04.07 リソルピレンの山中騎行 中編
「シノブ殿、あれは私達に任せてほしい!」
シャルロットの美声が街道に響く。
エトラガテ砦を出発したシノブ達。しばらくは何事もなく進んでいたが、突然前方から四頭の岩猿が現れたのだ。
体長3mはある巨体の魔獣は灰色の長い毛に包まれていて、シノブには巨大化した雪男のように見えた。
伯爵家の家令ジェルヴェの説明では、岩のように固い皮膚を持っているらしい。
「アリエルは右、ミレーユは左端を!」
素早く指示を出したシャルロットは、馬を前に進める。そしてアリエルとミレーユも、続いてシノブ達の前に出た。
「岩弾!」
シャルロットの指示を受け、アリエルが右端の岩猿に岩弾を発射した。
乗馬であるメリーの手前の地面から、野球ボールほどの岩塊が持ち上がると砲弾状に成形され、一番右の岩猿に向かって銃弾のような速度で飛んでいく。
「えい!」
更にミレーユが逆端の岩猿に矢を放つ。彼女は愛馬リーズを少し斜めに向けて左側に弓を構えると、無造作にも見えるほど素早く連射する。
右端の岩猿は岩弾、左端は矢を受けて為す術もなく倒れ伏した。
そしてシャルロットは右手に持つ長槍を岩猿に投げつけると、追いかけるように愛馬アルジャンテを駆っていく。
投げた長槍は、狙い違わず右側の岩猿の喉元に突き立った。岩猿は呻く間もなく崩れ落ちる。
最後に残った岩猿は、突然倒れた仲間達に動揺したらしい。何度も左右を振り向いた後、ようやく轟く馬の足音に気がついたようで慌てて前を向いた。
「はっ!」
岩猿が向き直るより早く、シャルロットは馬を至近まで寄せていた。そして彼女は残った一頭の左脇を駆け抜けざまに、長剣で首を刺し貫いた。
「やはり、教えていただいた訓練法で威力がだいぶ上がりました。発射までの速度もかなり短縮できたと思います」
体長3mはある岩猿を一撃で倒したアリエルは、そう言うとシノブとアミィに頭を下げた。
砲弾状に成形する技術も、岩弾を使うシノブやアミィに色々聞いて修得したものだ。残念ながら、魔力で円筒を作り砲身とするシノブの技は覚えられなかったが、それでも貫通力が増したと喜んでいた。
「この前の狩りのときは発射まで5秒くらいだったけど、今のは私の矢と同じくらい早かったじゃない!
岩弾の速度も倍はあったと思うな~」
ミレーユは同僚の進歩に感嘆している。
「貴方も、今までより強い弓を使いこなしていましたね」
「身体強化のおかげね! この前買ったけど、だいぶ慣れてきたでしょ!」
アリエルに褒められたミレーユは嬉しそうにその青い目を煌めかせている。
彼女は身体強化の上達を感じ、先日領都で新しい弓を手に入れていた。今回、空を飛ぶ竜が相手なので、少しでも役に立てばと、アミィにお願いして魔法のカバンに大量の矢を入れてきている。
「しかし、これがシノブ殿やアミィ殿が伝えた訓練の成果ですか。時間が出来たら私も取り組んでみたいものですね」
シメオンは誰に言うともなく呟いた。彼は土魔術を使えるので、アリエルが見せた岩弾の威力に興味を示したようだ。
シノブが見るところ、シメオンの魔力量はシャルロットや伯爵の夫人達より少ないが、ミレーユよりは多い。訓練すると意外に伸びるかもしれない、とシノブは思った。
「それぞれ訓練の成果が出てきたようだな。おめでとう、アリエル、ミレーユ」
シャルロットも長年一緒に訓練してきた同僚達の上達に喜びを隠せないようだ。ゆっくりと愛馬で戻りながら、二人を祝福する。
「シャルロット殿も、練習の成果が出ましたね。投擲した槍もミレーユさんの矢に劣らぬほど、剣の一撃も速さが増したようです。馬術にも感服しました」
シノブは、戻ってきたシャルロットを褒めた。
「そ、そうか! ありがとう。これも訓練のおかげだ。それにアルは賢いから、私の思った通りに動いてくれるのだ」
シノブの言葉に、シャルロットは愛馬の首を撫でながら微笑む。彼女の深い湖水のような瞳は、愛馬アルジャンテを慈しむように見つめていた。
「お主ら、予想以上にやるな。
我らドワーフの戦士でも、ここまで簡単にあしらえるのは、そうはいないぞ。岩猿の皮を貫くのは一流の戦士でも苦労するのだが」
イヴァールは素材として価値がない岩猿を街道脇の茂みに放り投げて戻ってくると、シャルロット達を見て感嘆したような声を上げた。
名前の通り岩のように固い岩猿の皮膚は、並の槍や矢では貫くことはできない。
ドワーフ達は危険を冒して接近し、その戦斧や戦槌で叩き潰すようにして倒すのだ。
「イヴァール殿。今回の魔獣は普段と同じ程度なのですか?」
「そうだ。普通はこんなものだ。村と村の間で数頭遭遇する程度だな。だが、エトラクラ村から北は違うぞ。こんなのが何十頭も出てくるのだ」
シメオンの問いに、イヴァールは街道の状況を説明した。
「一度にですか?」
イヴァールの言葉にアミィが質問した。
「多いときはな。最低でも十頭だ」
「イヴァールさんは、どうやって街道を通ってきたんですか? 誰かと一緒に通ってきたとか?」
ミレーユは攻撃魔術を使えないイヴァールが、どのようにしてきたのか疑問に思ったようだ。
「もちろん、この戦斧で倒してきたに決まっておろう」
イヴァールは背中に背負っている戦斧を指し示す。
「それで全部叩き切ったのか?」
シノブは呆れたような声を上げた。
「お主が驚くことはなかろうに! ……鞘を取る暇がなかったときは叩き潰してきたがな」
彼が鞘と呼んでいるのは、戦斧に被せた金属製のケースである。
戦斧の柄や刃の側面をがっちり挟み込んだケースは、完全に戦斧と一体化している。そのため装着時は戦槌として使えるのだ。
「さあ、無駄話していないでさっさと行くぞ!」
イヴァールは再び愛馬ヒポを進ませた。
◆ ◆ ◆ ◆
その後は、エトラクラ村まで何の問題もなく進んだ。
エトラクラ村は、戸数にして120戸ほどの村である。
イヴァールによれば、セランネ村はその倍以上、普通の村でもセランネ村とエトラクラ村の中間くらい。つまり、ドワーフの村でもかなり小規模なほうだという。
南との交易の中継地点ではあるが、山がちで土地も狭いため、あまり大きな集落にならなかったようだ。
僅かな平地を主にライ麦畑としているが現在は収穫後で、畑では小さなカブや牧草を育てているらしい。
要は山間の寒村なのだが、それでもエトラクラ村がやってこられたのは、街道を通る隊商のおかげである。シノブ達のように、気温が高い昼ごろに峠を越えてきた旅人は、この村で一泊する。
逆に、北からの旅人は山越えの前にここで一泊し、翌朝早く峠を目指して旅立っていく。
しかし、現在街道を通る隊商はない。そのため、村の副収入となる宿や護衛なども休業状態であった。
「セランネの戦士イヴァールよ。その方々が南から来た魔術師達か?」
真っ白な髪と髭をした、初老と思われるドワーフがイヴァールに声を掛けた。
イヴァールやイスモとは違い、白くて長い髭をいくつかの三つ編みにしている。後ろに流した髪も、どうやら編みこんでいるようだ。
身分を表すものだろうか、髭や髪を綺麗に彩られた革紐で縛っている。
「エトラクラの村長タパニ・ヴァタ殿。いかにも、竜退治の勇士達だ」
イヴァールは下馬すると、軽く頷きながら答えた。
「おお……勇士達よ、我らエトラクラの民は貴方がたを歓迎しますぞ」
タパニという村長は、イヴァールに続いて下馬したシノブ達に深々と頭を下げた。
──アミィ、ドワーフは家の入口に武器を置いておくの?──
再び騎乗したシノブ達は、素朴な家が立ち並ぶ村の中を村長の案内で宿へと進んでいる。
丸太を組んだ家は、積雪対策なのかどれも急角度の三角屋根である。その入口の上もしくは脇には、大きな武器が飾られている。
──ああ、あれは先祖が使っていたものです。
家長が亡くなると、その愛用の武器が家の守りとして飾られます。神聖なお守りですから、不用意に触ってはいけません──
シノブの心の声に、アミィが返答する。
──なるほどね。しかし、どれも入り口が低いね──
ドワーフの家は、低身長の彼らに合わせて天井が低いようだ。
入り口の高さは180cmを切るようで、シノブは屈まないと入れそうもない。身長170cm少々のシャルロットでも、兜を被っていると頭上の飾りが掠るかもしれない。
──背が低いのもありますが、坑道に入ったりするので天井が低くても気にならないみたいです。
街道沿いの宿は、ちゃんと人族や獣人族も考慮しているから大丈夫ですよ──
アミィの言葉に一安心するシノブ。最悪、魔法の家を出そうかと思っていたのだ。
──ところで、ドワーフの女性ってあまりがっしりしていないんだ?──
シノブは、家々から出てきたドワーフ達を眺めながらアミィに尋ねた。
周囲には、老若男女さまざまなドワーフがいたが、女性は男性と違って、人族に近いように見えたのだ。
男のドワーフは、イヴァールのように濃い色の髪と髭をし、体格も彼と同様だ。イヴァールほどがっしりしたドワーフは見かけなかったが、皆、樽のような胴体に太く短い脚である。
それに比べ、女性はかなり筋肉がついた子供といった感じである。
男が身長150cmくらいであるのに対し、女は頭半分くらい低いようで、10歳程度の子供くらいの身長だ。体格がよく手足も太いが、人族でもいなくはないだろう、という程度に見える。
──はい、男性ほどがっしりもしていないし、足の長さも人族よりちょっと短めという程度ですね。
髭も生えませんし、女性のほうはあまり種族的な特徴が出ていないようです──
アミィの言うとおり、浅黒い肌は男のドワーフとは変わらないが、髭はない。老化は普通にするようで、小柄なおばさん、おばあさん達もいるが、身長以外はあまり違和感はない。
──あっ、シノブ様。ドワーフの髭のことは、間違っても貶してはいけませんよ──
──そんなことしないけど、どうしてだい?──
シノブは、アミィの唐突な注意に疑問を抱いた。
──髪や髭を貶されるのはドワーフにとって物凄い屈辱なんです。
髪や髭を切られるのは刑罰の一つですし、大人の男で髭が顎の下までなんて恥ずかしくて外を歩けないと聞いています──
──それじゃ、イヴァールが『この髭にかけて誓おう』と言ったのは?──
──はい。ドワーフにとって『命にかけて』というのと同じですね──
シノブは、イヴァールの誓いにそんな意味が込められていたのかと思い、思わず彼を振り返った。
「どうした? 俺の顔に何かついているか?」
イヴァールが怪訝そうな顔でシノブを見る。
「……いや、立派な髭だと思ってさ。村長の白い髭も威厳があるけど、イヴァールの黒々とした髭も力強くて綺麗だよ」
シノブは、イヴァールにそう答えた。
別に嘘をついたわけではない。初めて会った時から、艶やかな黒が印象的だと思っていたのだ。
「これは嬉しいことを言ってくれる! 今日の酒は格別に旨いだろうな……さあ、浴びるほど飲もうぞ!」
「……イヴァールに付き合ったら、明日は出発できないな」
率直に感動を示すイヴァールに、シノブは照れ混じりの言葉を返す。
もっともシノブの答えは事実であった。平均的なドワーフでも、他種族の酒豪の十倍以上を飲むからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日、エトラクラ村を出発してセランネ街道を北に進むシノブ達。
昨夜はエトラクラの村長タパニをはじめ、ドワーフ達の心づくしの料理でもてなされ、村の宿屋に宿泊した。
隊商のいない宿屋は貸切状態で、シノブ達が二人部屋を一室ずつ使ってもまだ半分以上が空室だった。
馬達の世話代も含めシメオンが宿代を多めに払うと、宿の主人がほっとしたような顔をしていたのがシノブには印象的だった。
「イヴァール。8月半ばくらいから隊商が通れなくなったそうだけど」
ヴァルゲン砦より確実に肌寒い朝。
シノブは隣で愛馬ヒポを進めるイヴァールに問いかける。
「完全に封鎖したのは8月末だな。それまではドワーフの戦士を大勢護衛に付けて通った者達もいる」
シノブの問いに、イヴァールは答えを返す。
「昨日シャルロット様達が倒したくらいなら問題ないわけですか?」
シメオンもイヴァールに質問する。
ある意味お目付け役の彼としては、街道の状況が気になるのだろう。
「岩猿は群れを作って縄張りを持つのだ。おおよそ10km四方が一つの縄張りで、数頭の成獣が率いる群れがいる。
一度に襲ってくるのは、その数頭だけなのだ。その程度は十名程度の戦士がいれば問題ない」
イヴァールは無愛想に答える。
「それがここから北では違うと?」
シメオンが重ねて問いかける。
「おそらく多くの群れが入り込んだのだろうな。強い群れが纏めたのか一つの群れも十頭くらいだが、同時に二つ三つの群れが襲ってくることもある。
さすがに三十頭もの相手では、エトラクラ村あたりでは戦士全員でかからねばならん」
力強いドワーフとは言え、男全員が戦士ではない。鉱山夫もいれば鍛冶職人もいる。弱い魔獣ならともかく、3m近い岩猿と戦える男は、限られるのだろう。
「それだけの群れが襲ってくるとなると、村の防衛だけで手一杯だ。
9月に入ってからは、セランネからエトラクラの間を通る隊商はない。
そちらにも知らせてあるから、王国から来る隊商もヴァルゲン砦で引き返しているはずだ」
イヴァールはさらに苦々しげな口調で答えた。
「ポネット司令からもそのように聞いております」
アリエルもイヴァールの言葉を裏付けるように言い添えた。
「しかし、どうしてエトラクラ村から北に集中するのですか?
エトラガテ砦のあたりに行ったりしないんですか?」
アミィが不思議そうにイヴァールに問いかける。
わざわざ街道に集中しなくても、砦に近い山中に行けば良いと思ったのだろう。
「もうすぐ冬だからな。元々岩猿達は、雪に閉ざされる冬になる前に低いところまで降りてくる。
確かに今なら砦のあたりでも問題なかろうが、冬に備えて良い場所に集まってくるのだ」
イヴァールはアミィに岩猿の習性を説明する。
「なるほど~、時期も悪かったんですね~」
ミレーユは納得したような声を上げた。
「ほら、敵のお出ましだ。奴らはいくら退治しても湧いてくるからな。竜に追い出されて山脈中の岩猿が集まったのかもしれんぞ」
イヴァールの言葉通り、シノブ達の行く手には、何十頭もの岩猿が待ち構えていた。
「今回はシノブ殿にも出てもらった方が良いでしょう」
岩猿の多さに、眉を顰めて言うシメオン。どうやら三十頭以上いるらしい。
「シノブよ。俺達の分もきちんと残しておけよ。そうだな……俺には最低六頭だ」
イヴァールは背中に背負っていた戦斧を手に持つと、その刃に付けている金属製の鞘を外した。大きな両刃の戦斧を覆っていた鞘は、腰のベルトに付いている金具に引っかけている。
カラビナのような構造の金具にぶら下げられた鞘は、イヴァールの左腰で揺れていた。
「なら、私にも六頭。イヴァール殿に負けるわけにはいかん。……アミィ殿、もう三本ほど槍を出してくれないか」
シャルロットはアミィに手を差し出す。どうやらシャルロットは、投槍で数を減らしてから突撃するつもりらしい。
「私は五頭でいいです」
「なら私も五頭ですね」
アリエルとミレーユも口々に言う。
「シノブ様、私はどうしましょうか? 五頭ですか?」
アミィは魔法のカバンから取り出した槍をシャルロットに渡しながら、シノブに問いかける。
「……うん、それで良いんじゃないかな。俺も五頭にしとくよ。倒しすぎると皆から恨まれそうだしね。後は魔力障壁でも張っておくかな」
シノブは肩を竦めながら冗談交じりの言葉で応じた。
ここは頼れる仲間達に任せておけば良いだろう。そう思ったからだろう、戦いの前にも関わらずシノブの心は平静と変わらず穏やかなままであった。
お読みいただき、ありがとうございます。




