04.06 リソルピレンの山中騎行 前編
「……結構登ってきたなぁ」
「峠まで、もうすぐだぞ」
シノブが後ろを振り返りながら呟くと、イヴァールが答える。
ヴァルゲン砦を出発して30分近く。シノブ達はそれぞれ馬に騎乗してリソルピレン山脈の険しい道を登っていた。
荷馬車の隊商も通る道なので、乗馬のまま進むのに問題はない。
しかし、安全な街道を進んできた昨日とは違い、凶暴な魔獣も現れる山中である。
シャルロットとアリエルは左手に盾をつけ、右手には長槍を握っている。
右手の槍は長く真っ直ぐな柄の先端に鋭い槍頭が付けられたもので、馬上槍試合に用いるような円錐形の槍ではない。
おそらく機敏に動く魔獣に対応するため、取り回しの良いものが選ばれたのだろう。二人は石突を鐙に引っかけ、槍頭を上に向けて手綱と共に握っている。
ミレーユは、大きな弓を左手に持ち矢筒を背負っている。シノブとアミィが初めて見たときも、弓を使っていたように、彼女は弓術が得意である。遠距離は弓、接近すれば剣で戦うらしく、槍は持たずに盾は背負ったままだ。
さらに今日は、三人とも馬上用の長剣を装備している。
強力な身体強化能力を持つ軍馬達は、重武装の騎士を乗せても九十九折りの坂を軽々と登っていく。しかしヴァルゲン砦よりかなり寒いので、馬達の吐く息は白くなっている。
シノブの体感では、砦より5℃近く気温が下がっているように感じた。
周囲の木々も針葉樹が中心となっており、モミのような木々が目立つ。
(息が白いから、だいたい気温10℃くらいかな……領都の気温が20℃くらいだし、標高1600m以上あるかも)
砦を出たのが正午過ぎである。昨日旅立った領都セリュジエールでは、昼間はおよそ20℃くらいはあったように思う。
トレッキングが趣味のシノブは標高が100m高くなるごとに気温はおよそ0.6℃下がることを知っていた。
領都の海抜はシノブにはわからないが、周囲の植生が亜高山帯に近いことから標高1800mから2000mくらいではないかと想像していた。
(峠は鞍部だから亜高山帯っぽいけど、左右の山は森林限界を越えてるよね……)
左右に聳える山々は背の高い木々がなくなり、低木や背の低い草が生えている。さらにその上は岩場となり、山頂は雪をかぶっている。シノブは、標高4000m近いのでは、と思った。
「ずいぶん熱心に山を見ているな。山は好きか?」
イヴァールはシノブが周囲を眺めつづけているのに気がついたようだ。
「ああ、好きだよ。故郷では良く歩いて登ったものさ」
シノブはイヴァールに笑いかける。
「おお、そうか!
我々ドワーフは山の民なのだ。山は厳しいが、木々や鉱石を恵んでくれる。人族は平地を好むが、我らにとって山こそ恵みの大地なのだ」
イヴァールは嬉しそうな声でシノブに言うと、肩から下げていた袋を手に取り、その中身を呷った。
「しかし、よく飲むなぁ」
シノブはイヴァールを眺めつつ、驚き混じりの言葉を漏らす。彼が飲んでいるのは、領都で手に入れたブランデーなのだ。
「はっ! これくらいなんでもないわ! お主らも少しは飲んだ方が体が温まるぞ?」
イヴァールは、毛皮の防寒具を着込んだ一行を見て、大笑いする。
三人の女騎士も、今日は金属鎧の上に毛皮のコートのような防寒具を身に着けていた。
金属鎧には魔狼の毛皮を裏地として使っている。鎧下も防刃と衝撃吸収の機能を備えたリネンなどを幾層にも重ねて縫い合わせた、キルト状で厚みのあるものだ。
しかも今日は耐寒装備の厚手の鎧下に変えているらしい。充分な装備で寒くはないのだろうが、動きにくそうに見える。
「残念だがイヴァール殿。我々人族は貴方達のようには飲めんぞ」
シャルロットは呆れたような口調だ。シノブと同じでイヴァールの酒量に驚いたらしく、ほろ苦いと表現すべき笑みを浮かべている。
「そうです! 私達では飲みすぎで馬から落ちてしまいます!」
アミィは大袈裟な仕草で頷き、賛意を示す。
こちらも高地用の装備だ。普段は頭上に見える狐耳もフードに隠れ、尻尾も長いコートに隠されている。
シノブ、アミィ、シメオンは、それぞれ服の上から厚手のコートを身に纏い、更に手袋を着けている。
シノブとアミィの服は、アムテリアが用意した外気温の影響を受けにくい魔法装備だ。しかしシメオンは普通の服だから、上着を二枚重ねた上にフード付きのコートを着てマフラーまできっちりと巻いている。
もしかすると、シメオンは寒がりなのかもしれない。
「そうか。これだけ旨い酒を造るのに、おかしな事もあるものだな。あのワインとかいうのは薄すぎるが、こいつは中々のものだ」
一人昨日と変わらぬ格好のイヴァールが、怪訝そうな表情で言う。
さきほどからイヴァールがラッパ飲みしているのは生のブランデーである。彼が持っている酒袋一つ分を同じように飲んだら、人族なら急性アルコール中毒は間違いないだろう。
「お酒の味と飲める量は関係ないと思いますが……」
「イヴァールさん、シノブ様のカバンがあるからって領都で買い込んでましたからね~」
アリエルとミレーユも唖然とした様子を隠さない。
出発が決まった日、シノブとアミィが魔法のカバンに食料や必要なものを詰め込んでいると、イヴァールが来て大量の酒を置いていったのだ。どうも、家令のジェルヴェに頼み込んで調達してきたらしい。
「ドワーフは馬にも飲ませるといいますからね。たしか冬が近くなると馬が飲むための酒を乗せるとか」
一人冷静な顔のシメオンが淡々と言う。
「お主、よく知っているではないか!
人族の馬は11月に入る前に山越えできなくなるが、ドワーフ馬は11月終わりまで大丈夫だ。この長い毛と酒のおかげでな!」
イヴァールは上機嫌な声でシメオンに答える。
ドワーフ馬は山羊のような長毛を持っており、いかにも寒さに強そうだ。実際、領都より山に入ってからのほうが元気良さそうに見える。
イヴァールの愛馬ヒポは、首の長いカバを思わせるずんぐりとした体で疲れも見せずに登っていた。
「ヒポも凄いけど、リュミやフェイも元気だよね」
シノブは、自身が乗る白い軍馬リュミエールとアミィの栗毛の軍馬フェイを見て言った。
身体強化があるとはいえ、寒さは別物ではなかろうか。そんなシノブの心配が取り越し苦労であるかのように、軍馬達は平然とした様子で進んで行く。
「リュミはアルの兄だからな。二頭とも父親譲りで馬体も大きく力強い。賢いところも親譲りだな」
シャルロットは自身の乗るアルジャンテを愛おしそうに見ながらシノブに言う。
「シノブ殿もだいぶ乗馬に慣れたではないか。まるで長年乗ってきた騎士のようだぞ」
「シャルロット殿に教えてもらったからですよ。感謝しています」
シノブは、シャルロットの言葉に彼女のほうを向き、礼を言う。
領都で過ごす間に、シノブはシャルロット達から乗馬を教わったのだ。
「私にもシノブ殿やアミィ殿に教えられることがあって良かったぞ。もっともシノブ殿はアルに好かれていたから、私が教えなくてもすぐに慣れたかもしれないが。
メリーやリーズもそうだが、助けてもらったことを憶えているのだな」
メリーはアリエルの、リーズはミレーユの乗馬だ。
アルジャンテも合わせた三頭は、シノブに怪我を治してもらったことを憶えていたようで、彼が馬房に現れると、親しげに顔をすり寄せた。
主達を治療したアミィにも感謝しているのか彼女にも親しげな様子であったが、シノブへの懐きようは馬丁達も驚くほどであった。
シノブとアミィは、アルジャンテ達で乗馬訓練をしたので上達も早く、その日のうちに乗りこなしてしまったほどだ。
「リュミもアル達が懐いているせいか、すぐ慣れましたね」
練習風景を思い出したのか、アリエルも琥珀色の瞳に優しい光を浮かべながら、笑いかけた。
彼女が言うとおり、リュミエールもシノブから何かを感じ取ったのか、あっという間に懐いていた。
そのおかげで、数日もしないうちにシノブ達は森に魔狼を狩りにいくことができたのだ。
「北の大地では、ヒポに勝る馬はいないぞ! ……アミィ、もう一袋頼む!」
馬談義が気になったのか、イヴァールは愛馬の自慢をする。そして意気軒昂な彼は、隣を行くアミィに酒を催促した。
「はい、イヴァールさん。ドワーフに飲みすぎはないかもしれませんが、あまり飲むと無くなりますよ」
注意めいた言葉を添えはしたアミィだが、あくまで一応ということのようだ。彼女は乞われた通り魔法のカバンから酒袋を取り出し、イヴァールへと差し出した。
「大丈夫だ! セリュジエールで10樽買い込んできた! ……そうだ! シノブの魔法のカバンさえあれば、真冬でも買い付けに行けるかもしれん!」
イヴァールは呵呵大笑というのが相応しい上機嫌な笑い声を上げた。そして彼は酒袋の口を開けると、一気に半分ほども飲み干した。
◆ ◆ ◆ ◆
峠を越えて山を下った一行は、ドワーフの国、ヴォーリ連合国の砦に到着した。
ヴォーリ連合国の南の国境に位置するエトラガテ砦は、ヴァルゲン砦と同じく交易などの拠点であり、その門は大きく開かれている。
ヴァルゲン砦より小ぶりな砦は、ドワーフの性格を表すように素朴なものであった。
ヴァルゲン砦も実用一辺倒な造りであったが、エトラガテ砦はさらに実用性を突き詰めたかのように、無駄のない外見をしている。
(ヴァルゲン砦のあたりより寒いようだな……。
山脈の北側だからかな……もしかすると標高がだいぶ高いのかもしれない)
シノブは、針葉樹に囲まれた街道の冷涼とした空気に、そんな感想を抱いた。
「アハマス族エルッキの息子、イヴァールだ! 砦を通過する!」
イヴァールが大音声を発すると、砦を守護していたドワーフの戦士達が道を譲る。
「イヴァールよ! 首尾よく行ったのか!?」
戦士達の中から、大きな声を上げながら、一際がっしりしたドワーフが進み出た。
彼は、大きな角のついた兜を被り、黒く長い髭にも飾り紐を結わえている。周りの戦士は小ぶりの角がついた兜で、髭をゆわえる紐も質素な革紐だ。
周囲の戦士より一段上の装いに、シノブは高位の戦士なのだろうかと想像した。
「イスモ! 竜を倒す大魔術師を連れてきた。これで大丈夫だ」
イヴァールは男の問いに答えると、シノブを指し示す。
「そうか、今日はエトラクラ村まで行くのか?」
イスモと呼ばれたドワーフは、イヴァールの返事に安心したのか、少しだけ声の調子を和らげながら問いかける。
「そうだな。ここで休憩してエトラクラだな。広場を借りるぞ!」
イヴァールはそう言い放つと、イスモの答えも待たずに馬を進めていく。
「イヴァール、イスモさんは?」
「俺の友だ。俺達の住むセランネ村の出身で、ここの守護隊長をしている」
イヴァールは馬を進めながらシノブの問いに答える。
「峠越えで1時間少々使ったが、日が落ちるまでにエトラクラ村までは行けるだろう。
こっちは険しい道が多いから、王国のように駆けつづけるわけにいかん。
エトラクラ村で一泊、次の日セランネ村の予定だ」
イヴァールの説明を聞いているうちに、一行は砦の中にある広場に着いた。
アミィ、アリエル、ミレーユが馬達の世話をする中、シノブ達は集まって打ち合わせをする。
「イヴァール。ここまでは魔獣が襲ってこなかったけど、これからは危険なのかな?」
シノブは防寒具を脱ぎながら、イヴァールに問いかける。
活動期に入った竜が魔獣を貪欲に食べるため、街道周辺に魔獣が押し寄せてきたと聞いていたが、ここまで魔獣の姿すら見たことがなかった。
「このあたりは竜の狩場から遠いようでな。行きもセランネからエトラクラの間が酷かった」
イヴァールは顔を顰めながらシノブに答える。
彼の説明によると、ドワーフ達がセランネ街道と呼ぶこの街道は、アハマス族の中でも一際大きな集落セランネを通って北方まで伸びているそうだ。
セランネ村までは山も険しくほぼ一本道で、途中にエトラクラ村ともう一つ村があるだけ。セランネ村から、東西にも道が別れ、アハマス族が住む各地の集落に続いているという。
「南と交易するにはセランネ街道を通るしかないのだがな。
竜の狩場は街道の西だが、人の住むところには近づかない。だから街道を行く隊商は竜を見たことはないし、村が襲われたこともない。
しかし、こうも魔獣が多くては戦士だけならともかく隊商では安全に通れないのだ」
イヴァールは苦々しげに言う。
「すると、我が国の商人達も北で足止めをくらっていると?」
シャルロットも、イヴァールに問いかける。
メリエンヌ王国の商人が不自由しているなら助けたいと思ったのだろう。
金属鎧の上に着込んだ防寒具を外しながら、その青い瞳に心配そうな色を浮かべた。
「そうだ。俺が出発したときには、セランネにいくつかの隊商がいた」
「我が領の商人の中には、ヴァルゲン砦まで来たドワーフから買い付けるものもいますが、利幅が減るのを嫌がって直接出向くものもいますからね」
イヴァールの答えを、シメオンが補足する。
「イスモ! あれからどうなった!」
イヴァールは、歩み寄ってきたエトラガテ砦の守護隊長イスモに声を掛ける。
「お主が出立してからまだ2日だ。何も変わっておらん。
北から来る隊商はないし、エトラクラ村からは街道も荒れたままと聞いている」
イスモは、イヴァールに無愛想な声で答える。
「竜は山脈を越えないから南には現れないだろうが、その分、北の被害は酷いようだ」
イスモによれば、竜はリソルピレン山脈を飛び越えることはないらしい。
「寒い思いをしなくても、こっちで狩れば良いからな」
イヴァールが相槌を打つ。
この時期4000m級の高山であれば、氷点下の寒さのはずだ。竜といえども楽なほうを選ぶ、ということだろう。
「そもそも、高地には獲物が少ないからな。この辺や峠には食いでのある魔獣が少ないのだろう」
イスモはそう続ける。
森林限界に近いような標高が高いところには大きな獲物も少ないせいか、竜は北方の比較的標高の低いところを狩場にしているらしい。
そのため、エトラガテ砦や峠に魔獣が押し寄せることはないそうだ。
「それよりイヴァール。足りない物資はないのか?
どうせお主のことだから、酒を切らしているのだろう?」
「聞いて驚け! 大魔術師シノブの魔法で、酒も物資もたんまり抱え込んできたぞ!
ほれ、王国の蒸留酒だ」
イヴァールはイスモに飲みかけの酒袋を放り投げる。
「……おっ、これはブランデーというやつか?」
イヴァールが投げた酒袋を受け取ったイスモは、その口を開けて一口飲んだ。
「ああ。それはイスモにやる」
「イヴァールが酒をよこすとはな! 明日は峠に雪が積もるぞ!」
イスモはイヴァールから酒を貰ったのが信じられないようで、目を丸くして叫んだ。
「やっぱり、イヴァールさんはドワーフの中でも特別酒好きなんですね」
馬の世話を終えて戻ってきたアミィの言葉に、一同は思わず大笑いした。
お読みいただき、ありがとうございます。




