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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第16章 異郷の神の裔
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16.04 白い光を抜けて 後編

 シノブの父、天野(あまの)勝吾(しょうご)は既に移動経路や所要時間を調べていた。それによればシノブが現在いる場所、彼の実家から九州の神域まで、車で大よそ13時間だという。

 シノブの実家は高速道路の出入り口にも近いため、移動経路の殆どが一般道ではない。ちなみに九州に着いて高速道路を降りたら、そこからアムテリアの神域までは1時間半ほどらしい。勝吾はスマホで調べたこれらについて、シノブに伝える。


「カーナビがあるから、運転も楽なものだよ。それに千穂(ちほ)と交代できるからね」


 勝吾は隣に座る妻、千穂に微笑んだ。シノブの両親は双方とも車を運転できるから、交互に仮眠を取れば、途中の休憩も最小限で済む。


「ええ。だから安心しなさい。ほら、お代わりは?」


 千穂は柔らかな笑みと共に夫に応じた。そして彼女は、シノブにご飯をよそおうとする。シノブ達は、千穂が用意した心づくしの夕食を味わっている最中だ。


「ありがとう。ところで、九州に行くつもりだったって? まさか車じゃないよね?」


 シノブは、両親や妹の絵美(えみ)が九州に旅行する予定であったことを思い出した。実家に戻る途中で、絵美から聞いたのだ。


 勝吾、千穂、絵美の三人は、アムテリアと闇の神ニュテスにより、シノブが別の世界に渡ったことや、その後の概略を夢の中で伝えられていた。そこで彼らは、せめてシノブが異世界に旅立った土地までと思い、神域がある九州まで行こうとしたわけだ。

 神域の側に行ったとして、どうなるものでもない。しかし、そんなことは家族の情には関係ない。幸い、お盆の時期でもあり、勝吾は月曜日から三連休を取ることが出来た。

 なお、この日は絵美が友人との前からの約束でイベント見物に行った。そこで彼らは、昨日と今日で旅行の準備をし、明日から旅立つ予定だったそうだ。


「もちろん飛行機で行くつもりだったよ。だが、キャンセルしたよ」


「ごめん……」


 勝吾の答えに、シノブは顔を曇らせた。前日ならキャンセル料も高かったのでは、と思ったからだ。

 シノブは光の大剣を(たずさ)えたまま移動しなくてはならない。したがって、飛行機に搭乗するのは無理がある。新幹線でも、警察官や駅の職員に荷物を検められる可能性があるだろう。そのため車で運んでくれとお願いしたわけだが、両親に無駄な出費をさせたのは事実である。


「そんなことは気にしなくて良いんだよ。折角お前と会えたのだから。それに、久しぶりの長距離ドライブも楽しみだよ」


「そうね! お父さんは車とカメラが数少ない趣味だから!」


 優しさの滲む勝吾の言葉に続いたのは、絵美であった。

 勝吾は会社の同僚とも親しくしているし、付き合いでゴルフなどもする。ただし彼はゴルフを仕事の延長として捉え、あまり熱心ではないようだ。もっとも腕自体は良いし、同僚や取引先の者の前では卒なくこなし内心を気付かせないあたり、様々な意味で優秀なのだろう。

 そんな勝吾の本当の趣味は、絵美が言う二つであった。車は4ドアのセダンだが、スポーツセダンに分類されるもので、五十も近くなった彼には、少しばかり派手なものだ。

 カメラも一眼レフを中心に幾つか持っており、しかもデジカメとフィルムカメラの双方がある。実は、シノブが九州旅行に持っていった一眼レフのデジカメも、勝吾のお下がりだ。


「ああ。お前を見送ったら、ゆっくりと九州を周ってから帰るよ」


「そうですね。温泉巡りもしたいわ」


 二泊三日の旅、しかも往復の時間は丸一日を越える。したがって勝吾と千穂が言うような観光をしている暇がどれほどあるか。しかし、二人はそれを感じさせない穏やかな顔でシノブに笑いかける。


「そうだ! お父さん、写真を撮ってよ! 今のお兄ちゃんの写真!」


 絵美は、しんみりした空気を振り払いたかったのだろう。彼女は唐突に明るい声を上げる。


「ああ、そうだね。ちょっと待ちなさい。(しのぶ)、お前はゆっくり食べなさい。千穂、残りは詰めておいてくれ。移動中にでも貰うよ」


 娘の言葉に頷いた勝吾は席を立つ。そして彼は、慌ただしく二階へと上がっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 勝吾(しょうご)は食事を終えたシノブを、そして自身も含む四人の姿を撮影した。彼は、シノブの姿だけではなく、家族の揃った姿も残しておきたかったようだ。

 地球の存在する世界と、アムテリアが管理する惑星がある世界は、どうやら時間の流れが異なるらしい。シノブはエウレア地方で八ヶ月以上過ごしたが、日本では二週間しか経っていなかった。そのため、のんびりしていると、向こうでは何日も経過している可能性はある。

 だが、シノブはカメラと三脚を抱えて二階から降りてきた父の言葉に逆らわなかった。もう自分は日本に戻ることは出来ないだろう。これは、親不孝をする自分の、せめてもの償いだ。シノブは、そう思ったのだ。


 そして、時ならぬ撮影会を終えた四人は、それぞれ出発の準備を始める。両親は車に荷物を積み込み、シノブも光の大剣をトランクに収める。

 トランクに光の大剣を入れた後、シノブは車を駐車場の中で僅かに動かすよう父に頼んだ。馬車などでは、シノブやアミィ達眷属が保持して乗るか、彼らが荷台などに安置するかでなくては移動できない。そのため、シノブがトランクに入れたのなら問題ない筈だが、念のために確かめたわけだ。

 幸い、その法則は自動車にも適用されるようだ。シノブが同乗していれば、車は問題なく動いた。


「はい! お兄ちゃん!」


 出発の準備を終えたシノブ達のところに、絵美(えみ)が一枚の写真を持って駆けてきた。彼女は、一人だけ二階に上がって何かをしていたのだ。


「これは……さっき撮った写真?」


「そうだよ、こっちのお土産! 大切にしてね!」


 シノブが受け取ったのは、彼を含む四人で撮った集合写真であった。絵美は二階にあるパソコンとプリンターで写真を印刷したのだ。

 比較的大きな写真専用紙は、カメラ好きな父が常備しているものだろう。そこには、白の軍服風衣装に緋のマント、更に光の大剣を背負ったシノブと、彼を囲む三人の姿が綺麗に写っていた。


「本当なら動画データも渡したいけど、それは無理だから……」


 絵美は、少し悲しそうな顔をしている。

 撮影したのは、静止画像だけではない。動画や音声も記録していた。これらは家族の下にシノブの姿や声を残すためである。しかし、シノブが絵美達の動画や音声を持っていくことは出来ない。

 正確に言えば、アミィが受け継いだシノブのスマホのデータには、それらもある。しかし、流石に絵美達には、そこまで伝えられていないのだろう。


「とても嬉しいよ。大切にする。それに、シャルロット達にも見せるよ」


 シノブは妹の頭に手をやり、優しく撫でる。

 絵美は、向こうにいる人々に自分達の姿を見せたかったのでは。シノブは、何となくだが、そんな気がしていた。


「うん、お願い! これに入れて!」


「ありがとう」


 絵美は、薄いケースをシノブに渡した。写真が傷つかないように、と持ってきたらしい。シノブは、妹の気遣いに頬を緩ませつつ、写真をケースに収め懐へと入れた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 お盆の期間中ということもあり、高速道路の車は多かった。しかし日曜の夜ということもあり、下り路線は上りほど混んでいない。そのため、都市圏を抜け出すと車は順調に流れていく。

 夕食を済ませてすぐということもあり、交互に仮眠を取ると言っていた両親達も、暫くはどちらも起きたままであった。そこでシノブは、エウレア地方で経験したことを詳しく語っていく。


 森への出現とアミィとの出会い。シャルロット達との出会いと暗殺未遂事件の解決。ベルレアン伯爵家での日々。ドワーフ達の国への旅と竜との遭遇。シャルロットとの婚約と王都訪問。伝えるべきことは幾らでもある。

 シノブは、具体的な描写は控えたが戦いにも触れていった。それらを抜きにして、これまでの軌跡を語ることは出来なかったからだ。

 ベーリンゲン帝国の陰謀や奴隷とされた人々の解放。ガルック平原での帝国との激突。フライユ伯爵となった後の帝国への進攻。そして、現在のアルマン王国での戦いだ。

 勝吾(しょうご)千穂(ちほ)、それに絵美(えみ)は、さほど驚くことはなかった。おそらく、アムテリア達が見せた夢で概略だが大半を聞いていたためだろう。とはいえ、三人の表情には憂いも混じっている。それは戦いへの嫌悪ではなく、シノブに対する愛情(ゆえ)らしい。


「ところで父さん、俺のアパート、どうするの?」


 一通りを話し終えたシノブは、ハンドルを握る父へと問いかけた。日本では、シノブは実家から離れて一人暮らしをしていたのだ。


「既に今月分は払っているから……その後に解約かな。そのままになっているから、引き取りにいかないと……」


 勝吾は、少しばかり眉を(ひそ)めつつ答えた。息子の住んでいたアパートの解約は、彼にとってシノブとの別れを感じさせるものなのだろう。


「何か役に立つものがあったんじゃないの?」


「電気製品は使えないしね。それに、向こうに色々持ち込むのは良くないよ」


 シノブは後部座席から、助手席の母へと言葉を返す。彼は高校生のときにスクーターの免許は取ったが、自動車はまだ運転できない。そのため、多くの場合はこの配置である。もっとも、今後両親が仮眠を取り出したら、休む方は後ろに回るだろう。


「そうよね……大学の教科書とか持っていったら、大変なことになるよね」


 絵美は、隣に座る兄へと微苦笑を向ける。

 シノブは大学一年生であったため、まだ専門課程には進んでいない。だが、逆に言えば一般課程の広範な課目の教科書は持っている。仮にそれらをエウレア地方に持ち込んだら、文明が飛躍的な発展を遂げる可能性はある。


「ああ。そういえば、俺の友達とかから何か言ってこなかった? 電話が繋がらないから、おかしいと思っていそうだけど」


 絵美が大学と言ったため、シノブは友人達のことを思い出した。日本での彼に恋人などはいなかったが、男女を問わず友人は多かったのだ。

 シノブは、九州に遺跡巡りの旅に出ると、特に親しい者には告げていた。したがって、暫くアパートに現れなくても不審に思わないかもしれない。とはいえ、このご時勢だ。彼のスマホに電話やメールをした者も当然いるだろう。


「あ~、それね……ごめんなさい! 遺跡好きが行き過ぎて外国に行ったことにしちゃった! それも秘境の遺跡で電話が通じないくらいの!」


「お友達から、絵美にメールが来たのよ」


 絵美の言葉を母である千穂が補った。要するに、同じ高校から進学し絵美とも顔見知りの友人が、彼女に問い合わせたらしい。


「そういうことか……謝ることはないさ。実際、近いといえば近い状況だしね」


「お前の歴史好きが、妙なところで役に立ったね。そんなわけで、当分は休学扱いにしようと思っていたんだよ。

細かいところはそのうち何とか誤魔化して、最終的には外国で美人の嫁さんを貰って居ついたとか、そんな感じにね。実際シャルロットさんは凄い美人だから、嘘じゃないだろう?」


 勝吾の言葉に、他の三人は大笑いした。そして、四人の笑顔を乗せたまま、勝吾の操るスポーツセダンは西へと向かっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 道中では数度の休憩を取り、シノブ以外の者達は交互に仮眠を取った。

 シノブは朝方アルマン島で戦ったが、転移した先である日本は夕方であった。そのため彼の主観では出発時でも起きてから数時間であり、眠くならなかったのだ。

 それにシノブは、残り僅かな両親や妹との時間を心に刻みたかった。それ(ゆえ)彼は移動中も家族との会話を途切れさせず、サービスエリアなどでの休憩時も一緒に地方の風物を楽しんだ。

 勝吾(しょうご)達も同じ気持ちであったのだろう。勝吾は車外に出たときは必ずカメラを(たずさ)え、妻や子供達の姿を撮り貯めていた。そして千穂(ちほ)絵美(えみ)は、それぞれシノブの腕を取り、深夜の、そして早朝の土産物屋を覗いていった。


 だが、そんな家族の和やかなときは、ついに終わる。

 シノブ達の乗った車は、無事に九州へと入り高速道路を降りた。勝吾は車が趣味というだけあって腕も良かったし、千穂も夫に感化されたのか運転を苦にしない。そのため充分に休憩を取ったにも関わらず、予想よりも早く着いたくらいだ。

 高速道路を降りてから一度休憩を取り、再び彼らは九州の中央に(そび)える山々へ向かっていく。早朝の道は空いており、勝吾の運転するスポーツセダンは、軽やかに山を登っていった。


 車内の様子は対照的だ。今は出発時と同じで勝吾の隣は千穂、後部座席にシノブと絵美だが、絵美はシノブの手を握って離さない。勝吾も軽快に愛車を操ってはいるが、その表情はどこか険しい。千穂は前へと顔を向けず、斜め後ろのシノブを見つめ続けている。

 車が鬱蒼(うっそう)とした森林を抜けて大昔の火山の跡である巨大な盆地に入ってからも、三人の様子は変わらない。高原の牧草地のようにも見える広々とした空間には(まぶ)しい朝日が(きら)めいているが、その光は車内には届いていないかのようである。


「……(しのぶ)、お前は乗馬も覚えたのだったね。こんなところを駆け抜けるのかな?」


「ああ。リュミ……リュミエールは速いよ。向こうの馬は身体強化があるからね。今の速度くらいだったら余裕だよ。シャルロットのアルジャンテもそうだけど、高速道路を走る車にだって負けないよ」


 突然の父の問いかけに、シノブは少々おどけた調子で応じた。彼は、父親が沈んだ車内の雰囲気を変えようとしたことに気がついたのだ。


「お兄ちゃん、本当に白馬の王子様みたいだよね……それに、王様になるかもしれないんでしょ?」


「頼りになる人達がいるから心配はしていないけど。でも、私の息子が王様だなんて……それに、今でも伯爵様なのよね……」


 絵美と千穂も、笑顔を作りつつ会話に混ざる。

 旅立つシノブの負担になってはいけない。心配をかけたくない。せめて笑顔で見送ろう。彼女達の顔には、そんな思いが滲んでいるかのようである。


「王様か……そのときは頑張るよ。母さんの言う通り、頼りになる人達にこき使われながらね」


「ああ。そうしなさい。それと、一人で全部動かそうなんて考えないことだよ。任せるところは任せ、続く者を育てるのも大切なことなんだ。ついつい手出ししたくなるから、中々難しいけどね」


 親として社会人の先輩として、勝吾は教訓を与えたくなったのかもしれない。彼は、シノブの呟きに穏やかな声で答える。

 勝吾は息子の独り立ちをもう少し先だと思っていた筈だ。シノブは大学に入学したばかりだから、順当に行っても、まだ三年半は親の庇護の下で学んだだろう。とはいえ、今のシノブは別世界とはいえ立派な社会人である。それも、多くの人を率いる身だ。

 そんな息子に、勝吾は先を歩んだ者としての言葉を贈ろうと考えたらしい。


 おそらく息子に足りないのは経験だ。勝吾は、そう思ったのだろう。

 息子は充分に努力し、周囲もそれを支えてくれている。神々という人知を超えた存在も見守ってくれている。しかし、隔絶した能力を持つらしい息子が、何でも自分一人で対処しようとしたら。周囲が育ち、付いてくるのを待たずに、自身の力だけで道を切り開こうとしたら。

 勝吾の胸にそんな思いが過ぎったとしても、おかしくはない。


「ありがとう。父さんの言葉、忘れないよ……」


 シノブも、案ずる父の心を理解した。あまり仕事のことを話さない父であったが(ゆえ)に、察するものがあったのだ。


「……父さん、もっと教えてよ!」


「伯爵様に教えるような知識は無いけどね……でも、普通の人が普通に仕事をする。それなら教えられるよ。どうやら、お前にはそれが一番必要らしいから、ちょうど良いかもしれないが」


 シノブの言葉を聞いた勝吾は微笑んだらしい。真後ろに座るシノブに、彼の顔は見えなかった。しかし、彼の温かな声音(こわね)は、確かに笑みを含んでいた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 神域のある神話の里に着いた四人は、車を観光地の駐車場に置いて山を登っていった。シノブの主観ではおよそ八ヶ月半ぶり、地球の暦では二週間ぶりの、山中の旧跡へと続く道だ。


 周囲を囲む樹齢百年を越えていそうな杉の木は、シノブが世界を渡ったときと、全く変わっていない。変わったのは、シノブの方である。姿形だけではなく、彼の両脇にはしっかりと手を握る母と妹がいるし、三人を嬉しげに目を細めて見守る父がいる。

 頭上を覆い隠す巨木の群れのためか、山道に入ってから彼らの会話は少なかった。そして、この日も山道には人影は存在せず、辺りを満たしているのは木々の微かな香りと時折聞こえる鳥の鳴き声のみである。


(しのぶ)、どうやら私達はここから先に進めないらしい」


 勝吾(しょうご)は息子の肩に手を当て、その場に押し留めた。シノブが振り向くと、彼の顔は僅かに血の気が引いている。


「父さん、母さん、絵美(えみ)! 大丈夫なの!?」


 シノブは慌てて左右の母と妹の顔を見るが、二人の顔も勝吾と同じく血の気が薄い。どうやら、神域の間際まで近づいたようだ。シノブは異常を感じないが、三人には結界の影響が出始めたらしい。

 そういえば、周囲の木々が心なしか大きくなったようだ。シノブは、そう思った。もしかすると、普通の人はここまで入ることも出来ないのかもしれない。三人はシノブと同行しているから神域に接近できたが、とはいえ、最後まで一緒に行けるわけではないらしい。


「大丈夫、お兄ちゃん。これが神域なんだね……ちょっと、驚いちゃった」


「何ていうか……そう、畏れ多いって感じかしら。ここから先に、私達ごときが入ってはいけないという気がするの」


 絵美や千穂(ちほ)は、シノブに微笑み掛ける。勝吾を含む三人は、神気に当てられ畏れを感じただけであり、体調を崩したりはしていないようだ。

 三人の様子に安堵したシノブは、改めて周囲を探る。すると彼は、近くを漂う神気を自身に集められると気が付いた。

 そこでシノブは近くの神気を積極的に集め始める。そうすれば、両親や妹の負担を軽減できるかもと考えたのだ。


「おお、少し楽になった……お前が何かしたのかな?」


「ああ、近くの神気を集めたんだ。でも、ここでお別れだね。本当の神域は、もっと凄い密度だから」


 驚く父に、シノブは微笑みと共に説明する。

 やはり、周囲の神気を吸い取れば、三人への負担を減らせるらしい。神気は、向こうの世界で言う魔力と基本的には同じもののようだ。シノブにとっては心地よい気配だが、途轍もなく清冽であるから常人には耐えられないのだろう。


「そうか……忍、すまないが光の大剣を抜いてくれないだろうか? それと、剣で何か出来ないか? 父さんに見せてあげたい」


 勝吾が言う父とは、三年前に死去したシノブの祖父の(まさる)である。歴史好きで時代劇が好きな、シノブにも多大な影響を与えた老人だ。

 どうやら勝吾は、自身の目で見るだけではなく記録を残したいらしい。彼は、肩に担いでいた鞄から小型のデジタルビデオカメラを取り出した。もしかすると、記録した映像を家の仏壇の前で再生するのだろうか。


「わかった……父さん、これから見せるのはフライユ流大剣術の型だよ。『天地開闢』から『燕切り』、そして『神雷』に『千手』、最後が『金剛破』だ」


 父が録画を開始したのを確認したシノブは、三人から離れる。

 周囲には、既に誰もいない。それに長い一本道で道幅も広いから、剣の型くらいは披露できる。しかも、ここには神気も存在するから、多少の身体強化も使えるだろう。


「父さん、母さん、絵美……それに爺ちゃん……良く見ていてね」


 抜き放った光の大剣を、シノブは一旦胸の前で掲げた。

 白銀に輝く長い剣身は、高い木立で薄暗い山道にも関わらず、(まぶ)しい光を放つ。おそらく輝きは剣自体、そしてシノブが通した魔力によるものだろう。更に柄頭の青い宝玉や(つば)の金細工も、同じように(きら)めき出す。


「行くよ!」


 真っ直ぐに立っていたシノブは、すっと体を捻り沈めていく。そして彼は同時に剣を左に倒し、技に入る姿勢を取った。

 もっとも、これらは一挙動で行われた。そのため見守る三人は、シノブの動きを(つか)めなかったかもしれない。


 気合一閃、シノブが左から右に大剣を振り抜くと、空気が裂けて風が舞う。それをシノブは追い抜くように前方に跳躍し、斜め上に回した大剣を袈裟懸けに一閃、更に逆袈裟で切り上げる。

 すると横の一刀『天地開闢』で舞い上がった落ち葉が、斜めの二刀『燕切り』で四つとなる。


 散る葉の脇を抜けたシノブは、くるりと自身の向きを変え、大上段に掲げた光の大剣を地も割れよと振り下ろす。

 『神雷』の名の通り雷のように降った剛剣は、大地を衝撃波で震えさせる。するとシノブの前方に落ちていた幾つもの小枝や小石が、揃って宙に高く跳ねる。

 そしてシノブは、浮き上がったものを無数の突きで貫いていく。これまた『千手』の名に相応しい猛撃である。

 更にシノブは、天地も裂けよといわんばかりの気合と共に、瞬間移動したかと思うほどの突進をする。これが『金剛破』だ。この、大地を踏み割り片手一本突きの姿勢で動きを()める彼の姿を見れば、その利剣があらゆるものを貫き破ると、誰でも理解出来るだろう。


「……凄い! お兄ちゃん、凄いよ!」


 剣を収めたシノブに駆け寄ってきたのは妹の絵美だ。顔を紅潮させた彼女は、シノブに抱きつく。


「その……今のは魔術を使ったの?」


 千穂は、絵美同様にシノブを抱きしめながら問いかける。彼女には、シノブの見せた技が人の成し得るものと思えなかったようだ。


「いや、ちょっとだけ身体強化をしたけど、殆ど使っていないよ。本気でやったら、この一帯が酷いことになるから」


 シノブは照れくさそうな笑みを浮かべた。そして彼は、頭を掻きつつ母に答える。


(かろ)うじて撮れたようだね……ありがとう、父さんも喜ぶだろうし私達も安心できるよ。忍……私達のことは心配いらない。元気で暮らすんだよ」


「父さん、母さん、今まで育ててくれてありがとう。それと、向こうに行くことを許してくれたのも……親不孝な俺だけど、向こうから父さん達の幸せを祈っているよ。

絵美、すまないな……父さんと母さんをよろしく頼む。俺の代わりに……いや、俺が言えることじゃないな……」


 ビデオカメラを確認しつつ近寄ってきた父に、そして母や妹に、シノブは別れの言葉を告げた。しかし、彼の言葉に答えるものはいない。もはや言葉など要らない。それは、涙を流しつつ頷きシノブを抱きしめる三人を見れば、明らかなことであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 両親や妹との別れを済ませたシノブは、己一人だけで神域に入っていった。そして彼は、アムテリアと出会った洞窟のある広場へと辿(たど)り着いた。そこは、濃密な神気が充満した場所だ。以前ならともかく、今のシノブにはアムテリアの存在がひしひしと感じられる。


 洞窟は、入り口近くまで落盤で塞がれていた。シノブが初めて訪れた時、彼を閉じ込めた巨大な岩盤だ。

 しかし、今のシノブは魔術を使える。地球に魔力は存在しないが、彼自身の体内に残された魔力に加え、この地に満ちる神気があれば、かなり大きな魔術も使えそうだ。

 そこでシノブは、洞窟を塞ぐ落盤を土魔術で取り除く。するとそこには、繊細な金糸のような長い髪とエメラルドのように(きら)めく瞳の女神、アムテリアの麗姿が存在した。


「シノブ……戻ってきてくれたのですね」


「母上。もう私のいる場所は、この世界ではありません。それと、父さん達に別れを告げる機会をいただいたこと、感謝しています。ありがとうございます」


 シノブは、自身を抱きしめる光り輝く女神に、静かに返答した。

 美しい瞳に涙を浮かべた女神は、沈黙したままだ。しかし、シノブは地球に出現した場所が実家の近くであったのは、アムテリアの温情だと察していた。

 彼女や従属神達がシノブを地球に転移させることが可能で、しかも自身と縁のある場所を選べるなら、ここに転移させても良かった筈だ。しかし、敢えてシノブの実家の近くに送ったのは、神々の配慮に違いない。シノブは、そう思っていたのだ。


「すみません。急ぐ必要がありましたね……シノブ、貴方をシェロノワに直接送ることは出来ません。貴方を地球に送り込んだのは、本来なら禁じられている地球への物理的な関与に当たります。そのため、貴方の帰還には制限が付きます」


 二つの世界には時間の流れの差があるらしく、悠長にしてはいられない。

 そのためだろう、アムテリアはシノブを(いだ)く手を緩めると、そっと離した。そして彼女は、申し訳無さそうな顔でシノブに語りかける。彼女の憂いのためか、(まと)う輝きが微かに減じたようでもある。


「えっ、制限ですか!? まさか上位の神様から!?」


 シノブは驚愕した。制限自体より、世界を統べる上位の神がアムテリア達に何らかの処罰をしたのでは、と案じたのだ。


「ありがとう。ですが、大丈夫です。私やニュテス達が罰せられたわけではありません。ただ、貴方を任意の場所に送ることが出来ないだけです。

この神域と対になる場所が、あの惑星にあり、貴方はそこに行くことになります。それが、今回課せられた制限なのです」


 アムテリアは、人の心を読み取ることができる。そのため彼女は、シノブが口に出すまでも無く、彼が何を案じたか察していた。

 彼女は詳しいことには触れないが、どうやらシノブを地球に転移させたこと自体は緊急措置として認められたようだ。しかし、家族との接触などは上位神に責められたのかもしれない。


「そうですか……でしたら何の問題もありません。私だって、色々な魔術を使えるようになりました。それに、向こうに戻れば、アミィやシャルロット達と連絡することも出来るでしょう。

さあ母上、私を皆のところに戻してください!」


 シノブは安堵の笑みを浮かべた。

 異なる世界ではなく同じ惑星の上であれば、自身で対処できる範囲だ。今のシノブは重力魔術で飛翔できるし、光鏡での連続転移もある。それに、アムテリアから授かった神具の呼び寄せで知らせることも可能だし、距離によっては思念での連絡も出来る。

 そうであれば、自身でどうにかするのが一人前の男というべきだ。シノブは、そう思ったのだ。


「本当に立派になりましたね。それでは転移を始めますよ」


「はい、お願いします」


 シノブが(いら)えると、初めて世界を渡ったときと同じくアムテリアが一層強い輝きに包まれる。その白い光は太陽を直視するかのようで、これまた最初のときと同様にシノブは目を(つぶ)ってしまう。

 だが、違うこともある。彼は、両親や妹への別れの言葉を念じてはいなかった。別れは既に済ませた。それも、充分に語り合ってだ。神域に入るシノブを三人は笑顔で見送ったし、彼も憂いの欠片もない笑みと共に手を振って応えた。もう、互いの心は充分に伝わっているのだ。

 そのためだろう、シノブは自身の理解など及ばない膨大な神力に包まれていながらも、両親や妹と別れたときと同じような穏やかな微笑を浮かべていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年3月12日17時の更新となります。


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