16.06 その名はヤマト
シノブはアムテリアの神域に赴き、その中心となる洞窟に入った。そして彼は、神域の主であり自身が母と仰ぐ女神との邂逅を果たす。
アムテリアはシノブを優しく迎え、再び彼女が管理する惑星へとシノブを誘った。そしてシノブはアムテリアが発する神秘の輝きに包まれ、愛する者達の待つ地へと向かう。だが、最初に世界を渡ったときと同じく神々しい光に没した彼は、思わず目を瞑ってしまう。
「……こ、ここは?」
瞼を貫くような輝きが失せたため、シノブは目を見開く。
辺りを見回した彼が見たものは、今までいた洞窟とは違う光の差す場所であった。もちろん、それは最前までの洞窟とは全く異なる場所だ。どうも最初や地球に戻ったときとは違い、シノブは気絶せずに世界間の転移を終えたようだ。
周囲には巨木が密集している。それに、日輪を拝むことは出来ないし空自体も薄暗い。たぶん、夕方を過ぎたか逆に早朝なのだろう。
辺りは深い森だが、日本に存在するアムテリアの神域の付近と良く似ている。ただし、シノブの周囲だけは小さな広場のように開けている。とはいっても、せいぜい幅は20m程だ。周囲の針葉樹が倒れたら、あっさりと塞いでしまうだろう。
まるで自身が生まれ育った国の山中、先ほどまでいた九州の山奥のようだ。そう感じたシノブは、両親や妹と別れた場所を思い出していた。
そこは、樹齢百年を越えていそうな巨木の間を縫う道であった。今いる場所も同様で、道こそ無いが天に向かって聳える杉の木が無数に立ち並んでいる。
しかもシノブの背後には、神域のような清冽な気が宿る場所がある。そのため場所だけを見れば、日本で神域の外に放り出されただけのようでもある。
だが、日本でシノブがアムテリアの神域に入ったのは、朝9時をとっくに過ぎ日も高かった。したがって、鬱蒼と茂る木々の中でも、周囲は今より明るかった。
しかも、ここは八月の半ばであった日本ほど気温が高くない。ただし、気温は標高などで異なるから、日本かどうかの決め手にはならない。
もっともシノブには、ここが地球ではないことが明瞭であった。ここには魔力が充分にあり、地球とは明らかに異なる。やはりアムテリアが告げた通り、彼女が管理する惑星に転移したのだろう。
ならば、エウレア地方にいるアミィ達に思念で連絡できるかもしれない。そう思ったシノブは自身の魔力へと意識を向ける。
「何か来る! それに人だ!」
しかしシノブは、アミィ達への連絡を一旦中止する。何故ならシノブは、遠方から巨大な魔獣らしき存在が接近していること、より近い場所に人間の魔力があることを察知したからだ。
どちらも、まだシノブから見えはしない。しかし、魔獣と思われる魔力は真っ直ぐここに向かっているし、人間の魔力も同様に近づきつつあるようだ。
「全部ある……出方を見るか」
シノブは、とりあえず様子見とした。
神々の御紋に光の大剣、光の首飾りに光の盾。それらは、全て存在する。アムテリアから授かった軍服風の白い服や緋色のマントも身に着けている。
そもそも、地球とは違い魔力が充分にある。試しにシノブは身体強化をしてみたが、エウレア地方と同様の感触を得た。であれば、魔獣くらいで慌てる必要は無い。
もし、接近してくる者が魔獣を狩るつもりなら、勝手に倒すと騒動の元になるかもしれない。仮にここが君主や領主の狩場で相手が貴人であったなら、狩猟の邪魔をしたと言われる可能性もある。
シノブは短い間に素早くそれらを考え、ぎりぎりまで手出しを控えることにしたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「ブゴォッ! ブグオォ!」
巨木の間からシノブに向かって突進してきたのは、巨大な猪であった。黒い巨体はエウレア地方の森林大猪と良く似ているが体長4mを越えており、シノブが知るものより二回りは大きいし牙も随分と長い。
地響きを立てて走ってくる姿は、まるで暴走するトラックのようである。駆ける速度も、高速道路を走る車並みの速さだ。
とはいえ、所詮は猪の突進である。シノブの身体能力なら飛び退くなりして躱せば良いだけだ。そのため彼は出来るだけ引き付けてから避けることにし、静かに待ち構える。
しかし突進する森林大猪は、急遽向きを変えることとなる。
「危ない!」
若い女性のような甲高い声と共に、大猪に向かって投じられたのは、一本の小剣であった。シノブ達が使うものと同じ両刃の真っ直ぐな剣だが鍔や柄の造りは異なる、シノブからしたら異国風に見える剣だ。
かなりの勢いで飛来した剣は、森林大猪に当たりはした。しかし、軽すぎたのか猪の毛皮が硬いからか、突き刺さらずに地に落ちる。そのため、大猪が怪我を負うことは無い。
それどころか、頭に来たのか猪は急角度で向きを変え、剣が飛んできた方に疾駆していく。
「あ、ああっ!」
森林大猪の向かう先にいるのは、和服のような前合わせの服を纏った人物であった。上半身が白い服で、下に赤い袴のようなものを着けているため、一見巫女のようでもある。正面からだと判然としないが、黒髪を長く後ろに垂らしているようで、よけいに神職の女性を思わせる。
顔も服装や髪に似合った繊細なものだが、今は迫り来る大猪を目にしたためだろう、形の良い細めの眉が顰められ、若さの溢れる面からは血が引いている。
「君、これは倒して良いのか!?」
高度な身体強化を発動したシノブは、一瞬で小剣を投じた人物の前に回りこみ、二人を守る魔力障壁を張りつつ問いかける。
シノブを助けるために小剣を投じたのだから、殺すのが禁忌ということもないだろう。しかし彼は、相手が神職のような格好をしていることもあり、念のため確認したのだ。
「ブオォッ!」
一方の大猪は横っ飛びに回避した。流石は魔獣と言うべきか、眼前に立ちふさがる魔力の壁を感じ取ったらしい。
「は、はい! お願いします!」
へたり込みそうな様子ながらも、巫女のような姿の人物はシノブに頷き、鈴を転がすような声で応えた。どうも投げた小剣以外に武器を持っていないようで、そう答えるしかないのも事実ではある。
「ブゴオオォッ! ブゴォッ!」
大猪は木々の間を回って戻ると、障壁の前で咆哮を上げた。どうも行く手を防ぐ壁を不快に感じたようで、巨獣は鼻息も荒く吼え狂う。
「そこを動くな! 障壁を張った!」
シノブは魔力障壁の上から跳び出し、光の大剣を抜き放つ。そして彼は大上段に構えた大剣を一気に振り下ろし、森林大猪を切り伏せる。もちろん、使った技はフライユ流大剣術の『神雷』だ。
「君、大丈夫か?」
シノブは倒れた大猪の絶命を確かめ、魔力障壁を解除した。そして彼は、中にいた人物へと声を掛ける。
黒髪の人物は、安心したためか地面へと腰を落とし、潤んだ黒目がちの瞳でシノブを見上げている。もしかすると、腰が抜けたのかもしれない。
見上げる顔は、エウレア地方の人々とは少々異なっている。端的に言えば、東洋系なのだ。そのためシノブは、ここは日本に相当する場所なのかもしれない、と密かに考える。
「あっ、あの! 貴方は神様ですか!?」
「……神様?」
唐突な問いに、シノブはどう答えるべきか迷った。
シノブは神域のすぐ外に転移したらしい。そして、相手は白衣に緋袴のような服装である。神と全く関係ないと答えると、神域を汚したと思われるかもしれない。シノブは、それを案じたのだ。
それはともかく、ここがどこかを知りたい。そう思ったシノブは、とりあえず手を差し出した。すると、相手は素直に手を取って立ち上がる。シノブが助けたためだろうが、少々無防備にすら見える従順さである。
もしかすると、逆らわないのはシノブの格好故かもしれない。何しろ光の大剣を右手に持ち、胸には光の首飾り、左手には篭手状の光の盾を装備した、大袈裟に言えば神々しくも感じる姿である。その装いを見れば、シノブが神々に連なる者と思っても無理はない。
「はい、神域のすぐ近くですし! あっ、もしかして私を迎えに来てくださったのですか!?」
「いや……確かに、ここには神様の力で来たんだが……ところで、迎えにって? まさか生贄じゃないよね? 神々が巫女を生贄にするなんて、ありえないし……」
シノブは『迎えに』という言葉が気になったので訊ねてみる。
エウレア地方には、神に巫女を捧げるような風習は存在しない。しかし、この森林大猪のような巨大な魔獣の棲む場所に、たった一人で来るのだ。もしやと思ったシノブは、思わず憂い顔になる。
「わ、私は男です! 巫女じゃありません!」
「ええっ!? あ、いや……失礼!」
何と、相手は男性であった。女顔で高めの声、小柄でシノブより頭一つ近く低い背と巫女風の服。それらのせいでシノブは少女と誤解してしまったが、少年だったのだ。
少年は、不満げな顔で見上げていた。しかし彼は、シノブが慌てて謝ったためか、それ以上追及することはなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「俺はシノブだ。シノブ・ド・アマノ。……君の名は? それと、ここはどこ?」
自身の名を告げたシノブは、とりあえず少年の名と、ここがどこかを問うた。すると、少年は少し恥ずかしげな顔をして話し出す。
「ここはヤマト王国の筑紫の島です」
少年は、相変わらずの少女のような声で語り出す。その声音は小柄で女性的な容貌の彼に似合っているが、シノブは尚更女性らしく感じてしまう。
それはともかく、やはりここは地球でいう日本に相当する国、ヤマトであった。シノブもアミィから概要だけは聞いているのだが、ヤマトは室町時代くらいの日本に相当する国家らしい。もっとも、シノブはそういう国があると聞いただけで、ヤマトが王制だったのも初めて知ったくらいである。
そして、ここは九州に相当する場所らしい。九州の古名は筑紫洲だから、間違いないだろう。もしかすると、ヤマトの地理は日本と大差が無いのかもしれない。であれば、神域がある場所も日本と殆ど同じ位置ではなかろうか。
そんなことを考えたシノブだが、少年が続ける内容に少しばかり驚くことになる。
「そして、私の名は大和健琉です。そちら風に言えば、タケル・ヤマトですね。ですから、タケルと呼んでください」
何と少年の名はタケルで、姓はヤマトであった。当然ながらシノブは、古代日本の有名な英雄の名を思い出す。
もちろん眼前のタケルは、彼とは何の関係も無いだろう。何しろ、別世界のことである。それに、タケルという名は神話や続く上代には珍しくもない。日本武尊に彼と戦った熊襲建、それに日本武尊には稚武王という息子もいるそうだ。また、雄略天皇とされる獲加多支鹵大王の例もある。
したがって名前自体は別に良いのだが、シノブはヤマトという姓が気になった。
「ヤマトか……。ヤマトという姓は、王子だから?」
シノブは、ついつい妹の絵美に話すときと同じような口調になってしまう。
タケルはシノブより四歳年下、つまり十五歳であった。しかも彼は大人しげな少年だ。そのためシノブは、無意識に兄のような気持ちになってしまったらしい。
そんな感慨と共にシノブの心に浮かんできた疑問は、タケルの出自についてである。
タケルは外国に関しても多少の知識は持っているようだ。彼は、異国には姓名の順が逆の者もいると知っていた。黒髪黒目の彼が金髪碧眼のシノブを見て驚かないのは、そういった背景もあるのだろう。
国名が姓となり、おそらくは庶民が知らないであろう異国に関する知識がある。ならば、彼の身分は王か王子に違いない。シノブでなくとも、そう思うだろう。
「はい、一応は王子……あっ、剣を!」
タケルは途中まで説明しかけた。しかし彼は、どういうわけだか投じた小剣を探しに行く。
走り出すタケルを眺めるともなく眺めていたシノブは、自身がアミィ達に連絡したかったことを思い出した。そこで彼は、思念が遠方まで届くように大量の魔力を込めていく。
ここが地球で言う日本にあたる場所なら、エウレア地方、つまり西欧に相当する地域まで1万km近く離れている可能性がある。シノブはエウレア地方の端から端まで、およそ3000km近く離れた場所まで思念を届かせたことはあるが、今回は三倍以上だ。そのため、彼は光の大剣も使い魔力を増幅していく。
──アミィ、ホリィ、マリィ、ミリィ! 俺の思念が聞こえるか!? 今、俺はヤマトにいる!──
シノブは、とりあえずアミィやホリィ達だけに伝えることにした。アミィも含め、彼以外の思念が届くのは150km程度である。そのため、この距離であれば向こうからの応答は無い筈だ。
それに、竜や光翔虎はヤマトという国を知らないだろう。そこで彼は、混乱を避けるためにアムテリアの眷属達だけに伝えることにしたのだ。
「あっ!」
シノブが思い切り魔力を込めたからだろう、タケルが驚いたような叫びを上げて振り返る。どうやら彼は、そこそこ魔力感知が得意なようである。
以前にも、このようなことがあった。岩竜ガンドと彼らの長老ヴルムに請われて炎竜のゴルンとイジェに思念を送ったときのことだ。あのときも、シャルロットやアリエルなどを始め、魔力が多い者や訓練で感知能力を磨いた者達は、シノブが発した魔力波動を感じ取っていた。
もちろん、内容が理解できるのはアミィ達眷属か竜や光翔虎だけなのだが、一定の域に達した者達なら至近距離であれば魔力の動き自体は理解できるのだ。
──俺の通信筒は壊れて使えない! だから、新しいものを呼び寄せる! 魔法のカバンから予備を出してくれないか!? 40番なら、まだ使っていないと思うけど!──
シノブは、驚きの顔を向けているタケルには構わず、アミィ達に語りかける。そのせいか、タケルは再び小剣を探し始める。
まずは、アミィ達とやり取り出来るようにしたい。おそらく、この状況で最も早く帰還できるのは魔法の家での転移だろう。しかし思念が届かない遠距離なら、通信筒で互いの状況を確認しつつ呼び寄せを行う必要がある。
とはいえ思念で触れた通り、シノブが持っている通信筒は異神達の最後の攻撃を受け止め壊れてしまった。そこで彼は、新たな通信筒を呼び寄せることにしたのだ。
通信筒は、かなりの数をアムテリアから授かっているが、数に限りがある。そこでシノブ達は、無闇に配るようなことはしていない。そのため、魔法のカバンには多くの予備を仕舞ったままだ。
ただし、魔法のカバンに入れたものを、そのまま呼び寄せることは出来ない。かといって、アミィ達の状況が不明なのにカバンを呼び寄せることは悪手であろう。仮に彼女達が戦闘中でカバンに仕舞った道具を必要としているなら、命にすら関わるからだ。
暫く待つことにしよう。シノブは、そう考えた。
魔法のカバンは非常に重要な道具だから、アミィ達が手元から離すことはない筈だ。以前はシノブかアミィだけがカバンを持ち運んだが、最近ではホリィ達も人の姿を取ることが出来るようになった。
そのため四人の誰が持っているかはわからないが、大して時間を掛けずに通信筒を出してくれるだろう。逸る気持ちを抑えるため、シノブは木立の間から覗く空を見上げる。
「ああっ!? 剣が!」
タケルの叫びを聞いたシノブは、そちらを振り向く。するとヤマト王国の王子は、自身が発見した小剣を掲げたまま座り込んでいる。何と、剣は中ほどから折れていたのだ。
たぶん、突進する森林大猪が踏み折ったのではないだろうか。小剣には、剣身のほぼ真ん中から先が存在しない。
それを見たシノブは、タケルに対し申し訳なく感じた。
シノブが大猪を引き付けてから躱そうとしなければ、タケルが小剣を投じることは無かった筈だ。つまり、小剣が折れたのはシノブのせいでもあったのだ。
だが、今はシノブにもすべきことがある。彼は、後でタケルに何らかの弁償をしようと思いつつ、予備の通信筒を呼び寄せる。
「やった!」
シノブは、思わず歓声を上げてしまった。彼の手の中に、期待通り新たな通信筒があったからだ。
そして、僅かな間を置いて通信筒が振動する。おそらく、この通信筒を取り出した者が早速文を送ったのだろう。
「アミィ……」
通信筒から出した紙片を手にしたシノブは、思わず瞳を潤ませる。
そこには、シノブの帰還を喜ぶアミィの嬉しげな文字が躍っていた。しかも文字には微かな滲みがある。
それは、アミィの涙なのだろうか。もしかすると、共にいたシャルロットのものか。それらの思いが、シノブにも同じ輝きを宿したのだ。
ともかく、読まなくては。胸の高鳴りを押さえつつ、シノブはアミィが送った文を読み進める。
やはりアミィはシャルロットの側、つまりシェロノワにいた。そして二人やシノブの愛する者達が無事であること、早く魔法の家を呼び寄せてほしいことなどが記された手紙は、途中からシノブの見慣れた別の筆跡に変わっていた。もちろん、それは彼の愛妻の手によるものだ。
シノブの無事を喜ぶ言葉、再び会えると信じていたこと、このときを待ち望んでいたこと。武人であるシャルロットは、普段は簡潔に書き記す。しかし今回ばかりは大きく揺れた感情が彼女を突き動かしたのだろう、常に無く長い文章であった。
そのため妻の気持ちを察したシノブの視界は、感動と申し訳なさのあまり大きく歪む。
◆ ◆ ◆ ◆
「どうしたのですか?」
「いや……すまないが、これから見ることは黙っていてくれないか? 君にとって不思議なことが起こると思うが……」
案じ顔で近づいて来るタケルに、シノブは心配無用と示すため、敢えて軽めの口調で答える。そして彼は、汗を拭く振りをしつつ目元に手をやる。
「はい、それはもう! 神のお使いのなさることですから!」
どうやら、タケルはシノブを神の使徒と信じてしまったようだ。もっとも一定の知識を持つ者なら、彼でなくとも同じように思った筈だ。
ここが神域の近くだとタケルは知っており、しかも人の持ちえぬ膨大な魔力を放ったシノブを見た。しかも彼は、シノブの装備が普通ではないのも察しているようだ。これで相手が常人だと思う者は、まずいないだろう。
「そうか……では、その場を動かないで」
今は訂正しない方が好都合だろう。シノブには、やるべきことがあるからだ。
そのため、シノブはタケルの言葉を否定せず、魔法の家の呼び寄せに移る。彼は日本で手に入れた紙片や鉛筆で呼び寄せの準備をするようにと書き記し、通信筒に入れる。もちろん、送付した先はアミィである。
幸いにも、タケルがシノブの言葉の理由を問うたり、通信筒について訊ねたりすることは無かった。その意味では、神の使徒と誤解されて良かったのかもしれない。
そうこうしているうちに、ホリィ達からも喜びの文が届き出す。どうやら、彼女達はアルマン王国など西方にいたらしい。
ホリィは溢れる感激を、マリィは簡潔ながらも嬉しさを、そしてミリィは地球のお土産は、などと冗談を交えつつも帰還の祝いを。何れの紙片にも短い言葉と、数滴の雫の跡が輝いている。
もちろん、シノブは彼女達にも返信した。伝えたのは、とりあえず魔法の家を使ってアミィとシャルロットのいるシェロノワに戻ること、そして近くにいる者にも、そう伝えてほしいことだ。
ついに、アミィから準備が整ったとの知らせが届いた。
時間が掛かったところを見ると、シャルロット以外にも知らせたのであろうか。シノブは、そんなことを思いつつ、魔法の家を呼び寄せる。
「い、家が!」
当然ながら、タケルは出現した家に驚いた。それはそうだろう。小さな平屋とはいえ、床面積が10m四方はありそうな家が、唐突に出現したのだ。不可思議な現象に神の関与を感じたのだろう、タケルは素早くその場に跪く。
「やはり、神のお使い!」
「いや、平伏さなくて良いから……タケル、暫く外で待っていて。扉に鍵は掛けないから、魔獣が来るなど危険なことがあれば入っても構わない。だけど、中で少々用事があるんだ」
地に伏し頭を下げるタケルに、シノブは苦笑しながら語りかける。
おそらく、中にはアミィやシャルロットがいるだろう。そしてシノブは、家族との再会の場に他人を伴うつもりはない。
とはいえ、巨大な魔獣がいる場所だ。そのため、万一のときは入っても良いと告げたのだ。
「はい! お言葉の通りに!」
「それじゃ、また」
タケルは顔こそ上げたが、他は最前と変わらない。
しかし、シノブは彼に構ってはいられなかった。もう、待ちきれなかったのだ。それ故シノブは慌ただしく扉を開け、魔法の家の中に入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ!」
軍服姿のシャルロットが、美しいプラチナブロンドを靡かせつつシノブの胸に飛び込んでくる。彼女の深く青い瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。
対するシノブは、魔法の家に入った直後だ。そのため彼は、自身が閉めた扉の前で嗚咽する妻を抱きしめることとなる。
身篭ったシャルロットだが、体型に大きな変化は見られない。シノブはアミィ達とやり取りはしたが、彼は現在の日付を問うていないし、返信にも説明するものは無かった。双方とも、相手の無事と再会だけが頭にあったからだろう。
しかしシャルロットの姿を目にし、その手に抱いたシノブの脳裏には、自身が去ってからどれくらいの月日が流れたのか、という疑問が過る。
「ごめん……シャルロット。皆も、本当にごめん」
だが、そんな疑問を口にする前に、シノブにはすべきことがあった。それは、待ってくれた者達、心配させた者達に言葉を掛けることだ。
それ故シノブは、両手で愛妻をしっかりと抱きながら、己の思いを紡いでいく。
「シノブお兄さま!」
「シノブ様!」
謝罪の言葉を発するシノブの腕を、左右からミュリエルとセレスティーヌが掴む。
ドレス姿も美しい淑女然とした二人だが、どちらも子供に返ったかのようにシノブの肩へと顔を押し付けた。泣き顔を見せたくないのか、それともシノブを放したくないのか、二人は縋りついたまま動かない。
「シノブ様、お帰りなさいませ……」
三人に続いて近づいてきたのは、シノブと同じ白い軍服風の衣装を纏ったアミィだ。彼女はシャルロット達に遠慮したのか、少し離れたところで立ち尽くす。
とはいえ、アミィの薄紫色の瞳にも大粒の涙が浮かび、頬を濡らしている。彼女の狐耳は嬉しげに立ち上がり尻尾も大きく揺れているが、笑顔の上の煌めきは、それが単なる喜びだけではないと言っているようであった。
歓喜を表すアミィの左右には、人ならざるものの姿があった。もちろん、それはオルムル達だ。
──シノブさん、お帰りなさい! 心配したんですよ!──
──シノブさんなら大丈夫だと思っていましたけど……でも……──
オルムルやシュメイが、アミィの脇から思念で呼びかけてくる。
魔法の家に入ってすぐは、石畳の大広間である。したがって、もっと本来の大きさに近いもの、例えば人間くらいでも良い筈だ。
しかし、彼女達は、猫ほどの大きさに変じ宙に浮かんでいる。その方が、シノブに接近しやすいためであろう。シノブは、オルムル達の姿にも待っていたものの喜びと、それまでの深い心配を感じてしまう。
──シノブさんは絶対戻ってくると信じていました! 見てください、僕もだいぶ飛べるようになりました!──
何と、ファーヴも宙に静止している。しかも彼はオルムル達と同様に小さく変じていた。アムテリアから腕輪を授かったのだ。
本来の大きさはわからないが、ファーヴは丸っこい幼竜の姿ではない。やはり、それなりの時間が流れたようだ。
──ファーヴは一生懸命練習したんですよ──
──シノブさんに成長した姿を見せたいって、頑張ったんですよ~!──
海竜の子リタンと、光翔虎のフェイニーがファーヴを褒め称える。二頭を含めシノブの側に寄りたいようだが、シャルロット達を気遣っているのだろう、アミィと同じく僅かに離れて留まっている。
──シノブの兄貴~、お勤め御苦労様でした~!──
普通の虎ほどの大きさに変じたシャンジーは、シノブに向かって深々と頭を下げる。何かを勘違いしたような彼の言葉は、ミリィにでも教わったものであろうか。
「お勤めって……アミィ、それに皆、お出で。俺も会いたかったよ」
シノブはシャンジーの思念に苦笑してしまう。そして彼はシャルロットの背から片手を離し、アミィ達へと差し伸べる。
聞きたいこと、聞かねばならぬことは沢山ある。しかし、今は素直に再会を喜びたい。それは妻であるシャルロットだけではなく、家族として支えてくれた者、慕ってくれる者達全てとだ。シノブは、諸々を一旦置くことにし、己の胸に浮かんできた感情に身を任せる。
「はい、シノブ様!」
アミィは駆け寄り、オルムル達は宙を飛んでくる。
流石にシャンジーは巨体故か遠慮したらしい。しかしシャンジーもシノブの後ろに回り、彼の足に体を擦り付け始める。
「ところでシャルロット、今日は何日なのかな? まさか、もう出産は終わってしまったの?」
流石にそれは無いだろう、とシノブも思った。しかし皆に囲まれ気恥ずかしくなった彼は、冗談で誤魔化そうとしたのだ。
「まあ……安心してください、ここに貴方の子もいます」
顔を上げたシャルロットは、泣き笑いの表情を夫に見せつつ右手を自身の腹部へと動かした。
二人は抱き合ったままであり、その手をシノブが見ることは出来ない。しかしシノブは、微笑みを増す。
シノブの側にあるシャルロットの温かな手と彼女の仕草。それは、新たな命に対する妻の深い慈しみを、シノブに伝えてくれたのだ。
「シノブお兄さま、今日は5月2日です」
「あれから二週間も過ぎましたのよ」
ミュリエルとセレスティーヌは涙で濡らした顔を上げ、シノブの疑問に答えた。ミュリエルはシノブの問いが意外であったのか少し目を見開き、セレスティーヌは不在の間を思い出したのか声が湿っていた。
「そうか……本当にごめんね」
シノブは、己を囲む者達に再び謝った。
やはり、時間の流れの差は存在したのだ。シノブは日本に丸一日もいなかったが、こちらでは二週間だ。長期間案じただろうシャルロット達を思い、シノブの顔に陰が宿る。
「いえ、無事にお戻りになったのですから、それで良いのです……シノブ、早くシェロノワに戻りましょう。向こうではアルメル殿を始め、大勢が待っています」
「そ、そうだね……あっ、実は外に待たせている人がいるんだ! どうしようかな!?」
シノブは、シャルロットの『待っている』という言葉から、屋外のタケルを思い出した。
まさか、このまま何も言わずに去るわけにはいかないだろう。少なくとも、折れた小剣の詫びをする必要がある。
愛する者達、頼りにする者達に、シノブは笑顔で相談し始めた。
タケルには悪いが、もう少し待ってもらおう。だが、その分しっかりと礼をしよう。シノブは内心そう誓いながら、異郷で出会った少年のことをシャルロット達に語っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年3月16日17時の更新となります。