16.14 タケルとの再会
転移の神像を造り終えたシノブ達は、神域を離れてタケルのいる村へと向かうことにした。
村は神域から南南東に60kmほどと、かなり距離がある。そこで来たときと同様に、光翔虎のシャンジーがシノブとアミィを乗せて夜空を飛んでいく。
そして空に昇ったシャンジーは、大和健琉と熊祖武流の邂逅の続きを語り始めた。
──兄貴がタケルに上げた剣を、あの熊のオジサンは欲しいと思ったようです~──
シャンジーが言う『熊のオジサン』とは、筑紫の島の王であるクマソ・タケルのことだ。
クマソ・タケルは、日本の九州にあたる地域の王だ。彼は、ヤマト王国の大王家に従う三人の王の一人である。
シャンジーが触れたように、クマソ・タケルは熊の獣人であった。彼は非常に大柄で身長は2mに届き、しかも熊の獣人であるから体格も良い。そして強靭な外見通りに相応しく、大剣を軽々と操る武人の王だ。
一方ヤマト王国の第二王子タケルは、少女のように小柄な少年である。こちらは人族であり、身体能力は見た目相応のようだ。
ヤマト王国の大王家や王家には強い加護が与えられ、種族の特徴が強調されているという。そのためタケルも魔力は多いものの、身体的にはさほど恵まれなかったのだろう。
「魔法の小剣を? 確かに凄い切れ味だからね」
シノブは、武芸に通じているらしいクマソ・タケルなら、魔法の小剣を欲しがるのも当然かもしれないと考えた。
タケルが本来持っていた小剣は、王子の証でもあった。だが、彼がシノブを助けようとして投じた際に証の剣は折れてしまった。そこでシノブが代わりとして魔法の小剣を与えたのだ。
クマソ・タケルの王宮を訪れたタケルは、彼に証の剣を見せたという。しかしクマソ・タケルや彼の家臣達は、折れた剣を笑ったそうだ。そして、無礼に憤慨したタケルの家臣が魔法の小剣に触れ、その切れ味を披露することになったわけである。
「彼らからすれば、神の使いから授かった神剣なんですよね……」
アミィは、苦笑が滲む声音で話に加わる。
タケルは、シノブのことを神の使いでシャンジーのことを神獣だと思っている。彼がシノブと出会ったのは、日本から帰還したシノブが神域の近くに出現した直後のことだ。そのためタケルは、禁域のすぐ側にいて常人とは思えない技を見せたシノブを、神の使いと受け取った。
シェロノワに戻ろうと急いだシノブが否定しなかったこともあり、その誤解は今になっても解けていない。もっともシノブは最高神アムテリアが息子と呼ぶ存在であり、魔法の小剣は彼女が授けたものだ。したがって、事実と大して違いはないとも言える。
アミィは自分のような眷属が神の使いであり、シノブは更に上位の存在と考えているらしい。そのシノブが自身と同じ扱いにされるのは、彼女にとって不本意なのかもしれない。
「で、クマソ・タケルはタケルから剣を取り上げようとしたの?」
──そうじゃないんです~──
シノブは、粗暴なところもあるというクマソ・タケルが、強引に魔法の小剣を奪おうとしたのかと考えた。しかし、シャンジーは否定する。
一体、どのようなことが起きたのだろうか。シノブはシャンジーが語るクマソの王宮での出来事に、再び耳を傾けていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「素晴らしい剣だ!」
タケルが魔法の小剣を収めると、クマソ・タケルは宮殿の広間の隅々まで響くような大声で叫んだ。そして彼は、玉座から立ち上がるとタケルに向かって歩みだす。
クマソ・タケルは、魔法の小剣を並の剣とは隔絶した業物と認めたようだ。
何しろ少女のように小柄なタケルが軽く振っただけで、太い棒が呆気なく切断されたのだ。武術に通じているなら、それが常識ではありえないと理解するだろう。
「……だが、タケル殿よ。そなたの腕では剣を活かしきれないようだな」
熊の獣人の王は感心するばかりではなかった。彼はタケルに向かって進みながら、少しばかり皮肉げな表情で語る。
クマソ・タケルは、最初タケルを侮ったらしい。しかしシャンジーの神獣に相応しい振る舞いを見てからは、彼を伴うタケルにも一定の敬意が滲む応対をしていた。だが、真っ向から相手の腕を未熟と断ずる姿は、当初に戻ったかのようでもある。
「な、何を!」
タケルの家臣の一人、伊久沙という男が声を荒げる。
よほど怒ったようで、彼は自身の佩刀に手を伸ばそうとした。しかしヤマト大王家直属の武人といえど一地方を統べる王の前で抜いたら大問題と思い留まったらしく、柄に触れる前に手を下ろす。
イクサという家臣が持っているのは直剣ではなく緩く湾曲したもの、つまり刀だった。
衣装も刀の主に相応しく直垂に酷似しており、胸紐付きの前合わせの上衣や袴には家紋らしき図柄がある。頭には侍烏帽子のような小さな冠、足元は足袋に草鞋、腰の佩刀は帯に差さずに綺麗な組紐で左腰に吊るしていた。
要するにイクサ達の装いは、大よそ鎌倉時代や室町時代前半の武士を思わせるものだった。もし佩刀を外したら、現代日本の大相撲の行司にも近い。
ちなみに佩刀の刃渡りは三尺以上、つまり90cmを超えているようだ。しかも刃を下に向けて吊るしているから、仮に日本刀の区分に当てはめるなら太刀と呼ぶべきだろう。
日本で室町時代後半以降に主流になった打刀は、太刀と違って刃を上向きにして帯びるし刃渡りも二尺三寸程度か更に短い。しかしヤマト大王家に仕える武人達は、ヤマト太刀と呼ばれる長い刀を好んでいた。
この星の人間は身体強化を使えるし、巨大な魔獣と戦うこともある。そこでヤマト王国に限らず、多少重くても長い武器を選ぶ例が多い。
「事実であろう。代わりの剣なら幾らでもある。それで試し切りをしてみるか?」
クマソ・タケルは、イクサに顔も向けずに答える。彼の視線はタケルの腰、つまり鞘に収めた魔法の小剣に注がれたままだ。
「確かに私の腕は未熟です。この神剣に相応しくなるよう、精進せねばなりません。とはいえ神剣は神のお使いから授かった物。誰かに譲るようなことは出来ません」
タケルは、眼前に迫る大男に静かに答えた。彼とクマソ・タケルの背は、頭二つ近く違う。そのためタケルは、茶色の蓬髪と同色の長い髭を持つ魁偉な男を見上げている。
緊迫した様子を見かねたのか、シャンジーがタケルへの同意を示すように頭を動かし、短い咆哮を放つ。
クマソの王宮の者達は『アマノ式伝達法』を知らないから、シャンジーの意思を理解する術は無い。とはいえ輝く若虎が何を言いたいのか、彼らは充分に察したようだ。
熊の獣人の王は、一瞬だけだが悔しげな表情を浮かべた。それに家臣達も、怯えたような顔となる。もしかすると、彼らは自分達の王の願いを叶えるべく、タケルから魔法の小剣を奪う方法を練っていたのかもしれない。
ちなみにクマソ・タケルや家臣達が持つのは、刀ではなく剣であった。玉座の脇の近侍が携えていた王の大剣から家臣の小剣まで大小様々だが、いずれも直剣である。
服装もイクサ達とは違うし、直衣のような公家装束に似たタケルとも異なる。同じ前合わせの服ではあるが、クマソ・タケルの紫衣は古代中国の皇帝のような長衣と太い帯であり、家臣達も奈良時代など大陸の影響が大きかった頃の武官や文官の服に似ている。
筑紫の島は大陸に近い分、外からの文化も随分と入っているのかもしれない。あるいは、こちらが古くからの伝統を維持したのだろうか。タケルが王子の証として持っていたのも直剣だから、ヤマト王国も昔は同じような風習だったのかもしれない。であれば、後者の可能性も高いだろう。
「……タケル殿、その剣に相応しい勇者と示してもらえないか? そうすれば、例の件を聞いても良い」
暫し考え込んでいたクマソ・タケルは、何やら思いついたという顔で語り出す。
タケル達が遠い筑紫の島まで来た理由は、クマソ王家との関係修復であった。三つの王家の中でも、クマソ王家は特にヤマト大王家と疎遠なのだ。
各王家は、一応ヤマト大王家に従っている。しかし、実際は島全体や遠方を丸ごと領地としているため、半分独立しているようなものだ。中でも獣人族が殆どの筑紫の島は、身体能力では劣る人族のヤマト大王家を侮り、独自の道を歩み始めていた。
そもそも、各王家に対して大王家の影響力は低い。各王家に課せられているのは、戦時における兵や物資の供出くらいだ。
しかし島国であるヤマト王国に攻め入る敵など稀であり、来るとしても筑紫の島が殆どだ。そして、勇猛果敢な獣人達は自身で外敵を退ける。こうなると、何のために大王家に従っているのか、となるのも当然であろう。
「何をすれば良いのでしょう?」
タケルは僅かに上気した顔で訊ねかけた。彼は、突然降ってきた好機を逃したくないようだ。
ヤマト大王家としては、このままクマソ王家が縁遠くなるのは避けたい。
大王家や重臣の一部には、人族の優位を主張し獣人族の王を軽んじる者もいた。とはいえ彼らも、各王家に離反されるような事態は招きたくない。それに、可能であれば筑紫の島に小さくても良いから大王家の直轄地を設け、クマソ王家の監視や大陸との交易をしたい。
そしてタケルの兄である第一王子は、この難題の解決を弟に押し付けた。彼は、大王家の女性達に人気があり、父にも好かれている弟が気に入らないらしい。
そういった経緯ではあるが、タケルや家臣もクマソ王家との仲を改善することに否やは無い。そこで彼らは半月以上も掛け、クマソの王宮まで旅してきたのだ。
「実はな、この地の南に『霧の山』という霊峰がある。そこに竜が棲んでいるのだが、麓や近隣の村々に飛んできては悪さの限りを尽くしているのだ。
その神剣があれば竜の退治も出来よう。退治できなくても竜と戦うだけでも良い。タケル殿が勇者であるなら、儂も喜んで話に乗ろう」
クマソ・タケルによれば、竜は常に霧の山に棲んでいるのではなく季節に応じて現れるらしい。そして今年は竜の来訪が早いようで、しかも例年とは違い村の近くでも獲物を狩るという。
そのため霧の山を含む一帯では毛皮や肉などが得られず、租税にも差し支えるようだ。もっとも王自身が確かめたのではなく、全て代官を務める重臣などからの情報である。
「へ、陛下! それは幾らなんでもタケル王子にとって厳しすぎるのでは!?」
驚愕の叫びを上げたのは、クマソ・タケルの家臣の一人であった。彼も熊の獣人だから、王家に近い重臣なのかもしれない。
「必ず倒して来いとは言わん。それに、神剣があり神獣が助けてくれるのだ。竜に会うことくらいは出来るだろう?」
家臣に反対されたクマソ・タケルだが、上機嫌な様子で言葉を返す。どうも、彼は自身の案を大層気に入ったらしい。
「……タケル殿よ。仮に竜退治を成し遂げたなら、そのときは必ず従おう。だが、そこまでせずとも竜に戦いを挑み生きて帰ったなら、話は聞く。神剣と神獣に守られたタケル殿なら、それくらい容易い筈だ」
熊の獣人の王は、楽しげな口調でタケルに言い放つ。案外、彼はタケルが拒否することを期待しているのかもしれない。
もしタケルが断れば、望まぬ交渉をせずに大王家の使者を追い返すことが出来る。それがクマソ・タケルの目的であろうか。
それに魔法の小剣やシャンジーのことを繰り返し口にするのは、言外にそれらが無ければ何も出来ない子供と馬鹿にしているようでもある。その挑発に気がついたのか、タケルの家臣達の表情が険しくなる。
「わかりました。竜と会い、村々に平和を取り返してみせましょう」
タケルも家臣達と同様に、言外の意味を感じ取ったのかもしれない。彼は少しばかり強張った表情で、獣人の王へと了承を伝えた。
◆ ◆ ◆ ◆
王宮でのやり取りを、シャンジーは最初から全て理解していたわけではないという。宮殿から下がった後、彼はタケルに危険を冒す理由を問い質し、ヤマト大王家の思惑を含む諸々を知ったのだ。
本来なら、シャンジーがそこまでタケルの世話を焼く必要はないかもしれない。
シャンジーは、シノブからタケルを人里まで送り届けるようにと命じられただけだ。しかし、山から下りて最初に訪れたのが小村で、タケルは村で家臣と合流するとクマソの王宮を目指した。そのためシャンジーは、どうせなら今日の目的地まで、と着いて行った。
王宮には面倒な交渉相手がいるらしい。であれば、その結果がどうなるか見届けておくべきだろう。それに相手次第では戦いになるかもしれない。シャンジーは、そう思ったらしい。
そして案の定というか、王宮では無理難題を押し付けられた。
竜を知るシャンジーからすれば、タケルや家臣達に勝ち目が無いことは明白である。聡明な竜達は会うだけなら無体なことはしないだろうが、戦いを挑むとなれば話は違う。幾ら温厚な竜でも、襲いくる相手には相応の手段で対処するからだ。
そもそも、本当に竜がいるとも限らない。仮に高度な知性を持つ竜ではなく単なる魔獣であれば、タケル達の命は無いだろう。
──だからボクは、兄貴に相談するから待て、と言ったんです~──
シャンジーは、背の上のシノブとアミィに僅かに不満の滲む思念を発していた。彼は、王宮での一幕を語り終えたところであった。
もう、タケルのいる村まで僅かだ。日の出まで三十分くらいだろうか、空も先ほどより白んでいる。
「そうか。シャンジーの心配も当然だね。ところで、タケルは何で俺に相談したくないんだ?」
──あの熊のオジサンに嫌味を言われたのを気にしたみたいです~。タケルは兄貴のことを神の使いだと思っているから、安易に力を借りたくないって~──
シャンジーの答えを聞いて、シノブは何となく理解したような気になった。
確かに神の使いに助けてもらっては、クマソ・タケルの課した試練を乗り越えたとは言い難い。その場合、クマソ王家との交渉を断られる可能性はある。
「そうなると、こっそり見守るしかないのでしょうか……そういえば、シャンジーさんは付いていっても良いのですか?」
考え込んだシノブに代わり、アミィが問いを発した。彼女は、タケル達が断った場合は幻影魔術で姿を消して追いかけようと思ったようだ。
──付いていくのは大丈夫です~。でも、あまり力を貸さない方が良いみたいです~──
シャンジーによれば、彼の同行は問題ないらしい。しかし、タケルが戦うことが条件のようだ。
クマソ王家に仕える者達がタケル達を案内しているのだが、彼らは見届け人でもあった。そのためシャンジーが竜退治をしてタケルの手柄に見せかけるようなことは出来ない。
「そうですか……」
──逃げるくらいなら何とかなると思います~。でも、イジェさん達みたいな子育て中の竜なら危ないかも~──
アミィが案ずるような呟きを零したのに釣られたのか、シャンジーも珍しく気弱な言葉を発する。だが、彼の言葉は間違ってはいない。
体こそ成獣と殆ど変わらないシャンジーだが、まだまだ道半ばである。彼は百歳前後だが、成体となるのは更に百年後だ。したがって相手が子供を育てるような竜であれば、そして番が揃っていれば、タケル達を連れて逃げることも難しいかもしれない。
どうやらシャンジーは、イジェ達と接するうちに成竜の力を充分に理解したようだ。
「タケル達には、その辺りも伝えたの?」
──はい~。ちょっと恥ずかしいですけど~──
シャンジーは、神獣として遇してくれるタケル達に、自身が成竜に劣ると言いたくなかったのかもしれない。しかし彼は、自分がまだ子供であることや実際に成竜達を知っていることを伝えたという。
「……ともかく、タケルと話そう。竜の狩場までどれくらいで着くか教えてもらえば、そのとき助けにくることも出来るし」
シノブは、タケルと会ったら一度シェロノワに戻るつもりであった。
シェロノワとヤマト王国の時差は、8時間もある。現在ヤマト王国は朝の5時ごろだが、シェロノワはまだ前日の21時だ。したがって、シノブやアミィからすると、もうそろそろ就寝すべき時間であった。
もちろん、まだシノブは眠くなったわけではない。しかし、あまり遅くなればシャルロット達も心配する。そのため彼は、タケルが村を出立したら再びシャンジーに護衛をしてもらい、自身はアミィと共に帰還するつもりだったのだ。
──それが良いです~。それじゃ、村に降りますね~──
話しているうちに、タケル達の泊まっている村の上空に迫っていた。
既に村人の一部は屋外に出ているが、彼らが姿消しを使っているシャンジーに気が付くことはない。そのためシノブ達は、誰にも知られることなく村の中に降下していった。
◆ ◆ ◆ ◆
タケル達が宿泊した場所は、キシロという村であった。王都ヒムカから南に向かう街道にあるためだろう、村にしてはかなり大きく、兵士が詰める丸太で造った砦まで存在した。
砦は大きくは無いが、かなり古いようだ。もしかすると、木造の砦がある村だからキシロという名になったのかもしれない。
村の近くは水田で、五月の初めということもあり田植えは終わっていた。綺麗な水と整然と並ぶ緑は、シノブに安らぎを与えてくれる。
村の周囲と農地の外には環濠と丸太による防柵がある。これらは非常に大規模であり、水の張られた濠は随分と深そうで柵も人の背を遥かに超える。おそらく、魔獣などに備えたものなのだろう。
そんな日本の過去に似つつもどこか違う村の住人は、シノブに故郷の歴史を想起させる姿であった。
殆どが獣人族だという筑紫の島の村らしく、シノブの目に入るのは熊の獣人や狼の獣人、それに狐の獣人達である。暖かい地方ということもあり、彼らの着物は裾が短い上に素足に草鞋というものが多い。これから水田に赴くのだろう、彼らは農具を持っている。
また、簡素な袴に脚絆のような脛を保護する布を巻いた者もいる。弓矢を持っているから、山や野に出る猟師などであろうか。
──平和そうだね──
シャンジーが姿消しを使っているから、村人はシノブ達が側にいるとは知らないままだ。そのため、シノブは彼らの姿をゆっくりと観察していた。
クマソ・タケルは、意外にも善政を敷いているのかもしれない。シノブは、シャンジーが語った王宮の様子から、獣人の王が力で支配しているのでは、と案じていた。しかし、楽しげに語らいながら田や野山に出て行く村人達を見る限りでは、圧政や悪政ということは無さそうである。
──暮らしにも余裕がありそうですね──
アミィも、安堵したような思念を返してくる。
田に出る村の女性達は頭に菅笠を被っているが、笠には綺麗な紐や細い布で工夫を凝らした飾りが編み込まれている。それに真っ直ぐに垂らした髪も色取り取りの組紐で纏めており、しかも紐の緒には小さいが綺麗な珠まである。
それらからすると、村人達が重税に苦しめられていることは無さそうだ。
──途中の村も、だいたいこんな感じでしたよ~──
シャンジーは、キシロの村までは普通の虎くらいの大きさになってタケル達と共に歩いたという。その間に見た村々もキシロと同じであるなら、筑紫の島は随分と豊かな土地なのだろう。
それに、タケルによれば大王家の領地も同じような暮らしぶりらしい。どうやら、ヤマト王国は平和な国のようだ。
──そうか……ここがタケルの泊まった場所なの?──
シノブの目の前にあるのは、一際立派な木造の建物であった。どうやら砦に付属する宿泊施設らしい。シャンジーは、砦の中庭に降り立ったのだ。
──はい~。それじゃ、姿消しを解きますよ~──
シャンジーは、まだ人の少ない庭に姿を現した。しかし、彼の背にはシノブとアミィの姿は無い。事前に決めた通り、アミィが幻影魔術で消しているからだ。
「おお……神獣様だ」
「おはようございます! 神獣様!」
砦の敷地内には兵士達がいるが、彼らはシャンジーが姿を現したことに感動するものの驚いてはいなかった。シャンジーが姿消しを使えることはタケルが事前に説明し、実際に見せてもいたからである。
そのため、シャンジーは悠然とした足取りでタケルの泊まる宿舎へと入っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「……シノブ様、私はクマソ王家との仲立ちを成し遂げたいのです」
シノブが自身の懸念を伝えても、タケルの決意は変わらなかった。
ここは、タケルが泊まった部屋だ。貴人を迎えるに相応しい上等な室内には、タケルとシノブ、アミィ、それにシャンジーだけしかいない。
「シャンジー様からお聞きになったと思いますが、ヤマト王国では各種族がバラバラに住んでいます。私は、各種族が手を取り合う国にしたい……そのためには、クマソ王家との関係修復は欠かせないのです」
タケルは、神の使いと信ずるシノブが再び訪れたこと、それも自身を心配して来てくれたことには、深く感謝をしていた。
彼はシャンジーからアミィのことも伝えられていた。シノブの従者であり彼と同じく神の使いの一人。それが、アミィに対するタケルの認識だ。二人の神の使いの訪れに、最初タケルは伏して迎えたほどである。
一方で、それでもタケルは自身の思いを枉げることはなかった。どうやら、彼にとって人族や獣人族の交流推進は、非常に大切なことらしい。
ヤマト王国は日本に酷似した地理である。ここ筑紫の島が九州に相当し獣人族、本州にあたる場所の関東以西がヤマト大王家の直轄地で人族、その北はドワーフ、残る四国に該当する島にエルフが住む。それぞれの地には僅かながら他種族も住むが、あくまで例外的なことだという。
タケルは、そんな王国の将来を憂えたようでもある。
「しかし君の兄は……君を追放しただけでは?」
シノブは、タケルから聞いた話で大よその背景を理解していた。
タケルの兄である第一王子は最大勢力であるヤマト大王家、つまり人族が他の種族の上に立つべき、という考えらしい。過去のベーリンゲン帝国のような奴隷化ではないが、国を纏めるのは人族である自分達だ、という思想の持ち主のようだ。
おそらくタケルの兄は、自身とは異なる意見の第二王子を追い払いたかったのだろう。そこで、やれるものならやってみろ、と非常な困難が予想されるクマソ王家との交渉を命じたのだと思われる。
「はい。兄は融和を願う私を疎んでいました。それに……いえ、ともかく兄が厄介払いをしたのは間違いありません。ですが、これは私にとって好機なのです!」
シノブの指摘にも、タケルは動じなかった。
今日のタケルはヤマト大王家の王子としての衣装、直衣に似た装束を身に着けている。そのため、彼はシノブが最初に会ったときとは違い、凛々しい貴公子に見えていた。
とはいえ、元々が少女のような外見のタケルだ。シノブを見つめる彼の整った面には、凛とした雰囲気と共に見る者を惹きつけ微笑ませる何かが宿っている。
タケルの兄は、彼の魅力に嫉妬したのでは。であれば、達成不可能と思える難事に僅かな家臣を付けただけで向かわせたのも納得がいく。シノブは、思わずそんなことを考えてしまう。
「わかった……だが、仮に竜と会っても無闇に事を構えないように。単なる魔獣であれば別だが、本当に竜であればシャンジーなら思念で会話できる。
それと、霧の山に入るときは俺とアミィも同行する。安心してくれ、姿は現さないし危険にならない限り手出しもしない」
タケルの決意が固いと悟ったシノブは、彼を留めることは諦めた。その代わり忠告を与え、竜が棲むらしい山に入るときは同行すると伝える。
竜がいるという場所、霧の山に行くには二日ほど南に旅するらしい。タケルは、今日と明日の二日で移動し、明後日の朝から山に入るつもりだと言う。そこまでは街道沿いの移動であり、心配は無いようだ。
であれば、二日後の朝に来れば良いだろう。シノブは、山に入るまではシャンジーに任せることにしたわけだ。
「重ね重ねのご配慮、ありがとうございます!」
タケルも、無理を言ったと思っていたのだろう。シノブの言葉を聞いた彼は安堵の浮かぶ笑顔となり、深々と頭を下げた。
「いや、自分の力で成し遂げたいというのも理解できる。ともかく、竜と会ったらまずは話しかけるんだ。彼らは、シャンジーと同じで人の言葉を理解できるから。
それと、魔法の小剣は離れていても呼び戻すことが出来る。万一失くしたら、戻ってくるように念じると良いよ」
タケルが聞き入れてくれたため、シノブも同じく笑顔となる。そして彼は、タケルに細々とした注意を与え始めた。
竜については、タケルもシャンジーからある程度聞いているようだ。しかし、魔法の小剣に関して詳しいことは伝えていない。
シノブは、魔法の小剣をタケルに渡したとき、彼に所有者としての権限を付与していた。魔法の小剣は誰でも使うことが出来るが、所有者として設定された者は剣を呼び戻すことが可能となる。
クマソ・タケルや彼の家臣は、魔法の小剣に興味を示したようだ。もしかすると、案内役の者達がタケルから剣を奪おうとするかもしれない。
シノブは、獣人の王が泥棒のようなことをすると思ったわけではない。しかし、彼の家臣が主に神剣を献上して出世しようと目論むかもしれない。
それに、タケルに呼び戻しのことを伝えておけば戦いの幅が広がる。タケルは、シノブと会ったときに投剣の技を披露した。シノブは、それを思い出したのだ。
「そうだったのですか! ……わっ、凄い!」
驚きのためだろう、タケルは目を見開く。そして彼は実際に呼び戻しを試し始める。
「……ところでタケル、どうして巫女のような格好をしていたんだ? あれは男の服なの?」
シノブは、タケルが腰に佩いた剣を一旦外し呼び戻す様子を見て微笑んでいた。
しかし、彼の脳裏にあることが浮かぶ。出会ったときのタケルは、巫女のような衣装であった。山中での投剣を想起したためだろう、シノブは聞き忘れていたことを思い出したのだ。
「いえ……あれは神に仕える女性の服です」
「では、どうして?」
今まで黙っていたアミィが、恥ずかしげな表情のタケルに問いかけた。彼女はアムテリアに仕える眷属である。そのため、神職の衣装が気になったのであろうか。
「実はですね……叔母があれを着て神域に行けと……」
タケルは、今一つ納得していないような表情で語りだした。
彼の叔母、斎姫は魔力に優れたヤマト大王家でも特別な存在であった。ヤマト大王家では、その時代の王女で最も神の加護が強い者が巫女の長となり、ヤマト姫と呼ばれる。そしてイツキ姫は、代々のヤマト姫の中でも、特に優れた巫女だという。
とはいえタケルからすれば、巫女装束など着たくはない。そこで彼は叔母に神託なのかと訊ねたが、彼女は微笑むだけで答えを返さなかったそうだ。
「叔母の単なる思い付きかもしれませんが……昔から私に構う人だったので……ですがヤマト姫の言うことですし……」
「そうか……もしかすると、そのお陰で会えたのかもしれないし、結果としては良かったんじゃないか?」
シノブの言葉に、タケルは笑顔を取り戻した。それにアミィも微笑み、シャンジーも楽しげに尻尾を振っている。
今回のことが片付いたら、ヤマト王国の都にも行ってみよう。まだ見ぬ地でありながら、どことなく親しみの湧く場所を思い、シノブは自然と顔を綻ばせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年4月1日17時の更新となります。