16.23 和の心
ヤマト王国の若き王子、大和健琉は静かに歩む。彼が向かう先には、床机から立ち上がった笑顔のシノブがいる。
シノブの両脇にはアミィとミリィだ。今日のミリィは、アミィと同じ狐の獣人に変じている。そのため、シノブの左右に双子か年子の姉妹が並んでいるようだ。
アミィとミリィの更に脇には、竜と虎がいる。
嵐竜のヴィンとマナスは、アムテリアから授かった腕輪の力で体の大きさを十分の一ほどに変え、シノブから向かって左に浮いている。二本の角を持つ頭に、顎の下から顔の側面にかけては硬そうな髭。長い胴や尻尾に比べて小さな手足。東洋の龍に酷似した姿は、神々しくも美しい。
そして反対側はシャンジーだ。こちらも普通の虎くらいに変じ、シノブの右側に腰を下ろしている。白く輝く聖獣は、竜と並ぶに相応しい威容である。
ヴィンとマナスの息子ラーカはといえば、全長1mほどに大きさを変えてシノブの背から顔を出している。彼も他の子竜達と同様にシノブの魔力を気に入ったようだ。
クマソ王家の二人、熊祖武流と息子の刃矢人は、少し離れた場所に控えたままだ。彼らはシノブ達を神の使いだと信じているから、遠慮したのだろう。
クマソの王と跡継ぎは何やら言葉を交わしている。彼らが二言三言やり取りした後、ハヤトは側にいた文官を呼び寄せる。そしてハヤトの指示を受けた文官は、急ぎ足で去っていった。
「タケル……見事な勝利だったよ」
シノブは、タケルの肩に手を置き優しく語り掛ける。
少女のように小柄でほっそりとしたタケルは、身長2m近く武術で鍛えた体を持つハヤトと決闘した。タケルにはヤマト大王家の秘術があるが、得物は模擬剣で魔術は自身にしか使えない。それに、秘術は魔力譲渡や活性化など強力だが補助的な術で、直接攻撃力となるようなものではなかった。
しかしタケルは巧妙な策で敵の油断を誘い、大王家の秘術を駆使して戦った。力は増すが身体強化とは違って制御の難しい活性化を戦いつつも掛け続け、最後は強力な硬化の術で大剣を素手で封じて決め技を放ち勝利を得た。正に、知恵と勇気で力の不足を補ったのだ。
「ありがとうございます!」
「君なら各種族の仲を取り持つことが出来るだろう。皆と助け合いながら、一歩ずつ進むんだ」
笑顔のタケルに、シノブは少しばかり感傷の混じった声音で続けていく。
祝福しつつもシノブの声が僅かに揺らぐのは、口にするのが別れの言葉だからだ。シノブは、どこか人を惹き付けるタケルと、別れ難く感じていたのだ。
とはいえシノブには帰るべき家があり、守るべき人々がいる。愛する妻に守るべき家族。手を取り合い共に進む仲間達。そして彼を頼る人々。多くの者が待つエウレア地方を空けて、いつまでもヤマト王国にいることは出来ない。
「はい、頑張ります!」
タケルは、シノブの感慨に気が付かなかったのか。あるいは、別れのときを察して敢えて明るく答えたのか。おそらく後者であろう。何故なら、タケルの瞳は僅かに潤んでいたからだ。
──少年よ。そなたのお陰で我らを騙る者は成敗された。礼を言おう──
──貴方の夢が叶うよう、祈っています──
嵐竜のヴィンとマナスが、思念と共に複雑な咆哮を発する。二頭は、つい先刻アミィから教わった『アマノ式伝達法』でタケルに語り掛けたのだ。
「とんでもないお言葉!」
タケルが答える様子を、クマソ親子や彼らの家臣達は興味深げに見守っている。
クマソの者達は伝達法を教わってはいないから、嵐竜達が何を語っているかは理解していない。しかし彼らも、何らかの規則に則っているらしい音の連なりが言葉の類だと察したようだ。
──タケルさん、お元気で!──
ラーカはシノブの背中から離れ、タケルへと浮遊していく。その姿は、小さくなっても全長6mほどもある両親とは違い、可愛らしいものだ。
ラーカは基本的には親達と同じ外見だが、幼竜だから若干ずんぐりとしており髭も無い。そのため彼の姿は、どこか微笑ましいものであった。
「はい……」
頷くタケルは、ラーカの頭や顎の下を撫でる。すると小さな嵐竜は嬉しげに身をくねらせ、シノブの下に戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
──兄貴……ボクはね~──
長い沈黙の後、躊躇いがちな思念を発したのはシャンジーだ。
シャンジーは伝達法を使わずに、思念だけでシノブに話しかけてくる。どうも、密かに伝えたいことがあるようだ。
──もう少しタケルの世話をしたい……そうなんだろ? もちろん良いよ。俺も気にはなっていたんだ──
シノブはシャンジーの気持ちを察していた。
タケルは、これからヤマト王国の都へと帰る。しかし、そこには彼に難題を押し付け追い出した兄がいる。それ故シャンジーは、タケルを案じているのだろう。
──そうです~! 流石、兄貴~! ……タケル、ボクも残るよ~! これからも助けてあげるからね~!──
シノブの許しを得たシャンジーは、途中から咆哮を用いてタケルに語り掛ける。そして彼は、尻尾を振りつつタケルへと歩んでいく。
「シャンジー様……よろしいのですか?」
タケルは一瞬顔を輝かせたが、擦り寄るシャンジーに案じ顔で問いかけた。
シャンジーはシノブを兄貴と敬っている。そのためタケルは、シャンジーもシノブと共に帰還すると思っていたようだ。
──もちろんだよ~!──
「シャンジー様……」
シャンジーは若き王子の頬を舐め、タケルは輝く若虎を抱きしめた。そして、一頭と一人は暫しそのまま動きを止める。
「……タケル、これを渡そう。使い方はシャンジーから聞いてくれ」
シノブは、タケルの手に通信筒を握らせた。渡したのはアミィが持つ魔法のカバンから取り出した予備の品だ。もちろん、タケルが呼び寄せできるように権限の設定も済ませている。
「大切に使わせていただきます」
感激のあまりだろう、タケルは大粒の涙を浮かべている。
タケルは、シャンジーが通信筒を使うところを何度も見ている。そのため彼は、手の中のものが神々の使徒と敬うシノブと連絡するための道具だと知っているのだ。
「それでは皆の者。我らは在るべき場所に戻る。新たに生まれた絆を、神々に報告せねばならぬからな。だが、神獣はこの地に残す。我に代わり、そなた達を助け幸を招くだろう」
顔を引き締めたシノブは、正面へと向き直る。そして彼は神の使いに相応しい朗々たる声を張り上げた。
「畏れながら! これは我らが作ったものです。地上の品などお口に合わぬかもしれませんが、どうかお召し上がり下さい!」
クマソ・タケルは、シノブに家臣が運んできたものを示す。それは、何十個もの大きな樽や俵であった。
「これは?」
「この地の銘酒、それに米などです。王宮にあるものを掻き集めたため、味噌や醤油、甘藷なども混じっておるようですが……」
アミィの問いかけに、クマソの王は恥ずかしげに応じた。しかし彼の言葉を聞いたシノブは、僅かに顔を綻ばせた。
シノブは地球では未成年だったし、こちらの世界に来てからも酒は軽く嗜む程度である。そのため、酒よりは米や味噌に醤油、サツマイモの方に興味があったのだ。
「嵩張りますが、あの大蛇を収める袋であれば荷物にならないかと思いまして」
ハヤトも神の使いを相手にするときは、父と同じく相応の言葉遣いとなるようだ。ハヤトは、今までとは違う丁寧な口調でシノブ達に話しかける。
「殊勝な心がけです。神々も喜びましょう」
微笑みを浮かべたアミィは、積まれた品々に歩みより、魔法のカバンへと収めていく。こうしてシノブは、思わぬところで好みの食材を得たのであった。
そして、シノブ達は嵐竜ヴィンの背に乗りクマソの王宮を去った。彼らは筑紫の島の神域に造った神像から、シェロノワの大神殿に転移する。
筑紫の島は朝の十時を過ぎたところだが、シェロノワは夜中の二時である。そのためシノブ達は、静かにフライユ伯爵家の館へと戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブさま、この方々が……」
「お名前は何と言いますの?」
日が出たばかりの訓練場に、ミュリエルとセレスティーヌが現れた。
いつもなら彼女達は、起床してから朝食までミュリエルの祖母アルメルから様々な教えを受ける。しかし新たな竜の出現だ。彼女達が庭に出てくるのも当然だろう。
シノブと別れ難く思ったようで、嵐竜達はシェロノワに付いてきた。
子竜のラーカはシノブの魔力を大層気に入ったらしい。そのためラーカは、シノブと共にいることを望んだのだ。
ヴィンやマナスも息子を留めることはなかった。筑紫の島とシェロノワは1万km近く離れている。しかし転移の神像があるから行き来は容易だ。そのためだろう、ヴィン達もシノブの住む地を一度見てみたいと言い出した。
そして三頭は館に着くと他の竜や光翔虎と合流した。
ラーカはオルムル達と共にシノブとシャルロットの寝室で眠り、ヴィンやマナスは炎竜イジェや光翔虎のメイニーと一緒に訓練場の岩屋で休む。
ヴィン達は日が出るまでは岩屋に入っていたが、シノブ達が庭に出ると彼らは姿を現した。そうなれば、舘の者が気づかないはずも無い。
「この方々が、嵐竜の皆様……」
「不思議なお姿ですね……」
訓練場に来たのはミュリエルやセレスティーヌだけではない。アルメルやそれぞれの側仕えも含め、館の外に顔を出していた。どうも、今朝の予定は、大幅に変更されたらしい。
「彼が嵐竜のヴィン、こちらが番のマナス、この子は息子のラーカだよ」
シノブは、集った者に新たな竜達の名を伝えていく。
ちなみにシノブの睡眠時間は、四時間弱だった。しかし出立前に仮眠を取ったシノブやアミィは、普段通りに起床した。そのためシノブは、いつもと同じく早朝訓練をしようと訓練場に向かったのだ。
「ついに四種の竜が揃いましたね」
嵐竜が伝達法を用い自己紹介する中、シャルロットがシノブに語り掛ける。
早朝訓練を開始したいところだが、訓練場には多くの者達が集まっており武器を振り回せる状態ではない。そのためシャルロットは、シノブとの語らいを選んだようだ。
「そうだね。それに他の嵐竜や海竜に会える日も近いかもね」
シノブは、ヴィンやマナスから聞いたことを思い出しつつ妻に答えた。
ヴィン達は、ヤマトの国の南や東に棲む竜達を知っていた。地球で言うところの太平洋に相当する海には、まだシノブ達の会ったことのない竜が何頭もいるらしい。
シノブが今まで出会った海竜は五頭だが、長老のヴォロスは少なくとも他に四頭の成竜がいるという。そしてヴィンが知る限りでは、嵐竜は自分達を含めて十頭だそうだ。したがって、まだ見ぬ竜が十一頭はいることになる。
「例の件もあるから竜の知り合いが多いと助かるし……」
シノブは、この世界のどこかに潜む異神達のことをヴィンやマナスにも教えた。異神達が現れるとしたら西のアルマン島らしいが、シノブは念のため東の海も警戒しておきたかったのだ。
二頭の竜は大いに驚き、怪しいものを見つけたら知らせると言ってくれた。それに、他の竜にも伝えてくれるという。
「はい。子育て中の彼らに頼むのは気が引けますが」
シャルロットは、改めて三頭の嵐竜を見つめる。
ヴィンとマナスが知り合いの竜を探しに行く間、ラーカはシェロノワで暮らすのだ。シノブの魔力を与えられた子竜達の成長が早いことを知ったヴィン達は、息子を預けることを即決した。
どうも、竜や光翔虎にとって、より早く子供達が育つということは、非常に重要なことのようだ。生存率を高めるには、か弱い幼体を早く脱することが何よりも大切なのだろう。
「……さて、そろそろ訓練が出来そうだ」
シノブの言うとおり、嵐竜を見物しに来た者達は舘へと戻り始めていた。竜や光翔虎が狩りに向かうからである。
──シノブさん、今日も一杯狩って来ますね!──
──オルムルさん、負けませんよ~!──
炎竜イジェが運ぶ磐船の左右に、岩竜の子オルムルと光翔虎の子フェイニーが並んでいる。オルムルとフェイニーは、成体に近い飛翔能力を持つから、磐船に乗ることは殆どなくなったのだ。
──母さま、今日は最後まで飛んでみせます!──
──ええ、頑張りなさい──
炎竜の子シュメイは、母であるイジェの少し上を飛んでいる。彼女は生後四ヶ月近くなったから、かなり長距離を飛べるようになっている。そのため、出来るだけ自力で飛ぶようにしているらしい。
──僕も飛べるようになったのに──
──イジェさん達と同じ速さで飛ぶのは、まだ無理ですよ。焦らず練習しましょう──
岩竜の子ファーヴと海竜の子リタンは、磐船の上だ。シュメイより一ヶ月少々後に生まれたファーヴは飛べるようになったばかりだし、海竜は飛翔を得意としていないからだ。
──先に行くわね!──
そして、光翔虎のメイニーはイジェの前に飛び出した。彼女は行く手を確かめるつもりのようで、あっという間にシノブ達の視界から消え去った。
──父さま、母さま、楽しそうなところですね!──
──そうだな。だが、遊んでばかりではいかんぞ──
──皆と仲良くするのですよ──
磐船の後ろには、嵐竜の子ラーカと、父母のヴィンとマナスが続いている。ヴィンとマナスはラーカが滞在する土地を確かめてから帰るようだ。
「シノブ様、行ってきます!」
「皆と遠足です~」
イジェが運ぶ磐船の上から、アミィとミリィが手を振っている。
アミィが持つ魔法のカバンには、魔苦異大蛇が入っている。彼女は、それを北の高地で出してオルムル達に与えるのだ。
魔苦異大蛇は全長が数十mもある大蛇である。そんな怪獣を庭に出されても困るから、北の高地にある岩竜ガンドとヨルムの狩場に運び、そこで食べることになったわけだ。
「気を付けてね!」
「ヨルム殿によろしく伝えてください!」
シノブとシャルロットが手を振り返す中、イジェ達は一気に高みへと舞い上がる。そして竜と光翔虎の一団は、猛烈な速度で飛び去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
早朝訓練を終えたシノブとシャルロットは、朝食の場へと向かう。そしてシノブは、食事を取りながら同席している者達にヤマト王国での出来事を語っていった。
起床直後に概要を聞いたシャルロットは別として、ミュリエルやセレスティーヌなどは興味深げにシノブの話に聞き入っている。
「……そして、ハヤトが自分の妹と結婚しないかとタケルに言ったんだ。でも、タケルは好きな人がいるからって断った。
タケルの好きな人は狐の獣人だそうだ。だから、各種族が疎遠な現状を変えようとしたんだね」
シノブは、クマソの王宮であったことを語り終えた。戦闘などは概要だけにしたため、シノブは大して時間も掛けずに最後まで辿り着く。
「まあ! そうでしたの!」
「タケルさん、良かったですね……」
やはり、女性はロマンチックな話が好きなのだろう。
セレスティーヌとミュリエルは瞳を輝かせているし、静かに聞き入っていたアルメルも僅かに笑みを増している。それに陪食や給仕の者達も、心を動かしたのは女性陣のようだ。
「シノブ様、その女性はどのような方ですの? タケルさんとは、どういった馴れ初めなのでしょう?」
「えっと……そこまでは聞いていないんだけど……」
勢い込んで訊ねるセレスティーヌに、シノブは少しばかり引きつつも正直に告げる。だが、彼の答えは王女のお気に召さなかったようだ。
「シノブ様! それが一番肝心なところですわ!」
「私も聞きたかったです……」
セレスティーヌは大きな落胆と僅かな呆れを示した。それに、ミュリエルも残念そうな囁きを漏らす。
「シノブ様、女子は誰しも恋を夢見るものですよ。乙女だけではありません。大人になっても……いいえ、老いても胸の内には煌めく宝物を抱いているのです。
ですから、幸せになりました、だけでは物足りないのですよ」
アルメルは珍しく冗談めかした物言いをする。
シノブに優しい笑みを向けつつ語るアルメルは、どこか昔を懐かしむような遠い目をしていた。もしかすると彼女は、今は亡き夫、先々代フライユ伯爵アンスガルのことを思い出しているのかもしれない。
「アルメル殿、以後気をつけます。
……セレスティーヌ、ミュリエル。タケルの側にはシャンジーがいるから、そのうち判ると思うよ」
アルメルに微笑み返したシノブは、二人の少女へと向き直る。
セレスティーヌは噂好きというほどではないが、恋愛が絡んだ話には強い興味を示す。そしてタケルの種族の違いを越えた恋愛は、彼女の好みそうな話題であった。
シノブとしては、万事めでたく収まった一件だ。しかしセレスティーヌがその背景を聞きたいと願うのは、至極自然なことだろう。
一方のミュリエルは、セレスティーヌほど強く惹かれたわけではないようだ。しかし十歳になったばかりの彼女も立派な乙女の一人である。
彼女は読書好きで、様々な本を読んでいる。そして彼女の持つ書物には、恋愛物も多く含まれていた。やはり、ミュリエルも恋に恋する乙女なのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「なるべく早く教えて下さいませ。それに、私もタケルさんにご挨拶したいですわ」
どうやらセレスティーヌは、矛を収めてくれるらしい。そもそも彼女は、シノブを困らせるつもりなど無いのだろう。
極めて親しい間柄故の遠慮の無い会話。ありふれてはいるが、王女である彼女には手に入り難い貴重な時間。セレスティーヌが望んでいるのは、そういったものに違いない。
「シノブさま。ヤマト王国に行くのは、まだ難しいのでしょうか?」
ミュリエルは、挨拶という言葉から訪問を連想したようだ。
先日、彼女の祖母であるアルメルは、落ち着いたらシャルロット達を連れてヤマト王国に赴いては、とシノブに勧めた。彼女は、シノブが故郷と似た地であるヤマト王国に特別な思いを抱いていると察したのだ。
もっとも、そのときは筑紫の島の竜騒動が片付いてから、ということになった。幾らなんでも、正体不明の竜が現れるかもしれない場所に、懐妊中のシャルロットや武力を持たないセレスティーヌやミュリエルを連れて行くことは出来ないからだ。
しかし既に騒動は解決された。そのためミュリエルはヤマト王国に旅行する件を思い出したのだろう。
「ミュリエル、まだ危険かもしれませんよ? それに例の件もありますし……」
シャルロットは妹に優しい笑顔と共に語り掛ける。
彼女は、もう少しヤマト王国の情勢を見定めてから、と口にした。しかし留めた理由で最大のものは、途中まで言いかけた方らしい。
「ああ、明日は王都だったね」
シノブは、妻に頷いてみせる。
実は、明日シノブ達は王都メリエへと赴く。そこには、先代アシャール公爵ベランジェが入手を勧めた品があるからだ。それは第二代国王アルフォンス一世の遺宝の一つ、光の額冠である。
シノブは、光の大剣、光の首飾り、光の盾の三つの神具を持っている。これらは第二代国王アルフォンス一世が使った伝説の武具だ。
三つの神具は、それぞれメリエンヌ王国の三公爵家が密かに受け継いだものである。彼らの館の地下には神具を封じた場があり、代々の公爵達はそれを秘しつつ守ってきた。
神具はアルフォンス一世以外、誰も動かせなかった。しかしベランジェはアムテリアの強い加護を持つシノブであればと考え、彼を光の大剣の安置所に誘った。
結果はベランジェの予想通りで、シノブは光の大剣の所有者となった。そしてシノブは残りの二公爵家にも赴き、光の首飾りと光の盾も手にした。
しかしアルフォンス一世が用いた伝説の武具は四つである。
最後の一つは当然ながら王家が受け継いでいるのだが、これは現在でも複製が略王冠として使われている。そのためシノブは今まで入手を躊躇っていたが、異神との再戦に備え事前に得ることにしたわけだ。
「お父様は、盛大な式典を考えているようですわ! 私も楽しみです!」
セレスティーヌは、華やかな笑みを浮かべている。
シノブは詳しいことを聞いていないが、どうも神具の譲渡式のようなものが行われるらしい。式典は国王アルフォンス七世を始め、多くの貴族や招待客が参加する大規模なものになるようだ。
光の額冠は略王冠として扱われてきたが、今後は王位とは関係ないものとする。式典は、それを広く周知するためだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「万一、手に出来なかったら大変なことになるね……それはともかく、明後日以降なら時間も取れるだろう。シャンジーにも聞いておくし、街に行くのが難しいなら人が来ないところでも良いな」
シノブは、明日の式典の件からヤマト王国訪問に話題を戻した。
ミュリエル達を街に連れて行けるかは、シャンジーに訊いておこう。それに、タケルにも通信筒を渡したから、彼に訊ねても良い。
もし街に出るのが難しいなら、筑紫の島の神域を案内しても良い。
転移の像のある一帯は、森の女神アルフールが育てた様々な植物がある。それらは神が創った特別製の植物だけあって、本来の生育条件には縛られない。そのため北方から南方まで様々な種類のものがあり、見ているだけでも楽しいのだ。
神域の中ではあるが、シノブやアミィが神力から同行者を保護すれば問題ない。神域には神に許された者しか入れないから、街に行くより安全かもしれない。
「どんなところか楽しみです。伺った限りでは、こちらと随分違うようですが……。
ところでシノブ、どのような姿で向こうに行くのですか? 筑紫の島という土地は、獣人族が殆どなのでしょう?」
式典が終わってしまえば、シャルロットもヤマト王国に行くのに異存は無いらしい。それどころか、彼女も時間さえ取れれば行ってみたい風である。
おそらくシャルロットは、夫の故郷に似ているという場所を自身の目で確かめたいのだろう。そこには、シノブが望むものや心を安らがせるものがあるかもしれない。もしかすると彼女は、そんな期待を抱いているのだろうか。
「そうだね。あちらは獣人族ばかりだし、髪や瞳の色も黒や茶色が殆どだ。だから、変装の魔道具を使おう。いつものように狼の獣人でも良いんだけど……」
「シノブさま、何か問題があるのでしょうか?」
言葉を途切れさせたシノブに、ミュリエルが小首を傾げつつ訊ねかける。
今まで、狼の獣人に変装する魔道具を使ったことは何度もある。そして、ヤマト王国には狼の獣人もいる。であれば、今回も問題ないのでは。彼女は、そう思ったのだろう。
「向こうの人って、こっちより小柄なんだよ。だから、大柄な人が多い熊の獣人の方が良いかもね」
シノブが見た限りだと、ヤマト王国の人はエウレア地方の人より10cm近く背が低いようだ。こちらだとシノブは平均より幾分背が高い程度だが、ヤマト王国ではかなり長身な部類に入る。
例外はクマソ王家や分家のカワミ家の者だ。彼らは熊の獣人だからか、シノブ以上の長身だった。特に王家の二人は2m近かった。
「そうですか、たまには別の姿も良いかもしれませんね!」
「後は、服装かな。向こうの人は浴衣のような前合わせの着物だから、こっちの格好のままだと目立ってしょうがない」
喜ぶミュリエルに、シノブはもう一つの問題を持ち出した。
舘に温泉や温室を作った直後、アミィは浴衣を用意した。したがってシノブ以外も浴衣が何かを知っており、顔には理解の色が浮かぶ。
「形もだいぶ違うしね。アミィの幻影で誤魔化しても良いけど、万一触られたらバレるだろうな。それに靴じゃ駄目だし……」
シノブは、苦笑いを浮かべる。
洋服と和服では、形状が大いに異なる。着物の袖には袂があるし、袴などは緩やかな造りだ。それに靴のままでは上がれないところが多い。そうなると履物も合わせる必要があるが、草履にしたら脱いだときに幻影では糊塗し切れないだろう。
「そうですか……ですが、新たな衣装を誂えるのは楽しいことですわ!」
一旦は顔を曇らせたセレスティーヌだが、再び明るい笑顔となる。彼女だけは、幻影の魔道具を使ったことがない。そのため、シノブやシャルロット達とのお忍びの旅に憧れているのかもしれない。
「アミィなら作れるとは思うけど……」
反対に、シノブは浮かない顔になる。浴衣しか着たことの無い彼女達が本格的な和装に馴染めるだろうか、と思ったからだ。
シノブが見た限り、向こうの村の女性は髪を後ろに流して束ねるだけで、日本髪のように結ってはいなかった。着付けもアミィなら出来るかもしれないし、挙措に気を付ければ着崩れも少ないだろう。しかし、草履で歩くのは辛いに違いない。
「ともかく、アミィが帰ってきたら訊いてみよう」
やはりアミィに相談するしかない。それに、まずはヤマト王国でも不自然ではない服を用意できるかだ。草履で歩けるかは、それからだろう。シノブは、そう結論付けた。
「シノブの故郷の衣装、上手く着こなせると良いのですが」
シャルロットは、僅かに頬を染めていた。彼女は、以前シノブから本格的な和服がどんなものか聞いていたのだ。
「シャルロットなら絶対似合うさ。和服は姿勢の良い人の方が映えるんだ。君の和服姿、きっと素晴らしいだろうね」
「まあ……」
シノブが熱の篭もった口調で賛美すると、シャルロットは頬をうっすらと染めた。だが、夫の賞賛は大層嬉しいものだったのだろう、彼女の瞳は夏の日の光を受けた湖水のように眩しく輝いている。
「そのときを楽しみにしている……」
恥じらう愛妻を見つめていたシノブだが、彼女の瞳が僅かに揺れたような気がして、その先を見る。すると、そこには羨望と期待の表情で見つめるミュリエルとセレスティーヌの姿があった。
「ミュリエルも、お人形さんみたいに可愛いだろうね! それにセレスティーヌも優雅な物腰だから、きっと素敵だよ!」
シノブは慌てて二人も褒め称える。彼の頬は、先ほどのシャルロットに並ぶくらい赤く染まっている。
とはいえシノブは嘘を言ったつもりはない。小柄なミュリエルは年長の二人とは違った可愛らしい着物姿を披露してくれるだろうし、王女であるセレスティーヌは和装でも生まれに相応しい気品を示してくれるに違いない。シノブは、心からそう思っていた。
「ありがとうございます!」
「頑張りますわ!」
シノブの気持ちが伝わったのだろう、ミュリエルとセレスティーヌは満面に笑みを浮かべる。そして喜ぶ二人をシャルロットやアルメル、それに朝食の場に集った者達は温かな表情で見守っている。
ヤマト王国への旅は意外に課題が多いようだが、楽しみなのも事実である。愛する家族達と共に己の故郷に似た地を散策する光景を思い浮かべたシノブは、知らず知らずのうちに頬を緩めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年4月19日17時の更新となります。