16.19 幻の悪竜
タケルやシャンジーは霧の山の麓にあるヒナモリという村に到着した。シノブ達が温泉を造るために旧帝国領を巡り始めた頃のことだ。
シノブ達がいるエウレア地方と、霧の山を含むヤマト王国の時差は非常に大きい。これは、ヤマト王国がエウレア地方の遥か東方にあるからだ。
時差はシノブが住むシェロノワからだと8時間ほど、旧帝国領の中心あたりからだと7時間少々である。そのためシノブ達は午後早くに旧皇帝直轄領を周ったのだが、タケル達は日も落ちて随分経つ時間にヒナモリに到着した。
季節は五月に入ったばかりで、ヒナモリのある筑紫の島はヤマト王国でも南方に位置するから、日没後であっても気温は大して下がらない。緯度は筑紫の島の方がエウレア地方よりも随分と低く、場合によっては昼間の旧帝国領よりもヒナモリの夜の方が暖かいくらいである。
しかも、タケル達には灯りの魔道具があり夜道も苦にならない。そのため彼らは日が暮れても道を急ぎ、目的地であるヒナモリに向かったのだ。
──連絡終了~──
光翔虎のシャンジーは、小さな紙片を通信筒に放り込んだ。彼は、ヒナモリに到着したことをシノブに知らせたのだ。それを、タケルこと大和健琉が微笑みながら見守っている。
タケルは、肌着である白い単の着物を纏っただけだ。今は暖かい時期で、灯りの魔道具があるから窓も閉め切っている。そのため、室内であれば薄物で充分なのだろう。
ここは、ヒナモリの村の中央にある砦の一室だ。貴人が来たときに泊まる場所らしく、床には畳が敷かれ、壁には掛け軸のような絵まで飾られている。ヤマト王国の第二王子であるタケルには、身分相応の部屋が用意されたらしい。
全体に和風な雰囲気の部屋だが、砦であるためか堅固な造りだ。部屋を仕切るのは襖などではなく頑丈な板壁で、窓も小さく人が抜けることは出来ない。ただし、窓にはガラスは入っておらず、板で閉じていた。その辺り、エウレア地方とは多少異なっている。
「お疲れ様です、シャンジー様」
顔を上げたシャンジーに、タケルは柔らかな言葉を掛ける。
タケルがシャンジーと会ってから三日が過ぎた。そのためタケルは先刻のような光景を何度も見ており、驚くことは無い。
もっとも、シャンジーのことを深く知っているのはタケルだけだ。
タケルの五人の家臣は、主から『アマノ式伝達法』を教わった。そのため、彼らは多少ならシャンジーの意思を理解できるが、通信筒の存在までは伝えられていない。
また、タケルを案内してきた筑紫の島の者達は伝達法を知らない。シャンジーは、彼らの前では咆哮による伝達法を使わないようにしているからだ。
シャンジーは、タケルの面倒を見るようにシノブから頼まれたし、彼に親しみを感じ弟分として扱っている。そのタケルの家臣は、シャンジーからすれば弟分の手下ということで心を許しているらしい。しかし、それ以外は今後どう転ぶか不透明だから距離を置いているようだ。
──タケルこそ疲れていない~? 今日は結構歩いたでしょ~──
部屋の隅で文を記していたシャンジーは、兄貴分らしくタケルを労りながら近づいていく。
「ありがとうございます。これでも足腰は強いのです」
ヤマト王国には良馬は少ない。そのため、支配階級や武人でなければ徒歩の旅が普通であった。
もっともタケルは王子だから、通常なら馬を使っただろう。しかし彼らは密使として筑紫の島に渡ったため、都から徒歩と船だけで旅してきた。
とはいえ、華奢に見えるタケルもかなりの健脚であった。おそらく、普段から歩き慣れているのだろう。
──本当に~?──
「大丈夫ですよ。修行で山歩きもしましたからね」
シャンジーが擦り寄ると、タケルは一層笑みを深める。そして一人と一頭は、灯りの魔道具が照らす室内で寄り添った。
「それよりシャンジー様、今日通った村のことですが……」
──ボクも訊きたかったんだ~──
タケルが、この日通った村々のことに話題を転ずると、シャンジーも興味を示す。彼らは、道中の光景について幾つかの疑問を抱いており、互いの意見を知りたかったからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ヒナモリに向かう途中のことだ。とある村で、タケル達は昼食を兼ねた休憩を取った。
昨日と同じで天気も良く、日差しは強いが風が爽やかで暑さはそれほどではない。それに、道々では田んぼの稲などの鮮やかな緑が美しく、タケル達を癒してくれた。
しかし休憩を取るタケルの顔は、そんな豊かな光景にも関わらず曇っていた。
「アマガから先は生活が厳しいようですね……」
村人達を案じているのだろう、タケルの少女のように整った顔に明るさはない。
アマガというのは、前日タケル達が泊まった村だ。彼らは、筑紫の島の王都ヒムカから南に旅し、シノブも訪れたキシロの村で一泊した。そしてキシロの次に泊まったのが、アマガという村だ。
このアマガ村までが、筑紫の島の王熊祖武流の直轄地で、そこから先が王家の分家の当主である重臣が治める地だという。もっとも重臣は代官でしかなく、厳密には筑紫の島の全てがクマソ王家の領地である。
それはともかく、タケルが言うように直轄地を出てからの村々は生活に余裕が無いようだ。
アマガ村までの人々は、着物も贅沢ではないが古びてもおらず、女性は髪や農作業時に被る笠に飾りを付けていた。しかし、そこから先の村では着ているものは繕えないのか穴が空いているし、飾りなどどこにも見当たらなかったのだ。
タケルはヤマト大王家の王子であり、同じ国内でもクマソ王家が治める筑紫の島の政治に口を挟むことは出来ない。しかし彼は少年故の潔癖さで、貧しい村人達を案じたのだろう。
「そうですな……タケル様、お茶をどうぞ。村の者から貰ってきました」
タケルに湯飲みを差し出したのは、伊久沙という家臣だ。彼も村の窮状には気が付いているようだが、自分達の権限が及ばぬ場所だからか深くは触れなかった。
「ありがとう。お礼は充分に?」
遠巻きに見つめる村人達を見ていたタケルは、湯飲みを差し出す家臣へと顔を向け直す。
ここまでの道でも、村人からお茶を貰うことは何度もあった。しかしタケルが謝礼について口出しするのは、これが初めてだ。やはりタケルは、この村に普通とは違うものを感じたのだろう。
「はい」
答えを聞いて安心したのだろう、タケルは湯飲みを受け取り、お茶をゆっくりと味わっていく。
ちなみにお茶は緑茶であった。やはり、ヤマト王国は日本に良く似た地なのだろう。
「……彼らから話を聞いてみたいのですが。竜と会う前に、どんな相手か確かめたいのです」
タケルは、脇に控えていた二人の案内役に声を掛けた。彼らはタケルの家臣ではなく、王都ヒムカで付けられた者達だ。
タケルは、擦り切れたり穴が空いたりした着物から、村々の困窮が激しいと感じたのだろう。そしてアマガまでとは違う様子に、竜の出没が貧困と関係していると思ったらしい。
「畏れながら。何か粗相があってはいけませんので、ご遠慮いただければ」
「お聞きしたいことは、我らが代わりに訊ねます」
しかし、案内役達はタケルの願いを素っ気無く断った。どうも、二人はタケル達を村人と接触させたくないようだ。
もっとも、タケルが村人と会話しても、何の情報も引き出せなかったかもしれない。どうやら村の者達は口止めをされているようだ。
お茶を貰いに行ったとき、イクサは二言三言訊ねたが答えは何も返ってこなかった。そのためだろう、タケルも重ねて頼むことはなかった。
「そうですか……今日初めての村だから、何か聞けると思ったのですが。では、竜の現れた場所など訊いてもらえませんか。もしかすると、既にお二人から聞いたものと同じかもしれませんが……」
タケルは、少しばかりの皮肉を滲ませつつ案内役に応じる。
これまでも何度か休憩をしてはいるが、急ぐ旅ということもあり街道の適当な場所で休んできた。もっとも、それも案内役が村人との接触を避けようとした結果なのだろう。
タケルが率いる五人の家臣も冷たい視線を案内役達に向けるが、二人はそれに動じた様子もない。彼らの片方は、静かな会釈を見せた後、足早にタケル達の下を立ち去っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
昼間のことを思い出したのだろう、タケルは不満げな顔となっていた。ヒナモリに着くまでも、案内役は村人との接触を避け続けた。そのためタケル達は、満足に村人と言葉を交わすことがないままだったのだ。
「……本当に竜のせいなのでしょうか?」
部屋の中には、タケルとシャンジーしかいない。そのためだろう、タケルは率直にシャンジーに訊ねる。
──どうかな~? 竜は魔獣を狩るけど、タケル達が育てる植物は食べないよ~。こっちの竜は違うかもしれないけど~──
シャンジーは首を捻りつつタケルに応じた。彼は村の貧困と竜に直接の関係はないと思っているようだ。
シノブやシャンジーが知っている竜は、岩竜、炎竜、海竜だ。彼らは成体であれば魔力を自然から吸収するだけで問題ないし、幼竜も魔獣を糧としている。したがって竜が魔獣を狩ったとしても、農業に直接影響するとは考え難い。
とはいえ霧の山にいるという竜は、シャンジーが知っている竜達とは別種のようだ。したがって、彼も断言できないのだろう。
──ボクはね~、山から逃げた魔獣が荒らしたと思っていたんだ~。そういう話を聞いたことがあるから~。でも、違ったよね~──
シャンジーは逆側に首を傾げつつ続けていく。
過去にシノブ達は岩竜ガンドと戦った。しかし、その発端は竜達が村々に害を及ぼしたからではなく、竜から逃れようとした魔獣が村や街道に押し寄せたことであった。
それらに関しては、シャンジーもシノブや竜達から聞いている。だから、シャンジーは竜が直接関与したのではなく、追われた魔獣が村に被害を与えたのだと考えていたようだ。
「私も竜が田畑を荒らしたなどと聞いたことはありません。それに道々で見た田んぼや畑は、綺麗なものでした」
二日間の旅で、タケルも『アマノ式伝達法』に随分慣れたらしい。彼はシノブが渡した信号表を見ずに会話を続けていく。
「ですがシャンジー様、こういった山間の農村では狩りで得たものも租税に充てます。神域の近くの村でも、森林大猪の牙を喜んでいましたよね? あれだけ長くて大きなものなら、村は大いに助かった筈です」
タケルが言う森林大猪とは、彼とシノブが出会った原因となった魔獣である。
シノブは森林大猪を倒したが、そのまま亡骸を放置していった。そして入れ替わりに来たシャンジーは魔獣を喜んで食べたが、牙や毛皮は残る。そこで麓の村に戻ったタケルは、それらを村人に与えたのだ。
──そうだったね~。毛皮も大喜びだったね~──
シャンジーも、そのときのことを思い出したようだ。
森林大猪の牙は高価な工芸品に用いられるし、毛皮も革鎧の材料として珍重される。流石に村人達では体長4mを越える大物を狩ることは出来ないが、近縁の森林猪などは山間の村々にとって良い収入源である。
「ですから、狩猟が出来ないなら貧しくなっても不思議ではありません。ただし、それが本当なら、ですが……」
タケルの表情は一層曇り、声音も小さくなっていく。どうも、彼には触れたくないことがあるようで、そのまま押し黙ってしまう。
──あの熊のオジサンの家来達、何か隠しているんじゃないかな~? タケル達が村の人と話そうとしたら、慌てて止めるし~──
シャンジーも、案内役の行動に疑問を感じていたようだ。陽気で暢気な彼が案内役と距離を置くのは、そのためだろう。
「シャンジー様、彼らはクマソ・タケルの直臣ではありません。彼らは、ここの代官を務める川見弟武の家臣ですよ。
……でも、確かに怪しいですね」
タケルが口にした川見弟武というのは、クマソ王家の分家の当主だ。なお、この一族もクマソ・タケルと同様に熊の獣人である。
ちなみにヤマト王国では、通常の文書であれば人や街の名に漢字を用いない。どうも文字に霊力が宿るという思想があるらしい。そのため川見弟武であれば、通常はカワミ・オトタケと記される。
──ふ~ん。それじゃ、カワミって人が悪いのかな~? 悪代官ってこと~?──
「さあ……」
シャンジーはカワミ・オトタケを疑うが、タケルは肯定も否定もしなかった。とはいえタケルも代官や手の者に疑念を抱いているようで、表情は暗い。
──悪代官なんて、退治しちゃおうよ~。タケルが兄貴から貰った剣で『成敗!』ってやれば良いと思うな~──
「本当に悪事を働いているなら……ですが、ここ筑紫の島では、私は何の権限も持っていないのです。よほどの証拠を掴むか、私の命が危うくならないかぎり、介入は出来ないでしょう」
シャンジーの唆すような言葉に、タケルは表情を動かした。彼も、村の様子を見て何とかしたいとは思っていたのだろう。
しかし、筑紫の島を支配するのはクマソ王家である。ヤマト大王家の、しかも王子でしかないタケルが口を挟むのは無理がある。
「……いずれにせよ、竜と会えば明らかになることですね。シャンジー様は竜と会話できるのですから」
タケルは、竜と会えば全てが解決すると考えたようだ。
竜が村を苦しめていないのなら、それを伝えればクマソ・タケルも王として動くだろう。クマソ王家の直轄地は豊かで平和な土地であり、彼が民を虐げていないのは明らかだ。それに、クマソ・タケルは部下の勝手を許すようには見えなかった。仮に不正があれば、厳しく罰するのではなかろうか。
──任せてよ~。でも、霧の山の竜は留守らしいけどね~。まだ戻っていないって~──
笑顔を作ったタケルに、シャンジーは胸を張って答えた。とはいえ、内容は少しばかり拍子抜けするものであった。
シノブは、霧の山に金鵄族のミリィを派遣した。そして彼女は、既に山の中に竜の狩場や棲家を発見している。しかし、そこには竜の姿は無かったのだ。
竜の棲家は他と同様の洞窟だが、入り口は非常に細かった。そのため、今までシノブやシャンジーが知っている竜達と姿形が異なるのは間違いない。おそらく、そこを使っているのは、地球でいう東洋の龍に似ているという嵐竜なのだろう。
「そうですか……でも、どちらにしても明日は山に入ります。竜が不在でも下見をしておきたいですし」
タケルは、凛々しい表情でシャンジーに宣言する。
竜の不在を含め、ミリィは調べたことを思念でシャンジーに伝えている。そしてシャンジーは、ミリィのことや彼女の先乗りをタケルだけには教えていた。そのためタケルも現時点で竜がいないことは承知していたのだ。
──ともかく早く休んだら~。山は結構険しいみたいだよ~──
シャンジーは、部屋の中央に敷かれた布団へと首を向ける。
畳の上に敷かれた敷布団と掛け布団は暖かい時期だから薄めだが、柔らかそうで豪奢な刺繍まで施されている。流石は貴人の泊まる部屋というべきか。
「はい、そうします。お休みなさい、シャンジー様」
タケルは素直に頷くと、灯りを消して布団へと入る。シャンジーが言うように、明日は早くから山に登るし、場合によっては山中で何泊かする。そのため、彼も休めるときに休むべきだと思ったのだろう。
ちなみにタケルの五人の家臣は二人と三人に分かれて両脇の部屋にいるのだが、そちらは刺繍など無い布団である。ただし、それでも並の兵士よりはかなり上等なものだそうだ。
多くの場合、兵士達は板の間に筵などを敷き、その上に厚手の着物や毛皮を掛けて寝るらしい。また、農民達の多くは藁を詰めた袋を布団としており、特に貧しい者であれば藁そのものということもあるようだ。
──タケル、お休み~──
答えを返したシャンジーは、暫くの間タケルの顔を見つめていた。僅かに尻尾を揺らしながら繊細な顔の少年を見守る彼からは、どことなく兄貴分らしい風格が感じられるようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
明朝、起床したタケルは家臣を一旦自室へと呼んだ。実は起床直後にシャンジーが、竜の帰還を知らせるミリィの思念を受け取ったのだ。
「シャンジー様のお仲間が教えてくださいました。竜が戻ったそうです」
旅支度を済ませたタケルは、静かな声音で五人の家臣に語りかける。彼の表情は少しばかりの緊張を宿してはいるが、大きな動揺はない。優しげな面持ちのタケルだが、王子に相応しい胆力も備えているようだ。
「何と!」
家臣の中で最も大柄な男、伊久沙という者が顔を強張らせる。その左右に並ぶ四人も同様だ。
彼らは元の姿に戻ったシャンジーも目にしたし、力の一端も見た。したがって彼らは、光翔虎と互角であるという竜の力を漠然とだが理解しているのだ。
「案ずることはありません。シャンジー様達は竜と会話できるのですから。それに、シャンジー様のお仲間は竜に会いに向かわれました。上手く行けば、私達が戦いを挑むことも無いのです」
「それは助かります」
タケルの言葉を聞いて笑顔となったのは、イクサの右脇の文手という男だ。
フミテは名前の通り文官であり、戦いは得意としていない。こんな旅に付いてくるくらいだから並の兵士よりは腕が立つが、かといって竜と戦える程ではない。
もっとも、一行の中で最も高い武力を持つイクサの顔にも安堵が浮かんでいる。
なお、タケルの家臣は二十代後半のイクサとフミテに、二十代半ばの穂乃男と巫武気、更に二十歳過ぎの弓手と続く。そのため戦闘はイクサが、日常面はフミテが責任者となっていた。
「竜の棲家まで、人間の足なら優に半日だそうですね」
「私達が山の入り口に着く頃には、結果が出ているかもしれません」
ホノオとフブキは良く似た理知的な顔を綻ばせている。彼らは兄弟で、どちらも魔術師である。これも名前の通りホノオが火属性の使い手で、フブキが水属性、特に氷の術を得意としている。
彼らが、このような名前を持っているのは偶然ではない。
実は、ヤマト王国では誕生後に何度か名前を変えることがある。成人したときに自分に相応しい名にしたり、功績を賞され主君から授かったりなどだ。これは単なる自称の場合もあるが、貴人に付き従うほどの優秀な者であれば大抵は主が与えた名で、彼らもそれに該当する。
「ですがタケル様。案内の者達は……」
一番若いユミテは、遠慮を滲ませながら自身の意見を述べようとする。
彼は名が示す通り弓術の達人で、イクサに続く武人だ。しかし主のタケルを除けば最年少ということもあり、口数は少ない。
「だから我々だけで集まったのだろう?
……タケル様、こうなると竜よりも人間を警戒すべきですね。もちろん山中には魔獣もいるでしょうが、特に恐れるべきは人の姿をした魔獣でしょう」
ユミテの言葉を遮ったのは、フミテである。彼はユミテの兄なのだ。
「代官達は竜を口実に民を虐げているのでしょうな……下の者が無法を働いているだけかもしれませんが……おそらく、我らを山中で始末するつもりかと」
イクサも大よそのところは察していたようだ。
おそらく竜が出ると言い立てて村人を山に入らせないのだろう。そして山から得られるものを独り占めにしている、そんなところではなかろうか。
川見の当主の指示か家臣の独断か不明だが、彼らが何らかの不正をしている可能性は高い。
「そんなところでしょう。ですが、ここで逃げ帰るわけにはいきません。それに我々には、シャンジー様が同行してくださいます。彼らが何か企むなら、逆に好機です」
タケルはイクサの言葉を肯定するが、その表情は落ち着いたままであった。家臣達も、タケルの隣に座るシャンジーを頼もしげに見つめている。
「行きましょう。遂に竜と会えるのです。楽しみですね」
タケルの言葉に、五人の家臣は大きく頷いた。そして六人の人族の男と一頭の光翔虎は、部屋の外へと歩み出ていった。
◆ ◆ ◆ ◆
タケル達は、日の出と共に南へと旅立った。山への道を歩むのは、案内役の二人とタケル達六人、そして通常の虎くらいに大きさを変えたシャンジーである。
霧の山に登るタケル達は、どこか楽しげであった。彼らは、足取りも軽く山道を進んでいる。
名前の通り、霧の山は濃霧が発生しやすい場所だ。しかし、今日は晴れており見通しも利く。そのため一行は予定通り一時間少々で山へと入っていた。したがって、笑顔が生まれるのも当然かもしれない。
しかしタケル達が上機嫌なのは、それだけではないようだ。
「疾使殿、宜使殿。川見の方々は神々に愛されておるようですな。あの大量の魔獣、まさに神々からの贈り物かと!」
先頭を歩む案内役に笑いかけたのは、タケルの家臣の一人、イクサである。
出立しようとしたタケル達は、村の広場に積まれた森林大猪を囲んで喜ぶ村人達の姿を見た。イクサは、そのことを言っているのだ。
しかし、イクサは単に賞賛しているだけではないらしい。武人らしく実直そうな彼だが、声音には僅かばかりの皮肉が混じっているようだ。
「……お褒めの言葉、ありがとうございます」
「これも、我が主が善行を積んでいるからでしょう」
ハヤシという狼の獣人とヨロシという狐の獣人は、何かを取り繕っているような複雑な顔をしている。村が豊かになれば彼らも潤う筈なのに、何とも奇妙なことである。
「あれだけの大猪があれば、鎧も沢山作れるでしょうね。この革鎧が幾つ出来るでしょうか? これなら村の暮らしも随分と豊かになるでしょう」
タケルの家臣のうち、このフミテとイクサ、それにユミテは胴鎧に加え手甲や脚甲を着け、兜も被った本格的な装備である。しかも内部に木や鉄の板を用い、革も何重にも重ねた頑強なものだ。
案内の二人も同様の装いだが、これらは体の大部分を覆うだけあって重たいのだろう。タケルは鎧を着けていないし、家臣でも魔術師のホノオとフブキは胸甲だけであった。
「三十……いえ、四十かもしれません」
意味深な笑みを浮かべたフミテに答えたのは、弟のユミテだ。なお、こちらは兄と違って案内役を刺激するつもりはないらしい。
「シャンジー様、ありがとうございます」
タケルは、隣を歩むシャンジーに顔を向け囁き掛けた。彼の声は小さく、先を進む案内役には届かないだろう。
実は、村に森林大猪を届けたのはシャンジーであった。しかもシャンジーは、宿泊したヒナモリの村だけではなく、途中の村にも同じように皮や牙などが売り物となる魔獣を配っていた。
──ちょっと狩りすぎたからね~──
シャンジーは、咆哮ではなく尻尾の振り方で己の意思を示した。彼は案内役に悟られないように、外では尻尾や首の動きを『アマノ式伝達法』での意思伝達に用いている。
──すぐ先、南に五十人くらいいるよ~。洞窟かな~──
シャンジーの思念は、少しだけ鋭さを増していた。彼は前方に潜む人の魔力を察知したのだ。
若き光翔虎は、タケルに方角を示すように南方の一点へと顔を向けている。
「わかりました……大日女神よ、南に集う五十の災いより我らを守り給え!」
タケルは袂から長方形の札を取り出すと、天に翳しつつ呪文のような句を唱える。
これはタケルと家臣が予め決めた符丁であった。南は敵が伏せている方向、五十は数を示している。そのためイクサ達の顔は鋭く引き締まり、手はさり気なく武器などに寄っている。
「ヤマト大王家の秘術でしょうか?」
案内役の一人ヨロシは、タケルに怪訝そうな顔で問いかける。彼だけではなく、もう一人のハヤシも足を止め振り向いている。
「ええ。ここからは竜の棲む場所ですからね。全てをお創りになった大神に加護を願ったのです」
タケルは真顔で頷いてみせる。
大日女神とは、最高神アムテリアを指す言葉だ。実は、ヤマト王国では神々の名を口にするのは畏れ多いとされている。そのため、このような別称を用いるのだ。
「そうですか……確かに、ここからは危険です。タケル様、神獣様に先を確かめていただくことは出来ないでしょうか?」
ヨロシという男は一瞬だけ歪んだ笑みを浮かべた。しかし彼は僅かな間で表情を取り繕い、恭しい口調でタケルに頼み事をする。
「わかりました……神獣様、大変恐縮ですがお願いします」
タケルはシャンジーに向き直り深々と頭を下げた。最敬礼というべき彼の姿は、神の使いに対するに相応しいものである。しかし、下を向くタケルの少女のように整った顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
タケル達は、わざとカワミの者達に襲撃をさせるつもりなのだ。
案内役の二人は、シャンジーさえ遠くに行けば十倍近い兵力でどうにでもなると思っているのだろう。そして、待ち伏せしている者達はシャンジーが去ったことを確認してから現れる筈だ。
しかし、シャンジーは彼らを油断させるために一旦離れるだけだ。遠方に飛び去った彼は、姿を消して戻ってくることになっている。
──わかった~。なるべく早く戻ってくるからね~──
タケルの言葉に、シャンジーは尻尾を揺らして応じる。そして彼は、体を元の大きさに戻すと一気に空へと舞い上がっていった。
飛翔する若き光翔虎を、タケル達は頼もしげに見上げていた。一方、案内役の二人は驚嘆の表情で空を眺めている。
まもなく伏兵が姿を現すだろう。しかしタケルと五人の家臣は、それまでと変わらぬ落ち着いた足取りで、再び山道を歩んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年4月11日17時の更新となります。