16.15 アリエル達の奮闘 前編
ヤマト王国の第二王子タケルと話し終えたシノブとアミィは、慌ただしくキシロの村から離れた。
シノブはアミィを抱え重力魔術で飛翔し、神像を設置した神域に移動した。そして二人は神像によりシェロノワの大神殿に転移する。
ヤマト王国とシェロノワの時差は8時間ほどだ。そのためヤマト王国を現地の朝六時前に離れたシノブは、夜中の大神殿へと出現した。
なお、時差については神殿の転移が広まるにつれエウレア地方でも知られている。
メリエンヌ王国の西端から東端でおよそ1時間の時差がある。更に、同じ転移網で移動可能な旧帝国領の東端なら二時間を超える。したがって、神殿での転移を使うことが多い王国や旧帝国領の上層部は、時差の存在に自然と気が付いた。
そして、シノブは彼らに時差だけではなく、大地が球体であり太陽の周りを回っていることなどを教えた。そのためエウレア地方の知識階級では、これらは常識となっていた。
もっとも、そのシノブですら、8時間の時差などヤマト王国に行くまで経験したことがない。向こうでは日の出の直後だというのに、戻ってきたら夜遅くだというのは彼にとっても慣れない経験であった。
そんなこともあり、シェロノワに戻ったシノブは、シャルロット達には簡単に説明するのみに留めていた。何しろ、もう22時である。朝の早い彼らは、普段であればそろそろ就寝する時間だったのだ。
「……おはよう、シャルロット。それに皆も」
目覚めたシノブは、最初シャルロットのベッドに目を向けた。しかし、そこには彼の愛する妻の姿は無かった。シャルロットは、既に起床し化粧台で身繕いをしていたのだ。
「おはようございます、シノブ」
シャルロットは、髪を梳いていたらしい。しかし武人の鋭敏な感覚を持つ彼女は、シノブが身を起こした気配を察したようで、夫へと体を向けなおしていた。
微笑む彼女の足元には、猫ほどの大きさとなった子竜達が集っている。四頭の子竜は、シャルロットが身繕いする様子を見たり、子竜同士でじゃれ合ったりしていたのだ。
──シノブさん、おはようございます!──
──疲れは取れましたか?──
──今日も良い天気ですよ!──
──シノブさんは、二度目の朝ですね──
オルムルやシュメイ、それにファーヴやリタンは元気な思念と共に宙に浮かび上がり、シノブに向かって飛翔していく。
オルムル達はシノブのベッドに潜り込んでいた筈だ。その彼らが抜け出しても気が付かなかったのだから、シノブは随分と深く眠っていたようだ。
「ああ、疲れは取れたよ」
子竜達は、言葉を返すシノブの肩や頭に乗ったり周りを飛びまわったりと、忙しい。特に飛翔を覚えたばかりのファーヴは、自身が宙を舞う様をシノブに見せたいのか、彼の前から離れなかった。
「起こしてくれれば良いのに……」
──まだ眠いです~──
シノブは、ただ一頭だけ布団の中に残っていたフェイニーを抱き上げ、歩き出す。
光翔虎の子のフェイニーは寝起きが悪い。彼女は一旦思念を発したものの、シノブの腕の中に顔を埋め、そのまま丸くなる。
「よく眠っていましたから」
シャルロットは髪を梳かし終えていたようだ。彼女は、化粧台の上に置いた素朴な木彫りの人形をそっと撫でると、椅子から立ち上がる。
化粧台は、紫檀の地に金銀を象嵌した豪華なものだ。それもその筈、これはシャルロットの祖母である先王妃メレーヌが使っていた化粧台で、王家を示す白百合の紋が入った国宝級の品である。
メレーヌは、娘のカトリーヌがベルレアン伯爵に嫁ぐ時にこれを譲った。そして同じように、カトリーヌは愛娘であるシャルロットに託したわけだ。そんな祖母と母の愛情の詰まった化粧台を、シャルロットはとても大切にしている。
木彫りの人形は、そのような極めつけの高級品と不釣り合いではある。男の子らしい幼児を象った人形は、丁寧な作りだが街で普通に売っているものだ。しかし、これはシノブがシャルロットに贈った品で、彼女にとっては極めて貴重なものだった。
それに、この人形を得てから一ヶ月もしないうちに、シャルロットは身篭ったことを知った。そのため彼女は、この人形をますます大切にするようになっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「おはよう、シャルロット。そして赤ちゃん……今日も元気だね」
化粧台の前まで歩んだシノブはシャルロットにキスをした。そして彼は、少し体を離すと視線を下に向ける。彼は、魔力感知能力で自身の子供の状態を確かめたのだ。
シノブの魔力感知は極めて優れており、妊娠初期の胎児の魔力でも充分に把握できる。そしてシャルロットは既に受胎から二ヶ月半を過ぎている。そのためシノブは、まだ極めて小さな我が子の動きすら知ることが出来た。
「そうですか! でも、貴方の息子ですものね。元気が良いのは当然でしょう」
シャルロットは、輝くような笑顔で喜びの言葉を紡いでいた。
シノブは、かなり早期から自身の子供が男の子だと察していた。そこで彼は、当然ながらシャルロットにも伝えていたのだ。
現在、シノブとシャルロットの子の性別を知るのは、他にアミィ達眷属、それに竜や光翔虎だけだ。
エウレア地方の王族や貴族は、男子の誕生を特別に喜ぶ。それは、魔力が多いと男の子が生まれにくいためである。
この現象は、受胎の時期や妊娠早期に回復魔術や身体強化を使うことで、母体の免疫力が上がり結果として胎児に悪影響を及ぼすからのようだ。しかもこれは、魔力の多い貴族に男子が生まれにくいことにも関係しているらしい。
ちなみに魔力の少ないドワーフや獣人族にはあまり影響がないようだ。また、大魔力を持つエルフは経験的にそれを知ったらしく、母となる女性は子供を得たい時期に魔術の使用を控えるという。
これらについて、シノブやアミィは既に王族や貴族に伝えている。そのため、今後は貴族の性別比も変わっていくだろう。しかし現状では繊細な問題であり、シノブは胎児の性別を判定できることは伏せていた。
「……そういえば、義母上の出産は、もうすぐだね」
息子という言葉で、シノブは今月末か来月頭に出産するカトリーヌのことを思い出した。彼女の子も男子だと、シノブは見抜いていたのだ。
なお、ベルレアン伯爵家も新たな子の性別は秘したままである。彼らも、懐妊した王族や貴族達がシノブの下に押し寄せると思ったらしい。
「はい。アミィに何度か見に行ってもらいましたが、順調なようです。これで父上も待望の男子を抱くことが出来ますね……それに、冬になればもう一人も」
シャルロットが言うように、ベルレアン伯爵の第二夫人ブリジットの子も男子であった。もっとも、こちらはシャルロットと同じく十一月頃の出産予定だから、まだ先の話である。
シノブは身篭ったかどうかの判定は受けるが、性別には触れないことにしていた。しかしカトリーヌに教えてブリジットに伏せるのは問題だろう。そこで彼は、カトリーヌのときと同じく義父のコルネーユに男子であることを伝えたのだ。
なお、コルネーユは二人目の男子の誕生に歓喜したが、ブリジットは少々案じたらしい。次男誕生となれば、跡目争いが起きかねないからだ。しかし、ベルレアン伯爵家には次世代の男子が極めて少ない。子爵位を与えるなど道は幾らでもあると夫が伝えたため、彼女も安堵したという。
──シノブさん、竜の卵も見分けることが出来ますか?──
「う~ん。たぶん、出来ると思うけど。竜の魔力も雄と雌で違うから」
シノブは、肩に乗ったオルムルの問いに答える。シノブも充分に確かめたわけではないが、彼らの魔力にも男女の違いがあることは何となく理解していた。
──そのときはお願いします! 母さまにも教えなくては!──
シュメイは、早速イジェに思念を放っていた。今、炎竜イジェはフライユ伯爵家の庭にいるのだ。
炎竜達は、シュメイの番となる雄を得たいようだ。岩竜はオルムルが雌でファーヴが雄と上手く一頭ずついるが、炎竜の子はシュメイだけである。そのため子育て中ではない炎竜達は、暇を見て棲家造りなどの準備をしているらしい。
また、海竜達も同様にリタンの相手が欲しいようだ。こちらはシノブ達も行った海竜の島がほぼ空きとなっているため、産卵することになればそこを使うという。
「どちらでも、元気に育てば良いと思うけど……さて、着替えようか」
「はい。皆さん、シノブから降りてください」
シノブの言葉に、シャルロットは頷いた。
子竜達を貼り付けたままでは着替えは出来ない。それに、フェイニーにもそろそろ起きてもらいたい。シノブは、丸くなったままのフェイニーをベッドの上に移ったオルムル達の脇に置き、室内着へと手を伸ばしていった。
◆ ◆ ◆ ◆
寝室から居室に歩み出たシノブ達が見たのは、二人の少女であった。彼女達は、お茶の準備をしていたようだ。室内には微かな茶葉の香気と、ほんのりと甘い香りが漂っている。
「おはようございます! シノブ様、シャルロット様、それに皆!」
「おはようございます~。モーニングティーを如何ですか~? 今ならセットのお菓子も付いてきます~。美味しいですよ~」
アミィの隣にいるのは、金鵄族のミリィであった。彼女は、アミィに良く似た狐の獣人の少女に変じている。
ミリィは、アミィとそっくりの服を着ていた。アミィが身に着けているのは、王都メリエでシノブが贈ったものだ。ではミリィも同じ服を買ってきたかというと、そうではない。
ミリィ達はアムテリアから授かった足環で人間に変じると、自身が思い浮かべた服を纏った姿になるそうだ。何とも不思議だが、シノブは神具故と納得することにしていた。
「セットのお菓子って……日本のお土産だよね?」
シノブはミリィの言葉に思わず笑ってしまう。彼が言うように、お茶と共に出されたのはシノブの両親である勝吾と千穂が持たせたものだ。
「その通りです~。シノブ様のお父様とお母様、素晴らしい方々です~」
笑顔のミリィを良く見ると、口元に何かが付いている。どうやら彼女は、先にお菓子を味わったようだ。
「君達へのお土産でもあるんだから、幾らでも食べて良いよ」
「食べ過ぎると太るそうですよ……そういえば、ミリィ達は太るのでしょうか?」
苦笑気味のシノブとシャルロットは、ソファーに並んで腰掛けた。もちろん、彼らの側にはオルムル達が侍っている。
「どうでしょう~? 沢山飛べば大丈夫では~?」
シャルロットの言葉にも、ミリィは気にした様子は無い。彼女は大皿に積まれているチョコレートを一つ摘むと、口の中に放り込む。
「アミィ、ありがとう。美味しいよ。……ミリィ、それじゃ存分に飛んでもらおうか。手紙に書いた通り、霧の山に竜がいるか探ってほしいんだ」
シノブはアミィが淹れてくれたお茶を一口飲んだ。そして彼は、ミリィに通信筒で知らせた件について改めて説明する。
ヤマト王国は疎遠となりつつあるクマソ・タケル達、つまり筑紫の島と関係改善したい。しかし、獣人達が殆どを占める筑紫の島では、人族であるヤマト大王家を軽んずる空気が強まっているという。獣人達は自分達の主が王で、体力で劣る人族が大王家として上位にいるのが不満らしい。
一方のヤマト大王家、特にタケルの兄である第一王子は現体制を堅持するつもりのようだ。そのため、相互の反発が強まっているのだろう。
そしてタケル達が霧の山に棲んでいるという竜に会いに行くのは、クマソ・タケルが交渉の場に就く条件として持ち出したものだからだ。
「……ヤマト王国のことは、とりあえず置いておく。しかし本当に竜なのか知りたい」
シノブは、ヤマト王国の内政に干渉したくは無かった。
とはいえ竜の件は別だ。少女のように小柄な少年であるタケルは身体能力も外見相応で、竜に近づくことなど不可能だ。それに彼は魔力がかなり多いようだが、あくまで人間の範疇である。
「タケルさんは竜に会えば良いんでしたね~。でも、怒った竜達だったらマズイですよね~」
ミリィが触れたように、タケルは竜に勝たなくても良いそうだ。
クマソ・タケルは、タケルが竜に勝利しなくても話し合いに応じようと言ったのだ。タケルが竜に会い、自身が勇者であると示せば対等の相手と認める。どうやら、そんな考えのようだ。
とはいえ、相手が本当に竜とも限らない。それに仮に竜であるなら、事を荒立てる前に和解の道を見つけたい。そこでシノブはミリィに探ってもらおうと思ったのだ。
「ああ。だから、霧の山に何がいるのか見てきてくれないか? あの神像は俺や君達しか使えないし」
シノブとアミィは、筑紫の島の神域に転移の神像を設置した。そして神域の中であるため、転移を発動できるのはシノブやアムテリアの眷属だけに限定した。そのため、向こうに送るなら眷属が望ましい。ミリィを選んだのは、それが理由であった。
「わかりました~! ところでシノブ様~、お願いがあるのですが~」
「何かな?」
ミリィの願いとは何だろう。シノブは疑問を感じつつ言葉を返した。彼女を含む眷属がシノブに何かを願うなど、滅多に無いことだからだ。
「このチョコレート、もっと食べたいです~! チョコをいただけるなら、超光速でマゼラン星雲にだって行きます~!」
どうやら、ミリィはチョコレートを大層気に入ったようだ。彼女はアミィにそっくりの狐耳をピンと立て、後ろでは太い尻尾を大きく揺らしている。
「ミリィ、チョコレートは食べて良いけど、向こうで地球のことを持ち出すのは駄目だよ」
シノブは、自分達との会話であれば、地球や日本のことに関するミリィの冗談も良いと思っていた。彼は、ミリィが自分や仲間達を和ませるためにやっているのだと察していたからだ。
ミリィが竜や光翔虎に地球のことを教え込むのも、そのためだろう。シノブも、竜や光翔虎には地球のことを伝えているからだ。
しかし無分別に広めるのは問題だと、シノブは考えていた。
「え~! 食べるべきか、食べぬべきか……それが問題だ……です~!」
「ミリィ……貴女って人は……」
頭を抱えて叫ぶミリィに、アミィは苦笑していた。アミィも、かの有名な四大悲劇の一つを知っていたようだ。
そんな二人に微笑みながら、シノブは隣に座る愛妻に地球の偉大なる劇作家のことを語っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
結局、ミリィはチョコレートを食べた。どうやら、彼女はヤマト王国では冗談を封印するらしい。もっとも彼女に頼んだのは竜の調査で、現地の人と接触する機会は少ない筈である。
それはともかく、シノブとアミィは朝食の場で改めてヤマト王国でのことを語った。昨夜は詳しいことまで触れなかったため、ミュリエルやセレスティーヌ、それにアルメル達は、彼の話に真剣な表情で聞き入っている。
「……まあ、そんなわけで本当に竜がいるのかも良くわからないんだ。だから、ミリィに確かめに行ってもらったよ。シャンジーをタケルから離すわけにはいかないからね」
シノブは、シャンジーから聞いたことや自身が見聞きしたこと、そしてヤマト王国に転移の神像を設置したことに触れていった。なお、朝食の場には侍女などもいるから、神域でのことは曖昧に語っただけだ。
「そうなのですか」
「シュメイさんやリタンさんのお相手、いると良いですわね」
ミュリエルとセレスティーヌは、少し残念そうな顔であった。彼女達は、可愛らしい子竜達が増えると期待していたようだ。
「山の中だから海竜はいないんじゃないかな? それに、岩竜や炎竜とも違うようだけど……」
シノブは、竜がいるとしても今までに会った者達とは違うと思っていた。
霧の山は海からは随分と離れた場所だという。それに、シャンジーやタケルの話だと岩竜や炎竜と姿が違うらしい。彼らが聞いた通りなら、霧の山の竜は蛇のように細長い東洋の龍に似た体型らしい。
もっとも、シャンジー達もクマソ・タケルや家臣の話を聞いただけだ。しかも、元となる情報は現地の者達が王都ヒムカに送った使者や文らしい。要するに又聞きであり、はっきりとしたことは不明なままであった。
「えっと……これ、お土産です」
ミュリエル達の顔が曇ったためだろう、アミィは脇に置いていた魔法のカバンから、ラグビーボールのような形をした大きな実を取り出した。もちろん、それはアルフールから渡された巨大カカオの実、彼女が言うところの『カカオッキーナの実』である。
「アミィさん、これは何の実ですか?」
「随分と大きな実ですわね……魔獣の森で採れるものでしょうか?」
ミュリエルとセレスティーヌは、訝しげな顔をしている。
アミィが取り出したオレンジ色の実は、長軸が50cm近くもあるものだ。この世界では魔獣のように魔力を多く得て通常より巨大になる生き物がいる。そして魔力と巨大化の法則は、植物に関しても同様らしい。
そのためセレスティーヌなどは、魔獣の棲む領域に生えている植物の実だと思ったようだ。
「セレスティーヌ様、これがカカオです!」
アミィは、セレスティーヌに微笑みかける。たぶん、セレスティーヌが一番チョコレートを気に入っていたからだろう。
「そうですの!? この中にチョコレートが!?」
セレスティーヌの表情は、それまでの少々怪訝そうなものから一変していた。彼女は、輝く笑顔でアミィの前に置かれた実を見つめている。
カカオは前日シノブが触れたため、セレスティーヌも名前は知っている。しかし彼女は実の中にチョコレートがそのまま入っていると思ったようだ。もしかすると、朝食のデザートとして提供してもらえるのでは。そんな期待が彼女から伝わってくる。
もっとも、ミュリエルやアルメル達も同じであった。事前に話を聞いたシャルロットは別として、侍女達などチョコレートが何か知らない者まで、興味深げな視線を注いでいる。
「残念だけど、この中の実がチョコレートになるまでは、色々しないと駄目なんだ。それで、今日はその辺りを学校に行ってファリオス達に相談したいんだよ。
……アリエル、ミレーユ、時間はあるかな? できれば視察を兼ねて一緒に周りたいんだけど」
シノブは、シャルロット達を伴って学校を視察するつもりであった。
彼の主観だと数日前にも視察をしていた。しかし、それは時間の流れが違うらしい異なる世界、要するに地球の日本に行ったためであり、シャルロット達からすれば半月ほど前のことであった。
開校されたばかりの学校は、シノブも気になっている。今のところ順調らしいが、かといって放置するのも問題である。
そこでシノブは、今日は学校を、明日は旧帝国領を見に行こうと考えた。学校の設立は旧帝国の将来のためであり、その現状を把握した上で生まれ変わりつつある地を訪れたい。シノブは、そのように考えたのだ。
幸い、今朝はアリエルやミレーユも朝食の席にいた。シャルロットによれば、最近の彼女達は学校の理事および教師として忙しく働いており、朝食の場に現れるのも三日に一度くらいだという。しかし今日はこちらに来ているのだから、多少は時間があるのではなかろうか。
「ぜひお願いします。実は、お頼みしようかと考えていたところです」
「そうですね~。順調だと思うんですけど、シノブ様の故郷のように上手く行っているか確認していただけると助かります~」
アリエルは生真面目な、ミレーユは冗談交じりな言葉を返してくる。
学校の教育制度は、シノブの経験したものも参考にしている。つまり、日本の教育である。だが、エウレア地方には学年制の学校が存在しなかったため、その辺りはこちらの現状に合わせている。したがって、結果的にはそれほど日本の教育とは似ていない。
しかしアリエル達は、シノブが伝えたことを基に作ったつもりだろう。それに学校で学んだ者の多くは、旧帝国領などで活躍する筈だ。そのため彼女達は、シノブの意見が欲しかったに違いない。言葉や表情は異なるが、二人からは安堵したような雰囲気が伝わってくる。
「それなら良かった。じゃあ、食事が済んだら学校に行こう! ……あっ、もちろん皆一緒にね!」
アリエル達に答えたシノブだが、ミュリエルやセレスティーヌが期待の表情で見ていることに気が付いた。そこで彼は、慌てて全員連れて行くと言い添えた。
そんなシノブの様子を、アミィやシャルロットは温かな表情で見ている。二人は家族に甘いシノブを微笑ましく思っているようでもあり、家族との交流を楽しむシノブを喜んでいるようでもあった。
◆ ◆ ◆ ◆
北の高地の学校は、メリエンヌ学園と呼ばれている。これは通称であったが、どうやらそのまま定着しそうである。
当初シノブは、学校を旧帝国領の親を失った子供や奴隷から解放された者達のための教育施設にするつもりであった。しかし、今では各国から来た子供達が学ぶ国際学園とでも言うべき場所になっている。
学生のおよそ半数が旧帝国の出身だが、残りの更に半分がメリエンヌ王国、他はアマノ同盟の諸国から集まった者達だ。しかも、シノブのいない間にアルマン王国の王女アデレシアや、アルマン王国から独立したベイリアル公国の者達まで通うようになっていた。
したがってメリエンヌ学園は、エウレア地方の全ての国の者が集う場となったわけだ。そのため、いっそのことエウレア学園でも良いではないか、という声もあるらしい。ただし、ここがメリエンヌ王国であるのと、メリエンヌ王国が資金や教育者を多く提供したこともあり、名称の変更までは至っていないという。
ともかく、メリエンヌ学園には多種多様な者達がいる。神像の転移を使って現れたシノブ達の目に入ったのは、屋外の実習へと向かう学生達だが、彼らは人族に獣人族、エルフにドワーフと四種族の全てが揃っていた。しかも、獣人族には北に多い熊や狼、狐の獣人だけではなく、南方の猫や虎、獅子の獣人まで、シノブが知っている全ての種族が含まれている。
その学生達、特に女性は、シノブ達の一行を案内しているのがアリエルやミレーユがいるのに気が付いたらしい。彼女達は、先頭を歩く二人へと駆け寄ってくる。
「アリエル先生~! あっ……」
「どうしたの!? ミレーユ先生もいらっしゃるじゃない……」
華やかな声を上げながら寄ってきた学生達は、アリエルとミレーユの後ろにいるのがシノブ達だと知り、足を止めてしまった。
シノブは、学校を視察するときには気を使わないように、と伝えている。とはいえ、ここフライユ伯爵領の領主であり、先々は旧帝国領に造る新国家の主になると言われているシノブだ。学生達が遠慮するのも無理はなかろう。
「君達、私は様子を見に来ただけだ。だから、普段通りにしてほしい」
シノブは、苦笑しながら歩み出た。そして彼は、なるべく穏やかに聞こえるように注意しながら、学生達に語りかける。
「シノブ様の仰る通りにしてください」
「そうですよ~。皆さんが世に出たら、王族や貴族に会うことも珍しくないんです。良い練習の場だと思って頑張ろ~!」
アリエルとミレーユも学生達に笑顔を見せる。二人は、シノブに学校の日常を見せる良い機会だと思ったのかもしれない。
「え、えっと……ミレーユ先生、また槍術を教えていただきたいのです! この前教えていただいた技、出来るようになりました。稲妻返しから稲妻への連携です!」
「私は馬術を! 『戦場伝令馬術』ですが、学校のコースで15分を切りました!」
軍人志望らしい学生達はミレーユの下に集まって行く。寄っていくのは多くが女性だが、男性もいる。なお、原則として初級部と上級部は十歳から十四歳までだが、例外もある。そのため中には十六歳のミレーユより年上らしき者もいた。
「皆凄いですね~。では、この次の授業で見せてもらいますね!」
この場で技を披露するわけにもいかない。それに、言葉だけでは伝えにくいこともあるのだろう。そのため学生達は次の機会に、とねだるだけで、ミレーユも鷹揚に応じるだけであった。
しかし、アリエルの方は少々様子が違う。
「あの、アリエル先生! 次に魔術の講義に来ていただけるのはいつですか!? 私、水弾のコツをもう一度教わりたくて……」
「魔術理論の方もです! 先生に説明いただいたら、凄く良くわかりました!」
アリエルの方は、魔術師志望らしい。もっとも、魔術理論は魔道具作成にも役立つから、そちらを希望している者も多いだろう。
「次回は三日後ですよ。水弾は魔力障壁を使って打ち出す方向を定めると良いですが、障壁を小さくしすぎると詰まることがあります。その辺りは何度もやって感覚を掴むしかありませんね。
……魔術理論は、エヴァンドロ先生がいるでしょう? 彼の説明は少し難解ですが、理論は確かです。一度や二度で諦めないで、理解できるまで訊ねることも大切ですよ」
意外にも、アリエルの返答は理論というよりは実践、それも反復練習や地道な努力を勧めるものであった。しかし、これは魔術というものの性格を良く表した言葉である。
魔術は、結局のところ術者のイメージ次第なのだ。もちろん、自然の法則に反することや、術者の魔力量を超えたことは出来ない。とはいえ使い手が明確に思い浮かべなければ、どんな簡単な術でも実現不可能だ。そのため、繰り返し取り組んで自分のものにしていく必要がある。
「シャルロット、エヴァンドロ先生って?」
シノブが気になったのは、魔術自体ではなかった。彼はアリエルが触れた名前に聞き覚えがあったのだ。
「はい、あのエヴァンドロです」
シャルロットは、シノブに頷いてみせる。やはりエヴァンドロとは、カンビーニ王国に訪れたときに会った、モッビーノ伯爵の長男だったのだ。
彼は人の心を察することが苦手で身体能力も優れておらず、次期領主としては問題が多い人物であった。そのため廃嫡され家臣の養子となったのだが、一方で魔術理論には飛びぬけた才を示していた。それ故シノブも、将来は学校に招こうと思っていたのだ。
「廃嫡から一ヶ月経ちました。アリエルは、長く放置しておくより学校に招いた方が良いと思ったのです。その方が、彼が腐らないだろう、と」
「そうか……それは良かった」
笑顔で語るシャルロットに、シノブも顔を綻ばせつつ頷いた。
シノブは、生まれで定められた道を歩めないから非難されるのは、あまりに不幸だと感じていたのだ。シャルロット達は、身分や家名を背負って生きることに疑問を抱いていないらしい。しかし現代日本で生まれ育ったシノブには、理性では理解できても感情面では未だ馴染めない考えであったのだ。
しかし、エヴァンドロも新たな道を進みつつある。まだ教育者としては不慣れなようだが、アリエル達の支援があれば、きっと乗り越えていけるだろう。
シノブは、アリエルの陰ながらの努力を見たような気がした。彼が提案した学校は、このような人達が支えてくれるから現実のものとなったのだ。それを改めて理解したシノブは、二人の若き教師の姿を心からの敬意と共に見つめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年4月3日17時の更新となります。