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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第16章 異郷の神の裔
367/745

16.09 宵闇の四重奏

 これは、シノブが日本からヤマトを経由してシェロノワへと戻った日の夜のことだ。


「父上、お呼びでしょうか?」


 ウェズリード・マクドロンは、父のジェリールがいる国王の御座所(ござしょ)へと入室した。


 半月ほど前まで単なる軍務卿であったジェリールだが、今は総統と名乗りアルマン王国の実質的支配者となった。そのため彼は退位させた王に代わって統治者の間の主となり、執務机の向こうの豪奢な椅子に座っている。

 そして息子のウェズリードも、ノックすらせずに御座所(ござしょ)へ入ってきた。この我が物顔の振る舞いは、マクドロン親子がアルマン王国を牛耳ったことを端的に示しているようだ。


 もっとも、そのアルマン王国は、ベイリアル公国の誕生により大きく領土を減じていた。元々のアルマン王国は、ここ王都アルマックを含むアルマン島と、その北のブロアート島の二つで構成されていた。しかし今、ブロアート島がベイリアル公国として独立し、アルマン王国は南半分だけになった。

 ただ、南半分といってもアルマン島の方が随分と大きく、都市の数で言えばアルマン島が八でブロアート島が四である。そのため、まだ三分の二はマクドロン親子の手中にあるわけだ。


 そのせいか、入室したウェズリードの顔は先日のように冷静そのものだ。ここ王都アルマックでは彼らの人気は高く、この『金剛宮』もマクドロン親子に忠誠を誓う軍人達で固めている。そのためか、ウェズリードの歩みには、五日前に国土の三分の一を失ったとは思えない落ち着きがある。


「ついに準備が整った」


 ジェリールは、僅かに高揚が感じられる声音(こわね)で息子に答える。

 だが、ジェリールの青い瞳は普段に加えて鋭い光を放っている。稀なる何かに喜びつつも油断はしないあたり、主家であるアルマン王家を追い落とし一国を手にした傑物と言うべきであろう。


「では、明日にでも?」


「もう遅いからな。ここまで来れば、焦っても仕方なかろう。それに我らも体調を整える必要がある。『魔力の宝玉』で補うにしても、自身の魔力を引き出せぬようでは意味が無い」


 喜色を滲ませたウェズリードに、ジェリールは重々しく答える。どうも、彼らは魔力を用いて何かをするらしい。『魔力の宝玉』で補う、と言っているところからすると、大規模な魔術でも使うのであろうか。


 一般にはあまり知られていないが、何らかの魔道具から魔力を借りる場合、得られる力は使用者自身の魔力量に比例する。もちろん、その魔道具が蓄積する量や追加で吸収する量を超えた力は発揮できない。しかし、どんなに魔力を貯めた魔道具があったとしても、使用者の魔力が少ない場合、充分に引き出せないのだ。

 したがって魔道具による補助があっても、それを完全に使いこなすなら使用者の体調を万全にしておく必要がある。


「わかりました。ところで父上、王太子夫妻を伴うので?」


「少しでも節約できるからな」


 ジェリールは、最前のように重厚な(いら)えを息子に返す。

 アルマン王国の王太子ロドリアムや彼の妻ポーレンスは、隷属させられてはいるが命に別状は無かった。そのためアマノ同盟の者達は、いきなり王家を廃しては民が離れるから傀儡(かいらい)として王太子夫妻を生かしている、と考えていた。しかし二人の口振りからすると、そんな単純なことではないらしい。


「確かに……ともかく、王都の民の支持があるうちに準備が出来て良かったですよ。彼らの心が離れたら、意味がありませんからね。他の都市はともかく」


 ウェズリードは肩を(すく)めつつ、彼独特の皮肉げな口調で父親に語りかける。

 二人とも長身で体格の良い軍人だが、息子の方が僅かに細身である。そのため、彼の気取った仕草は、役者か何かのようであり見栄えはする。とはいえ冷たい表情が強い印象を残すため、知的な悪役といった風ではあるが。


「東は問題ないが、西の離心は激しいな……グレゴマンがあれだけ好き勝手したのだから、仕方ないが……北はどうだ? 南は行き場がないだろうが、北は違う筈だ」


 ジェリールは、アルマン島の各地に触れていく。

 王都アルマックは東海岸に位置する。そのため東海岸の都市は王都と親密な関係を築き、交流も多い。実質、東は王都の衛星都市と呼んで良いだろう。したがって、それらについてはジェリールも問題としていないようである。


 逆に、西海岸の民は国への不満が大きいらしい。

 西ではグレゴマンや竜人達が村人を誘拐したため、民は人攫いを捕まえられない軍や領主に失望しているらしい。それに西海岸は大陸と逆側で、商業も盛んではない。それもあり、西は華やかな王都の民と地味な自分達の差に不満を(いだ)いているのだ。そんな彼らが、王都の軍務卿に良い感情を持つ筈も無かろう。


 それらに対し、南は中立と言えば良いだろうか。

 南部は商業港も整備され、ガルゴン王国と国交があったころには、()の国の船も寄港した。したがって実入りも充分にあったが、今は商売も滞り不景気であろう。とはいえ国の南端ということもあり、他に行き場所も無い。したがって、暫くは大人しくしているのではないだろうか。


 残る北は、独立したベイリアル公国と狭い海峡を挟んで隣接している。

 そのためベイリアルからの調略もあれば、自分の意思で北に逃げようという者もいるのでは。ジェリールは、そう考えたのだろう。


「ええ、北からは逃げ出す者もいるようです。現在、大陸に渡ることは出来ませんが、アルマン島の沿岸の航路は使えます。沿岸航路の交易船と偽ってブロアート島に逃げる者は、少なからずいるようですよ。

もっとも、領主はこちらで押さえていますから、一応は取り締まりをさせています」


 やはり、新たな国が出来た北方では、動揺が大きいらしい。そしてウェズリードが言う通りなら、各都市の領主、つまり伯爵達は何らかの枷で縛っているようだ。やはり、隷属であろうか。


「ならば良い。急激な流出で王都の人心に影響が出ては困るが、少数が闇に紛れてならベイリアルの謀略として非難すれば動揺も抑えられる」


「その通りです。王都と周辺は、臨時の措置で事実上の無税にしました。暫く逃げる者はいないでしょう」


 ジェリールに、ウェズリードは頷いてみせる。何と、彼らは王都と周囲の税収を捨ててまで人を集めているようだ。

 王都アルマックは、人口八万五千人の大都市だ。その周囲も含めてなら、範囲次第だが総勢十万人を超えるだろう。一方、アルマン王国の人口は分裂前でも七十五万人程度である。分裂後なら、五十三万人というところか。したがって、二国に分かれて減じた税収が更に二割近くも減ったことになる。

 たぶん、それだけの不利益を(こうむ)っても、王都に人を集める理由があるのだろう。マクドロン親子の真剣な眼差しからは、そうとしか考えられない。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ウェズリード、もう休め。明日は、どちらかが『魔力の宝玉』を使うことになる。そして、失敗は許されん。この日のために、今まで苦労してきたのだ」


 どうやら、明日はよほど重要なことがあるらしい。ジェリールは、息子に就寝を勧める。確かに夜は遅いが、彼らは立派な成人であり軍人でもある。しかしジェリールは、念のために明日に備えて体調を整えることにしたようだ。


「そうですね。そのために父上はルーヴィアを妻として迎えたのですから……『魔力の宝玉』が必要とはいえ、あのような残酷な女を……まあ、その報いは受けたようですが。グレゴマンと共に」


 今までも人を人とも思わぬ雰囲気を滲ませていたウェズリードだが、更に(あざけ)るような色を強める。すると、ジェリールの表情が大きく(ゆが)む。


 ルーヴィアとはジェリールの第二夫人だが、ベーリンゲン帝国の間者でもあったらしい。もっとも間者というのはメリエンヌ王国から見た場合で、彼らにとっては帝国から来た協力者であったかもしれない。

 ドワーフの少女メーリから全ての魔力を吸い出して殺そうとするなど、ルーヴィアは極めて冷酷な女性であった。そしてウェズリードは、どうやら彼女を嫌っていたようだ。冷酷と冷徹、似てはいるが相容れないのだろうか。


 一方のジェリールだが、彼は亡き第一夫人ナディリアを深く愛していたという。そんな彼がルーヴィアを娶った背景には、やはり愛情などではなく何らかの実利があってのことらしい。

 おそらく彼らは、ルーヴィアに各種の実験をしやすい環境を与え、その代わり『魔力の宝玉』などの帝国の魔道具を得ていたのだろう。もしかすると、ルーヴィアの望みに応じるごとに一つといったように、長い期間を掛けて少しずつ集めたのかもしれない。それが、今頃になって準備が整った一因であろうか。


「これも大望を(かな)えるためだ。ともかく、ようやくここまで来たのだ。繰り返すが失敗は許さん。もっとも、どちらがその場に立つかは、わからんが……」


「それでは失礼します」


 ウェズリードは父に軽く頭を下げると、入室したときと同様の堂々たる歩みで御座所(ござしょ)を後にする。一応は父である総統を敬ってはいるが、その姿には彼がこの部屋の主と言わんばかりの風格がある。

 実際に、彼自身そう思っているのかもしれない。ジェリールは、息子を王女アデレシアと結婚させ王にするつもりであったようだ。

 ジェリールの母は先王の妹である。つまり、二人は直系ではないが王家の血が入った者達なのだ。もちろん、アルマン王国の長い歴史にはこのような者など幾らでもいる。閣僚の家系であれば、多かれ少なかれ似たようなものだろう。

 そのため、二人の容貌にも茶色の髪に青い瞳などアルマン王家の血は現れている。それにアルマン王家の特徴が強く出たのだろう、魔力も並の貴族より随分と多いようだ。それらを意識しているせいか、王宮を進むウェズリードの姿からは、王子のような気品すら感じられる。

 とはいえ彼の風格や気品は、どこか冷たく不吉なもの伴っていた。


「父上は(いま)だ母上のことを引きずっているのだな……情けない。しかも真相も知らずに……哀れなことだ」


 微かに口元を(ゆが)めながら、ウェズリードは呟いた。それは実の両親のことを語っているとは思えない、冷血非道とすら言える表情であった。

 確かに、ウェズリードには選ばれた者にしか無い何かがあるようだ。しかし、彼を選んだのは善なる心ではなく悪の存在であった。そう思わざるを得ない禍々しい気配を漂わせ、若き簒奪者は夜も更けた『金剛宮』のどこかへと消えていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 陰謀に満ちた夜があれば、輝かしい希望の夜もある。それは幾らか早い時間の旧帝都、現在はヴァイトシュタットと呼ばれる都市の中央に訪れていた。

 かつてはベーリンゲン帝国の皇帝が座した宮殿『黒雷宮』の前庭に、二頭の巨大な竜と囲む人々が集っている。竜は岩竜の長老ヴルムと(つがい)のリント、そして人々は先代アシャール公爵ベランジェやベルレアン伯爵コルネーユなどだ。

 ベランジェやコルネーユなどの顔には賞賛の笑みが浮かび、従者達が持つ灯りの魔道具で照らされ輝いている。しかも身をもたげた巨竜ヴルムとリントの大きな顔にすら、どこか満足げな色が見え、そのためか二頭の姿も常以上に(まぶ)しく感じる。


「遅くまで済まなかったね!」


──問題ない。『光の使い』が戻ってきた祝いだからな──


 ベランジェの陽気な声に、長老ヴルムが威厳を示しながらも嬉しげに応じる。そして顔を向け合っていた彼らは、前方の巨大な宮殿へと視線を転じた。


 そこには、光り輝く白亜の宮殿があった。『黒雷宮』は、その名の通り黒曜石のような黒く輝く外壁を持っていた。しかし、彼らの目の前にあるのは形こそ同じだが雪のように白い大宮殿だ。しかも中央の『大帝殿』だけではなく、『小帝殿』など周囲の建物も同様である。


「流石は長老殿やリント殿……まさか、建物をそのままに色だけ変えるとは……」


 コルネーユは、大きな喜びの中に隠し切れぬ驚嘆を滲ませている。

 それぞれの建物の周囲には、彼やベランジェの配下である軍人達が灯りの魔道具を持ち、同じような嘆声を上げている。そして大勢の軍人が掲げる光は、宮殿の外壁に反射している。そのため『大帝殿』を始めとする建物は、まるで地上に星々が降りたかのように(きら)めいていた。


──岩の色は、細かな構造により決まることが多いのです。岩の造りを整えてやれば、あの黒い色もこのように白くなるのですよ──


 コルネーユに答えたのは、リントである。ヴルムとリントは、黒曜石のような非晶質の岩の表面を結晶化することで、色を変えたのだ。

 二頭は『黒雷宮』の建材全てではなく表面やその近くの構造を変えた。ここの建材は黒曜石そのものとは違うが同様の非晶質、つまり単純に言えば色ガラスのようなものである。そして黒曜石は流紋岩に分類されるが、結晶化した流紋岩は白いものが多い。

 つまり『黒雷宮』の外壁も、結晶として整え不純物を奥に押し込めたら、表面を白くすることは可能であった。


「オルムル君の『壁を張り替えるより長老さまに頼んだ方が良いです』という言葉通りだね! いや、流石は長老夫妻だ、見事な技だよ!」


 ベランジェは、頬を紅潮させ大声で語ると拍手を始めた。もちろん彼だけではなく、コルネーユ達も後に続く。そして喝采と拍手は瞬時に広がり、宮殿の庭はヴルムとリントを褒め称える声と音で満ちていく。


 そもそもの発端は、先日ベランジェがオルムルにした質問であった。ベランジェが叫んだ通り、彼の問いにオルムルは岩竜の大人、それも長老達であれば新たに岩石を取ってこなくても色を変えることは可能だ、と答えた。

 実際に、ヴルムとリントは宮殿の庭に岩を用いて前面が透き通った半球状の建物を造ったこともある。これも、岩から石英、つまり水晶を作り出したものだ。要するに、長老と(つがい)である二頭なら、単に岩の形状を変えるだけではなく内部の微細な構造すら操れるのだ。


「全くです。早くシノブに見せたいですね」


──そうだな──


 コルネーユの言葉に、ヴルムも巨大な顔を動かしつつ同意した。自身の成したことに満足しているのだろう、ヴルムやリントも装いも新たになった宮殿を嬉しげに見つめていた。


 彼らは、シノブが将来治めることになる旧帝国領の中心地、彼の居城となるこの宮殿を、そのときまでに相応しく造り変えたかったのだ。発端はベランジェの発案であったが、コルネーユやヴルム達も異神を思い出す黒々とした宮殿はシノブに似合わないと思っていたらしい。

 何しろシノブは光の化身であるアムテリアの血族で、竜達は彼を『光の使い』と呼ぶ。その彼が住まうなら、やはり光輝に満ちた場所であろう。

 なお、外からは見えないが、ヴルム達は内装も含め造り変えている。そのため『黒雷宮』は、もはやその名が不釣り合いなほど輝かしい宮殿となっていた。


「やっぱり新たな名を付けるべきだね! コルネーユ、何か良いのは無いかね!?」


「義兄上、私はそういうのは苦手なのですが……『白光宮』などでしょうか?」


 コルネーユは、ベランジェの無理難題に苦笑しつつも自案を口にした。急なことでもあり、反射的に答えたためだろう、それは『黒雷宮』を裏返しただけのような単純なものだ。

 もっともメリエンヌ王国の王宮が『水晶宮』、カンビーニ王国が『獅子王城』、ガルゴン王国が『蒼穹城』、アルマン王国が『金剛宮』だ。したがってエウレア地方の命名例から言えば、妥当な内容かもしれない。


「名前くらいはシノブ君に考えてもらおうかねぇ……」


 コルネーユの案が気に入らなかったのか、ベランジェは苦笑しつつ応じる。とはいえコルネーユも、自案に拘りは無いらしい。彼も笑顔で頷いている。


 名前こそ決まらなかったが、近い将来始まる新たな王国に相応しい宮殿の誕生だ。(いず)れの顔も希望に満ち将来の夢に輝いている。そんな彼らを、空に(またた)く満天の星が優しく祝福していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ヤマトの同じ日の夜。とはいえ、かなり東方のため実際にはベランジェ達からすれば9時間ほど前、つまり旧帝都の正午に当たる時刻のことである。


 神秘の気配が僅かに漂う山中で、一人の少年と一頭の虎が会話をしている。もちろん大和(やまと)健琉(たける)ことタケルと、光翔虎のシャンジーだ。

 もっとも、会話といっても通常とは少々異なる。タケルは普通に話すものの、目の前に大きな羊皮紙を広げている。そしてシャンジーが複雑な()え声を返すと、彼は羊皮紙の上に刻まれた印を指で追う。

 そう、タケルは『アマノ式伝達法』の信号表を用いてシャンジーの言葉を理解しているのだ。


「えっと……つまり私は二番目の王子で、兄上に命じられてここに来たのです」


──兄貴に~? 棲家(すみか)を追い出されたの~?──


 タケルとシャンジーのやり取りは、あまり進んでいなかった。タケルが、つい先ほど知った『アマノ式伝達法』に慣れていないということもあるが、両者の常識が大きく異なるのが最大の理由であった。

 今の会話にしても、シャンジーは光翔虎の掟である雄同士の縄張り争いに置き換えて理解したらしい。その掟とは、強い雄が棲家(すみか)を得て弱い雄が去る、というものである。

 タケルは、どういうわけだか白衣(びゃくえ)に緋袴という巫女風の格好をしていた。それに小柄で繊細な容貌、更に長い黒髪を後ろに伸ばした姿は、少女のようにしか見えない。そのためシャンジーは、初めてタケルと会ったとき彼を女性かと疑った。

 もしかすると、シャンジーが追い出されたと決め付けるのも、彼の外見のせいかもしれない。


「はい……一応は、この筑紫(つくし)の島を治める王に会いに来たのですが、実際は追放と変わらないかもしれませんね」


 とはいうものの、タケルは追い出されたことについて否定しなかった。彼は寂しそうな顔で、シャンジーとの間にある焚き火に枯れ枝を差し込む。


──ふ~ん。強くなって自分の力で生きないとね~──


 一方のシャンジーは、少しばかり素っ気無い思念と()え声を発している。

 光翔虎の常識からすれば、一定の年齢に達した雄が棲家(すみか)を離れ、自身の居場所を見つける旅に出るのは当然のことである。そのためシャンジーの返答に同情の色はなく、良くて応援といった程度の感情しか存在しない。

 シャンジーも、人間の暮らしが自分達と異なることは理解している筈だ。しかしエウレア地方の人々も、男は強くなり自身の力で生きろ、という考え方が普通である。親から継ぐ地位や仕事があればともかく、無ければ傭兵となって異国に赴いたアルバーノのように、自分で居場所を見つけるしかない。

 シノブの家臣にも早くから親元を離れた子供達はいるし、シノブ自身も新たな地で自分の居場所を勝ち取ったとも言える。そのためシャンジーは、人間も大差ないと思ったのかもしれない。


「そうですね……」


 タケルには思念など理解できないし、咆哮(ほうこう)はシャンジーの感情まで伝えない。シェロノワで竜や光翔虎と頻繁に接している者達であれば、彼らの仕草から喜怒哀楽を読み取るだろうが、会ったばかりのタケルには無理である。

 そのため、タケルはシャンジーの無愛想な言葉にも気分を害さず、忠告として受け取ったようだ。どうやら彼は、素直そうな外見通りの性格らしい。


──ところで王様って~? タケルの父さんも王様なんでしょ~? ここは別の国なの~?──


「あのですね、ヤマト王国は大王(おおきみ)が三人の王を従えている国なのです。ここ筑紫(つくし)の島と、ここから北東にある少し小さな島に、一人ずつ王がいます。

そして私の住んでいた都がある一番大きな島には、大王(おおきみ)の治める土地と、三人目の王が治める土地があります。こちらに近い方が大王(おおきみ)の土地で、東の方にずっと広がっています。で、島が東から北に曲がる辺りから先が、三人目の王の土地ですよ」


 シャンジーの問いに、タケルはスラスラと説明していく。しかも、タケルは枯れ枝を使って地面に簡単な地図まで描き出した。その様子からすると、タケルはヤマト王国の地理を充分に詳しく把握しているようだ。


──ふ~ん。タケルが住んでいたのはどこなの~?──


 シャンジーは、焚き火を迂回して地図へと近づき覗き込む。

 地面に記された地図には『ノ』の字のような弧状の大きな島があり、その左下に縦長の小さな島が一つ、更にそこから右にもっと小さな島が一つある。

 シノブかアミィなら、最初の大きな島が本州、次が九州、最後が四国とすぐに気が付いただろう。しかし、シャンジーは日本の地理など知らない。そのためだろう、彼はタケルがどこから来たかだけを訊ねる。


「この辺です。ここに山に囲まれた都があるのです。昔は、こっちの方、やっぱり山の中なのですが、そちらに都がありました」


 タケルが示したのは、最初は京都、そして次は奈良に当たる場所であった。なお、これもシャンジーは知らないが、アミィによればヤマト王国は大よそ室町時代か戦国時代に相当する状態だという。


 現にタケルが着ている巫女の衣装に似た服も、現代日本の神職の衣装としても通用しそうな服だ。

 それに、地面に書いた地図もかなり正確に描かれ、北海道に似た島の南端まで入っている。つまり日本の歴史なら少なくとも平安時代以降か鎌倉時代くらいに相当する範囲まで、ヤマト王国の版図は広がっているらしい。

 そうなると、文明や文化も大よそ似たような時代だと考えて良いだろう。


 とはいえ、大王(おおきみ)や王といった名称が残っている辺りは、古代日本のようでもある。

 もしかすると、王家が強い魔力を維持した結果、時代が進んでも彼らの権力が衰えなかったのかもしれない。タケルもシノブの魔力に気が付くなど、相応の才能を持っているらしい。それからすると、エウレア地方のように王家が特別な家系として君臨しつつ実権も維持した可能性はある。


──そうなんだ~。で、どうしてこの山の中に来たの~? ここに、この島の王様がいるの~?──


 生憎、日本の歴史を知らないシャンジーに、それらへの興味は無い。シノブなら様々なことをタケルに訊ねたであろうが、シャンジーは要点だけを問うていく。そういう意味では、彼が聞き役で良かったのかもしれない。


「先祖がこの辺の出身という伝説があるのです。私達の先祖は、この辺りから東に旅立ったそうですが、その人も末っ子でした。もしかすると、やはり故郷を追い出されたのかもしれません。

ともかく、そんな経緯でここに神域があると大王(おおきみ)の家だけに伝わっているのです。そこで、家臣も置いて登ってきたのです……と言っても数人しかいませんが」


 タケルの話をシノブが聞いたら、どう思ったであろうか。どういう符合か、この地にも神武東征のような伝説があるらしい。


──なるほどね~え。まあ、ボクが助けてあげるから心配いらないよ~。それに、兄貴にもらった剣もあるしね~──


 シャンジーは、タケルの隣に座ると体を擦り寄せた。といっても、シノブに対してのような敬愛を篭めてではなく、ファーヴなどの幼い存在に対するような庇護の情が滲むものだ。どうやら彼は、タケルも自身の弟分と定めたようである。


「はい! シャンジー様、お願いします!」


 幸いにもタケルが抗うことは無い。既に彼は、シャンジーが本来の巨大な虎に戻るところも見ている。それにタケルからすれば、シノブが神の使いでシャンジーはその従者である神獣だ。そのため彼は、シャンジーの言葉を聖なる存在の助言として受け取ったのだろう。

 一人と一頭は、随分仲良くなったらしい。タケルはシャンジーの肩に頭を寄せ、シャンジーは周囲に魔力障壁を張って風を(さえぎ)る。そんな二人を祝福するように、焚き火の炎は柔らかに揺れていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 最後は、それから10時間以上後のシェロノワだ。時差は8時間だからシェロノワは更に遅い時間、ありていに言えば深夜である。当然ながら、夜勤の兵などを除いては寝室に入っている時間だ。もちろんシノブもシャルロットと共に、二人の寝室へと下がっていた。


 シノブ達は既に夜着に着替え、ベッドに上がっている。

 普段なら横になって暫く会話し、シャルロットが寝付けばシノブは離れて脇に置かれた自身のベッドに移る。シャルロットは懐妊中であり、万が一のことを恐れて寝床を分けているのだ。

 しかし今日のシノブは、普段とは少しばかり違う夜を過ごすことになる。実は、まだ二人は体を横たえてなど、いなかった。


「シノブ……会いたかった……会いたかったのです……」


 シャルロットは、向かい合ってベッドの上に座るシノブに(すが)りついたまま離れない。彼女は、じっとシノブの胸に顔を伏せたかと思うと、暫くして顔を上げ夫にキスをする。もちろん、両の手はシノブの背に回されたままだ。

 何しろ、彼女にすれば二週間ぶりの再会だ。しかも、シャルロットにはシノブがいつ戻るかなど、見当もつかなかった筈だ。そのためだろう、彼女の深く青い瞳は歓喜の涙で濡れている。


「シャルロット、俺もだよ……」


 シノブも、妻の背に腕を回し優しく抱きしめながら、彼女の求めに応ずる。シノブにとっては僅か一日の別離であったが、互いを思う気持ちの強さは彼女と変わらない。彼は自身の深い愛情を示すべく、妻の長く美しいプラチナブロンドを、そして柔らかな肢体を撫で擦り、更に口付けを贈っていく。


 いつまでもこうしていたい。

 今日はオルムル達も夫婦の再会に遠慮し、寝室に来ることはなかった。つまり普段よりも激しく愛を示しても、恥ずかしく感じることもない。そのためだろう、シャルロットとシノブは、互いの名を呼び無事を喜ぶ言葉を発し、時を忘れたかのように抱き合っていた。

 とはいえ、シャルロットは身篭っているのだ。シノブは、そろそろ彼女を寝かせなくては、と考える。


「シャルロット、もう休んだ方が良いよ。もしかすると、一時間近く経ったかも?」


「就寝前に寄り添ってくださるのは、私との約束です。二週間も約束を果たさなかったのですから、今日は二週間分を(まと)めて返してくださっても良いのでは?」


 シノブは少し身を離すが、笑顔のシャルロットはそれを追いかけるように彼の胸に飛び込んだ。シノブは、微笑みつつ自身の体をゆっくりとベッドに倒す。もちろん、シャルロットの体に負担が掛からないように、優しく手を添えてだ。そのためシャルロットは、柔らかなベッドに音も立てずに横になる。


「わかったよ……君が眠るまで、そして寝付いても側にいるさ。だから、安心してお休み。俺の可愛いシャルロット」


「シノブ……」


 シノブの言葉に、シャルロットは華やかな笑顔を浮かべる。しかし彼女は、それから間もなくシノブの腕に抱かれたまま夢の世界の住人となる。やはり、かなり疲れていたのだ。

 シノブは、愛妻の顔にかかった髪を、そっと梳いて後ろに流す。すると彼女は、少女のように無垢でありながら深い幸せを感じさせる笑みを浮かべる。


 シノブは、まるで全ての憂いから解き放たれたかのような妻を、寝室に備え付けられた魔道具の微かな灯りの中、じっと見つめる。彼は、己が妻に安らぎを与えたことに深い喜びを感じていた。そして同時に、その安らぎを二度と壊さないと、強く強く胸の奥に刻んでいた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年3月22日17時の更新となります。


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