16.38 戦場に散る 前編
先代ベルレアン伯爵アンリとアルバーノ・イナーリオが戦場に舞い降りた暫く後、空往く巨船アマノ号の上に変化が生じた。双胴船型の磐船アマノ号の中央、二つの船体を繋ぐ構造物の僅か上に漆黒の闇が出現したのだ。
アマノ号を運ぶのは、岩竜の長老ヴルムと炎竜の長老アジドだ。彼らは左右の船体にそれぞれ一つずつ設置された太い横棒を後ろ足で掴んでいる。そして人がすっぽり入る黒い塊が現れたのは、横に並んだ彼らの間であった。二つの船体の間に置かれた魔法の家の、少し手前である。
──『光の使い』か!──
──うむ、間違いない!──
ヴルムとアジドは、唐突に現れた黒い球体にも驚かなかった。彼らは球体をシノブが創り出したものと理解し、歓喜の咆哮を上げる。
「では、邪神は!?」
「ええ! 見事倒したのでしょう!」
甲板の上で叫んだのは、メリエンヌ王国の王太子テオドールとベルレアン伯爵コルネーユであった。彼らは輝く顔を二頭の巨竜の間へと向けている。
もちろん、二人だけではない。甲板にいる者達は、同じように漆黒の球体を期待の視線で見つめていた。
既に、地上の戦いは終わりつつあった。西軍はベイリアル公爵達の説得が実り武器を収め後退し、東軍の大型弩砲も全て沈黙した。
それに東軍の騎士隊も、今は動きを止めている。死に場を求め激しく抵抗した彼らも、将であるウェズリードの逃亡や母を死に追いやった彼の所業が明らかになったことで、戦意を喪失したのかもしれない。
「義父上、テオドール殿! お待たせしました!」
中央の構造体に飛び降りたシノブは、コルネーユとテオドールに笑顔を向けた。そして、彼に続いてアミィが黒い球体から現れる。
アミィの腕の中には、アルマン王国の国王ジェドラーズ五世がいる。バアル神によりジェドラーズ五世は巨大な異形へと変じたが、治癒の杖により無事に元の姿へと戻ったのだ。
二人に続き、ホリィ、マリィ、ミリィも現れる。こちらも先王ロバーティン三世、第一王妃メリザベス、第二王妃マーテリンを抱えている。
そして彼らが魔法の家の前に降り立つと、漆黒の球体は忽然と消え去った。
「彼らは!?」
「無事です!」
駆け寄るコルネーユに応じたのは、アミィであった。一方シノブはというと、その隣で東に顔を向けて立ち尽くしていた。
──無事に戻った! 異神達は倒したし、王族達も無事だ!──
シノブは、遥か東のシェロノワにいるオルムル達に思念を送っている。彼は、この日オルムル達がシャルロットの側に控えていることや、アルマン王国の王女アデレシアも一緒にいることを知っていた。
そして通信筒より、思念で知らせる方が早い。そのためシノブは、一刻も早く自身の無事や王族の救出成功を伝えようと、思念での伝達を選んだのだ。
「随分と衰弱しているようだが……」
コルネーユは、アミィ達に訊ねかける。そしてテオドールも、コルネーユと同じく四人の少女が抱える者達に顔を向けていた。
遠方に思念を送るには、大きな魔力が必要だ。そして感知能力に優れた者であれば、そのような大魔力に気が付かないわけがない。そのためコルネーユ達は、シノブが何をしているのか察したのだろう。
「ええ、充分な休養が必要です」
「特にジェドラーズ五世は……」
アミィに次いでホリィが言葉を発した。彼女はマリィやミリィと同じく人族の少女に変じているため、鷹の姿のときとは違い肉声で直接答える。
異神達に憑依されたためだろう、四人の王族は激しく衰弱していた。特に、ジェドラーズ五世が酷い。異神の依り代となった上に、肉体を巨大な異形へと変えられたためだろう。彼は他の三人に比べても魔力の減少が著しく、表情も苦しげだ。
「これはシノブ殿の服……?」
テオドールは、ジェドラーズ五世を見て怪訝な顔をしていた。ジェドラーズ五世が着ているのは、シノブの持ち物である軍服風の衣装だった。
「ええ、国王は異形に変化したので……」
「悪の侵略者らしく巨大化したのです~、邪神による変化だから邪神化というべきでしょうか~。でも大丈夫です~。邪神はシノブ様が打ち破りました~」
テオドールの疑問に答えたのは、マリィとミリィであった。
二人の説明は大雑把なものであったが、テオドール達の顔に納得の色が浮かぶ。そしてミリィが最後に触れたこと、異神達の敗北を耳にした彼らは、喜びと安堵の声を漏らす。
「義父上、こちらの状況は?」
オルムル達に思念を送り終えたシノブは、コルネーユに現状を問うた。
シノブが念じた通り、光の額冠は彼らをアマノ号の上空へと送り届けた。しかし、流石に異空間から戦場の様子を知る術は無かったのだ。
「アルバーノが先ほどウェズリードを討ち取った。彼と父上は地上に降ろした軍に向かっている。西軍はベイリアル公爵の説得で退き始めた。ジェリールは、まだ抵抗を続けている」
シノブの問いに、コルネーユは口早に答えていく。彼が語ったように、西軍は退き東軍も動きを止めていた。しかし、ジェリール・マクドロンのみは依然として戦い続けていた。
自身が率いた東軍が戦いを止めても、ジェリールには王家の秘宝がある。そのため彼は、孤独な戦いを続けていたのだ。
「……アミィ、彼らを頼む」
状況を理解したシノブは、アミィへと顔を向けた。
アミィやホリィ達には、シェロノワに四人の王族を送り届けてもらう。彼らには、まだ治療が必要だからである。
「はい! シノブ様、お気を付けて!」
シノブに応じたアミィは、国王を抱え魔法の家へと入っていった。もちろんホリィ達も、残り三人の王族を運び込み中へと消える。
アミィ達四人のうち、マリィとミリィは王族達に付き添いシェロノワに残ることになっていた。二人が持つ魔封の杖と治癒の杖が、王族達の治療に必要だからだ。
アミィとホリィも、王族達の容態が安定するまでは付き添う。魔封の杖は魔力の譲渡も可能としているから、万一のときは彼女達も魔力を注ぐのだ。
「それでは義父上、テオドール殿、ここはお願いします!」
シノブは重力魔術を用い宙へと飛び出した。彼は、アルマン王家の秘宝を操るジェリール・マクドロンと戦うべく戦場へと向かったのだ。
そして僅かに遅れてアマノ号の上から魔法の家が消え去った。
「これで終わりですね」
「ええ、残るはジェリールだけです」
テオドールとコルネーユは、シノブの向かった先へと顔を向けた。
そこにはジェリールの操る水の柱が、朝日に輝いている。十本ほどの水柱は当初の数倍、アマノ号が飛ぶ高空と地上の半分もの高さになっていた。
ジェリールは、戦場に命を懸けた騎士や兵士の思いを糧として更なる力を得たのであろうか。そんなうすら寒い思いが頭に浮かんだのか、船上の者達の顔は厳しく引き締められたままであった。
◆ ◆ ◆ ◆
戦場から1300km以上も東のシェロノワに、歓喜の思念と声が響く。発したのは、シノブからの知らせを受け取ったオルムル達だ。
──シャルロットさん! シノブさん達は邪神に勝ちました!──
──アデレシアさんのご家族も無事です! あとはジェリールという人だけです!──
岩竜の子オルムルと炎竜の子シュメイが、シノブから伝えられたことをフライユ伯爵家のサロンに集った者達に説明する。
「シノブ! ついに邪神を……」
「お、お父様達はこちらに!?」
感慨深げなシャルロットに、歓喜に声を上ずらせるアデレシア。どちらも瞳には輝くものが宿っている。二人だけではない。ミュリエルやセレスティーヌ達も同様だ。
──ええ、魔法の家で転移します!──
──早く庭に行きましょう!──
岩竜の子ファーヴと、光翔虎の子フェイニーは、人が乗れるほどの大きさに変じていた。どうやら、自分達に乗って庭に行け、ということのようだ。
そして海竜の子リタンや嵐竜の子ラーカは、魔力でサロンの窓を開け放っていた。
「アデレシア様達をお願いします。……ミュリエル、セレスティーヌ、呼び寄せを。私は部屋に直接向かいます」
お腹の子を案じたのだろう、シャルロットは騎乗しないようだ。彼女は庭に赴かず、王族達を受け入れるために用意した部屋で待つことにしたらしい。
「はい! アデレシアさん、一緒に行きましょう!」
セレスティーヌは、アデレシアの手を取ると窓際で待つファーヴ達のところに駆けていく。
サロンにいる者で魔法の家の呼び寄せ権限を持っているのは、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌの三人である。そのため彼女達の何れかが同行しないことには、魔法の家を呼び寄せることは出来ない。
「私も。マリエッタ様は?」
「妾は遠慮するのじゃ。シャルロット殿の護衛じゃから」
エディオラの言葉に、マリエッタは首を振った。
マリエッタはシャルロットの側付きという名目でシェロノワに来た。そのため彼女は、身重のシャルロットを置いていくべきではないと思ったのだろう。
「エディオラ様、私がご一緒します。カロルさん、一緒に来てください」
ミュリエルはエディオラを誘い、更に側に控えていたカロル・フィヨンへと声を掛け窓際に歩んでいく。どうやらミュリエルは、背を向けて待つオルムル達の期待に応えるべきだと思ったらしい。
ファーヴとフェイニーは、既に窓から飛び出した。しかし窓際には、まだオルムル、シュメイ、メイニーの三頭が待機していたのだ。
なおリタンやラーカは、ファーヴ達と共に飛び出していた。海竜は宙を浮遊して進むことが出来るが、さして飛ぶことに興味は無いらしい。そのためリタンは人を乗せることが少なかった。
そして嵐竜のラーカだが、こちらは細長い蛇のような体だけに、人を乗せるのは小さなままでは難しい。とはいえ、元の大きさに戻るには室内は狭すぎる。そこで今回は運搬役を避けたようだ。
「は、はい!」
カロルは、自分に声が掛かるとは思っていなかったらしい。彼女は驚きの表情を浮かべていた。
もっともカロルは非常に優れた治癒術士だから、ミュリエルが声を掛けるのは当然であった。彼女は魔力こそ少ないものの、王都で長らく治癒魔術を研究したルシールの助手である。そのため、並の治癒術士より遥かに博識で豊富な経験を持っているのだ。
「それでは、マリエッタ」
シャルロットは窓から飛び出した者達を見送ると、マリエッタ達へと顔を向けた。
控えているのは、マリエッタと彼女の学友である三人の伯爵令嬢の女騎士達、そしてリゼットなどの侍女にシャルロット付きである元帝国の貴族の娘マリアローゼやマヌエラなどだ。
「はい!」
マリエッタは、晴れやかな笑顔を浮かべるシャルロットへと手を差し伸べた。そして他の三人もシャルロットを囲む。
物々しくはあるが、子を宿してから三ヶ月近いシャルロットだ。アムテリアから授かった腹帯により、彼女は体調を崩すことも無く身体強化すら用いることが出来る。しかし、それらは極めて近しい者しか知らないから、この頃は普通の貴婦人同様に側付きを多く付けているのだ。
「これで、帝国との戦いが完全に終わったのですね……」
多くの女性に囲まれ歩むシャルロットは、感慨深げな呟きを漏らした。
六百年以上の長きに渡りベーリンゲン帝国に潜んでいた異神達は、ついに滅び去った。そしてシャルロットは、帝国と五百五十年以上を戦ってきたメリエンヌ王国の貴族である。
先祖代々の戦いが、真の意味で終わりを迎えた。それは、シャルロットにとって非常に大きな意味を持っているのだろう。
「はい……私達も、やっと解き放たれたような気がします」
「これで父達も浮かばれるでしょう」
マリアローゼとマヌエラにとっても、異神達の消滅は非常に大きな意味を持っていたようだ。
二人の親や祖父母は、帝都決戦の際に皇帝により竜人へと変えられ散っていった。そして皇帝を操っていたのも異神達である。つまり、彼女達も仇敵から完全に解放されたわけだ。
一つの時代の終焉と新たな世の到来。二人の心には、そのようなものが過ったのかもしれない。彼女達の憂いの無い顔は、そう語っているかのようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
「お父さま!」
アデレシアは、悲痛な叫びを上げていた。彼女の視線は、魔法の家から運び出された父ジェドラーズ五世に向けられている。
ジェドラーズ五世は、他の三人と比べ物にならないほど衰弱していた。
他の三人、先王や二人の王妃は異神に操られていただけだ。そのため三人は精神や魔力への影響はあっても、それ以外は常と大きく変わらぬようだ。
一方、ジェドラーズ五世は異形に変化し元に戻った。そのため彼の肉体は、二度の変化で生命の維持に差し障るほどの害を受けたのだろう。
国王の顔は紙のように白く、息も非常に弱く途切れ途切れだ。そのため、遠目から見たら生者とは思えないかもしれない。
「魔力が……」
エディオラも、それを察したようだ。彼女は極めて優れた魔力感知能力を持っている。そのため彼女は、四人の王族のうちジェドラーズ五世だけが魔力を大きく減じていることを理解したのだろう。
「大丈夫です。ゆっくりとですが、快方に向かっています。ただ、魔力の漏れが激しいので暫くは注ぎ続けるしかありません」
館の使用人に国王達を預けたアミィは、アデレシア達に柔らかな声音で語りかけた。
アミィの言葉を聞いて、アデレシア達は安堵したようだ。彼女達の顔からは、少しだけだが憂いが取れている。
「よかったですわね」
「アミィさん、このまま館に?」
セレスティーヌやミュリエルも、顔を綻ばせていた。彼女達も、ジェドラーズ五世を見たとき微かな悲鳴を上げていたのだ。もしかすると二人は、彼が既に命を落としたと思ったのかもしれない。
「はい、もう少し良くなるまで私達が付き添います」
「上の貴賓室に運ぶのでしたね?」
アミィはミュリエルに答え、ホリィは館の上階へと顔を向けた。救出した者達は、国王に先王、そして王妃という貴人達だ。そこで彼らの治療は館の中で行うことになっていた。
「はい、準備は整っています」
家令のジェルヴェは、後ろを指し示す。
そこには四人を担架に乗せる使用人達の姿があった。ジェルヴェは、異神の依り代となった王族達が身動きすら出来ない可能性を考慮していたのだ。
「とにかく館に急ぎましょ~。集中治療室に搬送です~」
「そうね。魔力を注ぐのも落ち着いた場所の方が集中できるわ」
こちらはミリィとマリィである。彼女達は、担架に横たわるジェドラーズ五世の側で杖を掲げている。
異形へと姿を変えた後遺症故だろう、今のジェドラーズ五世は魔力を補充しても保持しておくことが出来ないようだ。いわば、輸血しても漏れていくようなものである。
もう少し回復すれば、ここまでしなくても大丈夫だろう。しかし今は、抜けていく分だけ魔力を補充しないことには、あっという間に魔力が無くなってしまうようだ。
「ミリィさん、マリィさん、済みませんがこのままお願いします!」
カロルは高度な専門知識があるだけに、現在の状況を良く理解しているに違いない。担架に付き添い駆ける彼女の表情は険しかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「アデレシア様。アミィ達は、どんな治癒術士よりも優れています」
シャルロットは、貴賓室の寝室の前に立ち尽くすアデレシアへと声を掛けた。
寝室の中には治療の魔道装置が四つ据えられ、しかも多くの治癒術士がいる。そのため、アデレシアは隣室で待つようにと言われたのだ。
「はい……」
シャルロットの言葉を受け、アデレシアはソファーへと移動する。そして彼女は、マリエッタとエディオラの隣に腰を下ろした。
向かい側にいるのは、シャルロットにミュリエル、セレスティーヌだ。何れもアデレシアへと気遣いの滲む顔を向けている。
「シャルロット様、申し訳ありません。お母様が大変なときだというのに……」
「良いのです。向こうにはアルメル殿にルシール、それにアンナが行ってくれました。それに、私は治癒魔術を使えませんし、そもそもこの場を預かるのが役目なのです」
頭を下げるアデレシアに、シャルロットは微笑んでみせた。
シャルロットの母カトリーヌは、この日の朝に産気づいた。先ほどアルメルが通信筒で送ってきた文によれば、カトリーヌは落ち着いており陣痛の間隔もまだ長く出産まで数時間は掛かるだろうとのことであった。
しかし、本来ならシャルロットも母の下に駆け付けたいところだろう。シェロノワからカトリーヌのいるセリュジエールには神殿での転移を使えばすぐである。仮にアルマン王国の騒動がなければ、シャルロットも、そしてアミィ達もセリュジエールに行ったに違いない。
「でも……戦場では、多くの人が命を落としている筈です。それなのに、私だけが家族を救っていただいて……」
「アデレシア殿……それは……」
アデレシアの隣から、マリエッタが心配げな顔を向けた。彼女は何かを言おうとしたが、途中で押し黙ってしまう。
マリエッタの父のアルストーネ準公爵ティアーノや、叔父の王太子シルヴェリオは戦場に赴いた。それに彼らの家臣達、つまりマリエッタの知る者も多く従軍している。
それらを思ったマリエッタは、下手に慰めの言葉を掛けても、と思ったのかもしれない。
「アデレシア様。お父上達には、戦場に散るより辛い運命が待っているかもしれません。
邪神に操られ、無駄な戦いへと民を誘った。それ以前に、奸臣ジェリールを放置していた。これらは、アルマン島の者達からすれば許しがたいことでしょう。
統治者には、国を正しい方向に導く義務があるのです。そのため私達は、多くの特権を得ているのですから。ですが、お父上は与えられた力を正しく行使できなかった」
「お姉さま……」
淡々と語るシャルロットに、ミュリエルが思わしげな顔を向けた。
ミュリエルは、そこまで言わなくても、と思ったのだろうか。しかし彼女は、姉を止めようとはしない。彼女は、姉の言葉は厳しくとも間違ってはいないと思ったのかもしれない。
「私達が王族として遇されるのは、それ故ですわ。王とは強く正しい存在であるべきなのです。仮に避けえぬ運命であったとしても、何とかして民を守り通す。だからこそ絶対的な支配者として頂点に立つことを許されているのです」
「国のためなら己を捨てる。その覚悟がなければ、王となっても不幸になるだけ」
王女であるセレスティーヌとエディオラは、父や祖父から国王のあり方を教えられているのだろう。
彼女達も王族だから、特権を享受する代わりに無私を要求される。それ故彼女達は、国のためなら望まぬ縁談も受けるだろうし、命すら捧げるだろう。
セレスティーヌは、成人式典で民のため王国のために身を尽くし王族としての矜持をもって生きると誓った。それは、決して形だけの宣言ではないのだ。
「はい……父達には、これから為すべきことがあるのですね……」
「その通りです。ですが、まずは体を治してからです。お父上達の戦いは、これからなのですから」
涙を浮かべたアデレシアに、シャルロットは温かな笑みで応えた。
厳しい言葉を掛けつつも、シャルロットはそれ以上にアデレシアを案じているのだろう。過去を憂うのではなく、未来のために生きるべき。シャルロットの穏やかな声は、そう励ましているようであった。
「はい! 私も父や兄を助けます! 私の出来ることで!」
「ええ、それが良いと思います。アデレシア様は、新たな国と私達の架け橋になるでしょう。メリエンヌ学園で学んだこと。私達との友誼。それらが各国との絆となり、更なる交流を生み出す筈です」
シャルロットは、アデレシアの力強い宣言に笑顔で応じた。そして彼女の笑顔は、集う者達へと広がっていく。
「アデレシア様、お父上の容態が安定しました! もう大丈夫です!」
室内に穏やかな空気が戻ったそのとき、アミィが寝室と繋がる扉から顔を出した。彼女の顔には大きな安堵が浮かんでいる。
「お父さま! ……よ、良かったです」
アデレシアは、弾かれたようにソファーから立ち上がっていた。そして彼女は、滂沱の涙で頬を濡らしていく。
「アデレシア様」
「はい!」
シャルロットが促すと、アデレシアは煌めく輝きと共に小走りに駆けていく。そんな彼女を見送る者達の顔には、心からの祝福が宿っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「イヴァール! シルヴェリオ殿! カルロス殿!」
シノブはイヴァール達三人と、彼らを乗せている岩竜ガンド、それに光翔虎のバージとダージの側に僅かな間に辿り着いた。
戦場といっても、ほんの数km四方だ。重力魔術に熟達し竜や光翔虎にも勝る速度で飛翔できるシノブからすれば、至近と言っても良い距離である。
「邪神を倒したのだな!?」
岩竜ガンドの背から、イヴァールがシノブへと顔を向け訊ねかける。
ガンドやバージ、ダージは、腕輪の力で馬ほどの大きさに変じている。そのため彼は、愛馬のヒポに乗るときと同様に騎乗していた。
「ああ! 王達も助けた!」
「流石はシノブ殿! 済みません、こちらはまだ……」
カンビーニ王国の王太子、銀髪の獅子の獣人シルヴェリオは、シノブの言葉に歓声を上げた。しかし彼は、すぐに悔しげな表情となる。
「ですが、お陰で西軍に大きな被害はありません!」
「とはいえ、私達の手で倒したかった……」
こちらはガルゴン王国の王太子カルロスだ。こちらもシルヴェリオ同様に残念そうな顔である。
ちなみに彼とシルヴェリオは全身鎧を装着している。そのため顔といっても見えるのは上げた覆いから覗く目元や周辺のみである。
彼ら三人は、シノブが戻るまでジェリールを抑えるのが役目であった。
ジェリールが被る『覇海の宝冠』は、彼に膨大な魔力を与えていた。そのため彼は、『覇海の杖』で想像を絶する量の水を操り柱とし、そこから飛ばす水塊で大型弩砲を遥かに超える距離を攻撃できた。
そのジェリールを封じなければ、今頃西軍は壊滅していただろう。シノブの第一の目的は異神達を倒すことであったが、だからといって無駄に命を散らすのを座視しているわけにはいかない。
したがって彼らの戦いには充分な意味があった。しかし武人としては、自分自身の手で倒したかったのだろう。
──『光の使い』よ。あの男は、慕う者の力だけではなく周囲の魔力も集めている──
──うむ。流石に我らから直接奪うことは無理なようだ。しかし、天地に漂う魔力で予想以上の力を得ている──
──それに、我らの放った技の残滓も吸収している──
ガンド、バージ、ダージも、無念さが滲む思念を送ってきた。彼らにとっても、この事態は予想外だったようだ。
戦いが長引いた理由は三頭の語った通りであった。
この世界の万物は、どのようなものであれ魔力を含んでいる。魔獣の領域でなければ、ごく僅かなものだが、掻き集めれば膨大な量になる。
それに、竜や光翔虎の放つ技には多くの魔力が含まれている。ガンドはブレスで光翔虎達は風の技で、西軍に向かって放たれた水塊を打ち落とした。『覇海の宝冠』は、それらからも幾らかの魔力を得ているらしい。
攻撃そのものが吸収されることは無いし、当たれば大きなダメージとなるのだろう、ジェリールも水や魔力障壁で防いでいる。しかし、周囲に散った魔力が彼を強化する。そのためガンド達も、手を出しかねているようだ。
「……建国王すら超えているのか?」
戦況を把握したシノブは、表情を曇らせる。
アルバーノ達が調べた内容の通りなら、アルマン王国の初代国王ハーヴィリス一世は、そこまで強力な力を持っていなかったらしい。それに、ハーヴィリス一世の弟を祖とするベイリアル公爵家にも、そのような逸話は伝わっていなかった。
そのためシノブは、イヴァール達がジェリールと互角以上に戦えると思っていた。そうでなければ、シノブも彼らを送り出すことはなかっただろう。
──おそらく、あの男の執念故だろう。奴は、そなたとの戦いを望んでいるらしい。そのためなら、命を捨てても構わぬほどに──
ガンドは、シノブとの対決を渇望するジェリールの思いが限界を超えさせたという。
ジェリールは、神を強く恨んでいた。彼がジェドラーズ五世との戦いを望んだのは、彼ら王族に宿る異神を撃破することにあったようだ。
そもそもジェリールが王に叛意を抱いたのも、神に挑み否定するためらしい。彼は、己から愛妻を奪った運命を呪い、応えてくれぬ神を恨んだのだ。
彼がジェドラーズ五世を退位させた後に王と名乗らなかった理由は、それだろう。エウレア地方の王家は、代々神の加護を受け継いでいる。つまり、神に祝福された者が王である。
ならば神を呪い挑む彼としては、王を名乗るわけにはいかない。それ故彼は、総統、つまり神に頼らず己自身で総てを統べる者と称したのだろう。
「フライユ伯爵シノブ・ド・アマノ! 神を打ち倒し者よ! 待っていたぞ、さあ来い!」
どうやら、ガンドの推測は当たっていたらしい。ジェリールは、巨大な水柱の上から天地に響く絶叫でシノブを呼ぶ。
彼の声には、魔力が宿っているのだろうか。それとも、彼自身が既に人ならぬ存在へと変貌しているのか。彼の声は、シノブ達どころか平原のどこにいても聞こえるくらいの大音声であった。
「さあ、私と戦え! 神の裔よ! いや、新たな神よ!」
ジェリールは、グレゴマンから何かを聞いていたのであろうか。
グレゴマンはベーリンゲン帝国の皇帝の息子であり、代々彼らが信奉してきたバアル神と交信できたらしい。そしてバアル神は、帝都の地下神殿での戦いでシノブを神に連なる者と察したようだ。
それともジェリールは、シノブがバアル神を倒したことから何かを察したのか。神を倒す者は、神そのものか、その裔である。秘宝を通して神々の力に触れた彼だけに、そう思っても不自然ではない。
シノブには、それらは些細なことであった。彼は、無言のまま空を突き進む。
神を呪うあまり道を違えた男に応える。そして、彼の戦いを終わらせる。金色の輝きに包まれたシノブは、それだけを念じつつ澄み渡る青き空を駆けていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年5月19日17時の更新となります。