16.28 ゴッド・リゾート 前編
エリーズ号での会議を終えたシノブとアミィは、一旦シェロノワに帰還した。
決戦は三日後の5月11日と予想され、その間ずっと前線に詰める必要は無い。アルマン島の東からはジェリール・マクドロンが率いる軍が、西からは異神が憑依した国王ジェドラーズ五世を戴いた軍が騎兵と歩兵で進軍する。
そのため今日明日ぶつかるわけではないし、竜や光翔虎を味方にしたアマノ同盟軍なら両軍の動きは容易に掴める。また前線にいるホリィ達とは思念で連絡できるし、他も主要な者達は通信筒でやり取りが可能だ。
そうであれば、休めるときは休むべきだろう。
「そんなわけで、戦いは三日後だよ」
「少なくとも明日はシェロノワにいます」
シノブはアミィと共に、夕食に集った者達に明日以降の予定を伝えていく。
二人の話を聞くのは、シャルロットにミュリエルの姉妹、そして王女セレスティーヌとミュリエルの祖母アルメルなどだ。
「明日中に軍を編成ですか……お爺様も忙しいでしょうね」
「でも楽しそうだよ。何しろ各国の軍人を率いての大戦だからね。実際に出番が来るかは別として」
シャルロットの呟きに、シノブは苦笑しつつ応じた。
シノブは自身やアミィ達で異神と対決し、その間はイヴァール達にジェリールを抑えてもらうつもりであった。念のため、先代ベルレアン伯爵アンリを主将とした軍を後方に置くが、これは万一に備えてのものとシノブは考えていた。しかし各国の司令官は、自国の兵もアンリの軍に加えようとした。
おそらく、これがアルマン王国での最後の戦いとなるだろう。しかも同盟の盟主であるシノブが出陣する。ならば、自国の者も後方待機で良いから参加させたい。彼らは、そう言ったのだ。
「皆さん、凄い意気込みでしたよ。明日の夕方までに集合するのは大変だと思いますけど……」
会議の様子を思い出したのだろう、アミィは微笑みながらシノブの言葉を補った。
各国の代表者からの要望を受け、シノブは希望者を北のブロアート島に集めることにした。
ブロアート島はベイリアル公国としてアルマン王国から独立し、アマノ同盟軍も駐留している。そのためアンリは、ブロアート島で軍を編成したいと言ったのだ。
各国には一日の猶予を与え、その間にアンリの下に辿り着き、彼が認めた者達なら参戦を許す。転移網が存在するし竜が磐船で輸送してくれるから、急ではあるが参集は可能であった。
「ここは当然として、ベルレアンからも多くが?」
シャルロットは、ベルレアン伯爵領からの参戦も多いと思ったようだ。各国から来た者を束ねるのだから、祖父も自身の腹心を多数連れて来るに違いない。彼女は、そう考えたのだろう。
「もちろん。それに、エミール殿やエルヴェ殿にもセリュジエールから通信で知らせるそうだよ。やっぱり、先代様も良く知った人に来てほしいんだろうね」
シノブは、先のベーリンゲン帝国との戦いにも加わった二人の名を出した。
エミールはアリエルの父、エルヴェはミレーユの兄だ。この二人は若き日にベルレアン伯爵家に側仕えとして務め、アンリから槍術を学んだ直弟子である。
「お爺さま、大丈夫でしょうか……色んな国から来るのですよね?」
「先代様の指示に絶対服従、守れなかったら厳罰に処す……母国の軍での降格や除籍も含めてね。厳しいかと思ったけど、それでも参加したいって。
それにシュラール公爵が言っていたけど、先代様は他国でも有名みたいだよ。少なくとも、カンビーニ王国とガルゴン王国の軍人で『雷槍伯』の名前を知らない人はいないって。だから、大丈夫だよ」
心配げなミュリエルに、シノブは微笑みかけた。
カンビーニ王国を訪問した時、彼の国の王太子シルヴェリオは『雷槍伯』の異名を口にした。それにガルゴン王国に赴いたときも、アンリの逸話は皆知っているようであった。
『雷槍伯』の名は、帝国との戦いで敵将を討ち取ったときに得たものだ。そして、この二国は帝国との戦いに傭兵を出している。それ故アンリの武名は両国に広まったようだ。
「テオドール殿も副将として参加する……」
「お兄様が!?」
シノブが王太子テオドールの名を出すと、セレスティーヌは表情を変えた。
先日の王都メリエを訪問したとき、テオドールは殿下と呼ぶのを止めてほしいと言った。そのためシノブは、他の王太子と同様に呼ぶことにした。
したがってセレスティーヌは、呼び方に驚いたわけではない。彼女は、兄が危険な場所に赴くことを案じたようだ。
「ああ、後方の本陣だから心配しないで」
シノブは慌てて言い足した。
テオドールは、武人としては並より上といった腕らしい。少なくとも、前線に飛び込んでいくような勇猛果敢な人物ではないのは確かだ。
「そうでしたの……」
「カンビーニとガルゴンから王太子が参戦するのだから、ってシュラール公爵がね」
安堵の表情となったセレスティーヌに、シノブは事情を説明する。
各国から次世代の統治者や彼らを支える勇将が出るのだ。メリエンヌ王国としても、傍観するわけにはいかない。そこでテオドールや彼を支える軍人達が参戦することになったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「ともかく明日は待機だよ。何をしようかな?」
シノブは、話を元に戻した。
アンリは翌日5月9日中に軍の編成を終え、10日の夜には戦場と予想されるアクフィルド平原近辺に潜む。
魔法の家で転移すれば、敵に悟られずに近くの山中に布陣するなど造作も無い。拡張された魔法の家には入ってすぐに大きな石畳の大広間があり、そこには三百名は収容できる。したがって、何十回か往復すれば一万人の大軍でも輸送可能である。
そして決戦において、シノブ達の出番は魔法の家による輸送からであった。
「明後日はロドリアム殿下の救出がありますけど、明日一杯は空いていますよ」
アミィが言うように、10日にはアルバーノ達を支援するためアルマン王国の王都アルマックに赴く。
アルマックには、王太子ロドリアムや彼の妻がいるし、マクドロン親子に従わなかった貴族達が幽閉されている。だが、ジェリールや息子のウェズリードは、アルマックを9日の早朝に出立する。そのため、彼らが不在の間に王太子達を助け出すのだ。
「……ヤマト王国はどうでしょう? 街に行くのは難しいと思いますが、例の場所なら問題ないかと」
シャルロットは、暫し考え込んだ後に遥か東方の国を挙げた。もっとも彼女はヤマト王国自体ではなく、神域に行ってみたいようだ。
ヤマト王国の人々は着物だから、エウレア地方の服で町や村を訪れるのは無理がある。アミィの幻影魔術で誤魔化せば散策ぐらい出来るだろうが、服装による挙措の違いは大きい。違和感を抱かれないように行動するなら、こちらも着物にした方が無難である。
それに休養するなら周囲に注意しながら行動するより、人里離れた場所で寛いだ方が良いだろう。その意味では、誰も来る筈のない神域は最適だ。
「それは良いですわね!」
「はい! 明日はゆっくりしましょう!」
セレスティーヌとミュリエルも乗り気らしく、どちらも華やいだ声で賛意を示す。
並の者なら、神域に行くなど躊躇するだろう。だが、彼女達は最高神アムテリアと会ったことすらある。そのため、畏れより興味の方が強いらしい。
「アルメル殿も如何でしょう? 色々な植物があって楽しいですよ」
シノブはアルメルへと顔を向け、少し冗談めいた口調で誘いの言葉を掛ける。
普通に誘うとアルメルは遠慮するだろう。しかし、農務長官を務める彼女なら神域の多様な植物に興味を示すと、シノブは考えたのだ。
「そうですね……折角のお誘いですから」
シノブの意図を察したのだろう。アルメルは、暫し躊躇った後に同行すると答えた。
「お婆さまも……ますます楽しみです!」
ミュリエルは、更に顔を輝かせる。アルメルは留守番することが多い。しかしミュリエルは、祖母だけを置いていくのは嫌だったのだろう。
「そうなると、早く休んだ方が良いな。時差が大きいからね。こちらを朝の7時に出たとしても向こうは15時だ。ゆっくりしていると僅かな間で日が暮れてしまう」
シノブが言うように、向こうに行くなら早朝だろう。
シェロノワとヤマト王国の時差は8時間だ。今は五月に入って日も長いから日没は19時くらいだが、それでも外で遊べるのは数時間でしかない。
「朝食は向こうにした方が良いですね……」
「用意させましょう。折角ですからシノブ様の故郷にちなんだものも作らせます」
アミィが呟くと家令のジェルヴェが席を立った。彼は厨房へと指示をしに行くようだ。
「明日が楽しみだね」
「ええ」
シノブの囁きに、シャルロットが静かに応じた。二人の隣では、ミュリエルとセレスティーヌが何をしようかと語り合っている。
まるで遠足を前にした子供のような二人に、シノブは笑みを浮かべる。そして彼も、戦の前とは思えない和やかな団欒に加わっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
次の朝、シノブ達はシェロノワの大神殿へと向かった。
神域に行くのは、昨晩話した通りシノブを含む六人、そしてシェロノワに滞在中の竜や光翔虎達だ。そのため、シノブ達が乗る馬車の上空には彼らが飛翔している。
「ジェリールの軍は予定通り出発したか……」
シェロノワの大神殿に着いたとき、シノブの通信筒に手紙が届いた。それは、アルマン王国の王都アルマックに潜入中のアルバーノが送った文である。
今日は休養すると各所に伝えたシノブだが、アルマン王国の両軍の動きなど重要なことは知らせるように頼んでいた。そのためアルバーノも、ジェリール達が予定通り出立したことを伝えてきたのだ。
ちなみに西の国王軍を見張っているホリィ達は、そちらもシノブ達が予想した通りだと伝えてきた。
国王軍は、この日一杯を軍の召集と編成に充て翌日の5月10日に出立する。やはり、出立までに西の各地から集められるだけの兵を集めるらしい。昨日から西部の兵は移動を開始し、国王ジェドラーズ五世のいる都市ジールトンに向かっているという。
「シノブ様、今日はアルマン王国のことを忘れましょう!」
「そうだね。アルノー達も送り届けたし、今日の仕事は終わりだ!」
アミィの忠告に従い、シノブは西でのことを一旦置くことにした。
つい先ほど、シノブは自領から参戦する者達を魔法の家でブロアート島に連れて行った。本日、アルマン王国の決戦に向けてシノブがすべきことは、これで終わりである。
──シノブさん、早く行きましょう!──
──どんなところか楽しみです~!──
猫ほどの大きさとなったオルムルとフェイニーが、シノブの側を飛び回りながら急かした。彼女達も、シノブと共に神域に出かけるのだ。
二頭の側には同じく腕輪の力で小さくなったシュメイ、ファーヴ、リタン、ラーカが飛翔し、更に後ろには、やはり本来の十分の一ほどになった炎竜イジェと光翔虎のメイニーが続いている。
──ラーカさん、どんなところですか?──
──凄く魔力が濃くて気持ち良いですよ──
リタンとラーカの話を、シュメイとファーヴは興味深げに聞いている。
神域に満ちた濃い神気も、魔力で生きる彼らにとっては非常に心地よいものらしい。強大な魔力を持つ竜や光翔虎は、人間達とは違って神気に当てられることは無いようだ。
とはいえ、彼らも神域を畏れていることに変わりはない。
ラーカの両親である嵐竜のヴィンとマナスは、神域のある筑紫の島に休憩用の棲家を持っていた。そのため二頭は神域の存在を知っていたが、中に入ることは無かったのだ。
もっとも、今は二頭も神域にある転移の神像を利用している。アムテリアが転移の神像の設置を許可した以上、そこまで入るのは問題ないからだ。
「ヴィン達には悪いことをしたな」
聖壇に登っていくシノブの顔には、ほろ苦い笑みが浮かんでいた。彼は、ヤマト王国の遠海に赴いた二頭の嵐竜を思い浮かべたのだ。
シノブは、ヴィンとマナスにヤマト王国の付近にいるという嵐竜や海竜を探してほしいと頼んだ。その時点では異神が姿を消したままだったから、まだ見ぬ竜達に警戒を促し知っていることがあれば教えてほしかったからだ。
しかし、ほんの一日違いで異神達はアルマン島に出現した。そのため、異神に関する警戒は無用となっていた。
「他の竜を探してもらうのは、きっと今後のためになります。それに、人間と意思を交わせた方が良いと思います」
シャルロットの言葉は間違っていない。そのためシノブはヴィン達に異神の発見を伝えたが、竜を探すこと自体は継続してもらっていた。
かつての岩竜ガンドやヨルムのように、人と会話できないばかりに戦わざるを得なかった竜達もいる。それを考えれば、他の竜や光翔虎に『アマノ式伝達法』を伝え人と交流できるようにしていくのは、大きな意味を持つことであった。
ヤマト王国では、シャンジーと会話するためタケルと彼の家臣達が伝達法を習得した。今後ヤマト王国に伝達法が広まれば、エウレア地方のように竜や光翔虎が人と共存できるようになるだろう。
「こんな風に皆が仲良く出来るようにしたいですね!」
「きっと出来ますわ!」
ミュリエルとセレスティーヌは、聖壇の下へと目を向けていた。そこには、竜や光翔虎を当たり前のものとして受け入れている人達がいる。
早朝だが、大神殿の中には参拝に来た者達も多い。信心深い者は、仕事に行く前に大神殿に寄るからだ。しかし彼らは、何頭もの竜や光翔虎を目にしても驚く様子はない。それどころか、親や祖父母と一緒に来た子供などは、オルムル達の名を呼び手を振っている。
オルムル達も、名前を呼ばれるとそちらを向いたり鳴き声で応じたりしている。最近は子供も伝達法を学んでいるから、オルムル達の返した言葉を理解できる者も多いようだ。
「そうだね……さあ、出発だ!」
シノブは、筑紫の島の神域に転移するように願う。すると、いつものようにアミィに似た声が転移の実行を告げる。そして次の瞬間、シノブ達は遥か東の地に移動していた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ここが神域ですのね!」
「色んな木がありますね!」
歓声を上げたセレスティーヌとミュリエルは、そのまま立ち尽くしていた。
二人の眼前に広がる光景は、一見すると何の変哲も無い草原のように見える。草原のところどころには木が生え、遠方には森がある。ただ、それだけだ。
しかし、良く見ると比較的北方にあるだろうリンゴのようなものから、明らかに熱帯産だと思われるバナナなどまで、気候や産地を無視した様々な果物が実っている。しかも、そのどれもが通常の何倍もの大きさである。
「シノブ、あの弓のように曲がっているのは、何というのですか?」
「あれはバナナって言うんだ。ちょうど良いから朝食のデザートにしようか。俺の故郷では、バナナは遠足に欠かせないんだ」
シャルロットに答えたシノブは、一番近くの木へと歩き出した。シャルロット達は、物珍しそうにバナナの木を眺めつつ、彼に続いていく。
──シノブさん、私達は狩りに行くわね! この周囲には大きな猪が出る場所があるんでしょ!?──
「ああ! あまり神域から離れないでね! この近くは禁域だから大丈夫だけど!」
シノブは、宙に舞い上がったメイニーに叫び返した。
メイニーの隣にはイジェ、そしてオルムル達もいる。竜や光翔虎が食べるのは魔獣だけだから、植物には興味が無いらしい。そのため、人間のように神域の木々に見とれることはないようだ。
「大きな猪ですか……」
「4mを越えますよ。それをラーカが自慢したみたいです。神域の近くだから、濃い魔力で大きくなったのでしょうね」
空を見上げながら呟くアルメルに、アミィが応じた。
ラーカはシェロノワに来るとき、神域の手前で森林大猪を発見した。それはシノブが最初に見たものと同様に体長4mを越える大物であった。
アミィが言うように、魔獣は魔力が濃い場所ほど大きくなる。そのため、メイニー達は大物狩りの機会を逃したくないのだろう。
「俺達の食事を見ていても詰まらないだろうしね。さてと……随分沢山あるな。皆もどうぞ。黄色くなっているのが美味しいよ」
シノブは、長さが指先から肘くらいもある巨大なバナナをもぎ取ってみせる。
かなり大きな木だが、幸い大人なら手の届く場所にも実がぶら下がっている。そのため、シャルロットやセレスティーヌもシノブの真似をしてバナナをもぎ始めた。
「ミュリエルは、届かないか……そうだ、俺が抱っこしようか? でも、子供みたいで嫌かな?」
「いえ、お願いします!」
ミュリエルは頬を染めつつシノブに応じた。そんな少女の姿を、シャルロット達は微笑ましそうに眺めている。
「それじゃ……」
シノブはミュリエルの腰の辺りに手を掛けて抱え上げた。まだ十歳の少女だけあって、シノブは軽々と抱き上げる。
「ミュリエル、私が持ちましょう」
「お婆さま、ありがとうございます!」
アルメルは、ミュリエルからバナナを受け取っていく。
とても大きなものだから、一人あたり一本もあれば充分だろう。しかしミュリエルは、三つ四つと取っていく。
「シノブ様、葉っぱも少し取りますね! カカオの発酵に試してみたいので!」
アミィは宙に跳び上がると、魔法の小剣でバナナの葉を幾つか切り飛ばした。そして彼女は、切り落とした葉を魔法のカバンに仕舞っていく。
「カカオか……そういえば、あれが『カカオッキーナの実』なら、これは何て言うのかな……」
シノブは、森の女神アルフールが自慢げに言った名を思い出した。
神域にある植物は、アルフールが特別に改良した品だという。そうなると、このバナナの木にも彼女の付けた名前があるに違いない。
ミュリエルを地面に降ろしたシノブは、目の前の木を眺めつつ、どんな名前なのだろうと思いに耽る。
◆ ◆ ◆ ◆
「それは『バナナヒャクナール』よ! 普通なら一つの花から二百本くらい取れるけど、これは七百本以上も取れるの! それに、何度も花が咲くのよ!」
シノブの背後から、聞き覚えのある声がした。シノブが振り返ると、そこには笑顔のアルフールが立っている。
「アルフールの姉上!」
シノブが叫ぶと、シャルロット達は慌ててその場に跪き顔を伏せた。彼女達は、アムテリアに会ったことはある。しかし、一度や二度会ったからといって慣れるものではないのだろう。
「そんなことはしなくて良いのよ。貴女達は弟のお嫁さんと、そのお婆さんなんだから!」
アルフールは、シャルロット達に手を差し伸べ立たせていく。
親しげな口調の女神に、シャルロット達は驚きつつも立ち上がる。シノブは、家族には自身が体験したことを詳細に伝えている。そのためシャルロット達は、アルフールがシノブに気安く接すると知っており、その分だけ驚きも軽減されたのだろう。
「シノブ、折角だから私も食事に混ぜてね! 良いでしょ!?」
「それは構いませんが……姉上、後ろを」
シノブはアルフールに頷きつつも、あることを言わずにはいられなかった。アルフールの背後には、歩み寄ってくる二人の女性がいたのだ。
一人は、シノブも良く知る金髪に青い瞳の白い長衣を纏った女性。もう一人は、人には無い薄青の髪に同じく青い瞳、そして衣も青い女性である。
青に包まれた女性はアルフールより僅かに年上、二十代前半に見える。しかし青い髪のためか、彼女からは地上の者とは違う神秘が感じられる。
「えっ? ……母上! それにデューネお姉様! どうしてここに!?」
シノブに指摘され振り返ったアルフールは、驚愕の声を上げた。そう、歩んでくる女性達は、この星の最高神アムテリアと海の女神デューネだったのだ。
「どうしてじゃないわ! 抜け駆けするなんて……それに、私はシノブに伝えたいことがあるのよ!」
デューネは、憤然とした表情でアルフールに詰め寄った。彼女は、妹が自分達より先にシノブ達の下に行ったのが気に入らないらしい。
「だったら早く来れば良いじゃない! それに、私は可愛い弟の質問に答えなくちゃいけなかったの!」
だが、アルフールは姉の不満などお構いなしであった。姉といってもデューネは六柱の従属神の中では下から二番目だし、女同士でもある。そのためアルフールもデューネに遠慮しないのだろうか。
それはともかく、妹に怒りをぶつけるデューネの姿からは、最初の人ならざる気配は霧散していた。そのため、シノブは思わず苦笑してしまう。
「畏まらなくても良いのですよ。貴女達はシノブの家族なのですから」
娘達が口論しているのを他所に、アムテリアはシャルロット達の側に寄り柔らかな言葉を掛けていた。シャルロット達は、再び跪いていたのだ。
「皆、立って。その方が母上も喜ぶから」
「そうですよ!」
シノブとアミィ、そしてアムテリアはシャルロット達を立ち上がらせる。それと前後して、ようやく二柱の女神の論争も終わりを迎えていた。
「シノブ、どこで食事をするのですか?」
「折角だからここで。テーブルと椅子は持ってきたのです」
アムテリアの問いかけにシノブが答えると、アミィは魔法のカバンからテーブルを取り出す。
飾り気の無いテーブルは、十人程度で囲める程度だ。舘の倉庫に仕舞われていた、野外パーティーなどに使うものである。
そしてアミィがテーブルに続き出した椅子を、シノブ達は並べていく。
「椅子が足りないんじゃない?」
「大丈夫です。こんなこともあろうかと、予備も持ってきました」
首を傾げたアルフールに、シノブは悪戯っぽい笑みと共に答えた。
シノブとアミィがここに神像を造ったとき、アムテリアとアルフールが姿を現した。ならば、今回も来るかもしれない。そう思ったシノブは、多めに椅子を入れておいたのだ。
「嬉しいわ! もしかすると料理も?」
「はい! 沢山作っていただきました!」
期待の表情となったデューネに、テーブルクロスを広げていたアミィが笑顔と共に答える。
魔法のカバンの内部は時間が経過しないから、余れば別のときに食べれば良いだけだ。ジェルヴェもそれを知っているから、舘の料理人に倍は用意させたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
準備を終えて全員がテーブルに着くと、シノブは笑みを浮かべながらアムテリアへと顔を向けた。
「さて……母上に感謝の言葉を捧げるべきかもしれませんが……」
「シノブ、皆の心は充分に伝わっていますよ」
シノブが笑いかけると、アムテリアも笑みを返す。
正式な晩餐などでは、最高神であるアムテリアに感謝の言葉を捧げる。だが、アムテリアも自身が食事に加わるのに祈りを捧げられても、と思ったのかもしれない。それとも、ここでは家族同士だから崇めるのは不要ということか。
「わかりました。では、母上と食事できることに感謝を」
「それは嬉しい言葉ですね。さあ、皆も食べなさい」
アムテリアは、シノブの言葉を聞いて一層顔を綻ばせた。そして彼女は、一同に食事を始めるようにと勧める。
朝食ということもあり、食卓には比較的簡素で食べやすいものが載っている。薄めに切ったパン、一口で食べられるように小さく切って揚げた肉、取っ手付きのカップに入れたスープなどだ。もちろん、例のバナナもテーブルの上に置かれている。
更に、お握りなども並んでいる。ジェルヴェはシノブの真の来歴を知っているし、ヤマト王国がシノブの故郷に当たる場所だとも聞いている。そこで気を利かせたジェルヴェは、料理人達に和食風の品を頼んだのだ。
幸いアミィの指導もあり、舘の料理人達も和風な料理に随分と慣れた。そのため、お握りだけではなく浅漬けや煮物なども並んでいる。
それらを思い思いに摘みながら、シノブ達は楽しく語り合っていた。
天気も良いし、爽やかな風が吹く草原は快適だ。それに、料理も美味しい。そのため、どの顔も明るく輝いている。
「……忙しいようですが、楽しそうですね。安心しました」
シノブ達の日常を聞いたアムテリアは、満足そうに微笑んでいた。彼女は、それらを神界から見ている筈だが、直接聞くのは別の喜びがあるらしい。
「そうですね、母上! シノブ、もっと遊びに来て良いのよ!」
「今度の戦いが終わったら、泊まりがけでゆっくり来なさいね」
アルフールとデューネも、頻繁に訪れるようにとシノブに勧める。彼女達も、見ているだけでは詰まらないのかもしれない。
「……デューネ、例の件を」
戦い、という言葉が出たためか、アムテリアの表情が少々改まったものとなった。どうも、彼女は何か伝えたいことがあるらしい。
「はい。シノブ……ごめんなさい、アルマン島に現れた異神は今まであの付近の海に潜んでいたのよ。彼らが街に転移したときに、直前の居場所が大よそ掴めたの。
向こうの海神が隠蔽したのね……私の失態だわ」
デューネは、それまでとは違う忸怩たる表情となっていた。
異神達の中には、海神と呼ばれるダゴンがいる。彼なら、海に潜むのはお手の物だろう。しかしデューネは同じ海や水を司る存在だ。自身の管轄する場所にいたと知った彼女は、強い衝撃を受けたのだろう。
「そうだったのですか……ですが姉上、今度こそ逃がしません。光の額冠の力を借りてですから、偉そうなことは言えませんが」
シノブは、冗談を交えながら必勝を誓う。
異神達が隠れ潜むだけで暗躍できなかったのであれば、それで良い。過去を悔やむよりは、次の手を考えるべきだ。シノブは、そう思ったのだ。
「シノブ、ポヴォール達が貴方を鍛えるそうです。ですから、日のあるうちは皆でゆっくりしなさい。その後は……貴方なら大丈夫でしょう」
アムテリアは、微笑みつつも意味深なことを言う。彼女の口ぶりでは、ポヴォールだけではなく複数の神がシノブを待っているようだ。もしかすると、ここにはいない男神全員であろうか。
「シノブさま……」
「だ、大丈夫ですわ……」
神々の試練を想像したのか、ミュリエルとセレスティーヌが不安げな顔でシノブを見る。アミィは神々を信頼しているらしく表情を動かさないが、シャルロットやアルメルもシノブを案ずるように見つめていた。
「大丈夫だよ」
シノブは、テーブルに集った者達へと笑いかけた。
アムテリアの申し出は、シノブにとって非常に助かるものであった。彼は、この二日で光の額冠を試そうと思っていたのだ。
「それでは母上、まずは英気を養うことにします」
ここには、自分を家族と呼んでくれる者達がいる。彼女達を守るためなら、どんな試練でも乗り切ってみせよう。シノブは、心の中で静かに誓う。
愛し子の決意を察したようで、アムテリアは今日一番の笑みを浮かべ優しく頷いた。
慈愛の輝きを放つアムテリア。彼女の視線の先には穏やかな表情のシノブ。二人の姿に安心したのだろう、シャルロット達の顔にも最前の輝きが戻っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年4月29日17時の更新となります。