16.21 王宮の攻防 前編
生き残った襲撃者を縛り上げるよう、タケルは五人の家臣に命じた。
五十人いた伏兵のうち生き長らえたのは、指揮官である川見弟彦を含む八名だけだ。なお、タケル達を伏兵の下に導いた案内役の疾使と宜使も落命することなく残っている。したがって、合わせて十名が縄を掛けられた。
そしてタケルは、家臣と共に尋問を開始する。
タケルは、大和健琉の名が示す通りヤマト王国の王子だ。しかも彼は、ヤマト大王家から筑紫の島の王である熊祖武流への使者でもあった。
そのタケルを、クマソ王家の分家であるカワミの一族が襲った。しかもオトヒコは、当主の川見弟武の嫡男だ。仮にクマソ・タケルの指示によるものなら、ヤマト王国全体を巻き込んだ戦に発展するかもしれない。
そのためタケル達の表情は一様に険しく、声も鋭く尖っていた。
「やはり本家を倒して王位を奪取、そしてヤマト王国から独立か」
シノブは、タケル達の背を見ながら呟いた。
オトヒコ達は、素直に白状した。何しろタケル達の両脇には、本来の大きさに戻った光翔虎のシャンジーと三頭の嵐竜がいるのだ。しかもオトヒコ達が言葉に詰まると、巨大な虎と竜は彼らを威嚇する。
シャンジーは鋭い爪が光る前脚を突き出し、竜達は巨大な顎を開きつつ寄せていく。これで白を切り通すのは、よほど肝が据わった者だけだろう。
「あの八匹の無魔大蛇で攻め上がったら、王家の打倒も容易でしょうね」
シノブの横で、アミィが応じる。自身が口にした光景を想像したのだろう、彼女は眉を顰めている。
無魔大蛇とは、ヨロシが鈴で操った体長が数十mにもなる大蛇である。通常は10mほどにしかならないが、多くの魔獣を食べて育った場合、平均を大きく逸脱した巨体になるらしい。
このヤマト王国では魔苦異大蛇という怪物は、魔力を殆ど発しない上に他者の魔力を吸い取る厄介な魔獣だ。これは魔術師と相性が悪い上に、巨体に相応しい頑丈な鱗は大抵の物理的な攻撃を弾いてしまう。
したがって仮に王都まで攻め上がれば、王位簒奪も充分できただろう。
「竜のせいにしたのは、魔苦異大蛇を隠しつつ育てるためか!」
「その通りだ……大蛇を操って近隣の魔獣を狩った。民には山に竜が出るから入るなと……最近は大蛇の食う量が増えたから、入山を固く禁じたのだ……」
少女のような容貌に似合わぬタケルの鋭い詰問に、オトヒコは怯えが滲む声音で答える。
大柄な熊の獣人が縮こまる様子は滑稽ではあるが、それも無理はない。何故ならオトヒコの前では、太刀ほどもあるシャンジーの爪が揺らめいていたからだ。
オトヒコ達は、魔苦異大蛇の育成法や操る技を西の大陸から得たという。筑紫の島はヤマト王国で最も大陸に近いから、異国に学びに行くのも難しくはないのだろう。
それはともかく、大蛇の成長に比例して食べる量は増えていく。昨年までは村の狩りに影響しない範囲だったが、今年に入ってからは獲物となる魔獣や獣は全滅に近い。そのため狩りが収入の大きな割合を占める山村は、困窮の極みにあるのだ。
「一年で倍以上ですか~。魔獣の補充が間に合いませんね~」
アミィの隣でミリィが呆れたような声を上げた。今日のミリィは狐の獣人の姿だから、双子か年子の姉妹が並んでいるようだ。
「あと少しというところで……」
オトヒコは、幾らもしないうちに反乱を決行する予定だったという。
つい先日、オトヒコは手勢を集結させるよう命じた。そのため何もなければ、数日後には八匹の魔苦異大蛇と共にカワミの軍勢がクマソの王都ヒムカへと進んだであろう。
「危ないところで間に合った、というわけか……ともかく、これで一件落着だね」
それらを聞いたシノブは、顔を綻ばせていた。
大怪獣と言うべき巨大な蛇が進めば、村々は荒らされ目的地である王都ヒムカも壊滅するだろう。そして、蛇達は道中で更なる獲物を食らう筈だ。その場合、何が食われるのか。そこまで考えたシノブは、思わず顔を顰めてしまう。
だが、これで心配はいらない。首謀者の一人であるオトヒコは白状したし、証拠となる大蛇はアミィが魔法のカバンに仕舞った。シャンジーにオトヒコ達をヒムカに運ばせて、自分達は姿を消して同行し適当なところに大蛇を放り出す。
そう考えたシノブだが、事態は彼の予想と少しばかり違う方向に進む。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、北東に向かって飛んでいる。クマソ・タケルのいる王都ヒムカに向かうためだ。
といっても嵐竜の番ヴィンとマナスが作り出した雲の上を飛んでいるから、地上から見つかることはない。そのため番の二頭とシャンジーは、本来の大きさで大空を突き進んでいる。
ヴィン達の息子であるラーカはというと、シノブと共にシャンジーの背に収まっていた。ラーカは体長1mほどに姿を変え、シノブに巻き付いているのだ。どうやら、彼もシノブの魔力の虜になったらしい。
シャンジーの背には他にアミィがいる。シノブとタケルの後ろに座る彼女は口を噤んでいるが、実は思念で嵐竜達と会話していた。アミィは竜達に『アマノ式伝達法』を教えているのだ。
ミリィはといえば、ラーカの母であるマナスの上だ。彼女の後ろにはタケルの五人の家臣が並んでいる。シノブは、思念で会話できない彼らのためにミリィを付けたのだ。
オトヒコ達はといえば、ヴィンが魔力で包み込みぶら下げている。見た目では何の支えもないのに宙を進む十名は、観念したのか目を瞑って動かない。
「タケル、俺は異国の領主なんだ。だから、ヤマト王国の内政に口出しするのは避けたいんだが……」
隣に座る少年の言葉に、シノブは困惑していた。
シノブは黒子に徹し、諸々のことをタケル達の手柄としたかった。しかしタケルは、ありのままにクマソ・タケルへ伝えたいと言うのだ。
「はい、シャンジー様から伺いました。ですがシノブ様は神のお使い、大日女神様に連なるお方でもあります」
タケルは、シャンジーと随分親しくなった。そのためシノブについても、多少の知識を得たらしい。
──ごめんなさい~。兄貴が立派な人だと伝えたかったんです~──
輝く若き光翔虎は、思念だけでシノブに謝ってくる。彼の両脇にはヴィンとマナスが寄り添うように飛んでおり、咆哮で伝達するとタケルの家臣達に知られるからであろう。
とはいえシャンジーは、非常に大まかなことしか語っていないという。しかも内容は殆どがシノブとの日常で、後は多くの人を率いる身であること、そして最高神であるアムテリアから強い加護を授かっていることだけらしい。
──そのくらいなら別に良いよ──
シノブは、シャンジーが兄貴分を自慢したかったのだと察した。そのため彼は、苦笑しつつ柔らかな思念を返す。
「……オトヒコ達もシノブ様が竜を従える姿を見ました。彼らが真実を語れば、私達に支援の手があったことは明らかになります」
タケルは、シャンジーとシノブが密かなやり取りをしているとは知らない。そのため彼は、苦笑するシノブが乗り気でないと思ったのか、更に理由を挙げる。
確かに、シノブ達の存在を完全に伏せることは困難だ。オトヒコ達を脅して黙らせることは可能だろうが、一時はともかく後々彼らが真実を語れば、クマソ・タケルの心証を損ねかねない。
「わかった……だが、助けがあったにしろ竜を恐れなかった君達は賞賛されるべきだよ。十倍近い相手を圧倒していたのだから、勇気だけでもないしね」
オトヒコ達の前に姿を現したときから、こうなることは決まっていたのだ。シノブは、そう考えることにした。
「ありがとうございます!」
「君の勇気に感心した神々の命を受け、俺達は助けに来た……だけどヤマト王国では神々の名は伏せるんだから、使徒の俺達も名乗らない。
……どうかな? そんな感じで黙って控えるだけにしたい」
喜びの表情となったタケルに、シノブは頬を染めつつ続けていく。自身を神の使徒と言うのは、どうにも恥ずかしいことであったのだ。
戦いの神ポヴォールは、獣人の王に関する問題を収めてくれとシノブに言った。したがって神の意思で動いたというのは、強ち間違いでもなかろう。
それに神の使いらしくすれば、最低限の会話だけで済ますことも可能では。上手く行けばシャンジーやヴィン達と並んで立っているだけで済むかもと、シノブは思ったのだ。
「その……真の名を伏せるなら別称は必要かと。
そうですね……大日貴子様で如何でしょうか? アミィ様は大日童女様、ミリィ様は……大日稚童女様で……」
ヤマト王国の風習に従うなら別称は必要だとタケルは言う。
そしてタケルは、僅かに間を空けただけでスラスラと案を口にする。叔母が巫女だという彼は、そういう名に慣れているのかもしれない。
「大日貴子は大袈裟だよ! タケルは思意貴子や多力貴子って言っていたけど……」
シノブは、思わず叫んでしまう。タケルが彼のものとして提示した名に、畏れを感じたからだ。
タケルは戦闘中に『貴子』を含む名を叫んだ。彼は知の神や戦の神と続けていたから、それぞれサジェールとポヴォールのことだろう。
であれば大日貴子は、太陽を司る従属神となる。シノブが名乗ることは出来ないと思うのは、当然だろう。
「では、大日若貴子で如何でしょう? これであれば、まだ貴子には至っていない、となりますし……それに……」
「シノブ様、とても良い名だと思います!」
タケルが遠慮がちに新たな名を挙げると、アミィが輝く笑顔で力強く同意する。彼女は、竜達への『アマノ式伝達法』の説明を終えたらしい。
アミィという味方を得たためだろう、タケルも顔を綻ばせる。タケル達にとって、適当な別称で済ますなど禁忌に近いことなのかもしれない。心底安堵したという表情からは、そうとすら思えてくる。
──お日様の若い子供……シノブさん、僕もピッタリの名前だと思いますよ?──
何と、嵐竜の子ラーカまで賛同する。他の竜や光翔虎と同じく、嵐竜達にはシノブの真の来歴を伝えている。そのためラーカはシノブがアムテリアの最も若い血族だと承知しているのだ。
「仕方ないか……常識外れの名を付けたら余計に問題になりそうだし……だけど、必要が無い限り別称を出さないでほしいな」
ラーカはともかく、アミィまでが言うのだ。シノブは、タケルの示した名を受け入れることにした。
素直に本名を名乗ることにすれば良かったか。そんな思いをシノブが抱いている間に、一行は王都ヒムカに到着していた。二頭の嵐竜は予め決めた通り雲を消し去り、シャンジーと共に王宮に向かって降下していく。
◆ ◆ ◆ ◆
クマソ王宮の者達は、突然舞い降りた巨大な虎と三頭の竜に慌てふためいた。しかし、それは彼らの驚きに満ちた一日の始まりでしかなかった。
「こ、これを川見様が……」
「こいつらがヒムカに攻めて来たら……」
クマソの王宮の中庭は、煌びやかな衣装を着けた獣人達の囁き声で満ちていた。
驚愕、唖然、呆然、憤激。あるいはそのどれにも当てはまらない感情。ただし、どれも喜びや楽しみから懸け離れている点は共通している。
彼らの視線の先には、シャンジーが斃した八匹の魔苦異大蛇の死骸が並んでいる。あるものは二つに、あるものは繋がってはいるが大きく裂け、と気の弱い者なら失神しそうな光景だ。
タケルが事前に注意したため、庭に出ている者に女性はいなかった。熊の獣人、狼の獣人、狐の獣人と種族は様々だが、何れも男だけである。
そして集う男達の中で最も大きく、最も豪華な衣装を纏った者が進み出る。もちろん彼こそが、筑紫の島の王である熊祖武流だ。
「タケル殿。そなたの語ったことを信じよう。カワミの嫡男である弟彦が、これらの大蛇を操り、そなた達を襲撃した。そしてオトヒコは謀反を企てていた……何しろ本人が言うのだから、これ以上確かなことは無い」
熊の獣人の王は、巨体に相応しい重々しい声でタケルに語りかける。
玉座のある大極殿を背にしたクマソの王は、真っ直ぐにタケルを見つめている。風で茶色の蓬髪と同色の長い髭が靡き、紫衣の袖も大きく揺れている。しかし、彼自身は寸毫たりとも揺らがない。
先ほどオトヒコが自白した際は、タケルの横に転がされた彼らに顔を向けはした。だが、それ以外は魔苦異大蛇の亡骸はもちろん、タケルの後ろに並ぶシャンジーや嵐竜達すら目に入らない様子で、一心にヤマト王国の第二王子を見つめていた。
しかし、それは彼の強い怒りを抑え込むためだったのかもしれない。
「弟武よ! 何か言いたいことはあるか! あるなら言ってみろ!」
中庭どころか、王宮の外まで響くような雷鳴のような怒声。それは、一人の熊の獣人に向けられたものだ。クマソ・タケルは、今まで少女のように小柄な王子に正対していた体を大きく翻し、すぐ脇に立つ中年の熊の獣人に掴みかかる。
「ぐぅ……」
怒れる王の右腕で吊り上げられた男こそ、川見弟武だ。
オトタケは、王ほどではないがシノブよりは背が高かった。おそらく身長190cmを超えているだろう。しかも、体重はシノブの倍以上ありそうだ。五十を過ぎていそうなオトタケだが、鍛え上げた筋肉を纏った体は並の男の倍の厚みがあったのだ。
「カワミが不審な動きをしているのは察していた……しかし、こんな化け物を育てていたとはな! これを押し立てて王都を、そして途中の村々を蹂躙するつもりだったのか! そんな屍山血河と引き換えに王位を得て何とする!」
クマソ・タケルは、敢えてヤマト大王家の使者をカワミが代官を務める地に向かわせたようだ。
おそらく、王家の分家であるカワミは相当の権力があるのだろう。代官職はカワミの家が継いできた世襲というべきものだ。それに嫡子のオトヒコを代理に立て、本人は王の側近を務めているのだから、王都でも大きな力を持っていると思われる。
そんな彼らの内情を暴くには、クマソ王家の更に上位に立つヤマト大王家の威光を利用しようと思ったのか。あるいは、タケル達に注目が集まっているうちに、別働隊でも動かそうとしたのか。
「ヤマト大王家に……屈するだけの王など……いらぬ……」
オトタケも、王のように髪と髭を伸ばしている。そのため彼の表情は、黒々としたそれらに覆われ良く見えない。しかし怨嗟のような声は、オトタケの内心を充分に表していた。
──あの男が、我らに濡れ衣を着せた者の親玉か──
──許せないです!──
──ヴィン、落ち着いてください。皆が怯えています。それにラーカも──
番のマナスが指摘したように、クマソの家臣達は激しく動揺していた。彼らは、嵐竜ヴィンとラーカの圧倒的な魔力を感じ取ったのだ。ある者は悲鳴を上げ、ある者は頭を抱えて縮こまりと、とても王家を支える者達とは思えぬ惨状である。
──オトヒコが言った通りか──
──はい。現王家を廃して筑紫の島を独立させる。中央に不満を抱くこの島の者達なら従うと思ったのでしょうか……ですが王都や道筋の村々を滅茶苦茶にしたら、誰も付いてこないでしょうに──
こちらはタケルの側に立つシノブとアミィだ。シノブ達も密かに思念を交わしていたのだ。
もっとも幸いというべきか、今のところシノブ達に注意を向ける者は殆どいなかった。
タケルはシノブ達のことを、危機を救い竜と引き合わせてくれた神の使者と正直に話した。もちろんクマソ・タケル達は非常に驚いたが、先日シャンジーが神獣として現れたこともあり彼らの動揺は最低限だった。
それに今はカワミの暴挙を追及すべきときだ。そのため多くの者は、元凶たるオトタケを見つめている。
──あの人~、どこかで見たような~──
──シャンジーさん~、どうしたのですか~?──
シノブ達の背後に座るシャンジーと、アミィの隣のミリィが、暢気な思念を交わしている。こちらも目立たないように体や顔を前に向けたままの密やかな会話である。
──あ~! 竜退治を厳しすぎるって言った人だ~!──
シャンジーが言っているのは、彼がタケルと共に王宮に訪れた際のことだ。
クマソ・タケルは、竜と戦えばヤマト大王家との交渉の場に着いても良いと言った。そのとき、ただ一人だけ王に反対した家臣がいた。それが、このカワミ・オトタケだったのだ。
おそらくオトタケは、タケル達を自家の預かる地に近づけたくなかったのだろう。何しろ、タケルは光翔虎のシャンジーを連れていた。その彼らであれば陰謀を暴く可能性がある。オトタケでなくとも、そう考えるに違いない。
──オトタケが王の側近だから、自身の配下をタケルの案内役に付けることが出来たんだな──
──確かに。カワミの家臣がカワミの土地に案内をするのは、自然です。しかし魔獣を操る一人のヨロシが案内役になるのは、偶然にしては出来すぎです──
シノブに続き、アミィも納得したような雰囲気が漂う思念を発した。
都合良く反逆に関与していた者が案内役になったのだから、王都にも首謀者の一員がいるに違いない。そう思ってはいた二人だが、王都で糸を引いていたのは当主自身だったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「この男を牢に放り込め! 息子達もだ!」
「ははっ!」
クマソ・タケルも、聞くべきことを聞いたと思ったのだろう。彼は高々と吊り上げていたオトタケを放り捨て、家臣にカワミの者達を入牢させるように命じた。
どうやら、クマソの王は見た目通りの粗暴な男ではないらしい。武に寄っているのは間違いないが、ここで首謀者達を怒りに任せて斬り捨てるほど短絡的ではなかったのだ。
「タケル殿……済まぬ。そなたを使い、叛臣の動きを探ろうとしたことは詫びる」
熊の獣人の王は、頭こそ下げはしなかった。しかし彼は、確かに謝罪の言葉を口にした。そのためだろう、クマソの家臣達に微かなざわめきが起きる。
「とんでもありません。こちらも得るものの多い旅でした」
タケルは、整った容貌に穏やかな笑みを浮かべつつ答えた。そして小柄なヤマト大王家の王子と頭二つ近くは大きいクマソの王は、どちらからともなく歩み寄っていく。
巨大な蛇の骸は残ったままだが、不届き者が片付けられたせいか中庭は何となく明るさを取り戻したようでもある。実際には日の光も空の様子も変わってはいないのだが、和やかな王子と王の姿が重苦しさを取り除いたのであろうか。
「タケル殿は竜を連れてきた。竜と親しくなる方が、退治よりも難しかろう」
小柄な王子を見下ろしつつ、クマソ・タケルは巨体に相応しい大きな手を差し出した。彼は、タケルが竜退治と同等以上のことを成し遂げたとし、ヤマト大王家とクマソ王家の融和を進めるつもりのようだ。
案外、クマソ・タケル自身はヤマト大王家を嫌っていないのかもしれない。ただ、配下にはカワミのような反ヤマト大王家を掲げる者達がいた。そのため彼は、家臣を纏めるために強硬な態度を取っていたのであろうか。
「では?」
タケルは、自身の倍はありそうな硬く分厚い手を対照的な繊手で握った。そして彼は、獣人の王を期待の滲む表情で見上げる。
「ああ。今度は儂が誓いを……」
「親父、それは早計だ!」
クマソ・タケルの言葉を遮ったのは、若々しい男の声だ。声の主である男性は、タケル達に向かって大股に歩んでくる。
歩む男は、シノブと同じく二十歳前だと思われる。この男も熊の獣人で、しかもクマソ・タケルと似た蓬髪の大男だ。ただし、こちらは髭など無く体型も幾分ほっそりとしているようだ。
武人なのだろう、男はタケルの家臣イクサのように革鎧と兜を着けていた。そして背には長大な弓と矢筒、それに大剣を背負っている。
──シャンジー、あの男が誰だか知っているか?──
──見たことはありません~、でも熊のオジサンには二人の子供がいるそうです~。タケルが教えてくれました~──
シノブが訊ねると、シャンジーはタケルから聞いたということを語りだした。
熊祖武流には一男一女がいた。上が嫡男の刃矢人、下が娘の刃矢女である。ちなみにハヤトは十八歳、ハヤメは十三歳だそうだ。
タケルやシャンジーが初めてクマソの王宮に訪れたとき、ハヤトは狩猟で留守をしていたらしい。
一方、ハヤメの所在はタケルも知らないままであった。クマソの王宮では女性、特に未成年の娘は政務の場には姿を現さないという。したがって、おそらく王妃や王女が住む香姫殿にいるのではないか、とタケルは言ったそうだ。
──そういえば、どことなくクマソ・タケルと似ているな──
シノブは、再び熊の獣人の若者へと顔を向けた。
茶色の髪に濃い茶色の瞳、厳つい顔も共通している。とはいえ重厚なクマソ・タケルとは違い、若者からは少し軽い印象を受ける。その辺りは、積み重ねた年齢の差であろうか。
◆ ◆ ◆ ◆
「ハヤト、儂が決めたことに逆らうのか?」
クマソ・タケルは、不機嫌そうな声音で眼前の若者にハヤトと呼びかけた。やはり、この若者がクマソの王子だったようだ。
「逆らいはしないさ。だが、こいつ自身の力をしっかり見定めた方が良いんじゃないか?
……魔苦異大蛇を倒したのは、あの神獣なんだろう? そして、竜を連れてきたのは神の使者だ」
ハヤトは、シャンジーに三頭の嵐竜、そしてシノブ達へと順に視線を動かした。
確かに、彼の言うことは間違ってはいない。タケル達だけでは魔苦異大蛇の餌食になっただろうし、竜と話し合うことも出来なかっただろう。
「こいつと家臣は、オトヒコ達と戦っただけだ。それなら少し強いヤツなら充分勝てる」
暫しシノブ達を見つめていたハヤトは、目の前の父とタケルに顔を向けなおし、不敵な口調で言い放った。それを聞いたタケルは微かに眉を顰めている。
「ならば、どうする?」
無礼というべき息子の発言を、クマソ・タケルは窘めようとはしなかった。長い髭に隠れているが、彼は微かに笑みを浮かべたようだ。どうも、ハヤトの提案を面白がっているらしい。
「もちろん、決闘だ。こいつと俺の一騎打ち……ああ、武器は模擬剣にしておこう。神剣で来られては受けるのが大変だからな。
……もし、こいつが勝ったら大王家と仲良くする。俺が勝ったら……そうだな、その神剣を貰おうか。どうだ? それとも女のように貧弱な王子様に、剣での戦いは無理かな?」
もしかすると、ハヤトは神剣が欲しいのかもしれない。
彼はタケル達が最初にクマソ王宮に来たときにはいなかった。しかし神剣、つまり魔法の小剣の想像を絶する切れ味については、当然誰かから聞いたのだろう。そうであれば、この武術や戦いを好みそうな若者が、神剣を自身のものにしたいと思っても不思議ではない。
「わかりました。その条件で受けましょう。私としても、神々の力だけで乗り越えたと思われるのは、心外ですから」
タケルは、固い表情と、同じくらい強張った声音でハヤトに応じた。温厚な彼も、ここまで侮辱されては冷静ではいられないのだろうか。
霧の山では、タケルも戦いの場に身を置いた。しかし彼自身は剣を抜くわけでもなく、攻撃魔術を放つわけでもなかった。膨大な魔力を持つ彼は、それを五人の家臣に分け与えたり活性化に似た術を使ったりして支援しただけだ。
それにシノブが初めてタケルと会ったとき、彼は投剣の術を披露した。しかしタケルは、突進してくる森林大猪に対抗できなかった。
もちろん、体長4mを越える大猪と戦えないからといって恥じることは無い。だが、ハヤトは体格も良く、シノブが見るところ剣術や体術も充分に修めているようだ。だとすると、この決闘はタケルにとって随分と不利なものでは。シノブは、一旦はタケルの敗北を想像してしまう。
──タケル……笑っている?──
──ええ!──
しかしシノブは、そしてアミィは見た。ハヤトに背を向けたタケルが僅かに微笑むのを。どうやら、タケルには何らかの策があるようだ。
シノブは、どのような奇策が繰り出されるのかと期待する。タケルは、霧の山ではヤマト大王家の秘術を見せてくれた。もしかすると、それは武術にも活かせるのだろうか。
決闘はここで行うらしい。シノブ達の下にタケルが戻り、熊の獣人の親子が反対側に下がっていく。そしてアミィも魔苦異大蛇を再び魔法のカバンに仕舞い、場所を空けるのを助ける。
「タケル、頑張れよ!」
「はい、しの……いえ、大日若貴子様!」
シノブが激励すると、タケルは嬉しげな顔と良く通る声で応じた。するとクマソの家臣達が血相を変え、大きくざわめいた。
「た、タケル!」
「あっ、申し訳ありません!」
タケルは、シノブの別称とした名を口にしてしまった。どうもシノブの本当の名を言いかけ、それを繕おうとしたら出てしまったようだ。
「大日若貴子って……まさか……でも、竜と神獣様を従えるのだから……」
「あの神々しい姿を見ろ。光り輝く首飾りに篭手、背中の大剣……お前は感じないかもしれないが凄い魔力だ……それに、あのお方からも……」
ある者は嵐竜と光翔虎が敬う姿から、別の魔術師らしき者は神具の放つ力やシノブの魔力から。王宮に集う者達だけに、薄々シノブが何者かを悟っていたらしい。彼らは一旦驚愕したものの、すぐにシノブに向かい深々と頭を下げる。
「タケル、罰として見事な勝利を見せるんだ」
苦笑したシノブは、コツンとタケルの頭に拳を落とす。もちろん、ほんの軽くである。
「わ、わかりました!」
シノブの表情と仕草に、タケルは安堵したようだ。彼は再び顔を綻ばせた。それを見たシノブも、怒る振りをやめて朗らかな笑顔を少年に向けた。
決闘の前にしては穏やかな一幕は、それまでの緊張を完全に吹き飛ばしていた。何と、クマソ・タケルやハヤトまで、シノブ達を見て笑っている。
特にハヤトの笑顔は、それまでの悪役めいた姿からは考えられない曇りの無いものだ。もしかすると、彼は本当にタケルを確かめたかっただけかもしれない。そう思ったシノブは、ますます笑みを深めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年4月15日17時の更新となります。