16.17 建国を巡る語らい 前編
アルマン王国の王宮『金剛宮』には、ある噂が広がっていた。それは、総統を名乗るジェリール・マクドロンが病に倒れたというものである。
彼や息子のウェズリードへの遠慮から公の場で語られることはないが、前日の5月3日からジェリールが姿を見せないのだ。
ジェリールは軍人の見本というべき節制を心がけた生活を送っている。そのため殆ど体調を崩すことの無かった彼が、二日近く顔を見せないのは極めて異例であった。ウェズリードが執務を代行しているため大きな混乱は無いが、彼らの信奉者である軍人には隠しきれない動揺が広がっている。
「結局、今日もか……まさか重病なのか?」
王宮を見回る二人の兵士の、背の高い方が不安げな表情で呟く。彼が言うように、二日目の夕方を過ぎてもジェリールは小宮殿の寝所から出てこない。
「滅多なことを口にするな!」
もう片方の小柄な兵士は、相棒の言葉を鋭い声で遮った。
普通の病なら、せめて病名くらいは公表されるのではなかろうか。風邪などのありふれた病であれば、休むにしても理由を明らかにして周囲を安心させるべきだろう。
それが音沙汰なしで二日も姿を現さないのだから余程の重病では。彼らは、そう思っているようだ。
「だが、総統閣下がいなければ……」
「そうだな。もし王家が力を取り戻したら、俺達も処刑か良くて強制労働だろうな」
小柄な兵士が言うことは大袈裟ではない。何故なら、彼らは反逆者であったからだ。
今のアルマン王国は、実質的にマクドロン親子が統べる国である。
元々は単なる軍務卿であったジェリールが国王に背き、彼を退位させた。マクドロン親子は長期に渡る準備で軍だけではなく王都や近隣の民から絶大な支持を受けていたため、反逆は呆気なく成功したのだ。
ジェリールの第一夫人ナディリアが、王族を治療した末に命を落としたことは王都でも良く知られている。そのため街の者には妻や母を亡くしたマクドロン親子への同情があり、更に軍関連の仕事を提供し商船を保護したことによる信頼があった。
一方の国王は自身が政治向きでないためか、あるいはナディリアの一件で遠慮があるのか、ジェリール達に軍や海上貿易の保護を一任していたらしい。それらも王家からマクドロン親子に人気が移る要因であったようだ。
したがってマクドロン親子が健在であれば、軍や民の支持は磐石だ。
それに王族や貴族を含めても、アルマン島には二人に逆らう者はいない。旧来の権力者達は、ジェリール達を支持するか、あるいは政変の際に投獄されるか、地方に飛ばされるかの、何れかの道を辿ったのだ。
しかし、それでも兵士達が王家の復権を恐れるのは、とある理由からであった。
「あの方達の行方が不明だからな……」
国王ジェドラーズ五世は退位した。そのため兵士も、彼を国王と呼ばないのだろう。
ちなみに王太子ロドリアムは未だ即位をしていない。したがって、王の座は空いたままだ。
「西の静養先には現れなかったらしいぞ。どこかで逃げたんじゃないか?」
国王を含む四人は行方不明のままだった。
兵士達は知らないが、ジェリール達は王族を『隷属の首飾り』で従えた。そして先王と国王および二人の王妃はグレゴマンの下に送られ、王都に残った王太子夫妻は傀儡となっている。
しかしグレゴマンにより異神の依り代となった四人は、シノブ達との戦いの後、姿を消した。そして表向きは西に静養に行ったことになっている彼らは、どこの街にも姿を見せない。そのため、国王達は逃亡して復権を狙っているという噂が密やかに流れているのだ。
「閣僚は牢屋だし、伯爵達が動かないのは幸いだが……不気味だな」
背の高い兵士は、不安げな顔で呟いている。もはや見回りをしていることなど忘れてしまったようだ。
閣僚達は投獄され、アルマン島の伯爵達に逆らう様子は無い。彼らの一部、あるいは大半には王族と同様に隷属の魔道具が使われているのだろうが、これも兵などが知るところではない。
「北……ブロアート島に渡ってベイリアルと合流するんじゃないか?」
最初は相棒の言葉を遮った小柄な兵士も、それを忘れたかのように噂話に熱中していた。問題は抱えているものの、今の時点では王都や『金剛宮』は平穏であるからだろう。
国王達の行き先として有力なのは、ベイリアル公爵が興したブロアート島のベイリアル公国である。兵士や民は、国王達に異神が乗り移ったなどとは思ってもいないのだ。
シノブやベイリアル公爵は、グレゴマンが西の村々で暗躍していたことを公表した。そのため王都の者達も、グレゴマンが西の村人達を集め魔力を吸っていたと知ってはいる。
しかしシノブ達は、国王達がグレゴマンの陰謀に巻き込まれた可能性は示唆したが、異神については伏せたままであった。そして王都では、国王達が護送の途中で脱出したという噂が流布している。
これは、マクドロン親子がベイリアル公国を非難するために逃亡説を広めたからである。
無能な王家を打倒して新たな体制を作ったが、ベイリアル公爵が昔に戻そうとしている。公爵は親族である王家を庇護し、彼らを押し立ててアルマン島に渡ってくるに違いない。そうなれば軍や民が得たものは消え去ってしまう。
マクドロン親子は、こう煽ったのだ。
「もしかすると、奴らが総統閣下に毒を盛ったのかもしれんぞ」
「俺はメリエンヌ王国だと思うな」
これらは自然と広まった噂だが、少しばかり裏がある。
以前から、マクドロン親子は自分達に何かあれば敵の謀略だ、と周囲に仄めかしていた。軍や民に人気のあるジェリール達を暗殺により倒しても、民意は離れ統治は難しいものとなるだろう。そこで敢えて暗殺があるかもしれないと示し、そういった強硬手段を取り難くしたのだ。
もちろん、ベイリアル公爵やシノブ達アマノ同盟は謀殺など考えていないのだが、意外なところで王都の軍人や民に疑われる羽目になっていた。
「ともかく、総統閣下には快癒していただかないとな」
「ああ……相当お悪いようだが……しかし……」
兵士達の話題は、再び姿を見せないジェリールへと戻った。そして彼らは、噂話を終わりにするつもりか、そのまま押し黙る。
二人は『金剛宮』の中枢部、つまり御座所のある一角に差し掛かっていた。そして御座所ではウェズリードが執務をする。そのため今まで巡回していたところとは違い、ここでは口を慎むべきであろう。二人は、そう思ったに違いない。
◆ ◆ ◆ ◆
しかし兵士達は、もっと早く口を慎んでいれば、と後悔することになる。
曲がり角から、ウェズリードが歩み出たのだ。二人の側近と十名近い護衛を引き連れた青年は、青い瞳に不快そうな色を宿している。
「アルマン王国に下世話な噂をする者は不要だ。懲罰部隊に送れ」
「はっ!」
ウェズリードが護衛達に怒りの滲む声で命ずると、護衛達は突然のことに呆然としている二人を拘束しにかかる。護衛は選りすぐりの武官なのだろう、あっという間に兵士達の動きを封じてしまう。
「うぇ、ウェズリード様!」
「お、お許しを!」
いきなり地下牢に放り込んだりはしないようだが、懲罰部隊という名称からすると同じくらい忌まわしいところなのかもしれない。蒼白な顔の二人からは、そんな気配が漂っている。
しかしウェズリードの護衛達は、拘束した兵士達を表情も動かさず引っ立てていく。多勢に無勢、二人の兵士は身動きも出来ないまま何処かへと消えていった。
「ウェズリード様、どうぞ」
ウェズリードの側に残った二人の側近は、新たな護衛を呼んでいた。そして護衛の武官が合流すると、彼らは再び王宮内を歩き出す。どうやらウェズリード達は、小宮殿に向かうらしい。もしかすると、臥せっているジェリールの見舞いだろうか。
「……父上が少し顔を見せないだけで、これですか。兵士や民は、父上でなくては安心できないのですね」
小宮殿に入ったウェズリードは、浮かない顔で呟いた。彼の声音には、普段の傲慢とすら思える覇気が感じられない。
「ウェズリード様は、まだお若いのですから……」
側近の一人が、ウェズリードに慰めるような言葉を掛ける。彼は、閣議の間でジェリールが叛意を顕わにしたときにいた軍人だ。おそらく、マクドロン親子の腹心中の腹心なのだろう。
「カレッドロン、私は父上を超えられると思っていたのです。……もちろん、いつかは、ですが」
もしかすると、ウェズリードは本音を漏らしそうになったのかもしれない。
物思いに耽っていたのか、ウェズリードは途中まで素直とも言える口調で語っていた。しかし彼は、何かに気が付いたかのように表情を動かし、おどけたように肩を竦めてみせる。
「今回の体験が、きっと糧となりましょう」
もう一人の側近も同僚に続く。彼は、父の代役を務めることで更なる成長が出来るだろう、と言いたいようだ。なお、こちらもカレッドロンと同じく閣議の間にいた者だ。
「ギャリパートの言う通りですね。父上が不在の間くらい、私が支えねば。
……さて、ここからは私一人で行きます。父上はお休みでしょうから」
部下の前だからであろうか、ウェズリードは殊勝な口振りでジェリールの代理を務め上げると宣言する。
ウェズリードは、本心を隠すのが上手いらしい。父と二人のときには、自分達以外はどうなっても良いと言わんばかりの物言いをするが、今の彼は本当に父を案じているようにしか見えない。
しかも一昨日の夜、父の下を去った彼は両親すらも嘲るような言葉を吐いた。もし、それらをカレッドロン達が見ていたら、どう思ったであろうか。
「はっ、ここでお待ちしております」
「ジェリール様に、よろしくお伝えください」
側近達は、敬意を篭めた声音で答え、頭を下げる。やはり彼らは、ウェズリードの内面を知らないのだろう。
部下達に背を向けたウェズリードは、そんな彼らを嘲笑うように禍々しい表情を浮かべていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ウェズリード……」
ベッドに横たわっているジェリールが、目を閉じたまま呟く。寝所の中にいるのは、彼と訪れたウェズリード、そして壁際にひっそりと立つ侍従だけだ。
侍従の胸元は、服の中に太い紐のようなものを入れているらしく、少しばかり盛り上がっている。もしかすると、侍従は『隷属の首飾り』で支配されているのかもしれない。
「父上、ようやく話が出来るようになりましたか! それに昨日よりは随分と顔色が良くなったような……魔力もだいぶ戻ったのでは?
秘宝を奪った後、地下の聖所から戻ったときは蒼白な顔で魔力も殆ど感じられませんでしたが……今は別人のようです!」
やはり、侍従は精神を縛られているのだろう。喜色を浮かべたウェズリードは、侍従を気にした風もなく謎めいたことを語り出す。
「半分にも……満たぬ……もう数日は……かかる」
ジェリールは言葉を交わすのも辛そうであった。まるで死を前にした病人のような弱々しげな声は、彼が言うように何日かで回復するとは到底思えない。
「では、これを」
ウェズリードが懐から取り出したのは光り輝く玉、『魔力の宝玉』であった。彼はこれを父に渡すために来たようだ。
そしてウェズリードは、身動きも出来ないらしいジェリールの手に輝く玉を握らせる。
「おお……」
ジェリールは『魔力の宝玉』を渡されると微かに目を開ける。
『魔力の宝玉』とは、その名の通り魔力を蓄積する魔道具だ。多くの場合、誰かが魔力を込めて魔道具に用いるのだが、このように溜めた魔力を回復に使うことも出来る。
おそらくジェリールは、昨日から『魔力の宝玉』を使い力を取り戻していたのだろう。それであれば、治癒術士などを側に置いていないのも頷ける。
「王都で行方不明者を出すわけにはいきませんからね。これは魔術師や魔力の高い軍人から少しずつ集めたものですよ。新たな兵器の実験ということにしたので面倒ですが……」
マクドロン親子は、王都の軍人や民を不思議なほど優遇している。どうも、彼らの忠誠心を失うことを避けたいらしい。おそらく、ウェズリードが穏便な手段で魔力を集めているのは、それが理由だろう。
「本当なら治癒術士に直接見せれば……とはいえ、今の父上を見たら彼らも気が付くかもしれません。父上が、王家の秘宝を手に入れたことに」
どうやら、先日彼らが語っていた、大望を叶える、というのは王家の秘宝とやらを得ることだったようだ。話し終えたウェズリードが目を向けた先には、宝冠と杖のようなものが存在する。それらが、彼の言う秘宝なのだろう。
「使えるまで……待て……」
ジェリールの声には、先刻より僅かに力が宿っている。どうやら『魔力の宝玉』には、かなりの量が蓄えられていたようだ。
「ええ。下手に治癒術士を近づけて、噂を立てられても困ります。それに、万一彼らが父上を害するようなことがあってはなりませんからね」
ウェズリードは治癒術士を呼ばない理由に触れた。彼の口調は冗談めいてはいるが、顔は笑っていない。
「そうなれば……秘宝が……そなたの……」
ジェリールは、僅かに口元を歪めつつ呟く。彼は、自分が死ねば王家の秘宝はウェズリードのものだ、と言いたいらしい。
「止めてください! 私は秘宝に選ばれなかった! 魔力は父上と同じ……いや、それ以上ある筈なのに……父上を失えば、私も全てを失う。それは……わかっています」
憤激を示したウェズリードだったが途中から急激に勢いを減じていた。最後の弱々しい呟きなど、ジェリールには聞こえなかったかもしれない。
おそらくウェズリードが弱気になった理由は、これだろう。
ウェズリードは、自身が王家の秘宝に選ばれると思っていたようだ。血統としては父の方が王家に近いが、ウェズリードの母は王国を代表する治癒術士であったナディリアだ。そのため彼は、父よりも魔力量が多かったのだ。
他者との魔力の差は、魔術師でも簡単には判別が付かない。優秀な魔術師は自身の魔力の制御にも優れており、外部への放出を抑制できるからだ。それ故シノブやアミィのような極めて魔力感知能力が高いものでなければ、魔術を使わない状態で判断することは困難だ。
とはいえ、同じ魔術をどれだけ使えるか、など比較の方法は幾らでもある。親しい者であれば、魔術の練習などを通して自然と相手の魔力量を把握していくものだ。ウェズリードも、そのようにして父より魔力が多いと知ったのだろう。
だが、王家の秘宝を使うための条件は、魔力の大小だけではなかったようだ。
「母……神の……教え……」
ジェリールは、先刻よりも更に言葉を途切れさせながら、息子に語りかける。彼は苦しみのためか眉を顰め、しかも声まで低く濁ったものとなっている。
「大神の教えですか……確かに私は神に従うつもりはありませんが……それは、父上も同じでは?」
ウェズリードは、訝しげな顔になる。
この世界で母なる神と言えば、アムテリアのことだ。しかし幾度も神への呪いの言葉を吐き神々など不要だと口にしたジェリールを、アムテリアが祝福するだろうか。ウェズリードは、自身よりも強固に神々を否定する父の方が、王家の秘宝の所有者としては不適格だと思っていたのだろう。
「……まあ、結果は結果です。私は父上から受け継げるようになるのを待ちますよ。そのうち、秘宝を誤魔化す方法が見つかるかもしれませんし。あの入り口のように」
「ロドリアム……ポーレンス……」
悔しげな息子の言葉を聞いたジェリールは、何故か王太子夫妻の名を口にした。もしかすると、入り口を誤魔化す、というのは王太子夫妻と関係しているのだろうか。
「父上よりは元気ですよ。風邪ということにして寝かせていますが、おそらく明日には床払いするでしょう。もっとも、彼らは奥の間に閉じ込めたままですから、誰も不審に思っていませんが。
……そろそろ良いですね。では『魔力の宝玉』をお預かりします。また深夜に、もう一つ持ってきますよ」
いつの間にか『魔力の宝玉』は輝きを失っていた。ジェリールは、宝玉に蓄積された全ての魔力を吸収したのだ。
立ち去るウェズリードを、ジェリールは見ようともしなかった。衰弱した彼は顔を動かすことも出来ないのか、あるいは見たくない理由でもあるのか。
禁忌の術で縛られた侍従だけが残る部屋には、彼に問う者はいない。そのため冷たい親子の謎めいた会話は、宙に消え去るだけのように思えた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……とまあ、そんなことがあったのさ」
猫の獣人アルバーノが、同じ猫の獣人の若い女性に得意げな笑みと共に語っている。
ここは王宮からだいぶ離れた宿屋の一室だ。王都アルマックでも港町に近い場所だが、裕福な交易商が使うのか随分と品の良い部屋で造作も丁寧である。
「流石は叔父様……」
姪のソニアは呆れたような顔でアルバーノに応じる。
アルバーノは『金剛宮』でウェズリードやジェリールの様子を探り、しかも何の騒ぎも起こさずに脱出した。高度な身体能力に猫の獣人特有の忍び足、そして透明化の魔道具があるアルバーノは、敵地の最奥であろうが何の制約もなく入り込むことが出来るらしい。
「まあな。とはいえ、聖所という場所は無理だったが……」
「アルバーノさん。あの場には強い魔力、いえ神力に近いものがありました。ですから、許された血筋の者しか入れませんわ」
悔しげな表情のアルバーノを、十歳に届くか届かないかといった猫の獣人の少女が慰めた。可愛らしい姿に不釣り合いな口調のためだろう、少女は外見より遥かに年長に感じられる。
それもその筈、アルバーノを慰めたのは金鵄族のマリィであった。アムテリアから授かった足環により、マリィも猫の獣人に変じていたのだ。外に出るときはアルマン王国に多い人族か茶色の鷹に変身する彼女だが、ここでは二人に合わせたのであろうか。
ちなみに三人は声を潜めていないが、マリィが風の魔術で音を遮っているから問題ない。それに魔力感知に優れたマリィと鋭い感覚を持つ二人だから、誰かが来れば事前に姿を変えるくらい簡単だ。
「あいつらの話を聞いた後、マリィ殿と王宮の地下を探ってみた……場所を見つけるのは楽だったが、あれではな……」
アルバーノは、悔しげな顔でソニアに語っていく。
今日の彼は、鷹に変じたマリィを肩に乗せて潜入した。そのため地下に不可思議な魔力がある場所を見つけるのは容易であった。しかし二人が語ったように、内部に入ることは出来なかったのだ。
「ジェリールは、昨日より随分回復したのですね」
ソニアは、今回の潜入に話を戻す。実は、アルバーノは度々『金剛宮』に赴いていたのだ。
「ああ。お陰でようやく少し理解できた。何でああなったのか、見当も付かなかったからな。
ずっとマクドロン親子に張り付いていれば良かったのだが……食事や睡眠も必要だし長時間の潜入をすれば注意も散漫になる。他に何人かいればともかく……」
アルバーノは常時王宮にいたわけではない。彼に並ぶ技能を持つ者がいれば交代でマクドロン親子を監視できるが、そこまで熟練した者は他に存在しない。金鵄族のマリィ達や光翔虎なら可能だが、彼らは姿を消した異神の捜索に重点を置いている。
そのため、残念ながらアルバーノ達が全てを掴んでいたわけではない。一昨日夜のマクドロン親子の密談や昨日朝早く彼らが聖所に赴いたとき、アルバーノは居合わせなかった。
したがって彼は、ジェリールが命を懸けるくらい重要なものを取りに行ったのだと察してはいたが、背景までは理解していなかったのだ。
「しかし、今日はマリィ殿に来ていただいて助かりました。私だと魔力まで探れませんからね」
アルバーノは、マリィに頭を下げてみせる。その気取った仕草は、如何にも彼らしい。
「おそらく宝冠と杖は、この国の聖人が授けたものですわね。それも、かなり特殊な……今の時点では殆ど魔力を放っていませんし……。
シノブ様の光の神具に近いものかも……認められたものでなければ動かせないようですし……でも、私にも動かせないなんて……」
マリィは、よほど不満なのだろう。最初はアルバーノ達に語っていたらしい彼女は、自身の思考に囚われてしまったようで、一人呟いている。
だが、それも無理はない。姿を消したアルバーノとマリィは密かに宝冠や杖に触ってみたが、全く動かすことが出来なかった。シノブが持つ光の大剣は彼やアムテリアの眷属なら持ち運び出来るが、こちらは更に条件が厳しいようだ。
眷属である自分なら、と思っていたマリィは、予想外の事実に強い衝撃を受けたようだ。
「王宮の地下にあったというのも似ていますなぁ……てっきりジェリールが禁忌の魔術に挑んで失敗したのだと思いましたが……」
アルバーノの顔にも憂いが滲んでいる。
最初アルバーノ達は、ジェリールが禁断の魔術にでも取り組んだか、開発途中で暴走の危険がある魔道具でも使ったのかと考えていた。
なお、アルバーノは知り得たことをブロアート島にいるシメオンやマティアスに伝えたが、現時点ではシノブの耳には入っていない。不確かな内容が多いため、シメオン達は要調査継続として連絡を保留したのだ。
ありとあらゆることを伝えられたら、シノブは聞くだけで一日が終わってしまう。したがって、彼らが一旦留めたのも無理はないだろう。
しかし、これで大よそは明らかになった。
おそらくマクドロン親子は、王太子夫妻に命じて『金剛宮』の地下にある聖所の封印を解いたのだろう。正確には封印を解いたのは王族である王太子で、夫人の方は魔力の補充用に連れて行っただけかもしれないが、大筋としては間違っていない筈だ。
そして『魔力の宝玉』により力を増した彼らは、王家の秘宝を手にした。これも王家の血が必要らしいから、王太子に協力させたのかもしれない。
もちろん王家の秘宝とは、ジェリールの寝所にあった宝冠と杖である。ただし、ジェリールは使えても息子のウェズリードは無理なようだ。もしかすると、更なる何かが条件となっている可能性はある。
「どんな効果があるのでしょう?」
「これは想像だが、魔術関係じゃないか? この国の初代国王は大魔術師だったそうじゃないか」
ソニアの問いに、アルバーノは自信ありげな様子で答えた。
アルマン王国を建国したハーヴィリス一世は、途轍もない威力の魔術を使ったという。
ハーヴィリス一世の逸話で最も有名なものは、アルマン島とブロアート島の間の海峡で、無数の大海蛇を退治したというものだ。いわゆる『大渦と大海蛇の試練』である。
王都の中央広場には『建国王ハーヴィリス一世と大渦の主』と題された像がある。それは見事な肉体の建国王が、とぐろを巻く大蛇を組み伏せる姿を示したものだ。だが、ハーヴィリス一世は類を見ない大魔術で大海蛇を退治したという説もある。
何しろ建国王は、聖人と肩を並べるほどの大魔術師だったそうだ。仮に本当なら神の眷属に匹敵する魔術の使い手である。したがって秘宝が魔術がらみの何か、という意見は充分な真実味があった。
「私も同じ意見ですわ。ともかく、王家に伝わる魔道具が彼らの手に渡ったというのは、大問題です」
「ええ、早速シメオン殿に伝えましょう。
……ソニア、お前は街で建国王の伝説を調べ直すんだ。特に宝冠と杖に関係する伝説だな。王家の秘宝も何かあるかもしれんな。他の諜報員にも知らせろ」
アルバーノはマリィに頷くと、ソニアに街での聞き込みなどを指示した。そして彼は、懐から紙片を取り出しペンを滑らせていく。
「わかりました。では、失礼します」
人族の女性に姿を変えたソニアは、足早に部屋から出て行った。王都アルマックには、ソニアの他にも数人の諜報員が潜伏している。彼女は、これから同僚達の下を周っていくのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「ベイリアル公爵なら、何か知っているかもしれんな……シメオン殿なら抜かりはないだろうが、念のために書いておくか……」
一旦はペンを止めたアルバーノだが、再び手を動かしていく。
ベイリアル公爵家の初代は、建国王ハーヴィリス一世の弟ジェリックスだ。したがって、公爵家が何らかの伝承を受け継いでいる可能性はある。
「あの方なら間違いはないと思いますが、書くべきことを省略するのもいけませんわね。ところでアルバーノさん、これからどうしますか?」
「さっくりとマクドロン親子を暗殺したいところですが、そうもいきませんね。この状況で暗殺や拉致をしたら、王都を取り戻しても統治は苦難の連続となるでしょうから」
通信筒に紙片を入れたアルバーノは、マリィの問いに悪戯っぽい顔で答えた。
実際のところ、彼は強硬策で一気に決着を付けたいようだ。しかし、それでは大きなしこりが残るだろう。仮にマクドロン親子を排除しても、高位の軍人が結束して軍政を維持するかもしれない。その場合、より激しい抵抗を示す可能性もある。
したがって、アルバーノも本気で言っているわけではない筈だ。とはいえ開戦から三週間が過ぎた今、彼は包囲や潜伏に飽きてきたのかもしれない。
「そうですわね。で、本当のところは?」
マリィも、アルバーノが冗談を言っているのは承知しているようだ。彼女は笑顔で再度問いかける。
「憂さ晴らしに飲みに行きますよ。情報収集を兼ねてですがね。ソニアから聞いたかもしれませんが、可愛い娘がいる酒場があるのです。メグちゃんとケイトちゃんという娘がいましてね」
どうやら、アルバーノも街の噂を拾いに行くようだ。もっとも彼の口振りからすると、趣味と実益を兼ねてだろうが。
「まあ……」
「申し訳ありませんが、マリィ殿は年齢制限で駄目でしょう。それとも、鷹の姿で行きますか? 私の飼っている鳥ということになってしまいますが……」
苦笑するマリィに、アルバーノは冗談とも本気ともつかない様子で誘いをかける。だが、案外彼は本心から言っているのかもしれない。
普通の鳥とは思えない賢い鷹を連れていけば話題作りも不要だし、会話も弾むであろう。悪目立ちして守護隊に通報される可能性もあるが、彼らなら逃げ出すのは簡単だ。アルバーノの楽しげな表情は、そう語っているようである。
「お誘いは嬉しいですが、私は空に行きますわ。お酒は飲めませんし、女性にチヤホヤされても嬉しくありませんから」
「それは残念です。では、それぞれの狩りに行きますか。私は酒場の小鳥ちゃん、マリィ殿は空の小鳥ちゃん。どちらも美味しそうな獲物ですね」
真面目な顔で向き合った二人は、僅かな間の後に笑い声を立てた。そしてマリィは茶色の鷹に変じて窓から空へ去り、アルバーノは人族の男性に姿を変え扉から出て行く。
二人は性別も種族も、そして移動方法も何から何まで異なる。しかし舞うように楽しげなアルバーノとマリィの様子は、どこか似通っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年4月7日17時の更新となります。