16.07 シノブの帰還
シノブは山中で出会ったタケル、正式には大和健琉という名の少年について、魔法の家の中で待っていたシャルロット達に掻い摘んで説明した。
日本に似た国ヤマト王国については、シノブも興味がある。しかし、それは彼にとって、そして待っていた者達にとって本筋ではない。
そのためシノブが伝えたのは、彼が転移直後に魔獣と遭遇したこと、タケルが彼の身を案じて持っていた小剣を投じ折ってしまったこと、それに対するお詫びをしたいことだけだ。
幸い、アミィの持つ魔法のカバンには予備の魔法の小剣があった。そこで、折れた剣の代わりに魔法の小剣を渡すことは、あっさりと決まる。
だが、タケルは戦闘が苦手なようだ。剣を与えても、そのまま魔獣の出る領域に放置して良いものだろうか。シノブは、そんな不安を抱いてしまう。
ところがシノブの悩みは、意外な存在の申し出により解消された。そこで魔法の小剣を手にしたシノブは、申し出た存在と共にタケルに会うべく外へ出た。
「う、うわぁ! と、虎!?」
驚き後退ったタケルは、そのまま後ろに転んでしまう。だが、それも無理はないだろう。シノブが伴っているのは、光翔虎のシャンジーであった。
もちろんシャンジーは、普通の虎くらいの大きさに変じている。そのため白く輝く体以外は、通常の虎と変わらない。
とはいえ、虎は虎である。タケルが怯えたからといって、彼を小心者だと非難するべきではなかろう。
「し、シノブ様、大丈夫なのですか!?」
タケルは尻餅を突いたまま、シノブへと訊ねかける。彼はヤマト王国の王子らしいのだが、シノブを神の使いと崇めている。そのため彼は、シノブに敬称を付けることにしたのだろう。
もっとも、タケルは巫女のような外見に相応しく、控えめな性格のようだ。そのため、普段から丁寧な言葉遣いをしているだけ、という可能性もある。
──シノブの兄貴~。こいつ、本当に男なのですか~?──
初めてタケルを見るシャンジーは、彼の怯える様子が気に入らなかったようだ。
光翔虎の雄は互いに戦い優劣を決め、厳密な上下関係を形成する。シャンジーがシノブを兄貴と呼ぶのも、彼がシノブとの決闘に負けたからだ。そういう育ち方をしたシャンジーが、弱々しく映るタケルに失望するのは、当然かもしれない。
「タケル、大丈夫だ。彼はシャンジー、人間と共存しているし言葉も理解できる。ほら、土を払って」
シノブは、タケルに手を差し出しつつ語りかけた。そしてシノブは眼前の少年を引き起こしながら、彼の白衣の袖や緋袴の後ろに土が付いていると指摘する。
「シャンジー、タケルは俺のために一本しかない剣を投げてくれたんだ。その勇気は賞賛すべきだよ」
更にシノブはシャンジーへと振り返り、タケルを擁護する言葉を口にした。
シノブ達は、当面シャンジーをタケルの護衛として残すつもりなのだ。シャンジーには、通信筒を渡し魔法の家の呼び寄せ権限も付与した。シャンジーがタケルを人里にでも送り届けたら連絡してもらい、エウレア地方へと戻すことになっている。
のんびりした思念と一風変わった性格のシャンジーだが、元の姿は体長20m近い巨体であり、成体の光翔虎より僅かに小柄なだけだ。したがって、魔獣がどれだけいようと問題ない。
とはいえ、シャンジーとタケルが打ち解けないようでは不安が残る。そのためシノブは、二人の仲を取り持とうとしたわけだ。
「タケル。これを折れた剣の代わりに渡すよ。強力な魔道具で切れ味も凄い」
シノブは落ちていた小石を拾うと放り投げ、魔法の小剣を振る。すると小剣は、切ったものが水の球であったと言わんばかりの容易さで、硬い筈の石を二分していた。
「す、凄いです! ありがとうございます!」
鞘に収めた剣を渡されたタケルは、驚喜しながら押し頂いている。小柄で巫女風の服を着た彼がそうしていると、まるで神殿に伝わる宝物を捧げ持つ神職のようであった。
「これを使ってシャンジーと会話してくれ」
シノブは、大きめの羊皮紙をタケルに渡す。シノブが渡したのは『アマノ式伝達法』の信号表だ。
「シャンジー、彼の名は?」
──タ・ケ・ル、タ・ケ・ル、タ・ケ・ル──
シノブがシャンジーに言葉を掛けると、白く輝く虎は複雑な咆哮を上げ始めた。もちろん信号表を見ながらのタケルが理解しやすいように、ゆっくりと区切ってだ。
「詳しいことはシャンジーに聞いてくれ。落ち着いたら、また会いに来る」
結局、シノブは何故タケルが山中に来たかを訊ねることもなく、彼と別れることとなった。後に残ったシャンジーが事情を聞き取るからだが、シノブはシェロノワがどうなっているのか気になって仕方がなかったのだ。
「は、はい!」
しかしタケルは、シノブの素っ気無い態度に怒りはしなかった。
彼はシノブを神の使いと信じているようだ。それに、明らかに並の物とは懸け離れた剣を授かり、これまた神獣と言うべき不思議な虎が助けてくれる。したがって彼が、ただただ感激するだけでも無理はない。
「シノブ様、本当にありがとうございます!」
タケルは、何らかの理由があり神域に訪れたらしい。もし彼の目的が秘宝を授かることや、神の助力を得ることなら、望みが叶ったというべき状況である。
そのためだろう、魔法の家に入るシノブをタケルは再び地に伏し見送っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブが魔法の家に入ると、アミィは早速通信筒に紙片を入れた。彼女は、シェロノワで待つアルメルに連絡をしたのだ。
シノブ達が今いるヤマトとシェロノワは1万km近く離れている可能性がある。しかし、それでもシノブは問題なく魔法の家の呼び寄せに成功した。
ただ、いつ呼び寄せるか知らせないと、魔法の家での転移は出来ない。利用する者が外にいるのに呼び寄せるかもしれないからだ。そこでシノブ達は、通信筒で準備が完了したことを伝えるようにしている。
今回は、シェロノワのフライユ伯爵家の館で、ミュリエルの祖母アルメルが待機しているという。向こうは天気も良いようだが、いつまでもアルメルを庭に立たせておくわけにはいかない。そのため、シノブはタケルとの会話を慌ただしく切り上げたのだ。
アルメルも今か今かと待っていたのだろう。アミィが通信筒に紙片を入れると、ほんの僅かな時間を空けただけで魔法の家は転移をしていた。
シノブが魔法の家を出ると、そこは明るい陽光が差す自身の館の前だった。今までいたヤマト王国の山中は夕方であり、しかも巨木が密集していたため薄暗かった。しかし、こちらは東方からの光が眩しい。そのため、シノブは思わず目を細めてしまう。
ヤマトが地球で言う日本、シェロノワが欧州だとすれば、8時間くらい時差がある筈だ。したがって太陽の位置の違いは当然だが、シノブにとっては極めて遠距離を転移したことの証でもある。
「お館様、お帰りなさいませ!」
「無事なお戻り……信じておりました!」
まるでシノブの帰還を祝福するかのような光満ちた場には、アルメルを始めとする大勢の人がいる。
館の者は家令のジェルヴェを筆頭に殆どがシノブを迎えに出たようだ。そして、一部には軍人や内政官もいる。どうやら、政庁や軍本部にも知らせを走らせたのだろう。
──絶対戻ってくると信じていたけど……でも、本当に良かったわ──
人々の後ろには光翔虎のメイニーまでいる。彼女はシャンジーと共にオルムル達の世話をしていたのだ。
「アルメル殿、お待たせして申し訳ありませんでした。皆も、すまなかった」
シノブは正面のアルメルに歩み寄り、深々と頭を下げた。アルメルは、今は亡き先々代伯爵の妻だ。そこでシノブは、彼女が自身のいない間を纏めたと思ったのだ。
「本当に、ご迷惑をお掛けしました……」
もっと早く帰れなかったのか。シノブの胸の内に、そんな思いが広がっていく。アルメルの目に光るものがあったからだ。
こちらの世界と地球のある世界では、時間の流れが大幅に異なるようだ。シノブが日本にいたのは一日にも満たないのだが、こちらでは二週間が過ぎたという。そのためシノブにとっては僅か一日足らずの心配も、待っていた者達には半月近い心痛となった筈だ。
「無事にお戻りくださったのですから……それだけで良いのです。……さあ、中に」
アルメルの目から、涙が零れ落ちる。それを見たシノブは、思わず彼女の手を取った。
「まあ……シノブ様、それはシャルロット様に。身篭った奥方を労るのが良い紳士ですよ」
「そうですとも! さあ閣下、東方守護将軍代理のお手を!」
アルメルに続いたのは、第四席司令で領都守護隊司令でもあるジオノだ。彼の目にも煌めくものがある。
「代理か……苦労を掛けたね」
シノブは、シャルロットが自身の代理を務めたことまでは、まだ聞いていなかった。しかし彼は、アルメルとジオノの会話から、何があったかを察する。
シノブが不在のフライユ伯爵家にはアルメルとミュリエルしかいない。そしてアルメルは農務長官を務めているが、それは農務卿を実家とする出自故だ。アルメルは先々代の妻だが、夫を亡くしてからは次代に遠慮し表に出なかったという。その彼女が、当主の代理を務めることは無かったのだ。
残るミュリエルは、まだ十歳だ。彼女は伯爵夫人に相応しい女性を目指し努力をしているが、現時点で領主の代理は荷が重い。
シャルロットが自身の不在の間を纏めてくれた。それに思い至ったシノブは、感謝の意を篭め愛妻に微笑み、彼女の手を取り歩み出す。
「いえ。戦地にいる者達、そして異郷で難儀した貴方に比べれば、何でもありません」
シャルロットは嬉しげに頬を染めつつも、凛々しい表情を保ちシノブに応じた。どうやら彼女は、家臣達の目を気にしたようだ。
シノブは歩きながら、改めて妻の軍服へと視線を向けた。最近はドレスを選ぶことも多い彼女が朝から軍服姿なのも、代理故であろう。
身篭った妻に、大きな負担を掛けてしまった。シノブは、守るべき女性の下を離れた自分を、内心で責める。しかし彼は周囲の視線から、それが必要ではあるが自身の驕りかもしれないと気が付いた。
魔法の家から館の入り口までは、大勢の家臣達が並んでいた。
ヴィル・ルジェールなどの侍従達。アンナやリゼットなどの侍女達。アンナの父で館の衛兵隊長であるジュスト以下の兵士達。そしてレナンやパトリックなど、シノブに仕える従者見習い達。彼らの顔には、今までもあったが更に強くなった感情が混じっている。
歩む自分達を見る目には、当主の二週間ぶりの帰還に対する安堵や喜びがある。戦いの末に行方不明となった夫が戻ったシャルロットへの祝意がある。だが、それらと同等に強く感じるのは、隣を歩む妻への敬慕の念であった。
きっとシャルロットは、大きなことを成し遂げたのだ。もちろん懐妊中の彼女が前線に出るわけはないし、各地を飛び回ることも無いだろう。しかし何かがあったに違いない。シノブは、そう感じていた。
「何があったか、たっぷり聞かせてもらうよ」
シノブは館の大扉を潜りながら、妻へ優しく語りかける。確かに、シャルロットは極めて優れた女性だ。とはいえ、夫として愛情を示すのは別のことである。
二週間の間、シャルロットが、アミィが、そしてミュリエルやセレスティーヌ達が、更に多くの者達がしてきたこと。それらは、シノブが知らなくてはならないことだ。不在で掛けた苦労に報いるなら、まずはそこからであろう。
「ええ。お伝えすることは沢山あります。そして、お聞きしたいことも」
シャルロットの言葉に、シノブは僅かに苦笑した。地球での出来事を、どう説明しようかと思ったからだ。電車に自動車といった乗り物、スマートフォンにカメラなどの道具類を始め、こちらには存在しないものが沢山ある。とはいえ、これらを飛ばして話すのも難しい。
だが、何とかなるだろう。幸い時間は沢山ある。ここは自分の家で、周りにいるのは家族達だ。アルマン王国のことは気になるが、少しくらい横道に逸れるのは許してもらおう。
そんなことを考えながら、シノブは最愛の妻と共に、懐かしい館の中を進んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは、ごく僅かな者だけを伴い自身の執務室へと向かった。アルメル達は、ゆっくり休んではとシノブに勧めたが、彼はそれを良しとしなかったのだ。
何しろ二週間に渡る不在である。その間には、きっと様々なことがあったに違いない。シノブは、それらを早く聞こうと考えたわけだ。
「シャルロット……君がいてくれたんだね」
執務室に入ったシノブは、シャルロットへと微笑みかけた。彼は、自身の部屋に妻と同じ芳香を感じたのだ。
「貴方の代理を務めましたから……」
シャルロットは、寄り添う夫に恥ずかしげな笑みを返した。
彼女が恥じらったのは、己の残り香を言い当てられたためか、それとも夫の賞賛故か。いずれにしても、シノブを見つめる彼女の顔には、再会から変わらぬ安堵と喜びがある。
執務室に来るまでに、シノブは代理を務めた経緯を聞き取っていた。
シャルロットが当主不在のフライユ伯爵家を纏め、諸国の同盟に際しては東方守護将軍の代理として宣言文に署名したことだ。
それらをシノブは納得と共に聞いていた。彼は、自身の妻を強く凛々しい人だと知っていたからだ。
「苦労を掛けてばかりだね。でも、嬉しいよ」
シノブとしては、自身の姓を冠した『アマノ同盟』という名は少々気恥ずかしくもある。しかし、それを含め、自分がいない間を守ろうとしたシャルロット達の努力の結晶であり、嬉しくもあったのは事実だ。
「シャルお姉さまの凛々しい姿、シノブ様にもお見せしたかったですわ! ねえ、ミュリエルさん?」
「はい! 私もお姉さまのようになりたいって思いました!」
シノブとシャルロットに続いて入室したのは、セレスティーヌとミュリエルだ。
彼女達は、再会した夫婦に遠慮したのか、普段のようにシノブの側に寄ることは無く、僅かに離れて後ろを歩んでいた。魔法の家では子供のように縋りついた二人だが、流石に大勢の家臣の前では、そうもいかないのかもしれない。
なお、ミュリエル達に続くのはアミィとオルムル達だけだ。シノブを含む五人と四頭の子竜、そして光翔虎の子フェイニーだけが部屋に入ったのだ。
「続きを教えてくれないか。皆、君達から聞けって言うし……」
ソファーに腰掛けたシノブは、苦笑をしながら切り出した。
アルメルやジオノ達が同行しなかったのは、シャルロット達に遠慮したからのようだ。彼らも、早く報告を受けたいというシノブも気持ちは理解したらしい。しかし同時に、まずは妻や家族との時間を、と思ったのだろう。
「シノブ様! 皆さんが気遣ったのは事実ですが、シャルロット様達にお聞きになれば大丈夫なのも確かなことですよ!」
──そうです! シャルロットさん達は頑張りました!──
向かいの席から答えたのはアミィで、思念と共に可愛らしい鳴き声を発したのは、猫ほどの大きさに変じシノブの膝に納まったオルムルだ。
今、シノブの左右にはシャルロットとミュリエルが座り、そして向かいにアミィとセレスティーヌが腰掛けている。そして、シノブの膝にいるのはオルムルとファーヴである。
なお、残りの子竜達シュメイとリタンはシノブの足元、フェイニーはソファーの背もたれの上から、シノブに縋りついている。彼らは、久しぶりにシノブから魔力を受け取っているのだ。
「そうか……ごめんね」
「いえ、私達もシノブに頼ってばかりではいけないと考えたのです。自分の力で出来ることをする。それが、大切なことだと気が付きました」
この日、何度目かの謝罪をシノブが口にすると、シャルロットが柔らかな声で応じる。彼女の表情は、温かな中にも凛々しさを漂わせたものであった。
シノブは思わず妻の美しい面に見入ってしまう。
二つの世界で時間の流れが異なるとはいえ、こちらでも僅か二週間しか経過していない筈だ。しかし、シャルロットの、そしてミュリエルやセレスティーヌの顔には、新たな何かが宿っている。シノブは、そう感じざるを得なかった。
それは、眷属として長い時を生きてきたアミィにすら表れていた。彼女も、この二週間で様々な苦労をしたのだろう。
「その通りだ。一人一人が出来るのは小さなことだ。だが、皆が助け合い動く。それが大切なんだ」
シノブは、父の勝吾の言葉を思い出しつつ頷いた。庇護するだけではなく、もちろん庇護されるだけでもなく、皆が手を取り合って進む。それが健全な姿だ。シノブは、日本での父達との再会に感謝しながら呟いていた。
「はい。皆、各地で動いています。ブロアート島には、シメオン殿やマティアス殿、それにイヴァール殿が赴きました」
シャルロットは、アルマン王国の北半分であるブロアート島のことを語り出す。彼女は、シノブが最も知りたい場所、そして一番大きな動きがあった場所から伝えようと思ったのだろう。
シノブが異神達と対決したのは創世暦1001年4月18日、そして今日が5月2日だ。その間、異神達は姿を隠したままだという。
最初は、シャルロット達も異神の再出現を警戒していたが、そういった知らせは入ってこない。異神達そのもの、あるいは彼らが宿ったアルマン王国の王族達の姿は、エウレア地方の何処にも現れないままだった。
一方、シメオンはアマノ同盟の成立直後に、イヴァールにあることを頼んでいた。それは、アルマン王国のベイリアル公爵ジェイラス・ブロアートとの接触だ。
ベイリアル公爵は、ブロアート島最大の都市ベイリアルを所領としている。そして家名のブロアートが示すように、ブロアート島を任された一族でもあった。
そもそも、初代ベイリアル公爵ジェリックスは、建国王ハーヴィリス一世の弟だ。つまり、ベイリアル公爵家は、アルマン王国の北半分を押さえるため王家が送り込んだ家である。
だがベイリアル公爵家は、次第に当初の権力を失っていったらしい。おそらく、安定期に入ったアルマン王国に、強力な太守など不要だったからであろう。そのため、公爵と言いつつも実質的な支配領域は伯爵と同様に都市とその周辺のみとされ、軍権も王家や中央に寄せられていったらしい。
「シメオン達が!?」
「シメオン殿は、そのようなベイリアル公爵家であれば、切り崩すのも容易と考えたのです。そしてアルマン王国に反軍務卿の勢力を立ち上げ、あわよくばアマノ同盟軍の寄港地を、と」
シャルロットは、驚くシノブへと説明を続けていく。
アルマン王国は現在でも王国と名乗っているが、実質は総統を称するジェリール・マクドロンが支配する国となっている。そのジェリールと彼の息子ウェズリードは王都アルマックを中心に民の強い支持を得ているが、北辺の地ではどうであろうか。シメオンは、そう考えたのだ。
そして彼の読みは当たっていた。ベイリアル公爵家には王家への不満があり、更に王家を打倒した軍務卿への反発もあった。ただ、公爵はアルマン王国軍を牛耳るマクドロン親子に反旗を翻すことが出来なかっただけなのだ。
「それで、どうなったの?」
「ブロアート島はアルマン王国から独立しました。現在は、暫定的にベイリアル公国としていますが、一連の戦いが終われば、より諸侯や民との協調を重視した体制になるでしょう」
シャルロットは、夫にブロアート島の現状を語っていく。ベイリアル公爵と接触したシメオン達は、首尾良く彼の同意を取り付けたのだ。
アマノ同盟としては、アルマン王国を切り崩し戦いに有利な寄港地を得たい。ルシオン海を越えてアルマン王国、つまり北のブロアート島や南のアルマン島に渡るには、最も近いメリエンヌ王国の西海岸からでも150km以上ある。
遠方から来た各国の艦隊は、アルマン王国に近いメリエンヌ王国やガルゴン王国の港に寄るか、そこからの補給船で物資を補充しながら包囲を続けている。しかし大海原を越えていくより、戦地の近くに寄港地や補給地があれば、戦を有利に進められる。また、大々的な戦果があれば、戦意高揚にも繋がる。
一方のベイリアル公爵としては、遠い親族である王家だから従っていたものの、マクドロン親子の下風に立つ理由など存在しない。ただ、軍を押さえる相手に逆らっても、無闇に血が流れるだけだから堪えていただけだ。
そのため、双方の思惑が一致した結果、あっさりと合意が成立したのだ。
「アデレシア殿下やセルデン子爵達は反対しなかったの?」
シノブは、フライユ伯爵領に亡命中のアルマン王国の王女や貴族の名を挙げた。ベイリアル公国の建国は彼らにとって望ましくない事態では、とシノブは考えたのだ。
「いいえ。この状況では軍務卿の力を削った方が良いと判断したのでしょう。
ベイリアル公国は、条件付きでアマノ同盟にも参加しました。現在の諸問題を解決した後に、後継となる国が正式に同盟に加わります。そして、そのときにはアルマン王家にも然るべき地位を用意することになっています」
「シノブ様、シャルお姉さまの勇ましいお姿、お見せしたかったですわ! あっ、戦に出たわけではありませんの! 魔法の家でブロアート島に渡り、その中でベイリアル公爵と会談しただけですわ!
ですが、皆を従えベイリアル公爵を圧倒するシャルお姉さまのお姿……素敵でしたわ」
説明を終えたシャルロットに、うっとりとした表情のセレスティーヌが続く。
途中でシノブが血相を変えたため、彼女は慌てて釈明混じりの言葉を口にするが、それでも従姉妹への憧憬の念は収まらなかったらしい。再び彼女は、シャルロットへの賛辞を口にし始める。
◆ ◆ ◆ ◆
「……そうか。本当にシャルロットは頑張ったんだね」
「いいえ。ミュリエルやセレスティーヌも努力しました。そして、アミィも」
自身ばかりが褒められたためだろう、シャルロットは夫に首を振ってみせた。そして彼女は、横に座る妹や向かいの二人の名を口にした。
「ミュリエルは、立派に内政を支えました。アルメル殿を助け、更にフライユ伯爵領を一大商業拠点としたのです」
「いえ、私だけの力ではありません! ロエクさんやモカリーナさん、それにボドワンさんのお力があればこそ、です!」
姉の言葉に頬を染めながらも、ミュリエルは商人達の名を口にしつつ嬉しげに語り出す。
以前はメリエンヌ王国の北東の辺地であったフライユ伯爵領も、今は違う。東には旧帝国領があり、そことは大規模な交易が始まっている。そして、北にはシノブ達が注力した高地の開拓地がある。ドワーフ達が中心となって切り開いた開拓地は、豊かな資源と新たに設立された学校のある希望の土地だ。
更に、西には豊かなベルレアン伯爵領やルシオン海へと続く道、そして南には王都メリエや南海へと続く道がある。シノブ達が興した産業も花開くこの地は、エウレア地方有数の先進的な地へと生まれ変わった。
それをミュリエルは上手く活かし、自領を一層の繁栄へと導いたのだろう。
「学校にも、各国の貴族の子弟が通うようになりましたわ! あれから更に増えましたの!
アマノ同盟を結んだときに、エディオラ様やマリエッタさん、それにロカレナさん達を見た方々が、深く感じ入ったのですわ!」
「それは、セレスティーヌ様のお力もあってのことです。
……シノブさま、セレスティーヌ様が、各国の王妃殿下を始め、シェロノワや北の高地のことを宣伝して下さったのです」
セレスティーヌは、ミュリエルの成果の一つとしてメリエンヌ学園に触れたようだ。しかし、ミュリエルからすれば、それは王女の助力があって、ということらしい。
残念ながら、各国の重鎮達が学園に赴く時間は無かったという。しかし、セレスティーヌはその後の歓談に、学園の主な者を招いていた。
ガルゴン王国の王女エディオラは研究者として勤務している。カンビーニ王国の公女マリエッタも、シャルロットの側仕えの合間に、軍務を含む各種の知識を学びに行く。そしてミュリエルの側仕えとなった、ガルゴン王国の伯爵の孫ロカレナも、幼年部に通っている。
親族達は再会した自身の子や孫の成長を喜び、他も後継者などをメリエンヌ学園に通わせようと決意したらしい。
そのため、これはセレスティーヌの外交による成果でもあった。
「学校は俺も気になっていたんだけど。でも、皆のお陰で上手く行っているんだね」
「シノブさま、アミィさんにも沢山助けていただきました! 今では、各国との連絡も随分楽になったのですよ!」
ミュリエルは、アミィの成果へと触れる。すると、アミィは少しばかり頬を染めた。
アミィは、急速に広がるエウレア地方の交流のために、自身の知識を少し開示したようだ。そのため、魔力無線は大幅な進歩を遂げ、今では大規模な装置なら500km先にも信号を送れるという。また、小型な装置は安価な部品で構成できるようになり、西の艦隊にも随分搭載したそうだ。
もっとも、アミィは最小限の関与に留めたようだ。彼女はマルタン・ミュレが率いる研究所の者達に助言をし、手掛かりとなるものを示しただけらしい。
とはいえ、眷属としての知識を僅かなりとも地上に与えたことには変わりない。そのため彼女は、シノブに怒られるとでも思ったのであろうか。
「アムテリア様が聞いたら、きっと喜ぶと思うよ」
「ありがとうございます!」
アミィの内心を察したシノブは、彼女に優しい言葉を掛け力強く頷いて見せる。すると彼女は輝くような笑顔となり、嬉しげな言葉を発した。
「そうだ……無事に戻れたこと、お礼しなくちゃ……実はね、神々の御紋ってアムテリア様達とお話が出来るみたいなんだ。あっ、これ、俺の両親と妹の写真! 向こうで撮ったんだ!」
御紋を懐から取り出そうとしたシノブは、その手に触れる別のものに気が付いた。そう、それは妹の絵美が渡してくれた写真である。絵美とシノブの両親、そしてシノブの四人の姿を写し取ったものだ。
「エミさん、シノブさまと似ています!」
「この方達がシノブ様の……」
シャルロットに渡した写真を、ミュリエルが覗き込む。そしてセレスティーヌも、シノブ達の側に回って興味深げな視線で見つめている。
もちろんアミィも、そしてオルムル達も写真に釘付けだ。アミィだけは、シノブのスマホから引き継いだデータで三人を知っているが、それでも現在の彼らがどうしているか気になったのだろう。
「……シノブ、神々の御紋でご報告できるのであれば、すべきでは?
ご存知かもしれませんが、アムテリア様は夢で私達を励ましてくださいました。おそらく、今こうしていることも全て承知されていると思います。ですが、シノブからお礼を伝えれば、きっと喜んでくださる筈です」
「ああ、そうだね」
妻の言葉に、シノブは頷いた。幸い、ここにはアムテリアと会ったことのある者か、シノブの出自や神々について伝えた竜や光翔虎だけだ。
シノブはアムテリアのことを念じつつ、御紋の表面をそっと触る。すると神々を示す紋章は消え、変わって受話器のアイコンなどが現れた。
ついに我が家に戻れた。そして最愛の妻や家族達と再会できた。それらへの感謝を胸一杯に抱きつつ、シノブは見慣れた図形へと指を動かしていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年3月18日17時の更新となります。