17.07 シャンジーが消えた 中編
シノブはアミィやシャルロットと共に、シェロノワへと急ぎ戻った。そして彼はフェイニーとメイニーに思念を送り、シャンジーが行方不明となったことを知らせた。
二頭は炎竜イジェや子竜達と共に北の高地で狩りをしていたが、極めて短時間でシェロノワに帰還した。彼女達は狩場から近い岩竜ガンドの棲家へと飛翔し、その脇にある神像から転移したのだ。
ちなみに残りのイジェ達は別行動だ。岩竜の子ファーヴは、まだ長距離を飛べないし、海竜の子リタンもいる。そのためイジェは彼らを乗せる磐船を運ばないといけないからだ。
「シャンジーを攫ったのはフェイジーらしい」
シノブがいるのは、自身とシャルロットの居室だ。部屋にいるのはシノブ達三人に加え、フェイニーとメイニーの二頭、そして休暇中のホリィである。
「消える前に『フェイジーの兄貴』って言ったそうだ」
シャンジーは、ヤマト王国の第二王子である大和健琉と共に、彼の国の都へと旅をしていた。一行はタケルと彼の五人の家臣、そして熊祖武流と同じく五人の家臣の、合計十二名とシャンジーで都へと向かっていた。
クマソ・タケルの治める筑紫の島から騎馬で約二週間、彼らは平穏無事に進んでいた。しかし、都まで後一日といったところで思わぬトラブルが発生した。それは、シャンジーの突然の消失である。
まだ百歳ほどで成獣の半分しか生きていないシャンジーだが、人間が束になっても敵わない存在だ。その彼を攫ったのは、同族で従兄弟でもあるフェイジーらしい。
タケルが記した文によると、シャンジーは消え去る直前にフェイジーの名を口にしたのだ。
──フェイジー兄さん、どうしてそんなことを……──
フェイニーの思念には困惑が滲んでいる。彼女はフェイジーの妹だが、兄と会ったことはない。フェイニーが生まれたのは半年少々前だが、フェイジーがエウレア地方を離れたのは彼が成獣となった百年近く昔のことだ。
そのためフェイニーは、まだ見ぬ兄が何を考えているか想像も付かないようだ。
──シノブさん、バージさんとパーフさんにも伝えましょう!──
メイニーは、フェイジーとフェイニーの親達の名を挙げた。
ちなみにパーフはシャンジーの父フォージの姉だ。つまり、フェイニー達にとってシャンジーは母方の従兄弟である。
「そうだね」
シノブは、バージ達へと思念を送る。二頭は棲家のあるカンビーニ王国の大森林にいる筈で、そこはシェロノワから700km以上離れている。竜や光翔虎、それにアミィ達眷属の思念は150km程度しか届かないから、連絡できるのはシノブだけだ。
「棲家に転移の神像を造っておいて、良かったですね」
「そうですね。幾ら光翔虎の飛翔が速くても、二時間以上は掛かるでしょう」
アミィの言葉に、シャルロットは頷いた。
神殿での転移があるから、シノブ達がシェロノワに戻るのもフェイニー達を呼び戻すのも大して時間は掛からなかった。バージ達も棲家の近くにいるなら、僅かな時間で現れるだろう。
「神殿で待とう。もし時間が掛かるなら、先に行く」
シノブは、シェロノワの神殿から筑紫の島の神域に造った神像へと転移するつもりであった。
タケルには魔法の家を呼び寄せる権限を付与していないし、シャンジーに通信筒で文を送っても応答はない。そのためシノブは、神域の神像を使ってヤマト王国に行くことにしたのだ。
「シャルロット、ミュリエルやセレスティーヌには君から説明してくれ。イジェ達には思念で伝えておく」
そしてシノブは、館に残るシャルロットに伝言を頼んだ。身篭っている彼女を、何があるか判らない場所には連れて行けない。
「分かりました、お気を付けて」
シャルロットも、優先すべきは何か充分承知している。それ故彼女は素直に頷くのみであった。
──シノブ様、私はどうしましょう?──
今まで黙って話を聞いていたホリィが、シノブに問いかける。ちなみに今日の彼女は元の金鵄族の姿であり、鎧掛けに止まっている。
ホリィは、ここ数日をマリィやミリィと交代で東域の調査をしていた。そして今日は彼女が休む日だから館に残っていたわけだ。
「休暇中で悪いけど、一緒に来てもらえるかな?」
金鵄族であるホリィは、竜や光翔虎よりも速く飛べる。そのためシノブは、シャンジーの捜索に加わってもらおうと考えたのだ。
──遠慮なさらないでください!──
思念を発したホリィは羽ばたき鎧掛けから降りる。そして彼女は、アミィと同じ狐の獣人の少女に姿を変えた。
「シノブ様、アムテリア様からヤマト王国での衣装を授かっています!」
アミィが意外なことを言う。
ヤマト王国の衣装は、大まかに言えば和装である。前合わせの着物を着流しにしていたり、袴を穿いたりだ。そのためアムテリアは、ヤマト王国に相応しい衣装を用意してくれたらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
神域のある筑紫の島は、地球では九州に相当する島だ。そしてタケル達がいるナニワという町は、大阪に当たる場所であった。
神域からナニワまで直線距離でも400km以上だが、シノブには光鏡を使った連続転移がある。そのため彼らは、神域に移動してから十分少々でナニワの町に着いた。
シノブとアミィはバージに乗り、その後ろにパーフとメイニー、フェイニーと続いている。なお、ホリィは鷹の姿で先行しているから、ここにはいない。
「ナニワと聞いたから、やっぱりこういう場所だとは思っていたけど……」
バージの背から見下ろしながら、シノブは苦笑した。バージ達は姿消しを使っているから、空の彼らに気が付く者はいない。
大きな港に商人達が行き交うナニワの町は、シノブが名前から思い浮かべた通りの光景であった。
ナニワの町は、ちょうど日が落ちたところだ。まだ微かに明るい港には、和船に似た構造の船が数え切れないほど停泊している。
そして港や内陸に広がる街には、暗くなってきたというのに着物に似た服の男達が忙しそうに行き来している。ナニワの町人は随分と豊かなようで、全員が灯りの魔道具を手にしている。そのため多少暗くても問題ないようだ。
「商売は如何で?」
「程々ですねえ」
灯りを携え小走りに行く町人達は、顔を合わせると同じような挨拶をしている。彼らのやり取りは、大阪弁なら『もうかりまっか』と『ぼちぼちでんなあ』というあたりだろうか。
なお、この世界に方言は殆ど存在しない。言葉は神々が授けた神聖なものだから、崩すのは畏れ多いということのようだ。
とはいえ彼らの表情や仕草は、いかにも難波の商人といった様子である。彼らは人の良さげな笑みを浮かべてはいるが隙の無さそうな雰囲気を醸し出している。
「ちょん髷じゃないのが、不自然なくらいだね」
シノブが言うように、彼らは髷を結っていなかった。武人も町人も男は月代を剃らずに総髪撫付のように髪を自然に流していたり、後ろで束ねていたりである。
ちなみにタケルの話では、ヤマト王国に髷は存在しないらしい。
「そうですね……それにしても大きな都市ですね」
アミィは街の規模に驚いていた。エウレア地方の都市とは違い、殆どの建物は二階くらいだから、余計に広大に感じる。
ナニワの町は、ベルレアン伯爵領の領都セリュジエールと同じくらいの人口だと思われる。セリュジエールが人口五万人だが、同じくらいの人がナニワにも住んでいそうだ。
もちろん、シノブが知る現代日本の大阪に比べれば非常に小さな都市だ。しかし、人口三百万人を抱えるメリエンヌ王国でも王都メリエを除くとセリュジエールは最大の都市で、近隣の国でもこれを超えるのは各国の王都だけである。
ちなみにヤマト王国全体の人口は二百万人くらいで、そこにヤマト大王家の直轄領と、三つの王家が治める領地が存在する。今までシノブは、その一つ筑紫の島にしか行ったことがないが、彼の地の王都ヒムカは人口三万人で、島全体でも三十万人弱しかいないらしい。
それを考えると、ナニワの町は随分と大きい。都はこの三倍くらいで十五万人が住むというが、おそらくナニワは都に次ぐ規模だろう。
──シノブ様、サカイ屋を見つけました! 大男の熊の獣人もいます!──
先行したホリィが、思念で知らせてきた。このサカイ屋というのは、タケルが通信筒で伝えた今日の宿の名だ。
ホリィはタケル達に会ったことはない。しかし彼らの一行の半数はクマソ・タケルを始めとする獣人達であり、発見は容易い。
ヤマト大王家の直轄領では獣人族が少ないから目立つ。それに、ヤマト王国の人は小柄だ。そのため熊の獣人でも、クマソ・タケルのように2m近い巨漢など滅多にいない。したがって、まず間違い無いだろう。
──ありがとう! そのまま待機して!──
シノブもバージの背から思念を返す。そしてシノブ達は、ほどなくしてホリィが待つサカイ屋へと辿り着いた。
◆ ◆ ◆ ◆
タケル達は、サカイ屋の二階全体を借り切っていた。行きの旅は密命ということもあり、彼らは質素に旅していたらしい。しかし見事役目を果たし筑紫の島の王クマソ・タケルを連れて来たのだから、戻りは正体こそ伏せてはいるが、それなりにしているようだ。
なお、これまでの道中でも代官の屋敷などを避け普通の宿に泊まったという。これは密命を与えたタケルの兄、多利彦がどう出るか不明であり、面倒事を恐れたからだそうだ。
ヤマト王国では畳は高級品で、庶民や普通の兵士の家だと板の間も多い。しかしサカイ屋の二階は上等の部屋らしく、一面に畳が敷かれている。室内も凝った造りで調度も良く、床の間には緻密な絵が付けられた陶磁器が据えられている。
シノブ達は座敷の上座、床の間を背負うように着いていた。シノブはタケル達と同様に胡坐を掻いて座り、その両脇にアミィと狐の獣人に変じたホリィが正座している。
アミィ達は和式の生活にも慣れているようで、正座も堂に入ったものであった。おそらく、日本に由来する神であるアムテリアに仕えていたからだろう。
「……というわけで、何が何だか判らないうちにシャンジー様は消えてしまいました。シャンジー様も慌てているようでしたし、お知らせしなくては、と思いまして」
タケルは、シノブ達が座ると早速事情を語りだした。
とはいえ、彼らが知っていることは少ない。シャンジーが突然宙に浮かび上がり、『フェイジーの兄貴』と叫んだら消えた。それだけである。
タケル達もシノブからの折り返しの文でフェイジーが光翔虎であることは知ったから、それほど焦ってはいない。今の彼らの表情は、充分平静なものであった。
──我が息子が迷惑を掛けた──
──そそっかしいところのある子でしたが……申し訳ありません──
バージは苦々しげな、そしてパーフは済まなげな思念を発していた。もちろん二頭は『アマノ式伝達法』も用いているから、タケル達も彼らの言葉は伝わっている。
「とんでもありません!」
タケルは、慌てたように手を振りながら答える。彼と並んで座るクマソ・タケルや、後ろの双方の家臣も、恐縮したような表情となっていた。
「そうですとも! フェイジー様も、突然お身内が現れたから驚かれたのでは!?」
クマソ・タケルは魁偉な外見とそれに相応しい豪放な性格である。しかし彼は、王だけあって人の心を察することも出来る。彼は、フェイジーの親であるバージ達に気遣いめいた言葉を掛けた。
しかしバージとパーフは、一層頭を垂れる。どうやら気を遣われたため、ますます恥ずかしさを感じたようだ。
「シャンジーを探すのは任せてくれ。フェイジーは何か誤解しているようだけど、親であるバージや知り合いのメイニーから話せば誤解も解けるだろう。
こちらにはパーフが残ってくれる。シャンジーが戻るまで、彼女が同行するから」
シノブは、タケル達に今後の予定を伝えていく。これは、事前にバージ達と話して決めていたことだ。
タケルの兄タリヒコは、弟に達成不可能と思われる使命を与えた。それは、筑紫の島を治めるクマソ王家との仲を取り持つことである。
ヤマト大王家は人族で、彼らが治める地も人族が多い。それに対し筑紫の島は獣人族が殆どで、両者の仲は悪かった。
タケルはシャンジーやシノブに助けられ、クマソ王家への反逆を目論む者達を阻止した。おそらく、それなくしてタケルが使命を果たすことは出来なかった筈だ。したがってタリヒコは、弟が凱旋してくるとは思ってもいないだろう。
このままタケルが都に入れば、タリヒコが何をするか判らない。それはタケルも感じているようで、これまでシャンジーがシノブに送った文にも、彼ら一行が都でのことを何度も論じたと記されていた。
そこでシノブ達は、シャンジーの代わりの護衛を付けようと考えたのだ。
「ありがとうございます……それでしたら、大変申し訳ありませんが姿を消して同行していただけないでしょうか?」
「どうしてかな?」
タケルの言葉を怪訝に思ったシノブは、彼の意図を問うた。
光翔虎は姿消しが使えるし彼らは一日中でも姿消しを使うことが出来るから、それ自体は問題ではない。おそらく都にいるタリヒコを警戒してのことだろうが、シノブはタケル達がどうするつもりなのか興味を抱いたのだ。
「元々都に着く前に、シャンジー様が姿を消したことにしようと思っていたのです。
このままでは、タケル殿の兄者も恐れて正体を現さないでしょう。そこで、ナニワを出立した直後にシャンジー様に姿を消してもらい、相手を油断させようと愚考しまして……」
どうやら、発案したのはクマソ・タケルらしい。彼は照れたような笑みを浮かべながら、シノブ達に説明していく。
タケル達のことは、街道でも話題になっているという。少女のような外見の少年が、熊の獣人の大男と白く輝く虎を連れて旅をしていることは、街道筋で知らない者はいないくらいだそうだ。
しかも、彼らの噂は都にも届いていた。タケルは家臣の一人を先行して都に向かわせたが、やはり結構な者が知っていたのだ。
「シャンジー様の件は、兄の耳にも入っているようです。私としては何も起こらないのであれば、それで良いと思ったのですが……」
タケルは、兄を陥れるようなことをしたくないのだろう。彼の顔は僅かに曇っていた。しかし、彼も兄との対決は避けて通れないと覚悟しているようではある。
「正面から攻められぬと思えば裏からとなるだけ。それにシャンジー様がいらっしゃっても、長期間となれば絶対安全ともいきますまい。ならば敢えて隙を作り、こちらの望んだ時と場所に誘うのが良策」
諫めるような口調で語り掛けたのは、クマソ・タケルであった。彼が言うように、いつまでも警戒し続けるのは難しい。それに特に毒を使うなど搦め手であれば、シャンジーも見逃すかもしれない。
──私は構いません。姿を消して動くのは、いつものことですから──
パーフは、タケル達に頷いてみせた。光翔虎が自身の棲む森から出る場合、姿を消すのが常である。したがって、彼女からすれば普段通りに行動すれば良いだけであった。
「それじゃ、そっちはパーフに任せるよ。こちらはシャンジーとフェイジーを探しに行く」
「お願いします……ところでシノブ様?」
立ち上がろうとしたシノブに、タケルが言葉を掛けた。
タケルの顔には、僅かな躊躇いが浮かんでいる。どうやら彼は、問おうか問うまいか少しばかり迷ったようである。
「何かな?」
「その……今日の衣装は……こちらのものに?」
シノブが顔を向けると、タケルは恐る恐るといった様子で問いを発した。
今のシノブは、アムテリアが授けてくれた衣装を付けていた。最も似ているものを挙げるなら、正装した神職であろうか。白の袍に、同じく白の袴。双方とも複雑な紋が淡く浮かんだ上等なものだ。
アミィとホリィは上が白衣で下が緋袴で、巫女のような衣装である。ちなみに二人の服も上等な布で、良く見るとシノブのものと同じ紋が浮いている。
「おかしいかな?」
シノブは、僅かに頬を染めていた。実は彼も、少しばかり大仰な服ではないかと思っていたのだ。
「い、いえ! 似合っております! おりますが……大神宮の祭司の正服に似ておりまして……」
「その……最も高位の神官が纏う衣装ですから……大日若貴子様にはお似合いで御座いますが、街の者は驚くのではないかと……」
タケルの言葉を家臣の一人が補った。
彼らはシノブのことを神の使いだと信じているし、大日若貴子という特別な名まで贈っている。そのためシノブの服が最高位の神官と同じでも、タケル達は当然だと思っているようだ。
とはいえ、他は同じようには思うまい。いきなり高位神官の正装で街の中に現れたら、運が悪ければ身分詐称として捕らえられるのではないだろうか。
「ありがとう。騒ぎを起こさないようにするよ」
シノブは、タケル達の忠告に感謝した。もちろんシノブは、宿から出るときも姿を消したままにするつもりであった。しかし、この様子だと無闇に人前に出ない方が良いようだ。
街に出るときは、アミィに幻影魔術を使ってもらおう。そう思いつつ、シノブは座敷を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆
サカイ屋から出たシノブ達は、再び空に戻った。パーフを残してきたから、一行はシノブとアミィにホリィ、そしてバージにメイニーにフェイニーである。
ともかく、タケル達に問題が無いことは確認できた。いよいよ、行方不明のシャンジーと彼を連れ去ったフェイジーを探す番だ。まずは、フェイジーを知るバージやメイニーが彼らに呼びかける。
──返答が無いな……遠くにいるのか?──
──シノブさんに頼んだ方が良さそうね──
バージは不満げな声を上げ、メイニーは彼の背に乗ったシノブに顔を向けた。ここにいる者は全て思念で会話できるが、シノブ以外は150km程度までしか届かない。もし、それ以上遠方にフェイジー達がいるなら、シノブが呼ぶしかない。
──判った……フェイジー、俺はシノブという者だ! シャンジーの知り合いで、君の両親やメイニー達とも親しくしている!──
シノブは、フェイジーに会ったことは無いが、バージ達が呼びかけていた魔力波動を使えば問題ない。思念での伝達は、相手の魔力波動を知っていれば出来るからだ。
フェイジーとシャンジーに、シノブは思念で語りかけていく。ここにはバージ達がいること。こちらの方が早く移動できること。出来ればシャンジーの通信筒で連絡を寄越してほしいこと。それらをシノブは、どこにいるとも不明な二頭に語りかけていった。
「来たぞ!」
数分が過ぎた後、シノブの通信筒が振動した。シノブが中身を確認すると、それはシャンジーが記した紙片であった。
「シャンジーさん、無事だったんですね!」
「どこにいるか判りましたか!?」
アミィとホリィが、シノブの両脇から問いかける。彼女達も、シャンジーのことを大いに案じていたのだろう。二人の表情は、喜びに輝いている。
──シャンジー兄さん、無事で良かったです~──
──捕まえたのがフェイジーさんなら、無事には違いないと思っていたけど──
それに、メイニーやフェイニーも飛翔して側に寄ってきた。しかもフェイニーは、猫ほどに小さくなってシノブの肩の上から覗き込む。
「北東の山中にいるらしい。かなり遠いみたいで、思念を送ったけど反応が無いから紙片にしたって」
笑顔となったシノブは、紙片の内容を語っていく。
シノブは連れ去ったのがフェイジーだとは思っていたが、万が一という不安は感じていた。もしかするとシャンジーの身に危険が迫っているのでは、という懸念は僅かだがシノブの心に宿っていたのだ。
──こちらから向かうのだな?──
一応は問うたバージだが、彼は北東と聞いて既に飛翔を開始していた。おそらく全速力で飛んでいるのだろう、地上の風景は途轍もない速度で流れていく。
──お父さま! 早く早く~!──
フェイニーは、シノブの肩に乗ったままだ。どうやら彼女は、父の飛翔速度には敵わないと思ったようだ。
──フェイニーったら……まあ、その方が賢いとは思うけど──
成獣であるメイニーは、そのような横着はしないようだ。苦笑気味の思念を発した彼女は、バージと並んで飛翔している。
「光鏡を使う! 少なくとも150km以上遠方にいるんだ! そこまでは一気に行こう!」
シノブはバージとメイニーの前に巨大な光鏡を出現させた。そして次の瞬間、二頭の光り輝く巨大な虎はナニワの町の上空から姿を消した。
◆ ◆ ◆ ◆
まずシノブ達は連続転移で150kmほどを移動した。そしてシノブが再度シャンジー達に呼びかけると、今度は二頭から思念の応答があった。
そこでシノブ達は、思念の発する方にと向かっていく。先ほどと同様に連続転移を使いながらだから、彼らは十分弱でシャンジー達の至近に到達した。
「距離や方角からすると、ここは北アルプスかな?」
「はい。地球なら槍ヶ岳に当たる山でしょうか……アムテリア様から授かった衣装でなければ、凍えてしまうところですね」
シノブの問いに、アミィは笑いと共に答えた。五月下旬だが、高山でしかも夜である。おそらく、気温は氷点下ではないだろうか。
南方の森林を好む光翔虎が零下の高山にいるとは意外だが、高空を飛翔する彼らは耐寒能力も高かった。そのため成獣のバージやメイニーだけではなく、フェイニーも全く動じていない。
──シノブの兄貴~!──
──シノブ殿、ご迷惑をお掛けしました!──
バージの前方から、二頭の光翔虎が姿を現した。もちろんシャンジーとフェイジーである。
嬉しげなシャンジーと対照的に、フェイジーの思念は畏れといっても良さそうなものが滲み出ている。実は連続転移を終えてから、バージとメイニーがフェイジーを叱責していたのだ。しかも二頭は、フェイジーを今も責め続けている。
──確かに、今まで光翔虎は人と交わらなかったがな、今は違うのだ! この馬鹿息子が!──
──その通りよ! シャンジーが小さくなって人と一緒にいるのを変に思ったって言うけど、キチンと理由を聞いてからでも良かったじゃない!──
バージとメイニーの怒りは、すぐに収まるようなものではないようだ。もっとも、それも無理はないとシノブも思う。
フェイジーは、ここ暫くヤマト王国の山中にいたらしい。彼は修行のため敢えて厳しい環境を選び、高山で暮らしていたそうだ。とはいえ彼は、ずっと山に篭もっていたわけではない。たまには山を降り、ヤマト王国を中心に各地を周っていたという。彼がシャンジーを発見したのは、そんな休息の時間であった。
姿を消して人間の様子を眺めるのがフェイジーの趣味であり、彼は人の多い場所に向かっていった。そこで彼は、白く輝く虎の話を聞いたのだ。
興味を惹かれたフェイジーは、街道沿いに噂の虎を探しに行った。そして彼は、タケル達と共に歩くシャンジーを発見した。人とは接触しないようにしている筈の光翔虎が、道案内をするように一緒に歩いている。しかも相手は年下の従兄弟、つまり弟分のシャンジーだ。
憤慨したフェイジーは、シャンジーを攫うと自身の修行場へと連れ帰った。ここで一緒に修行させて根性を叩き直そうと思ったのだという。
──シャンジー兄さん、無事でよかったです~! でも、どうして連絡をしなかったのですか~?──
シノブの肩に乗っていたフェイニーは、シャンジーの頭に飛び乗った。そして元の大きさに戻った彼女は、シャンジーの頭を叩き始める。どうやら彼女は、シャンジーにお仕置きをしているつもりらしい。
元に戻ったフェイニーは大きめの虎くらいだが、シャンジーは全長20m近い巨体である。そのためフェイニーの前脚での攻撃は、シャンジーに効いていないようだ。
──フェイニーちゃ~ん、ゴメンなさ~い! あのね、フェイジーの兄貴が連絡しちゃダメだって~。でもね、何とか説得して許してもらおうとしていたんだよ~──
シャンジーの情けない思念に、シノブは思わず微笑みを浮かべてしまう。彼の側では、アミィやホリィも苦笑を漏らしている。
フェイジーはシャンジーから通信筒を取り上げ、しかも逃げ出さないように牽制していたそうだ。体格はフェイジーが少し大きいくらいだが、三倍の年齢が実力に大きな差を生み出しているのだろう。
しかし光翔虎の雄が厳格な上下関係を築くとはいえ、これは行き過ぎではないだろうか。フェイジーのやり方に、シノブは強い疑問を持つ。
「ともかく無事で良かった。タケル達も心配しているから……」
──シノブ殿、いや、シノブの兄貴! 私がシャンジーの代わりに護衛をします! 私の方がシャンジーより役に立ちます!──
シノブのシャンジーへの言葉を遮ったのは、フェイジーであった。彼の言葉が意外であったのか、バージとメイニーの説教も途切れる。
フェイジーはシノブが上だと認めたらしい。
バージやメイニーはシノブの来歴や為したことをフェイジーに語っていた。シノブが最高神アムテリアに連なる存在であることや、本気を出したら竜や光翔虎でも敵わないことなどである。それらを聞いたフェイジーは、彼を兄貴分としたのだ。
──フェイジーの兄貴~、それは譲れないな~──
シャンジーはフェイニーへの謝罪を中断し、フェイジーの正面に回りこんだ。
シノブにはシャンジーの魔力が大きく蠢いているのを感じ取った。口調は変わらないが、どうやらシャンジーは怒りに近い感情を抱いたらしい。
──シャンジー、俺に逆らうのか!?──
フェイジーは恐ろしげな咆哮と共に、シャンジーへと顔を寄せた。そのためだろうか、フェイニーはシャンジーの頭から飛び去り、シノブ達の側に来る。
──男には、負けると分かっていても戦わないといけないときがある~! そうですよね、シノブの兄貴~!──
何と、シャンジーはフェイジーへと頭突きをかました。シャンジーは成獣のフェイジー、自分の三倍もの年齢の彼に戦いを挑んだのだ。
彼らは成獣になるのに二百年かかるが、シャンジーは百歳ほどでしかない。言ってみれば十歳かそこらの子供が二十代の大人に挑むようなものである。
「その通りだ! シャンジー、全力で行け!」
シノブは、シャンジーへと声援を送る。
シャンジーにとって、タケルの護衛は単なる任務ではないのだろう。兄貴と仰ぐシノブの命を全うするため、弟分としたタケルを守るため、彼は勝ち目の無いであろう戦いを挑んだのだ。
存分に戦え。そしてフェイジーに自分の思いをぶつけろ。シノブはシャンジーの後ろ姿から目を離さないまま、心に浮かんだ言葉を念じ続けていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年6月4日17時の更新となります。