16.02 私の夢は真実です
「シノブ様!」
アミィの悲痛な叫びが、地下室の中に響いた。ここはアルマン王国の都市テルウィックの近郊にある廃城の地下だ。
──シノブ様が! それに王族達も!──
──消えちゃいました……──
ホリィは驚愕、そしてミリィは茫然自失といった思念を漏らす。
シノブを覆っていた闇は消え失せたが、そこに彼の姿は存在しなかった。そして、シノブを囲んでいた四人の王族達の姿も同じく地下室から消えていたのだ。
バージなど四頭の光翔虎、そしてガンドを始めとする七頭の雄の岩竜と炎竜も、慌てたように周囲を見回している。しかし、彼らも何も感知できないようだ。
「シノブ様! シノブ様!」
アミィはシノブの立っていた場所に駆け寄った。そして彼女は、狂おしさの滲む表情で周囲を見回す。
おそらく超常の手段でも探ろうとしているのだろう、アミィの周囲には膨大な魔力が渦巻いている。それは人の領域を遥かに超えた、眷属にしか持てない神秘の力であった。
しかし、彼女の声に応える者はなく、シノブや王族達が立っていた場所には人がいた気配すら残っていなかった。そのためかアミィの魔力は更に増し、ついには辺りの空気を揺るがし始める。
──アミィ、落ち着いて!──
──そうです! 魔力が無くなっちゃいます!──
ホリィとミリィは、このままではアミィが全ての魔力を注ぎこみ命を危うくすると思ったのだろう。二羽の金鵄族は、アミィへと羽ばたき向かっていく。ホリィは強い懸念を滲ませた思念と共に、普段はのんびりとした話し方のミリィも別人のような鋭い響きを放って飛翔する。
「シノブ様あああっ!!」
──アミィ!──
──きゃあ!──
しかしアミィの放つ凄まじい魔力は、ホリィ達を弾き飛ばした。
アミィの薄紫色の瞳は強い魔力のためか輝きを増し、今では真紅に近い光を放っている。それに、彼女の髪も同様だ。オレンジがかった明るい茶色の髪、肩に届くくらいまで伸びた柔らかな頭髪は魔力の奔流で広がり、しかも燃えるような赤い光輪に包まれていた。
──『光の従者』よ! 心を鎮めるのだ!──
──『光の使い』は邪神などに負けはせぬ!──
ホリィ達の代わりに向かっていったのは、ガンド達だ。岩竜のガンドに長老のヴルムは、体を人間の倍ほどに大きくし、アミィの側に寄っていく。それに、他の竜や光翔虎もだ。
彼らは、ホリィやミリィとは桁違いの体重の自分達なら、魔力で飛ばされることは無いと思ったのだろう。それは正しかったようで、ガンド達は傷を負いつつもアミィの下に辿り着く。
「アミィ、貴女がしっかりしなくてどうするの!?」
「そうです! シノブ様は、きっと戻ってきます!」
ホリィとミリィは、人族の少女に変じていた。彼女達も、鷹より遥かに大きい人間の姿であれば近づきやすいと考えたのだろう。
「……そうですね。すみません、ガンドさん、ヴルムさん」
皆の説得が通じたのだろう、アミィは魔力の放出を止めた。赤く輝いていた瞳や髪も元に戻っている。
──大丈夫だ。すぐに治る──
──うむ。我らの魔力も、そう捨てたものではない──
ガンドとヴルムが思念で応じた通り、彼らの皮膚からは既に傷が失せていた。ごく浅い部分が切り裂かれただけということもあるが、やはり伝説の存在ならではの大魔力であり生命力と言うべきであろう。
「アミィ、ここにシノブ様はいません。それに邪神達も……あの感じだと、かなり遠方に転移したのだと思いますが……」
ホリィは、アミィの肩に手を置きつつ優しく語りかけた。彼女もアムテリアの眷属である。そのため、四人の王族に乗り移った異神達の転移がどんなものであったか、朧げながら察しているようだ。
──そうか……それなら『光の従者』が案ずるのも無理はないな──
驚嘆の混じった思念を漏らしたのは、光翔虎のバージだ。それに、他の光翔虎や竜達も同じく驚きを含んだ視線でアミィ達を見つめている。
「そうです~。もしかすると異空間かもしれません~。邪神はそういうところに引きずり込むのが大好きですから~」
ミリィは、いつもの調子に戻っていた。しかし、未だ彼女はアミィを案じているのだろう。彼女はホリィの反対側からアミィの手を握りつつ、優しく微笑んでいた。
「確かに、普通の転移とは違うように感じました。それに、何だか行き先が一箇所でもないような……」
アミィはミリィの言葉に頷きつつ呟いた。アミィ達はアムテリアや彼女の従属神に仕える存在だ。そのため、神々が転移をしたり何かを呼び寄せたりする光景は頻繁に目にしているのだろう。アミィは、そういった経験から、シノブや異神達の転移に違和感を覚えたらしい。
──ならば探しに行こう。もう、ここに用は無い──
「そうですね! シノブ様をお助けしなくては!」
炎竜の長老アジドの思念に、アミィは力強い言葉で応じた。そしてアミィは、矢のような勢いで走り出した。アジドの言うように、こんなところにいても意味がない。彼女の風のような疾駆からは、そんな思いが伝わってくる。
──『光の従者』よ! 我の背に乗れ!──
ガンドはアミィに寄り添うように低空を飛ぶ。そして彼は、騎乗するようにと思念で促す。
「ありがとうございます!」
アミィはガンドの勧めに従い、彼の背に飛び乗った。そして、アミィとガンドは、同じく飛翔する光翔虎や竜達、再び青い鷹へと戻って羽ばたくホリィやミリィと共に、激戦を繰り広げた地下室から去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
アミィ達は、ほんの僅かな時間で地上に移動した。岩竜達は地下室の脇まで貫通する穴を掘り、そこから侵入していたのだ。
地下室は廃城の真下ではなく、僅かだが敷地外に位置していた。そこで彼らは、ブレスと岩操作で地下まで一直線に移動する経路を造ったわけだ。
したがって、シノブや異神達の捜索は、すぐに開始された。地上の戦いも終わっていたためマリィも合流し、三羽となった金鵄族とバージなど四頭の光翔虎は姿を消してアルマン王国の各地へと散っていく。
そしてガンド達、岩竜や炎竜は来たときと同様に遥か高空に上昇し、アルマン島から離脱した。彼らは、海上や更に遠方が担当である。
シノブ達がどこに行ったか。それはアミィ達には全く掴めていなかった。
アミィやホリィ、そしてミリィは転移の先が非常に遠方だと察したが、シノブが異世界である地球にいるとまでは想像しなかったようだ。もしくは、これもシノブと同じで自分達の手の届かないところに行ったとは思いたくなかったのか。いずれにせよ、アミィ達は自分達が探せる範囲からにしたのだ。
そもそも、あまり考えている時間は無い。
仮に転移先でシノブと異神達が戦い続けているなら、一刻でも早く見つけなくてはならない。それにアミィが感じたように転移の先が複数なら、シノブがいるのは比較的近場で、異神達が遠方に逃げたという可能性もある。
そのため、まずはホリィ達がアルマン王国を重点的に、そして竜達は自身の家族もいるエウレア地方を中心に回ることにした。これは、異神達がシノブの愛する人達を狙わないかと案じたためでもある。
そして竜達は飛翔の途中で海竜達にも思念を飛ばし、更に番である雌の成竜達にも事情を伝えと、捜索要員を増やしていく。
しかし、シノブ達の行方は杳として知れなかった。
「連絡は入りませんか……」
アルバーノ・イナーリオが、廃城の庭の大きな四角い石に腰掛けたアミィに、静かに声を掛けた。
かつて、ここには何かの建物があったのだろう。風雨に晒され痛んだ建材が幾つも転がっている。アミィが腰を下ろしているのも、その一つだ。
「ええ……」
アルバーノの問いに、アミィは静かに答えた。既に、午後に入って随分経つ。シノブ達が廃城に突入したのが夜明けから暫く経ってのことだから、八時間は過ぎたであろうか。
戦いの後始末も、とっくに終わっている。
廃城の地上部分にいたのは百人近い竜人と、『隷属の首飾り』を着けた一人のアルマン王国の軍人であった。おそらく、この軍人が山中を移動する馬車から王族を受け取った男なのだろう。
竜人達はマリィが治癒の杖で人間に戻し、軍人は改良版の『解放の腕輪』で支配から解いた。そして、彼らは既に魔法の家でシェロノワに輸送済みだ。そのため、ここに残っているのはアミィやアルバーノの他数名だけである。
「アミィ様……シェロノワに戻りましょう。シャルロット様にご報告しないわけにも……」
ジェレミー・ラシュレーが、沈痛な表情でアミィに語りかけた。彼の隣では、アルノー・ラヴランも心配そうにアミィを見守っている。
既に、メリエンヌ王国を含む各国にも、シノブに関する問い合わせをしていた。アミィやアルバーノ、アルノーにジェレミーは通信筒を所持している。そこで四人はシノブが通信筒を渡した者達を介して、各地に捜索の手を広げていた。
しかし彼らは、シャルロットやミュリエル、それにセレスティーヌなどには知らせていなかった。子を身篭ったシャルロットを案じ、シノブが行方不明になったと伝えるのを躊躇ったのだ。もちろん、通信筒で伝えた者達にも、シャルロット達の耳に入れないように頼んでいた。
そのためシノブの件は、シェロノワでも領都守護隊司令であるジオノなどは知っているが、フライユ伯爵の館にいる者達には伏せられている。
「そうですね……これ以上は先送り出来ないでしょう。そろそろ夕方になりますし……」
シャルロットへの報告を決心したのだろう、アミィは静かに立ち上がった。とはいえ彼女の表情は憂いに満ち、悲壮さすら漂う痛々しいものだ。
竜人から元に戻した者達は、魔法の家でシェロノワの治療院に送っている。そのため、戦いが行われたこと自体は隠しておけない。そもそも、半日近く戦い続けているというのも不自然だ。
シノブは最低でも一日に一度はシャルロットに連絡をするし、今朝の廃城への突入前にも彼女に文を送った。その彼が戦い終えて何の連絡もしないのは、どう考えても異常があったとしか思えない。つまり、これ以上伏せておくことは不可能である。
仮に王族を救出したなどで事後にすべきことが多かったとしても、連絡も出来ないということはないだろう。通常なら時間があれば、シノブは夕食に間に合うか、その日のうちに帰れるかなどをシャルロット達に伝えている。であれば、この時間になれば何の連絡も無い方が心配する筈だ。
──先に戻ります──
──わかりました。シャルロット様をお願いします。マリィやミリィ、バージさん達には私から伝えておきます──
アミィの思念に答えたのは、ホリィだけであった。
どうやら、ホリィ以外は遠方にいるらしい。アミィ達眷属、そして竜や光翔虎の思念が届くのは半径150km程度だ。おそらく、他の者は更に遠方の探索に行ったのだろう。
「……魔法の家に入ってください」
アミィの言葉に、アルバーノ達は無言で従った。彼らは、シェロノワで待つシャルロット達にどう説明すべきか悩んでいるのだろう、一様に暗い表情をしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
フライユ伯爵家の館に戻ったアミィは、アルバーノ、アルノー、ジェレミーと共にサロンへと赴いた。
何と、そこにはシャルロット達だけではなく、先代アシャール公爵ベランジェとベルレアン伯爵コルネーユ、更にコルネーユの二人の夫人までいた。おそらく、彼らはシャルロットを案じてシェロノワに来たのだろう。それに、ミュリエルの祖母アルメルも領政庁から戻っていた。
「シャルロット様……」
「アミィ、シノブに何かあったのですね」
シャルロットは、漠然とだが異変を察していたようだ。ソファーに座った彼女の顔は僅かに青ざめており、表情も平静を保とうとしてはいるが、普段のような柔らかさは失われている。
だが、それも無理はないだろう。何かの祝宴があるならともかく、旧帝国領を統括するベランジェや、それを補佐する父、そして実母のカトリーヌにコルネーユのもう一人の夫人ブリジットが不意に集まったのだ。これで何も無いと思うのは、よほど鈍感な者だけである。
今は神殿経由の転移があるとはいえ、ベランジェやコルネーユは多忙な身だし、カトリーヌは出産まで二ヶ月もない。それにブリジットもミュリエルに続く子を宿している。彼女はシャルロットと同じく出産予定日までは半年以上もあるが、大事な体であるのは間違いない。
「シャルお姉さま、大丈夫ですわ! シノブ様ですもの!」
「そうです! シノブお兄さまは……お兄さまは、きっと……」
シャルロットの両脇では、セレスティーヌとミュリエルが彼女の手を握っていた。
セレスティーヌは気丈にも笑みを浮かべているが、普段のような華やかさは欠けている。そして、ミュリエルの緑の瞳には大粒の涙が浮かんでいる。彼女達も何かがあったことには気がついているのだろう。
「セレスティーヌ、ミュリエル君、それではアミィ君が話せないじゃないか! ねえ、コルネーユ?」
「そうですね……アミィ。何があったか教えてくれないか? また、私の息子がとんでもないことをしたんだろう?」
陽気な口調はベランジェで、冗談めかした物言いはコルネーユだ。
シャルロット達の向かい側に座った二人は、柔らかな笑みを保ったままである。戦場にも出た二人にとって、自身の感情を御し面に出さないくらいは造作も無いことなのだろう。その様子はコルネーユの隣の三人、微かな強張りを顔に浮かべたカトリーヌやブリジット、アルメルとは対照的である。
「シャルロット様……シノブ様が行方不明となりました……申し訳ありません!」
シャルロット達の前に進み出たアミィは、端的に事実を口にする。そして彼女はその場に跪き、シャルロットに向かって深々と頭を下げた。もちろんアルバーノ達三人も同様だ。彼らはアミィ同様に片膝を突き、騎士の礼をしている。
そして、アミィの血を吐くような声音と四人の尋常ならざる様子に、サロンの中は凍りつく。
「そ、そんな!」
「シノブお兄さまが!?」
サロンの静寂を破ったのは、セレスティーヌとミュリエルの絶叫だ。そしてセレスティーヌは金の巻き髪を、ミュリエルは銀髪に近いアッシュブロンドを振り乱し、シャルロットへと顔を向ける。
「アミィ、立ってください。貴女が側にいて、それでもシノブに何かあったのなら、それは誰にも防ぐことが出来ないものでしょう。ましてや今の私、戦に赴くことも出来ない私など……アミィ、詳しく聞かせてもらえませんか?」
シャルロットは、自身も立ち上がりアミィへと歩み寄る。そして彼女は、床を見つめたままの少女の手を取って、優しく引き上げた。
「シャルロット様……」
アミィの薄紫色の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。だが、それはシャルロットにより拭われる。
シャルロットは、まるでアムテリアのような優しい笑みを浮かべている。輝くプラチナブロンドに深い湖水のような青い瞳は、この惑星の最高神である女神にも似通っている。そのためか、アミィの表情は僅かに和らいだ。
「貴方達も、そこに」
シャルロットは、脇にあるソファーをアルバーノ達に示した。そして彼女自身は、アミィと共に自身が座っていた場所へと戻っていく。
「さあ、遠慮なさらないで」
「きっと、辛く厳しい戦いだったのでしょう」
カトリーヌとブリジットもアルバーノ達を労った。それを受け、三人は示された場に移る。
「今、飲み物を用意させます」
アルメルは、侍女のアンナ達に指図する。すると壁際に控えていた彼女達は、冷蔵の魔道具から冷やした飲み物を取り出し、戦いの場から戻ってきた四人に運んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
説明を受けたシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌは、当然ながら驚いたものの、取り乱すことは無かった。
それはベランジェやコルネーユが深刻さを打消し、カトリーヌやブリジット、アルメルが優しい言葉を掛けたからだ。遠い地から案じて駆けつけた四人、そして人生経験豊かなアルメルの言葉は、シャルロット達の不安を大きく減じたのだ。
そしてシャルロット達三人は、年長者の配慮もあり、また彼女達自身の強さもあり、シノブの無事を信じたようだ。
そもそも、シノブに取り返しの付かないことが起きれば、アムテリアが何かしらを示すだろう。それが無いのは、シノブが対処できる問題なのだ。コルネーユが曖昧に暈しつつも、そう語ったのが良かったのかもしれない。
この日、ベランジェ達四人は館に留まり晩餐を共にした。そして彼らは、就寝までシャルロット達を注意深く見守った。
語ることは幾らでもある。シノブが来てからのことだ。彼の数々の伝説的な行い。それと対照的な親しい者だけに見せる姿。それらを、シャルロット達は時を忘れて語り合った。
それは、シノブとの繋がりを保つためなのだろう。彼のことを話し、思う。シャルロット達は、シノブとの絆を互いに確かめ合ったのだ。
だが、いつまでも語り続けるわけにはいかない。シャルロットを含め身篭った三人に、他の者はやんわりと就寝を勧めた。そこでシャルロットは、アミィ、ミュリエル、セレスティーヌと共に自身の居室に下がっていった。シノブと彼女の寝室に向かうためだ。
姉を案じたミュリエルが一緒の就寝を望み、セレスティーヌも加わった。現在、シノブ達の寝室には、二つのベッドが据えられている。最初からあった寝台と、シャルロットの懐妊後にシノブが追加したものである。前者がシャルロット、後者がシノブの休む場所だ。
妊婦であるシャルロットは、いつも通り自身のベッドに、そして残りの三人はシノブのベッドにと入っていく。
当然アミィは恐縮し辞退した。しかしシノブからの思念を受けることが出来るのはアミィだけであり、連絡が入ったならすぐに教えてほしいから、とシャルロット達に押し切られたのだ。
なお、この日に限りオルムル達は寝室へと現れなかった。実は、彼女達もシノブの捜索に加わっていた。ファーヴとシュメイは炎竜イジェの運ぶ磐船に同乗し、他は自身の力で各地を周っている。
皆、シノブがどこにいるか知ろうと東奔西走しているのだ。
疲れていたのだろう、四人はすぐに眠りに落ちた。しかし、それは必然であったのかもしれない。何故なら、彼女達には夢の訪れがあったからだ。そう、アムテリアが夢の中に現れたのだ。
「アミィ、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ。辛い思いをしましたね」
アムテリアは、自身が呼んだ四人を順に抱きしめていく。人の姿を取りながらも人の持ちえる美を超えた彼女は、煌めく光を纏いながら、優しい抱擁で夢の世界に招いた者達を癒していく。
「アムテリア様! シノブ様は、シノブ様は、無事なのですか!」
真っ先に抱かれたアミィは、普段の最高神への敬いを忘れたかのようにアムテリアへと感情をぶつける。
「もちろんですよ。シノブは地球に、日本にいます。帰る手段もあります」
「ああ! 良かった!」
アムテリアは光り輝く極上の金糸のような髪を揺らしつつ頷き、アミィにシノブの無事を伝えた。するとアミィは、安堵の笑みを浮かべ歓喜の叫びを響かせる。
「シノブが……故郷に?」
シャルロットも嬉しそうな顔になるが、そこには僅かな不安が宿っている。彼女はアムテリアと色合いの近い青い瞳を僅かに揺らす。
「安心しなさい。シノブは、貴女の下に戻ってきます。あの子は、既にそのために動いています」
アムテリアは、ゆっくりとシャルロットに語りかけた。そして天上の美の化身は、地上の戦乙女に愛に満ちた抱擁を与える。
「シノブお兄さま、帰ってきてくださるのですね!?」
「ええ。既に、あの子の家は貴女達のいる場所なのです。貴女達の笑顔が、あの子の望みなのですよ」
ミュリエルの喜びが滲む問いかけに、アムテリアは上品な笑みを浮かべつつ答えた。それは、どことなくシャルロットの母カトリーヌにも似た、慈愛の笑顔である。
「あ、あの……その……お戻りになるのは……いつ頃……」
セレスティーヌは、アムテリアと初めて会う。そのためだろう、彼女は恐る恐るといった風情で女神に問いかける。
「もっと楽になさい、セレスティーヌ。とはいえ、初めてのことですから驚くのも無理はありませんが……シノブの帰還は、少しだけ時間が掛かります。ですが必ず戻ります。何も心配することはないのですよ」
アムテリアはセレスティーヌも愛情溢れる言葉と共に抱きしめたが、シノブの帰還に触れたとき細く形の良い眉を僅かに顰めた。しかしセレスティーヌは胸の中にいたから、その変化に気が付かなかっただろう。
暫しの時の後アムテリアはセレスティーヌから離れ、四人に向けてシノブの現状を語っていく。彼が日本の神社に現れ、そして妹の絵美と再会したこと、今は実家に向かっていることなどだ。
シャルロット達は、歓喜の涙と共に聞く。喜びと、驚きと、そして期待に満ちた眩しい笑みと美しい雫が四人を彩る。それは輝く女神が夢幻の中で語る夢のような話が希望の灯りとなり、宿った光が彼女達の顔から溢れ煌めきとして零れ落ちているかのようだ。
「シノブは遠からず戻ってくる……無事に戻ってくるのですね」
「そうですよ、シャルロット様! シノブ様のお帰りまで、一緒に頑張りましょう!」
安堵の呟きを漏らすシャルロットに、アミィがいつもと同じ溌剌とした笑顔を向ける。
「ミュリエルさん、良かったですわね……本当に良かったですわ」
「セレスティーヌ様、涙を拭いてください! シノブお兄さまに笑われますよ!」
セレスティーヌとミュリエルは、互いに泣き笑いの顔を向けている。実は、涙を拭いてと言うミュリエルも、愛らしい顔を熱い雫で濡らしている。そのせいか、おかしそうにセレスティーヌは笑い出す。
「私は……いえ、私達は貴女達を、そしてシノブを見守っています。ですから、嘆かず強く心を持ってください。貴女達の輝く心や絆が、シノブを照らす道標となるでしょう。
アミィ、ホリィ達には貴女から伝えてください。彼女達は、今も探索を続けています」
アムテリアは四人に優しい言葉を掛けた後、ホリィ達について触れた。おそらくホリィやマリィ、ミリィは、夜を徹して捜索を続けているのだろう。
「はい! アムテリア様!」
アムテリアの言葉の意味を悟ったアミィは、大きな応えを返す。しかし女神に届いたか、アミィを含む四人に知る術は無かった。何故なら、そこで夢の邂逅は唐突に終わりを迎えたからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
翌朝、シャルロットはフライユ伯爵家の主だった家臣、総勢百名程を館の大広間に集めた。
まず行政長官であるシメオンを筆頭に、彼の補佐官で旧帝国のメグレンブルク伯爵であったエックヌート、そして農務長官のアルメルを始め各長官と部下の内政官だ。この内政官達は、長官以下の殆どがフライユ伯爵領の生え抜きである上、軍人であるシャルロットと接点の無い者が多い。
武官は第三席司令官のマティアス、続く領都守護隊司令で四席のジオノ、もちろんアリエルやミレーユ、アルバーノ達もいる。こちらは出身に関係なく、第二席司令官であるシャルロットが良く知る者達だ。
最後に家令であるジェルヴェや、侍従のヴィル・ルジェールなど内回りの者達である。もちろん彼らも日常的にシャルロットと接している。
そして正面にいるのは、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ、そしてアミィである。更に前日から宿泊しているコルネーユとベランジェ、そして何と王太子のテオドールまでいる。
「皆の者! 我が夫フライユ伯爵シノブ・ド・アマノは、見事帝国の残党、皇帝の次男を討ち取り、異形達を人に戻した! だが、不届きにも神を名乗る者達により、夫は遠方へと飛ばされた!」
軍装のシャルロットは、昔のような武張った口調で集まった者達に語っていく。その様子にか、あるいは語る内容に驚いたのか、家臣達にざわめきが広がる。
「心配するな! 夫は必ず帰ってくる。だが、それが何日後になるかは不明だ! そこで、夫が戻るまで私が当家を統べる!
……本来なら妹が立つべきだが、まだ幼い。それに、私は戦について少しばかり自信がある。何しろ『ベルレアンの戦乙女』という名も頂いたくらいだからな。不満もあると思うが、この非常時だ。どうか協力してもらいたい!」
シャルロットは、シノブが不在の間は自身がフライユ伯爵家を率いると宣言した。
これは、本来ならありえないことだ。彼女はベルレアン伯爵家の継嗣であり、厳密に言えばフライユ伯爵家の者ではない。だが、そんなことを言っている場合ではないと、彼女は考えたのだろう。
実は、ベランジェはもちろん、国王の同意も得ている。そのためテオドールもここにいるのだ。しかし、家臣達の出方を案じたのか、彼らの顔は一様に固い。
「はっ! 仰せのままに!」
だが、心配など不要だったらしい。
家臣達は全員が跪き、男は騎士の作法に則り、女はドレスの裾を摘まんで頭を垂れる。先頭のシメオンやマティアスから最後尾まで、全てがだ。
「シャルロット、私の予想通りだっただろう? シノブの、そして君達の育てた絆は、家臣達にも、しっかり根付いているんだよ。もちろん、領内にもね」
テオドールは、演説を終えた己の従姉妹に囁いた。彼は、万一のときは王命と宣言することになっていた。だが、彼やベランジェ、そしてコルネーユは、こうなると予測していたのだ。
「はい。私の夢は真実です……いえ、私達の、ですが……しかし彼らに示すことは出来ません。ですから……でも、取り越し苦労でした」
神託があったからといって、それを軽々しく告げるべきではない。シャルロット達は、それで一致していた。地上のことは地上の者で対処する。アムテリアも、そしてシノブもそう望んでいるからだ。
語り終えたシャルロットの目から、煌めく涙が零れ落ちた。だが、それは悲しみの涙ではない。希望に満ち、夫や自身、そして家族、更に囲む者達が作り上げてきた尊いものを見た、嬉し涙であろう。
「さあ、のんびりしてはいられないよ! 立って立って! やることは幾らでもあるんだ! それにシノブ君が戻ってきたら、少しはこちらも驚かせようよ!」
ベランジェの言葉に、大きな笑いが起きた。
シャルロットにアミィが、ミュリエルが、セレスティーヌが、そして彼女の父や伯父が近づいていく。そして、立ち上がった家臣達は、それぞれの役目を果たすべく動き出す。その光景をシノブが見ていたら、きっと彼は喜んだだろう。ここには自分の帰る場所がある。そして皆が待っている、と。
希望に満ちた人々の顔は、更に互いの顔を明るくしていく。この温かな絆で結ばれた人々がいる限り、シノブが心配する必要は無いだろう。そんな素晴らしき人々を祝福するかのように、大広間の窓からは眩しい朝日が差し込んでいた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年3月8日17時の更新となります。