16.13 神域の出会い
シノブとアミィを乗せたシャンジーは、巨大な杉が聳え立つ山中に舞い降りた。ここはシノブが大和健琉ことタケルと初めて会った場所、つまり神域のすぐ近くだ。
ここはヤマト王国を構成する島の一つ、筑紫の島である。そしてタケルがシャンジーに示した地図によれば、ヤマト王国と日本の地理は極めて似通っており、筑紫の島も九州とそっくりな島らしい。そのためだろう、神域の場所も日本とほぼ同じ位置にあるようだ。
アミィはスマホから得た位置把握能力で、光翔虎のシャンジーは飛翔に優れた種族の鋭敏な感覚で、現在どこにいるかを理解している。その彼らが言うのだから、間違いはないだろう。
アミィとシャンジーによれば、神域は筑紫の島のほぼ中央にあるらしい。険しい山地の更に奥で、近くには小さな村が一つあるだけだという。そのためシノブは、神域の脇であれば滅多に人が来ないと考えていた。
実際に、シャンジーがタケルから聞いたかぎりでは、村人達も神域のある一帯には近づかないという。巨大な魔獣がいるためでもあるが、昔からの言い伝えで禁域とされているそうだ。
そんな秘境にタケルが赴いたのは、神々の助力を得るためだったという。しかし、それは彼がヤマト王国の第二王子で、大王家の伝説を知っていたからであった。彼らの父祖はこの地の出身で、そのため神域のことも聞き及んでいたそうだ。
「シノブ様。転移の神像ですが神域の中に造りませんか?」
アミィは神域に入ろうと言い出した。シノブを見つめる彼女の薄紫色の瞳には、真剣な色が宿っている。どうやら、冗談で言っているのではなさそうだ。
──神域ですか~。どんなところなんだろ~?──
シャンジーは、興味深げな思念を発している。光翔虎にも、神域に入った者はいないのかもしれない。
「ここでも大丈夫だと思うけど……」
シノブは、周囲を光の魔道具で照らしながら見回した。現在は午前四時前といったところだ。そのため、辺りは闇に包まれている。
「この山は禁域らしいから、人は来ないんじゃない? それに、ちょうど良さそうな場所だし」
シノブがタケルと会った場所は、杉の大木が立ち並ぶ中に開けた幅20mほどの広場である。そのためシノブは、ここに土魔術で岩山を造り、それを神像の元にしようと思っていたのだ。
「でも、ここにはタケルさんが来ました。ですから、少し神域に入った方が良いと思うのです」
「シャルロット達は、神域の中に転移しても大丈夫なの?」
アミィの懸念は理解できる。だが、神域の中に転移の神像を造ったら、シノブやアミィと共に転移した人はどうなるのだろうか。シノブは、それを案じたのだ。
シノブは、神域に近づいた両親や妹の顔から血の気が引いたのを、忘れてはいなかった。彼自身は神域に入っても清冽な気を感じるだけで、むしろ心地よくすらある。それに、アミィはアムテリアの眷属だ。彼女も神域に入れるに違いない。しかしシャルロット達はどうなのだろうかと、シノブは不安になる。
「シノブ様や私がいれば大丈夫です。私達が神気を吸い取るか、当てられないように守れば良いので」
シノブの問いを予想していたのか、アミィは穏やかな笑みと共に説明していく。
どうも、シノブが日本でやったように神気を吸収するか、逆に近づけないように制限すれば良いらしい。アミィによれば、アムテリアに連なる者であれば、神気を一定の範囲で操ることが可能だという。
今回作成する神像は、シノブかアミィ達眷属だけが転移可能な場とするつもりだ。もちろんシノブ達が人々を伴うことは出来るが、限られた者だけが訪れる場とする。それもあって、アミィは神域に設置しようと考えたのだろう。
「……万一神像を壊されると、困るか」
暫し思案していたシノブだが、アミィの言う通りにすることにした。
シノブ達が住むエウレア地方と、ヤマト王国は非常に遠い。何しろ、こことシェロノワは1万km近く離れているのだ。そのためシノブは、念には念を入れておくべきだと思ったのだ。
「はい。でも、念のためにアムテリア様にお伺いを立てた方が良いと思うのです。ですから……」
「御紋だね」
アミィの意図に気が付いたシノブは、懐から神々の御紋を取り出した。
神々の御紋の形状は、スマートフォンのような薄い板状である。そして、似ているのは外見だけではない。御紋は、神々と話すための神具でもあったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブが御紋の表面に浮かぶ紋章に触れると、紋章は消えて幾つかの図形が現れた。そして、シノブはその中の一つ、受話器のようなアイコンに指を差し伸べる。
「こちらから連絡するのは二回目か……何となく緊張するなぁ……」
アムテリアと話した履歴を示すもの、つまり彼女の名前を目にしたシノブは苦笑を漏らす。そして彼は、僅かな躊躇いの後に御紋に触れ、更に顔の近くに持っていく。
アミィとシャンジーは、シノブを静かに見つめている。特に、シャンジーは興味津々のようで、尻尾が大きく揺れていた。アミィは前回の通話のときもいたが、ヤマト王国に渡ったシャンジーは初めての経験だから無理もない。
「……シノブです。母上、夜中だというのに済みません」
シノブは、思わず頭を下げていた。
アムテリアや彼女の従属神くらいになると、夜であっても眠ることはないらしい。嗜好の一種として楽しむことはあるというが、基本的にアムテリア達に食事や睡眠などは不要なのだ。
そもそも、惑星全体を管理する神々である。生き物は地上のどこかで常に活動しているのだから、眠るようでは役目を果たせないのかもしれない。
シノブも、それらを前回話したときに聞いていた。しかし、シノブとしては深夜に電話するなど非常識極まりないことである。そのため彼は、思わず謝ってしまったのだ。
『シノブ、待っていましたよ』
アムテリアの声は、とても嬉しげであった。
実は、この世界に戻ってからシノブは毎日アムテリアと話している。帰還した一昨日は御紋で話し、昨日は都市ベイリアルの神殿で転移を授かるように願ったときに思念で会話した。そして、日を跨いで数時間しか経っていない未明に再び御紋で連絡を入れたわけだ。しかもエウレア地方であれば、まだ前日である。
それはともかく、喜ぶアムテリアの声が漏れ聞こえたのだろう、シノブの隣ではアミィが微笑んでいる。
一方シャンジーはといえば、ペタリと地面に伏している。暢気で物に動じない彼も、最高神には強い畏れを感じたようだ。
「その……済みません」
これ以上連絡をするとなると、朝晩に一度ずつであろうか。シノブは、そんなことを考えつつも再び同じ言葉を口にする。この辺り、シノブも日本人気質が抜けていないのかもしれない。
『そうしてもらえると嬉しいですが、貴方の時間のあるときで構いません。私が貴方を縛り付けるようではいけませんから』
どうも、アムテリアは御紋を通した会話でもシノブの心が読み取れるようだ。流石はこの惑星の最高神と言うべきであろうか。シノブは、妙なところで感心してしまう。
「……母上、神域の中に転移の神像を置いて良いでしょうか? 私とアミィ達だけが使える場所にしたいのです」
神の力を推し量ろうとしても、無駄なことだ。そう思ったシノブは早々に自身の疑問を封じ、本題に入る。もしかすると、アムテリアは先刻のやり取りすら知っているかもしれない。だが、幾らなんでも知っているから結論を、というのは味気なさ過ぎだろう。そのため、彼はごく普通に話を進める。
『もちろん問題ありません。あなた達の使う場がここに出来るのは、私にとっても嬉しいことです』
「ありがとうございます。それでは、早速中に入ります。ゆっくりお話したいところですが、神像の設置が終わったらタケルのところにも行くつもりでして……」
ますます楽しげなアムテリアに、シノブは少しばかり罪悪感を抱きつつ答えた。
シノブは、神像を設置したらタケルのいる村に戻ろうと考えていた。シャンジーによれば、タケルは日の出まで村に留まるという。今は五月の初めだから、おそらく日の出は五時半くらいだろう。であれば、あと二時間も無い。タケルがいる村に戻る時間も考えたら、のんびりしているわけにはいかないのだ。
『シノブよ。獣人の王が迷惑を掛けているようだな。済まぬが、お前の力で何とか収めてくれ』
アムテリアの返答の代わりに聞こえてきたのは、力強い男性の声音であった。しかも、日本にいた時に御紋で話した闇の神ニュテスや大地の神テッラではない。
「ポヴォールの兄上ですか?」
シノブが話したことのない神は、戦いの神ポヴォールと知恵の神サジェールだけであった。そして、獣人を守護する神といえばポヴォールだ。そのため、シノブは迷うことなく彼の名を口にしていた。
『おお! 戦のことなら俺に任せろ! 何でも教えるぞ!』
ポヴォールの声は、何とも嬉しげなものであった。最初とは違う、ざっくばらんな返答だが、そこには天上の存在に相応しい威厳も宿っている。
王者のようでありながら野性も感じさせる声と口調は、シノブにカンビーニ王国の国王、獅子の獣人レオン二十一世を思い出させた。彼の先祖である『銀獅子レオン』はポヴォールを通してアムテリアの加護を授かったというから、似通っているのは必然なのかもしれない。
『初めまして、サジェールです。
ポヴォールは、この地の獣人の主に力を授けすぎたのですよ。我々の故郷に相当する場所だから、気合が入ったのですね。もっとも、私も人のことは言えませんが』
知恵の神サジェールは、無駄なことを嫌うのかもしれない。彼は自分から名乗り、ポヴォールが触れたことを簡潔に補足する。
彼の声は、穏やかな年長の男性のものであった。人族なら二十代後半から三十代のような声音からは、若さと思慮を併せ持つ経験豊かな指導者の姿が浮かんでくる。シノブが知っている者に例えるなら、メリエンヌ王国の王太子テオドールや、ガルゴン王国の王太子カルロスなどであろうか。
「初めまして、サジェールの兄上。もしかすると、それでヤマト王国の種族は別々に暮らしているのですか? 強い加護が反発しているとか……」
サジェールは虚礼を好まないようだ。そう思ったシノブは、挨拶を簡単に済ませて問いを発した。
ヤマト王国には、人間の全ての種族がいる。人族、獣人族、ドワーフ、エルフだ。しかし、彼らは同族同士で纏まっているという。
エウレア地方でも、エルフやドワーフは同族だけで国を造っている。しかし、人族だけの国や獣人族だけの国や領地は存在しない。そのためシノブは、ヤマト王国の体制に僅かな疑問を感じてはいたのだ。
『反発ではありませんが、君の住む場所よりも極端に加護が出ているのです。普通の者はそうでもないのですが、大王家や王家は顕著です。私達が目を掛けすぎたのでしょう。
話が長くなりましたね……ともかく今は君のすべきことをしてください』
やはりサジェールは合理的な性格らしい。彼は、伝えるべきことを伝えたようで話を終わりにする。
『それではシノブ、神域に入ってください。場所は私が教えます』
どうやら、アムテリアはこのまま御紋での会話を続けるつもりのようだ。シノブは微かに苦笑を浮かべたまま、アミィと共にシャンジーの背に収まった。
◆ ◆ ◆ ◆
神域は、半径2km程度の領域らしい。そして現代日本に比べると、この辺りは極めて人が少ないようだ。
ヤマト王国の版図は、北海道以外の日本だと思えば良いらしい。ちなみにタケルからシャンジーが聞いた通りなら、人口は二百万人ほどだそうだ。
現在の日本どころか中世の日本に比べても随分と少ない人口だが、およそ倍の国土を持つメリエンヌ王国でも三百万人だ。したがってヤマト王国の人口密度は、この惑星では高い方なのだろう。
この惑星の国々が少ない人口で高度な文化を維持しているのは、身体強化や魔術があるからだ。
身体強化により、常人でも地球人の一割か二割増し、軍人達などであれば最低でも倍以上の能力を誇る。それに、建築や都市の維持にも魔術や魔道具が使われている。それらの存在が、地球とは違う発展を可能としたわけだ。
そして、ここヤマト王国は、王族など一部とはいえ、それらの能力が更に強められているらしい。獣人族やドワーフの王族は身体能力、エルフや人族の王族は魔力が非常に強いという。その代わり、苦手な部分はそのままらしい。
大王家の王子、つまり人族の王族であるタケルは、魔力は多いようだが体は小さく武人向きではないらしい。おそらく、それも極端に種族特性を強めた結果なのかもしれない。何しろ人族に加護を与えたのは、知恵の神サジェールだ。少なくとも、彼が肉体派ということは無いだろう。
『王家以外は、さほどでも無いのですが……』
アムテリアは、シャンジーに乗って移動する間に、それらのことを教えてくれた。
どういうわけだかサジェールやポヴォールは先刻のやり取り以降、会話に加わってこない。彼らにもやることがあるのか、それともアムテリアに遠慮しているのか。もしかすると、その双方であろうか。
「それらの特別な力が、王家が権力を維持できた理由でしょうか?」
シノブは、思わずアムテリアに質問をする。歴史好きな彼は、日本と良く似た国が異なる道を辿ったことに、興味を惹かれたのだ。
『たぶん、そうなのでしょう……シノブ、岩山の手前に降りてください』
シノブの問いに答えたアムテリアは、続いて彼らに降下するように伝えた。
今シノブ達がいるのは、神域に入ってから1kmほどの場所だ。辺りには濃い神気が漂っており、常人どころか大きな加護を持った者でも近づくことは出来ないだろう。
「あの岩山ですね……」
シノブが光の魔道具で眼下を照らしてみると、そこは今までの森とは違う開けた場所だった。まだ日の出前だから確かではないが、少なく見積もっても200m四方はありそうな草原で、中央には巨大な岩山がある。
どうも、神域の中は外部の森とは植生が異なるようだ。草原を囲む森は、いつの間にか針葉樹ではなくなっていた。それに草原の中に点在する木々も同様だが、様々な種類の木があるらしい。
そんな不思議な草原に相応しいと言うべきか、聳える岩山も神秘を感じさせるものだった。どうも岩山は単一の岩から出来ているらしい。地上に出ている部分だけでも高さ30mで直径もほぼ等しいのだから、途轍もない巨岩というべきであろう。
全体に丸い岩山だが、南側だけは切り立った崖になっている。おそらく、この崖に神像を刻むのだろう。そう思ったシノブは、魔道具で崖の上から下まで照らしてみる。
「母上と……アルフールの姉上?」
シノブは、崖の下に人影を発見した。そこには、空を見上げるアムテリアとアルフールらしい姿があったのだ。
白く光り輝く長衣を纏ったアムテリアの隣には、薄緑色の同じような衣を身に着けた女性が立っている。そして、神像や絵画では森の女神アルフールの衣は緑とされている。したがって、彼女がアルフールで間違いないだろう。
「はい! アルフール様です!」
アミィは、シノブの推測を肯定した。眷属であるアミィは、神界でアルフールを含む従属神とも接していた。その彼女が言うのだから、間違いない。
そしてアミィが答えた直後、シャンジーは神域に降り立った。
「そうか……さあ、行こう!」
シノブは、アミィの手を取って光り輝く虎の背から降りる。二人の前には、良く似た柔らかな笑みを浮かべた女神達がいる。
「やっと直接会えたわね!」
「シノブ、アミィ、よく来ましたね」
アルフールはシノブとアミィを輝く笑みと共に抱きしめる。そしてアムテリアは、緑の衣を纏った女神の隣から、更に手を差し伸べた。
彼女達は良く似た容貌で、髪や瞳の色も似通っていた。どちらも涼やかな目や整った鼻梁の持ち主で、柔らかな笑みを浮かべる口元や白く透き通るような肌も、そっくりだ。
とはいえ、違うところもある。全ての母であるアムテリアが最高神に相応しい落ち着いた雰囲気であるのに対し、アルフールは感情を顕わにしている。それに、同じ金髪でもアルフールはエルフのようなプラチナブロンドで、瞳も青に近い母神とは違い緑が濃い。
「シャンジー、そんなに畏まらなくても良いのですよ」
抱擁を解いたアムテリアは、シャンジーへと歩み寄っていく。そして彼女は屈み込むと、ほっそりとした手で地に伏せたシャンジーの頭を優しく撫でる。
「フォーズも初めはこんな感じだったわね……懐かしいわ」
アルフールも、母神に続き若き光翔虎へと向かう。彼女は、何やら昔を思い出しているようである。
──あ、アルフール様~、お爺さんと会っていたの~?──
体を起こしたシャンジーは、興味深げな思念を発した。アルフールが口にしたフォーズとは、彼の祖父だったのだ。
「ええ、デルフィナ達が貴方の生まれた森に行った時にね。それにパージェとも会ったわよ」
森の女神は、悪戯っぽい笑いと共にシャンジーへと頷く。
デルフィナとは、エルフ達の国デルフィナ共和国を興した女性だ。もちろん、彼女もエルフである。
およそ六百年前、デルフィナは神々の加護を得ようと聖人クリソナと共に光翔虎の棲家に赴いた。そこで二人は、シャンジーの祖父母、つまりフォーズと彼の番パージェに出会ったのだ。
そしてエルフ達を守護し愛し子と呼ぶアルフールは、デルフィナ達の冒険を間近で見ていたそうだ。そもそも試練自体もアルフールが考え、フォーズ達は彼女の指示に従って動いたのだという。
──そうだったのですか~──
「可愛い神獣さん。これからも私の大切な弟を助けてあげてね」
最初は畏まっていたシャンジーだが、親しげなアルフールの様子に、だいぶ気持ちが解れたらしい。彼は尻尾を大きく振りながら、アルフールを見つめている。
「……さてと、これで終わりだ」
「上手くできましたね!」
一方シノブ達は、シャンジーとアルフールが話している間に神像造りを終えていた。
巨大な岩の壁面は、奥に向かって10mほど掘り下げられている。内部は地面より少し高くなっており、聖壇もある。そして一番奥には、アムテリアを中心に七体の神像が並んでいる。
神像の大きさは人の背の十倍近いものだ。しかも、像や聖壇からは土魔術で岩から不純物を取り除いたため、神聖な地に相応しい純白の空間と立像が誕生していた。
「素晴らしい贈り物ですね……とても嬉しいですよ」
「えっ、もう終わっちゃったの!? ……シノブ、どうして私の像が一番外側なの!」
輝く笑顔で謝意を伝えるアムテリアとは違い、アルフールは憤慨していた。
シノブとアミィは、アムテリアの子供である従属神達を長子から末子、つまりニュテス、サジェール、ポヴォール、テッラ、デューネ、アルフールの順に配置したのだ。
神像を並べるときにアムテリアを中心にするのは、どの国でも共通している。ただし従属神達は、自国に縁のある神や特に信奉する神の像を中心に近い方に置く。そのため、アルフールは自身を粗略に扱われたように感じたのだろう。
「シノブ達は、長幼の順に従っただけですよ」
「私も一緒に誕生したのに……」
アルフールは、アムテリアの言葉に納得できなかったようだ。長幼の順というが、アムテリアは従属神達を同時に誕生させたらしい。それなのに末っ子扱いされるのだから、アルフールが悔しがるのも当然かもしれない。
「……そうだ、隣にシノブの像を造っちゃおうかしら?」
「姉上、それは勘弁してください!」
シャルロット達を連れて来たときに、自身の像が神像と並んでいたら。その光景を想像したシノブは、アルフールに縋らんばかりの勢いで頼み込む。それが幸いしたのだろう、シノブの像は建造されずに済んだのであった。
◆ ◆ ◆ ◆
神像からシェロノワに転移できることを確認したシノブ達は、神域を去ろうとする。しかし、アルフールが彼らを呼び止める。
「シノブ、お土産よ!」
アルフールは、宙からラグビーボールのような形のものを二つ取り出した。オレンジ色に近いそれは、どうやら何かの実のようだ。長さが50cm近い実は、大きな瓜か何かのようにも見える。もっとも瓜にしては随分巨大であり、仮に瓜の仲間に例えるなら極端に縦長にしたカボチャというべきかもしれない。
「結構重たいですね……それに硬いな……姉上、これは何なのですか?」
「まさか、これは……」
シノブは、アルフールから渡された実を眺めつつ呟いた。その隣ではアミィが巨大な実を手にしつつ、驚きの表情で森の女神を見つめている。
「アミィは気が付いたようね……そうよ、これはカカオの実なの! セレスティーヌが欲しがっていたでしょ!」
アルフールは、得意げな笑顔で実の正体を告げる。何と彼女が取り出したのはカカオの実、つまりカカオポッドだったのだ。もしかすると、彼女はこれを渡すために姿を現したのだろうか。
「ですがアルフール様、随分と大きいようですが……確かカカオポッドは、大きくても長軸が30cmほどだったかと……」
どうやらアミィは、シノブのスマホから得た情報で地球のカカオについて確かめたようだ。
アミィはシノブのスマホに入っていた情報を引き継いでいる。とはいえ普段から全てを記憶しているわけではなく、必要に応じて取り出すことが出来るらしい。
「ええ! これは神域特製の巨大カカオ、名付けて『カカオッキーナの実』よ! 大きいけど皮は薄めで種子も沢山入っているから、チョコレートも沢山出来るわよ! それに、少し寒い場所でも育つの!」
アルフールは満面に笑みを浮かべ、自身の作品について語る。森の女神だけあって、植物に対する愛情というか熱意は並々ならぬものがあるようだ。
シノブはエルフのソティオスやファリオスを思い出す。彼らも農作物に関しては非常に詳しく、異常とも言えるほどの情熱を示す。もしかすると、それらはアルフールの影響なのかもしれない。そのことに思い当たったシノブは、内心苦笑してしまう。
「その……『カカオッキーナの実』ですか……」
「良い名でしょ?」
アミィは躊躇い気味であったが、アルフールは気が付かなかったのだろうか。
シノブも独特なネーミングセンスだと思ったが、これまたファリオスのことを思い出す。彼も新たに作成した隠蔽の魔道具に『隠蔽ダー』と命名しようとしたからだ。
ファリオスによれば、そういう命名はエルフの伝統であり建国の英雄デルフィナや聖人クリソナも、そのような名前を好んだという。どうやら、それはアルフールの影響だったようだ。
「そうですね。大きなカカオに相応しい名だと思います」
シノブの言葉に、アムテリアが楽しげな笑みを浮かべている。彼女は人の心が読めるから、シノブが内心でどう思っているか承知している筈だ。
ちなみに、アルフールがシノブとアミィの心の内を察した様子はない。その辺りは、最高神であるアムテリアと従属神達の差なのかもしれない。
「姉上、ありがとうございます。アミィ、どうするかは任せるよ」
シノブはアルフールに感謝の言葉を伝えるが、具体的にどうするかはアミィに頼ることにした。
仮にシノブが知っている通りなら、カカオからチョコレートが出来るまでは随分と面倒な工程がある筈だ。カカオの種子の発酵から始まり、不要なものを取り除いたり細かく砕いたりした後に焙煎し、更に磨り潰し必要なものを混ぜ、と様々な過程を経て、やっとチョコレートになる。
アミィなら多くの工程に魔術を使うだろうが、それでも大変なことには違いない。
「はい! ところでアルフール様、この実はこの近くで採れるのですか?」
幸いにも、アミィには自信があるようだ。彼女は製法についてではなく、実が採れる場所をアルフールに訊ねた。
「そうよ、この神域で採れるの! 今は暗くて見えづらいけど、ここには色んな木があるのよ!」
「アルフールが育ててくれるのです。ですから、採り尽くさない程度なら使って構いません。そして、ゆくゆくは上手く合う土地を見つけて、そこで栽培すると良いでしょう」
自慢げなアルフールに続いたのは、アムテリアだ。
カカオを種から育てて実がなるまでにするには、何年も掛かる。とはいえ、広く流通させるなら神域だけに頼るわけにもいかないだろう。それを思ったシノブは、深く頷きながら聞いていた。
──シノブの兄貴~。タケルのところに行かなくて良いのですか~?──
そんな中、カカオに全く興味を示さない者がいた。それは、光翔虎のシャンジーである。
光翔虎や竜は、魔力を魔獣から得るか周囲から直接吸収して生きている。つまり、シャンジーは植物を食べ物として見てはいないのだ。
そのためシャンジーはシノブ達とは違い、本来の目的を忘れなかったらしい。
「そ、そうだね! ともかく、一度タケルの話を聞こう!」
「そうでした!」
シノブとアミィは、顔を見合わせながら苦笑した。そんな二人を、女神達は優しい視線で見守っている。
思わぬことで時間を使ったが、まだ夜明けには時間がある。今からタケルのいる村に向かえば、日の出には充分間に合う。
とはいえ、これ以上ゆっくりするわけにはいかない。シノブとアミィは、慌ただしくアムテリア達に別れを告げるとシャンジーの背に収まった。そして若き光翔虎は、夜明け前の空に舞い上がる。
女神達に見送られ、シノブとアミィを乗せたシャンジーは南南東に向かって飛翔していく。シャンジーの左側、東の空は僅かに明るくなり、神域の全容がうっすらと見て取れる。
アムテリア達に手を振りながら、シノブは雄大な自然を眺めていた。澄んだ空気に豊かな木々。峻厳な山々からは清らかな水が生まれ出て、川となって海に向かっている。
白み始める東の空を見つめながら、シノブは故郷と似た地に懐かしさのような不思議な感覚を抱いていた。やはり、自分はこの地に関わりたいのだろう。シノブは、そう思ってしまう。
もちろんシャルロット達のいるエウレア地方を捨てるつもりは無い。だが、日本に似たヤマトに災いがあるのなら、それを取り除きたい。そして、タケルに力を貸すことが自身の願いを叶える道ではないだろうか。確たる理由は無いのだが、シノブはそんな気がしていた。
「シャンジー、タケルの話を聞かせてくれ! どうして彼は竜退治をすることになったんだ!?」
何故タケルが竜を退治しなくてはならないのか。改めて疑問に思ったシノブは、シャンジーに話の続きをと促した。
──わかりました~! 実は、あの後ですね~──
それは同じ名を持ちながら対照的な二人、大和健琉と熊祖武流の話だ。シャンジーは、ヤマト王国の大王家の王子と筑紫の島の王の邂逅がどうなったかを、明けていく空を飛びながらシノブとアミィに語っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年3月30日17時の更新となります。