16.27 決戦迫る 後編
都市ジールトンはアルマン王国の西部で最も大きく、人口は一万九千人だ。しかし一つ北のデージアンが人口一万八千人で更に北のテルウィックもほぼ同数だから、飛び抜けてはいない。
これに対し東海岸の王都アルマックは八万五千人を抱え、その南北のラルナヴォンとオールズリッジも二万人を超えている。
この東西の差は、それぞれの立地によるものだ。
アルマン王国の東には狭いところで150kmほどの海峡を挟んで大陸があり、今回の戦いが始まるまで交易も盛んであった。特に大陸北部のヴォーリ連合国との海上貿易は、アルマン王国の独壇場に近かった。
それに対し西に広がる大海原の先は未だ明らかではない。そのため西海岸を行き交う船は、沿岸を巡るものだけだ。したがって東海岸は栄え、西の都市は一段劣る立場に甘んじてきた。
しかし都市ジールトンには東海岸と繋がる主要街道があり、更に北のデージアンや南のマドウェイに向かう街道もある。
そのため代々の王家も、ジールトンを西の要地として重視してきた。過去の歴史でも王家に嫁ぐ女性は他に比べて多く、当代の国王ジェドラーズ五世もジールトン伯爵の妹を第一王妃としている。
もっともジェドラーズ五世は、軍務卿ジェリール・マクドロンの反逆により退位させられた。したがって、王と言うのは不適当かもしれない。だが、ジェドラーズ五世を再び王として戴く者が現れた。
それは、ジールトン伯爵を始めとする西方の領主達である。
「陛下、都市の中は一段落しました」
ジールトン伯爵ラルレンス・ヴィーンブルは、ソファーに腰掛けたジェドラーズ五世に向かって恭しく頭を下げた。
ここはジールトン伯爵の舘の最上階にある王族向けの貴賓室だ。二人の他にはジェドラーズ五世の隣に第一王妃のメリザベス、そして伯爵が国王夫妻に付けた側仕えの者達だけだ。
「ご苦労。軍はどうだ?」
ジェドラーズ五世は、国王に相応しい堂々たる声音でジールトン伯爵に問いかけた。
国王の声は、以前よりも重厚さが増しているようだ。もしかすると、憑依した異神の影響かもしれない。
「念のため士官以上は拘束しましたが、兵士達は指揮下に入れました。陛下が真実を教えてくださったので、安心して使えます」
ジールトン伯爵は、再び国王に深い礼をした。伯爵は長身で、しかも武術に通じているらしく挙措も躍動感に満ちている。
伯爵からは、国王に対する強い敬意が伝わってくる。彼は『隷属の首飾り』から自身を解き放った国王に、以前にも増しての忠義を誓ったようだ。
この日の未明、ジェドラーズ五世とメリザベスは突然ジールトン伯爵の寝室に出現した。彼らは、異神としての力で室内に転移をしたのだ。
そして二人はジールトン伯爵の隷属を解き、驚く彼にこう語った。
反逆者ジェリールに捕らえられた自分達は、第二王妃や先王と共に邪神の手先グレゴマンの下に送られた。そしてグレゴマンに禁術の実験台とされたが、思わぬ力に目覚め辛くも脱出した。
どうやら自分達は、大いなる力に目覚めたようだ。しかも単に魔力が上がっただけではなく、転移や隷属の解除なども可能となった。そこで反逆者に支配された領主達を解放しに来た。
国王と妹の説明にジールトン伯爵は驚愕したが、二人に救われたのは事実だ。そこで彼は、ジェリールが付けた監視役を国王達と共に捕縛した。
幸い『隷属の首飾り』という物証もあるし、監視役の証言もある。そのため伯爵の家臣や都市の駐留軍もジェリールが禁忌に手を染めたと認め、再びジェドラーズ五世に忠誠を誓ったのだ。
「うむ。父上とマーテリンも、予定通りデージアンを押さえた。これからテルウィックに向かうそうだ」
「思念での連絡があったので?」
国王の言葉に、ジールトン伯爵は驚嘆が滲む顔で問いかけた。
先王ロバーティン三世と第二王妃マーテリンがいるのは、ここから70kmほど北だ。当然ながら、通常の手段では即時に状況を知るなど不可能だ。
「その通りだ。我ら四人は、およそ80km以内なら思念でやり取りできる」
「兄上。転移も同じ程度の距離までなら可能です。こちらは自身しか運べず、それほどの遠方まで転移した場合、一日は使えないのですが」
ジェドラーズ五世に続き、メリザベスも伯爵に答えた。
どうやら異神達は、まだ完全に力を取り戻したわけではないらしい。それとも人に憑依しているから、力が限定されるのか。
同じ神でもアムテリアは、思念での会話や転移に距離の制限は無いようだ。それに、シノブも1万km以上先まで思念を届けたことがある。
アミィ達眷属、それに竜や光翔虎の思念も150kmほど先までなら届くから、彼らと比べても短距離だ。常人からすれば信じ難い能力だが、神本来の力には程遠いだろう。
「メリザベス、それでも途轍もないことだよ。
……陛下、これはジェリールとの戦いでも大きな力となるでしょう。例えば軍を四つに分けても、陛下達に率いていただけば完璧な連携が可能です!」
妹に応じたジールトン伯爵は、興奮に頬を染めつつ国王へと語りかける。当年とって四十歳の彼だが、よほど気持ちが高揚しているのか、弾む声は青年のように若々しく響いた。
「戦いか……そなたは、どう見る?」
ジェドラーズ五世は、言葉少なに訊ねた。
彼は、軍事関連を軍務卿であるジェリールに一任していた。彼に憑依しているバアル神も、アルマン王国の地理や軍に詳しくはなかろう。
そのため国王は、武に秀でているらしきジールトン伯爵の見解を聞きたいようだ。
「ジェリールの手の者は、伝令として王都に走った筈です。既に早馬が王都に着いていると思われます。
ですからジェリールは早急に軍を纏め、明日にも出立するでしょう。そしてオールズリッジを通り、こちらに進軍してくるに違いありません。となれば四日後にはジールトンに着くかと。
もちろん、座して待つわけにはいきません。こちらも二日以内に可能な限りの兵を集め、進軍を開始します。そして一日分手前、アクフィルド平原で待ち受けます」
ジールトン伯爵は国王の質問を予測していたらしい。彼はスラスラと答えていく。
「……アクフィルドか……こことオールズリッジを結ぶ辺りだったな?」
少しばかり考え込んだ後、ジェドラーズ五世は伯爵に再度問いかけた。
王が自国の地名を知らないのは、不自然だ。彼は政治や軍事には向いていなかったようだが、それでも自身が治める国の地理くらいは学んだ筈だ。
もしかすると、ジェドラーズ五世の意識はバアル神と融合していないのかもしれない。ジェドラーズ五世の精神は内部に閉じ込められ、代わりにバアル神が肉体を動かしている。そして、バアル神は国王の知識を必要に応じ引き出している。そうであれば、すぐに平原の名が浮かばないのも理解できる。
「はい。中間より少しこちら側です。こちらに近い側が高い上、待ち伏せに向いた場所もあります。敵は我らの倍近いでしょうが、陛下達のお力があれば互角以上に戦えます!」
ジールトン伯爵は国王の異変に気が付かなかったらしい。彼は、アクフィルド平原の地理について国王に説明する。
地形の有利さに加え国王達がいれば勝利できると、ジールトン伯爵は考えているようだ。
ジェドラーズ五世やメリザベスはジェリールの所業を語った後、伯爵や家臣に力の一端を示した。二人は伯爵達を伴い都市近郊の演習場に赴き、強力な魔術を使ってみせたのだ。それは大岩を溶かす火炎弾や巨大な水の壁による防御、そして無数の雷撃などである。
二人が見せた魔術による攻撃は、矢よりも遠方に届く常識外れのものだった。そのため伯爵は、これなら勝算ありと睨んだのだろう。
「……準備を頼む。済まぬが少し休ませてもらう。色々あって疲れたのでな。側仕えも下げてよい」
「仰せのままに! それでは失礼します!」
国王の言葉を聞いたジールトン伯爵は、納得の表情となった。
二人は、窮地を脱してから回復するまで暫く隠れ潜んでいたと伯爵に説明した。王族である彼らが不自由な生活を強いられたのだ。休養を望んでも当然だと思ったのだろう。
伯爵は綺麗な会釈して退出し、彼の家臣も続いて去っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「……貴方、上手くいきましたね」
「こうも簡単に行くとはな。お前の体の兄ということで、ここにしたが……少々拍子抜けだな」
二人だけとなったためか、問うたメリザベスと応じたジェドラーズ五世の表情や声音には、僅かな変化が生じていた。おそらく彼らを操る異神達の素顔が覗いたのだろう、彼らの顔には異質な何かが宿っている。
「この地の者は、星を統べる神を厚く信仰している。それ故いきなり我らの正体を示しても背かれるだろう。
幸いにも、この体は王だ。であれば、仮の体に潜みつつ崇拝を得るのが良かろう。いずれ、この体が生き神として崇められるまでは」
ジェドラーズ五世……いや、バアル神はアルマン王国の王として君臨するつもりらしい。
戦に勝利し強力な王として立てば、しかも神のごとき奇跡を示せば、自然と国民は敬うだろう。そして民が彼らを超越者として崇め新たな信仰を生み出せば、本来の力を取り戻せる。バアル神は、そんなことを考えているのであろうか。
「はい。それに、戦で斃れた者の血を浴びるのも楽しみです」
メリザベスに宿っているのは、古代オリエントの神話ではバアル神の妹で妻とされる女神アナトだ。
アナトは愛と戦いの神で、しかも極めて好戦的かつ残酷とされている。そのためだろう、冷たい笑みを浮かべた彼女は恐るべき言葉を紡いでいた。
「あまり本性を見せるな。この地の者が我らを神と認めるまで、仮面を被って過ごすしかあるまい。
……この男の知識にある秘宝とやらが使えれば、雌伏の時も短くなるだろう。案外、それほど待たずして復権できるかもしれぬ」
「心の力を集める宝冠……私達が使えるのですか?」
バアル神はアルマン王国の秘宝である『覇海の宝冠』に期待しているらしい。しかしアナトは、宝冠を異神の自分達が使用できるか疑わしく思っているようだ。
『覇海の宝冠』と『覇海の杖』は、アルマン王国の聖人が初代国王ハーヴィリス一世に授けたものと伝わっている。そして聖人は神の使いと言われている。となると、秘宝はアムテリアの手になるものだと考えるのが妥当である。
そのためアナトは、自身が使用できないと思ったようだ。
「この記憶の通りなら、あれは初代の血と並外れた魔力が必要とのこと。ですから、貴方やダゴンなら宿る体と神力で条件を満たします。
そして使用者が認めれば、充分な魔力を持つ者は使える……でも、人の道に外れる魂は認められないとか。
この星の神の定めた道は、随分と軟弱なようです。私達のように血に彩られた神霊は……」
ダゴンとは、先王ロバーティン三世に宿る神霊である。つまり秘宝を得る条件の一つは、初代の直系ということだ。
ちなみに秘宝を手にしたジェリールは、母が先代国王の妹だ。したがって彼と息子のウェズリードは、その点を満たしている。
「問題ない。我の中には工芸の匠もいる。仮に使えなくとも、見れば同じようなものを造ることは出来る」
バアル神には、かなりの自信があるらしい。彼が宿るジェドラーズ五世は、落ち着いた様子であった。
アナト達は、長い間バアル神の中に眠っていたようだ。おそらく、彼の中には同じように工芸を司る神もいるのだろう。
たぶん、帝国の魔道具技術が進んだ背景には、その工芸神が関わっていたのだろう。そうであれば、確かに模造品を造ることは出来るかもしれない。
「ああ、彼も居たのですね! では、更なる体を手に入れたら!?」
アナトは大層喜んだようだ。メリザベスの声は華やかさを含んだものになった。
「どうも、この国の王家は長年使ったあの家系より魔力が多いらしい。おそらく、あと一人や二人は憑依に適した者がいるだろう。
そのためにも力を溜めねばな。憑依の儀式を行うには大量の魔力を確保せねばならん。それに、我ら自身の回復も必要だ」
「では、戦で多くの命を吸い取りましょう。そして、この国を制したら他の国の命も」
バアル神とアナトの恐るべき会話を聞いている者は、どこにもいない。そのため、これらの会話は宙に消えていくだけであった。
だが、その方が幸せだったかもしれない。おそらく、これらを耳にした者は二柱の神の餌食となっただろうからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
同じ頃、東の王都アルマックでは、現在アルマン王国を支配する親子が顔を合わせていた。もちろん、彼らは総統を自称するジェリール・マクドロンと息子のウェズリードだ。
二人がいるのは『金剛宮』でも最も豪華な部屋の一つ、御座所である。
「父上、向こうにはベーリンゲン帝国の陰にいた神がいる筈です。勝てるのですか?」
ジェリールに訊ねたのは、ウェズリードだ。彼の整った顔は、いつも通り冷たい表情を浮かべたままだが、僅かに眉を顰めている。
二人は、西のジールトンに現れた国王達の討伐について相談している最中だ。もっとも、彼らの話は単なる軍議を超えたものとなっていた。それは、二人が国王達に異神が宿っていると察していたからだ。
ジェリールとウェズリードは、今は亡きグレゴマンから彼が信奉する帝国の神を降ろすと聞いていた。そのため二人は他の者とは違い、これが単なる軍事力で片付くことではないと知っているのだ。
ジェリール達が押さえているのは王都を含む東海岸の都市だ。これらの人口は西の倍程度で、大勢を動員できる。したがって、普通の戦いならジェリール達の圧勝だ。
しかし、相手には神がいる。ならばアルマン王家の秘宝を得たジェリールといえども苦戦するのでは。それどころか、敗北もありえる。ウェズリードは、そう思ったのだろう。
「勝てるかどうかではない。この戦いは避けられん。奴らを留めねば、我らは王都を出て行くしかない。だが、どこに行く?」
ジェリールの言葉は間違っていない。
海上はアマノ同盟が封鎖している。アルマン島を追い出されたら、彼らは海でアマノ同盟軍と戦うことになる。そして、アマノ同盟の盟主は帝国の神を倒したシノブである。
王都にいるかぎり、シノブ達は強攻策を取らない。シノブは、民を戦闘に巻き込むことを嫌っている。しかし海上に出たらシノブ達は遠慮しないだろう。ジェリールは、そう思っているようだ。
「それは……」
「案ずるな。秘宝は神とでも戦えるだろう。それに私は嬉しいのだ。
……帝国の神とはいえ、神には違いない。私は、ナディリアを見捨てた神が憎い。本当なら、そちらに仕返ししたいところだが、挑もうにも姿すら現さぬし会う術も知らぬ」
ウェズリードの言葉を、ジェリールは僅かに喜悦の滲む声で遮った。
ジェリールは数年前、愛する妻ナディリアを失った。猛毒で瀕死となった国王ジェドラーズ五世を救うために、彼女は己の命を投げ出したのだ。
ジェドラーズ五世など王族には、他にも優秀な治癒術士が何名も仕えていた。しかし彼らも同時に毒にやられ、ナディリアはたった一人で非常に難しい治癒するしかなかった。
その結果ナディリアは国王を救ったが、自身の魔力を使い果たして世を去った。
悲劇を知ったジェリールは、大いに嘆き悲しんだ。それまでの彼は妻と同様に強い信仰心を持っていたが、それが仇になったのかもしれない。彼は、行き場の無い怒りを神へと向けたのだ。
「だが、これで神と戦える。神への復讐が出来るなら、細かいことなどどうでも良い」
「父上……」
暗い笑みを浮かべるジェリールを、ウェズリードは案ずるような視線で見つめていた。
もっとも、それは父を思ってのことではなく、どこか歪なジェリールに従うしかない不安からのようだ。その証拠に、彼の青い瞳に同情の色は浮かんでいなかった。
アルマン王国の秘宝を使えるのは、ジェリールだけだ。したがって、彼を抜きにしては異神達に対抗できない。
ジェリールが敗れたら自身を含め死ぬしかない。それに勝利しても彼が正気を失えば。そのときは、神に近い力を得た災厄が発生するだけでは。ウェズリードの懸念は、その辺りだろうか。
「……良いでしょう。所詮、秘宝を手に出来なかった私には届かぬことです。私は人間同士の戦いに注力します。
決戦は、アクフィルド平原ですね?」
ウェズリードは、自身が対処可能な問題に話を向けた。それは、一種の逃避かもしれない。
彼は、自身が王家の秘宝を手に出来ると思っていたらしい。そして、伝説の力を得た自分が王位に就く。それがウェズリードの望みだったようだ。
「そうだ。明朝、王都を発つ。ならばジェドラーズ達と出くわすのは三日後、場所はアクフィルドだ」
ジールトン伯爵の意見は妥当だったようだ。ジェリールも伯爵と同じことを言う。
もっとも、同国人同士の戦いである。地理も充分に把握しているだろうし、戦力や軍の編成に掛かる時間も察しているだろう。となれば、衝突する場所や時を予測するのは容易い筈だ。
「王太子達はどうしますか? 魔力を補充するために連れて行きますか?」
「……置いていこう。これは想像だが、ロドリアム達も憑依の器とするかもしれん。何しろ、魔力を足したとはいえ聖所から秘宝を得たくらいだ。敵に塩を送ることもなかろう」
息子の問いに、ジェリールは暫しの間を置いてから返答した。
彼は、王太子ロドリアムや彼の妻ポーレンスの大きな魔力を、異神が欲すると思ったらしい。秘宝を得るために残したくらいだから、王族の中では王太子の魔力が一番大きいのだろう。仮にそうであれば、異神が王太子に乗り換えようと思っても不思議ではない。
「わかりました。では私はこれで……」
「……ウェズリード」
退出しようとしたウェズリードを、ジェリールが呼び止めた。ウェズリードは、足を止めて再び父へと体を向ける。
「背後に気を付けることだ。敵は予測もしないところから来るかもしれん」
ジェリールは、重々しい口調で息子に忠告を与える。彼の顔からは先刻までの歪んだ喜びは消え、軍の頂点に相応しい将の表情となっていた。
「あのシノブという者のことでしょうか?」
ウェズリードは、少しばかり顔を強張らせていた。もしかすると、人を遥かに超えた技を使うシノブの襲来を恐れたのかもしれない。
「決め付けるのは良くない。繰り返すが、敵がどこから来るかなど予測は出来ぬ。海の向こうの者共もそうだが、味方に裏切り者がいるかもしれん。
何しろ我らは反逆者だ。我ら自身が証明しているではないか」
「……ご忠告、感謝します。それでは、失礼します」
注意しろと繰り返すジェリールの顔には、何の感情も浮かんでいなかった。そのためだろう、彫像のように動かず父の顔を注視していたウェズリードは、諦めたように型通りの言葉を口にしただけで去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
アルマン王国の東西で行われた陰鬱な会話の数時間後。日も落ちかけた海上で、とある会合が開かれた。
場所は王都アルマックから100kmほど東の海に浮かぶエリーズ号。メリエンヌ王国の西方海軍旗艦である。そして集うはシノブとアミィ、それにアマノ同盟軍の要人だ。
ミリィから王都アルマックの港での一幕を知らされたシノブは、アルマン王国を包囲する各国の艦隊から司令官を招いた。
ヴォーリ連合国からはイヴァールの祖父タハヴォ。カンビーニ王国からは王太子シルヴェリオ。ガルゴン王国からは王太子カルロス。三人は、竜や光翔虎に乗ってエリーズ号まで来たのだ。
これに元からエリーズ号に乗艦している西方海軍元帥のシュラール公爵ヴァレリーとポワズール伯爵アンドレ、そして先代ベルレアン伯爵アンリが、各艦隊の代表者として集っていた。
また、この日の未明にアルマン島の北の都市ドォルテアを攻略した、ベイリアル公爵ジェイラスにイヴァール、そしてシメオンとエルフのソティオスもやって来た。
ベイリアル公爵は新たに興したベイリアル公国の統治者だが、つい先日ブロアート島を独立させるまではアルマン王国に属していた。そこでシノブは彼の知識が有用ではないかと思い、声を掛けたのだ。
今、シノブとアミィは彼らと共にエリーズ号の司令室にいる。エリーズ号は、戦時となれば元帥である公爵や王族が乗る軍艦だ。そのため司令室には、まるで宮殿にいるのかと錯覚するような豪華な装飾が施されている。
だが、集まった面々も負けてはいない。王太子に公爵、そして国を代表する実力者達だ。それに多くの者は眩しい装飾が施された軍服を纏っている。
例外はドワーフとエルフで、タハヴォとイヴァールが素朴な革服、ソティオスが草木染めの質素な装いだ。しかし彼らも他と負けず劣らずの風格を漂わせていた。
「……場所はアクフィルド平原でしょう。ジェドラーズ達の国王軍が待ち受ける場所としては、あそこが最適です。ジェリール達の反逆軍も承知済みでしょうが、早期に解決するなら相手の思惑に乗るしかない……おそらく、両軍の衝突は三日後ですね」
ベイリアル公爵も、やはりアクフィルド平原を挙げた。
もっとも国の上層部にいた者なら、いざというときの防衛に適した場所くらい把握している筈だ。そのためだろう、各国の代表者達も表情を動かすことはない。
「王宮に潜入したアルバーノやミリィも、そう伝えてきました。明朝、ジェリール達の軍は王都を出発するそうです」
既にシノブは、これらについてアルバーノ達から詳しく聞いていた。
ジェリール達の命を受け、アルマン王国軍の幹部は出立の準備を始めた。そこでアルバーノ達は透明化の魔道具と卓越した潜入技術を駆使し、彼らの目的地や日程について調べ上げていた。
先ほどシノブは、得た情報を伏せたままベイリアル公爵に訊ねた。ジェリール達はともかく国王側の意図は不明なままだから、先入観を排した見解が聞きたかったのだ。
しかし双方を良く知るベイリアル公爵が言い切ったのだから、偽情報を掴まされた可能性は低いだろう。
「長引けば王都の民も失望するでしょうからね」
ジェリールの使う秘宝は慕う人々の魔力を吸い取るらしい。であればシメオンの言うとおり、民の離心が一番怖いだろう。つまり、ジェリールは短期決戦を望む筈であった。
「アルバーノ殿は、また自称総統の下に忍び込んだのですか?」
シルヴェリオは興味深げな顔をシノブに向けた。
どうもシルヴェリオは、アルバーノに親しみを感じているらしい。彼はカンビーニ王国の王太子だから、自国出身のアルバーノが気に掛かるのも当然ではある。
「今回は周辺からです。魔力が増加したジェリールへの接近は危険だ、とミリィが警告したので」
「秘宝は建国王のものです。おそらく、ジェリールは伝説の英雄や聖人に匹敵する力を得たのでしょう」
シノブとアミィの答えに、一同の表情は引き締まる。
港で探りを入れたとき、ミリィは辛うじて声が聞こえる程度までしか接近しなかった。開けた場所だからそれでも話を聞くことが出来たが、室内への潜入は無理だと判断したのだ。
そして国王側の意図を確認していないのは、このためだ。
異神達を宿した四人の王族への接近は、ホリィやマリィでも危険を伴った。自身と並ぶか超える魔力を感じた彼女達は、四人の居場所に近づいたが屋内には入らなかった。何しろ相手は神である。注意しすぎということは無いだろう。
「場所は多少違っても問題ない。それでシノブ、どうするのだ?」
「うむ。どうせ街道のどこかでぶつかるのだろう。幸い、竜や光翔虎が味方してくれる。もしもの時は済まぬが運んでもらえば良い!」
アンリとイヴァールは、無造作に言い放った。口には出さないがタハヴォも同じように考えているらしく、イヴァールの隣で大きく頷く。
「私とアミィ、それにホリィ、マリィ、ミリィで異神に当たります。おそらく、今回は……」
自分達以外に異神の相手は出来ない、とシノブは言いかけた。しかし事実だが無礼な発言には違いないから、後ろを濁す。
「お任せしますよ。それで私達は何をすれば良いのでしょう? まさか見物などと仰らないでしょうね?」
ガルゴン王国の王太子カルロスは、シノブに微笑みかける。彼は、シノブが言おうとしたことを察したのだろう。
「カルロス殿、シルヴェリオ殿、そしてイヴァールは、ジェリールの相手を。ガンド達が乗せてくれます。
ですが、無理はしないでください。状況次第では、私達が戻るまで牽制のみで構いません」
シノブの答えに、名前の挙がった三人は頬を緩ませつつ頷いた。
一番年長のカルロスは大人びた表情で。そして続くイヴァールは顔の半分を隠す髭を大きく揺らし。最も若く二十代前半のシルヴェリオは感情を顕わに。彼らは、三者三様の笑みを浮かべている。
「儂は?」
呼ばれなかったアンリが、不満げな声を漏らした。彼は、シノブと共に戦う機会を逃したくないらしい。
「総大将をお願いします。精鋭を集めますから、状況次第で敵兵の牽制や陽動を。ソティオス殿は先代様の指揮下でエルフの弓兵隊を率いてください」
シノブは、アンリ達に自身の考えを語っていく。
異神やジェリール達を倒せば、両軍は瓦解するだろう。しかしシノブは、万一を考え通常の兵も遠方に伏せることにした。もちろん、彼らにも竜や光翔虎を付けるつもりだ。
「任せておけ!」
「弓と言えば我らエルフ。必ずや大任を果たしてみせましょう」
アンリとソティオスも、嬉しげな顔となった。
根っからの武人のアンリはともかく、ソティオスが参戦を喜ぶとは意外である。おそらく、彼が口にしたように弓兵を必要とするならエルフを、ということなのだろう。
「それでは、三日後に。そして、これをアルマン王国最後の戦いにしましょう」
シノブは表情を引き締め、一同に宣言した。
異神達とマクドロン親子の双方とも、人々を隷属させたり騙したりして動かした。そんな彼らに人を超えた力を振るわせるわけにはいかない。その思いが、シノブの顔を自然と鋭いものに変えていく。
「温和なシノブ殿が言うと、迫力がありますね。まるでアルマン王国が消滅するようです」
「実際消滅するのでしょう、アルマン王国という国は。……ジェイラス殿、そろそろ新たな国の名を考えた方が良いですよ?」
シルヴェリオとカルロスの言葉に、集った者達は笑声を上げた。確かに、これでアルマン王国は終わるのだろう。そして、新たな歴史が始まるのだ。
「アルマン共和国あたりが良いと思っています。ですが、一応はジェドラーズとロドリアムの意見を聞くべきでしょう。そのためにも……」
ベイリアル公爵の、冗談めかしつつも真剣な声音に、一同はそれぞれの仕草で賛意を示した。
アルマン王国の国王ジェドラーズ五世や王太子ロドリアムが、現在の地位を維持することはないだろう。しかし、彼らもある意味被害者だ。それに罪があるとしても、償いの機会は与えるべきだろう。
温情のある選択をしたベイリアル公爵や受け入れた各国の代表者の姿は、シノブに大きな喜びを与えてくれた。これなら戦後の融和も問題ない。そう感じたシノブは、普段の柔らかな表情を取り戻していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年4月27日17時の更新となります。