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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第16章 異郷の神の裔
370/745

16.12 タケル対タケル

 シノブは大和(やまと)健琉(たける)ことタケルを助けたかった。

 これが理屈ではなく感情に起因する行動だと、シノブも充分に承知している。しかし、それだけに湧き上がった思いを消すことは難しかった。


 タケルはヤマト王国の第二王子で、ヤマト王国は地球で言う日本に相当する地域だ。そのため、タケルの容貌も東洋系であった。ありていに言えば、彼は日本人に酷似しているのだ。

 シノブの心が動いた理由は他にもある。タケルは小柄な少年で、神域に行くためか巫女のような衣装を着け、黒髪を長く後ろに垂らしていた。どうも、それらがシノブに妹の絵美(えみ)を思い出させたようだ。


 何しろタケルと会ったとき、シノブは日本から帰還した直後であった。つまり両親や妹と別れたシノブは、間を置かずタケルと遭遇したのだ。

 別にタケルが絵美とそっくりというわけではない。とはいえ同じ東洋系で、しかも年齢もタケルが一つ上なだけだ。おまけにシノブやシャンジーが間違えたように、一見すると彼は女性にしか見えない。そのため、シノブがタケルと絵美を重ねても無理はなかろう。


 そしてタケルは、詳細は不明だが竜退治に赴くという。そこでシノブはヤマト王国に行き、向こうに残したシャンジーから詳細を聞くことにした。

 現状では、ヤマト王国への移動には魔法の家を使うしかない。それ(ゆえ)シノブ達は庭の訓練場に向かうべく館の中を移動していく。


「済まないね……」


 シノブは、隣を歩むシャルロットへと憂いの滲む声で語りかけた。

 確かにタケルやヤマト王国は気になるが、帰還した翌日に家族を置いて出かける理由としては弱かった。そのためシノブが、妻や家族に申し訳なく思うのは、当然であろう。


「貴方の故郷に良く似た場所です。気になるのも無理はありません」


 エントランスホールへと向かう階段を降りながら、シャルロットはシノブに微笑み返す。そして彼女は、自身を導く夫の手を優しく握り返した。

 シャルロットの手には、普段示す愛情に加え更なる何かが存在するようだ。そのため、シノブの顔にも笑みが戻る。


 シャルロットは、シノブが日本に似た地に興味を示すのは当然だと思ったようだ。

 それはシノブの望郷の念(ゆえ)であり、一種の代償行為だと言える。そのためシャルロットは、理屈に寄らぬ夫の行動を受け入れたのだろう。


 ミュリエルやセレスティーヌ、そしてアミィやアルメルなども同じらしい。彼女達も、優しさが滲む笑みを浮かべている。

 シノブが本当の故郷に行くことは難しい。もしかすると、シノブが更なる能力を身に付ければ神々のように地球を眺めることも可能かもしれないが、現在の彼には無理である。それに、もしシノブが神々と同じになったら、そのときは彼が地上を去るときかもしれない。

 おそらくシャルロットも含め、そう考えているのだろう。多くを語らないシャルロットと、黙したままのミュリエル達からは、そんな複雑な感情が伝わってくるようであった。


「シノブ様。状況次第ですが、シャルロット様やミュリエルを伴われては如何(いかが)でしょうか? 今日は遅いですし向こうは零時も回ったとのことですが、明日以降でしたら……」


 アルメルは、シャルロットや自身の孫娘を連れて行っては、と微笑みながら提案する。やはり、彼女もシノブを気遣っているのだろう。


「しかし……」


 シノブは階段を降りきったところで足を()め、後ろを振り向いた。

 日本に似た場所で家族と共に過ごすのは、シノブにとって魅力なことだ。しかし彼は、1万km近くも遠方にシャルロット達を連れていって良いのだろうかと、躊躇(ちゅうちょ)する。


「もちろん、安全な場所と確認されたらのことです。向こうにいる竜が、どんな竜かもわかりませんし。ですが諸々が片付いたなら……それにシャルロット様にも、ご不在の埋め合わせをすべきだと思いますよ」


 一応条件を付けはしたが、アルメルの顔は優しく綻んだままだ。そして彼女は、冗談めいた口調でシャルロットのために、と付け加える。

 どうやらアルメルは、単にシノブに保養を勧めるより、身篭った妻への(ねぎら)いのため、と言った方が受け入れられると思ったようだ。一応は進言の形ではあるが、彼女の声からは忙しい子供に休暇を勧める親のような思いやりが感じられる。


「ありがとうございます。考えておきます」


 シノブは、アルメルに頭を下げた。彼女がフライユ伯爵家の年長者として、若い自分を案じていると察したからだ。


「シノブ様なら、絶対大丈夫ですわ!」


「はい! 楽しみに待っていますね!」


 セレスティーヌとミュリエルは、それぞれシノブとシャルロットの手を取った。

 二人の顔には家族旅行への期待もある。しかしシノブと共に居たい、彼が喜ぶ姿が見たいという思いの方が大きいのだろう。どちらの声も、単なる外出を歓迎する以上の温かな感情が滲んでいた。


「シノブ様、ますます楽しみになりましたね! さあ、行きましょう!」


 アミィもミュリエルと手を繋ぐ。そしてシノブ達五人は、手を取り合ったまま笑顔で館の庭へと歩み出て行った。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 訓練場に着いたシノブ達は、狩りや飛翔の訓練から戻ったオルムル達と出くわした。オルムル達は、訓練場の一角にシノブが造った岩屋に入るところだったのだ。


 この日は炎竜のイジェと光翔虎のメイニーが引率し、フライユ伯爵領の北方にある魔獣の領域に行ったという。二頭が世話する子供達は、岩竜がオルムルとファーヴ、炎竜がシュメイ、そして海竜のリタンに光翔虎のフェイニーである。

 以前とは違い、イジェやメイニーも小さくなる腕輪を授かったため、全てが岩屋に入ることが可能だ。そこでシノブが就寝するまでは、全てが岩屋の中で集い語らうことが多いらしい。

 そしてシノブが就寝する時間になると、子供達は彼のベッドに潜り込む。オルムル達にとって、シノブの魔力は最高の栄養源であり、もっとも効率よく成長できるからだ。


──シノブさん、絶対ですよ!──


「ああ、安全だと確かめたら、君達も誘うから」


 シノブは、小さくなって肩に乗るオルムルを優しく撫でる。すると、猫ほどの大きさになったオルムルは、シノブの頭に、自身の顔を擦り付ける。


 シノブは、同行を願うオルムル達を、やっとのことで説き伏せた。

 これからシノブ達の向かう筑紫(つくし)の島、日本でいう九州に相当する地域の領主は、竜退治を望んでいるという。そんなところにオルムル達を伴うのは危険だとシノブは考えたのだ。


──私は行っても良いと思うけど~。ミリィさんから教えてもらった『ヤマトの諸君』に会ってみたいです~──


 フェイニーは、何やら残念そうである。どうも、彼女はミリィからヤマト王国について何か聞いていたようだ。

 ミリィはアムテリアの眷属の一つである金鵄(きんし)族だ。したがって、彼女はエウレア地方以外の国も知っている。とはいえ、地球の物事に妙に詳しいミリィの言うことだ。彼女が言う『ヤマト』がヤマト王国という保証は無い。そのためシノブとアミィの顔には、苦笑が浮かんでいる。


──フェイニー、皆に悪いでしょ──


 フェイニーの思念に、彼女を背に乗せているメイニーが応じる。メイニーが普通の虎くらいで、フェイニーはオルムル同様に猫くらいになって乗っているのだ。


──は~い。でも、シャンジー兄さんは良いなぁ~──


 姉貴分に留められたフェイニーは、残念そうな思念を発している。

 同じ光翔虎のシャンジーは神獣として受け入れられたようだ。シノブもタケルが彼を敬う姿を見た。それにシャンジーの(ふみ)の通りなら、筑紫(つくし)の島の領主達も彼を神獣と認めたらしい。

 そのためフェイニーやメイニーなら危険は無いと思われるが、二頭は竜達に遠慮したようだ。


──フェイニーさん、抜け駆けはダメです!──


──そうですよ!──


──私達だって、一緒に行きたいのですから──


 こちらは、シュメイとファーヴ、それにリタンだ。

 ファーヴはオルムルと同じくシノブの肩に、そしてシュメイとリタンはアミィの腕の中に収まっている。この三頭も、つい先ほどまではオルムルと同様に同行をねだっていたのだ。


「まずはシャンジーさんの話を聞いてからです。それに、転移の神像を造ったら一度は戻りますから」


 アミィは、メイニーの背にシュメイとリタンを置きながら笑いかける。

 シノブとアミィはシャンジーの話を聞いたら一旦は戻る。その約束があるから、オルムル達は大人しくしているわけだ。


「イジェ、皆を頼むよ」


 シノブもオルムルとファーヴをメイニーの背に降ろし、続いて隣のイジェに顔を向ける。今のイジェは人間の大人を一回り大きくしたくらいだから、シノブは少しばかり見上げながら彼女に語りかけていた。


──お任せください。子供達、そしてここに住む者達は私が守ります──


 イジェは、静かな思念をシノブに返す。

 シノブは自身が不在中のシェロノワを、イジェとメイニーに託した。アルマン島から消え去ったまま行方知れずの異神達が、家族や友人を狙うかもと案じたのだ。

 もちろん二頭だけでは異神達に勝てないが、シノブを呼び寄せる間くらいは充分に持つ。そのため今日のところはシノブとアミィだけでヤマト王国に行くことにしたのだ。


「シノブ様、準備が出来ました!」


「ありがとう。それじゃ皆、行ってくるよ!」


 アミィは魔法の家を展開し、扉を開けてシノブを待っている。

 ヤマト王国では、シャンジーが呼び寄せるべく待ち構えている。これ以上、彼を待たせるのも可哀想だろう。そこでシノブも手短に別れを伝え、魔法の家へと歩んでいった。


「無事なお帰り、お待ちしています」


 シャルロットの言葉に、シノブはもう一度だけ自身の妻へと視線を向けた。

 やっと夫が戻ってきたのだ。シャルロットも本心ではシノブに居てほしい筈だ。しかし彼女は、信頼の笑みでシノブを見送ろうとしている。

 なるべく早く帰ってこよう。シノブは、固い決意と共にシャルロットへと頷き返し、魔法の家の中に入っていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──シノブの兄貴~、アミィ殿~。すみません~!──


 魔法の家を出たシノブとアミィが目にしたのは、神妙そうに腰を落として畏まるシャンジーであった。彼はシノブ達に向かって深々と頭を下げている。


「いや、君だけに任せて悪かった。それに、色々教えてくれてありがとう。助かったよ」


 シノブは、シャンジーの頭を撫でつつ応じた。今のシャンジーは普通の虎くらいに大きさを変えている。そのため、シノブが撫でるのも容易である。


 魔法の家が転移したのは、深い森の中であった。シャンジーによれば、タケル達がいる村から10kmほど離れた場所らしい。

 シェロノワとヤマト王国の間には8時間の時差がある。そのためシェロノワは夕食時でも、ここ筑紫(つくし)の島は午前三時であった。当然ながら、タケルや彼の家臣も就寝している。

 もっとも、タケル達は零時近くまで歩き続けていたらしい。ヤマト王国にも灯りの魔道具があるそうだが、それにしても随分な強行軍である。今頃彼らは、深い眠りに就いているだろう。


──だから、離れていても大丈夫です~。明日も早いって言っていたけど、日の出までは村に居るそうです~。ボクは狩りに行くからって抜けてきました~──


 シャンジーは、かなりタケルと仲が良くなったようだ。それに、信頼もされているらしい。したがって、彼を残してタケル達が旅立つことは無いという。


「そうか……ともかく、まずは転移の神像を造ろうと思うんだ。このままだと、誰か一人はこっちに居ないといけないからね」


 アミィの勧めもあり、シノブは竜や光翔虎達の棲家(すみか)と同様の神像を造るつもりであった。これは神官達も使えない、シノブやアミィ達眷属、それに竜や光翔虎だけが使える転移の場だ。


──神像ですか~。どこに造るんですか~?──


「あの神域の近くにしようと思う。だから、まずはそこまで行こう」


 首を傾げつつ問いかけるシャンジーに、シノブは微笑みながら答えた。シノブがこの世界に戻った場所は、深い山中らしい。そこなら来る人も少ないだろうとシノブは思ったのだ。


「シノブ様、準備が出来ました!」


 シノブ達が話している間に、アミィは魔法の家をカードに変えてカバンに仕舞っていた。

 ちなみに、ここは神域から南南東に60km少々のところらしい。シャンジーなら、一時間もあれば充分往復できる距離である。


「それじゃ行こうか。シャンジー、案内を頼むよ」


──はい、兄貴~。さあ、乗ってください~!──


 シャンジーに促され、シノブは彼の背に収まる。そしてアミィも、シノブの後ろに飛び乗った。

 シノブも重力魔術で飛翔できるが、シャンジーに乗っていれば彼の姿消しの技で周囲から見えなくなる。それに、普段から飛翔している光翔虎達は、位置感覚にも優れており安心して任せられる。

 まだ百歳で成獣の半分しか生きていないシャンジーでも、その辺りは親達と同じだ。そのため彼は宙に舞い上がると、真っ暗闇にも関わらず迷う様子も無く方向を定め、猛烈な速度で飛び始めた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 神域の近くでシノブと別れた後、タケルとシャンジーは南東に向かって山を降ったという。そして彼らは、山の(ふもと)でタケルの家臣達と合流し、更に同じ方向に進んだそうだ。

 タケルの家臣は五人で、彼らも全員人族であった。どうも、ヤマト王国は種族ごとに集まって暮らしているらしい。


「そうか……ヤマトの大王(おおきみ)が治める地が人族で、ここ筑紫(つくし)の島が獣人族、それで伊予(いよ)の島がエルフ、秋津(あきつ)の島の北がドワーフか」


 シノブは、シャンジーの背の上でヤマト王国について教わっていた。シャンジーの『アマノ式伝達法』による(ふみ)には概略しか書いていなかった。文字で地理情報を伝えるのは難しいから、仕方の無いことである。

 それに、優先すべきはタケルの現状や彼が竜退治に赴くことになった件だ。そのためシャンジーは、タケルや家臣から聞いたことの半分も記していなかった。

 だが、こうして直接聞くとシャンジーは様々なことをタケルから聞いていた。やはり、シノブ達が来て良かったようだ。


「そうなっていたとは知りませんでした。三人の王が治めるのは、日本で言う九州、四国、それに東北地方ですか」


 シノブに続き、アミィが苦笑した。

 アミィは、シャンジーの手前に半透明の日本地図の幻影を出した。すると、それを見たシャンジーは、タケルが見せたヤマト王国の地図にそっくりだと答えたのだ。

 どうも、ヤマト王国はエウレア地方よりも更に地球に忠実な地理となっているらしい。もしかすると、神々は故郷を再現しようと務めたのだろうか。


 ともかく、シノブとしては日本と似ているなら大いに助かる。

 ヤマト大王家が治める地は、日本で言う中国地方から関東に信州、北陸辺りまでのようだ。そこが人族の住む地で、ここ九州に相当する場所が獣人族、四国に当たるところがエルフ、東北がドワーフだ。シノブにすれば日本の地理と結びつければ良いので、実にイメージしやすい。


──完全に別々でもないらしいです~。ここにも人族は少しだけどいました~。でも、だいたいそんな感じだそうです~──


 シャンジーによれば、種族ごとで完全に住み分けているのでもないらしい。とはいえ、それぞれの王家は彼が伝えた通りの種族だという。


「すると、ここの王……クマソ・タケルだっけ? 彼も獣人族なんだ?」


──はい~。熊の獣人でした~。だから名前も熊なのだと思います~──


 シノブの問いかけに、シャンジーは相変わらずの暢気(のんき)な口調で答える。

 シャンジーが送ってきた手紙には、筑紫(つくし)の島の王の名も記されていた。シノブが言うクマソ・タケルがそれである。


「そうか……本当に熊の獣人だったんだ」


 手紙を読んだため、シノブもこの地の王の名前は知っていた。しかし彼は、日本の歴史に存在した『熊襲』に由来するのではと考えていた。そのため、少しばかり驚いたような呟きを漏らしてしまう。


──えっとですね~。字は動物の『熊』に先祖の『祖』、そして武人の『武』に流れるの『流』だそうです~。タケルが教えてくれました~──


 シノブが興味を示したせいか、シャンジーは詳しく語りだす。

 熊祖(くまそ)武流(たける)が住んでいるのは、筑紫(つくし)の島の東海岸に近い都市ヒムカだという。日本であれば宮崎県の中部から若干北という辺りか。

 ヒムカは人口三万人だそうだ。メリエンヌ王国であれば、中程度か小さめの伯爵領の領都くらいの規模である。もっとも筑紫(つくし)の島の面積は小規模の伯爵領と同程度だから、規模としては領地相応と言うべきだろう。

 日本に似た国らしく、ヒムカの建物は木造である。しかし王の住居は立派なもので、平屋だがエウレア地方の宮殿に匹敵する巨大さだという。シャンジーが見たところ、宮殿全体の敷地は一辺300mもあるそうだ。


「シャンジーも会ったんだ?」


──はい~。ボクは神獣だから、王様に会って良いそうです~──


 シノブの問いに、シャンジーは得意げに答える。

 光翔虎は、エウレア地方の南方王国では聖獣として崇められる存在だ。だが、シャンジーが神獣と嬉しげに言うのは、シノブの弟分だからのようだ。シノブはアムテリアから息子と呼ばれる存在で、その彼に仕える自分は、正に神の獣だと言いたいのだろう。


──王様は大男でした~。たぶん2mはあります~──


 シャンジーによれば、クマソ・タケルは大宮殿の主に相応しい巨漢のようだ。しかしシノブは、タケルが小柄な少年であったため、ヤマト王国の人は日本人と同じような体格だと思っていた。そのため、彼は少々意外に感じてしまう。


筑紫(つくし)の島の獣人は、大柄な人ばかりなの?」


 シノブの脳裏には、極めて大柄な熊の獣人達が浮かんでいた。

 転移したのが深夜であったため、シノブとアミィはヤマト王国の人々と会わないままである。そのため、シノブにとってヤマト王国は、(いま)だ謎多き国である。


──いいえ~。あのオジサンは特別みたいですよ~。そうそう、怒りっぽいのも特別でした~──


 シャンジーは、彼にしては珍しく苦笑気味の思念を発していた。

 クマソ・タケルは、シャンジーからすれば少々粗暴な男であったようだ。武術には秀でているようだが、あまり思慮深い人物ではないらしい。彼は、ヤマト王国の王子であるタケルに、随分な暴言を吐いたという。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……お前がヤマトの王子か?」


 板敷きの大広間の奥から、野太い男の声が響く。そこには、巨大な漆塗りの玉座に座った巨体の熊の獣人がいる。そう、彼こそが熊祖(くまそ)武流(たける)である。

 クマソ・タケルは玉座の左右から下手へと、大勢の家臣を従えている。彼らも熊や狼、それに狐の獣人などだ。なお、彼らは王のような大男ではない。


 そして、玉座の前には一人の若者と巨大な虎が並んでいる。もちろん、ヤマト王国の王子タケルと、光翔虎のシャンジーだ。

 タケルの背後には彼の家臣も控えている。大広間にいる者のうち、彼ら五人とタケルだけが人族だ。


 ここは、筑紫(つくし)の島の王都日向(ひむか)の北にある宮殿、熊祖(くまそ)大内裏(だいだいり)大極殿(だいごくでん)だ。

 もっともヤマト王国では、漢字で人や都市の名称を記すことは通常ない。それらは、いうなれば真名として伏せられ、通常はカタカナで表記するのだ。そのため、一般の文書には『ツクシの島の王都ヒムカ』や『クマソの大内裏(だいだいり)』と記されるし、そこに座す王もクマソ・タケルと書き表される。


 実は、ヤマト王国も正しくは大和王国なのだが、真の名を記すことは無い。これは、ヤマト王国では正しい名には力が宿るとされているからだ。

 これらは、当然神々の呼び方にも影響していた。神々ともなれば、真の名は口にするのも畏れ多い。そのためヤマト王国では、神々に対し他とは違う呼び方をしている。


「随分と小柄だな」


 クマソ・タケルの態度は大王家の王子に対するものではなかった。何しろ最初の呼びかけが『お前』だ。それに、敬語も使っていない。

 ヤマト王国は大王(おおきみ)が統べる国だ。クマソ・タケルは、大王(おおきみ)に従う王に過ぎない。つまり、他の国で言えば公爵や伯爵などに相当する大貴族である。

 タケルこと大和(やまと)健琉(たける)は、第二王子で跡継ぎではない。とはいえ、エウレア地方の国で言えば上級貴族の当主が王子を下に見たようなものだ。

 そのためだろう、タケルの家臣、つまりヤマト大王家から来た者達の顔は、強い怒りに彩られていた。


「まだ、成長途中ですので」


 タケルは、一国の王子に相応しい凛とした声音(こわね)で答える。

 今日のタケルは巫女のような服ではなく、ヤマト王国の男性王族の正装であった。彼の白く輝く衣装は、敢えて言えば平安時代の公家などが着た直衣(のうし)に似ている。

 とはいえ日本の公家装束とは違うところもある。タケルは後ろに長い裾を垂らしてはいないし、冠も折烏帽子(おりえぼし)のような小さなものだ。それに、彼の腰には二振りの剣がある。


 いずれにしても、このように立派な男性貴人の装束を身に着け、髪も元結(もとゆい)(まと)めたタケルを、先日のように女性に見間違うことは無いだろう。もっとも今は凛々しい表情に助けられているが、柔らかな笑みでも漏らせば、男装している少女のように見えるかもしれない。


「ですが、私も大王(おおきみ)に連なる者。体は小さくとも神々のお言葉を聞き、その命を受けて働くことは出来ます」


 タケルは、自身の隣にいるシャンジーへと僅かに視線を動かす。

 シャンジーは、通常の虎の倍ほどの大きさになっていた。元々白銀の光に包まれた彼だが、それに加えての巨体である。正に神獣というべき威容であった。


「ふん……神々の威を借りるなど……」


 クマソ・タケルは、紫色の衣に包まれた腕を動かし、髭を撫でようとする。彼は、熊の獣人に良くある茶色の髪を長く伸ばしているのだが、頬や顎も同じく長い髭で覆っていたのだ。

 しかしクマソ・タケルの手が、自身の髭に届くことは無かった。彼の言葉を打ち消すように、シャンジーが(とどろ)咆哮(ほうこう)を発したからだ。


「ひぃいっ!」


「お、お許しを!」


 玉座の左右にいた文官達は、身を屈めたり頭を抱えたりしながら情けない叫びを上げていた。しかも居並ぶ武人達も、身動きこそしないものの顔は蒼白となっている。


 普段は穏やかな若き光翔虎も、知らない人々からすれば恐ろしげな巨獣である。そして王の戯れ言を(とが)めるようなシャンジーの一喝は、彼が聖獣と呼ぶに相応しい存在だと端的に示していた。


「くっ……ところでタケル殿。ヤマト王国の王子であれば、証はお持ちなのだろうな?」


 流石にクマソ・タケルもシャンジーと事を構えるつもりは無いらしい。彼は髭を撫でようとしていた手を玉座の肘掛けに下ろし、口調も改めながらタケルに問いかけた。


「……ええ」


 対するタケルと家臣の顔は曇りがちであった。その理由は、すぐに明らかになる。


「そ、その剣は! 折れているではないか!」


 クマソ・タケルは大笑いしながら、肘掛けを叩いていた。それに彼の家臣達も、先ほどの報復とばかりに主に和している。


 タケルの持っていた小剣は、シノブに襲い掛かろうとした森林大猪が折ってしまった。そのためシノブは魔法の小剣を彼に与えたが、元々持っていた小剣は王子だと証明する品でもあったのだ。したがって折れた小剣を見つけたとき、タケルが嘆いたのも無理はない。


「主は神々の試練を受けたとき、剣を折ってしまわれたのです! それに神々からは、もっと素晴らしい剣を授かっています!」


 タケルの背後から、家臣の一人が弁明をする。しかし彼の言葉は、思わぬ事態を引き起こすこととなる。


「何と……神剣を? タケル殿、見せてもらって良いだろうか?」


「こちらです」


 タケルは王子の証である剣を収め、代わりに魔法の小剣を抜き放った。そして彼は、自身の目の前に剣を掲げてみせる。


「素晴らしい輝きだ! ……タケル殿、切れ味を見せてくれまいか。そうだな……お前、槍を貸せ!」


 玉座から立ち上がったクマソ・タケルは家臣から槍をもぎ取ると、近侍が捧げ持つ大剣を抜いて穂先を切り飛ばした。そして再び玉座に座った彼は、別の近侍を顎で促す。

 近侍が持ってくる棒は、木製ではあるがかなり太い。そのため少女のように小柄なタケルが両断できるか(いぶか)しんだのだろう、クマソ・タケルの家臣達は何事かを(ささや)いている。


伊久沙(いくさ)、お前が持て」


 タケルは、先ほど弁明した家臣を指名した。彼は五人の家臣の中で一番大柄な男だ。


「はっ!」


 イクサという家臣は、近侍から棒を受け取った。そして彼は、タケルの前に棒を(かざ)す。


「おおっ!」


 大極殿(だいごくでん)に集った者達は見た。タケルが何気なしに剣を一閃、二閃と振ると、棒が糸か何かのように簡単に断ち切られるのを。


「これは……」


 クマソ・タケルが唸るのも無理はない。

 ヤマト王国の王子の剣筋は、本来なら棒を切り落とすような力強いものでは無かった。だが、棒の先は幾つかに寸断され床に転がっている。それは、剣が常識外れの切れ味を持っていることを証明していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──あっ、神域の近くですね~──


 ヤマト・タケルとクマソ・タケルの邂逅を語っていたシャンジーは、唐突に話を終わりにした。彼が言うように、目的地が目の前に迫っていたからだ。


「そうか……なら、続きは後で聞こう」


 ちょうど良いところに差し掛かったのに、と思ったシノブは苦笑いをする。

 今まで聞いたところまでに、タケルが竜退治に出かける羽目になった経緯は含まれていない。そのため、シノブは先を聞きたかったのだ。


──兄貴に楽しんでもらえるよう、頑張ります~。そうだ~、タケルが熊男をやっつけたことにしようかな~──


 シャンジーは暢気(のんき)な思念を発したが、その内容はシノブ達にとって驚くべきものであった。何と若き光翔虎は、創作を思わせる発言をしたのだ。


「シャンジー! 今までの話、本当にあった事だよね!?」


「シャンジーさん!?」


 シャンジーの思念を聞いたシノブとアミィは、思わず叫び声を上げていた。

 シノブは事実のつもりで聞いていたが、シャンジーの創作だったのだろうか。シャンジーの無邪気とも言える思念は、シノブに大きな衝撃を与えていた。


──今までは本当ですよ~──


 どうやら、シャンジーは冗談を言っただけらしい。急降下する彼の思念は、今までと変わらぬ落ち着いたものだ。


「そ、そうか……」


「シャンジーさんったら……」


 安心したシノブは、後ろのアミィへと振り返った。そこには、彼自身と同じく苦笑した少女の顔がある。

 互いの顔を見ていた二人は、暫しの後に声を立てて笑ってしまう。そして二人と一頭は、僅かに神気が漂う大地に温かな笑い声と共に、舞い降りていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年3月28日17時の更新となります。


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