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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第17章 光の盟主
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17.02 穏やかな街で 前編

 アルマン王国での戦いから一週間弱が過ぎた。そして、その数日の間に()の国では様々なことがあった。

 アルマン王国はアルマン共和国と名を変え、そこに先月末アルマン王国から独立したベイリアル公国も加わった。そして国王ジェドラーズ五世は隠居し、王太子ロドリアムがアルマン王家を継いだ。

 もっともアルマン王家とベイリアル公爵家は共に伯爵家となったため、ロドリアムは王になったわけではない。彼はアルマック伯爵ロドリアムとなり、ベイリアル伯爵となったジェイラスと共に他の十人の伯爵と同格となった。


 そして十二人の伯爵の互選により、ベイリアル伯爵ジェイラスがアルマン共和国の初代大統領に選出された。ジェイラスは自身を凡庸な領主と謙遜していたが、アマノ同盟と協力し平和を(もたら)したという実績が高く評価されたようだ。

 ちなみに大統領という名の元首は、エウレア地方で初めてだ。実は、これも両院制の議会政治などと同様にシノブが伝えた知識に由来するものである。

 大統領や議会政治などシメオンを経由して伝えた諸々に、ジェイラスはいたく感心したらしい。今回は伯爵達の互選で元首を選んだが、先々は貴族による上院と民による下院を作ることになっている。まずは上院を一ヶ月以内に、そして下院は一年以内にと、ジェイラスは考えているという。


「アルマン共和国には、子爵以下の貴族が百人ほどいるそうです。彼らの全部をアルマックに作る議会に集めるのか、それとも何割かを議員として選ぶのか、それらもこれから決めるそうですが……」


 僅かに苦笑を浮かべたシノブは、アルマン共和国の現状について語っていく。

 シノブの正面で話を聞くのは、先代アシャール公爵ベランジェだ。ソファーに腰掛けた彼は、興味深げな表情をシノブに向けている。

 シノブの隣にはシャルロットとミュリエルが座り、その両脇にはアミィとセレスティーヌがいる。しかし、ここはシェロノワではない。彼らがいるのは『白陽宮』と名を変えた宮殿の一室、つまり旧帝都の中央であった。


「中々大変そうだねぇ。まあ、シメオンにとっては良い先例になるだろうが……しかし、シノブ君も温泉掘りや道造りで忙しいのに、良く把握しているねぇ」


「毎日シメオンから(ふみ)が来ますから」


 人事(ひとごと)のように暢気(のんき)な答えを返すベランジェに、シノブは乾いた笑いで応じるしかなかった。

 ここ数日、シノブは旧帝国領の各所を周っていた。彼は先日のように温泉を掘削したり、新たな道を通す山を切り開いたりしていたのだ。これらはベランジェの提案によるものだから、シノブが(あき)れ気味の顔となるのも無理はなかろう。


 全ての町村に温泉を掘るわけではないし、道もシノブが全部を造るわけではない。温泉を掘るのは大きな町だけで、しかもシノブが担当するのは岩竜では難しい深い場所に湯脈がある場合だけだ。そして道を通すための掘削も、険しい山中に切り通しを造るときだけである。

 とはいえ該当箇所は多く、ここ数日シノブは旧帝国領の各所を周っていた。そして、今日は一通り終わったのでベランジェに結果を伝えに来たわけだ。


「まあ、良いではないかね。シャルロット達もそう思うだろう?」


「新たな国造りを急ぐのは、仕方ありませんね」


 ベランジェには勝てないと思ったのだろう、シャルロットは飄々(ひょうひょう)とした伯父に頷くだけであった。

 シャルロット達はベランジェの薦めもあって連れてきた。ベランジェは、ミュリエルとセレスティーヌにも近い将来シノブが座すことになる宮殿を見せたいと思ったらしい。

 シャルロットは子を身篭ってから三ヶ月を越えるが、神殿から馬車で移動するくらいなら差し支えは無い。そこでシノブは、今日の作業を終えてからシェロノワに迎えに行き『白陽宮』へと連れてきたのだ。


「そうだろう、そうだろう! ここは標高が高いところが多いから、温泉は大人気なんだよ! お陰で温泉を造ってくれるシノブ君の人気は急上昇さ!

それに、道も皇帝の政策で、ここヴァイトシュタットに向けたものしかない。新たな道により便利になるし、仕事も出来る。良いことばかりだよ!」


 ベランジェが言うように旧帝国領の道は旧帝都、現在でいう領都ヴァイトシュタットから各伯爵領へと向かうものだけだ。そのため隣り合う伯爵領でも、移動が難しい場合が多い。どうもこれは、地方領主の結託を恐れた皇帝の意思によるものらしい。

 過去の経緯は今更どうでも良いことではあるが、これでは統治も面倒だし各地の流通を促進するのにも不向きである。そこでベランジェは、早期の街道敷設をと考えたようだ。


「それは良いのですが……ともかく議会を開くにしても、元となる法律を作らなくてはいけません。

議会の権限や会期も決める必要があるし、各貴族家から議員や候補を出すにしても当主だけなのか、当主が委任すれば先代や子供でも良いのか……幸い、神殿の転移があるから集まるのは難しくありませんが」


 シノブは、話をアルマン共和国の現状へと戻した。

 彼が言うように、議会を開くには色々決めるべきことが多かった。シノブは戦いが終わった翌日に、アルマン共和国の都市の大神殿を転移網で結んだ。そのため集まるのは容易く、全ての貴族家から議員を出すことも不可能ではないが、それでは地方の統治が立ち行かないだろう。

 シメオンは、ここ旧帝国領を治めるために練っていた案があるから、全くの無から検討しているわけではない。とはいえ決めるのはアルマン共和国の者達だから、彼らが理解して自国に合ったものに変えていくのには相応の時間が必要であった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「まあ、そのくらいはアルマン共和国の人達に頑張ってもらおうよ。シメオンには悪いけどね。

……こっちなんか、伯爵を選ぶところから始めないといけないんだ。幸い法律の方は、ある程度固める時間があったから助かったけど」


 ベランジェは、大きな溜め息を()いた。

 戦いの被害は最小限に抑えられた。国王を退位させ総統を自称したジェリール・マクドロンや、彼の子飼いの軍人達は命を落とした。しかし彼らは、アルマックの子爵や男爵、それに騎士達で、各地の伯爵は健在であった。


 それに対し旧帝国領では、従来の領主で今後の統治に加わることの可能な者は少なかった。

 ベーリンゲン帝国の地方領主も伯爵だが、彼らの一部は帝国が滅びる過程で命を落とした。そして残りも彼らの信じていた神の支配から解き放たれると、統治者として過ごした間のことを忘れていた。

 もっとも仮に記憶があったとしても、彼らがそのまま統治をするのは難しかっただろう。皇帝に従って重税を課し軍への徴用を進めた彼らに良い感情を(いだ)く民は、極めて僅かだったからだ。


「どなたを新しい伯爵にするのですか? 何人か候補はいらっしゃるのでしょう?」


「うん、まずはイヴァール殿だね。アルバーノにアルノー、それとナタリオ君も。ジェレミー達も欲しいけど、あまり引き抜くとフライユに悪いからねぇ……」


 セレスティーヌが問うと、ベランジェはシノブに近しい四人の名を上げた。

 友人であり従者として仕えるイヴァール。家臣であるアルバーノ・イナーリオとアルノー・ラヴラン。そしてガルゴン王国の大使の息子ナタリオ・デ・バルセロ。この四人は誰もが予想するところであり、驚く者はいない。

 イヴァールはヴォーリ連合国、アルバーノはカンビーニ王国の出身だ。ナタリオのガルゴン王国と合わせ、この三国は帝国との戦いに力を貸してくれた。そこでベランジェは、各国に配慮し出身者を高位に置くと前から語っていた。

 しかし、なるべくなら良く知った者達を要職に就けたい。そこでベランジェは、出身こそメリエンヌ王国ではないがシノブの側近であるイヴァールやアルバーノ、そして他国の貴族の子弟だがシノブに深く信服しているナタリオを協力国から抜擢したのだ。

 また、アルバーノとアルノーは、帝国の戦闘奴隷でもあった。二十年も帝国に酷使された彼らであれば、民も単なる余所者とは思わないだろう。


「他にはどのような方が伯爵になるのですか? 伯爵領は、まだ六つもありますが……」


 帝国の伯爵領は十である。そのためミュリエルは、残りの六領を誰が治めるのかと問うた。


「それがね、候補として上がったのは三人だけなんだ。君も知っているエックヌートに、後はボアリューク侯爵の息子で運良くここを離れていたマンフレート、そして元ゾルムスブルク伯爵のルコリッツだ」


 ベランジェは、少々浮かない顔になった。

 元メグレンブルク伯爵のエックヌートも含め、新たに上がった三人は(いず)れも帝国の出身者だ。

 エックヌートは穏やかな性格であったし、文官肌であったためか軍務に関わることも少なかった。メグレンブルクはメリエンヌ王国と接する地であり、皇帝が送り込んだ直属軍が幅を利かせていた。そのためエックヌートは、民の恨みを買うことも少なかったのだろう。

 マンフレートやルコリッツも文人系であり、しかもまだ三十前後と若かった。そのためか、彼らも民から非難されるようなことは無かったらしい。


「マンフレート殿は、父や祖父の亡くなった地から離れたかったようですが?」


「だから伯爵にしたんだ。ここじゃなければ良いだろう? それと他の二人も旧任地とは別の領地にするよ。その方がお互いのためだしね」


 ベランジェは、承知していると言いたげな表情でシノブに答えた。

 支配から逃れた者達、特に帝都決戦で親族が竜人となり散った人々には、元々住んでいた地への帰還を拒む者も多かった。そしてマンフレートは、その一人であったのだ。


「まだ、三つもありますが……そちらは国の直轄地にするのですか?」


「当面はシノブ君が領主を兼ねて代官を派遣かな。代官が有能だったら領主にしても良いし、もし適当な者が現れなかったら、シノブ君の子供達を領主に据えたらどうだね?」


 ベランジェは、アミィの言葉を否定しなかった。どうやら彼は、幾つかを空席として残し貴族達の餌としておこうと考えたようだ。


「直轄領と合わせて四つですか……」


 シノブは、僅かに眉を(ひそ)めていた。

 新国家の君主はシノブである。もう、これは確定事項であった。今更シノブが断るようなことがあれば、大混乱となるだろう。それはシノブも覚悟しているが、直轄領と三つの伯爵領を治める君主となると、非常に強い力を握ることになるのでは、と憂慮したのだ。


 シノブは、立憲君主体制のように国王の力を一定範囲に制限する制度を望んでいた。

 しかし仮にそうなったとしても、直轄領と十の伯爵領のうち四つも一人が握ったら極めて強力な君主となるのではないか。シノブは、そう思わざるを得なかった。


「まあ、なるべく早く良い家臣を育てることだね。この国の人々が納得してくれるような……正直、能力や人格に問題ない者なら幾らでもいるんだけど、時期尚早というか……もう少し、この国で名が知られるようになってからだろうね」


 どうやらベランジェは、この地で暮らす者達に配慮したようだ。

 元々いた支配階級で民が認める者は少ない。かといって国外から連れてきた者達だけで要職を占めるのは、反発されるだろう。そこで彼は、新国家で功を上げた者、あるいは外から来た者が充分に馴染んだら、と考えたらしい。


「それに、閣僚だって人手が足りないんだ。今のところ、私が宰相になってシメオンが内務卿、マティアスが軍務卿と考えているけど……他がねぇ……」


 ベランジェの構想では、宰相を含む閣僚は侯爵とすることになっていた。したがって、彼を含めて名前が挙がった三人は、侯爵に任じられる。

 こちらは伯爵とは違い大領を預かることはないが、その代わりに国を動かす絶大な権力を握る。そのため、軽々しく選ぶわけにはいかないのだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「伯父上。シメオン殿とマティアス殿は、フライユ伯爵付きの子爵ですが、そちらはどうするのですか?」


「そこなんだよ! 彼らに双子の弟でもいないものかねぇ……能力と人格もそっくりの!」


 ベランジェは、シャルロットに妙な答えを返した。そのくらい、人材不足ということなのだろう。


「マティアスはまだ良いんだ。もはやフライユで戦が起きることは無いだろう。今まで隣は敵国だったけど、シノブ君が治める国になるんだ。国境の砦だって、他と同じで最低限の人員を配置するだけで良い。

だがシメオンはねぇ……彼の行政能力は素晴らしいし、お陰でフライユは順調に回復した。それだけに早く連れて来たいが……」


 苦り切った顔のベランジェは、それに相応しい声音(こわね)で続けていく。


 今までの旧帝国領はメリエンヌ王国が新たに得た地であり、当然ながらメリエンヌ王国の貴族達が内政官や軍人として統治をしてきた。軍管区として王国の直轄地としたから、ベランジェのような先代や逆に嫡男、場合によってはベルレアン伯爵コルネーユのように当主すら手を貸すことが出来た。

 しかし、新たな国として独立してしまえば、先代はともかく当主や嫡男は引き上げることになる。ベランジェは完全に新国家の一員となるつもりらしいが、そういう者ばかりでもないだろう。


 ともかく、シメオンやマティアスは絶対に新国家に移籍してもらいたい。しかし、そうなるとフライユ伯爵家は、また子爵がいなくなってしまう。これは、大きな問題であった。


「早く建国宣言を、とは陛下からも言われていますが……」


「お父様は、シノブ様に陛下と敬われるのは嬉しいが困る、と。フライユ伯爵領も、可能なら新国家に割譲したいとか……無理だとも言っていましたが」


 困惑顔のシノブに、セレスティーヌは父の言葉を伝える。

 シノブ達は、先日王都メリエに赴いた。アルマン王国における一連の戦が終わったことを、アマノ同盟の主だった者で祝ったのだ。

 アルマン共和国と名を変えた国からは、アマノ同盟の軍の大半が引き上げた。アルマン共和国から要請を受けたという形で一部は駐留しているが、カンビーニ王国の王太子シルヴェリオやガルゴン王国の王太子カルロス、それにシュラール公爵ヴァレリーなどは、それぞれの国に戻ったのだ。

 そこでメリエンヌ王国の国王アルフォンス七世は祝勝の(うたげ)を開いたのだが、その席でシノブは彼に催促されたわけである。


「まあねぇ。幾ら何でも、領土を削るのは貴族や民が許さないだろうね……かといって、シノブ君がフライユ伯爵を降りたりしたら、それこそ暴動が起きるだろうし……下手をしたら、兄上は退位だよ」


 何故(なぜ)だかベランジェは、楽しげな顔をしていた。

 ベランジェは兄王を尊敬しているようだから、失脚を望んではいない筈だ。おそらく、自分以外にも苦労している人がいるのが嬉しいのだと思われる。


「私の故郷では複数の爵位を所有している人もいましたし、ある国の王で別の国の公爵だった人もいました。ですから、ありえないことではないと伝えたら、お喜びでしたよ」


 シノブが言うように、欧州の歴史では爵位を二つ以上持つ者も珍しくはないし、それどころか王でありながら他国の公爵を兼ねた者もいる。

 後者で有名なのは、ノルマンディー公ウィリアムだ。彼はフランスのノルマンディー公であったが、イングランド王国のエドワード懺悔王が死去すると血縁であることを理由にイングランド王ウィリアム一世となったのだ。

 つまり、シノブがメリエンヌ王国の伯爵でありながら新たに得た地の王になるのも、似たようなものではある。


「フライユ伯爵位を返上されたら、私……」


「大丈夫ですよ」


 不安げな顔となったミュリエルに、シャルロットが柔らかな笑顔と共に頷いてみせる。

 アルフォンス七世は、ミュリエルに対しシノブと結婚して次代のフライユ伯爵の母となるように命じた。フライユ伯爵家の血筋を()の地に残すためだが、ミュリエルも望んでのことだから、それ自体は問題ではない。

 しかしシノブがフライユ伯爵位を返上すると、ミュリエルが彼と結ばれる理由が無くなってしまう。彼女は、それを恐れたのだ。


「ミュリエル君、今更それは無いよ。それにシノブ君がフライユから去ったら、それこそ兄の命は無いだろうね。

……フライユの民がシノブ君を手放すことはない。何しろエウレア地方に平和を(もたら)した、聖人や建国の英雄を遥かに超える……正に神の子とでも言うべき存在だからねぇ」


 ベランジェにも、シノブは自身の来歴を伝えた。そのため彼は、シノブが最高神アムテリアの血族で民の評が真実を突いていると知っている。

 それ(ゆえ)ベランジェは一層面白く感じたようで、意味ありげな笑みをシノブに向ける。


「しかし、そろそろこちらに住んでもらった方が良いだろうね。やはり君主が不在というのは民も不安だろうから……。

私も妻達を呼び寄せたが、こちらの暮らしも快適だと言っているよ。神殿での転移もあるのだから、とりあえずは数日おきにでも行き来したらどうかね? シノブ君やアミィ君なら、アルメル殿や侍女達も含め皆で転移しても問題ないし」


「そうですね。先々はフライユに代官を置くことになると思いますが、今はどちらかに行きっぱなしというのは……」


 シノブは、ベランジェの勧めも最もだと感じた。

 近々に国王になるというのに他国で暮らしているのは望ましくないだろう。とはいえ、フライユ伯爵領を捨てて出て行くことは出来ないし、シノブも折角軌道に乗った土地に愛着がある。

 おそらく、シャルロット達も同じ気持ちなのだろう。彼女達も、シノブの言葉に賛意を示していた。


「なら決まりだ! 小宮殿も住む者がいなければ寂しいだろう。折角ヴルムやリントが綺麗にしてくれたんだから、使ってくれたまえ!」


 ベランジェが言うように、かつて皇帝や彼の家族が暮らしていた小宮殿だが、現在誰も住んでいない。

 つい先日まで『黒雷宮』と呼ばれた宮殿は、岩竜の長老ヴルムと(つがい)のリントにより、壁面が白くなり名も『白陽宮』と改められた。しかし宮殿の主がいないのでは、ヴルム達も苦労した甲斐が無い。おそらくベランジェは、老竜達の苦労に報いるべきだと思ったのだろう。


「わかりました。先ほど見せていただきましたが、確かにいつでも住めそうです」


「そうだろう、ちゃんと準備しておいたんだよ。後は……そうだ! もう少しヴァイトシュタットのことを勉強しなくちゃ!」


 シノブの返答を聞いたベランジェは、何かを思いついたような顔となった。そして笑顔の彼は、とある提案をシノブにした。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ふふふ……これは良いものですな……もっと早く頼むべきでした」


 中年の狼の獣人が、ヴァイトシュタットの大通りを興味深げに見回しながら歩いている。その周囲にいるのも、同じく狼の獣人達だ。二十歳(はたち)くらいの若い男性が他に一人、後は二十歳(はたち)から十歳くらいの四人の女性達、つまり合わせて六名だ。


 中年の男性は、まだ年寄りというには随分とありそうだが何故(なぜ)だか杖を手にしている。

 上は質の良い布地のシャツに紫のベスト、そして下もそれに釣り合うズボンである。外見からすると、羽振りの良い商人といったところだろうか。

 若い男と十歳くらいの少女のうち一人は小剣を佩いている。若者は中年の男性と似たような服で、少女は町娘風のワンピースだ。他の三人の女性は同じような服だが、武器は携帯していない。なお、こちらも全員が良質な服である。


「……ご隠居。そんなにキョロキョロしていたら、目立ちますよ」


「シーノさん、そうは言いますが見ているだけで楽しいのですよ」


 若い男が注意しても、ご隠居と呼ばれた中年の男性の様子は改まらない。

 彼らは、アミィが作った魔道具で狼の獣人に変装したシノブ達だ。ご隠居と呼ばれたのがベランジェ、注意した若い男がシノブ、そして女性はアミィにシャルロット、ミュリエルにセレスティーヌである。


 もちろん、彼らだけで歩いているわけではない。シノブ達の周囲には、親衛隊長のアルノーに彼の妻で副隊長のアデージュ、そしてシャルロットの護衛であるマリエッタと三人の伯爵令嬢が少々距離を置きつつ付き従っている。ちなみに、こちらも変装の魔道具で人族へと姿を変え、正体を隠している。


「ヴァイトシュタットも、随分と変わりましたね」


 帯剣した少女、つまりアミィは周囲からシノブへと顔を向け直した。

 三月頭の帝都決戦から、二ヶ月以上だ。殆どの戦いは宮殿で行われたため、街への被害は少なかった。では何が変わったかというと、大通りを歩み両脇の店に出入りする人々だ。


 今まで奴隷とされていた獣人達が、通りを堂々と歩き、そして自由に店を覗いている。ここは外周区で通りの両脇は庶民向けの店ばかりだが、今までならありえない光景である。

 しかも、ベーリンゲン帝国に住んでいなかったドワーフも十人に一人くらいはいる。ヴァイトシュタットには、帝国の建国期から存在した地下神殿や通路が存在する。これらは宮殿を中心に半径1kmくらいに広がっており、現在でも埋め戻している最中であった。

 その埋め戻しにドワーフ達も(たずさ)わり、更に近隣からも多数の作業者が集まっているらしい。


「そうなのですよ。埋め戻しの作業があり、職も得やすいそうです。地方なら街道建設がありますが、開発済みのヴァイトシュタットに、そのような仕事は無いですからね。

……きっと、これらの仕事を作り出した人は、よほど優れた為政者なのですね」


 何かを演じているような口調のベランジェは、悪戯っぽい表情で一同に笑いかけた。優れた為政者も何も、それらを立案し実行したのはベランジェである。


「伯父上……」


「叔父様が……いえ、宰相のベランジェ様が優れているのは、誰もが知っていますわ!」


 何と言おうか迷ったようなシャルロットに代わり、セレスティーヌがベランジェに答える。ベランジェもそうだが、彼女も変装しての外出は初めてである。おそらく、この二人が普段よりはしゃいでいるように見えるのは、そのためだろう。


「シーノお兄さま! あのお店、入ってみませんか!?」


「ああ、良さそうだね。ご隠居、如何(いかが)でしょう?」


 シノブは、ミュリエルが示した店を見て頷いた。そして彼は、ベランジェへと顔を向ける。

 彼らの前にあるのは、街の者に向けた食堂らしい。大通りに沿った店だから、庶民向けではあるが比較的上等そうな建物だ。おそらく小規模な交易商などを対象にした店なのだろう、数台の馬車を()めることが出来る駐車場まで備わっている。


「私も少々喉が渇きました……それではシーノさん、アニーさん、一服と参りますかな」


 嬉しげに答えたベランジェは、急に気取った様子でシノブとアミィに顔を向けた。

 シノブが地球から来たことを知った彼は、どのような場所なのかとあれこれ訊ねた。そのとき彼は、諸国を漫遊するご隠居の話を知ったのだ。

 どうやらベランジェは、かなり役に入っているらしい。彼は、普段より年長に感じる落ち着いた口調を崩さない。


「……大食いのお供も欲しいところですね」


 ベランジェの言葉に、シノブとアミィは笑いを(こぼ)していた。

 地球での暮らしや文化についてベランジェから問われたシノブは、アミィの幻影魔術で彼に映像を見せた。実際に見てもらえば、説明を省けると思ったからだ。

 そしてシノブが見せた映像の中には、彼の視聴したドラマなども含まれていた。そのためベランジェは、かなり詳しいところまで知っているのだ。


「大食いのお供か……オルムル達なら、魔獣を幾らでも食べるけど、ここで出るようなものは食べないだろうしね……」


「シーノ、オルムル達が聞いたら怒りますよ」


 シノブの言葉に、シャルロットが微笑んだ。

 オルムル達は、竜や光翔虎の子では平均的な食事量らしい。そのため、オルムル達は自分が大食漢などと思ってもいないだろう。


「ロッテ、オルムル達には内緒にしてくれ。好きなものを(おご)るから。もちろん、エルやセレス、アニーにもね」


 シノブの言葉に店へと歩む女性達の顔は綻び、嬉しげな声が上がった。

 セレスティーヌにとっては、町の者が入る店での食事など初めてのことだ。それにシャルロット達にしても、メリエンヌ王国では王都やシェロノワで散策したものの、旧帝国領の中心であるヴァイトシュタットでの食事は初めてだ。一体、どんなものが出るのかと興味を(いだ)くのは当然だろう。


「まったく、シーノさんの女好きは治りませんな。その点、女性に揺らぐことは無いアニーさんは、立派ですね」


 どうやらベランジェは、シノブを女好きで剣術の達人のお供、アミィを堅物で柔術の達人のお供としたらしい。そうすると、シャルロット達は町娘に変装したお姫様であろうか。


「ご隠居……」


 シノブは、知らず知らずのうちに頭を掻いていた。

 確かに、四人もの女性に囲まれて歩く自分は、地球なら女好きや女たらしと呼ばれるだろう。彼は、そう思ったのだ。


「私達は家族なのですから、それで良いのです」


 シャルロットは、澄ました顔でシノブに寄り添った。そしてミュリエル達も彼女に続く。


「これは参りました! ……さて、茶店に入りましょう。一体、どんな悪党が待っていますかな?」


 そう言い置いたベランジェは、高笑いをしながら店に入っていく。

 果たして悪党はいるのだろうか。随分と治安の良さそうなヴァイトシュタットに、ベランジェの期待に応えるような大物など存在しないのでは。シノブは、そんなことを考えてしまう。


「シーノ?」


「ああ、何でもない。さあ、入ろう」


 首を振ったシノブは、妻へと笑顔を向けた。

 ベランジェは、日常を忘れさせようとしているだけなのだろう。そもそも目的はヴァイトシュタットの様子を知ることや、家族との触れ合いを楽しむことだ。シノブは、そう思い直したのだ。

 妻や家族と過ごす緩やかな時間に、シノブは(ひた)る。そして一同は幸福に満ちた時間に相応しい笑顔で、美味(おい)しそうな匂いが漂う食堂の扉を(くぐ)っていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年5月25日17時の更新となります。


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