジーを異性として意識しているらしい。フェイジーがエウレア地方から旅立ったとき、彼女は今のシャンジーくらい、つまり百歳ほどであった。そのため彼女は、将来一人前になったフェイジーが戻ってくるのを待っていたのだろう。
メイニーによれば、フェイジーは若手の成獣として充分な域に達しているらしい。シノブが見たところでも、フェイジーはバージ達のような棲家を持った者達ほどではないが、メイニーよりは強そうである。
フェイジーは、人間と共に旅しているシャンジーを見て理由も聞かずに連れ去るような、そそっかしいところがある。しかし正面切っての戦いなら、シャンジーより何枚も上手なのだろう。
「そうだね……でも、あれだけの啖呵を切ったんだ。きっと何かやってくれる……俺はそう思っているよ」
シノブは凄まじい勢いで行き交い衝突する二頭を見ながら、願望混じりの言葉を口にした。
自身の粗忽で騒動を起こしたフェイジーは、何か償いをしようと思ったらしい。彼は、シャンジーに代わりヤマト王国の第二王子大和健琉の護衛をしようと言い出した。
しかしシャンジーは、護衛役を譲らないと言い放った。彼は、自身が弟分としたタケルを案じヤマト王国に残ったほどだ。最初はシノブに命じられ護衛役となったシャンジーだが、共に過ごすようになって二十日近く、タケルの存在は彼にとって非常に大きなものに育っていたらしい。
何しろ、上下関係に厳格な光翔虎が兄貴分の言葉に逆らうのだ。更に上位であるシノブやバージがフェイジーを止めるならともかく、その前にシャンジーが逆らうなど普通ではありえないことである。
◆ ◆ ◆ ◆
幾度も繰り返された二頭の衝突は、一旦途切れる。フェイジーが、大きく距離を取って動きを止めたからだ。
──お前……本当に百歳か?──
フェイジーは、感心を顕わにした思念を発した。彼は、シャンジーがここまでやるとは思っていなかったらしい。相手を量るような彼の視線は、それまでより鋭さを増したようである。
──ふっふっふ~。ボクはバージ伯父さん達にも特訓してもらったんだ~。アルマン島にいる間にね~。それに~、おっと……ここからは内緒だよ~──
シャンジーの言葉は、嘘ではない。アルマン王国の騒動の間、光翔虎達は彼の地で探索役として活躍した。そのときシャンジーは自身の両親だけではなく他の大人達からも技を学んだのだ。
──まさか、八つの絶招牙を全て!?──
フェイジーの思念には驚愕が滲んでいる。まだ二頭は絶招牙を使っていない。しかし彼はシャンジーの様子から、何かを悟ったようである。
──バレちゃ仕方ないね~。八つ全部、完全に習得したよ~──
シャンジーは、自慢げな様子で応じる。
光翔虎の奥義である絶招牙には、八つの技がある。そこには高速で回転しながら爪や牙の攻撃を繰り出すものや、分身のように激しい動きで敵を翻弄するものなど、多彩な技が含まれる。
しかし、それらを極めるには一つだけでも数十年は必要で、シャンジーくらいの歳だと半分を実戦に使えれば充分らしい。つまり彼は、技だけなら大人に匹敵すると言っているのだ。
「どうやら、竜と共に過ごしたことは伏せるようだね」
「そこに勝機がある……そういうことでしょうか?」
シノブとアミィは、顔を見合わせた。
シャンジーは、アルマン島に行くまで炎竜イジェと共に子竜やフェイニーの面倒を見ていた。当然ながら、その間は狩りを通して竜の戦い方も見ている。おそらく、これだけ多くから技を学んだ光翔虎はシャンジーが初めてであろう。
しかしシャンジーは、そのことには触れなかった。己の力を自慢したいなら竜のことも触れる筈だが、彼は途中で口を噤んだのだ。
一方のフェイジーは、従兄弟が隠したのは絶招牙に関してだと思ったようだ。だが、シャンジーには更に奥の手がある。
もしかすると、シャンジーは絶招牙を仄めかすことでフェイジーの目を逸らそうとしたのか。そう思ったシノブの顔に笑みが浮かぶ。
──シャンジー兄さん、カッコいいです~!──
──フェイニー、お前は俺の妹なんだろう!?──
はしゃぐフェイニーに、フェイジーは衝撃を受けたらしい。フェイジーは、決闘の相手から妹へと顔を向ける。
二頭が顔を合わせるのは初めてだが、彼は妹であるフェイニーが自分より従兄弟に懐いているのが信じられないようだ。
会ったこともない兄より身近な従兄弟に親しみが湧くのは当たり前ではと、シノブは思う。しかしフェイジーに、そういう発想は無いらしい。
──うっかりもののフェイジー兄さんはダメダメです~──
──そ、そんな……シャンジー、小手調べは終わりだ! 本気で行くぞ!──
ツンと顔を逸らしたフェイニーの様子に、フェイジーは本気で尊敬されていないと理解したのだろう。そこで彼は、シャンジーを倒して兄の威厳を取り戻そうと考えたようだ。
──まずは姿消しだ!──
一際強い思念を発したフェイジーの姿が掻き消える。彼は宣言通り光翔虎の得意技を使ったのだ。
──負けないぞ~!──
続いてシャンジーの姿も消える。そのためシノブ達の前には、立会人であるバージが浮かんでいるだけとなった。
しかし戦う二頭は互いの位置を掴んでおり、互いに姿を消したまま技を放っている。
「どうなっているのですか?」
「シャンジーは分身の絶招牙だ。フェイジーの技は撃壁の絶招牙だね」
ホリィの問いに、シノブは目を閉じたまま応じる。シノブは、姿消しを使った光翔虎の魔力を感じ取ることが出来るようになったのだ。
姿を消した二頭は激突した。そして、シャンジーが瞬間的に通常の十倍以上もの速度で動いて三方からフェイジーへと噛み付こうとする。これは彼がシノブとの決闘で使った、分身の絶招牙である。完全に習得したというのも誇張ではないようで、シャンジーはシノブと戦ったときに倍する速さで奥義を放つ。
対するフェイジーは両前脚で繰り出した無数の打撃で壁を作り、襲い掛かる従兄弟の接近を許さない。これは撃壁の絶招牙という技で、単なる打撃ではなく空気と魔力の壁で相手を封じるものだ。シノブには、彼が放った膨大な魔力がありありと感じられる。
魔力での感知だからシノブにも大まかにしか判らないが、これらの技はシャンジーやメイニーから何度も見せてもらっている。そのためシノブには戦いがどのように進行しているか充分に把握できた。
──流石シノブさん! あっ、今度はシャンジーが車輪でフェイジーさんが竜巻よ!──
メイニーが言う通り、シャンジーは高速前転の絶招牙を使いフェイジーの体を切り裂こうとする。しかしフェイジーは横回転の絶招牙で魔力の込もった風を巻き起こし、迫り来る牙と爪から身を守った。
車輪の絶招牙は、メイニーや彼女の父のダージが得意とする技だ。そしてシノブが魔力で感じたのが正しいなら、シャンジーの回転はメイニーやダージに匹敵する。
やはりシャンジーはアルマン島にいる間に随分と修行したらしい。フェイジーは魔力の暴風で押し返すが、僅かに押されているようですらあった。
──私には見えないです~!──
フェイニーには、シャンジーの健闘を見ることは出来ないようだ。成獣であるメイニーとは違い、幼いフェイニーには流石に無理ということらしい。彼女は不満げな思念を漏らしている。
光翔虎は、姿消しを使った状態で相手の場所を掴めるようになるまで修行する。これを学ばないことには決闘に勝つなど夢のまた夢であり、親元を離れるまでに神経を研ぎ澄ませば相手の位置を把握できるようになるという。
そのため不意打ちならともかく、正面切っての戦いだと姿消しも目くらまし程度にしかならないらしい。
「フェイニー、これを使うと良いですよ。そのままでは使えませんから、私達と同じくらいの大きさになってください」
「アミィ、これは?」
シノブは、アミィが差し出したものを見て首を傾げた。
それは、緑色の半透明なガラスのようなものと、片方だけの耳当てらしきものが繋がったものであった。大まかにいえば片方だけの眼鏡のレンズが、やはり片方だけのヘッドフォンと一体になったような品である。
「これは魔力眼鏡……魔力を感じ取る神具です。つい今しがたアムテリア様が授けてくださいました。たぶん、フェイニーのことを可哀想に思われたのでしょう」
アミィは大型犬くらいの大きさになったフェイニーの側頭部に、耳当てを押し当てる。すると、魔力眼鏡はフェイニーの頭に張り付いた。
──見えます、見えますよ~! ぼんやりとですけどフェイジー兄さんの姿が! ……ところでアミィさん、この五十三万というのは何なのですか?──
「それは魔力の強さです。本来は魔力を測るための装置ですから……」
感激の叫びを上げるフェイニーに、苦笑気味のアミィが応じる。そして彼女は、更に同じものを魔法のカバンから三つ取り出した。アムテリアは、シノブ達の分も用意していたのだ。
「シャンジーが三十七万か。バージは六十五万……やっぱり親世代は凄いな」
シノブも早速装着してみる。すると、半透明な板にシャンジーやフェイジーの姿が薄く浮かび上がり、それと重なるように数字が出る。
シャンジーの魔力は、シノブの予想通りフェイジーの七割ほどである。それにバージの数値もシノブの感覚と一致する。やはり、シノブの魔力感知能力は極めて精度が良いのだろう。
「シノブ様は計測不能と出ています……」
シノブに顔を向けているのは、ホリィであった。彼女は感嘆の表情でシノブを見つめている。
──流石シノブさんです~! いくら私達に魔力を与えても大丈夫な筈です~!──
フェイニーは、シノブの頭にペタリと張り付いた。どうやら彼女は、早速シノブの魔力を貰うことにしたらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
当然ではあるが、シノブ達が魔力眼鏡を装着している間も戦いは続いていた。彼らは互いに八つの絶招牙を駆使しているが、勝負は決まらないままである。
──シャンジー! 確かに凄いが、それでは俺に勝てんぞ! どの技も俺の方が上だ!──
フェイジーが叫んだのは事実であった。
均衡していたのは偶然ではない。フェイジーは弟分のシャンジーに勝る力を持ち、更に様々な経験を重ねている。そのため、上手く相手の技を封じていたのだ。
──流石だね~。でも、これならどうかな~?──
シャンジーは、そう答えるとフェイジーから距離を取った。そして彼は宙の一点で動きを止める。
──やられちゃいます~! あ、あれっ!?──
一直線に襲い掛かるフェイジーを見て、フェイニーは悲鳴のような思念を発した。しかし、その直後に彼女は困惑したような声を上げる。
──シャンジー!? シャンジーが消えた!?──
メイニーも驚愕の滲んだ思念を発している。
元からシャンジーは姿を消している。したがって、メイニーが驚いたのは別のことだ。彼女は、シャンジーの魔力を感じ取れなくなったらしい。
「シャンジーさんの魔力、急激に減っています! これは!?」
アミィが言うように、魔力眼鏡に表示されているシャンジーの魔力は激減していた。それに半透明な板に映る姿も、先ほどより薄れている。
「魔力隠蔽だ……今までも使っていたけど、更に強化したんだろう。だから、魔力感知でも感じ取れないくらいになったんだ」
シノブも自身の感知能力では、シャンジーがどこにいるか大まかにしか分からない。それほど見事にシャンジーは魔力を隠している。
単に姿を消しただけなら、ここにいる者であれば魔力で居場所を把握できる。しかし光翔虎の姿消しは魔力も隠すから、極めて優れた感知能力を持つ者しか察知できない。
そしてシャンジーの魔力隠蔽は、専用の魔道具より遥かに高度なものらしい。フェイジーや審判役のバージも彼を発見できないようで、辺りを見回すだけだ。
──くっ、接近すれば!──
相手の動きを掴むのを諦めたのだろう、フェイジーは動きを止めた。魔力眼鏡に映っている彼は、目を閉じている。どうやら彼は、精神を集中し迎撃に備えているようだ。
光翔虎の攻撃は爪や牙を使った直接的なものか魔力を使っても比較的短距離なもので、竜のブレスのような遠距離攻撃は出来ない。そこでフェイジーは、相手の接近を待つことにしたのだろう。
──な、なんだ!?──
しかし、フェイジーの集中は長く続かなかった。彼は突然発生した魔力の奔流に吹き飛ばされたのだ。
──あれはブレスですか!?──
「確かに竜のブレスと同じだね……いつの間に」
魔力眼鏡を装着したフェイニーやシノブ達には、シャンジーの姿が見えている。フェイジーの背後に移動したシャンジーは、咆哮するように開いた巨大な口から魔力を放ったのだ。
シャンジーのブレスに本物の竜ほどの威力は無いが、フェイジーの姿勢を崩し集中を遮るには充分であった。予想もしない方向から飛んでくる魔力の塊に、フェイジーは幾度も弾き飛ばされる。
そして高速回転しながら迫ったシャンジーは、体当たりと同時に放ったブレスでフェイジーを地上に弾き飛ばした。
これは彼が岩竜の子ファーヴと作り上げた技、回転ブレスである。光翔虎の技で言う車輪の絶招牙とブレスを組み合わせたものだ。
──お、俺がシャンジーに負けるのか? そ、そんなっ!?──
フェイジーは、彼らの飛翔を上回る猛烈な速度で地上へと落ちていった。そして彼は、高山を覆う雪に巨大な穴を開け、その中に姿を消した。
──シャンジーの勝ちだ!──
バージは、高らかにシャンジーの勝利を宣言した。そして次の瞬間、シャンジーが姿を現す。
「シャンジー、良くやったな!」
──シャンジー兄さん、凄いです~!──
シノブが祝福の言葉を掛け、フェイニーが従兄弟へと飛んでいく。
──シノブの兄貴~、ありがとうございます~! フェイニーちゃ~ん、それ何なの~?──
シャンジーは、シノブの言葉に尻尾を揺らして喜びを表した。そして彼はフェイニーに顔を向けたが、彼女が着けている魔力眼鏡に首を傾げる。
──魔力眼鏡っていうんですよ~! 姿消しを使っても見えるんです~──
魔力眼鏡を装着しているからだろう、フェイニーは小さくなったままである。そして彼女は、シャンジーの差し出した前脚に降り立った。
──そうなんだ~、凄いね~──
シャンジーは、感心したような思念を発しながらフェイニーを見つめている。
彼の思念は、先ほどまで戦っていたとは思えない暢気なものであった。そのためシノブやアミィ、そしてホリィは頬を緩めてしまう。
◆ ◆ ◆ ◆
──凄いのはお前だ……負けたよ──
雪の中から空に戻ったフェイジーが、悔しげな思念を発する。彼は、成獣にもならない弟分に負けたのが恥ずかしくて堪らないのだろう。
──フェイジーさん、これからはシャンジーのことを兄貴って呼ばないとね。わたしもそう呼ぼうかしら……シャンジーの兄貴!──
──そ、そんな~!
これはシノブの兄貴やアミィ殿に教わった魔力操作と皆から学んだ技があったからだよ~。それに初めてだから通用したけど、メイニーさんやフェイジーの兄貴が覚えたらボクじゃ勝てないって~。だから、兄貴は無しで~──
メイニーが冷やかすと、シャンジーは動揺の滲んだ思念を返した。その様子が意外だったのか、メイニーとフェイジーは彼をじっと見つめている。
──確かに習得すれば勝てるだろうが、それには随分と時間が掛かる筈だ。
フェイジー、お前の慢心が負けを招いたのだ。最初から全力で挑めば勝てただろうに……だが、それもシャンジーの作戦なのだろうな。お前は相手の策に見事に嵌まったのだ。
……シャンジーよ。その歳で全ての絶招牙を習得し、更に我も見失う魔力隠蔽を使い、竜の技すら己のものとしたのだ。遠慮せずに勝者と名乗るが良い。少なくともフェイジーが技を覚えるまでは、お前が上だ──
バージは、重々しい思念で二頭の若い雄に語り掛ける。そしてシャンジー、メイニー、フェイジーの三頭は彼の言葉を神妙に畏まって聞いている。
例外はフェイニーである。彼女はシャンジーの頭の上に移動し、自身の顔を擦り付けている。どうやらフェイニーは、大活躍をした従兄弟を大幅に見直したらしい。
──は、はい~。でも……ボクはタケルのところに行くから~──
シャンジーは、兄貴と呼ばれるのが嫌なのだろう。彼は、タケル達の護衛を理由に去ろうとする。
──しゃ、シャンジーの……兄貴……お供させていただきます──
フェイジーの思念は、大きく揺れていた。半人前と侮っていたシャンジーを、一時的にでも兄貴と呼ばなくてはいけないのは、彼にとって途轍もない屈辱なのだろう。
──私もお目付け役として付いていこうかしら。子供達も手間が掛からなくなってきたし、フェイジーさんはそそっかしいから──
メイニーは、フェイジーを同行させるのに不安を抱いたのかもしれない。もしくは、異性として意識していた彼を助けようと思ったのだろうか。随分な失態を見せたフェイジーだが、まだメイニーは見捨ててはいないようだ。
「メイニーさん、まずはフェイジーさんに色々教えたらどうでしょう? それに、まだ『アマノ式伝達法』を知らないでしょうし」
「そうだね……あっ、そもそも腕輪が無いと人間に同行するのは無理だけど……アミィ?」
ホリィの言葉に頷きかけたシノブだが、根本的な問題に気が付いた。
小さくなる腕輪がなければ、人間の護衛など無理である。20mもの巨体のままでは、姿を隠してタケル達の上空で待機しているくらいしか出来ないだろう。
そうは思いつつ、シノブはアミィに期待の視線を向けた。彼は、自身が母と慕う女神なら既に準備をしているのでは、と思ったのだ。
「はい、腕輪や神々の御紋、それに装具は授かっています! ですから、そちらは問題ありません!」
アミィはシノブに微笑んだ。やはり、アムテリアは必要なものを用意していたのだ。
「アミィ、ありがとう。でも、多少は常識を身に付けた方が良いかな。それにメイニーの件は、ダージに断りを入れるべきだろう」
──うむ、そうしてくれると助かる。メイニーは雌だからな──
シノブの言葉に、バージは安堵したような思念で応じた。
バージは『光の使い』と敬うシノブの言葉なら受け入れるつもりだったようだ。しかし、その一方でメイニーの父であるダージの了解を得るべきだと思っていたのだろう。
メイニーはフェイジーやシャンジーとは違い雌である。そして普通なら雌の光翔虎は、親の許可を得なければ他の雄と共に暮らすことはない。タケルの護衛をするだけで番になるわけではないが、そうはいっても万一ということもある。おそらくバージは、そう考えたに違いない。
「じゃあ、一旦俺達と一緒にエウレア地方に行こう。もしかすると、フェイジーはダージと戦うことになるのかもね」
──今度は油断しません!──
シノブが笑いかけると、フェイジーは力強い思念を返した。
フェイジーは勝負に負けないと宣言しただけなのだろう。しかしシノブは、隣のメイニーの尻尾が大きく揺れていることに気が付いた。
もしかすると、今日は二つの光翔虎のカップルが誕生したのかもしれない。もっとも、シャンジーとフェイニーが結ばれるとしても番になるのは二百年も先のことだ。しかしフェイジーとメイニーなら、さほど待つことはない筈である。
──フェイジーさん、今度はしっかりしてね! もし情けないところを見せたらバージさん達のところで独り立ちの修行からやり直しよ!──
──お、おう! 任せておけ!──
メイニーが発破を掛けると、フェイジーは驚いたような、しかし嬉しげな様子で応じた。
粗忽者で単純そうなフェイジーは、メイニーの言葉に隠されたものまでは理解していなさそうだ。しかし、彼女が自分に期待していることは判ったのだろう。
「それじゃ、タケルのところに戻るか! 折角だから、ナニワの町でお土産くらい手に入れたいな!」
「そうですね! 見た感じ食堂は多かったようですし、夜も営業しているようでした。きっと、まだ間に合いますよ!」
シノブの弾む声に、アミィも笑顔で応じる。タケルがいるのは、日本なら大阪に相当する街だ。ならば、きっと美味いものも多いだろう。
「よし! 光鏡で連続転移だ!」
シノブは、巨大な光鏡を作り出した。そしてシノブ達を乗せたメイニーを先頭に、光翔虎達は勢い良く光の中に飛び込んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年6月6日17時の更新となります。