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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第16章 異郷の神の裔
361/745

16.03 白い光を抜けて 前編

「お兄ちゃん。光の大剣を持ったままじゃマズくない? そのままで家に帰れるかな?」


 歩行者天国を抜け出した直後、絵美(えみ)は僅かに首を傾げつつシノブに尋ねた。彼女は、頭一つ以上背の高い兄を見上げている。


 シノブと絵美は、これから両親の待つ家に行く。

 両親には絵美のスマホから既に連絡を入れている。幸い日曜日ということもあり、二人は家にいた。シノブも絵美のスマホを通し彼らと話したが、どうやら夕食の買出しから戻った直後らしい。

 当然ながら両親は驚喜したが、シノブは手早く話を終えた。実家に戻れば幾らでも会話できるし、彼には先を急ぐ理由もあったからだ。


「ここはコスプレなんて珍しくもないし、そういうのを持っている人もいるけど……」


 絵美は、歩行者天国の方を振り返る。

 シノブと絵美がいるのは、日本でも滅多にない一種の観光地と化した街だ。元々は家電製品や電気部品を扱う店が多数集った巨大な専門店街であったが、近年ではサブカルチャー系の品々を扱う店も多い個性的な街である。

 コスプレをした客引きなども多く、しかも今日はアニメや漫画に関する国内最大級のイベントが臨海地区であったため、一般人でも少々変わった格好をした者もいる。したがって、シノブの白い軍服風の衣装に緋のマント、更に光の首飾りに光の盾、背負った光の大剣も見逃されたようだ。


 これは、シノブが金髪碧眼の西洋人を想起する容貌だったことも幸いしたらしい。要するに、観光地で珍しいイベントに参加した、少々常識知らずの異国人と思われたのだ。

 とはいえ、単に変わり者として受け止められたわけでもない。エウレア地方で貴族としての挙措を身に付けたシノブは、こちらでも上流階級の者と映ったらしい。そのため人々は、異国の貴人のお遊びと好意的に解釈したようだ。


「三つともマントで包もうか?」


 シノブは、三つの神具をマントで包もうかと妹に提案した。

 確かに歩行者天国の外は今までのようにはいかないだろう。ここからはコスプレの店員もいない。それにイベントに参加したらしき人々も、まばらである。


「う~ん……その格好って似合っているから……王子様みたいっていうか。だから、そのままが良いな……ほら、中途半端は良くないでしょ? 世間知らずのセレブ路線の方が、良いと思う!」


 どういうわけだか、絵美はシノブがマントを外すことに反対した。

 マントを外せば白い軍服風の上下に膝下までの軍靴風のブーツだけだ。したがって、怪しさは大きく薄れるとシノブは思った。だが、確かに白の軍服にブーツというのも一般的な装いではないだろう。絵美が言うように小細工しても仮装の域を出ないかもしれない。


 しかし、どうも絵美の思惑はそれだけではないようだ。微かに頬を染めてシノブを見上げる彼女には、言葉通りシノブがタレントか何かのような美形に見えているらしい。

 シノブの容姿には地球にいたときの面影も残っているが、アムテリアの手で世界を渡るときにエウレア地方の人族に似た外見となっている。しかも、衣装もアムテリアが授けた上等なものだ。そのため、絵美が言うように庶民の暮らしを知らない貴人で押し通すのも、一つの手ではある。


「それじゃ光の大剣だけか……すまないが、あのコンビニで大きめのレジャーシートと荷造り紐でも買ってきてくれないか? あっ、お金は足りる?」


 シノブは、今までいた大通りと交差する道にコンビニエンスストアを発見した。そこで彼は、何か手に入れて光の大剣を包もうと考えた。

 だが、つい先ほどまでエウレア地方にいたシノブは、日本の硬貨や紙幣を持っていない。そこで彼は忸怩たる思いを(いだ)きつつ、妹に手持ちのお金があるか問いかけた。


「うん、あるよ。イベントでは買い物しなかったんだ……由美(ゆみ)達に誘われて行ったけど……あまりお金を使いたくなかったし。

あのね、明日から皆で九州に行くんだよ。お父さんが、お盆休みを取ったんだ。お兄ちゃんが向こうに行った場所は、夢で大雑把にだけど聞いているの。中には入れないだろうけど、近くまでは行けるでしょ?」


 絵美は、中学校の同級生である由美達と臨海地区でのイベントを見物しに行ったという。しかし彼女は、兄が異世界に渡った場所を両親と共に訪れるため、無駄な支出は避けたらしい。

 おそらく、絵美は以前からの約束でイベントを見に行くこと自体は断らなかったのだろう。彼女は優しく明るい性格で、更に面倒見も良い。そのため、学校でも同級生だけではなく先輩や後輩とも親しく交流しているらしい。


 とはいえ、兄が失踪しているのだ。絵美はイベントを楽しむ気分ではなかったのだろう。

 絵美やシノブの両親達にはアムテリアや闇の神ニュテスが夢を見せ、世界を渡った後のシノブの消息を大まかに伝えていたそうだ。したがって三人は概略だがシノブの近況を知っていたし、シャルロットの存在や神具を授かったことも承知していた。

 だが、知っていれば穏やかな心でいられるわけでもないだろう。絵美達三人は、せめてシノブの辿(たど)った道を行けるところまで、と考えたようだ。


「本当に心配をかけたな……すまない……本当にすまない」


 シノブは、両親や妹を案じさせたと改めて実感した。彼は僅かに憂いの滲む声で絵美に語りかけ、ずっと繋いでいた手に力を込める。


「……いいの、無事だとわかっていたんだし! それに、お兄ちゃんの向こうでの活躍、物語みたいで楽しかった! じゃ、コンビニ行ってくるね!」


 シノブに笑顔で応えた絵美は、彼の手を振りほどいて駆け出した。

 ダンス部で普段から運動しているだけあって、絵美の走る姿は軽快そのものだ。まるで羽が生えているかのような軽やかな足取りで、頭の両脇で(まと)めた黒髪を(なび)かせシノブの前から去る。

 しかし、シノブの顔が晴れることは無かった。彼は見たのだ。大きく揺れる二本の黒髪に添って散る、(きら)めく雫を。


 悲しみを隠す妹を見送りながら、シノブは再び別れることになる運命を嘆いた。しかし、シャルロット達の下に戻ろうという彼の決意に変わりはなかった。もう、自分が住む世界はここではない。シノブは、そう思っていたのだ。

 故郷である日本への未練が無いといえば、嘘になる。だが、シノブには妻が、家族が、そして生まれてくる子供がいる。そして友人、支えてくれる者、家臣に領民も。それらを忘れ地球に残ることは出来ない。シノブは帰りを待つ人々や帰るべき地を想起することで、妹や両親への思いを何とか押さえ込んでいた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 絵美(えみ)が買ってきたレジャーシートと紐で、シノブは光の大剣を包んだ。気の利く絵美はハサミまで買っていたから、梱包自体は簡単に終わる。そしてシノブは、包んだ光の大剣を片手に絵美と共に地下鉄の駅に向かって移動していく。

 ここから実家の最寄り駅だと、乗車距離は10kmにも満たないが、徒歩で移動すれば一時間以上は掛かるだろう。シノブには身体強化があるが、この世界には魔力が存在しないから体内に残ったものしか使えない。そこで魔力を温存するため、通常の手段を採ったのだ。


「やっぱり、私じゃ持てないんだね」


 絵美は額に浮かんだ汗をハンカチで拭いつつ、シノブに語りかける。季節は八月の半ばで夕方になっても日差しは強い。そのため絵美だけではなく、道を行く人達は同じようにハンカチを出したり、どこかで貰ったウチワで(あお)いだりして暑さを(しの)いでいる。


「ああ。光の大剣は俺とアミィしか動かせない。試したことは無いが、後はホリィやマリィ、ミリィだけだろう」


 シノブが言ったとおり、光の大剣は彼自身か眷属しか持ち運びできない。そのため、梱包した直後に絵美が試しに持とうとしたら、動かせなかったのだ。


「えっと……ミリィさんとマリィさんって? 新しい眷属さん?」


「ああ、そうだよ」


 不思議そうな顔をする絵美に、シノブは頷いた。

 絵美やシノブの両親は、向こうでいう四月の頭にあったアリエル達の結婚式までは、夢の中で教えられていた。しかしマリィ達が来たのはその後であり、彼女が知るわけも無い。


「そうなんだ……でも、お兄ちゃん涼しそうだね。いいなぁ~」


 汗一つ掻かないシノブの顔を、絵美は羨ましそうに見ている。

 真夏であり、周囲の人は薄着である。絵美も殆どノースリーブに近いシャツに、膝より少し上のスカートという軽装だ。

 そんな中、シノブは長袖長ズボンの衣装を着ているのに、平然としている。これは彼の服がアムテリアの授けた神具だからだ。


「アムテリア様のお陰だね。さあ、降りるよ」


 絵美はシノブの衣装が神具であると知っている。そのため彼は曖昧な言葉のみを返す。そしてシノブは、手を繋いだ絵美を気遣いつつ、地下鉄の駅へと向かう階段を降っていった。


「あ~、やっと涼める……でも、お兄ちゃん、本当に貴族になったんだね……」


 直射日光から逃れた絵美は、一旦は顔を綻ばせた。しかし彼女は、シノブに驚きと納得の入り混じったような顔を向ける。どうやら彼女は、シノブが階段を降りるときにさりげなく歩調を緩め、自身に合わせようとしたのを察したらしい。


「昔から、これくらいは出来ていたと思うけどな」


「そうだけど……あのね、何だか王子様っぽいの……エスコートし慣れている、って感じ」


 絵美の答えに、シノブは苦笑した。確かに、シャルロット達を日常的にエスコートしたし、その中には階段の昇り降りもある。

 彼の館もそうだが、王宮や貴族の館は三階建て以上である。そして、エレベーターなどは存在しない。館には搬入のための昇降機はあるが、それはあくまでも荷物用だ。そのため、シノブは女性を伴う階段の移動も含め、貴族として恥ずかしくない振る舞いをジェルヴェなどから伝授されていた。


「まあ、セレブっぽくて良いけど。これなら家に帰るまで問題ないね。あっ、切符を買ってくるね!」


 シノブに笑いかけた絵美は、券売機に向かって駆け出していく。彼女はスマホに公共交通機関共通の乗車用アプリを入れているが、シノブは持っていないからだ。


「まさか、御紋を(かざ)したら入れたりしないだろうな?」


 シノブは、胸元に入れた神々の御紋に手を当てた。

 御紋はスマホと似た外観だ。しかも地球に転移した直後には、この御紋でアムテリアを含む神々と会話できた。シノブは神秘の光で自分達を助ける神具だとばかり思っていたが、見かけ通りの機能もあったのだ。

 流石に改札で御紋を(かざ)してみる気は無いが、もしかすると。そう思ったとき、彼は何処(いずこ)からか涼やかな笑い声が聞こえたように感じた。

 母なる女神か、と思ったシノブはさりげなく視線を動かす。しかし、そこには急ぎ足で行き交う人がいるばかりで、輝く女神の麗姿など存在しなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 電車での移動は、平穏無事に終わった。シノブは駅員にでも見咎(みとが)められるかと思ったが、自動改札であり彼らは離れている。都会の駅だけあって結構な混雑であり、明らかに不審な行動をしなければ駅員も(とが)めないのであろうか。

 それに、乗り換えも無く乗車時間も十分少々であったのも良かったのだろう。

 ここでもシノブは若い女性を中心に注目を集めたが、問題といえばそのくらいだ。もっとも、それもシノブ達にとっては幸運だった可能性もある。華やぐ女性達に気後れしたのか、男性も遠巻きに見るだけだったからだ。

 ともかくシノブ達は無事に電車を降り、再度両親に連絡を入れつつ駅の構外へと出る。


「だいぶ時間が稼げたな……」


 シノブは安堵の笑みを浮かべた。

 どうも地球のある世界とアムテリアが管理する惑星がある世界では、かなり時間の流れが異なるようだ。シノブはエウレア地方に八ヶ月以上滞在したが、こちらでは二週間しか経っていない。つまり、こちらの一時間が向こうでは一日近く、ということもありえる。そのためシノブは、先を急ぎたかったのだ。


「そうだね……」


「ごめん、お前と一緒にいるのが嫌なわけじゃないんだ」


 悲しげな表情となった絵美(えみ)に、シノブは謝った。二人は徒歩で両親が待つ家に向かっている最中である。


「いいの! お兄ちゃんにはシャルロットさん達が待っているんだから! それに、お爺ちゃんが言っていたでしょ? 男は親元から旅立つものだ、って」


 絵美は笑顔を作りシノブに答えるが、一方でシノブの手を強く握り締めている。彼女の内心は、決して言葉通りではないのだろう。


「あれか……父さんも一旦外に出されたんだったな」


 シノブの実家は、駅にも近い古くからの街並みにある一戸建てだ。

 最近、この街には大学が出来つつあるが、まだ開設していない。そのため彼は大都会を挟んだ反対側の大学に入り、一人暮らしをしていたのだ。これは、三年前に亡くなった祖父が、男なら早めに一人暮らしを経験させろ、と言ったためでもある。

 シノブが苦笑いと共に呟いたように、彼の父である勝吾(しょうご)も交通の便の良い場所に実家を持っていながら結婚までは一人暮らしを経験した。もっとも、そのお陰で妻の千穂(ちほ)と巡りあえたらしいから、勝吾は自身の父に感謝しているようだ。


「そうよ! 一人暮らしの先で奥さんを見つけるなんて、お父さんみたいね! でも、お父さんは就職してからだけど。お兄ちゃん、少し手が早いんじゃない? それにシャルロットさんの他にも……」


 冗談めいた物言いの絵美だったが、途中で言葉を途切れさせた。他に人のいる場で、妻の他に婚約者がいるなどと言うべきではないと思ったのだろう。

 それを聞いたシノブは、自身が日本とは全く異なる世界で生きていたことを、改めて実感した。十九歳になる直前に結婚し、しかも他に婚約者までいる。それはシャルロットを悲しませないために選んだ道ではあるが、日本の常識では考えられない選択だというのは事実だ。

 女性である絵美からすれば、重婚など許し難いことではないだろうか。しかも、彼の婚約者は十歳になったばかりの少女である。シノブは、どう答えるか迷ってしまう。


「あ、あのね、別にお兄ちゃんを責めているわけじゃないの! 私、お兄ちゃんと会えたのが嬉しくて……色んなこと、話したくなっただけなの!」


「そうか……色々、常識が違うところだったのは確かだよ。俺も、色々なことを経験したし……ともかく急ごう、家に着いたら、それに移動中なら幾らでも話せるさ!」


 シノブは、口にしかけた言葉を飲み込んだ。それでは絵美の顔が晴れないと思ったからだ。そこで彼は明るい声音(こわね)を作り、妹の手を引いて駆け出す。


 思えば世界を渡った直後から、日本では考えもしなかったことばかりだった。魔力や魔術もそうだが、森では魔獣ではあるが生き物を殺め、街道に出た直後にはシャルロット達を助けるためとはいえ人の命すら奪った。その後の戦争も含めたら、どれだけの者と戦い、(たお)してきたことか。

 シノブは妹の温かな手を握り締めつつ、この手を握っていて良いのだろうか、とすら考えた。日本の常識からすれば、自分は大量殺人者である。それが国の認めた戦であったとしてもだ。


「そうだね! お兄ちゃんのお話、聞きたいな! シャルロットさんのこと、それにミュリエルさんやアミィさん達のこと、それに大勢の人を助けた話とか!」


 絵美の言葉を聞いたシノブは、不覚にも瞳を潤ませた。妹が、自身の行為を認めてくれたような気がしたからだ。

 シノブは、ぼやける視界にも関わらず、しっかりとした足取りで走っていく。それは、ここが既に実家の至近だったからでもある。しかし、本当の理由は違う。彼は、妹の言葉に勇気付けられたのだ。

 ここは、自分のいる世界ではないかもしれない。しかし自分を育み愛してくれた人がいる場所だ。そう心に刻んだシノブは、まるで飛ぶようにして懐かしい場所へと駆け込んでいった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 実家に戻ったシノブを迎えたのは、驚きと喜びに顔を輝かせた親達、父の勝吾(しょうご)と母の千穂(ちほ)だ。勝吾は日本にいたころのシノブ、天野(あまの)(しのぶ)とどこか似た中年男性で、千穂は絵美(えみ)に似た少し小柄で勝吾より僅かに若い女性である。


「忍!」


「おかえりなさい……」


 玄関口で待っていた二人はシノブを見るなり駆け寄って、彼を抱きしめる。

 父の勝吾は、手にしていたスマホを取り落としたが、それには気が付いていないようだ。母の千穂は、シノブの胸に顔を埋めるようにしている。彼女は夕食の準備をしていたのだろう、微かに焼き魚か何かのような香りを伴っていた。


「父さん、母さん……ごめん。心配かけたね……」


 シノブはアムテリアにより今の姿となり、多少身長が伸びた。それもあって、シノブは涙を流す両親を僅かに小さくなったように感じる。


「お前が謝ることではないよ。さあ、中に入ろう」


「そうよ……忍の好きなお魚も用意しているわ。それに、お父さんにもう一回買い物に行ってもらったのよ……」


 二人は、濡らした顔をそのままにシノブへと微笑んでみせる。そして彼らは、シノブの手を引いて家の中へと誘っていく。


「お父さん、スマホ!」


 絵美はスマホを父に渡す。彼女は勝吾が落としたスマホを拾い上げていたのだ。


「ああ、ありがとう……大丈夫か……おっと」


 勝吾は渡されたスマホを調べるが、その上に彼の涙が落ちる。すると勝吾は、僅かに頬を染めつつ、自身の目元に手をやった。


「夕食の準備をするわね! 忍、ご飯くらい大丈夫でしょ?」


「もちろんだよ」


 シノブの返事を聞いた千穂は、笑みを増すと慌ただしく台所に駆け込んでいった。

 先を急ぐシノブだが、両親にはきちんと別れを告げておきたかった。それに、どうやって九州の山中にあるアムテリアの神域まで行くかの相談もある。

 シノブは両親に、車で運んでもらいたいとは伝えた。しかし電車に乗る前と降りた後の僅かな時間で、周囲には人も多かったから多くは触れていない。そのため彼は、わかった、という父の言葉しか聞いていなかったのだ。


「忍。ともかく仏壇に手を合わせて来なさい。話はそれからにしよう」


 勝吾は、台所とは反対側にある和室へとシノブを押しやった。

 仏壇には勝吾の父、つまりシノブの祖父である(まさる)の位牌も(まつ)られている。可愛がっていた祖父に帰還を報告しろと、勝吾は言いたいのだろう。


「ああ、爺ちゃんにも教えないとね」


 父に頷いたシノブは、自分の言葉に思わず顔を緩ませた。古い物好きで歴史好きの祖父がアムテリアのことを聞いたら、と思ったからだ。

 そんなシノブを、勝吾と絵美は少しだけ不思議そうな顔をして見ていた。しかし二人もシノブに続いて仏壇のある和室へと入っていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 千穂(ちほ)が用意したのは、和食であった。だが、少々季節外れなものが、食卓の真ん中に据えられていた。それは、すき焼き用の浅い鍋である。

 ホットプレートの上に乗った鍋には既に油が引かれ、その脇には薄く切られた牛肉と、各種の具材を盛った大皿が、それぞれ並べられている。

 他に食卓に乗っているもの、ご飯や味噌汁、そして(さば)の塩焼きなどは、定番であったり季節相応であったりだが、すき焼きだけは少しばかり、いや、かなり時節に合わないというべきであろう。

 だが、和室からダイニングへと向かったシノブは、目を輝かせて母の顔を見る。


「これって、わざわざ用意してくれたの?」


「ああ。さっき、ひとっ走りして買ってきたよ。お前が好きだし、これなら簡単に一品加えられるからって千穂が言うからね」


 シノブの後ろから声を掛けたのは勝吾(しょうご)である。

 ここは駅から近いこともあり、地元の商店街から大きなデパートまで色々ある。それに、駅ビル自体もかなり大きなもので、複数の大型店舗が入っていた。おそらく、父はそのどれかに走ったのだろう。


「三人分しか用意していなかったでしょ。だから、もう一品って……切るだけの簡単なもので悪いとは思ったけど……」


「いや、とても嬉しいよ! ありがとう!」


 恥ずかしげな母に、シノブは大声で礼を伝えた。

 確かに、シノブはすき焼きが好物であった。季節外れでも良い。おそらく、これが実家での最後の食事になるのだろうから。そう考えたシノブは、思わず押し黙る。


「お兄ちゃん、早く食べようよ! 折角お母さんが作ってくれたんだから!」


「ああ、そうだね!」


 シノブは、ダイニングと続きになっている居間に戻り、テーブルの上に三つの神具やマントを置いた。そして彼は、父母と妹が笑顔で待つ食卓に向かっていった。


(しのぶ)、これからどうするんだ?」


 食卓に着くなり、勝吾が今までとは違う少し強い口調で問いかける。鍋に具材を入れながらだが、彼はシノブを真剣な顔で見つめている。


「来る途中に伝えた通り、九州の神域を目指したいんだ。それで、悪いけど父さん達に運転をお願いしたいんだけど……光の大剣を持ったままだと飛行機には乗れないだろうし、新幹線も危ないだろうから」


 シノブは、向かいに座った父の顔を真っ直ぐ見つめながら答えた。

 アムテリアは自身の管理する惑星にシノブが転移した経緯を、勝吾達に夢で伝えている。そのためシノブは神域については簡潔に説明した。また、光の大剣を抱えての移動が困難であるのは、常識的に考えれば理解できるだろうから、これも詳しくは触れなかった。


 光の大剣はシノブしか動かせない。正確にはアミィ達眷属も可能だが、彼女達はここにはいない。

 エウレア地方では、シノブが光の大剣を抱えたままであれば馬車や磐船で移動できた。それに光の大剣をシノブ自身が安置しても乗り物は動く。したがって自動車でも、シノブがトランクにでも置けば走行できるだろう。

 しかし、国内線とはいえ飛行機であれば手荷物検査がある筈だ。人に預けたら運べない可能性が高い上、大きさからすると(たずさ)えたまま搭乗するのは無理だろう。

 新幹線なら手荷物として抱えていけるかもしれない。だが、職務質問をされて中身を検められたら。万一捕まりでもしたら、何日も拘留されるかもしれない。


 そのためシノブは、両親の運転する車で九州に向かおうと考えたのだ。


「いや……お前、こっちで暮らさないか? 国籍などは何とかする……駄目なら、この家から出ないで暮らしたっていい。折角戻ってきたんだ。また私達を悲しませないでほしい」


 菜箸を動かす手を止めた勝吾は、更にシノブに語りかける。その表情は先ほどに増して真摯なものであり、冗談や思いつきで言っているのではなさそうだ。


「父さん……」


 勝吾の言葉に、シノブは驚愕した。

 確かに父としては、息子を手放したくないだろう。とはいえシノブの知っている父は、こんな自己中心的なことを言う人物ではなかったからだ。

 勝吾は、仕事のことを殆ど子供に話さない。しかし長年一つの会社に勤め役職もあり、シノブが知る限りでは周囲にも慕われているようだ。それに彼は、社会や仕事に対する責任感も非常に強い男である。

 その父が、己の役目を捨てて親元から離れるなと言う。それは、シノブにとって想像もしていないことであった。


「貴方!」


「お父さん!」


 おそらく、千穂や絵美(えみ)もシノブと同じ思いを(いだ)いたのだろう。

 夫が、父が、我が子であるシノブを慈しんでいるのは彼女達も充分承知している。しかし、勝吾が自身のために側に残れと言うのは、予想外だったのだろう。年齢こそ違うが共通点の多い顔をした母娘は、同じように目を見開いて驚きの言葉を発していた。


「向こうの世界のことは知っている。神々に見せていただいたからな。だが、お前一人が背負い込まなくても良いだろう? 向こうのことは向こうの人に……」


「……父さん。俺の世界は、もうここじゃないんだ」


 なおも続ける勝吾の言葉を、シノブは静かに(さえぎ)った。

 シノブは、これまで育ててくれたことに対する感謝を父や母に伝え、そして別れを告げようと思っていた。しかし、その前に言うべきことがあるようだ。


「俺にはシャルロットがいる。共に歩むと決めた女性が。それに、彼女には俺の子供が宿っているんだ。こっちでは未成年の俺だけど、あの世界には妻と子が待っているんだ。父さんからすると、何を言っているんだって思うかもしれないけど……。

ずっと支えてくれたアミィ、ミュリエルやセレスティーヌ達家族、イヴァールやシメオンにマティアス、そして沢山の仲間達……オルムル達だって……皆、俺の帰りを待ってくれていると思う。

父さんが心配してくれるのはありがたいけど、俺には責任がある。それに俺自身あの世界に戻りたい。俺の家があるのは、あの世界なんだ」


 シノブは、ここまで来る道筋で考えていたことを含め、勝吾に語っていく。

 愛する人達がいる。そしてシノブの行いで大きく変わってしまった国々と、そこに暮らす人々への責任がある。それらは、シノブが戻ろうとする強い動機であった。


 それに加えて、この世界に戻ってからのシノブは、どこか違和感を覚えていた。

 エウレア地方で身に付けた貴族の挙措に驚く人々がいた。妹の絵美も、程度の差はあれシノブを異邦人として見ていたように思う。


 シノブも、自身が変わってしまったと感じた。

 日本に戻った驚きや懐かしさはあっても、喜びは大きくなかった。両親や妹と再会し、きちんと別れを告げることが出来るのは嬉しいが、それだけである。あの世界にどうやって帰るか、一刻も早く戻るにはどうすれば良いか、そのことだけをシノブは考えていたのだ。


「父さん、母さん、絵美。すまない。俺は……俺の生きる場所は……シャルロット達の側なんだ!」


 シノブは、三人に深々と頭を下げた。静まり返った部屋の中には、具が鍋の中で煮える音だけが、微かに響いている。


「忍、立派になったね……顔を上げなさい」


 勝吾はシノブに静かに語りかける。その口調は元に戻り、顔を上げたシノブの前にあるのは優しく温かな笑顔だ。


「試すようなことをして、済まなかった。お前が向こうで懸命に生きてきたこと、シャルロットさんを助けようと頑張ったことは、アムテリア様やニュテス様から伺ったよ。

だが、私もお前の親だからね。お前自身の口から、聞きたかったんだ。立派になった息子を、安心して送り出したいからね」


「父さん……」


 父の深い愛情を感じたシノブは、思わず瞳を潤ませる。

 父は、いや、母や妹も、シノブのことを案じているのだ。自身の姿が変わったためか、どこか距離を置いていたシノブだが、今も確かな愛がここにあると理解せずにはいられなかった。


「お父さん、もう難しい話は良いでしょ! お肉、煮えすぎだよ!」


「そうですね。さあ忍、食べなさい。お話は食べながらでも出来るから……それに、私は貴方のお嫁さんのことを聞きたいわ!」


 女性陣の言葉に、シノブと勝吾は思わず大きな笑い声を上げた。そして彼らは、シノブの主観では八ヶ月以上、絵美達三人からすると半月を超える時間を埋めるべく、温かな会話へと移っていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年3月10日17時の更新となります。


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