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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第16章 異郷の神の裔
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16.39 戦場に散る 後編

「水弾を()めた!?」


 イヴァールは、水塊の発射を中止したジェリール・マクドロンを見て(いぶか)しげな声を上げた。彼は、飛翔する岩竜ガンドの背で新たな攻撃を待ち構えるが、ジェリールが操る十本近くの巨大な水柱は(いず)れも沈黙したままだ。


「西軍が退()いたからでしょう!」


「流石に届かないのでは!?」


 こちらはカンビーニ王国の王太子シルヴェリオとガルゴン王国の王太子カルロスだ。イヴァール同様にシルヴェリオは光翔虎のバージに、カルロスはバージの弟分であるダージに乗って空を飛んでいる。

 なお、ガンド、バージ、ダージの三頭は馬ほどの大きさに変じている。そのためだろう、彼らは通常よりも軽やかに空を舞っていた。


「随分と下がったな」


 イヴァールは西へと顔を向けた。彼の見つめる先には、数kmほど後退した西軍の姿があった。


 ジェリールが率いていた東軍は、西軍より遥かに多かった。しかし西軍は異神達が憑依した国王達を擁しており、通常の軍では抗う(すべ)が無い。そこでジェリールは、アルマン王家の二つの秘宝で異神達を抑えにかかった。

 ジェリールは慕う者の心を力とする『覇海(はかい)の宝冠』で魔力を増し、水を操る『覇海(はかい)の杖』で巨大な水の柱を出現させた。そして彼は水柱から家ほどもある水の塊を造り出し、遥か西の崖の上に布陣した敵軍へと撃ったのだ。

 しかしジェリールと異神の戦いは、乱入したシノブ達により終わりを告げた。シノブは国王達を異空間へと連れ去り、イヴァール達がジェリールの放つ水塊を防いだ。


 そして現在、西軍は戦場であるアクフィルド平原から退()いていた。彼らはベイリアル公爵の説得で国王達が異神に支配されていたことに納得し、この戦いが王の望むものではなかったと理解したからだ。

 おそらく西軍は、『覇海(はかい)の杖』の攻撃範囲を出たのだろう。そのためジェリールは、水塊の無駄撃ちを()めたに違いない。


「シノブとの戦いに集中するのか……」


 イヴァールは、前方に目を向け直した。そこには、金色(こんじき)の光に包まれ宙を飛ぶシノブの姿がある。


「……む!?」


 イヴァールが見守る中、ジェリールが立つ中央の水柱が変形していく。一際高い水の柱は、それまでより高さを減らしたものの、代わりに太くなったようだ。


「まるで人間のような……」


「他の水柱も!?」


 シルヴェリオとカルロスも、驚愕の表情となった。

 彼らの目の前で、水柱は巨人像へと変じていった。ジェリールが乗っている中央の柱は、高さ50mを超える水の巨人像に。そして左右に四本ずつあった柱は、形は同様で半分くらいの高さの像に。合わせて九体の巨人が生まれたのだ。

 そして左右の像は、中央の像へと向かっていく。


「……まさか中央の像に? ガンド!」


──おお!──


 イヴァールが声を掛けると、ガンドは脇の像へと向かっていく。

 左右の像は中央のものに吸収されるかもしれない。その結果何が起きるとしても、自分達にとって不都合なことだろう。ならば、妨害するのみ。彼らは、そう判断したようだ。


「我らも!」


「ええ!」


 カルロスやシルヴェリオも、イヴァールに続いていった。そして彼らは、十階建ての建物に相当するくらいの水の巨人との戦いを始めた。


「伸びろ、戦斧!」


 イヴァールが叫ぶと、彼が手にする巨大な戦斧は見る見るうちに長さを増した。

 大地の戦斧はドワーフの伝説の英雄である剛腕アッシが使った武具で、闇の使いアーボイトスが彼に授けたものだ。もちろんアーボイトスは他国の聖人と同じく神の眷属で、大地の戦斧は神具である。そのため、このような常識外れの能力が備わっているのだ。


「うおおっ!」


 イヴァールは、長大な戦斧を水の巨人の肩に振り下ろす。すると巨人の歩みは()まり、構成する水は地面へと飛び散った。

 大地の戦斧は、水の巨人を形作る魔力を削っていた。そのため水は『覇海(はかい)の杖』の支配から外れたわけだ。


「こちらも!」


 シルヴェリオも風の銀槍を振るう。彼の槍は伸びるわけではないが、穂先から生じた烈風が水の巨人を切り裂いていく。


「ここから先は通さない!」


 こちらはカルロスだ。彼も炎の細剣(レイピア)が発した紅蓮を壁にして、巨人の進撃に対抗する。


 ジェリールは『覇海(はかい)の宝冠』により魔力を吸収する。そのため竜のブレスや光翔虎の操る風のように魔力を多く含む攻撃は、ジェリールを助けてしまう。

 しかしイヴァールの大地の戦斧と同様に、シルヴェリオやカルロスが持つのも神具である。そして神具の攻撃は通常の魔術によるものとは違い、余剰として漏れる魔力は少ないらしい。それ(ゆえ)彼らは、手に持つ聖なる武器での攻撃を選んだわけだ。


「シノブよ! ジェリールを頼むぞ!」


 自身の背の何倍もの長さに伸びた戦斧を、イヴァールは軽々と操っていた。彼は二体の水の巨人を相手にしているが、右に左にと振り回される神具は、それらを同時に抑えている。


「ええ、我らガルゴン王国の船乗りの代わりに!」


 カルロスは、海に散った自国の民を思ったようだ。

 ガルゴン王国の商船隊は、アルマン王国の偽装商船により幾つも沈められた。そして偽装商船を仕立てガルゴン王国の船を襲わせたのは、軍務卿であったジェリールだ。カルロスにとって、ジェリールは多くの国民を非業の死に追いやった大罪人である。


「大丈夫です! シノブ殿なら間違いなく!」


 こちらはカルロスと並んで戦うシルヴェリオだ。

 カンビーニ王国の商船も、一隊が海の藻屑として消えた。そのためシルヴェリオも、ジェリールに相応しい報いを与えようと戦ってきたのだろう。


 もちろん、彼ら三人は単なる復讐のために動いたわけではない。長い間ベーリンゲン帝国に潜み戦いを起こしてきた異神達を打ち倒す。そしてこの地方の国々に平和を(もたら)す。彼らも、そう願って戦ってきた筈である。

 しかし彼らは国を守り戦う武人でもある。ここエウレア地方では日常的な戦は無い。しかし帝国はメリエンヌ王国に十数年に一度は攻めてきた。そのため彼らにとって平和とは、襲い来る敵を倒して維持するものであった。


 彼ら三人の顔には迷いはない。戦いの絶えた世とは違い(いま)だ争いが身近な彼ら、しかも武人である三人は、平和を(つか)むためなら非情の道を選ぶことも躊躇(ためら)わないのだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 しかしイヴァール達とは違い、シノブはそこまで達観していなかった。

 シノブの生まれた日本とは違い、この世界は強くなければ生き残れない。それに、手を汚さずに守るべき者を守ることは難しい。

 もちろんシノブも、それらを充分承知している。シノブも、度重なる戦いで理想論だけでは済まないことを思い知ったからだ。

 とはいえ戦いが満ちる世界で生まれたイヴァール達とは違い、まだシノブは心の奥底から納得したわけではない。そのためだろう、彼はジェリールに問いかけずにいられなかった。


「ジェリール、神と戦ってどうするんだ! 神を倒しても過去は変わらないぞ!」


 重力魔術で飛翔しながら、シノブは大声で叫ぶ。

 シノブが操る光弾や光鏡は、ジェリールが乗る水の巨人から彼の身を守ってくれる。相手は人の三十倍近い身長の巨人で、振るう(こぶし)もそれに相応しい大きなものだ。しかし光弾や光鏡も対抗すべく直径10mほどにしているから、充分それらを防ぐことが出来た。


「言っただろう、復讐が出来れば良いのだ! 私から妻を奪った神にな!」


 巨人の肩の上から、ジェリールも言葉を返す。

 ジェリールが直接操る水の巨人は、他とは違うらしい。彼が乗る巨人は魔力障壁で覆われているようで、巨人の(こぶし)は光弾や光鏡に当たっても大きく削られることはない。


 もっとも、シノブには戦う手など幾らでもある。光弾や光鏡を本気で使えば、もしくは魔術での攻撃をすれば、あるいは超人的な域に至った武技を用いれば、ジェリールを倒すのは容易だろう。だが、それらの容赦の無い攻撃をすれば、彼を捕らえることは出来ない。

 シノブは、可能であればジェリールを裁きの場へと送りたかった。もちろん、ジェリールを待つのは極刑だろう。しかしシノブは、ジェリール自身からアルマン王国の民に全てを語ってほしかった。そのため彼は、全力での攻撃を控えていたのだ。


「お前の妻が非業の死を遂げたのは知っている! だが、世の中には理不尽な運命など幾らでもある! この戦で(たお)れた人達、それに他の糧となった存在、それらの一つ一つに神が応えることはない!」


 シノブは光弾と光鏡を押し立てつつ、ジェリールに言葉を返した。

 神々は、この星に生きる者達を等しく慈しんでいる。しかし、生きるということは命と命のぶつかり合いだ。今この瞬間にも何かが倒れ、残った何かが命を繋いでいる。そして神々は、それらを乗り越え必死に生きる命達を(いと)おしみ育んでいる。


 おそらく神々は、異神のような超越者の干渉がなければ、この星で生きる者達に手を差し伸べることはないだろう。シノブが知る通りなら、神々は創世の時に様々な知識を人間に授けた。だが、それらは最初の一歩を踏み出すために必要だと思ったから与えたのだろう。

 その後、神々は五百年以上前の建国期に眷属達を聖人として地上に送った。しかし、それは異常な発展を遂げたベーリンゲン帝国を抑えるためだ。もし帝国の陰に何者かの介入を感じなかったら、神々は望まぬ方向に進む者達を残念に思いつつも手を出さなかっただろう。


「だからこそ、私は応えぬ神を捨てたのだ! 見ているだけの神など不要! 私は私の思うように生きる! それが復讐の道であったとしても!」


 ジェリールは、(ゆが)んだ笑いを浮かべた。とはいえ、彼は狂気に染まったわけではないらしい。

 おそらく、ジェリールの胸の内には幾つかの思いが入り混じっているのだろう。神々に復讐したい。神に抗うことで連なる者が現れるなら、妻の死について問いたい。世を救わぬ神などを捨てて(みずか)らの力で歩むよう人に訴えたい。そして、シノブには想像もつかない何か。

 それらの(いず)れが出発点で、現在ジェリールの心を占めるのが何なのか、それはシノブの理解が及ぶところではない。ただシノブに判っているのは、今の彼が大きな喜びを感じていることであった。


「さあ、神の(すえ)よ! 新たな神よ! 私に世の(ことわり)を示せ! お前は私からジェドラーズ達に宿った神を奪った! ならば代わりを務めてもらう!」


 どうやらジェリールは、シノブを異神達の代わりと定めたらしい。

 彼は、国王ジェドラーズ五世を含むアルマン王国の王族達に異神が宿っていたことを知っているようだ。おそらく彼らに異神を憑依させたグレゴマン、ベーリンゲン帝国の皇帝の次男が己の計画を(ほの)めかしたのだろう。

 そしてジェリールが操る巨人は、今までに倍する速さで攻撃し始めた。『覇海(はかい)の杖』の力(ゆえ)だろう、巨人は途轍もない速度で足を運び、(こぶし)を突き出していく。

 想像を絶する質量は大地を割り、空を轟音と共に切り裂く。およそ人の三十倍もの巨体が、人の十倍を超えるだろう素早さで動くのだ。

 おそらく振るう(こぶし)は、音速を一桁超えているだろう。シノブも充分に身体強化をしているが、仮に当たれば絶命しかねない猛撃である。


「お前は……」


 シノブは、薄々予想していたことが正しかったと確信する。

 ジェリールが西軍との戦いを望んだのは、やはり異神と戦いたかったからだ。ならば、ジェリールに神々の意思を伝えるべきなのだろうか。シノブは、そうも思う。


「神々は、この地に生きる者達を慈しみ育てている! いつか自立し、神の助けが要らなくなるまで! だから……神に頼らず生きようとするのは、間違っていない!」


 シノブは進む巨人から距離を取りつつ、ジェリールに語る。

 ジェリールの考えの一部には、シノブも頷けるところがあった。神々は、立派に育った(いと)し子達が自分の足で歩み、己の下から巣立つことを望んでいる。

 それは育てた子が越えていくのを望む親と同じ、神々の愛である。自分の下を子供が去るのは寂しいだろうが、成長を喜び陰から見守るのだ。

 おそらく母なる女神とその子達は、そうやって地球を去ったのだろう。それだからこそ、神々は己の故地である日本を眺め懐かしみつつも、手出しはしない。シノブは、そのように理解していた。


「だが、お前の策謀で散った人達はどうなんだ! お前も理不尽な死を与えた! 偽装商船にやられた商船の者……この戦場に来た者……妻を亡くしたお前と同じで、彼らを悲しむ者達がいる! だから、その報いを受けてもらう!」


 神に頼らず生きようとする。それは神々の心の内を知るシノブにとって、肯定すべきことだ。それに元々現代日本で育っただけに、シノブは人が超自然の存在に頼らず生きるのを当然だと感じている。


 だが、ジェリールが撒いた悲劇は看過できるものではない。彼が妻の死を嘆いたように、船乗りや兵士の家族は嘆き悲しむだろう。

 シノブも自分の手が綺麗だと言うつもりはない。この世界に来てから、シノブは戦争などで多くの命を奪ったし、その中には避けられる戦いもあっただろう。今も、こうやってアマノ同盟の盟主として軍を送り出したのだから、程度の差はあれ誰かを悲しませていることには違いない。

 しかしシノブは、己や愛する者を守るための戦い以外は、避けているつもりだ。それ(ゆえ)彼は、個人的な復讐に他者を巻き込むジェリールを見逃すわけにはいかなかった。


「ならば、ここで私を殺すのだな! 私の意志に反して王家の秘宝を奪うことは出来ない! 奪いたければ私を殺すか隷属させるのだ!

だが、隷属は禁忌なのだろう? そして、秘宝を着けた私を拘束し続けることは不可能だ!」


 ジェリールは、そう叫ぶと巨人を宙に舞わせた。もちろん、巨人が飛翔したわけではない。水で出来た巨人は地を蹴ると、シノブに向かって飛び掛かってきたのだ。


「……なんだって!?」


 シノブは光鏡と光弾で受け止めつつ躱した。そして彼自身は高度を落として巨人の腹に向かって飛翔し、光の大剣を横薙ぎに振るう。ジェリールの命を奪わず無力化するには、巨人を消すべきと考えたのだ。


 光の大剣での攻撃、フライユ流大剣術の『天地開闢』は、巨人の魔力障壁を切り裂いたようだ。遠隔攻撃ではないからか、それとも剣という切り裂くための武器だからか、大剣の先は巨体を形作る水に達していた。

 そしてシノブは、大剣に光の額冠の空間を操る力を乗せた。そのため剣身に触れた水は、どことも知れぬ空間に吸い込まれていく。


「この魔力障壁を貫くか……しかし秘宝がある限り、そして操る水がある限り、私を完全に抑えることは出来ん! 連行して処刑しようなど、甘い考えは捨てることだ!」


 ジェリールは、憎々しげな声で笑う。そして彼が乗る巨人は、シノブの剣から逃れるように身を捻りつつ、巨大な手で(つか)みかかってきた。


「眠りの霧! ……くっ、やはり駄目か!」


 巨人の手から逃れつつ、シノブは催眠の魔術を行使した。巨人の肩に乗ったジェリールを、眠りの霧で包んだのだ。

 しかしジェリールに変化は無い。


 シノブは何度か催眠などの魔術を使ったが、ジェリールには効かなかった。どうやら王家の秘宝は、相手の身体に影響を及ぼす術から守るようだ。

 ジェリールは、妄執のあまり過去の建国王を超える力を得たらしい。そのため彼が被った『覇海(はかい)の宝冠』は、慕う者からだけではなく周囲の魔力まで吸収している。おそらく眠りの霧が効かないのは、術を構成する魔力を奪われたからだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「倒すしかないのか……」


 シノブは、重々しい声音(こわね)で呟いた。

 ジェリールの言葉が本当なら、彼を護送する間や王都で裁く間に、何かが起きるかもしれない。裁きが終わるまでシノブがずっと監視するにしても、一睡もしないで見張るわけにはいかないだろう。仮に見張れたとしても、万が一(おく)れを取ったらどうするのか。


 なるべくなら王都でアルマン王国の者、王太子ロドリアムやベイリアル公爵にジェリールの処遇を決めさせたい。シノブは、そう思っていた。

 どう転んでも処刑であろう。しかしシノブとしては、アルマン王国の者が起こした過ちはアルマン王国の者で正してほしかった。他国が刑を押し付けるのではなく、アルマン王国として選び取ってほしかったのだ。


 しかしシノブが理想を追求するあまり、更なる命が失われたら。それはシノブの自己満足により人が害されたということではないだろうか。


「ジェリール、覚悟!」


 シノブは巨人ではなく、ジェリールに向かって飛翔していった。彼は太陽のように(まぶ)しい光を放ちながら、青い巨人の肩の上へと迫っていく。


「やっと本気になったか!」


 ジェリールも澄んだ湖のような輝きを放った。それに水の巨人も、朝日を受けて幻想的に(きら)めいている。


「行くぞ!」


「おお!」


 シノブが突き込む光の大剣を、ジェリールは手に持つ『覇海(はかい)の杖』で受け止めた。二つの神具が発した金と蒼の輝きは、彼らの周囲どころか中天を満たし平原を神秘の光で染め上げた。


「まだ躊躇(ためら)いがあるようだな! お前の本気を、神の剣を知りたいのだ!」


 ジェリールは、何かを渇望するような顔でシノブに叫ぶ。

 彼が望んでいるものは一体何なのか。単に神の振るう剣を見たいだけではないだろう。おそらく、これが彼の望んでいた、神に触れること。そして神と語らうことなのだろう。

 もちろん、シノブは神ではない。しかし、ジェリールの手の届くところにいる神を感じさせる存在は、シノブだけだ。つまり、彼にとってシノブは神の代理なのだろう。


「神の剣か……そうだな、お前には言葉よりも相応しいかもしれない」


 水の巨人の肩の上で、シノブは光の大剣に己の魔力を注ぎ込んでいく。

 全ての力を剣に篭め、ジェリールに光の大剣の真の姿を見せる。母なる女神が授けてくれた剣、光の神具であれば、ジェリールに神の姿を見せてくれるかもしれない。神を否定し、あるいは神を探し続けた迷える心に答えを与えたい。シノブは、そう願ったのだ。


 シノブが正眼に構える大剣は、今や剣身が見えないほどの光に包まれていた。そして彼の左腕では篭手状の盾が、胸元では幾つもの大きな宝玉を連ねた首飾りが、そして額の上では稀なる額冠が、同じく周囲を圧する力と輝きを放っている。


「おお……これが神か! 神とは……」


 ジェリールが一体何を見たのか、シノブには判らなかった。総統と名乗った男の鳩尾を光の大剣が貫き、言葉は途切れたまま終わったからだ。

 だが、仮にジェリールが最後まで語ったとしても、彼の思いは彼にしか理解できないだろう。シノブは剣を収めつつ、そんな感傷的なことを考える。


「神か……すぐ会えるさ」


 シノブは、崩れ落ちるジェリールを抱き()めつつ(ささや)いた。まもなくジェリールは闇の神ニュテスに会うだろう。死者を悼み輪廻の輪に返す神が、彼の魂を連れて行くからだ。

 この場で(たお)れた兵士達。そしてこの戦いとは関係なく世界中で生を終える命達。人だけではなく、ありとあらゆる命をニュテスは迎え新たな生へと導く。そしてジェリールも、彼の腕に(いだ)かれるのだ。


 既に、水の巨人は消えていた。そのためシノブは再び重力魔術を用い、ゆっくりと地上に向かっていく。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブが地上に着くと同時に、岩竜の長老ヴルムと岩竜ヘッグが飛来した。

 ヴルムの背には、ベルレアン伯爵コルネーユとメリエンヌ王国の王太子テオドール、それにアミィとアルマン王国の王太子ロドリアムが乗っている。そしてヘッグは、先代ベルレアン伯爵アンリにアルバーノ・イナーリオ、更にベイリアル公爵ジェイラスともう一人アルマン王国の貴族らしい人物を乗せていた。


「ロドリアム殿下、どうしてここに?」


 シノブは、思わずロドリアムに問いかけた。

 他の者は戦場にいた。アミィは一旦シェロノワに戻ったが、再び誰かが魔法の家で呼び寄せたのだろう。だが、ロドリアムは王都アルマックにいた筈だ。


「アミィ殿に連れてきていただいたのです」


「アルマックにはシメオン様がいらっしゃいますから……」


 ロドリアムとアミィの言葉で、シノブは大まかにだが理解した。シェロノワの誰かが、ロドリアムやシメオンに戦況を伝えたのだ。

 コルネーユやテオドールは、随時状況をシェロノワに伝えていた。したがって、それらをシェロノワの誰かがアルマックに知らせるのは当然である。そして戦がほぼ終結したことを聞いたロドリアムは、結果を見届けるため、ここに現れたのだろう。


「ロドリアム……」


 王家の秘宝を着けているためだろう、ジェリールは(いま)だ意識を保っていた。とはいえ彼の傷は深く、魔術や秘宝の力で攻撃することは出来ないようだ。


「ジェリール、間に合って良かった。貴方を裁くのは、私達アルマン王国の者であるべきだ」


 険しい表情のロドリアムは、腰の小剣を抜き放った。彼は、王族としての役目を果たしにきたのだ。


「ロドリアム、少し待ってもらえないか。

ジェリール。貴公の妻を死に追いやったのはウェズリードだ。ジェドラーズを救ったナディリア殿が世を去り、貴公とジェドラーズが疎遠になる。ウェズリードは、先々の簒奪のために不和の種を()いたのだ」


 ベイリアル公爵は、ジェリールに彼の妻ナディリアが命を落とした真相を語り出す。

 公爵と共に現れたアルバーノは、ウェズリードが母殺しを認めた瞬間に居合わせた。おそらく彼が、ベイリアル公爵に伝えたのだろう。


「やはり……宝冠が……示した通り……」


 ジェリールに驚く様子は無かった。

 『覇海(はかい)の宝冠』は、相手の感情を使用者に伝えるという。そしてジェリールは、その力を使い息子の言動から内心を探ったらしい。彼の腹心達が語った通りなら、そういうことのようだ。


「これで心残りは無いだろう?」


「ああ……私とナディリアは……息子達を……構ってやれなかった……。軍務と治癒で……」


 ジェリールはベイリアル公爵に頷くと、昔語りを始めた。地に横たわる彼は目を閉じ、皮肉げではあるが何となく懐かしそうな笑みを浮かべている。

 もしかすると、彼の心は妻と二人の息子がいる遠い過去を漂っているのだろうか。シノブは、そんなことを考えてしまう。


「私達は……王都の民に慕われても……」


 軍務卿としてのジェリールは、国王を超える信望の持ち主であった。そしてナディリアも命を賭して王を救ったこともあり、聖女のように尊敬されていた。したがって、王都の民に愛されたというジェリールの言葉は、決して大袈裟ではない。

 子供達を後にしてまで、二人が軍人や治癒術士として世に尽くした。それも確かなのだろう。ロドリアムやベイリアル公爵も、彼の言葉を肯定するかのように沈痛な顔となっている。


「デリベールには……悪いことをした……奴は単純なだけの男だが……」


 ジェリールは、次男のデリベールについて触れた。

 シノブ達の顔は曇る。デリベールは、既にカンビーニ王国で処刑されたからだ。カンビーニ王国の商船隊を襲ったのはデリベールが率いる偽装商船団であり、そのため彼は遠い異国で生を終えていた。


 次男の最期を伝えるべきだろうか。しかし死に瀕した者に対し、あまりの仕打ちではないだろうかと、シノブは悩む。

 もっとも、ジェリールは次男がどうなったか察しているようでもある。彼は、それ以上デリベールについて触れることはなかった。


「心残りは無い……。私は神の力に触れた……秘宝などではない……本物に。だから……」


「……判りました。

軍務卿ジェリール・マクドロン! そなたは禁忌である隷属に手を染め、更に民を(だま)し私怨で兵を戦に(いざな)った! しかも総統などと自称し……」


 ジェリールに促され、ロドリアムが辺りに響き渡る大声で罪状を並べていく。

 いつの間にか、イヴァール達も近くにいた。それに、遠巻きながら東軍の将兵も囲んでいる。おそらく、彼らにもロドリアムの言葉は聞こえているのだろう。(いず)れも声を発しないまま、王太子を見つめている。


「……以上、相違ないな?」


「うむ」


 ロドリアムの問いに、ジェリールは短く答えた。もはや抗うつもりは無いのだろう、彼の返答は穏やかですらあった。


「……よし。素直に認めたのは殊勝だが、罪は極めて重く命で(あがな)うべきである! ……ベイリアル公爵ジェイラス殿? ジールトン伯爵ラルレンス殿?」


「異存ありません。極刑が妥当です」


「同じく。極刑を」


 王太子に呼ばれた二人は、一歩前に進み出て宣言をした。シノブは初めて会うが、ベイリアル公爵と共に来たのは西軍の(まと)め役であるジールトン伯爵だったのだ。


「えいっ!」


 ロドリアムは、逆手に持った小剣をジェリールの左胸に突き降ろした。おそらく彼は、あまり武芸に秀でてはいないのだろう。そのため、確実に死を与えられるように心臓を狙ったのではないだろうか。


「ナディリア……来てくれたのか……」


 ジェリールの微かな声が、シノブの耳に届いた。そして妻を呼ぶ彼の声が途切れたとき、ベイリアル公爵が、見事な剣捌きでジェリールを介錯した。


「結局、変えられなかったな……」


 シノブは、知らず知らずのうちに言葉を漏らしていた。彼は、ジェリールをどこかで正すことが出来なかったか、と過去を振り返っていたのだ。


「何を言う! お主の、そして我らの力で、多くの者が動いたではないか!」


「そうです! ここには沢山の国の人が集っています! そして、この国の人も新たな道を歩み始めています!」


 イヴァールは友の肩に手を掛け、アミィは主の手を握り。二人は力強く、そして温かくシノブを慰めた。

 二人だけではない。シルヴェリオにカルロス、コルネーユにアンリ、テオドールにアルバーノ。それにロドリアムやベイリアル公爵達も、二人に同意するかのように頷いていた。


「そうだね……一人で背負うことじゃない。過ちは皆で正していく。そうだったね」


 シノブは、笑顔を作りながら応じた。

 自分だけで抱え込んではいけない。多くの者と手を(たずさ)えていく。それが大切なことだと、父の勝吾(しょうご)は言った。シノブは、それを思い出したのだ。


 過ちの末に命を落とした者がいる。だが、それは過ぎ去ったことだ。そして今、この瞬間も世の中は動いている。ならば多くの命を預かる者がするべきことは、動き続ける世界に目を向け明日に進むことだ。

 過去を憂い責任に感じるなら、これを最後の戦いとするように努力すれば良い。各国の盟主と呼ばれる自分なら、それが出来るのではないだろうか。もちろん、多くの手を借りながらだが。

 そんな思い(ゆえ)だろう、いつの間にかシノブの顔には心からの笑みが浮かんでいた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年5月21日17時の更新となります。


 次回から第17章になります。


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