16.33 私が求めた戦争だ
創世暦1001年5月11日の未明、アルマン島の南部街道で二つの軍が動き出そうとしていた。
二つの軍が布陣しているのは、東の都市オールズリッジと西の都市ジールトンの中間、アクフィルドという名の平原だ。東にジェリール・マクドロンが率いる反逆軍、西に国王ジェドラーズ五世を奉じた国王軍が、開戦の時を待っている。
もっとも、反逆軍というのはシノブ達アマノ同盟が付けた名だ。自身を総統と称し国権を握ったジェリールが、自分達を反逆軍などと呼ぶことはない。彼らは自分達を正規軍、そしてジェドラーズ五世達を廃王軍としていた。
対するジェドラーズ五世達だが、こちらは王位を退いていないと主張するためだろう、自分達を国王軍、ジェリール達を反逆軍と呼んでいる。
「あの王様が軍を率いるなんてな……」
「意外だよな」
彼らは、東に陣を構えたジェリール達の軍の兵士だ。
ジェリールは、軟弱なジェドラーズ五世に国を任せられないと退位させた。したがって彼らからすれば、血筋だけで王権を弄ぶジェドラーズ五世こそが悪で、それを廃した自分達が正義なのだろう。
逆にジェドラーズ五世の支持者からすれば、王に背き国を危うくしたジェリール達が悪に違いない。
たとえ国王に多少の欠点があろうとも、補い導くのが臣下の道だ。それをせずに独断で軍を動かし、戦乱を引き寄せるなど奸臣の所業である。ジェドラーズ五世に付いた者達は、そう思っているに違いない。
「王様も、死にたくなければ戦うしかないか。総統閣下からすれば敵のようなものだからな」
「……例の件か」
今度は、少しばかり声を潜めながらである。兵士達も、ジェリールとジェドラーズ五世の因縁は知っているのだ。
ジェリールの妻ナディリアは極めて優秀な治癒術士で、王族付きとなっていた。しかし彼女は、毒に侵されたジェドラーズ五世を助けたものの、命を落とした。同僚達が王と同じ毒で倒れたため彼女だけしか治療できる者がおらず、力尽きた彼女を救う者もなかったからである。
ジェリールは、元々神への信仰は厚かった。しかし彼は、この不幸極まりない事件により、大きく考えを変えることになった。彼は、いくら信じても助けてくれぬ神など無用の存在と切り捨てたのだ。
兵士達は知らないが、ジェリールは息子のウェズリードに神々への復讐さえ出来れば良いと語った。彼は、国王達に憑依した異神を倒すことを最優先事項としたようだ。
どうも、ジェリールは異神といえども神と呼ばれる存在を倒すことに強く惹かれたようだ。憑依の対象が妻の死に絡んだジェドラーズ五世というのも彼の戦意を高める理由となったのかもしれないが、根底には神への挑戦があるらしい。
ただし、いずれにしても私怨というべきで、巻き込まれる将兵にとっては良い迷惑だろう。
「向こうは、何で王様なんかに従っているんだ?」
「さあな……西の者に慕われていたとも聞かないが……第一王妃の兄があっちの伯爵だが、それだけじゃなぁ……」
彼ら東軍からすると、西の者が国王を支持しているのが不思議らしい。王都の民にも人気があったとは言えない国王だ。その彼が遠く離れた西で支持されるのは、確かに疑問ではあるだろう。
これも彼らが知らないことだが、西軍の旗印であるジェドラーズ五世も、民を思って動いたわけではない。ジェドラーズ五世と彼の二人の王妃、そして先王は、彼ら自身の意思ではなく憑依した異神に操られているのだ。
四人に近しい者達も知らないが、バアル神と従属するアナト、アスタルト、ダゴンが王族達を動かしている。アルマン島を制しに出たのは王族達の意識に影響されてかもしれないが、都市ジールトンでのジェドラーズ五世と第一王妃メリザベスの会話からすると、四人を支配しているのは異神達で間違いないようだ。
これらの事情は、極めて一部の者しか知らない。東軍であればジェリールとウェズリード、西軍であれば異神達。この戦いの真の意味を知る者は、東西の軍では彼らだけに違いない。
「相手は半分くらいなんだろ?」
「ああ、斥候はそう言っていた。それに、総統閣下は秘宝を使えるからな」
ジェリール達の配下に動揺が見られない理由は、これであった。
東軍は、およそ八千人。もちろん一部は後方支援の輸送部隊だが、それを除いても六千人である。それに対し、国王達の西軍は総勢でも四千人ほどである。こちらも実働部隊のみなら三千数百人というところか。
したがって、倍の兵力を抱えた東軍の兵士達が余裕の表情となるのも無理はない。
「守るには向こうが有利だ。しかし閣下が秘宝で崩してくれれば……」
兵士の一人は、周囲を見回し笑みを零す。土地が痩せているらしく、砂と岩、それに背の低い草だけの荒野には、揃いの装備の兵士達が日の出を待ちつつ整然と並んでいる。
「これだけの大軍だからな」
応じた男も、頼もしげな顔であった。その言葉からも、大きな安堵が感じられる。
万に届かない軍勢だが、この地方の戦いとしては極めて大規模なのは事実である。昨年末のメリエンヌ王国とベーリンゲン帝国のガルック平原の戦いでも、それぞれが出したのは一万二千人ほどである。ちなみに、メリエンヌ王国の人口が三百万人、ベーリンゲン帝国が二百五十万人だ。
それに対しアルマン王国は総人口が七十五万人ほどで、しかも一部はベイリアル公国として独立した。そのため東軍の支持基盤が約三十万人、西軍は十八万人ほどである。要するに、双方とも人口の2%以上を出しているのだ。
そもそも素人を集めても戦力にはならない。それに各地の治安維持も必要だ。したがって、これが動員可能な最大数である。
「折角の勝ち戦だ。ここで活躍して俺も隊長くらいに……」
「お前には無理だな。俺が出世したら副隊長にしてやるから、それで我慢しろ」
そのためだろう、東軍の将兵は何れも落ち着きを保っていた。
自身も敵も、アクフィルド平原に持てる限りの戦力を集めた。そして、こちらが多い。地形は西側が高く守り易いが、数の有利に加え自分達には王家の秘宝を操るジェリールがいる。それが、彼らの自信の源なのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「ジェリールに騙された反逆軍か……哀れなものだ」
一方、西軍も戦意は負けず劣らず高かった。平原の西端に位置する崖の上に陣を構えた彼らは、倍の大軍にも平然としている。
荒れ地が殆どのアクフィルド平原だが、西端の突き出た断崖を別にすると平らかな土地が広がっている。そのため西軍の兵士達には東軍が良く見えているのだが、彼らの顔に恐れは浮かんでいない。
「全くだ。陛下達の魔術でやられるとも知らずに」
東の平原を見下ろす兵士の顔には、嘲笑とでも言うべき表情が浮かんでいた。
アクフィルド平原の西は、切り立った崖が続いている。街道は崖の一部を切り崩して通しているが、他は道など存在しないし、登攀も並の者には無理だろう。
両軍とも移動式の大型弩砲を揃えてはいるが、双方の陣地は2kmほども離れており射程の外だ。そのため平原を見下ろす兵士達も、盾など翳すこともなく身を晒している。
この世界の大型弩砲は、地球のものに比べれば随分と射程が長い。こちらの人間には身体強化があるから、人力で動かす大型弩砲も、その分だけ性能が上がっているのだ。
とはいえ軍艦に積む固定式の大型弩砲でも通常なら射程は1kmほどだ。最新式なら更に100mや200mは遠方に届くが、それでも2km先は無理である。
したがって、それらを熟知している兵士達が平静なのも当然ではあった。
「陛下達の魔術は、最新式の大型弩砲よりも遠くを狙える。油断して近づいてきたら……」
「ああ、そのときが待ち遠しいぜ」
西軍の狙いは、これであった。
通常、この地方の攻城戦は大型弩砲や投石機で城壁の守りを崩すところから始まる。今回は城での攻防ではないが、西軍の陣取った高さ10mはある断崖は城壁に相当するから似たようなものだ。
数で劣る西軍は、地形を頼りに応戦するしかない。そのため防御に適したアクフィルド平原の西に陣取るのは当然で、東軍は不審を抱かない筈だ。
そして相手は物量で押し、断崖の上から退かせて進軍するつもりだろう。崖の上は再び平坦な場所になるから、そこまで押し込めば数で勝てる。東軍は、そんな風に思って押し立ててくるに違いない。
「雷に炎、水……ここなら使い放題だな」
「荒れ地ばかりで人は住んでいないからな」
だが、異神に憑依された四人の王族は、常識を超える魔術を使う。彼らは、大型弩砲の圏外だと思って油断している東軍を、魔術で潰す。そして見通しの良い荒野だから、防ぐことは出来ない。彼らは、そう思ったのだろう。
「王都の連中には気の毒だが」
「気の毒だなんて思っていないんだろう?」
国王達の魔術で壊滅する敵を想像したのか、西軍の兵士達には嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
王都がある東とは違い、西は栄えているとは言い難い。寒村も多く、生まれた地を捨てて王都などに出る者も多い。そのためだろう、西の兵士達には東への劣等感めいたものがあるようだ。
「そろそろ日の出だな……あいつらを倒して王都に進むぞ。そして俺も隊長様だ」
「お前は、一生平の兵士だよ。俺の部下として、こき使ってやる」
兵士達は、ジェリール達の陣地の向こうへと視線を向けていた。日輪が顔を出すにはもう少し時間がある筈だが、地平線からは闇が去り空は色付き始めている。
双方の兵士は共に超常の力に頼り都合の良い夢を見ているようだが、夜を統べる闇の神は何れに微笑むのだろうか。それとも彼らは闇の神のもう一つの姿、つまり死者を悼む冥神としての顔を見るだけなのか。
空と大地は彼らに答えることは無い。万物を育む偉大なる自然は、彼らに新たな一日の始まりを告げるだけである。
例えそれが血塗られた日であろうとも、それは人々が選び取ったもの。そう語るかのように、天地は美しくも冷たい輝きに満たされていくだけであった。
◆ ◆ ◆ ◆
もっとも彼らを率いる者達は、それほど楽天的ではなかった。特に東軍の副将を務めるウェズリードは、不安交じりの顔を父に向けていた。
「父上。王都の件ですが……」
「使者や将には厳重に緘口令を敷いたのだろう? この期に及んで案じても仕方なかろう」
息子とは違い、ジェリールの顔には余裕すら感じられた。総大将に相応しい豪奢な天幕の中に、彼は楽しげにすら感じる声音を響かせる。
「それはそうですが……父上のお力に、変わりは無いので?」
ウェズリードの視線の先には、ジェリールが着けた『覇海の宝冠』と手に持つ『覇海の杖』がある。
『覇海の宝冠』は信奉する民の心を力に変える秘宝だ。そして、宝冠で得た力が無ければ『覇海の杖』は充分に威力を発揮できない。
これらが本来の力を発すればこそ、異神を宿した王族達に優位な戦いが出来る。それを知るウェズリードが不安になるのも、無理はなかろう。
「問題ない。元々、遠方の力を集めることは出来んのだ。だから、我らも王都を厚く遇し地方を切り捨てた。それはお前も知っている筈だぞ?」
ジェリールは、微かに歪んだ笑みを浮かべている。彼は、息子の動ずる様子を面白く感じたらしい。
「距離が近いほど強い力を得ることが出来る。現時点で有効なのは、ここに集った者達……それと一番近いオールズリッジまでだろう。仮に王都が落ちていなくとも、今得られる力など僅かなものだ。
それに、宝冠は強い思いを持つ者ほど多くの力を吸い取れる。平原に入ってからというもの、力は増すばかりだ」
ジェリールの言葉は嘘ではないのだろう。彼の顔は今まで以上の活力に満ちている。
それにジェリールの魔力は、普段より遥かに多いようだ。普段の彼の魔力は、息子のウェズリードと同等か若干少ない程度であった筈だ。しかし今、ジェリールの体からは最低でもウェズリードの数倍、事によっては数十倍の魔力が放出されている。
「ならば?」
「案ずるな。これは私が求めた戦争だ。神に挑むだけで終わるつもりは無い。神を倒し、人のみが世を動かす……それが私の望みだ」
問いかける息子に、ジェリールは自信ありげな顔で頷いてみせる。
応えてくれぬ神など不要。不確かな存在など廃し、地上は自らの手で統べる。その思いと常人とは思えぬ魔力のためだろうか、ジェリールからは地上の者とは思えぬ力強さが感じられる。
「お前こそ、しっかり役目を果たすのだ。私が神と戦っている間に、廃王軍を蹴散らせ。お前は謀略を得意としているが……こういう場面には、デリベールの方が向いていたかもしれんな」
「父上、私に将としての器は無いと!?」
ジェリールの呟きを耳にしたウェズリードは、憤懣に頬を染めて詰め寄った。彼は、弟に劣ると言われたのが心外だったようだ。
二人は知らないが、デリベールや彼の部下は既にこの世にいない。南洋でカンビーニ王国の商船隊を沈めた彼らは、彼の国に引き渡され処刑されていたからだ。
「デリベールなら何も考えずに突撃しただろう……それだけだ。エルフを手に入れたら功一等。そう唆されて南洋に乗り出した奴ならな」
「私は……適材適所と思っただけです」
どうやらデリベールが偽装商船隊を率いて南に行った裏には、ウェズリードが絡んでいたらしい。父の指摘を受けた彼の顔には、僅かな動揺が浮かんでいる。
しかし、今更それを持ち出すジェリールは、何を考えているのだろうか。決戦を前に副将である息子を詰問する必要があるとも思えない。
幾ら自分が秘宝により人知を超えた力を得たとしても、支える将がいなくては戦には勝てないのでは。そう思ったのだろうか、ウェズリードの顔にも不審な色が宿っている。
「まあ良い。ともかく、お前はお前の役目を果たすことだ。変な高望みなどせずにな」
ジェリールは、意味ありげな言葉と共に天幕を歩み出した。
おそらくジェリールは、息子を信用していないのだろう。もしかすると彼は、息子が王家の秘宝を奪うのではと疑っているのだろうか。それとも彼の胸中には、息子と隔意を生じるようなことが、別にあるのか。
「父上……」
悔しげな表情となったウェズリードだが、結局それ以上言葉を発せずに父に続いていく。父が秘宝を握る以上、従うしかない。ジェリールの背を見つめる彼の顔は、そう物語っているかのようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
西軍の陣地の中央にある大天幕では、四人の男女が顔を寄せていた。戦場に似合わぬ豪奢な服に身を包んだ彼らは、アルマン王国の国王と二人の王妃、そして先王である。
「ついに復讐するときが……私が待ち望んだ戦が始まるのですね」
「うむ。我らにとっては、必ずしも復讐とは言えぬのだが……とはいえ、宿る体のせいであろうか」
ジェドラーズ五世は、妻のメリザベスに静かに応じた。もっとも、真に言葉を発しているのは、彼らに憑依した異神達である。ジェドラーズ五世にはバアル神、メリザベスにはアナトが宿っているのだ。
同じく第二王妃マーテリンはアスタルト、先王ロバーティン三世はダゴンに憑依されている。そのためだろう、四人の顔には人と思えぬ冷たさが宿っていた。
「最初は、この国の秘宝との打ち合いか……おそらく、向こうは遠方から制するつもりだろうが」
「ええ、私達には転移があります。懐に入り込めば良いだけです」
先王ロバーティン三世の重々しい声に、第二王妃マーテリンが笑いを含んだ声音で応じた。
異神達は、宿る体から王家の秘宝に関する知識を得たのだろう。彼らはジェリールが用いる策を察しているようだ。
「この手を溢れる血で染める……これこそ私の求めた戦争です」
うっとりとした表情で呟いたのは、メリザベスだ。
メリザベスに宿るのは、残酷な戦女神として有名なアナトだ。古代オリエントではバアル神の妹で妻とされるアナトは、腰まで血に浸かるほど多くの命を奪ったという。
「まずは、相手の攻撃を受け止めてからだ。暫くは人の振りをしなくてはならぬからな」
ジェドラーズ五世は、僅かに首を振りつつメリザベスを制した。
ジェリールは、王家の秘宝を用いて人には不可能な攻撃を仕掛けてくるだろう。そして秘宝に対抗するには、こちらも人外の技を振るうしかない。しかし理由も無く凄惨な面を見せては、今後に差し支える。彼は、そう言いたいらしい。
「我らの力は、まだ充分に回復してはいない。本来なら、この地に近づくべきではないのだが……」
先王の顔には、微かな曇りが宿っていた。彼は、シノブ達との再戦を恐れているのかもしれない。
「仕方ありません。この体は、この地に強く執着しています」
マーテリンの声には、複雑な思いが宿っているようであった。
本来なら、充分な力を蓄えるまでエウレア地方を離れた方が良いのだろう。エウレア地方にはシノブ達がいるからだ。
しかし、四人が憑依したのはアルマン王国の王族であった。そのため多少なりとも王族の意思に影響された異神達は、アルマン島を離れることが出来なかったようだ。
とはいえ人の影響を受けるなど、神である彼らにとって恥ずべきことだろう。それを示すように、四人の表情は苦々しいものとなっていた。
「陛下、そろそろ出陣を……」
重苦しい沈黙を破ったのは、天幕の外からの声であった。第一王妃メリザベスの兄であるジールトン伯爵が、呼びかけたのだ。
「すぐ行く。……まずは力を増す。それしか無い」
そう宣言すると、ジェドラーズ五世は踵を返し出口へと向かっていった。そして他の三人も彼に続いていく。
歩む四人の顔には、表情と呼べるほどのものは無い。そのためだろう、出迎えたジールトン伯爵達は人ならぬものの存在には気が付かなかったようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
戦場に集ったのは、東西の兵士と彼らを率いる者達だけではなかった。
アクフィルド平原の50kmほど北方、アルマン山地には東西の軍とは異なる別の集団が潜んでいた。それは、シノブ達アマノ同盟軍である。
「何と言うか……儂の考えていた軍とは随分と違うのだが……」
総大将である先代ベルレアン伯爵アンリの顔には、僅かながら不満げな色が浮かんでいた。彼は、立派な頬髭を捻りながら、周囲を見回している。
「父上、何が不満なのです? 総勢二千名、騎士に弓兵、歩兵……そして……」
笑いを含んだ声で応じたのは、息子のベルレアン伯爵コルネーユである。彼は、副将としてアンリの補佐をするためにやってきたのだ。
「竜に光翔虎。おまけにこの磐船だ。これでは儂らが戦場に出る間もなく片付くぞ」
アンリが言うように、アマノ同盟軍として集まったのは、人間だけではなかった。
異神達と戦うのはシノブとアミィ達だが、王家の秘宝を持つジェリールに対抗するには人間だけでは心許ない。そこで、竜や光翔虎にも声を掛けたのだ。
もちろん、竜や光翔虎が直接人と戦うわけではない。竜は磐船で兵士を運び、光翔虎は姿消しで偵察を受け持つ。とはいえ、それだけの支援があるのだから、アンリが出番を危ぶむのも無理はないだろう。
何しろ、磐船だけでも五隻である。しかも、どれも今までのものとは違う特別な船だ。
五隻のうち四つまでは、従来の磐船と大きな違いはない。しかし、これらの後部は大きく後ろに開くようになっていた。実は、この四隻には地上に降りる騎士や軍馬もそのまま積まれているのだ。
従来の磐船は海上での行動も可能としているが、これらは空での輸送に特化したものだ。そして船を模さないのであれば、輸送用のハッチがある方が良い。ドワーフ達は、これらの声に応えるべく新たな船を造ったのだ。
そしてアンリとコルネーユが乗っている最後の一隻は、形状からして他とは違った。
一見すると二つの船が並んでいるような船体だが、間には鉄製の構造体が橋のように架かっている。つまり、双胴船である。なお、こちらは海上航行も視野に入れているのかハッチは存在しない。
船体は他より一回り大きく旗艦というべき威容だが、他と違う点はそれだけではない。二つの船体を繋ぐ甲板には、魔法の家が乗っている。通常の磐船では、一辺が10mもある魔法の家を設置できない。そのためドワーフ達は、専用の巨船を用意したのだ。
「それはそれで良いと思いますがね。このアマノ号には、殿下もいらっしゃいますから」
コルネーユは、魔法の家を振り向きつつ微笑んだ。
魔法の家を置くことの出来る磐船は、当然ながらシノブを乗せるために用意されたものであった。そのため、船の名はアマノ号となったわけである。
「確かにそうだが……野戦だというのに、陣地を作る必要もないとはな。ここも竜達が整地してくれたというし……」
アンリは、再び周囲へと視線を向ける。
彼らがいるのは山中の深い森だ。しかし竜達が木々を片付け地面も綺麗に整えたこともあり、100m四方の空き地が出来上がっていた。その中に磐船が聳え立つ様子は、まるで砦のようでもある。
──フォージ殿達から連絡があった。両方とも動いたぞ──
二人の上から、複雑な咆哮が響いた。アマノ号を動かすうちの一頭、岩竜の長老ヴルムである。
アマノ号は二つの磐船を並べた形状だから、それぞれに一頭ずつの竜を必要としていた。ちなみに今回運んでいるのは、ヴルムと炎竜の長老アジドである。
「お教えくださり、ありがとうございます!」
「本当に、儂のすることは無いな……」
素直に感謝を表したコルネーユとは異なり、アンリは苦笑を浮かべていた。
戦場は、光翔虎達が姿を消して見張っている。現在アクフィルド平原の上空にはフォージ、パーフ、シューフ、リーフの四頭が待機しているのだ。
これでは、アンリが暇を持て余すのも無理はないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「義父上、先代様!」
魔法の家から姿を現したのは、シノブである。彼は、アムテリアから授かった白い軍服風の衣装と緋色のマント、そして四つの神具を身に着けている。
神からの贈り物に相応しい純白の服に、炎のように赤いマント。そして額には煌めく額冠、胸元には眩い首飾り。左手には鏡のような篭手に、背には青い宝玉が柄頭に付いた大剣。何れも間近に迫った戦いを示すかのように、神々しい光を放っている。
「こちらも思念を受け取りました!」
続いて現れたのはアミィである。アミィの服もシノブと同じで白い衣装に緋のマントだ。そして、腰には更なる力を授かった炎の細剣を佩いている。
「準備万端です!」
「ついに決戦ね」
「異神は近いぜよ~」
こちらは人族に姿を変えたホリィとマリィ、ミリィだ。三人もアミィと同じ装いだが、武器は異なっている。ホリィが魔風の小剣、マリィが魔封の杖、ミリィが治癒の杖である。
「お二方、よろしくお願いします」
そして魔法の家から最後に現れたのは、メリエンヌ王国の王太子テオドールだ。彼は、コルネーユと共に副将としてアンリを補佐するのだ。
「シノブ、出陣するぞ!」
「おお、遂に出番か!」
アンリに応じたのは、シノブではない。野太い返答は、空から降ってきたのだ。
「イヴァール、慣れた!?」
シノブの見つめる先には、岩竜ガンドの背に跨るイヴァールの姿があった。馬くらいに小さくなったガンドは、器用に森の木々を抜けてやってくる。
「問題ない!」
イヴァールは、ガンドの背で巨大な戦斧を振り上げながら応じた。そして、彼らの後ろから更に二つの影が近づいてくる。
「快適ですよ!」
「私も大丈夫です!」
こちらは、光翔虎に騎乗したカンビーニ王国の王太子シルヴェリオと、ガルゴン王国の王太子カルロスだ。シルヴェリオはバージに、カルロスはダージに乗っての登場である。
イヴァール達は、竜や光翔虎と共にジェリールを牽制する役だ。そのため彼らは空中での戦闘に慣れるべく、直前まで修練を重ねていたのだ。
「この通りだ!」
イヴァールは、ひらりとガンドの背から飛び降りた。そしてシルヴェリオとカルロスも彼に続く。空中での激しい機動にも慣れたのだろう、三人はふらつくことも無く甲板に降り立った。
「よし……」
「シノブ様~、折角ですから例の言葉を~」
他の四隻の磐船も準備できたようだ。そこでシノブは出発を促そうとするが、袖を引くミリィによって遮られた。
「おお! シノブ、頼むぞ!」
「うむ。軍艦の出航だからな」
イヴァールとアンリは期待の表情となる。アミィとホリィ、マリィは僅かに苦笑しているが、他は大よそイヴァール達と同じでシノブの言葉を待っている。
「では……空中戦艦アマノおよび第一輸送艦隊、発進!」
シノブの言葉と共に双胴船型の巨船アマノ号が、そして両脇の四隻が大地を離れ上昇する。輸送艦を運ぶのは、岩竜ヘッグと、炎竜のゴルン、ジルン、ザーフである。彼らは長老達が操るアマノ号を先頭に、一列に並んでいく。
「目標はアクフィルド平原の北方、戦場から10kmの空域だ! そこでシノブ達とイヴァール殿達が離脱、儂らは状況次第で戦に介入する! 総員戦闘配置!」
発進の掛け声こそシノブに譲ったアンリだが、以降の指揮は受け持つようだ。彼は、全艦に響き渡る大音声で命令を発する。
その間にも五隻の磐船は高度を上げていた。既に、磐船からはアクフィルド平原の様子すら見て取れる。
「光鏡による連続転移を開始する!」
シノブは、直径40mはある特大の光鏡を前方に出現させた。二つの磐船が並ぶのに等しいアマノ号を通過させるには、これくらいの大きさが必要なのだ。
「今度こそ……」
今度こそ、異神達を逃さない。そして依り代となった王族達を助け出す。シノブの決意が、知らず知らずのうちに口から出た。
準備は充分にした。四つの神具を手に入れ、神々からも指南を受けた。そして共に戦う仲間達も、これだけ大勢が集っている。それ故シノブに不安は無い。
そのためだろう、シノブは戦いの前とは思えない穏やかな表情のまま、眩い光へと飛び込んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年5月9日17時の更新となります。