16.10 女神の声
創世暦1001年5月初め、エウレア地方は西の島国を除いて平穏であった。
大陸の諸国、メリエンヌ王国および旧帝国領、ヴォーリ連合国、カンビーニ王国、ガルゴン王国、そしてデルフィナ共和国。これらの国は先月半ばに結成したアマノ同盟により一層親密となり、交易に人材交流、そして教育などが今まで以上に活発に行われている。
唯一の不安は同盟の盟主であるシノブの不在であったが、それも彼が帰還したことで解消される。帰還は各国の要人が持つ通信筒に、そして順調に各地に広まりつつある魔力無線で諸国に伝わり、その日の内に多くの者が知ることとなった。
シノブが戻った翌日、彼の下に各国の指導者達は再び集い祝杯を挙げた。それは、人々に新たな時代の始まりを予感させる光景であった。
残る西の島国も、ある意味で新時代に突入していた。
アルマン王国は二つの島、南のアルマン島と北のブロアート島で構成されていたが、四月の末に二国に分裂した。北のブロアート島を島最大の都市の領主であるベイリアル公爵が纏め、ベイリアル公国の誕生を宣したのだ。
とはいえベイリアル公爵の力だけで独立が成ったわけではない。アマノ同盟軍が彼を支え、ブロアート島からアルマン王国軍を追い払ったのだ。
アマノ同盟としては、この件を早く終息させたい。何しろ包囲網を形成するのも一苦労だ。そこでベイリアル公爵を擁立し彼と協定を結ぶことで、ブロアート島を自軍の寄港地にしたわけだ。
アルマン王国には、再び異神が現れるかもしれない。異神はアルマン王国の王族達に憑依した。そのためアミィやホリィなどの眷属は、異神が王族の意識に影響され彼らの国に執着する可能性があると睨んでいた。
そうであれば、至近に拠点があり味方の勢力圏があるのは非常に大きな利点である。それに北半分に異神が現れたなら、すぐに対処が出来る。もっとも王族の意識に影響されたのなら、異神達はアルマン島に出現するだろうが。
なお、ベイリアル公国とアマノ同盟は、今は亡きグレゴマンが西の村人達の命を奪い魔力を吸っていたことを、アルマン島に住む者達へと伝えた。ベイリアル公国は伝手を使ってアルマン島の者に働きかけ、シノブ達も光翔虎に頼み各地に告発文を記した杭を打った。
これらはグレゴマンと彼を魔術局長としたマクドロン親子の非道を訴え、動揺を誘おうためだ。しかし今のところ、アルマン島に大きな変化は見られない。
「南部は相変わらず軍務卿達を支持していますか」
「ええ。忌々しいですが奴らの統率力だけは……いや、これも隷属故か……」
シノブの問いに答えたのは、ベイリアル公爵ジェイラスである。彼の国ベイリアル公国は、まだ同盟への正式な加入を認められてはいないが、準構成国として扱われている。そのため、彼もシェロノワに招かれていたのだ。
ブロアート島には、シメオンやマティアス、イヴァールにエルフのソティオス、更に諜報担当としてアルバーノなどもいる。もちろん、彼らの部下や各国の軍も同様だ。
ブロアート島の各都市や要所には、アマノ同盟軍も守り手として加わり、海上は彼らの艦隊が固めている。そのため、公爵が出国しても何の問題もない。
ブロアート島とはシメオン達の通信筒で連絡が出来るし、魔法の家を使えば移動も一瞬だ。また、今日の午後には神殿での転移が可能となるよう、アムテリアに願うことになっている。したがって、シノブと公爵は、双方とも落ち着いた様子で会話を続けていた。
「アデレシア様、お父上達は大丈夫です。こう言っては何ですが、お父上達は大事な依り代なのですから」
シノブの隣では、シャルロットがアルマン王国の王女アデレシアを慰めている。
シャルロットは邪神などの刺激的な言葉を使わないようにしながらも、相手にとって王族達が欠かせぬ存在であり、それ故大切にされると王女に説いていた。真面目なシャルロットだけに、上辺だけの慰めの言葉よりは事実を交えつつ話した方が良いと思ったのだろう。
「はい……そうですね!」
悲しげな顔で俯いていたアデレシアだが、シャルロットの思いやる気持ちが通じたようだ。彼女は、微笑みを浮かべ顔を上げる。
「良い奥方をお持ちですな……初めてお会いしたときには戦女神の前に立ったかと思いましたが。あのお姿は慈しみ溢れる母神の一面だったのですね……幼子を守る親のような……」
「ええ、自慢の妻です。私と共に歩む凛々しさに満ちた戦乙女であり、優しさも兼ね備えた慈愛の人でもあるのです。私も彼女に負けないように、日々精進を重ねています」
ベイリアル公爵の賛辞に、シノブは少しばかり飾りつつも自身の思いを顕わにする。
どうも、ベイリアル公爵は詩的な表現を好むらしい。上流貴族や王族ともなれば修辞に満ちた言葉に慣れて当然だが、彼は特にそういった傾向が強い。そのためシノブも合わせてみたわけだ。
しかし、こういった言葉が自然に出てくる辺り、彼も随分貴族文化に馴染んだのであろう。それは、ベイリアル公爵も感じたようで、彼は何やら感心したような表情となっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ところでジェイラス殿。この先は、どのような体制にするおつもりで?」
「それらも皆様にご相談しつつ進めます。私は公爵ですが、マクドロン親子の反逆を座視するしかなかった凡人に過ぎません。私が国を率いてもジェドラーズと大差ないでしょう」
シノブの問いに答えるベイリアル公爵は、行方不明のままのアルマン王国の主、国王ジェドラーズ五世に触れた。
すると、シノブ達の称賛を恥ずかしげに聞いていたシャルロットや、彼女の側に寄っていたアデレシアも、僅かに表情を変えつつ公爵へと視線を向けた。
「ドワーフやエルフのような合議制も良いのでは、とは思っています。飛びぬけた君主がいないのなら、誰か一人を押し出す必要はない……もっとも、ジェドラーズはそればかりでもないのですが」
「その……ナディリアという方の件ですか?」
シノブは、アルマン王国に潜入するために学んだこと、更にその後得た知識を思い出していた。
軍務卿、現在は総統を名乗るジェリール・マクドロンの第一夫人ナディリアは、優秀な治癒術士であったという。彼女は、国王ジェドラーズ五世を救うために命を落としたそうだ。
「ご存知でしたか。私も後から聞いたのですが……」
ベイリアル公爵は、声を潜めつつ語り出す。
ナディリアが亡くなったのは、今から三年ほど前のことだという。ジェドラーズ五世が、とある毒により危篤状態となり、それを王宮でも随一の治癒術士であるナディリアが救ったのだ。
治癒魔術は活性化などが光属性、催眠などの補助的な術が闇属性とされている。ただし、双方共に実際の治療に使えるほどの素質を持つ者は少ない。
また毒の種類にもよるが、一般的に解毒はその二つに加え他の属性まで必要とするという。したがって、魔術の得意な者の多いアルマン王国でも、王を治療できるのはナディリアしかいなかったのだ。
「それだけなら、術後にナディリア殿を回復させれば良いのですが……実は、主要な治癒術士もジェドラーズと同じ毒にやられたとか……」
「ジェイラス様、それは本当なのですか!?」
苦々しげな顔で黙り込んだベイリアル公爵に、王女アデレシアが蒼白な顔で問いかけた。どうやら、そこまで詳しいことを彼女は知らなかったようだ。
しかし、それも無理はないだろう。三年前であれば、アデレシアは十一歳になるかならないかだ。この件が今まで外部に漏れなかったことからすると、王宮でも成人、しかもかなり高位の者にしか真実を教えなかったに違いない。
「間違いない。ジェドラーズと妃達から直接聞いた。あまりの不祥事だから周囲には伏せたそうだ……だが、アデレシアも治癒術士が多く入れ替わったことは、覚えているのではないか?」
「私は、地方の治療院に回ったと聞いていました……」
アデレシアは、公爵の言葉で初めて真実を知ったらしい。
アルマン王国やメリエンヌ王国の王宮は、執務を取る場と王族が暮らす場に分かれている。彼女によれば、父王が倒れたのは政務の場である大宮殿だったらしい。
それに家臣達も、原因が明らかになるまで他の王族を近づけないようにした筈だ。ならば、彼女が直接見聞きしていないのは当然である。
「しかしジェイラス殿。国王を狙った陰謀だとすれば、何故ナディリア殿だけ毒から免れたのでしょうか? もしやナディリア殿を……」
アデレシアに語り終えた公爵に、シノブは鋭い顔で訊ねる。ある想像をシノブは抱き、それを払拭できなかったのだ。
国王を弑するだけなら、彼と治癒術士全員に毒を盛れば良い。逆にナディリアが目的なら、彼女と治癒術士だけを対象にすれば良い筈だ。しかし、ナディリアのみが毒を免れた。
もちろん、彼女が毒を見抜き回避したのかもしれない。とはいえ、結果が結果だ。敢えてナディリアを残し、国王の治療に回るようにした。そして王を救おうとした彼女が悲劇の最期を遂げる。何者かが、そう仕向けたのではないだろうか。
軍務卿ジェリール・マクドロンの第二夫人ルーヴィアは、比較的最近、彼に嫁いだという。そしてルーヴィアの正体は、ベーリンゲン帝国の特務隊長ローラントの妹ルーヴェナであった。
もしかすると彼女を軍務卿に接近させるため、そして軍務卿親子と王族の間に亀裂を入れるための策だったのでは。シノブは、そう考えたのだ。
「今となっては……ですが、その可能性は充分にあるでしょう」
既に、ベイリアル公爵にもルーヴィアの正体を教えている。そのため、公爵もシノブの推測に驚きはしなかった。
もっとも、真実がどうであったかを確かめるのは、公爵が指摘するように困難だろう。
ルーヴィアは、既にこの世の人ではない。それに真実を知っていそうな人物、帝国の残党グレゴマンもアルマン島の西の廃城で命を落とした。したがって、今更彼らに問うことは出来ない。
「離間策……帝国が?」
シャルロットの呟きに、答える者はなかった。帝国の策略だったのか。それとも、別の誰かが打った手なのか。ただ、何れにしても命を弄ぶ輩の仕業に違いない。
そんな想像のせいか、四人の見つめ合う空間には暫しの間、沈黙が漂っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
その日の午後、シノブとアミィは岩竜ガンドに乗り、西に渡った。都市ベイリアルの神殿へ転移できるようにするためだ。
まずシノブとアミィは、メリエンヌ王国の西海岸にアムテリアと従属神の神像を造った。ポワズール伯爵領の都市パーニオンに近い、ルシオン海を挟んでブロアート島の対岸となる場所だ。
流石に、まだ情勢定かならぬ西の島々とメリエンヌ王国の神殿を直結するのは問題である。そのため、今はルシオン海を渡るためだけの場としたわけだ。
都市パーニオンは軍港でもあり、大勢の軍人が詰めている。それに、大神官のような高位神官でも、転移に伴うことが出来るのは三十名程度、都市の神官長程度であれば十名を運べる程度だ。したがって、軍の一隊を神像の側に駐留させれば、問題ない。
──これで西から戻るのも楽になるな。光翔虎の皆も喜ぶだろう──
岩竜ガンドは、シノブ達が海岸脇の岩山に造った神像を満足そうに見つめている。
彼らもアムテリアから授かった腕輪の力で大きさを変ずることが出来る。そのため飛翔だけではなく、神殿での転移も併用しているのだ。
従来なら、ここから都市ベイリアルまでは400km近く、メリエンヌ王国とアルマン王国の最も近い場所でも150kmを飛ぶ必要がある。前者は竜や光翔虎が急いでも二時間はかかる距離であり、彼らであっても日に何度も往復するようなものではない。
しかし、この神像を使えば、パーニオンから東に50kmほど先のポワズール伯爵領の領都メレスールに飛翔するだけで、メリエンヌ王国の転移網を活用できる。したがってオルムル達がいるシェロノワに行くのも、大幅に容易になるわけだ。
「ごめんね。本当は全ての国を繋ぎたいんだけど……でも、今はまだ早いかな」
「各国の王都だけ結ぶなら、大丈夫かもしれませんよ。アマノ同盟のお蔭で、だいぶ距離が縮まったと思いますから!」
シノブが躊躇いの言葉を発すると、アミィが優しい笑顔と共に後押しをする。
自分が居ない間に大きな動きがあったのだ。そう察したシノブは嬉しさと共に、少しばかりの寂しさを抱く。
しかしシノブは思い直す。
これも父の勝吾が触れた、任せるところは任せる、ということなのだろう。きっとアムテリア達神々も、そしてアミィ達眷属も、同じような思いで地上を見守っているに違いない。もしかすると、長い時を生きる竜や光翔虎も、人間をそんな目で見ていたのであろうか。
そんな感慨と共に、シノブはガンドの巨体を見上げる。すると、ガンドは彼の視線に気が付いたようで、頭を近づけてくる。
──『光の使い』よ。どうしたのだ?──
「皆が一歩ずつ、着実に歩んでいるって……君達も、そしてエウレア地方の人々も」
シノブは、ガンドの巨大な顔を優しく撫でる。すると全長20mの巨竜は、幼いオルムル達と同様に嬉しげに目を細めた。
──我らは、そなたのお蔭で新たな繋がりを得た。だが、それを強め広げるのは己がすべきこと──
「そうだね。自分の力で進む。それが、本当の成長に繋がるんだ」
シノブは、ガンドに頷いてみせる。そして彼は自身の軌跡を思い出しつつ呟いた。
大きな力を得たからといって、それを最初から上手く使いこなせはしない。単に力を振るうだけならともかく、より良い方向に用いるためには、広く世を知り側に集う者や関わる者達の心を知らねば出来はしない。
シノブ自身も、まずはこの世界で生きていくため、そして側にいる人や愛する人を守るため、と進んできた。初めは、どこか旅行者のような気分であったシノブも、様々な経験を経てこの世界を自身の暮らす場として捉え、前に進んできた。
貴族についてもそうだ。最初シノブは、伯爵継嗣であるシャルロットの隣に立つための義務として、領主としての在り方を学んだ。しかし現在のシノブは、自分が関わった土地に大きな幸を齎したいと、心から望んでいる。
これも、己自身で触れ深く関わってきた故であろう。
──さあ、『光の使い』よ。西の島に渡ろう!──
ガンドは、地に伏せてシノブとアミィに騎乗するよう勧める。彼らは、これから空路でブロアート島に渡るのだ。ただし単なる飛翔ではなく、シノブが光鏡を使って連続転移をする。そのため、十分と掛からずに都市ベイリアルに着く筈である。
「ああ! シメオン達が待っているからね! それではジェイラス殿、また後で!」
「ええ、お待ちしています!」
アミィと共にガンドの背に収まったシノブは、地上に残るベイリアル公爵へと手を振った。対する公爵も、朗らかな笑顔で片手を上げている。
ベイリアル公爵の横には、白髪白髯の領都メレスールの神官長が立っている。彼は、都市ベイリアルへ神殿での転移を用いて移動するのだ。シノブは公爵にも通信筒を渡している。そこで転移が可能となったら彼に連絡をし、それを受けて神官長が都市ベイリアルの大神殿に渡るという段取りだ。
ガンドは、早くも空に舞い上がっている。彼は一瞬にして高度を上げ、シノブが出した光鏡の中に消えていった。
◆ ◆ ◆ ◆
──シノブ。貴方の下に多くの人が集ったこと、とても嬉しく感じています。それに、この地方の人々、更に竜や光翔虎の自分達で歩もうとする姿、私達が待ち望んでいたものです──
都市ベイリアルの大神殿に転移が授かるように願うシノブの脳裏に、アムテリアの柔らかな思念が響き渡った。
今、彼とアミィは大神殿の聖壇の上にいる。そして二人の背後には、ベイリアル公爵の一族や家臣達、更に神殿に入ることが出来た民達が跪き、広い聖堂を埋め尽くしている。
聖堂の正面に安置された七体の神像は神秘の光を放ち、シノブとアミィを、そして居並ぶ人達を包んでいる。そのため大勢の人がいるにも関わらず、聖堂には物音一つすらない完璧な静寂が訪れていた。
──彼らのことは、私ではなくアミィや皆のお蔭だと──
シノブは、アムテリアの称賛は自身ではなく彼女が挙げた者達の成したことだと感じていた。
自身が不在の間に、各自が出来ることをした。それが、シノブの偽らざる気持ちであった。
──いえ、シノブ様がいてこそです!──
しかしアミィは鋭い思念で遮った。周囲の努力もシノブの影響あってだと、彼女は本心から思っているようだ。
──どちらもあってのことでしょう。あなた達が双方努力し、続く者が現れた。私は、そう思います──
アムテリアの言葉は、溢れる喜びのためか普段に増して温かい。もしかすると彼女は、仲の良い二人の様子に微笑んでいるのかもしれない。
──ありがとうございます。ところで母上、今回はここと先ほど造った神像を転移で結びたいのですが、よろしいでしょうか?──
シノブは早々と転移の件に話を持っていく。アムテリアの称賛を気恥ずかしく感じたシノブは、話を逸らしたかったのだ。
──ええ、問題ありません。ですがシノブ、昨日と言い今日と言い、少し素っ気ないのでは?──
アムテリアは珍しく拗ねるような、からかうような思念で答える。
昨日、シェロノワに戻ったシノブは神々の御紋でアムテリアに連絡をしてみた。御紋は、シノブからでも神々に連絡をすることが出来たのだ。そう、神々に、である。
受話器のアイコンを押すと、地球での通話が履歴として表示された。そして画面の片隅には、アドレス帳を示すアイコンも存在した。興味を惹かれたシノブは通話の前にアドレス帳を開けてみたのだが、そこにはアムテリアだけではなく、六柱の従属神の名も載っていた。
したがって神々の御紋を使えば、いつでもシノブはアムテリア達と連絡が出来る。しかしシノブとしては、神々に気軽に話しかけるなど畏れ多い。それにアムテリアに連絡をしたときにはシャルロット達もいたから、無事な帰還について重ね重ねの礼を伝えたのみで通話を終わりにしたのだ。
──すみません。ですが、あまり安易に話しかけるのもどうかと……こうやって助力頂いているのに言うのも何ですが──
アムテリアは、人の心を読むことができる。そこでシノブは、率直に己の思いを思念に乗せた。
シノブとしては母と慕う女神との会話を楽しく感じているが、彼女は将来への指針を示すことがある。そのときにより明示であったり暗示であったりと伝え方は様々だが、やはりアムテリアの語る言葉は一種の神託であったのだ。
そのためシノブは、軽々しくアムテリアの言葉を聞くべきではないと感じていた。仮にシノブ自身が意識していなくても、行動に影響するのは間違いないからだ。
──もう少し頼ってくれても良いのですよ。ニュテス達も、その方が喜びますし──
アムテリアの思念は、少々複雑なものであった。そこには言葉通りの不満もあるが、その一方で自分の力で解決しようとするシノブを好ましく思っているようでもある。どちらも母なる存在としては偽らざる気持ちであろう。
──そうですね……とはいえ、頼りすぎは良くないですから──
──シノブ様、日常のことなどであれば良いのではないかと──
生真面目に答えるシノブに、アミィが遠慮がちに提案する。どうやら彼女は、自身が最高神と崇めるアムテリアの願いを叶えたいと思ったようだ。
──そうしてもらえると、私も嬉しいです。待っていますよ──
アムテリアは、シノブ達の様子を常日頃から見守っているようだ。したがって、シノブから連絡をしなくても、何があったか全て知っている筈である。
しかし、愛し子と呼ぶシノブ自身から連絡を貰うのは、それとは別なのだろう。彼女の思念は、今までにない華やぎを伴っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
──シノブ、四柱の神霊は何処かに潜んだままです。おそらく、どこかで力を蓄えているのでしょう──
暫し会話を楽しんだ後、アムテリアは姿を消した異神達について触れた。
──そして、あなた達が予想しているように、遠からず二つの島のどちらか、おそらく南の島に姿を現す筈です──
アムテリア達も、アルマン王国の王族達を依り代にした異神達がアルマン島に現れると考えているらしい。やはり北半分のブロアート島を押さえたのは、大きな意味があったようだ。
──初めましてシノブ、私の弟よ。この国から、そして海から邪な神霊を追い払ってくれたこと、感謝しています──
シノブ達の会話に、女性のものらしき柔らかな思念が交じる。今まで話しているアムテリアや、先日の森の女神アルフールとも異なるものだ。
──デューネ様ですか?──
シノブは、思念の主が海の女神デューネだと察した。
島国のアルマン王国は当然ながら海と縁が深い。それに、思念も海について触れている。そもそも、従属神で女神は末子のアルフールと、一つ上のデューネだけだ。したがって、シノブではなくとも、そう察しただろう。
──ええ。ですが、アルフールと同じく姉と呼んでもらえませんか?──
デューネは、少しばかり気落ちしたような思念を発する。どうやら、シノブの返答は彼女にとって望ましいものではなかったようだ。
──わかりました、姉上──
シノブは、デューネの思念から、アルフールより少しばかり年長の女性を想像した。彼の受け取った印象は、アムテリアとアルフールの中間くらいであったのだ。
そのためシノブは、敬意をこめて接したのだが、デューネの希望とは異なっていたらしい。
──デューネお姉様、もっと普段通りにすれば良いのに。母上も、そう思いませんか?──
──そうですね。たぶん、初めてシノブと会うので気負ったのでしょう──
何と、森の女神アルフールも思念のやり取りに加わった。そしてアムテリアも、笑いを含んだような思念で続く。
どうも、アムテリアと二人の娘は、かなり親密な仲らしい。もちろんアムテリアが息子達、つまりニュテスを始めとする男神と疎遠なわけではない。ただ、神であっても、女同士の方が気の置けない間柄になるのかもしれない。シノブは、そんな想像をしてしまう。
──アルフール! それに母上も……ともかくシノブ、私も貴方を見守っているわ。それに、あの神霊達が現れたら力を貸すつもりよ。
それと、この国の大神官がもうすぐ来るの。神官は政治に関与しないけど、正しい統治者を祝福するわ。貴方の側にいる王女の成人を祝ったように。この国の大神官が貴方達を支持すれば、今後の助けとなる筈よ──
デューネは、急に砕けた口調に変わっていた。シノブは少々戸惑いを感じるが、これが彼女の普段の口調なのだろう。
僅かに恥ずかしさが混じったような、しかし大きな喜びを顕わにした思念は、どこか肩の荷を降ろしたかのようでもある。やはりアムテリアが指摘した通り、デューネは初めて会うシノブに姉らしくしてみたかったのかもしれない。
──シノブ、お姉ちゃんも助けるわよ! だから、頑張ってね! アミィもしっかりね! 皆、応援しているから!──
──シノブ、アミィ。私達は、いつでも見守っています。苦労を掛けますが、あなた達なら大丈夫だと信じています。もちろん、何かあれば遠慮なく連絡をしてください。それに何もなくても、たまには……──
デューネに続き、アルフールとアムテリアも語りかけてくる。どうやら、別れの時間が迫ったらしい。
──はい、わかりました!──
──シノブ様の、そして地上のことは、お任せください!──
シノブとアミィも、女神達に言葉を返す。
この星を導く者達との邂逅は、シノブにとって安らぎと新たな力を与えてくれる時間であった。そのためだろう、急速に退いていく輝きの中で、シノブは深い充足感に包まれていた。
◆ ◆ ◆ ◆
都市ベイリアルの大神殿から眩しい煌めきが去った直後、デューネの予告通り、アルマン王国の大神官ミルッカーズが聖堂に入ってきた。更にシノブから通信筒により連絡を受けたベイリアル公爵ジェイラスが、転移により聖壇に神官と共に出現する。
そしてシノブが立ち会う中、大神官はベイリアル公国の代表者となった公爵へと祝福を授けた。
集まった家臣や民は神秘の出来事に沸き、新国家の正統性を保証する大神官の祝福に歓呼の叫びを上げた。彼らも、長く続いた故国に反旗を翻したことについては、充分な覚悟をしていた筈だ。しかし、そこには、一抹の不安があったのだろう。
しかし新国家には神の加護があり、大神官が正統と宣してくれた。それらは新たな国を興した人々に、大いなる安堵を与えたようだ。
「お蔭で、随分とやりやすくなりました」
シメオンがシノブに囁きかける。彼らは脇の少し離れた場所で、大神官が聖堂に集まった民に語る様子を眺めているのだ。
「暫く、こっちを頼むよ」
これからベイリアル公爵達、そして彼らを支援するアマノ同盟軍、つまりシメオンやマティアス、イヴァールなどは、アルマン島の各都市の攻略に着手する。
攻略といっても、武力を前面に押し立てたものではない。まずは極秘に各領主へと接触し彼らの寝返りを促し、隷属しているなら解放の魔道具で助けることになっている。誰も、多くの血を流すことは望んでいない。そのため、調略から入ることになったのだ。
マクドロン親子のいる王都は、アルマン王国軍がしっかりと固めており、手を出し難い。長引くようであれば、竜や光翔虎の協力で空から無力化することになるだろう。とはいえ、それではアマノ同盟軍が前面に出ることになり、戦後にベイリアル公爵達が率いることは難しいだろう。
したがって、出来ればベイリアル公爵達の尽力で、この地の再統一が成ったように持っていきたい。それがアマノ同盟軍の、そしてもちろんベイリアル公国側の希望であった。
「おや、こちらには口を出されないので?」
「ああ。自分一人で全てを背負うことは出来ないからね。それにシメオン達を始め、頼りになる人達が沢山いるんだ。まずは任せてみるのも悪くない。そう思ったんだ」
意外そうな顔をするシメオンに、シノブは微笑んでみせる。
シノブは、父の勝吾の助言を思い出していた。全てを抱え込むのではなく、多くの人と手を取り合い、導く。それが人を率いる者のあり方だ、という勝吾の教えをだ。
「では期待に応えてみせましょう。シノブ様は、次に向けて羽ばたいてください」
シメオンは、とても優しい、そして同じくらい嬉しげな笑みを浮かべていた。彼は、人に任せるべきことは任せようとするシノブに、深い喜びを感じたようだ。
シノブは、シメオンに向けて静かに頷いてみせる。神と親しく会話をするようになった彼だが、まだまだ若輩者なのだ。虚心に物事を受け止め、謙虚に応ずる。それを忘れてはいけない。
そんなシノブの決意を祝福するかのように、七体の巨大な神像は、神々しくも柔らかい慈しみの光を放っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年3月24日17時の更新となります。