16.32 再会、兄と妹
シノブ達は、王太子ロドリアムと妻のポーレンスをシェロノワに連れて行くつもりだった。シェロノワではロドリアムの妹アデレシアも待っているし、衰弱した二人を治療するための設備も整っているからだ。
しかし王太子夫妻は、王都アルマックへの残留を希望した。彼らは、アルマン王国の王族として自身の責務を果たしたいと言ったのだ。
今、国を割っての戦いが始まろうとしている。それに目を背け他国に渡るなど、王太子夫妻には受け入れ難いことだろう。
二人には、王権への執着は無いらしい。彼らは、アルマン王国の混乱の原因は不甲斐ない王族達にもあると語った。そして今後は他の貴族や有力者と協力して統治したいが、支持が得られなければ政治の場から退くという。
だが、そこに至るまでは許されるなら国を率いてきた一族として尽力したい。彼らは、そうシノブに嘆願した。
幸い、王都の軍人にも王太子夫妻に賛同する者達がいた。彼らは軍務卿ジェリール・マクドロンの信奉者だったが、ジェリールが隷属に手を出していることが明らかになり熱狂から醒めたようだ。
王都の民も同じであった。他国の者達から隷属への関与を指摘されても認めなかった彼らだが、自国の者に明言され証拠の魔道具まで示されては、受け入れるしか無かったのだろう。
そこでシノブは岩竜ガンドに頼んで王宮に磐船を移し、更に魔法の家でベイリアル公爵ジェイラスやシメオン達を呼んだ。
公爵が率いるベイリアル公国は、アルマン王国から独立した国だ。彼らは北のブロアート島を完全に掌握し、更にアルマン島最北の都市ドォルテアも手中に収めと、順調に版図を広げている。
そしてシノブ達アマノ同盟は、彼らをアルマン王国の後継とするつもりであった。そのためシノブは、後のことはなるべく公爵に任せたかったのだ。
「このまま王都と周辺を押さえます」
魔法の家でドォルテアから移動したベイリアル公爵は、開口一番に王都を掌握すると言った。
「そうですね。イルモ殿達に加え、殿下と妃殿下の言葉で兵士や民も真実を受け入れたようです。それに、シノブ様のお力も大きかったようで」
シメオンも、微かな笑みを浮かべ公爵に続く。
ドワーフの武器職人イルモ達の『隷属の首輪』で縛られたという証言。そして王太子夫妻が語った内情と二人に着けられていた『隷属の首飾り』の存在。それらは、王都の人々の心を大きく動かした。
そして、自分の力で立つようにと訴えたシノブの言葉も、彼らに強く響いたようだ。
シノブは特別なことを言ったつもりは無いが、神々を直接知る彼が語るだけに他とは違う何かが宿っていたのだろう。軍人は同僚に武器を捨てるようにと訴え、街の者は各所に真実を伝えに行ったのだ。
「シメオン、今後のことを相談しよう。
……殿下、妃殿下。王都にベイリアル公国の軍を移動させます。そして、王都の軍人のうち特に階級の高い者は、公国軍に事情聴取してもらいます」
シノブはシメオンの賞賛に照れつつも話を変えた。王都にはまだ多くの決めるべきことがあるからだ。
「ええ。ジェリールの腹心の多くは従軍したようですが、それでも陰謀に関わった者はいるでしょう」
王太子の声は、随分としっかりしている。それに彼やポーレンスの顔色も良い。
二人は王都の人々の前で演説したときに比べ、だいぶ回復した。あれからシノブが再度魔力を補充したからだ。
「ジェイラス殿。申し訳ありませんがお願いします」
王太子は、王家の面目が、などと言うつもりは無いようだ。彼はベイリアル公爵に深々と頭を下げる。
「承りました。……それではシノブ殿、大変申し訳ありませんが輸送をお願いしてよろしいでしょうか?」
ベイリアル公爵はアルマン王家に対して一定の敬意は持っているようだ。しかし主家に対する応えとしては、少々砕けている。むしろ彼は、どちらかといえばシノブの方を敬っているようでもある。
やはり公爵は、今後は王家も他の貴族と同様に扱うつもりなのだろう。そのためには、今から対等であると示しておく。彼は、そう思っているに違いない。
「もちろんです。アミィ、頼むよ」
シノブは両者の会話に感ずるものがあった。しかし彼が口にしたのは、今すべきことについてであった。
「はい、シノブ様!」
アミィは大きく頷くと、魔法の家を転移させるべく通信筒に紙片を入れた。ドォルテアにはマティアスが残っている。彼とやり取りしつつ、公爵の軍を連れてくるのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
こうして王都アルマックは、ベイリアル公国とアルマン王家の共同統治下に置かれることとなった。もちろんシノブ達アマノ同盟も協力するが、基本的には彼らに任せ施政に口を出さない。
その代わり別の分野で支援する。それは商業だ。既にアマノ同盟の諸国とベイリアル公国の間では海上交易が再開されている。その交易網にアルマックも加えるのだ。
しかしシノブには、それ以前にすべきことがあった。それは、王女アデレシアとロドリアム達の再会だ。そこでシノブは、魔法の家でシェロノワから王女を連れてくる。
「お兄さま、お義姉さま!」
午後に入ったばかりの小宮殿のサロンに、アデレシアが息せき切って駆け込んでいく。そして彼女は赤い髪を靡かせ青い瞳を潤ませつつ、立ち上がって迎えるロドリアムとポーレンスの胸に飛び込む。
その様子をシノブとアミィ、ベイリアル公爵などが温かい笑みと共に見守っている。それに王女と共に来た側仕えの女騎士エメラインや彼女の両親であるセルデン子爵夫妻も、涙を浮かべながら三人の王族を見つめていた。
「心配をかけたね……」
「本当に……」
ロドリアムとポーレンスも、頬を濡らしていた。
シノブは二人にアデレシアの無事や近況を簡単に説明していた。しかし実際に彼女の元気な姿を見て、二人は改めて安堵したのだろう。
「いえ……ご無事で……何よりです……」
アデレシアは、兄と義姉に抱きついたままだ。そして歔欷する王女の声は途切れ途切れで、しかも激しく揺れている。
だが、それも無理はないだろう。まだ十四歳の少女が突然襲った不幸により国を離れ、四週間近くも肉親と離れ離れになったのだ。幾ら周囲が気遣おうと、日々不安に苛まれていたに違いない。
「シノブ殿、今まで妹を預かっていただき感謝の言葉もありません」
妹を妻に任せたロドリアムは、王族らしからぬ深い礼をする。
アデレシアがマクドロン親子の手から逃れたのは、たまたま居合わせたシノブ達が救い出したからだ。もし王都に残ったままであれば、国王や王妃達、そして先王のように異神の依り代となったかもしれない。王太子は、それらを思ったようだ。
「いえ……怪我の功名と言いますか」
シノブが頭を掻きつつ応じると、周囲に笑顔が広がった。シノブ達がアデレシアを救い出せたのは、旅の楽士に扮して王宮に潜入したからだ。彼らは、それを想起したのだろう。
「シノブ殿の楽士姿、拝見したかったですね」
「機会があれば、演奏くらいは……」
残念そうなベイリアル公爵に、シノブは苦笑と共に応じた。
平和になれば、幾らでも演奏しよう。カンビーニ王国では陸上競技めいたものも紹介した。いわばスポーツの祭典だ。ならば、芸術の祭典があっても良いのでは。シノブは、そう思ったのだ。
各国から集った者達が、様々な催しに参加して楽しむ。それらは人々の理解を深めるに違いない。アルマン王国は島国であるためか、大陸の諸国から距離を置いていたようだ。しかしアマノ同盟という形で、密に交流する場が出来た。それは、きっと平和の礎となってくれるに違いない。
そんなシノブの思いが届いたのか、サロンは温かな空気で満たされる。
「シノブ様、私もメリエンヌ学園でもっと音楽を勉強します! ですから、そのときは一緒に演奏してください!」
アデレシアは、自分も将来の演奏会に加わると宣言した。明るい笑みを浮かべた彼女は、先ほどまでの涙が嘘のようだ。
「アデレシア……戻らないのか?」
「今はまだ危険かもしれませんが、落ち着いたら帰ってきてください。そして共に国に尽くしましょう」
ロドリアムとポーレンスは、アデレシアが帰国すると思っていたようだ。
もちろん二人も、政変直後の王都に今すぐ帰ってこいとは言わないだろう。だが、アデレシアは長期の留学を考えているらしい。そのためだろう、王太子夫妻の顔には戸惑いが浮かんでいる。
「私は、外で色々なことを学びたいのです。音楽だけではなく魔術なども……。
メリエンヌ学園ではガルゴン王国のエディオラ様やカンビーニ王国のマリエッタ様も良くしてくれます。ドワーフのアウネさん達も……私達アルマン王国が戦を仕掛けたというのに……」
アデレシアは兄夫婦をしっかりと見つめ、己の思いを口にしていく。
彼女は、この四週間近くで様々な国の者と交流した。そして彼らの多くは、マクドロン親子の陰謀で被害を受けた国の出身だ。
ヴォーリ連合国のドワーフ達は長期の隷属を。ガルゴン王国は多数の商船を沈められ。二国とは違い遠いカンビーニ王国も一つの商船隊が海に消えた。しかしメリエンヌ学園の者達は、そんな状況にも関わらずアデレシアを仲間として受け入れた。
最初は、シノブやシャルロット達が望んだからだろう。しかしエディオラ達は、アデレシア個人とアルマン王国で暗躍する者達を分けて考え、彼女を不当に扱うことはなかったのだ。
「そうか……我が国が孤立している間に、そのような場が生まれていたのだね」
「私も見学しましたが、良いところですよ。それに我々も子供達を送っています。長男も落ち着いたら留学させるつもりです」
驚きの表情となったロドリアムに、ベイリアル公爵が語りかけた。
公爵には、二人の子供がいる。上は長女で十六歳、下が長男で十一歳だ。娘は既に成人しているし、結婚も間近だそうだ。しかし長男と同じ年代の者は、メリエンヌ学園にも大勢いる。
今は戦の最中であり、公爵の嫡男ともなれば何かあれば出陣するだろう。そのため彼は息子を自分の側に留めているが、戦が終われば諸国の者が集い最先端の教育が受けられる学園に送ろうと考えているようだ。
「そうでしたか。……アデレシア、この国の未来のためにも、しっかり学んできてくれ」
「はい、お兄さま!」
兄の優しさと期待の篭もった言葉に、アデレシアは顔を輝かせた。
彼女も、自国の将来を考え勉学に励んでいたのだろう。魔術などの実生活に役立つものに加え、音楽のように人の心を豊かにするものに力を注ぐのは、アルマン王国の物心両面の発展を願ってに違いない。根拠は無いが、そうシノブは感じていた。
おそらく、アミィ達も同じ思いを抱いたのだろう。微笑む彼女達は、新たな道に邁進する王女の姿を応援しているようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブとアミィ、そしてベイリアル公爵は、三人の王族を置いて大宮殿へと移動した。ロドリアムは自分も一緒にと言ったが、シノブは彼に休息を勧め小宮殿に留めた。シノブは、一ヶ月近くも離れ離れだった兄妹に暫しの時を与えたかったのだ。
大宮殿の一室で三人を待っていたのは、シメオンにイヴァール、アルバーノ、そしてベイリアル公爵の家臣達だった。シノブ達は彼らと共に、部屋の一角にあるソファーに腰を降ろす。
ここは本来なら国王が政務を司る場所、御座所だ。マクドロン親子の反逆の後は、彼らが使っていた場所でもある。そのためマクドロン親子の統治の実態を把握するには、ここが一番都合が良かったのだ。
「予想はしていましたが、国庫の中身は随分と減っていますね。人気取りで無税にしたから当然ですが」
「秘宝を手に入れ海戦に勝利したら、多少は税を課すつもりだったようです。秘宝の後継者となり戦勝があれば、民の人気を保てると思ったのでしょう」
シメオンとアルバーノは、皮肉げな顔であった。
アルマン王国の秘宝の一つ『覇海の宝冠』は慕う人々の心を力と変えるようだ。そのため、マクドロン親子は民の忠誠を維持したかったのだろう。
「流石に国家運営が出来ないほどではありませんが……問題は今後の海運業でしょうね。王都の商業は物が行き渡れば元通りになるでしょう。しかし、大陸の港がアルマン王国の船を受け入れるでしょうか?」
「現状、我が国の船はメリエンヌ王国のみに寄港していますからね。職人達が隷属させられたヴォーリ連合国や、多数の船が沈められたガルゴン王国には……」
シメオンに続いたのはベイリアル公爵だ。
ベイリアル公国は、つい先日までアルマン王国の一部だった。その彼らを、被害を被った両国の港が受け入れるとは思えない。そのため現在のところベイリアル公国の船が赴く先は、メリエンヌ王国のみであった。
「首謀者達は厳罰に処しますが……」
ベイリアル公爵は更に難しい顔となる。彼は、ジェリールの側近や彼らに近しい商人達を処罰すべく動き始めていた。だが、それだけで事態を打開できるか疑問に感じているのだろう。
アルマン王国の海軍は、偽装商船を仕立てガルゴン王国の船を襲った。アルマン王国にとって、ガルゴン王国は交易での競争相手だからだ。偽装商船の存在は秘されていたが、軍の中枢にいる者が知らないわけはない。したがって、彼らを罪に問うのは当然だ。
そして商人達も、一部は同様だ。
アルマン王国の船乗りは、寄港先で自分達の裏に何かがいると仄めかした。おそらく、それらは彼らの雇い主から聞いたことに違いない。
それに、商務卿のギレッグズ子爵が一部の商人に情報を漏らしていたことは判っている。商人達はギレッグズに賄賂を贈り、偽装商船の活動について聞き出していたのだ。
とはいえ、それだけで船を沈められた者達の怒りを解くことは出来るだろうか。それに、ヴォーリ連合国のドワーフ達には、何をもって償いとすれば良いのだろうか。公爵の顔には、そんな思いが滲んでいるかのようであった。
「当面はメリエンヌ王国経由か?」
イヴァールは、暫くはこのままが良いと考えたようだ。彼は、自国の者達が素直に受け入れるとは思えなかったのだろう。
「利幅は随分減るけどね。……ジェイラス殿、私が口を出すことではありませんが」
「どうかご遠慮なく。この地の進路を決めるのは我らブロアート島とアルマン島の者達です。しかし私達には、友人の忠告を拝聴する度量はあります」
躊躇いがちなシノブに、ベイリアル公爵は冗談めかした口調で応じた。それに、彼の家臣達も主の言葉への賛意を示すように頷いている。
「今までアルマン王国で外国の船が寄港できたのは、南のマドウェイのみと聞いています。ですが、今後は全ての港を開いてはどうでしょうか?
アルマン王国の人々に接することで、大陸の船乗りや商人達も陰謀への関与が一部だと理解してくれるのでは……そう思うのです」
シノブは、アルマン王国の内情を思い出しつつ語っていく。
アルマン王国の商船は、他国に赴いて荷を仕入れ更に別の国に運んでと、自国および周囲のルシオン海を活発に行き来していた。その一方で、アルマン王国に寄る船は限られていた。それはシノブが触れたように、アルマン王国で寄港できる場所が南端の都市マドウェイのみであったからだ。
国を閉ざしつつ近隣の諸国と交易をしていたのでは、外部に親しみを感じることはないだろう。それは、外の者も同じに違いない。シノブは、そう感じていたのだ。
「今後、各国の交易はますます活発になるでしょう。ですから、一時の損よりも将来の利を選ぶべきです」
シノブは、近い将来始まるであろう南方交易を思い浮かべていた。
アルマン王国の騒動で棚上げされてはいるが、本来ガルゴン王国やカンビーニ王国は南方交易に乗り出したかったのだ。そのため、今後は海上貿易が更に盛んになるだろう。
それに、エルフの国デルフィナ共和国とも船での行き来が始まるかもしれない。また、旧帝国の東部には断崖絶壁の下ではあるが、船を着ける場所もある。先々は、それらにも商船が訪れることになるだろう。
したがって、まずはアルマン王国が大陸の諸国と親しくなることが大切だ。国の上層部だけではなく様々な人が行き来するようになれば、相互の理解も進むだろう。
「なるほど。一方的に押しかけるだけでは嫌われても仕方ありませんね。友人であれば、こちらにも招かなくては」
「ええ。ヴォーリ連合国に関しては、正直なところ小細工は控えるべきだと思います。彼らはそういったことを嫌いますから。
他の国もそうですが、充分な補償をし誠意を示す。そして許されるのであれば、彼らと手を携えて新たな産業を興す……できれば相手の国で。それくらいでしょうか」
感心した様子の公爵に、シノブはドワーフ達について語っていく。
ドワーフ達は、一旦友と認めれば心を開いて接してくれる。だが、この状況で彼らがアルマン王国に親しみを覚えることはないだろう。
そもそもドワーフ達は海を渡ることを好まないし、商売の相手ならメリエンヌ王国やガルゴン王国がいる。彼らが敢えてアルマン王国の商人達に門戸を開く理由は存在しない。
「そんなところだろうな。西のブラヴァ族は良港を望んでいると言うぞ。お主達が協力し汗を流して償えば、少しは見る目も変わるのではないか?」
イヴァールは、ぶっきらぼうな口調で言い放った。しかし、彼もアルマン王国の将来を案じているようではある。
彼らにとってアルマン王国は海を挟んでの隣国だ。将来を考えるのなら、過去に拘りすぎずに手を差し伸べるのも重要だ。イヴァールは、そう思ったのかもしれない。
「わかりました。地道に誠意を示しましょう。遠回りでも、それが一番です」
ベイリアル公爵にも、イヴァールの心は伝わったようだ。決意を面に浮かべた彼は、深々と頷いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
ベイリアル公爵とシメオンは、暫く王都アルマックに滞在する。二人は王太子ロドリアムを交えて今後の体制を詰めるようだ。
一方イヴァールは、明日の決戦に備えるべく仲間の下に戻るという。
北のブロアート島には、各国から選抜された者達が集っている。そこにはドワーフの戦士達も加わっており、纏め役であるイヴァールも忙しいようだ。
「再会は夜だな! そのときが楽しみだ!」
イヴァールは、シノブとアミィに一時の別れを告げた。今夜、シノブ達は魔法の家で彼らを戦地に運ぶ。したがってそのときは二人揃ってブロアート島に赴くのだ。
「ああ。各国の精鋭が揃った光景、凄いだろうな」
シノブは、意気軒昂たるイヴァールの様子に顔を綻ばせた。
ブロアート島では、先代ベルレアン伯爵アンリを将に据えた軍が編成されている。アルマン島の南部平原では異神が操る国王軍とジェリール達の反逆軍が激突する。その両軍を制する精鋭部隊だ。
基本的には異神達にはシノブやアミィ達眷属が当たり、その間はイヴァール達が秘宝を操るであろうジェリールを抑える。だが、両軍の兵がどう動くかは不透明な部分がある。そのため、シノブ達も人と人の戦いに備えたのだ。
「それだけではないが……まあ、後の楽しみとするか」
「何があるのかな? でも、折角だから夜まで聞かないことにするよ」
思わせ振りなイヴァールにシノブは首を傾げつつも、詳細を訊ねるのは止めた。イヴァールは自分達を驚かせたいようだと感じたからだ。
アンリの率いる軍に関して、シノブは彼や現地の者に任せていた。そのためシノブは、通信筒で寄せられる情報以上は、知らないままだった。
あらゆることを一人で把握し関与するのは不可能だ。仮に出来たとしても、シノブが全てを為しては世のためにはならないだろう。それ故シノブは、必要以上に口を挟むことは避けていた。
「それが良い。ではシノブ、また会おう」
「イヴァールさん、庭まで一緒に行きますね!」
席を立ったイヴァールに、アミィが続いていく。彼女が魔法の家を出すからだ。
「これからどうされるのですか?」
「そうだね……少し街の様子を見てからシェロノワに戻ろうかな。夜にはまだ時間があるし」
シメオンの問いに、シノブは少しばかり考えた後に答えた。
アルマックが落ち着いたのなら、シノブ達も異神との対決に備えて休むべきだろう。アデレシア達を迎えに行ったときシャルロット達にも状況を伝えてはいるが、彼女達も帰還を待っているに違いない。
しかし、まだ昼を過ぎて僅かだから時間は充分にある。そこで彼は、自身の目で街の様子を確かめてから帰ろうと考えたのだ。
シノブ達には姿を変える魔道具がある。したがって、軍服から適当な服に着替えれば街を散策するくらいなら問題ない。
「では、私がお供しましょう」
「アルバーノ、頼むよ」
シノブは、席を立ち一歩進み出たアルバーノに頷いた。
アルバーノは王都に潜伏してから長い。彼の案内なら街で揉め事を起こすこともないだろう。シノブは、そう思いつつ御座所の豪奢なソファーから離れた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……街の人達は逞しいね。もう、新たな道に向かっているんだ……まだ半日も経っていないのに」
シノブは港の様子を見ながら呟いた。彼は楽士に化けたときに使った服に着替え容姿も変えているから、注意を向ける者はいない。
午後に入った港は、意外にも活況に満ちていた。南の軍港はベイリアル公国の兵士が封鎖し、閑散としている。しかし、中央の商業港や北の漁港は多くの人が行き来している。
「そうですね……」
アミィは、忙しく働く人々を眺めていた。彼女の柔らかな表情には、神の眷属に相応しい深い慈しみが宿っている。
商業港では、早速商人達が船を出す準備をしているようだ。軍や商務省に取り入るような大店は公爵が封鎖したから、港にいるのは中小の商会主なのだろう。その彼らは、大店が動けない間に荒稼ぎしようと考えたようだ。
直近では、ベイリアル公国から支援の物資を運び込む仕事がある。それに、ベイリアル公国と同様にメリエンヌ王国への航路が開かれる日も近いだろう。彼らは、それに備えて係留中の商船を点検したり、早くも張り出された公国関連の仕事を受けに来たようだ。
漁港も、突然来た公国軍の軍人達を当て込んでいるようだ。人が増えれば消費も増える。それに、海での戦が無くなれば安心して漁が出来る。
ここ暫くは近海での漁だけだったから、沖は魚影も濃いだろう。そう思ったのか早速船を出す者も多い。
「街の者は、こんなものですよ。良くも悪くも政治なんか気にしていません。何しろ日々のことで精一杯ですからね。
もちろん、為政者が頼りになれば慕うでしょう。力強い指導者は、不安を消してくれますから。
ですが、それは好天や豊漁を願う気持ちと似たようなものです。何かを信じ、先の見えない海に乗り出す恐怖を消す……それと同じです」
アルバーノの声には、少しばかりの感傷が宿っていた。彼が生まれ育ったのは、カンビーニ王国の王都カンビーノだ。カンビーノも海に面した都市だから、彼は若き日を思い出したのかもしれない。
従士の家の三男として生まれたアルバーノは、家を継ぐ長男や真面目な次男とは異なり、街に出向くことも多かったらしい。そして彼には、船乗りなどに憧れた時期もあったようだ。傭兵として国を飛び出した彼だから、まだ見ぬ海の果てに強い興味を抱いても不思議ではない。
「そうか……」
シノブは、アルバーノから聞いた過去を思い出しつつ応じた。
確かに政治と縁遠い庶民であれば、そのようなものだろう。政変が起き為政者が変わったとしても、それは遠い世界のことだ。新たな者が今までと変わらぬ庇護をしてくれるなら、それで良い。それに、国を案ずる余裕など彼らには無いのだろう。
「まあ、中にはそれで済まない者もいますがね」
アルバーノは、少し離れた場所で海を見つめる男に目を向けていた。ぼんやりとした顔で海を見る男は、兵士か何かなのだろうか、それなりに引き締まった体付きである。
「彼は知り合いなのですか?」
「ええ、商人のアルとしてですがね。この姿は知らない筈です」
アミィの問いに、アルバーノは苦笑気味に答えた。アルバーノは、変装の魔道具により幾つかの姿を使い分けていた。今の彼は、シノブやアミィと共に楽士となった時の姿だが、他にも南方から来た商人など様々に変じて諜報を続けていたのだ。
「例の件に絡むような者ではありませんが、随分とツケを溜め込んでいるようです。このまま従来の軍が解体されたら、大変なことになるでしょうね」
アルバーノは、笑いを零しながら続けた。
今、元々のアルマン王国兵は職を解かれ一時待機となっていた。とはいえ、下の者は武装解除されただけで放置されている。流石に位の高い者は拘束されているが、一般の兵まで留めておく必要は無いからだ。
「……いや、もう大変なようです」
アルバーノは、街へと続く通りに顔を向けていた。
通りから、若い二人の女性が足早に港へと入ってくる。随分と見栄えのする容姿だが、何かを探しているようで、慌ただしく周囲を見回している。
そして、アルバーノは彼女達も知っているようだ。
「彼女達は?」
「メグとケイトという娘です。軍人や商人相手の高級酒場の看板娘ですよ。おそらく、手分けして取り立てに回っているのでしょう」
アルバーノの答えに、シノブは大よその事情を察した。
軍から解雇されれば、ツケは払えない。そのため、今のうちに有り金を押さえるのだろう。
本来なら酒場の看板となるような女達が借金取りなどすることはない筈だ。しかし、海を見つめる兵士のような男は多いに違いない。それに、この状況では遊びに来る軍人もいないだろう。そこで彼女達もツケの回収を命じられたのではないだろうか。
「あっ! 居たわ!」
「メグちゃん、ケイトちゃん、俺に会いに!?」
酒場女の片方が大声を上げると、兵士は素早く振り向いた。何を勘違いしたのか、彼は喜びの表情を浮かべている。
「ええ、探したわよ!」
「ツケを払ってちょうだい! 持っているだけで構わないわ!」
二人の酒場女は、険しい表情で男に詰め寄っていく。流石に男も事態を察したのだろう、表情を変えて後退る。
「こ、これを取られたら……」
「このまま田舎に逃げようと思ったんでしょ! 残念でした、そうはいかないわよ!」
どうやら男は、このまま雲隠れするつもりだったらしい。ツケを溜めるところといい、後先を考えない性格なのだろうか。
「まあ、あんな感じで元気にやっていきますよ。だから、大丈夫です」
「そうだね……それなら、彼のためにも早くこの国を豊かにしようか」
今や笑いを隠さないアルバーノに、シノブもおどけた調子で応じた。
街の者は、思ったよりも逞しいようだ。ならば、早く戦を終えて彼らに日常を返すべきだろう。明日の戦いで、この国の騒乱に終止符を打つのだ。シノブは、港の喧騒を見つめながら明日を、そして続く日々を思い浮かべていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年5月7日17時の更新となります。