01.02 大森林の不思議な家
「それでは家を建てる場所を探しましょう。このあたりは木々が密集していて良い場所がありませんから」
アミィによれば、魔法の家を展開するには、およそ10m四方の土地が必要らしい。雑草や石、多少のデコボコや僅かな傾斜くらいなら展開時に整地されるので問題ないが、あまり大きな異物があると展開不可能だそうだ。
「適当な場所が見つからなければ魔術で邪魔なものを吹き飛ばすしかないのですが、自然を無闇に破壊するのはアムテリア様のご意思に背きますので」
アミィは魔法のカバンを背負おうとする。
家を展開できる場所を探すなら急ぐべきだ。まだ日は高いが、当面の拠点となる場所を見つけるのだから、空き地があれば良いというわけでもないだろう。
幼い少女にしか見えないアミィだが、女神の眷属だけあって理知的な一面もあるようだ。
「カバンくらい俺が持つよ」
女性に荷物を持たせるのは、と忍は思った。
魔法のカバンは小さなもので、遠目だと背負っていることにも気付かないくらいだ。とはいえ十歳くらいの少女に荷を預けて自分が手ぶらというのは、褒められたことではないだろう。
「荷物を持つのは従者の仕事です!」
忍がカバンを持とうとすると、アミィはカバンを背後に隠し眉を顰める。どうやら忍の気遣いは、彼女の望むものではなかったようだ。
「って言っても小さな女の子に荷物を持たせるのは……」
「こう見えて私、強いんですよ!」
忍の言葉に気を悪くしたのだろう、アミィはカバンを背負いズンズンと進んでいく。
どうも、アミィは本気で憤慨しているらしい。彼女の頭の上で狐耳はピンと立ち背後の尻尾も大きく揺れているが、それは子ども扱いを不満に感じたからのようだ。
「ごめん、アミィ。荷物はお願いするね」
忍は慌てて追いかけ、アミィに声をかける。従者の矜持を損ねるとあっては仕方が無い。
それに魔法のカバンはどれだけ物を入れても、何も入っていないかのように軽い。そのことは忍も道具の説明を聞いたときにカバンを手に取って確かめていたので、アミィの思うようにさせることにした。
「地球では女性を労るのが当たり前だったから、つい、ね。アミィが頼りないと思ったわけじゃないんだよ。ごめんね」
「お気遣いは嬉しいですけど、シノブ様のお役に立つのが従者である私の使命なのです。私の仕事を取らないでくださいね?」
忍が重ねて謝ったせいか、アミィは再び笑顔を取り戻した。そのため彼女に追いついた忍は、どうやら機嫌を直したようだ、とホッとした。
幼い少女に傅かれるのは、平凡な日本人であった彼には違和感がある。しかし彼女の願いであるなら上手く折り合っていくべきだ、と考えたのだ。
「ところでこの森には強い敵はいない、って言っていたけど俺でも大丈夫なの? 俺の暮らしていた日本では実戦経験のある人なんて殆どいないんだよ。もちろん俺もそうなんだけどね」
忍は並んで歩きながら、気になっていたことを訊ねた。カバンのことから話題を変えようと思ったのもあるが、気懸かりに思っていたのは嘘ではない。
アムテリアは忍をこの世界に転移させる直前、日本に比べて危険と言っていた。アミィは普通の動物と弱い魔獣なら大丈夫というが、果たして自分が勝てる相手なのだろうか。いざ森を移動するとなると、そんな不安が忍の胸中に湧き上がってくる。
「ここに出るのは、せいぜい狼とその上位種である魔狼くらいですね。シノブ様なら大丈夫ですよ!」
「いやいや、地球人は狼と戦ったら死ぬから!」
のほほんとした口調のアミィに忍は激しく突っ込む。
神の眷属だというアミィはともかく、ごく普通の地球人である自分が狼と戦って勝つなど不可能だ。忍はアミィが地球のことに詳しくないのでは、と思ってしまう。
「シノブ様はもう地球人じゃないですよ。こちらの人族は魔力で身体強化していますし、シノブ様はアムテリア様のご加護を持っていらっしゃるので、なおさら大丈夫です」
アミィは、驚くべきことを口にした。既に忍が常人とは桁違いの力を持っていると、彼女は言ったのだ。
詳しく聞いてみると、魔力を持つ者は特に意識しなくても、基礎身体強化と呼ばれる最低限の強化をしているらしい。
全ての生物は魔力を操作できなくても常に基礎身体強化をしているので、地球の同種の生物に比べて高い能力を持つ。また最大魔力量が大きい人は基礎身体強化の効果も大きいので、最大魔力量が大きければそれだけでかなり有利であるという。
通常の動物は基礎身体強化のみで、魔力を意識的に操作することはできない。逆に言うと、魔獣とは意識的に魔力を使える生き物のことである。
「身体強化に熟練すれば基礎身体強化の何倍もの効果になりますが、そもそもシノブ様の最大魔力量は私よりも遥かに大きいので、基礎身体強化でも熟練者並みの能力を発揮できますよ」
真顔のアミィに、忍は彼女が冗談を言っているわけではないと感じた。そこで忍は自身の体に意識を向けるが、特に力が溢れてくる感じもしない。
◆ ◆ ◆ ◆
「……そうですね~。シノブ様、その場で上に軽くジャンプしてもらえますか? かる~くですよ」
アミィは少しばかり考え込んだ後、忍に跳躍を勧めた。どうやら彼女は、実地で体験させようと思ったらしい。
忍はアミィの言葉に従い、その場で軽く垂直飛びをしてみる。しかし特に変わったことはなく、地球での身体能力と変わらないように思える。
「次は、私を飛び越すくらい高く飛ぶぞ、と思いながらジャンプしてください」
「そんなの無理だよ」
アミィの身長は140cmを若干下回るくらいに見える。しかし忍の記憶に間違いがなければ、NBAのトッププレイヤーだって、助走なしの垂直飛びではそんなに高く飛べないはずである。
「騙されたと思って一回だけやってみてください」
アミィの再度のお願いに、忍はチャレンジすることにした。こちらの世界ではもしかして、と考え直したのだ。
「うわっ!」
忍がジャンプすると本当にアミィの背を飛び越すくらい、つまり140cm以上も飛び上がった。忍は大して力を入れたわけでもないのに、超一流のアスリートを上回るだろう跳躍をしたのだ。
夢のような出来事に、忍は大きな驚きを抱き子供のように瞳を輝かせる。
「身体強化が使える人でも、普段の動作は使わない場合と変わりはありません。身体強化を使うと強化能力の上限までですが、当人の思った通りの動作ができるんですよ」
興奮を顕わにする忍に、アミィは温かな笑顔で語る。その様子は、幼い外見にも関わらず母か姉のような慈しみすら感じられる。
「なるほどね。じゃあ上限次第では10mの高さだってジャンプできるってこと?」
「そうです。ただし上空に何もなければ、ですけど」
忍に頷いたアミィは、続いて上を見上げる。そこには鬱蒼と茂る木々の枝があった。
「あっ、そうか。それじゃ身体強化で速く走れるとしても地面との摩擦係数は変わらないから……」
「その通りです。行き過ぎた強化を行えば、曲がれない、止まれない、となります。最悪地面に大穴が空くだけで走れないかもしれません。身体強化ではパワーやスピード、反射速度などあらゆる身体能力が向上します。でも、周囲の環境までは変えられませんから」
アミィは忍に笑いかける。彼女は、忍が的確な理解を示したのが嬉しいようだ。
「じゃあ話を戻すけど、俺には狼や魔狼とかいう魔獣とも互角に戦える能力があるってことだね?」
仮にも女神の眷属であったアミィが言うならそうなのだろう、と忍は思うことにした。まだ見ぬ相手を必要以上に警戒しても不安になるだけだ、と考えたのだ。
「そうです。狼や魔狼であれば問題ありません。相手より少し速く動く程度に留めておけば不測の事態を起こすこともなく確実に勝てます」
魔狼とは、魔力を操作できるようになった狼であり、通常の狼より大きく倍以上の力とスピードを持つが、それ以外に特殊能力はないそうだ。アミィは忍なら何の心配もいらない、と言う。
「それに、接近しなくても石を投げるだけでも倒せます」
そう言ってアミィは小石を拾うと近くの大木に投げ付ける。軽く時速200km以上出ていると思われる石ころは、一瞬で木に命中し轟音とともにめり込んだ。
「おぉ~、凄いなぁ」
「シノブ様もお試しください。そうですね、私が空けた穴の10cm上に、私の倍くらいの速度で、と思って投げてみてください」
アミィの指示する位置をめがけて忍も石を投げてみる。まさしく倍くらいの速度で飛んで行った石は、更に大きな音を立て、狙った場所に深々とめり込んでいった。
「流石はシノブ様、初めてでも方向や速度のコントロールも完璧ですね! 思った通りの動作ができる、といってもこれだけ強化すると、普通は慣れるまで若干のずれが出るんですよ」
フサフサの尻尾を振りながらアミィは忍を褒め称える。
アミィの称賛の眼差しに忍は気恥ずかしさを感じながら、とりあえず小石を幾つか拾っておき非常時に備えることにした。
「……そういえばアミィ、木に傷つけて大丈夫なの? さっき『自然を無闇に破壊するのはアムテリア様のご意思に背きます』って言っていたじゃない?」
石を拾いつつ、忍は問いを発する。
先ほど二人は、木の幹に石を撃ちこんだ。大きさはピンポン球の半分程度だから巨木が枯れることはないだろうが、自然破壊の一種だとも言える。
アミィが投げたときは弾丸のように穴を穿ったことに驚愕したし、自分のときは称賛への面映ゆさが先に立った。しかし落ち着きを取り戻すと、自然を愛するというアムテリアの教えに背く行為だったのではと気になったのだ。
「無闇ではありませんよ。早くシノブ様に御自身の力を把握していただくのは、何よりも大切なことですから。もちろん木を倒すのは行き過ぎですが、穴を空けるくらいならリスやキツツキだってすることです」
少し表情を引き締めつつ応じるアミィの様子からすると、その言葉に嘘は無いのだろう。
常人よりも高く跳べ、小石を投げるだけで魔獣という危険な生き物を倒せる。これを知らぬままなら、咄嗟のときに不測の事態が生じるかもしれない。
実際、ここは魔狼がいるという森の中だ。次の瞬間に危険が迫る可能性は充分にある。
「そうだね。ありがとう、アミィ」
「いえ、当然のことです! さあ行きましょう、日が落ちるまでに魔法の家を設置したいですし!」
石拾いを終えた忍はアミィに向き直り、礼の言葉を口にする。彼女の配慮を嬉しく感じ、同時に心強く思ったのだ。
一方のアミィはニッコリと微笑み返し、弾む声で出発しようと促す。そして二人は、再び巨木の間を進んでいく。
◆ ◆ ◆ ◆
森の中をしばらく歩くと、ぽっかりと開けた場所が見つかった。森林火災で木々が焼け落ちた跡なのだろうか、草の合間に小さな木がまばらに生えている、ちょっとした草原だ。
「ここにしましょう。少し行くと湖もあるはずですし、良い場所だと思います」
周囲を見回したアミィは、立ち止まると忍に振り向く。充分な広さがあるし、平らだから家を展開させるには好都合だと思ったのだろう。
「アミィはこのあたりに詳しいんだね」
まだ湖どころか川すら目にしていない。そのため忍は、アミィがこの森のことを熟知していると理解したのだ。
「昔、地上を監視する任務に就いていたことがあります。その時、このあたりも担当区域でした。ここから東に行くと二十分もしないうちに湖に着きます」
「へぇ~、魔術のこともそうだけど、アミィがいてくれて心強いよ」
忍は思わずアミィの頭を撫でてしまう。どうも、無意識に妹と同様に接してしまったようだ。
「……シノブ様にお褒めいただいて嬉しいです……」
アミィは小さな声で忍に言うと、恥じらいつつも嬉しげに微笑んだ。
妹扱いした忍もちょっと恥ずかしさを感じたが、アミィとの距離が縮まったような気がして嬉しくなった。見知らぬ世界で生きるのだから、助けてくれる人がいるのは心強い。それに、なんだか新しい家族ができたようで、両親や妹と別れてどこか沈んでいた心が癒されていくように感じたのだ。
「そうだ、魔法の家だったね! どうやって家にするの?」
ほのぼのとした空気に和んだ忍であったが、改めてアミィに魔法の家について説明を頼む。するとアミィは魔法のカバンから可愛らしい平屋の家が描かれたカードを取り出し、翳してみせる。
魔法の家の展開は、展開したいと念じながら魔道具であるカードに必要な魔力を流し込むだけ、とアミィは言う。展開可能なスペースがあればそのまま展開され、なければ何も起こらない。
格納も同様に家に触れて念じれば良いが、内部に生き物がいるときは格納できない。
現時点ではカードの所有者である忍と従者のアミィのみが使用者として登録されており、それ以外の人は展開や格納をすることはできない。
ちなみに魔法のカバンを含めアムテリアが用意した魔道具の多くには、こういった認証機能が付いているそうだ。
「今回は私がやってみせますね」
アミィはそう言うとカードを手の上に乗せた。そしてカードが一瞬光ったと思ったら、ふわっと風が巻き起こり、アミィの目の前にカードの絵を思わせるレンガ造りの平屋が建っていた。しかし、忍は家よりもアミィの手に注目していた。
「今、手のひらから何か出たような……」
忍は思わず呟いた。目に見えたわけではないが、何かがアミィの手から発生したのを感じたのだ。
「流石シノブ様、アッサリ魔力を感じ取れましたね!」
忍の呟きが聞こえたらしく、アミィは感嘆の声を上げてにっこり笑った。忍が感じた奔流は、狐の獣人の少女が発した魔力だったのだ。
(今のが魔力か……洞窟での感覚に似ているけど、あんなに大きくも凄くもない……でも、アミィの手から確かに感じられた……)
「シノブ様、中に入りますよ?」
忍が初めて見た魔力の行使を感慨深く振り返っていると、アミィは家の扉を開け彼に声をかける。どうやら彼女は、早く魔法の家の中を見たいようだ。
「さあ、お家で一休みしましょう!」
そう宣言すると、アミィは「アムテリア様が用意されたお家、どんな風なのかな~」と言いながら中に入っていった。頭上の狐耳はピクピク動き尻尾はブンブンと振り回されており、彼女のテンションの高さが一目瞭然である。
忍は可愛らしくも頼もしい従者の姿に微笑みながら、彼女に続いて魔法の家に入っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。